きたじゅん - 受講修了後1

眼精疲労のために休職中のきたじゅんは、1ヶ月間の真学校卒業後も、さらなる心の学びを続けようと木の花ファミリーに長期滞在することを選びました。ファミリーメンバーと共に生活をしながら、毎晩の大人ミーティングを聞き、自分の想いを整理して日記に綴ってはいさどんから客観的なコメントをもらうという日々の中で、きたじゅんは確実に変化しています。
以下は、卒業後のきたじゅんといさどんとの日記のやり取りです。

 

2015年3月19日(木)

「午後の作業(豆の皮むき)について」

久しぶりに日記を書きます。自己紹介プレゼンから1ヶ月が経ちましたが、ずいぶん昔にやったような感覚でいます。

いさどんコメント
「それだけあなたが自ずから変化(成長)を感じているのでしょう。人間が大きくなった(大人)ということですね。」

最近、午前中は自由時間として体験集を書き、午後から外作業を手伝っています。

17日(火)は味噌作り、18日(水)ばブロッコリーの苗の移植、今日は琉球という豆の皮むき作業をあっこちゃんとしました。作業中、あっこちゃんから木の花に来る前の状況を聞き、家族が葬式を考えるまで病状が深刻だったことを知り驚きました。人工透析も一生続けなければいけないと医者から言われたそうですが、お姉さんがいろいろ調べて対処してくれたことが功を奏し、腎臓の数値が劇的に良くなって透析も必要なくなったそうです。僕とあっこちゃんが木の花に来た時期はほぼ同じだったので、最初の頃と今のあっこちゃんとでは別人になったと感じています。自然療法プログラムを受けて1ヶ月経ってここまで変わったことに驚いています。打つ手がない人ほど回復が早いといさどんは言われていたと思いますが、あっこちゃんは好例だと思います。

その後聞いたあきちゃんの話にも刺激を受けました。あきちゃんは木の花に来てしばらくしたころに左肩?(本人の記憶が曖昧でしたが)を複雑骨折したそうです。病院に行ったときは、肩周辺が黒ずんで腫れていて、医者からは手術しないと治らないと言われたそうです。そんな大変な状況にも関わらず、その後は一切病院に行かず自分でケアしながら過ごしていたら完治してしまったそうです。そのときあきちゃんは頭の中で、かわいい細胞たちがきれいに整列して骨が元通りにつながることを強くイメージしていたと言っていました。この話は僕が目を治す上で大きなヒントになると思いました

いさどんコメント
「信じる心が全ての土台になりますね。」

今まで目に関してはいろんな治療を試してきましたが、どれも一時的に効果があっただけで、目を使い始めるとまた疲れて痛みが出るという繰り返しで、正直お金と時間をいつもムダにしているような気がしてうんざりしていました。

でも、真学校を受けた今は、心の状態が目の症状を引き起こしている大きな要因だと考えているので、これからの自分の治療に対する姿勢や心構えが回復度合いに大きく影響すると肝に銘じています。

いさどんコメント
「それだけに偏り過ぎないようにしてください。」

あきちゃんのように、細胞が生き生きと動き目を修復してくれる良いイメージを常に持って治療を受けたいと思います。

いさどんコメント
「その心を一番に置いて取り組みましょう。」

真学校のフリープログラムで観た細胞の映像では、細胞一つ一つが意志を持っているとしか思えないと医者が言っていました。日記のいさどんのコメントでもありましたが、僕はさんざんネガティブな感情を体にため込んできたので、それを吐き出して新しいポジティブな感情を取り込み、感情面の良い循環を今後も継続していきます。

いさどんコメント
「そうですね。真理はそこに存在していますね。」

 

2015年3月20日(金)

「東京の眼科に行って」

昨日の日記を読み返して、さっそく眼科に行く途中で、これまでの治療に対する自分の姿勢を振り返ってみました。

今までの姿勢は眼科に行くためにわざわざ東京まで出るので、良い治療を受けても行き帰りで目も体も疲れてしまって、あまり効果は感じていませんでした。でも、本当にそうなのか自分に問いかけてみたところ、僕は最初から東京の眼科まで治療を受けに行っても意味がないと思い込んでおり、このような心構えではどんなに良い治療を受けても、効果が出るわけないと感じました。

