防災デーについて

真学校2週間目の最後2月27日に、防災ワークショップが行われました。

人類が際限ない物質的な豊かさや経済成長を追い求めた結果、地球の46億年の歴史の中の、ほんの一瞬にしか過ぎない短期間に、地球環境を変化させ、自然災害が世界のあちらこちらで起こっています。

その災害をどう捉え、どのように防いでいくのかについてのワークショップを行いました。

受講生からは、「こうしたことは考えてもみなかったので、今後意識していくことができる」という感想が多く聞かれました。


ワークショップの最後に、いさどんから「防災について」以下の話がありました。

防災というと、人によっては恐怖をイメージするものですが、地球の歴史から観れば、たとえば生命の大量絶滅は過去に何回もありました。それは古いものを壊し、新しいものを生み出すきっかけになってきました。私たちは、人生を生きていく上で色々な出来事や困難に出会いますが、そういった困難は自分たちの今までの在り方を振り返って、新たな人生に出会うチャンスでもあるのです。ですから、地球規模で私たち生命の存在を捉えれば、それは決して悪いことばかりではないのです。

ただ、人間は今の自分に囚われ、今の状態を維持したいと常に思うわけです。維持したいと思うと、自らにとって恐怖に思う出来事が起きようとすれば、それを避けようと考えるものです。しかし、世界はこれまで一度も止まることがなく、変化・変容・変態を繰り返しています。そして、私たちも常に新しい世界を生きているのです。すべての生命が古い自分を捨て、新しい自分に出会い続けているのです。

そういったことから考えると、防災という考え方は現状を守りたい心で成り立っているとも思えます。しかし、時代は変わり続けていくのですから、何かが壊れていくということは、新たな時代の幕開けにつながるということです。今の世界情勢を観ると、地球上での人間の営みが飽和状態になってきているので、危険信号とも取れる様々な自然災害が起きようとしています。そういった災害は、これからも現実に私たちの身近なこととして起こり続けるのです。

まず、地球温暖化から来る気候の変化は、確実に今後食糧難を引き起こします。人々の考え方や生き方を変えていかないと、それは極めて身近な現実となります。しかし、今考え方を変えても、すでに今までのツケがこれから現象として現れてきますので、ある意味手遅れでもあるのです。

そうすると、それに対して私たちはどのように考えたらいいのでしょうか。
今から全てを変えてそれに対処することはできません。しかし、その必要はありません。つまり、その都度私たちはどのようにしていけばいいのかを考えていけばいいわけですし、そのような対応しかできないのです。

その時に、自分さえよければいいという「我先の心」は、奪い合い殺し合う世界を創ります。本来の日本の大和の精神は「和」の心です。「大和」とは、「大いなる調和」を意味します。その和の心があるからこそ、日本で災害が起きると、人々はつながり助け合うようになり、世界からもそういった精神を非常に評価されています。それとは逆に、海外では災害が起きるとここぞとばかりに奪い合う事件が起こっています。
ですから、大和の精神はこういった時にこそとても重要なものであり、私たちが日本人でいることの意味があると思うのです。これから、地球上で災害が頻発する時代に、そういった心を私たち大和民族は発揮する時が来ていると思います。

それと同時に、人間はこれまで物理的な豊かさを求め過ぎてきたがために、対立の世界を創ってきました。そういった世界が災害によって壊れるということは、新たな世界を創りなさいという人類に対してのメッセージでもあるのですから、広い世界観があればむやみに恐れる必要はないのです。
これまで蓄積されてきた地球上のプラスのエネルギー(破壊のエネルギー)は、いずれ現実に私たちの前に現れてくることでしょう。ただ、その恐怖を煽って、どこかに誘導しようとは思いませんし、そのように考えてもいけません。やはり、一人ひとりがそのメッセージの意味をよく捉えることが大切です。

私たちは一人ひとり生きています。蜜蜂の世界では、一匹の蜂が生きるということは、何万匹の蜂の生命をつないでいくことです。それは私たち人類も同じであり、生きるということは、自分が生きると同時に、人類という生命を次の世代へつないでいくことなのです。そこで自らを主張したところで、46億年という地球の歴史からすると、それはとても微細なことです。

そこで私たちが問われるのは、自分自身が今まで生きてきた結果、次へ何を伝えたのかということです。生きてきた結果、死を迎える時に、充実した人生だったと思うのか、それとも結局自分本位に生きて自らの価値を下げたのかが、問われると思うのです。

これまでの人類の在り方のように、ただ、物理的に生きて、物理的な喜びのもとに存在しているようでは、これから来るであろう困難は恐怖にしかすぎません。しかし、本来生きることはそうではないはずです。物理的なことを超えて、私たちがこの世界を創る一部であり、歴史の一部分を紡ぐ者であることに気付く時がいよいよ来ているのです。
私たちの実態は魂であり、そこに肉体が形成され、その器の中に魂が生きています。肉体は終わっても、魂は残ります。それがまた何かの縁により、この世界に生きるとしたら、今の時代を生きることは自分の未来を創っていることにもなります。

このように世界観を広げていけば、今をどのように生きるのかによって、未来の自分に何を与えるのかが観えてきます。そして、それはこの三次元の世界でも、今をどのように生きるのかが、自分の子供や孫だけではなく、全てのいのちに影響を与えているのです。そのような捉え方をしたら、人間の生き方自体が変わってくるはずです。その時に、私たちは新たな時代を観るのでしょう。今をどのように生きるのかが今、一人ひとりに問われる時代が訪れています。

