22日目午前「災害に向かって生きる」

1ヶ月間の真学校第22日目の午前は、「災害に向かって生きる」というプログラムが提供されました。そのプログラムの冒頭でいさどんは次のように語りました。

いさどん

「災害」というのは、人間から見た解釈です。地震も津波も地球の生命活動であり、それは新陳代謝でもあるのです。わたしたちの体も同様に、毎日多くの細胞が死に、そして新たな細胞が生まれてきています。地球の中でも新陳代謝の激しいところと比較的安定しているところがあります。また、長い地球の歴史からすると、大きな変化が起きた時と長く安定していた時があります。それは、地球が生命であるということです。そしてその生命は宇宙そのものであり、宇宙は常に変化、変容、変態を繰り返しているのです。ですから、わたしたち人間が築き上げたものが壊れたといって区切って見る解釈は、きわめて人智的な捉え方なのです。それは、長い目で見たらものは必ず壊れるからです。生命自体は誕生、維持し、それが壊れ、空(くう)となって、また始まるという循環の中にあり続けるのです。

今日は3月6日です。あと5日で東日本大震災が発生してから5年が経ちます。東日本大震災で約2万人の人々が亡くなり、たくさんの物が壊れましたが、あの震災を振り返ってみると、あの地にはこれまでに何度も地震がありましたし、津波もあの地域を襲っていました。しかし、長い間に人々は古くからの言い伝えを忘れてしまい、人工的な防波堤を信頼し、危険な場所に住んでいたのです。昔、そうしたことを伝えていた道祖神など(波分け観音など)がありましたが、人間の欲が勝ってしまったがために人々はそうした伝統的な言い伝えを無視し、便利さのために危険な場所に住んでいたことが、5年前の震災があったときに明らかになりました。

しかし、そういったことを天然循環法で捉えると、直観で感じ取り、そのようなトコロに住まない、もしくはたとえ津波が間近に迫っている時でも、直観でそのような兆しを感受することができれば逃れられたはずなのです。危機的な状況の中で直観が働き、命が守られることは、生命感が優れている証です。しかし機械的な情報ばかりに頼ってしまい、人間の生命感が失われていると、災害に遭うことになるのです。例えば、ゴキブリやネズミは家が火事になる前に引っ越していくそうですが、人間はお酒を飲んで寝ていたりして亡くなることがあるのです。本来、わたしたち人間もそのような生命感を持っているはずなのですが、今の人々はそれを失っています。

災害を語る前に、何よりも認識しておかなければいけないことは、わたしたちは生命であり、生まれたら必ず死ぬということです。そうであるならば、むやみやたらに死ぬことを恐れる精神状態を考える必要があるのです。つまり、死は生きることの集大成なのですから、その生きる中身がどうであるかによって、死はいつ訪れても恐れるものではなくなるのです。なぜならば、死は必ず訪れるものであり、生きることの結果必ずついてまわるものだからです。ですから、もし死にたくなければ、生まれてこなければいいのです。ところが、不思議なことに人は生まれてくると、生きていることに対して一喜一憂するのです。大切なことは、わたしたちが生まれてきた意味や生きる意味、そして死んでいく意味をホリスティックに理解した上で、生命世界を生きていくことなのではないでしょうか。そのように捉えると、災害が少し違って見えてくると思います。

災難というと、何か嫌なことが訪れ、出来れば避けたいと思うものですが、地球の歴史を遡ってみれば、生命は何度も大量絶滅を繰り返してきました。少し不謹慎な話かもしれませんが、僕は津波のことを思い浮かべたときに、たらいの中に浮かべた板の上の蟻を想像したのです。たらいに浮かべた板の上に蟻を何匹か乗せて、水面に何かを落とすと、波が起きて板の上に水がかかります。蟻からしたら、その波は5メートルくらいの波でしょうか。この写真の津波も、5、6メートルくらいでしょうか。