いさどんコメント
「信じる心が問われるところですね。
信じる心は治療のプラスアルファになるのです。」

確かに東京まで通うのは物理的に遠いので、多少疲れるとは思いますが、思い込みが強いとより疲れを感じるのではないかと思いました。

いさどんコメント
「心が晴れていると疲れないですね。」

心の状態が目に影響するならなおさらです。お金も時間もかけて行っているので、いかにムダにしないかよく考え、心構えを改めようと思います。

いさどんコメント
「その為には、心の安定が一番ですね。柱を立てるということです。」

僕は昔から無理しすぎて頑張ろうとする悪いクセがあります。嫌いなことはことは周囲のプレッシャーや責任を感じて我慢してやり続けようとするし、ギターのような好きなことは時間を忘れて没頭しますが、体の一部が痛くなっても好きだから長時間同じ姿勢で続けてしまいます。

いさどんコメント
「そこですね、ポイントは。」

このまま同じように悪い習慣を続けていたら、目だけじゃなく他の部位も痛めて自分にしっぺ返しが来ると思います。真学校を受けたのだから、今までの悪習慣を改め、自己コントロールに挑戦する日々が、僕にとってそのまま社会復帰につながると確信しています。

いさどんコメント
「ポジティブな振り返りが出来ています。」

 

2015年4月15日(水)

真学校から1ヶ月経ちました。時間が経つのは早いなと思いつつ、真学校がもっと昔にあったような懐かしい感じがします。帰省して木の花に戻ってきてから10日ほど経ちましたが、体験集を半分書き終わったところで、もう一度今の自分を振り返ってみました。
すると、日記の中で書いていた自分の悪い思考パターンにここ最近はまっていることに気付きました。

いさどんコメント
「そうですか。しかし、そこが仕分けできているのですね。」

どこか居心地の悪さを感じていたので、その心の中を探ってみます。
大きく二つあります。一つは木の花に滞在する目的について、もう一つは人間関係についてです。

一つ目の木の花の滞在目的に関することですが、ここ最近、目を休めるために早く寝て、大人ミーティングは録音して聴いています。長期滞在のメンバーのあわちゃん、いぶちゃん、しゅうくんたちはブログを始め、木の花の中で存在感を発揮し始めていますが、大人ミーティングにも出られていないことに少し負い目を感じていました。木の花にお世話になりながら大して役に立っていないのではないかと思いました。でも、自分を客観的にみると、人と比較して自信をなくしすねるという心の悪いクセが出ていることに気が付きました。

いさどんコメント
「そこが今までの改善のポイントだったですね。」

心を悪い方へ自分で持っていっていました。長期滞在者にも人それぞれ目的があるので、私は社会復帰することを最優先に考え、体のケアと心磨きを中心に今後も進めていきます。

いさどんコメント
「それが良いですね。」

日々の気付きで全体にとって良い学びを提供できるのなら、大人ミーティングでも時々心のシェアをすることで関わっていきます。

いさどんコメント
「ぜひ、やって下さい。人に伝えることは、自らの学びを深め、定着させることにもなります。」

二つ目は、無意識のうちに人に嫌われないように行動している自分がいて、うまくいかなくてストレスを感じ、勝手に居心地を悪くしていることに気付きました。例えば、食事の時に普段あまりしゃべらない人と話そうと思って、その人の隣りや正面に座ったりしていましたが、仲良くなろうと思っていた人が、席を移動して自分から離れていくということが昨日、今日と二日続きました。孤立しないように、人から嫌われないように努力しても、結局孤立するという以前の悪いパターンにはまっていることに気付いたので、普段しゃべらない人の近くに座って仲良くしようという心の出所を探ってみました。

「普段しゃべらない人と仲良くなりたい」

↓  なぜ?

「相手にどう思われているか不安だし、落ち着かない」

↓  どうしてそう思うのか?

「心のどこかで相手に嫌われているのではと思ってしまう」

↓  どうしてそう思うのか?