防災デーにあたり、ただ危険が来るからそれを避けて通るという表面的な狭い視点ではなく、ぜひ広い世界観を持つきっかけにしてもらえればと思います。

そして、それは死生観にもつながります。死は必ず訪れるものなのですから、気持ち良く生きて潔く旅立っていくことができるのです。
ただ災害を防ぐだけが防災ではありません。防災を考えたときに、やはり日々の生き方の姿勢を自らに問い、そして時代と共に問うていくことが大切だと思います。


第20日目:自然療法プログラム

今日の午前は、木の花ファミリーで10年ほど前から行っている「自然療法プログラム」についての講義でした。

自然療法プログラムの原型は、今から30年以上前(いさどんが32歳の時)の人生相談という形で始まった。その頃は何でも相談に乗っていて、カルマ読みをベースにして相談を受けていた。

その初期の頃の話がたまたまfacebook にちなっぴーがあげていたので、それをみんなでシェアした。いさどんおじさんと10代のちなっぴーのほんわかした雰囲気が出ていて講義の合間のアイスブレイクにもなった。 木の花ファミリーfacebook

「ケアはテクニックでなく場の力である。」

「ここにいるだけで心身の改善が進む。」

といさどんが何度も語っていたように、どういった場で暮らすのかが一番心の癒しになる。

コミュニティがいいと言っても、群れは良くない。それは傷口を舐めあう関係になれば逆効果。問題とは一人で向き合わなければならない。周りは健全で、それをサポートするのがいい関係。

相談を受ける中で、お母さんが子どもに対する接し方がわからないということがある。自分が子どもから抜け切れないインナーチャイルドの親もいるということからすると、親子の絆や秩序をつけていき、そこに柱(父性)がないのだから柱を立てていくことが大切である。

自然療法プログラムでは必ず定期的に面談を行うのだが、その時の録音テープを聴くことで、客観的に自分を捉えることができる。それは自分で自分の癖や傾向などに気付いていく為に有効である。

面談の他に主治医のいさどんは、つけてもらった日記を点検してコメントをしているのだが、これらを含めても、このプログラムは一人がテクニックを駆使してできることではなく、周りの環境が必要になる。だから一人を健全にしていく為には社会作りが必要となる。

一方、天然循環法の「食」の講座の中でもいさどんが語ったように、病気の中にも治療してはいけないものもある。病気や問題事は因果応報で、自分にふさわしく与えられているのだから、時と場合によっては、治して楽にすると学ぶチャンスを奪うことになり、当事者の成長を妨げることになる。病気や問題事というのは神様からの贈り物であり、なぜそれを与えられるのかを振り返り、健全になっていく為に起こっているということが腑に落ちれば、その問題事は不必要となり消えていくというのが宇宙の法である。

だから、それを伝えることを生業とすれば、霊的には天の意志に反することになり、人生が終わる時には、それが必ずチェックされる。

けれども浅い意識のところではそのことはいいことになってしまう。いさどんは、初期に神様から伝えられた

「心を語って飯を食うな。」

をずっと固く守り続けている。

この取り組みは、純粋に相手のことを想うことであり、そういう意味からも「治療」ではなく、「世直し」だといさどんは語った。

自らの心の癖を知って自己コントロール(洗心)し、上手に使い分けていくとそれが個性となる。

自分のエゴ(我)に縛られているのに、好きなことをしてそれが叶うことが自由だと思っている。本当は、エゴ(我)を手放していくことで自由になるのにはき違えている。このように物の価値観がひっくり返る転換期が来ている。歪みに執着していると楽にならない。本来全てのものは、もとの響きの健全な状態になろうとしている。それが嫌だといって病気になったり、嘘をついたりして無駄なエネルギーを使っている。物事が自分の思い通りにならないのは本当は有難いことなのだ。

今の時代を見ても、いいと思ってやっていることがおかしな結果になっている。(例えば、昨日テレビで観たネットバンキングの被害では、便利だとうたってお客を獲得してきた銀行が、知らない間に何者かにネットバンキングの銀行口座からお金を引き出されて、そのセキュリティ対策にお金をかけ、そのセキュリティの裏をかいてまた詐欺が行われる)これはしっかりとした柱が立っていないからで、それに気付かせるために起こっている現象とも言える。

このようなことは宇宙真理であって、決して宗教ではない。

今の世の中には舎利弗(釈迦の十大弟子の一人であり、頭が良くて賢いが、それ故に悟りが遅かったと言われる)のような人がたくさんいて、人より優れていると思い、自己主張ばかりで振り返らないので、自分が正しいと思い、人の話を聞かない。それに対して鳩摩羅什という人は、頭は良くなかったが、尊師の言うがままに生きて早く悟りを開いたように、尊師、即ち宇宙の法に則り、いただく精神で、生かされているという謙虚な心で生きていくことで人間は早く目覚めることができる。

腹を決めると柱が立つ。

そして天とともに地を生きて、菩薩の心を持ちながら地上を生きることができる。

みんな平等であり、「(教育、宗教、医療、政治などの)先生」はいらない。一人一人が目覚めて世界に貢献している理想郷を目指していて、それをまず木の花が表現する為に私たちはこの生活をしている。

現実に、治療不可能と医者から見放された多くのケアの人達が、この自然療法プログラムによって治って社会復帰を果たしている。今回の受講生14名のうち、5名がこのケアプログラムの卒業生である。また、メンバーの中にも卒業生がおり、ケアではなくても、行き詰っていた人達がここで健全になり日々を過ごしている。