出典: geocities.yahoo.co.jp
出典: geocities.yahoo.co.jp

そうすると、たらいの中に何か物を落として、波が起こり、蟻の何倍かの高さの波が蟻の上を通っていったとき、それを地球の大きさに例えればほんの僅かな現象なのです。例えば、地球上には最も高いエベレストという山があります。それは9千メートル弱です。それから海の一番深いところが1万メートルくらいありますが、地球の直径は約1万2千キロメートル、また大気は約100キロメートルあります。地球にとって100キロメートルは卵に例えると、卵の殻の部分に匹敵します。そうすると、この地球は山の皺や海のへこみを含めても、とてもきれいな球だということです。そこに5メートル、10メートル、30メートルの津波が来ることは、ほとんど何も起きていないに等しいのです。ですから、わたしたちにとっては大変なことが起きたように思えたとしても、地球規模で言えば、それは何も起きていないに等しいのです。それに比べ、わたしたちがご飯を食べる前に手を洗うとき、それは手についている菌からすると、災害が起きているような大変なことになります。もしも、しっかり手を洗う人がいれば、手についている菌にとっては大災害に出遭い、大量絶滅したことにもなるのです。

今回の真学校では世界観を広げることがテーマでした。そして世界観のスケールが大きくなればなるほど、被害を受けたと感じる被害者意識がほとんどなくなっていきます。地震は地球の生命活動であり新陳代謝なのですから、宇宙から見たら地球はとても安定した星なのです。ですから、自然災害が起きて報道されるたびに、僕にはそのようなイメージが浮かんできて、「それほど大したことは起きていないのになぁ。これは定期的に起きている地球の新陳代謝であり、生きていることによって生まれたひずみが、地球をほんの少し変えているだけなのになぁ」と思うのです。そして、ほんのちょっとの水の波がこのような現象を引き起こすのですから、手を水で洗ったくらいではなかなか菌が取れないのと同じように、人間の営みも5年もすればまた元の状態に復活していくのです。

出典:http://workers-magazine.com/
出典:http://workers-magazine.com/

このように捉えると、ものの見方が変わっていきます。ものの本質を捉える時に、世界観が狭く囚われの心で見れば、それはとても悲惨なことであり、大切な人を無くしてしまった悲しく追悼すべきことになります。この震災で2万人くらいの人が亡くなりました。しかし、災害などがない時にも人はどんどん亡くなっていきます。僕は、人々が亡くなったことがどうでも良いと言っているのではなく、こうしていろいろな形で新陳代謝が繰り返されていることを理解する必要があると伝えているのです。ましてや災害対策を考えれば、生きているわたしたちにとって死は常に隣り合わせにあり、どのような形にしろ、わたしたちにはいずれ死が訪れます。宇宙において死ぬことは、正の方向であり流れです。ですから死を恐れるのではなく、どう生きるのかが大切であり、その死を満足のもとに受け入れていくことが重要なのです。さらに、死ぬことは宇宙の流れからすると、また生まれてくるということでもあるのですから、爽やかに生きて、気持ちよく旅立っていけば、また爽やかに生まれてくることになります。これはお金でも同じことです。気持ちよく使う人には、また気持ち良いお金が入ってきます。このように全てのものには、人の心の響きが乗ります。人生にも心の響きが乗りますから、生きることの心構えとして、いかに宇宙法則に乗せて気持ち良く流していくかが大切なのです。そのように解釈すると少し気分が変わりませんか?

「今日は防災訓練だ!」となると、火事になったときにどうしようといった話になって、とかく人は構えてしまいます。リラックスしていれば、全身の細胞がパラボラアンテナのようにセンサーになり、それが色々な変化を感受するので、上手に天の気を読むことができるようになるのです。しかし、「助かりたい!」という想いが強くなると、色々なものにぶつかってしまい、かえって動きが悪くなります。ですから、防災に対する捉え方も、人の心に起因するものだと僕は思います。こういった話をすると防災の話は不要になってしまいますが、資料が用意してありますので、今から一緒に見ていきましょう。

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この後、「災害はメッセージ」のプログラムのプレゼンに沿って、いさどんとみちよが話をしました。その後、ワークショップ形式で、参加者一人一人が自分たちが暮らす環境を振り返る時間が持たれました。

防災WS (3)

 

そして、最後のまとめとして、いさどんは以下のように語りました。

今日は、防災について学ぶと同時に、防災とは何かということをみんなで話し合いました。そこで至った結論は、わたしたちが生きると、色々な問題事に出会うということです。これは、真学校を通して一貫して皆さんにお話ししてきたことです。問題事に出会うことは、わたしたちが自我で生きていることに対して、この世界の法によって生かされていることをわたしたちに認識させるためのものです。わたしたち自身は、肉体と心により形成されています。それは自身の内から外に向かって観た視点です。同時にわたしたちは、外から内に向かってこの命が形成されるネットワークの中にいるのです。その双方の成り立ちを意識したバランスの取れた視点を持てば、宇宙が完璧に素晴らしい世界をわたしたちに提供してくれていることに気付くのです。

