21世紀の死生観・番外編 ~ 死んだらまっしぐらに光の方へ向かいなさい

「21世紀の死生観」の講座が行われた夜、毎晩開催される「大人ミーティング」の場で、「木の花ファミリー通信2018年春分号」がシェアされました。テーマは「死ぬってどういうこと?」

ファミリー通信93-1

受講生やファミリーメンバーたちが死について思い思いに語らう中、受講生のエドの発言から、こんな話が生まれました。

大人ミーティングで語るエド
大人ミーティングで語るエド

エド:
人は、死ぬと肉体と魂が分かれます。死の瞬間に心の準備ができていなければ、人は死ぬことを恐ろしいと思うかもしれません。肉体と別れた魂は、本来魂の本住の地へと還っていくはずですが、恐怖や不安のような思いをたくさん抱えていると、それが重りとなって上へ上がることが難しくなります。
以前ある人から、「死ぬ瞬間には光が見える」という話を聞いたことがあります。人それぞれにカルマが違い、その人のカルマの状態によっては、光が見えたとしても一瞬で、またすぐにカルマに引っ張られてしまったり、家族などを残していくことが心残りで光の方を向かない人もいる。しかしそこに囚われていては、光の世界に還ることができなくなる。だから死の瞬間に光を見つけたら、一目散にその光に向かいなさい、とその人は言いました。例えば、死の瞬間に、自分のとても親しい人と、テロリストが見えたとします。その時に、親しい人には光がなく、テロリストの方に光が見えたとしたら、それがどんなに親しい人であったとしても、迷わずテロリストの方へ向かいなさい、と言うのです。
これは死ぬ時についての話ですが、生きている今も、よりよくその光が観えるようにトレーニングを積んでいくことができるのではないでしょうか。

いさどん:
人間の心というのは、汚れを持っています。そして汚れた人がこの世界を生きると、世界に矛盾を発生させます。今のように問題だらけの地球の現状があるのは、汚れた人がたくさんいるからです。人々の矛盾と汚れが、地球上に広がっているのです。
それは、私たちが輪廻をくり返す中で、生きることを通して学ばず、汚れを積み重ねてきたからそうなっていると言えます。そしてもうひとつ、僕の中にはこんな情景が浮かんでいます。

魂は、肉体が死を迎えると昇天します。「昇天」とは、「天に昇る」と書きます。死を迎え、肉体から魂が離れると、魂には肉体という質量がなくなりますから、自ずと天へ昇っていくのです。ところが、魂が地上のしがらみに囚われている場合があります。汚れた魂はたくさんの思いを抱え、その思いが重くて天へ昇ることができません。そして霧のように地上に漂うことになるのです。
漂ってはいるものの、実際に肉体はありませんから、徐々に上へ上がっていくことになります。ところが、その魂は物質世界に存在していますから、上へ上がったとしても物質世界に在り続けるのです。物質世界の上というと、大気圏の外あたりです。そのあたりに、天へ還れない魂たちが漂い、地球を覆っているのです。
地球は物理的には、青くて、白い雲が漂う、美しい星です。ところが霊的に地球を観ると、肉体を失いながら3次元世界を離れられない魂たちが周りを漂い、とてもダークな星になっています。そしてその囚われた魂たちの響きが、地球に降りてくるのです。それが、今の地球上の人間たちの目覚めを遅らせています。

いさどんは、車の運転中でも、仕事をしている時でも、何かちょっとした危ないことがあると、それが大事故になった場合を想定し、死ぬことのシミュレーションをよくします。高速道路を走っている時でも、いつ中央分離帯を越えて対向車が突っ込んでくるかわからない。今はとても危険な時代であり、生きていればいつでも死を迎えるような出来事は起こり得ますから、僕は時々シミュレーションをするのです。
中央分離帯を越えて対向車が自分の車に突っ込んできたとします。そこで正面からぶつかれば、命は助かりません。そのように、絶対に死ぬ状況をシミュレーションするのです。正面衝突し、肉体は生命として再生不可能な状態になりました。その時に魂は、肉体から抜け出し、少し上からその肉体を観ます。そこで自らの命に執着があると、その肉体を見続けることになります。つまり、下を見ているということです。
しかし、肉体がなくなったことを悟ったら、後は上を向き、光を探すのです。そうすると、自らの向かうべき方向に、必ず光が観えます。その時に、自らの人生や、残していくものについては、一切考えないことです。ただ真っ直ぐに光へ向かえば、魂は昇天します。