この講座を受講生以外の現在ケア滞在中のあっこちゃんも受けていた。日に日に明るくなっていくあっこちゃんを見ると嬉しく有難いなぁと思う。そしてこの気持ちは地球の心だと思った。彼女が社会復帰できることを心から願う。

そのことを考えてみても、このような捉え方で日々を生きることは、人類にとって本当に大切な取り組みであると思う。

そういった意味でも、私達はみんな毎日「自然療法プログラム」を受けながら暮らしていると言える。

 

 

 

 


第19日目:愛とお米があればいい

「愛とお米があればいい」は、数ある木の花語録の中でも、代表的な言葉です。木の花創立当初に、いさどんが畑で仕事をしているときに神様からいただいた言葉なのです。

人間は愛という言葉をよく使います。「愛があれば」「愛こそ全て」「愛してる」・・・無造作に使うこの愛という言葉に、どういう意味があるのか、深く考えたことはありますか?歌謡曲では「愛してる」という言葉がよく出てくるのですが、そこでいう愛は恋愛という限定された範囲の愛です。

「愛とお米があればいい」のプレゼンの中では、愛がランキング付けされています。これを見ると日頃自分が愛と言うとき、どのレベルの愛ことを言っているのかがよく分かります。それは以下の通りです。

1.自己愛   自分を存在させようとする力。生命(植物、動物、人間)、物、全てが「存在」することが自己愛。カタカムナで言う「生命カン」は、生存するために害になるものを直観で見分ける能力であり、現代人はこの能力が衰えている。

自己愛にはもう一つ人間特有の自己愛があります。それが「恋愛」。「なんで、恋愛が自己愛なの?相手がいてその人を愛しているのに」と思う人もいるでしょう。「恋は異なものあばたもえくぼ」といって、恋愛は人を盲目にし、ぼけさせます。そして、その人への執着や所有の心が発生します。「愛されたい」「支配したい」これは自我が絡む愛で、条件付きの愛なのです。

植物の自己愛

動物の自己愛

動物の自己愛2

2.身内の愛  DNAを共有しているものへの愛。親が子供を思う心、自らの命を犠牲にしても子の命を守ろうとする愛なので、神の愛に近付く。一方で、「わたしの○○」という執着の心を引き出します。

3.菩薩の愛  他者のために自分が存在し他者の喜びを自らの喜びとする。自分を愛するがごとく他者を愛する。木の花ファミリーは昨年より「菩薩の里」として仕切り直しました。こういう心のものが集っている場所を目指しています。

聖者

4.無条件の愛  宇宙全体を生命として存在させる愛のエネルギーであり、自己愛が束になったものなので、大いなる自己愛とよぶことが出来る。そこに執着や囚われの感情はない。ただ循環して、巡り巡って変化し続けるもの。

このランキングに照らすと、自分の日頃の意識がどこにいるのかが分かるようになっています。皆さんの心はどこにいましたか?誰もが一つの愛の場所にだけいるのではなく、いくつかの愛が折り重なって今の自分を作っています。生きて行くのに、心に必要なものそれが「愛」なのです。

次に「お米」についての話しがありました。

おにぎり

お米は、主食と呼ばれ、作るのに手がかからず、面積あたりの収穫量が最も高いので効率よく栽培することが出来、穀物の中でも最も栄養バランスがとれている食べ物です。生きて行くのに最低限必要な食べ物なのです。

米

人は、甘い物や、たくさんのおかずに目を奪われます。そういう物ばかりを食べ続けると体は栄養のバランスが偏り、病気になります。人生においても、同じ事が言えます。たくさんの刺激に心を奪われて脇道にそれていくとき、人生は目的を見失い遠回りになっていくのです。人間は選択肢が多いことが豊かさだと勘違いしますが、それが迷いの原因となり、問題を大きくしていることがよくあるのです。

人生は心磨きの道場。人間以外の生命は人間に従うという仕組みになっています。
(依正不二)道理を外しながら学ぶのが人間。その人間が心を磨き、この世界の実相を知って、生命ネットワークの中で人間としての役割を果たしていくことで、この世界が健全に運営されます。

人間が心を磨きながら生きて行くのに最低限必要なもの、それが、体には食べ物(お米、水、塩)、そして心には愛なのです。いつでも主になる最も大切な道を意識して歩いていれば、脇道にそれてもそれすらも人生の肥やしにしながら道を踏み外すことなく歩いて行けるのです。

心磨きに必要なもの

シンプルな生き方

大切な事はシンプルなのですね。ほっこりと心が温かくなるようでした。

歌の歌詞


第19日目:糀仕込み

今日の午前は3月9日に行われる味噌作りのために、みんなで糀を仕込みました。みなさん、「こうじ」には二つ漢字があることをご存知ですか?「糀」と「麹」。

今日使ったのは「糀」の方で、これは味噌用の糀です。

今日の講師役のやすえどんは、木の花創設期から木の花の醸造部門を担当してきました。まずは、エプロンとバンダナ姿で集まった受講生たちと共に、カタカムナの5首と6首を奏上。