地上を生きるものとして世界観が狭ければ、物事を広い視点で捉え、そこにある流れや生きることの意味を理解することは難しいでしょう。しかし、わたしたちが地上を生きる役割は、もっと大きな宇宙の仕組みである調和や愛を地上に表現することです。そのことがわかれば、それらを地上に表現できるのです。それが天と地の和合であり、地上に天の法則を表現する役割を果たすことになります。それが本来、わたしたちが地球に生きることの意味です。それが宇宙の実相ですから、それを地球という特別に創られた奇跡の星で表現することが、わたしたち人間に与えられている大きな使命なのです。わたしたちは過去から未来に向かって時代を紡ぎ、その役割として地上に現れ、この宇宙物語を表現しているのです。

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出典: https://judithkusel.wordpress.com

災害やそれに対する防災を考えるとき、わたしたちの世界観が狭ければ、そこに起きることに対する対策をすぐにしたがるものです。そうした対策は大いにする必要があるのですが、それが目先だけに囚われた解釈になると、それは辛いことに対する対策で終わってしまいます。しかし、災害に出遭うことや災害に備えてその意味を考え、語り合うことは人々の霊性を高め、世界観を広め、最終的にはこの地上に理想の世界をもたらすきっかけとなるのです。ですから人々の意識が宇宙法則から外れるほど、天はわたしたちにそういった出来事を通して考えるチャンスを与えてくれるのです。そのような災害の捉え方をすれば、ただ辛いことに出会っただけではなく、災害もありがたいこととして受け止められるのです。生命として生きることはそのような高い意識を創る世界に存在することであり、そして自然の中に生きることは、ある意味自我を超える修行をしているようなものですから、厳しく感じられるようにできているのです。

そもそも、この世界は矛盾から生まれたのですから、その矛盾の現れである自然の中に生きることは、常に矛盾を埋め合わせて行くことになります。そのカラクリを知り、その中で翻弄されるのではなく、見事にそれをすり抜けて生きる術を見つけたならば、わたしたちはもっと大きな存在になれるのです。それは、宇宙を理解し、命を超越して宇宙を旅するコノハナ人になるということです。

真学校も終盤を迎え、この学びに出会うことの意味が皆さんに定着してきたと思います。当初は、皆さん一人一人の人生の課題に向き合うということでしたね。そろそろ、自らの存在がこの世界を担っているという高い意識に目覚めることが、真学校に出会った意味だと気づいていただければと思います。そして、人は必ず死にます。その時に悔いのない旅立ちをするために、皆さん一人ひとりが高い意識の元にこの世界の成り立ちを担っていることを意識しながら生きていくことを願っています。


第28日目:これからが真のスタートです!~1ヶ月間の真学校・最終日のいさどんの挨拶~

この1ヶ月間はあっという間でした。今、みなさんに、この1ヶ月の学びを定着してもらうために何が一番良いのかを考えていました。学校では義務教育の9年、それに12年、16年・・・と学ぶ人もいますが、その学びはみなさんの中ではどのように残っていますか。学んだことの何パーセントくらいを日々に生かしているのでしょうか。学校での学びの多くは知識を学びます。そこから自らに相応しいものを取り入れていければ、全て人生に生かせるというものです。100の学びをして、一律80%の学びを得られたとしても、人によって必要なものと不必要なものを仕分けしているのです。逆に言えば、もし自分が必要だと思うものだけを取り入れていったら、その人は自分の枠の中だけで生きることになります。ですから、不必要と思うものをどのくらい自分の中に取り入れて有効に生かすかによって、その人の幅が広がるものです。

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今朝、みなさんがどのよう表情をしてここに来るかを想像してみました。1ヶ月間の学びを終え、昨日の修了パーティーまでの顔と、今日旅立って、日常に戻るときの顔は同じだと思いますか?