皆さん、明日死ぬかもしれませんから、このことをしっかり覚えておくといいですよ。死の瞬間にはまず、自分が死んだということを理解することです。そこで上を見上げれば、必ず光が観えます。そこがあなたの向かうべき方向です。そこに向かえば、昇天します。ですから、お坊さんのお経も何もいらないのです。犬や猫が道路で轢かれると、死骸がそのままになっていたりしますね。同じように人間もそのままそこに放っておかれたとしても、その心構えさえあれば、魂はきちんと昇天できるのです。ですからお葬式もいりません。ちゃんと逝けますから。このことをよく覚えておいてください。まだ生きているうちは救急救命処置をしますが、死んだら即座に救急昇天してください。(みんな:笑)

そこで今までの囚われがいろいろとあると、昇天することに躊躇することにもなります。もともと天から降りてきた魂が、地上の快楽の虜になって、上へ還りたがらないものもいるのです。僕が運転中などに事故のシミュレーションをするのは、事故を起こさないようにするためというよりも、死ぬことを想定し、死の瞬間に自らの魂がどのような死に対する姿勢を取るかということのためです。交通事故を起こさないことも大切ですが、それよりも、魂を汚さずに即昇天することの方がもっと大切です。そうすれば、地球を霊的に汚しません。

生きていると、いろいろと予定があるものです。僕ならそろそろ蜜蜂の点検をして、とか、講座のプレゼンチェックしなきゃ、とか、メンバーの誰々は最近成長してきたけどまだ不十分だからもう少し深く心のことを伝えよう、とか、いろいろと予定を立てるものですが、そうすると、死んだ時にそちらの方を見てしまうのです。そんな潔くないことでは、即昇天することはできません。

死んだ時には、必ず、自分は死んだんだ、ということが感じられます。その時には、下を見ずに、上へ行きなさい。行く方向がわからなかったとしても、必ず、上を見れば光があります。そこが向かうべきところです。

みんな、ちゃんと行くんだよ!

みんな:
はーーーい!!(≧▽≦)ノ

いさどん:
真学校では、食についてもお話ししました。現代人の食は、とても命を無駄にしています。
ライオンがシマウマを食べるのは命の循環です。シマウマの命はライオンに受け継がれ、魂には何の未練もなく昇天します。しかし、人間が自分たちの食料にするために家畜を飼い、屠殺する場では、動物たちの魂に大変な未練が残ります。世界中でどれほどの動物たちが、まだ命があるのに屠殺され、恐怖の響きを響かせながら肉になっていくことでしょう。その響きを、現代の人々は食料として自らの体の中に取り入れているのですから、恐ろしいことです。
肉体から離れた動物たちの魂は、怯えの響きを響かせながら、昇天できずに地上をさまよいます。それも物理的質量はありませんから、徐々に上へ上がり、大気圏の外側を霊的な雲のように覆っています。大気の層は、およそ100kmです。それは地球全体の大きさからすると、卵に対する卵の殻程度の厚さで、とても薄いものです。その薄い層の外側を漂う魂たちが、地球を暗くし、人間を目覚めさせない原因になっています。そしてそれは、地球のカルマになるのです。それも良いカルマではなく、汚れたカルマです。
ですから私たちは、自分自身も死後に地球上を漂うことがないよう潔く死を迎えることが大事ですが、同時に日々生きる中で、その動物たちのような不浄な魂を出さないことも大切なのです。私たちが肉食をしないことには様々な理由があり、物理的に環境を汚さないことも理由のひとつですが、もっとも重要なのは、霊的に地球を汚さないことです。霊的に地球が汚れると、大切なことに目覚めない人間が増えてしまうからです。
今は、そのような迷える魂たちの影響によって、人が目覚めることがとても難しい時代になっています。いろいろな意味で、この世界を変えていかなければなりません。世界の状態は、ここまで複雑になっているのですから。