「相手に好かれる自信がない。外見も良くない。ユーモアがない。話し上手でもない。ないない探しが始まってしまう」

仲良くしたいという心の出所は「自信のない自分」

から発していました。良い人間関係を築きたいというよりは、不安をなくしたいという後ろ向きな考えが根っこにありました。

カルマ読みと地球暦から分析すると、地球に「3.5P」と一番多くポイントがあり、思考が自分中心に陥りがち。真学校後、これは一番よく感じることです。とにかく物事を自分中心で考えていることが多く、そしてそれになかなか気付きません。

いさどんコメント
「気付いていますが、少し気付くのが遅いということですね。しかし、そうやって学びながら、そのうちに直感で気付きが生まれるようにしていくと良いのですよ。」

相手のことや社会のことを考えているつもりでも独りよがりな考えになりがちです。そして、自分に自信がないことから、相手に承認や優しさを求める心が強く(二文字陰性の特徴)、みんなに好かれようとしてあの人もこの人も気になって落ち着かない(濁点)。それでも何とか輪の中に入ろうと努力はする(木星:破線)。しかしいろいろ考えても行動が中途半端(火星:破線)、結果、相手の反応が薄かったり、好意を示してもらえないと嫌われたと思い、一人で落ち込みすねる(小文字)。これが深みにはまる自分の王道パターンだと思います。

いさどんコメント
「良くカルマが読めています。もっと客観的に深読みして他者にも生かしたら喜ばれると思います。」

食事中だけではなく、農作業や体験集を書いている時も同じ思考にはまっており、何となく居心地の悪さを感じていました。

いさどんコメント
「自分でそこにおいやっているパターンですね。気付いたらやめるだけですね。」

そこで悪い思考パターンから抜け出す方法を考えてみました。「自分中心の思考」にはまりやすいのは地球暦を見ても明らかなので、何をするにしても心の出所を探ってみることが大切だと思いました。

いさどんコメント
「客観視点」

たとえ相手のためと思っていても、その思いは常に自分が発端になっているのではないかと疑ってみる必要があると感じました。

いさどんコメント
「精密にものごとを捉えて冷静に分析する」

自分のためという気持ちが根っこにあることに気が付かないと、二文字陰性の特徴から、相手に何かを求める心が強く出ます。

いさどんコメント
「受け身で満足しようとする」

そんな時、自分は嫌われないようにと緊張して、気付かないうちに不自然な表情やオーラを出しているのだと思います。食事中に仲良くなりたいと思った人が自分から離れていったのは、私のそのようなオーラを感じ取ったからだと思います。

いさどんコメント
「思いすごしかもしれません。確認しましたか。」

今こうして日記を書いて自分の心の状態を見つめることで居心地の悪さの原因が分かってきました。悪い現象を受け取ったということは、必ず心の悪いクセがどこかで出ているということなので、現象を通して自分の心の出所や動きを細かく吟味することが必要なんだと思います。

いさどんコメント
「もちろん、それが一番の大事ですね。」

今はまだ、現象を頂いて居心地の悪さを感じた時にようやく振り返って気付くことが多いですが、現象を頂く前に心の在り方を見つめて悪いクセを修正できるようにしていきます。

いさどんコメント
「それでも随分進歩したのではないですか。その心構え(姿勢)があれば、人は進歩していきます。」

日記を書いてみて少し心がすっきりしました。ここ最近正直に自分の気持ちを周りに話していなかったことも居心地が悪くなった原因の一つだと思いました。もう一度「正直、素直、信じる」に立ち返り、日記を書いたり、まずは話しやすい人に自分の気持ちを話したりして外に出していきます。

いさどんコメント
「ぜひミーティングでもシェアして下さい。」

 

2015年4月17日(金)

「社会人1~3年目の振り返り」

昨日の大人ミーティングでファミリーメンバーのきょうこちゃんの話がメインになりましたが、きょうこちゃんの姿が自分と二重写しに感じました。例えば、相手の質問に対し模範解答のような受け応えをしてしまうところ、自分の感情を感じないようにブロックしているところ、大きな怒りのエネルギーを自分や相手にぶつけてきたところ、ポーカーフェイスなところなどいろいろ当てはまります。きょうこちゃんに対するみんなのコメントがまるで自分に言われているように感じ、コメントをもらうたびにドキッとしました。

いさどんコメント
「小文字の特徴ですね。」

最近、体験集を半分まで書き終わり、自分が眼精疲労という病気を頂くまでの過程を改めて振り返っていました。その中で、いさどんからもう少し客観的に捉えて深めた方がいいとコメントをもらっていたところが2か所あり、ここ2、3日考えていましたが、きょうこちゃんを自分の鏡として観た時に気付きがあったので、整理して書いてみます。