カタカムナを奏上する受講生
カタカムナを奏上する受講生

そして、この微生物の世界とカタカムナが解く宇宙真理の世界について、やすえどんは次のように話しました。

宇宙の響きを醸す 命を作る糀づくり

糀菌はカビの一種で生育適温は34~37℃(これは人が受胎する体温と等しい)、湿度は80%~90%を要します。繁殖条件が満たされると、蒸したお米に付着した菌は発芽して白色の菌糸を出して綿状に広がります。繁殖が進むと酵素が生成され、糀が全体に広がって浸透し、美しい花(菌の胞子)を咲かせます。繁殖条件を満たす手段とは、目には見えないもの(菌)との対話、そしてその時々の気候との相談。すなわち直観を働かせ菌にとって心地良い環境を作るということです。このようにして糀という生命が誕生します。

 目には見えない世界(潜象界)「カム」から目に見える世界(現象界)「カタ」へと生み出す「ナ」。宇宙の響きを感受して・・・。

糀の命は、変化、変容、変態し、高度な精神文明を築いた上古代の「カタカムナ人」が表現した生命や物質の発生、消滅を垣間見せてくれます。

ある日の作業で、仕上がった糀をもみほぐしながら、ヘルパーのともくんとの会話。

やすえどん:       糀づくりは神の存在なくしてはありえないよね。

ともくん:           人智を超えていますよ。科学では作れないですよね。

やすえどん:       時々思うんだけど、一体これ(糀菌)を誰が作ったんだろうって?

ともくん:        試験管でも作ることはできないですからね。

糀は人の腸を整える働きをするチョウ優れもの。健康への導きの菌。神さまは人の心のみならず、その肉体をも浄化するようにこの世界(地球)を作られたのですね。

受講生に説明をするやすえどん
受講生に説明をするやすえどん

 

まずは浸水させたお米を、カタカムナのウタヒを上げながら布を敷いたセイロに入れていき、釜戸で蒸します。すぐに大麦も蒸していきますのですが、その間、先に蒸しあがったお米をきれいなゴザの上に広げていきます。大麦が炊き上がるまでちょっと休憩。

その間、3日のフリープログラムの時に仕込んだ御神酒の発酵状態を確認します。
出来上がりは10日後になりますが、みんなで味見しました。さらっとした甘みで美味しかったです♪

そうこうしている間に蒸しあがった大麦を、先に広げたお米の上に広げていきます。そして全体の重量の0.01%の分量の「糀菌」をふりかけ、きれいに洗った両手をこするようにして全体にまんべんなく混ぜていきます。そして最終的に30度くらいまで温度を下げていきます。糀菌、空気中に漂う菌、そしてみんなの菌が、こうして混ざり合っていきます。なので、この糀は「真学校メンバー」のオリジナル菌なのです。

みんなで糀菌+真学校受講生菌を均等にまぶしていきます
みんなで糀菌+真学校受講生菌を均等にまぶしていきます

菌をむしろの上で混ぜるときに外側に出ないように木枠があるのですが、それは建築チームのヒロッチが丁寧に作ったものでした。そこから、昔のヒロッチの仕事が粗かったけれど、日々の生活からの心の学びを通して変化し、仕事を丁寧にするようになったことなど、メンバーそれぞれの心の歩みと変化の話などが出ました。

こうして十分に混ぜ合わさった糀は、もろ箱に分けて移され、お風呂場を改造した微生物室にて3日間発酵させます。そして9日の午後に行われる味噌作り講座で使われます。

さぁ、どんなお味噌ができるでしょうか。楽しみですね!

最後にみんなでやすえどんを囲んでハグ大会!
最後にみんなでやすえどんを囲んでハグ大会!

 

 


第18・19日目:性と宇宙

二日間に分けて、性と宇宙の講義がありました。

【3月3日の講座】

人々の関心を引いて止まない「性」は汚いものとして封印され、人々はオープンに語り合うということをしません。しかし、地球上では日々無数の性の交わりが行われています。この性の交わりは、何のために行われているのでしょうか?性の交わりは、子孫繁栄のためと言われていますが、本当にそうなのでしょうか?実際、性の交わりは子作りを目的としていない場合の方が多いのです。

男女が惹かれあうのがなぜかは解明されておらず、その欲求はメディアによってコントロールされ、お金儲けに利用されています。

又、我々はみな例外なく性交によって生まれてきますが、キリスト教はマリアは処女懐胎したとしました。であれば、この世界は女性だけでよいはずです。なぜ宗教の中で性がそのようにゆがんだのでしょうか。男女が交わることは汚いものとされ、性を語ると人間に秩序を提供できないので、性がタブー視されてきました。

カタカムナのウタヒの中の約8割は性についての解説であるといわれています。しかし、人類の性についての意識は低すぎ、その根本の原理はなかなか理解されないので、性の奥義は長い間封印され、密教として受け継がれてきました。性については、人間性を高めてから話をする必要があります。

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宇宙の始まりは言葉であり響き、そして響きは宇宙の最初の想い。想いは心であり、その心を持って生きることが性の始まりであり、宇宙が陰と陽に分かれ、陰陽の交わりの繰り返しで宇宙が創られていきました。心が生きると書いて「性」という文字になり、それは男女の交わりの「性」と同じなのです。一般的に考えられる性へのアプローチとは違った切り口で、性のメカニズムをひもといていきました。 2

ここで、受講生のみんなに「『子孫繁栄』以外の性交の目的は何か」という問いかけをし、たくさんの意見がホワイトボードに書き出されました。性についてオープンに語り合うという場がなかなかない中で、受講者から活発に意見が出るおもしろい場でした。