 

みどりーぬ      全く違う。モードが切り替わっている。

いさどん        元のモードに戻ってきているということですね。個人差はありますが、僕がみんなの顔を眺めてみると、元のモードに戻ってきている人と、意外と戻っていない人と、完全に元のモードに戻っている人がいます。では、何のためにこの学びをしてきたのでしょうね。みなさんは真学校で何をやりましたか。

みどりーぬ      心磨き。

いさどん        心磨きはなぜ必要なのでしょうか。

みどりーぬ      物事の奥を観るため。

みへちゃん   幸せで平和な生き方をするため。

いさどん        それは誰のためですか。

あわちゃん   世の中のため。

みへちゃん      地球のため。

いぶちゃん      宇宙?

いさどん        ハッハッハ。それって、本当に考えていますか?

いぶちゃん   社会、地球ときたので、単純にもっと広いところを言ってみました(笑)。

いさどん        そういうのを知識というのですよ。今は、あなたが心から自分らしく想っていることを聞いています。

のりこちゃん  豊かな波動を出すため。

いさどん        それは何のために必要なのでしょうか。

のりこちゃん            豊かな波動を出すと、自分も周りも自然な状態でいられるし、天とつながった状態でいられるから。

いさどん        色々とあると思いますが、まず、自分が楽に楽しく生きられることだと思います。そこで、自分を楽しくない状態にしているのは誰ですか。

のりこちゃん    自分。

いさどん        その楽しくない状態を生み出しているのは、どのような自分がそうさせているのでしょうか。

のりこちゃん    狭い世界観。

いさどん        狭い世界観とはどのようなものですか。

のりこちゃん  周りが見えず、自分しか見えない。

いさどん        もし、狭い世界観で自分しか見ていない人がいるとして、それはあまり豊かな人生を生きられないとしますよね。では、どうしてそのようになってしまうのでしょうか。狭い世界観で自分しか見ることができない生き方をしているのは、本当にいけないことなのでしょうか。

みどりーぬ      それは、自分で気付かないうちに加害者になっているのだと思う。

いさどん        それは、あなたの場合そういうことがありますね。逆に、気付かないうちに被害者になっていることもありますね。ところで、今、黙っている人たちは、心の中で何を考えていますか。

よこなお        自分のことを言われているのかなと思います。

いさどん        自分の何を言われていると思うのですか。

よこなお        自分のことしか考えていないとか、狭い世界観のことです。

いさどん        今回のこの出会いで、何を学びましたか。

よこなお        自分がいかに狭い世界観で生きてきたか、そのことによって周りに不調和を与えてきたこと。さらに、自分がいかに面倒くさくて性格が悪い人間であるかが良くわかりました(笑)。

きたじゅん      狭い世界観だと、誰も気付かないうちに、周りにも自分に対しても加害者になってしまうけれど、自分の世界観を広げれば、自分の資質や特徴などを知って、それを世の中のために生かすことが出来る、ということを考えていました。

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いさどん       自分のために生かすことが世の中のために生かせると今言いましたね。自分が世界を創っている、だから自分のためにやることが世の中のためになる。こういった話は、プログラムの中で良く出てきましたね。それは、自分と向き合った結果の話ですから、個人個人の個性を生かす話ですよね。他の人はどうですか。

たかちゃん      人との関わり合いの中で、その人たちを鏡として自分の心の状態を学ぶ。そして「正直・素直・信じる」を、勇気を持って実行すること。

いさどん        それがあなたのこれからのあり方ということですね。他にはありますか。

あわちゃん              僕は・・・良くわからなくなってきました。

いさどん        わからない状態でこれからどうしますか。

あわちゃん      わからない状態で・・・ブログを書く(みんな、笑)。

いさどん    やることはあるということですね(笑)。

あわちゃん   結構良い意味で、わからない状態なんです。

いさどん     それはある意味、幸せかもしれませんね。朝、みなさんの顔がどうなっているのだろうかと想像したときに、きっと元に戻っているのだろうと想像してきました。ここで何が言いたいかというと、人はそんなに簡単に変わることはできないということです(みんな、苦笑)。この1ヶ月間、みなさんは自分でその学びを勝ち取ったのではなく、バーチャルな1ヶ月間に誘導されてここまできたのです。ましてや、3日や1週間の学びで人が変わるようなことは普通はないのです。それで今日の最終日をもって、これからが真学校での学びを生かしていく真のスタートだということです。例えば大学まで行くと16年間学ぶことになりますが、そこで社会に出るために必要なものが全て会得できたかというと、そこからがそれを生かすスタートなのです。学校では何か刺激をもらっただけのことなのです。