いさどんから深めた方がいいとコメントをもらった箇所の一つ目は、「極端に自分に自信がないのはなぜか?」ということです。「自分に自信がない」という思いは、小さい頃から今日までずっと心の根っこにあるものでしたが、カルマ読み、地球暦、家系図読みから改めて客観的に捉え直すと、今まで自分に自信がないと思っていたことは、自信がないのではなく、自分のことを何も知らないことからわいてくる思いだということに気付きました。

いさどんコメント
「良い気付きですね。(ポイントです)」

具体的に言うと、「純一」というカルマと地球暦からは、女性性、愛などがベースにあり、相手に求める傾向が強いと読み取れますが、現実は、「長男だからしっかりしなければいけない」「男だから体が丈夫でなければいけない」「みんなを引っ張っていかなければいけない」と自分に言い聞かせ、見栄を張って生きてきました。

いさどんコメント
「ポイントですね。」

今までずっと自分のカルマに合わないもの(例えば、男らしさ、積極性、強い自己主張など)を持っている人にあこがれ、自分も同じように振る舞おうと努力しましたが、結局上手くいかなくて自信喪失を繰り返してきました。以前の日記で、「価値のある人間、必要とされる人間になるために努力してきましたが、現実は正反対で、他人から理解されず孤立してきた」と書きましたが、この理由は、努力の方向性が間違っていたからだと気付きました。
自分のカルマの性質を知り、その性質に沿って生きれば、自分の良さが引き出されて他者のために生かしていくことができるようになると思います。そうすれば、自ずと自分に誇りを持った生き方が実現できると思います。

いさどんコメント
「大事なポイントに気付けています。これが定着すると他者の為に生かせます。これからの人生に生かしてください。」

二つ目は、「自分の弱さを隠して見栄を張り続けてきたことは、あなたにとってどんな結果をもたらしたのか?」ということです。一言で言うと、「眼精疲労」という目の病気を頂いたことになりますが、その病気を頂くことになった心の種を探ってみました。
自分の弱みを隠して見栄を張るようになった時期は、中学時代までさかのぼります。小学生の時から仲が良かった友人に裏切られ、いじめられたのが発端だと思います。当時、友人が急変し自分をいじめてくるようになった理由はよく分かりませんが、暴言や暴力を受けた事は心の傷として残りました。

いさどんコメント
「ここの所がポイントです。」

しかし、その出来事は中学生の時だけで、その後の人生に引きずる必要はなかったのですが、当時の私は自分をいじめた友人だけではなく、周りの人も信じられなくなり、被害妄想(濁点の特徴)に陥っていました。

いさどんコメント
「それがなぜ引きずられたのかを自らの内側から紐解いてみて下さい。」

相手の何気ない反応に悪意を感じる(小文字の特徴)ようになり、自分を守るために内に閉じこもるようになりました。(二文字陰性の特徴)
心の中は常に恐怖と不安が渦巻いていましたが、周りには気付かれないようポーカーフェイスを装いました。そのように振る舞った理由は二つあります。

一つは、いじめのターゲットにされないためです。オドオドして挙動不審だとからかわれいじめを誘発します。いじめる側は、誰でもいいから自分より弱い立場の人をいつもいじめの的にしたいのです。だから私は、自分を守るために、心の不安定さを悟られないように気丈に振る舞ってきました。
だから、「自分の弱みをさらけ出すことは、他人からいじめられ、バカにされることにつながる」と心に深く刻み付けられており、それが今も自分の心にしっかり残っていることが分かりました。自分をいじめた友人にしてもそれ以外の人も自分に対して悪意があったかどうか分からないのに、私自身が悪い方へ受け留めて(小文字の特徴)、人間不信に陥ってしまいました。