 【ホワイトボードに書かれた内容】

ストレス解消(癒し)、快楽、愛を深める、互いを知るため、エネルギー交換、ノリ、
快楽依存、収入を得るため、自己満足、相手を支配しようとするため、
相手をつなぎとめるため、依存させるため、依存するため、心が寒い、運動、
美しくなるため、自己顕示欲、生理現象(習慣)、娯楽、探求心、
自分の性を表現するため、本当の自分を知る(一つであることの確認)、柱を立てる、神事

書き出したものを、良い印象と悪い印象のものに分類し、本来の性の目的は何かを話し合いました。

子孫繁栄、癒し、愛を深める、互いを知るため、エネルギー交換、美しくなるため、生理現象(習慣)、探求心、自分の性を表現するため、本当の自分を知る(一つであることの確認)、柱を立てる、神事、世界観を広げる、解放、宇宙に良い波動をもたらす

本来の性の目的とは何か、みんなで考えてみました

・エネルギー交換のための交わり
・湧かれた陰陽が一つになろうとする行為
・愛を表現し、確認する行為
・乱れたものを正常に正すこと=秩序立てる
・性行為は柱を立てることなので、秩序を元に戻すために行う行為。
・対話を円滑にするためにする行為(阿吽にする)→これまでは通すことで執着が生まれて余計通りにくくなっていた。
・儀式として物事の始まり終わりのけじめをつけるため

この後、「ない世界」(この世界の奥にある世界=潜象界)から「ある世界」(現象界)が生まれる原理について学び、そこに性の秘密が隠されていることを学びました。宇宙創造の目に見えない最初のプロセスから、「ア」という高次の存在が発生し、アマノミナカヌシが現れ、さらにそこから、カミムスビ、タカミムスビという陰(左回り、拡散)陽(右回り、収縮)の神が発生し、この造化三神がもとになって、現象界の創造が始まります。このメカニズムが、心という文字の元です。

3

性とは「心を生む」あるいは「心が生きる」と書きます。この世界の全ては、天の心から生まれてきたのです。全てが天からきた一本の柱「天の心」のもとに陰陽が合体して生まれる、それが性の仕組みです。存在の元の部分の認識が汚れて狂っているために、この世界が全て狂っているのです。天から来た一本の柱「天の心」=「天の理」が忘れられ、その認識がないので、陰陽(男女)の交わりに芯がなくなり狂っていくのです。

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形の奥には、心や道理があります。つまり、形として現れた「命」の奥には「性」という仕組みがあるのです。その仕組みの奥には、天の心すなわち道理があり、形に天の心(道理)を入れていくことが一本芯を通すということなのです。今の世は、形優先で、人は心が曇っているので「形の奥にある天意」を感じることが出来ません。ですから、性の奥に秘められた意味も理解出来ないのです。

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宇宙で星が生まれる仕組みも、地球で生命が生まれる仕組みも、みんな同じ神聖な性の原理からなっています。性の交わりは、星生みと同じ高い意識の元に行われるべき神事なのです。

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【3月4日の講座】

性から生まれた全ての存在は、地球上で生態系ネットワークを形成しています。人間以外の生命は、それぞれの役割を果たしながら、全体のためにあります。人間だけが、多様な選択肢の中で迷い、他を羨ましがり、はまりどころが分からなくなってさまよったり、他に害を与えたりしています。

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「あなたのままで良い」ということには、あなたに与えられた「ポジションをしっかりと担う」という義務が発生するのです。自由気ままにわがままをするということとは違います。自由と義務の両方を意識して成り立つものなのです。又、他をうらやむという心は「足るを知る」という感謝の心がないことの表れです。

統合された個性的人間が、多様性の元につながること、それがコミュニィティーの仏陀です。

性とは全てのものが存在する根本の原理であって、その性が汚れているために、この世界の全てが狂っています。狂っているとは、「天の心」「天の道理」が忘れられ、人知で世界が動いているということなのです。

天の道理を地上に降ろすことを「カムウツシ・アマウツシ」といいます。この世界は、天(カムの世界)からエネルギーや原材料を補給されて運営されているのです。そして寿命が来れば、その存在は解体されて、又 天に帰って行きます。このことを天然循環といいます。

性の原理も同じです。男女が対向することで、「天の道理」を感受して地上に表現することが、本来の性交の目的なのです。カタカムナでは、こういう性をマイナスエントロピーの性といいます。オープンでおおらかで、疲れがとれ、若返る性です。それに対して現代人の性はプラスエントロピーの性といい、快楽を求めるための性になりはて、汚くていやらしい秘め事になっています。

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では、正しく性を表現するにはどうしたら良いのでしょうか。そこで「知意行一体」で、

  • 世界観を広げこの世界のメカニズムを知り(知)、
  • 宇宙の受け皿となる事を決意して(意)パートナーを選び、
  • 高次元の波動を持って生きる事が社会に還元される。(行)

ということが必要になるのです。

高い意識波動をもっているものが、それを伝授してゆき、みんなが直接宇宙とつながるものとなると、そこではみんなが同じ事をしなくてもよい個性的で多様な存在がネットワークする世界を形成します。

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「尊きものを見つけてそこに行き救われるよりも
自らが貴きものとなって 世を救えるようなものとなれ
これからは一人一人がイエスや仏陀であるぞ」

「人々が集い語り合え、語り合うところから真実が生まれる」


午後はフリータイムでしたが、受講生からのリクエストがあり養蜂とコンポストトイレのプレゼンテーションでした。

養蜂のプレゼンテーションについては、いさどんと一緒に養蜂を担当しているちなっぴーがフェイスブックにアップしていますので、こちらをご覧くださいね。

 