僕はなぜこうしたことをしているのかをイメージしてみました。今の世の中を見ると、迷っている人が多くいます。迷っているということは、生きることの柱になる考えがないのです。本来の自分のあり方や生きるべき方向、生きる目的につながる真実がないということです。真実は人の数ほどありますが、同時に真実は宇宙には一つしかありません。そのように共通するものなのです。

人間はおかしな生き物です。自分という我を持っていて、その自我が原因となって迷う者です。我を持っているということは、自らをコントロールできるということです。他の生き物は、自らというものをコントロールすることができません。この世界に存在するために与えられた役割のまま生きていくだけです。そこから外れると、他の生き物は全て死ぬことになります。もしくは、環境が徐々に変化する場合は、環境適応という形で変化しているだけであり、それが自分の意志かどうかは微妙なところです。しかし、人間だけはそれを自由自在にできるのです。そして、自らを変えても存在できるように生を与えられているのです。それはある意味高い能力ですが、その能力が自らを苦しめることにもなります。ここにいる人たちだけではなく、人生に行き詰っている多くの人たちのほとんどは、被害者だと思っています。それでは、加害者はどこにいるのかというと、環境や時代、もしくは何か特定のものなどたくさん存在しています。その中でも、一番の加害者は自分自身なのです。大学まで進んで勉強し、社会に出ても、自分というものから抜けられないということです。では、どうしたらよいのでしょうか。自分というものから抜けられずに、そこから迷いの人生が始まる人はたくさんいるのです。

みなさんは1ヶ月間学び、それだけの知識を得ました。本当は、これは知識を得るためのものではありません。1ヶ月間学んだ結果、生きるということはどういうことなのか、この世界の構造はどうなっているのか、自分とは何なのかを学んだときに、自分の外にあるものを自分の中に取り入れていくこと、そして天の智慧をもらい、自らの内に元々ある潜在的な智慧を湧かせることになるのです。そうすると、今までの自我の人生にプラスαを得て、生きていくことになります。ところが、その学びが単なる知識に終わっていると、それは智慧を湧かせるためには使い物にならないのです。この世界が成り立っている仕組みや自らの内から湧き出る日頃意識していない潜在的な智慧を使うと、その人に柱が立つのです。柱が立っていないと、元の環境に戻ると元の顔に戻っていきます。柱というのは自分らしいということですよ。そのためには、わたしは何者か、わたしはどういう性質をしているのか、をまずは知ることが大切なのです。

(いぶちゃんがi-phoneを操作しているのを見て)

ねぇ、そこの人、何をしていますか、話を聞いていますか。

いぶちゃん      はい、聞いています。

いさどん        そういう姿勢は聞いているとは言いません。確かにそれはあなた流の聞いているということですが、そうした姿勢がこれまでのあなたを創ってきたのですよ。それで今までを振り返ってみてどうでしたか。

いぶちゃん      学んでいないです。

いさどん        学ぶ、学ばないということを聞いているのではなく、今までの人生を振り返ってみて、あなた流に生きてきた結果どうでしたか。

いぶちゃん      うまく生活できませんでした。

いさどん        でもそれがあなたですよ。うまくできなかったことと自分を切り離していないですか。これからもそれを続けていくと同じような人生が待っていますよ。それは、嫌なことも全て自分が歩んできた道だということです。自分の歩んできた道だからこそ、変えようと思えばどのようにでもなるのです。自分とはこういうものだ、今まではこうやって生きてきたからこれからはこういうふうにしていくぞ、と柱を立てられるのです。自分を理解していないと、歩んできた自己責任の道を環境や人のせいにしていくのです。

みなさんは人間であり生命であり、そして生命は時代と共に生きるのです。そして時代というのも生命なのです。蛙でも1年ずつで死にますが、昨年の蛙、今年の蛙、来年の蛙というように、花でも昨年の花、今年の花、来年の花と命をつないでいるのです。私たち人間も、この時代の人、あの時代の人・・・と古代からずっとつながっているように、世界もそのようにつながっています。つまり、私たちは自分という人生を生きているだけではなく、同時にこの世界をつないで生きているのです。それは、ここで聞いたからそうなのではなく、この世界は実際そうなっているのです。宇宙を生きるということは、毎年季節を迎え、春にすること、夏にすること、秋にすること、冬にすることに付き合いながら生きることです。朝を迎えることも宇宙を生きることです。しかし、そういった大いなる仕組みの中で生きている私たちは今、何を考えているのでしょうか。あれを食べたいとか、これがないと生きていけないとか、その心があなた自身なのです。