みかこ:
死んだ魂の影響もありますが、生き霊の方がさらに恐ろしいと言いますね。

いさどん:
そうだね。生きている人間が発する、恨みつらみ。怒ってばかりいるとその怒りが生き霊となり、勝手に飛んでいくのです。例えば、ひとつの部屋の中で誰かが怒っているとするでしょう。そうすると、その部屋の中に怒りの響きが充満するのです。
僕は昔内装業をやっていた時に、仕事でいろいろな家に行きました。そして家の中に入ると、その家の人間関係の響きが感じられるので、「この家は荒れているな」ということがすぐわかるのです。そこで「息子の部屋を改装してほしい」と頼まれて部屋に行くと、そこに本人がいなくても怒りの響きが飛んでいます。その響きがさらに次に影響を与えていくのです。

まっちゃん:
僕たちが心を磨くのは、自分一人分地球を汚さない、というだけじゃないんだね。地球をきれいにするためにこの生き方をしているとしたら、自分一人分を超える働きをしないと、いつまで経っても地球はきれいにならない。

いさどん:
そこが、すぐに答えを自分の中に見つけようとする人間の浅はかなところです。真学校では、この世界には時代のサイクルがあり、それによって地球上の出来事が変わっていくということをお伝えしました。ですから、例えばまっちゃんが今の心を持って過去に行き、そこで戦争に反対したとしても、やはり社会は戦争をするのです。それどころか、まっちゃんがその時代に行ったら、きっと流されて、自分も戦争に行き、戦っているだろうと思うのです。

まっちゃん:
真っ先に死んでるかも(笑)。

いさどん:
そうかな。みんなが突撃していく時に臆病になり突撃できず、結局生き残ったりしてね(笑)。
つまり、その時代にはその時代にふさわしい魂が降りてくるのです。そしてその時代にふさわしい出来事を、役割として演じているのです。それを自分の力でどうにかしようと思っても、時代はふさわしい表現をしながら進んでいくのです。
今は、霊的には闇の時代です。人々は未だ目覚めていません。しかしその中で、ほんの一握りの人たちが目覚め始めたら、それは闇の中の光です。闇の中では、ほんの少しの光でもよく見えます。真っ暗闇の中へ入ってごらんなさい。そこにどこかひとつでも地上への穴が開いていれば、どんなに小さな穴でもパッと見つけられます。そこで電気を付けて明るくして、もう一度同じ穴を見つけようとしても、見つけられないでしょう。

ですから、今のようなまっちゃんの考え方は、時代のメッセージを受け取らず、人間の力で社会を良くしていこうという考えです。それは、現代の人々が、自ら汚した地球に対して、自らを振り返らず、環境保全活動をしているようなものです。
そういった真実の観えなくなった闇の時代には、ほんの少しの光であっても、とても目立ちます。そして多くの人がその光を見つけ、そこに向かってくるのです。だからこそ、今はまだ人々は気付いていませんが、まずあなたが始めることです。それはとても誇りある生き方ですよ。気付いた人から、行動を起こせばいいのです。それが、この時代に生まれ、今の時代にふさわしい役割を果たすということです。気付いて「これは大変だから早くやろう!」と思ったとしても、天体には天体の事情があります。時代はあちらの都合で動いていくのですから、「早くしなければ」というような人間的な欲は持たないことです。

地球が汚れるのも、そしてそこに矛盾が発生するのも、人間の心の汚れが原因です。ですから、そこに気付いた人々は、まず心をきれいにすることです。今、東京でも大阪でも名古屋でも、都市はとてもきれいに整備されていますが、そこからどれほどの汚れが発生していることでしょう。物理的にも、その汚れは地球上のどこか見えないところに蓄積しています。そしてその原因は、人々の心の汚れです。しかし人々は表面だけをきれいに整え、それで良しとしています。きれいに見えるその奥に、とてつもない汚れを隠しているのです。どんなに外観をきれいに整え、アクセサリーを身に付けて美しく着飾っていたとしても、霊的な心の汚れをそのままにしておけば、優れた魂への道は遠ざかっていくばかりです。