第17日目:宇宙の響きを醸す 真生御神酒づくり

受講生6名が、フリープログラムの時間を利用して御神酒づくりの体験をしました。

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古来、日本人にとっての米は、霊魂を再生させる特別な力を秘めたもの。米に象徴される穀物には穀霊が宿っていて、その穀霊を食す事で人間の霊魂は衰弱を免れ、活性化すると信じられていました。

神様にお供えする供物を神饌(シンセン)と言います。その中で最も大事なのが、「御飯(ミケ)」、「御酒(ミキ)」、米をついて丸めた「御餅(ミカガミ)」の三つです。

その御神酒づくりを受講生たちが体験しました。

【材料】
・天然循環法自家栽培 玄米
・古く縄文時代から作られていた赤米
・玄米糀
・水
・霊峰富士の御霊水
・『カタカムナのウタヒ』

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【作り方】
始まりは、『カタカムナのウタヒ』から…。
神事とあって受講生も粛々とした面もちです。
カマドに『火』入れをし、一中夜水に浸した後、水切りをした玄米と赤米を合わせたものを30分程蒸します。

一晩水に浸した
一中夜水に浸した玄米と赤米
せいろに入れて  ―
せいろに入れて ―
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釜戸で「火」にかけます。

次に『水』の準備です。
前日、カルキ抜きの為に用意した水に、霊峰富士の御霊水を注ぎます。

御神水を注ぐわたるシェフ
御霊水を注ぐわたるシェフ

そして、揉みほぐした玄米糀を入れます。
何とも香しい香りと共に、「ポッチャン♪」「ポッチャン♪」と美しい音色が響いてきます。

みんなでもみもみ
みんなでもみもみ
糀を入れるみどりーぬ
糀の香りが漂います

締めは、 蒸しあがったお米を混ぜ込みながら『カタカムナのウタヒ63首』を奏上。
皆んなの『愛』が響きます。

※ カタカムナが何か知りたい方は、カタカムナ勉強会へお越しください。

カタカムナのウタヒを奏上
愛の響きで御神酒仕込み

冬場だと、二週間ほどで糖化発酵中の甘い甘酒がいただけます。
蒸し時間の合間に、お待ちかねの試飲をしました。以前に仕込んだものです。

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感想は、なんと言ったか憶えていません。
でも、皆んなが口を揃えて言った言葉は憶えています。
 
 
「 “愛” と “お酒” があればいい‼︎ 」 ^o^
 
 
地球の未来は明るい…❤️

 
 
本宅カマド小屋イヤシロチより、やすえどんでした。
 
 
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< 後日談 >
もともと御神酒づくりは真学校のプログラムには含まれていませんでしたが、受講生の希望があり、ちょうど御神酒を仕込むタイミングと重なったので、この日に行うことになりました。
通常は仕込んでから飲めるようになるまで2週間ほどが必要なのですが、仕込み後暖かい日が続いているため、真学校最終日(13日)の修了パーティーの時にみんなで飲むことができそうです♪

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「2週間の心の変化」

今日は、地球暦で金星と海王星の結びが共通しているキタジュン&みどりーぬの最近の日記を紹介します。

 《2月25日・キタジュンの日記》

今日のフリープログラムでは残り3人の地球暦の詳しい説明が進んでいき、時間がなくなるのではと気にしていました。その後すぐ、いさどんから形式にとらわれず、地球暦をみんなが明確に理解できるよう話が脱線してでも進めていくと聞き、それは納得しました。ただ、わたる君の解説の時、後半ほとんどみどりーぬさんの質問ばかりで、もう少し周囲に配慮してほしいなと思いました。僕はつい全体のバランスを考えてしまうので、一人に偏るのはおかしいんじゃないかと感じました。

昼食の時、みどりーぬさんをつかまえて、僕が感じたことをそのまま伝えました。みどりーぬさんには「それはキタジュンの基準で考えているだけでしょ。私は私の基準でアドバイスするし、キタジュンも自分の意見を抱え込まずもっと出してほしい」と言われました。そして、みどりーぬさんがどれほど強い思いでこの真学校にかけているかを話してくれました。だから、みどりーぬさんは真剣に講義を聞いて、分からないことはとことん質問するようにしていることが分かりました。直接話してみて良かったです。勝手に誤解せずに済みました。また、みどりーぬさんの考え方や行動力は僕にはないもので、話を聞いてみてとても勉強になりました。前からみどりーぬさんは僕と対照的な人だと感じていて、普通の生活を送っていたら、まず関わりを持たないタイプの人です。自分と全く違うタイプの人と関わることで、自分の価値観が広がることを感じました。

キタジュン
キタジュン

~いさどんからのコメント~

良い出会いです。そして、その出会いを生かしています。

また、みどりーぬさんが別れ際に、眼の調子のことを尋ねてくれて、「何か見たくないものがあったんだろうね」と言ってくれました。自分にとって見たくないもの。ああ、そうだったんだ。僕は「努力しても報われない現実」、そして「人と比べて価値を感じられない自分」を見たくなかったことに気付きました。目の前の現実と自分を見たくなかったから、今日まで眼を傷つけてしまったんだ。考えてみれば、僕は鏡を見るたびに濁っている眼を見て、「どうして全然治らないんだ。どうしてなんだ」といつも怒りの気持ちを眼にぶつけてきました。そして、疲れや痛みといった眼からのサインをすべて無視して、無理矢理使い続けてきました。