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全ての生命に平等に太陽は降り注ぎ、自然は万物に循環し、平等に四季があり、平等に一年が経っていきます。その一年はあなただけの一年ではありません。全てと共に時代を創っているのです。みんなが生きる時代が積み重なって、地球の歴史になり、さらに宇宙の歴史が刻まれているのです。真学校の中では、そこまでのレベルに人々が目覚めることをイメージしながらいろいろなことを皆さんに提供してきました。人間はそこまでの意識で生きられるのです。それは当たり前のことです。しかし、人は自らの内側だけに興味を持っていたら、ばかばかしいほど些細なことを考えるのです。

のりこちゃん    焼肉を食べたいとか、日本酒を飲まないとダメとか(みんな、笑)。

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いさどん        そうなのです。時間の使い方であっても、朝起きて、テレビをつけてただボォ―と観て、一日が終わっていく人たちもいます。それが積み重なって時代を創っているのです。「わたしは世の中なんて創っていない」「世界で起きていることはわたしに関係ない」と言っても、事実、そういったことが世の中を創っているのです。そしてたくさん電力を消費して、原発の電力が要るか要らないかという話になっているのです。それは深刻な話なのですが、そういう人たちによって電力会社が支えられているのです。こうしたものの見方は、視点が変われば当たり前に気付くことであり、そういった視点を持たないと、「焼肉を食べたい」「たばこはやめられない」「お小遣いはいくら無くてはダメ」となるのです。そういったことは全てその人その人の基準です。これは、そのような枠の中に自らをはめているのか、それとも知らない間にそういった枠ができて、その枠の中に閉じ込められているのか、そのどちらにも考えられます。「それが僕の権利で、それがないと幸せに生きられない」という狭い枠の囚われ方もあるのです。枠というのは小さなものから大きなものまで様々にあります。時代の流れまで考えたり、宇宙の彼方まで想いを馳せるといった大きな枠もあるのです。そのどれもが真実です。ですから、自らのスケールはいかようにも持つことができるのです。その結果、あなたの前に、あなたの枠のスケールにふさわしい現象や感情が現れてくるのです。例えば、「生きにくいな」とか、「世の中にろくなやつはいない」とか、「幸せに生きられない」など、一人ひとりの感情をあげたらきりがありません。そのように、一人ひとりは全くオリジナルな人生を歩んでいますが、狭く小さな自分の中に閉じこもって生きていながら、そういった自らを観ることをせず、「わたしの人生がうまくいかないのはなぜなのだろう?」と不可思議に思っている人もいるのです。

みなさんは僕が伝えたいことがわかりますか?そこに気付けた人は、人として生きてきたことの意味をやっと理解し始めた人たちだと思うのです。こんなことは簡単でしょう?ちょっと自らを離れて、自分の言っていることや自分のまわりを観察してみれば、今まで被害者だと思っていたこと、知らない間に加害者になっていたこと、生き辛いと思っていたこの世界を創っていること、時代をつないでいること、一日を刻むこと、一年を刻むこと、死を迎えること、そして宇宙を生きていることが観えてくるはずです。ちょっと視点を切り替えれば、簡単なことでしょう?