そのような心の姿勢に気付かないまま高校生活を新しい環境でスタートした結果、1ヶ月で孤立し、結局3年間友人が一人もできずに終わってしまいました。
高校3年間の経験を通して、いじめた人間だけでなく、自分のことを無視したり、理解してくれない人(クラスメイト、先生、両親も含む)に対してまで怒りの感情を覚えるようになりました。私自身は、弱みもさらけ出せないし、本音を外に出せないのに、相手には自分のことを理解してもらいたいと求めてしまう傲慢な心に気付かず、怒りのエネルギーだけがどんどん増幅していきました。自分のカルマの性質(濁点、小文字、極陰)によって、他人に対する恐怖心から、自分のことを理解してくれないという強い怒りへと変わっていったのです。
今思えば、高校生の頃は、身内に怒りをぶつけていましたが、社会人になると、一番下っ端の自分が上司や先輩に怒りをぶつけることは当然できないので、今までたまっていた怒りのエネルギーが全部自分に向けられました。その結果、私はそれに耐えられなくなり、現実逃避に走ったわけですが、それも時間の問題ですぐに行き詰りました。

長々と書いてしまいましたが、まとめると、自分の本当の気持ちを偽り続けてきたストレスと自分で勝手に増幅させた怒りのエネルギーが、「眼精疲労」という病気として現れたのだと思います。
一つ目の、自分に自信がないという話にも通じますが、これまで自分の本当の気持ちを無視し、本来の自分のカルマから外れた生き方をして、心と体に負担をかけ続けてきたことを気付かせるために、食欲不振や息苦しさなどの症状を今までも頂いていました。それでも私が頑固で、間違った生き方に執着していたため、天がこいつはしぶといから大きな病気をプレゼントして今度こそ気付かせてやると思って(笑)、パソコン作業には致命的な「眼精疲労」という病気を頂くことになったのだと思います。

いさどんコメント
「その原因の一つに創価学会の存在もあると思いますが、そこはどのように捉えますか。」

あともう一つ感じたことは、似たようなカルマを持っていても、環境によって人格が複雑に作られるということです。

いさどんコメント
「その通りです。だから精密な分析が必要なのです。」

僕の会社の上司は、「純一」という名前の人は今までろくでもないやつばかりだったと言っており、それはあながち間違っていませんが(笑)、例えば、真学校メンバーでも、文ちゃんといぶちゃんはカルマの形は似ているけど、育った環境の違いから、性格が異なります。もちろん地球暦も違いますし、それを本人が存分に活かしているかによってもずいぶん異なってくると思います。

いさどんコメント
「その通りです。だから自らを学び生かしていくのです。」

私の場合は、中学のいじめと孤独な高校生活の中で、カルマの性質が悪い方へ強く働いてしまい、現象を通してさらに被害者意識が強まり、自分の心のクセとして根付いたのだと思います。だから私は、過去の出来事を今も引きずっているのだと思います。

いさどんコメント
「良く分析できています。」

私は今まで弱みをさらけ出せず、いろんなことをやってきました。良い人、できる人だと思われるよう振る舞う、最大限努力することによって報われなかった時の言い訳にする、現実逃避するなど。あまりにもしんどい時は、正当な休む理由が欲しくて、病気や事故が起こってほしいと思うこともありました。
実際に私の中には、「休職して上司や先輩に見捨てられるくらいなら、心や体が壊れた方がマシだ」という思いがあり、その通り全部壊して休職したわけですが、その歪んだ考え方は、「自分の弱みを他人にさらけ出すことは、他人からいじめられ、バカにされることにつながる」という過去に植え付けられた心の種が発端になっていました。他のどんなことよりも、人にバカにされ、無視され、孤立することを一番恐れていたのです。
この心の種に気付いたことで、今後の生き方を選択していくことが可能になると思います。具体的には、自分の長所であるひねり(小文字の特徴)を加えることによって、もともと歪んでいた考え方の歪みを正し、素直に物事を受け取るようにすればいいと思いました。
真学校ですでに体験しましたが、自分の弱みをさらけ出すことは、相手にバカにされるわけではなく、むしろ相手との共通点が見つかり、心の距離が縮まるということを実感したので、実践し続けることだと思います。この世界が善意でできていることを信じ、自分の正直な気持ちを出し、相手の好意を素直に受け取ること、「正直、素直、信じる」の本当の大切さが、頭の理解ではなく、心で感じられるようになりました。後は、新しい未来を創造する為、行動あるのみです。