ここまで気付いて、僕はようやく自分で傷つけ続けた眼に対して深く謝りました。「今までずっと傷つけてごめん。これからは一番大切にします。」そして、怒りの気持ちではなく、優しい気持ちを眼に向けていきたいと思いました。今まで怒りや失望に満ちていた眼だったので、もっと笑いや喜びに満ちた眼に変えていきます。

~いさどんからのコメント~

素晴らしい振り返りです。

《2月25日・みどりーぬの日記》

今日、キタジュンから「みどりーぬさん、一緒にお昼を食べて下さい」と誘われた。このタイミングで彼としっかりコアなシェアができてよかった。やっぱり私はマンツーマンで話すのが好き。私がどのような過去を体験し、今の私になったのかも理解してもらえたと思う。キタジュンは自分の感情を溜め込み、外に出せない。出したくても我慢してしまう。人とつながるのが大の苦手。その事についても二人で深く掘り下げる作業をしてみた。目が痛くなる原因となる想念にもたどりついた。そこに向き合い消化できれば、胸の苦しさ、目の痛みも改善に向かっていくだろう。彼が勇気を振り絞って声をかけてくれたことがとても嬉しかった。彼からつながりたいという意思表示をしてくれたことが嬉しかった。

朝のシェア会で、よこなおちゃんから「今までやったことのないことをしてみたいので、協力してほしい」という嬉しいシェアがあった。全力で彼女が楽しみながらチャレンジできるよう協力しよう。小さな成功を積み重ね、少しずつで良いので自信をつけ、今までと違う世界を楽しめたら良いなあと思った。ジャガ芋定植中、となりにいたよこなおちゃんが「なぜか分からないけど、みどりーぬと話していると涙が出てくる」と話してくれた。新たなる行動によって、今まで見たことがない「新世界」への扉を開く覚悟をした祝いの涙なんだろうなあと思った。表情にも力強さが出てきている。あとは進むのみ。

今日はキタジュン&よこなおちゃんからエネルギーをいただきました。ごちそうさまでした。

みどりーぬ
みどりーぬ

~いさどんからのコメント~

人の為になる生き方(愛の表現)ができています。

《2月28日・キタジュンの日記》

 この2週間を振り返ってみると、過去のことを日記に書いたり、大人ミーティングでシェアする度に、自分の心と体が軽くなっていく実感があります。具体的な効果を挙げてみます。

 相互理解が深まった

僕が人間関係で悩んだこと、いじめや暴力を受けたこと、ストレスから体調を崩したことなどを話すと、「実は自分も同じ経験をしたことがあるんだ」と打ち明けてくれる人が何人かいて、お互いの心の距離が縮まったと感じます。中には、自分と全く共通点がないと思っていた人でもそういう人がいて、話してみないと分からないものだと思いました。

~いさどんからのコメント~

良い出会いでしたね。

 体調(眼の痛み・冷え・腹痛)が改善しました。

~いさどんからのコメント~

それは何よりです。

真学校が始まる前は、眼の痛みはもちろん、体の冷えや腹痛があり、睡眠不足と食欲不振が続いていました。でも、日が経つにつれ冷えが改善され、湯たんぽなしでも手足が温かくなり、熟睡できるようになりました。熟睡できるようになると、多少寝るのが遅くても眼の回復が早くなり、疲れや痛みがずいぶん軽くなりました。食欲も最近になって出ているので、良い循環が続いています。今までどれだけのマイナス感情を心の中に溜め込んでいたのかと思うとゾッとします。

  •  周囲への配慮ができるようになった

1週目は自分のことばかりを振り返って、他の人のことを考える余裕がありませんでしたが、2週目は自分のことも理解が進んだので、他の人の意見もよく聞いてコメントを返す余裕が出てきました。他の人のことを理解しようとすれば、同時に自分への理解もさらに深まり、相乗効果が生まれると思います。

  • ギターの上達が早くなった

真学校期間中はせいぜい1日30分~60分くらいしかギターを弾けていませんが、学生の頃よりも上達が早くなったと思います。理由は2つあって、1つはたくさんの人に聞いてもらえるため、常に高いモチベーションがあることです。2つ目は、冷えが改善されたおかげで、指が柔らかくなめらかに動くようになったからだと思います。

残り2週間ですが、自分の壁をさらに乗り越えていくために、「自分壊し」に挑戦し、今まで以上にみんなと関わって成長していきたいと思います。

~いさどんからのコメント~

とても良い振り返りです。こちらもワクワクして幸せを感じます。

追伸:真学校が終了したら、体験集を書いてくれませんか。よろしく!

みんなの成長を喜ぶいさどん
みんなの成長を喜ぶいさどん

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受講生一人一人の心の変化がまわりに連鎖し、喜びや幸せの輪がどんどん広がっていく今日この頃です。さあ、1ヶ月間の真学校も後半戦に入り、これからどのような心の化学反応が起きていくのでしょうか♪


第16日目:天然循環法ー食

午前:命と食について深める

毎日の生活を生き生きと活かして活性していくことを人生という。
そうした人生を送るには、俯瞰したものの捉え方が必要。

自分の能力を活性して生きていくとみんなが良い人生を生きることができる。

これがマスターできると、誰にも頼らずに自分で自分を幸せにできる。それが解明されないと、苦痛が来るようにわたしたちは作られている。

不調和であると不健康に、調和は健康になるように作られている。

自分に捉われて新陳代謝しないと苦しくなる。出すと入って来る。出したくないと言って、入ってこないと言っても、それは入って来ない。簡単なこと。

自分の中に不幸の響きがある。自分が発信源で、外に不幸の響きを響かせている。

ブログ用


 