今朝、みなさんの顔を見たら、完全に真学校前に戻っている人と、少し戻っている人と、学びが定着している人がいました。それはどういうことかというと、元の自分に戻ったのです。元々この人は既に柱が立っているという人、そろそろ柱が立つ頃だという人、柱が立つために来たという人、それから元々柱が無かったからそこへ戻った人、と人それぞれです。それでは、この学びが必要なかったのかというと、そういうことではないのです。冒頭で話したように、学校教育での学びを得て、そこからがスタートだというのは、その学びを得たからです。昨日まで真学校の学びをして、そして心新たにこれから出発するときに、いよいよその学びを自己コントロールとして使っていくかどうか――、そこからが始まりです。それは、これから取り組んでいくことなので、十分に身に付いていないですよね。それで、元の自分に戻ってしまうのです。それを私たち人間の世界では「無駄」と言い、自然界では「魔」と言います。無駄や魔は、自分の中にあるのです。自分と向き合わないでいると、いつでも魔は差してくるのです。やはり、胸を張ってまっすぐ王道を歩みながら、何のためにそれをやっているのか自らの姿勢を常に意識していくことです。そういった、一人ひとりにふさわしく、自分らしい自覚の柱というものがあるのです。なぜそういう話をするのかという一番の目的は、それがみなさんが自らの歩んだ道を好意的に見ていくコツだからです。「わたしは本当にわたしらしく、存分にわたしを活かし、生きた結果それを誇れる良い人生だった!」と言えるかどうかです。人はいつか死にます。そのときに、「あぁ、つまらない人生だったなぁ、ぜんぜんダメだった」と悔やむことのない生き方で終わるということです。人生の終末を「良い人生だった!」と胸を張って迎えたときに、初めてこの人生の答えが出るのです。ところが今、目の前にある特定のものに囚われて、「これが無いとわたしは幸せになれない」と条件を付けていたら、あなたはその枠の中に自らを閉じ込めている人ということになるのです。

 

この世界の構造を理解し、時代を生きるという話が真学校のプログラムの中でありましたね。そういったスケールの大きな人になることもできれば、目の前の小さなことに囚われて生きていくことを選ぶことも、人にはできるのです。そしてそれは、自らで長年積み重ねてきたことですから染み付いています。それをどうするかは、一人ひとりの意志です。それが、あなたらしい生き方につながります。その答えは、いつか誰でも死にますから、その時に自らと向き合って、一人ひとりどのくらいのものだったかを確認する時が来るのです。それと同時に、みなさんが生きた結果は時代に反映され、時代が紡がれていきます。ですから、この時代、この世の中は、私たちが創っているのです。それに気付いた人が多ければ多いほど、気付きのように時代は変わっていくのです。自分がその世界を創っているのですから、本当はどこにも文句は言えないのです。大きく広く捉える人であればあるほど、世の中のためになります。それが大きくどころか、考えることもしていなければ、感情のままに自我に翻弄され、その枠の中に縛られ、閉じこもって生きていくことになります。しかし、自分を閉じ込めその枠の中で不平不満を言っている人にも、その人なりの幸せがあるのです。面白い世界でしょう?これが、私たちが生きている世界の構造なのです。この世界は、どんな意識のレベルの人にでも、存在することを認めてくれるのです。自らを辛く苦しめる人にもですよ。

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真学校で学んだことは、そのために世界観を広げましょう。自我に囚われ小さいのは、世界が狭いからです。同じ自我でも世界が広がると、「地球は一つ!生命は単独で存在するのではなく、全てネットワークしているのだ。そして、そのネットワークの中に人類も含まれ、自分もいるのだ」と気付くことが簡単にできます。そして、木も草も虫も、私たちと共通したネットワークの中にいるのですから、こうしたものたちが健全である世界は、私たちにも健全がもたらされることは当たり前の話です。しかし、人はどこかで環境などの学びをしないと気付かないのです。

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空に月が昇り、朝日が昇ることによって、わたしたちは生きているのです。海の潮の満ち干きは月との関係なのです。毎日新たな一日を迎え、朝が来て、昼が来て、夜が来て、眠くなったりと活動するのも、太陽との関係です。それを全く考えないで生きていくことも可能ですが、日常の繰り返しをどのように観ているか。それが意識レベルであり、それは自由です。目の前にいる子だけを想うのは親の勝手で、感情が湧いてきたら欲しいものを求め、感情が湧いてきたら欲しいように意識表現をする。しかし、そのような生き方は頭を使っていません。それでは動物と一緒です。ところが、動物はこの世界の法から外れたことをしないので、頭を使わなくても有益な存在であり続けるのです。しかし、人間は枠を広く自由に設定してあるので、本来の目的から外れるようにも出来ているのです。ですから、人間は頭を使わないと外れてしまうことにもなるのです。人間は何のために頭を使うのかというと、自己コントロールするために頭を使うのです。動物は頭を使わないようになっているから、それぞれの枠の中から外れずに、この世界をきちんと保ってくれる美しいものなのです。人間は頭を使うようにできています。だから、逆なのです。人間は頭を使って、正しく生きるようになっているのです。動物は頭を使わないで、正しく生きられるようになっているのです。