いさどんコメント
「その大切さに気付いたあなたに、おめでとうの言葉を送ります。そしてこれからその学びを実践して他者や社会に生かして下さい。それがあなたの価値を上げることであり、人が生まれてきて着目すべき本当の目的です。そんな人が一人でも多く世の中に現れてくることが僕の喜びであり、木の花の存在する目的です。一緒に良い世の中創りをしていきましょう。
ありがとうございます。感謝。」

 

2015年5月5日(火)

「自分の心のクセについて」

最近、体験集を全部書き終わりました。その上で、気になった他の自分の心のクセについて客観的に振り返ってみたいと思います。また、最近は、心の悪いクセが出ても意識してコントロールできるようになってきたので、その理由についても考えてみました。

1つ目のクセは、「自分や他人の欠点ばかり考えてしまう」ことです。よくあるパターンは、自分よりある面で優れている人が目の前に現れると、自分のコンプレックスを過剰に意識して、「自分はダメな人間だ」と卑下してしまいます。反対に、自分より劣っている人を見つけると、「何だ、あんなこともできないのか」と心の中でバカにして優越感に浸ろうとします。
一見違う反応に見えますが、その奥にある感情を探ってみると、実はどちらも「自分は他の人より優れた人間だ」という共通の思いが隠れていることに気付きました。もっと評価されたい、好かれたい、尊敬されたいという気持ちも同じ思いから生まれていると感じます。
要は、自分がかわいくて仕方がないのです。「自分は優秀な人間なんだ。だから、みんなにもっと評価されたい、評価されるべきだ」という自分のことしてか考えていない傲慢な心が強いのです。

私はカルマの性質から受け身で被害妄想に走りやすいので、よく自分を卑下しがちだと思っていましたが、外に出していないだけで、実はそれと同じくらい自分より劣っている部分を探しては他人を見下すことをよくしていました。しかし、表面上は穏やかで八方美人のように振る舞っていたので、心と行動に矛盾がありました。
この矛盾がうまく人間関係を構築できない一因だったのだと思います。自分より優れた人が現われると自分を卑下し、劣った人が現われると見下す。相手によって一喜一憂を繰り返す。
客観的に見ると、とても小さなことで神経をすり減らして、被害者面している自分のことが滑稽に映りますが、自我に捉われていると、自分の方に問題があることに全く気付かず、「どうしていつも人間関係がうまくいかないんだろう」と嘆いていました。

2つ目は、「人の目が気になる」というクセです。具体的には赤の他人の目はもちろん、普段あまり話さない人、苦手な人の目が特に気になります。普段からよく話し気持ちが通じ合っている人は信用できますが、それ以外の人は、自分のことを変に思っているのではないか、バカにしているのではないかと疑ってしまったり、相手の何気ないしぐさ一つ一つに反応し、自分は嫌われているのかもと悪い方へ受け取ってしまいます。
カルマ読み、地球暦で客観的に捉えると、自意識過剰で(地球3P)、警戒心が強く、被害妄想的(極陰、濁点)な傾向が強く出ていることが分かります。心の底では、この世界が善意でできていることを信じられなくて、常に自分を守ろうとバリアを張っている状態だと言えます。

いさどんコメント
「天と自分との意識がずれているのですね。」

これらの性質が心のクセとして根付いたのは、今まで何度も日記に書きましたが、中学時代のいじめや孤独な高校時代の育った環境が大きく影響していると思います。一人で過ごしている時間がとても多かったので、正直な気持ちを外に出せないまま、自分の中だけで思考をぐるぐる回して被害妄想に囚われてきました。いざ誰かと仲良くなりたいと思っても、常にバリアを張って警戒しているため、正直な気持ちを出せず、ただ嫌われないように相手に合わせて行動していました。ここにも、自分の心と行動に矛盾があります。相手は自分の鏡なので、当然相手も本音は出さず、表面上の関係しか築けません。
このように、自分の心の状態が現実を作り、「やっぱり自分は良い人間関係が築けないんだ」と受け取り、自分の気持ちを悪い方へ持っていき、さらに、悪い現実を引き寄せる負の連鎖を引き起こしていました。