ちなっぴー:
私は24年前の3月21日に、創立メンバーとしてここに来ました。それで、毎年この時期になると、その当時の思いを思い出します。今日は3月20日ですから、24年前の、あと数時間後にここに来たんですね。
今この場でも・・・(涙で言葉が詰まる)・・・いさどんは、昔と同じことを言っています。ここに来る前、いさどんは私にこう言いました。
「おじさんはね、これから富士の地に行って、みんなで仲良く助け合って暮らしていく。そして、本物の食べ物と、本物の生き方を追求して生きていこうと思うんだよ。」
その本物の食べ物というのは、今話していたことと同じです。話を聞きながら、タイムスリップしたような思いが湧いてきました。その頃「大霊界」という映画を観たんですけど、その中で一番印象に残っているシーンがあって、それがまさに、今のこの場と同じなんです。映画は死後の魂の世界で、みんな肉体を持っていない魂の状態です。その魂たちが集まって、中心で誰かが魂の仕組みのようなことを語っていて、みんながそれを学んでいて、そして地球に降りてくる。今、私たちは肉体を持っているけれど、あの映画のシーンと同じだと思いました。肉体を持ちながらこんなふうに学べるなんて、すごくありがたいことだと思います。

いさどん:
私たちは、物理的3次元世界を生きています。そして、3次元世界的なきれいさについつい目が行くのですが、3次元世界のきれいさとは、その奥にある霊的世界のきれいさなのです。私たちは3次元世界を生きていますが、元は霊的な存在です。実は、物質も霊的な存在なのですよ。それはカタカムナに出会い、初めて立証されました。物質も、思いや響きによってできているのです。
ですから私たちがするべきことは、まず「形」は放っておいていい。そして魂に注目し、そこに問題があればメスを入れて改善することです。その時に、人のことは放っておいていいから、まず自分がやるのです。そうすると、自ずとそうする人々のネットワークができていきます。今の世界の問題を解決しようと思ったら、大変でしょう?国と国がいくら話し合っても、それはできません。ところが、「ああ、これは私の責任なんだ」という目覚めが広がれば、みんなが自分一人分をやるようになります。
とても簡単なことだと僕には思えるのですが、現実はまだ、そうなってはいません。今の人々にとっては、汚れることが魅力的なのです。性の講座でもお話ししたように、みんな汚れた性に溺れているでしょう?しかし汚れ過ぎてしまうと取り返しがつかなくなりますから、時代はまた、美しくなっていくサイクルに入りました。だから、大丈夫なのですよ。時代は確実に進んでいるのですから。

それでも、みんなが「大丈夫なんだ」と言って何もやらなければ、ことは成っていきませんから、やはり時代の意志を受け、その役割に先に気付いた者から現象化をしていくことです。自分一人分、この世界をきれいにする。その動きが世界に広がり、それがハーモニーとなれば、世界はたちどころに美しくなるのです。同時に、あなたにとって一番大切なあなたも、霊的に高い魂となるのです。

 

 


「21世紀の死生観・番外編 ~ 死んだらまっしぐらに光の方へ向かいなさい」への3件のフィードバック

  1. 死を話す、死を考えることを人は嫌がります。でも一番大事なことですね。毎日死と向き合っていることで生きることの素晴らしさがわかります。死んだら光に向かっていきなさいというメッセージは、他の人からも聞いたことがあります。 でも親でも友人でないというところが新しい教えてでした。ただひたすら光だけを見て進むということですね。ありがとうございました。

    1. アシナさん、コメントをどうもありがとうございます。
      死の意味を知ることで、生きることが本当の意味で充実したものになっていきますね。こういった世界観が、これからの時代に必要とされていることを感じています。これからも探求し続け、発信してまいりますね。

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