噛む「カム」の意味は、食べ物をよくかんで味わい、身につけて命に顕していくことであり、即ち、「食べる」ことは、人生を生きるということである。

人生を生きる中で起こる出来事は、人生の食べ物である。即ち、出来事をよくかんで人生に取り入れると物事がよく理解できる。出来事が起こることによってその前の状態が認識できて感謝できる。

といった話だった。こんな話はお坊さんから出てきてもいい話だよね、といさどんは言っていたが、これらは、そのような捉え方で人生を生きていなければ出てこないような話である。けれども、このことは既にある話、宇宙の法であるのだから、どこから出てもおかしくない話であるともいさどんは言っていた。

「病気」とは、心の滞りで、肉体の中で生命の繋がりが切れて響き合わない状態である。「気」は簡単に変わるものなのになぜ変わらずに続けるかというと、そういう性質だからである。病気といってもニーズがあるから病気になるのだから、治してはいけない時もある。例えば子供の病気は親の学びや気付きの為にある。子供は幼いほど自我がないから鏡の役割をしている。20歳を過ぎ、30歳までになったら全て自分の責任で親の問題ではなくなる。30歳を過ぎても親の影響から抜けられないのは、現代の環境がよすぎるからである。

「健康」とは、元の気(響き)のつらなりの通りにあり、互いに響きあいながら連鎖し循環する姿である。循環するとは、自分に留めず執着しないということである。イメージとして力を抜いてまっすぐ立っている状態で、歪んだ姿勢でそれが当たり前になっていたらどこかがおかしくなるに決まっていると、いさどんは、ポーズをとって説明していた。

「食べる」時も、感謝しながら食べているかと考えてみる。自分が食べている姿をビデオにでも撮って客観的に観察したり、人に観てもらったりして晒すと美しくなる。

これらは「食べる」ということで話を進めているが、全て「生きる」ことに置き換えて考えることができる。

例えば、自分を正直に人前に出して晒すことで、人に客観的に観てもらい、そのフィードバックを素直に受け取ることで美しくなっていくという「心磨き」の捉え方になる。

いさどんは、人間は、間違っていても自分の見る目が正しいと思いがちで、これは謙虚さを忘れていることだと話した。

そして、人の不幸によって成り立っている職業は、世の中からなくなるといい世の中になると話した。例えば、人の不健康が飯の種になっている「医者」、人の不幸から依存を作り出す「お坊さん」、世の中の悪い出来事がないと成り立たない「弁護士」がそれらの例である。

私達は、自分がどのような姿で、世の中にどんな影響を与えているのかを俯瞰してみる必要がある。人間は万物の長であり、人間の健康は地球の健康であり、それが世界が平和になることに繋がる。これは社会運動であるといういさどんの話を聞いて私が思い出したのは、木の花にいろいろな形で関わる人たちの中には、「戦争反対」「原発反対」を声高に叫び、ボランティアなどをしないのかという質問を投げかける人達も多いが、その時にいつも、「私たちの心を綺麗にすることが平和運動です。」と答えていることである。意識の共有ができなければなかなかその真意は伝わらないが、確実にその心が多くの人に伝わる日が近づいてきていることを今日の講義からも感じた。

(文責:まりねぇ)

午後は食養生講座でした。

木の花ファミリーが菜食をしている7つの理由や、木の花ファミリーが取り入れている食養生についての説明がありました。

また講義が少し早目に終わったので、「人々がなぜ肉や魚を食べるのか?」というテーマで座談会をしました。

一番に解放される必要があるのは、自分からの解放。

自分の心の起伏があり悩んでいる。本来、その悩みは無いこと。起きているのは自分が何かに反応していること。実際は無いことで自分の心が作り出していること。

霜降りの肉も、それが食べ物でなければ食べない。人間は自分の姿を客観的に見えなくなっている。

自分の視点で見て、無いものをあるようにしているのだと思う。客観的に実態を見たら、バカなことをしている。自分のイメージが崩れて落ち込むよりも、もっとそれを客観的に観ると、あまりにバカバカしくて笑える。

そういう目線をもって、世の中を生きていくと、一人一人が世の中にとても良いものをもたらせる。「これは木の花原理主義!」(笑)

「そうだ、納豆菌爆弾で、世界中をネバネバさせよう!」

みんなで食べて幸せ♪

視点を変えたところから自分や社会を見ていく。

降りたところから上がっていく時代に来ている。

時代は宇宙の巡り会わせ。人間は宇宙の法の動きに合わせていくのが人間の役割。

 

 

 


第15日目:2回目のフリーデー

今日は二回目のフリーデー

真学校受講生は、思い思いに時間を楽しんでいました。
寝坊組数名、朝ゆっくり休んで9時半からパン作りをする人たち7名、お出かけ組が2名、という感じ。

受講生7人で作ったパン。夕食で美味しくいただきました!
受講生7人で作ったパン。夕食で美味しくいただきました!

パンを発酵させている待ち時間に、翌日の講座にもつながるいさどんお薦めの動画「中国の危険な食品 安全を求めて立ち上がった市民たち」を鑑賞。

午後は「いのちの食べ方」のDVDを鑑賞しました。

ということで、今日はゆったりとした時間となりました。