2つのクセに共通していることは、自分事に囚われている、つまり、世界観がとても狭いということです。
「自分」という狭い枠に囚われていることに気付かず、必死に自分を守ろうとする行動が相手に誤解を与え、そして相手の言動にいちいち反応し、被害妄想に陥っていく。自分を守るつもりが結果的に、自分で自分を追い込んで生きづらくしていました。
真学校の日記の中で、いさどんから次のような言葉をもらいました。「常に変わり続けることがこの世界の習わしです。そこで自分の考えに囚われているのは、この世界の法則からはずれているのです。だから、問題事を起こして気付かせてくれるようになっています。」この言葉通り、この世界のカラクリに気付けば、自分に囚われていることがいかにバカげたことをやっているのかが分かりますし、気付いたらすぐやめるだけだと思います。
自分に囚われないためには、日頃から世界観を広く持つよう意識し、実践し続けることが大切です。でも、今まで狭い世界観に囚われ、被害妄想的に生きてきた人は、世界観を広げるとか、人の善意を信じることは無理だと思うかもしれません。
しかし、私の人生を振り返ってみると、元々自分中心で、被害妄想的な考え方の種は持っていましたが、その心が現われはじめた当時は悪影響が少なく、些細な傾向だったと思います。それから今まで数えきれないほど選択する機会があったのに、悪い方へ悪い方へ受け取ってきた結果が、今の自分を作り上げたのだと思います。
同じように世界観を広げ、人の善意を信じられるようになるには、小さな選択の積み重ねでしかないと思います。(些細な行動の連続。ハードルは低くていい。いきなり理想を求めない。)この世界が善意でできていることを信じる。物事を良い方へ受け取る。人の善意を素直に受け取る。毎日何か一つでもいいので積み重ねていけば、その良い心の状態が良い現実を引き寄せるプラスの連鎖を引き起こします。
このように「正直、素直、信じる」を実践し続けることで、心の良いクセとして根付くと思います。

真学校後、私は曲がりなりにもその通り実践してきて、悪い心のクセをコントロールできるようになってきました。最後に具体的に実践してきたことを書きます。3つあります。

1つ目は、悪いクセが出てきたことに気付いたら、すぐやめるようにしました。例えば、相手のしぐさを見て、嫌われているのではと受け取ったら、「あ、また被害妄想が出てきた」と思い、すぐ気持ちを切り替え、後に引きずらないようにしています。
このことを意識して行うようになってから、自分がいかに被害妄想だけで生きてきたのかが分かりました。自分の感覚は全くあてにならないと思い、人の言うことをもっと真剣に聞いて学ぼうという謙虚な心が出てきました。

2つ目は、自分も相手も冷静な目で見ることを意識しています。今までの自分だと相手のことをうらやましく思ったり、見下したりしていましたが、自分と相手の両方を客観的に見ると、「相手には自分が持っていない長所があるし、自分にも相手にはない長所がある」と感情抜きで考えることができ、必要以上に相手をうらやましく思ったり、自分を卑下することがなくなりました。
また、世界観を広く持って、全体のことを考えるようになると、お互いの長所をどう生かすかが大切だと思うようになりました。

3つ目は、毎日感謝の思いを持つようになりました。特に目の病気(眼精疲労)について感謝できるようになったことが大きいと思います。
ただ、すぐに実践できるようになったわけではありません。真学校後も、目の症状は一進一退の状態で、改善する方へ向かっているか分からないし、使えばすぐに痛みが出るので、「これだけ目に配慮して生活しているのにどうして良くならないんだ」と度々思うことがありました。
でも、改めて過去を振り返りながら、目の病気をもらったこと、木の花で生活していることの意味を考えたり、大人ミーティング(病気に対する捉え方など)の音源を繰り返し聴くことで、自分の気持ちを整理しました。その上で、過去のことは過去のこと、未来はこれから創っていくものと捉え、木の花という最高の環境で生活しながら心を振り返ることができている今の自分があるのは、全て目のおかげだと感謝できるようになりました。
心のベースが不安定な状態から穏やかな状態になったと感じており、その心の変化に合わせて目の痛みが和らいだことを実感しています。今後も感謝の心を持ち続けて実践していきます。

いさどんコメント
「読ませてもらいました。振り返りがバランス良く捉えられています。
後は、それが継続して安定していくことだと思います。そしてこの振り返りがあなたのような行き詰まりで現在苦しんでいる人に大きな力になるのではないかと思います。これからも他者や社会を意識して自分磨きを継続していって下さい。楽しみにしています。」

 


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