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そうした自己コントロールを身につけて、これからも自己コントロールし続けていき、最後に「良い人生だったな」と胸を張れるのが人生の勝利者なのです。それは、外との戦いではないのです。魔が差すのは自らの内側なのです。自らをよく観察して、自己コントロールをし、自らの魔に打ち勝ったときに人生の勝利が誰にでも訪れます。

そういった人間の目覚めをそろそろ地球上に広げたいと思っているのですが、それは政治の世界で日本の総理大臣が各国の代表者と集って平和を語ったり、環境が悪くなったからといって表面的な取り組みを一生懸命進めるような大きなスケールのことではありません。誰もが日常のふとした自らの心と向き合って、「今、何をしているのだろう?」と思うことです。そういった何気ない小さなことが積み重なって、今の政治を生み、国の代表を選び、そして平和を謳いながらそれが成らない世界を創っているということではないですか。「テレビで報道されている紛争や地球温暖化、原発の話は、わたしには全く関係ない」と日頃思っていることが、この世界を創っていると僕は思います。そういったこと全てが自分のやっていることだと思いませんか。こうした出来事を順を追って振り返って行くと、「わたしはこの世界を創っている問題の元凶だ!」と気付く人もいるでしょう。頭を使っていなければ、自分には全く関係なこととして、自らの意識の行き届く身内や生活の範囲にしか興味が向かないことになるのです。

今回、広い宇宙の仕組みから身近な自我の傾向までの話をしてきましたが、そういった目線を創ることがどういったことを生み出すのかをもう一度確認し、これからのみなさんの歩みにつなげてほしいと思います。それが目覚める(目を開けて生きる)ことであり、そのことを毎日忘れないでいただきたいです。朝起きたときに、わたしは何者なのか。今日の一歩を進めるときに、自らの歩みがどこにつながるのか。それは、私たち人間が幸せになるためです。そして確かに、この世界を創っていくのです。この世界がおろかな世界だったら、私たちの幸せはないでしょう。世界には興味がなく、自分のことだけを考えていることをエゴといい、その元となっているのは自我です。しかし、自我を捨てる必要はありません。それはコントロールすればよいのです。みなさんは、その構造を学んだのです。今、話を聞いて、「そうだったなぁ!」と思い出している人もいると思います。それを毎日持ち続けていくことが大切なのです。僕は毎日持ち続けています。朝起きると、人間とは何だろうと思います。1ヶ月間、毎日それをみなさんに伝えてきました。しかし、それは僕の考えを伝えているわけではなく、この世界の仕組みの観方を伝えているのです。

これはいさどんワールドなので、アカデミックではありません。しかし、僕はこれが本当に道理にかなっている自信があります。今の科学、物理、政治、経済、教育などの現場では、表面的な道理からできています。しかし、これはどう考えても道理にかなっていることです。人はこれまで学問として学びを捉えてきました。それが人間社会に豊かさや優秀さを提供し、この世界を創ってきました。しかし、それは否定することではありません。それをもっと有効に生かすとしたら、やはり道理を理解し、道理を常に保っている人が育たなければならないと思うのです。それは、毎日の地道なその人の意識、活動にあるのです。朝起きたときに、わたしはどう生きるのか。一日が終わって(木の花ではありがたいことにミーティングがありますが)、そこで今日の自分は一日どうだったか。そこでの振り返りには個人差があり、真剣に振り返る人もいれば、みんなの智慧を借りて振り返る人もいます。そして、全体の中から個人の意識になって、寝る前に、今日一日どうだったかと振り返る。それが、一日の「生まれて死ぬ」ことの繰り返しなのです。

こういった生き方を、僕は「充実」と言います。そういった意識をみんなが持ったら、居酒屋やディズニーランドなどレジャーの場所に行っても、「わたしの人生はどうだったかな」とか、「これから世の中をどうしていったらいいのだろう?」という話題がたくさん出てくるようになると思います。自分がどう生きたかということが、どのように世の中に反映されているのか。人々は自らを通して振り返るようになるでしょう。

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僕は日々そのように思うのですが、人間と付き合っていくと、「なぜ人間はこのような生き物なのだろう?」と気持ちが折れてしまいそうになることがあります。それも人間らしくて良いのかもしれませんが、人類はこのまま進んで行くと、そのツケは大きいと思います。3日前、あの東日本大震災から4年が経ちました。アメリカには原発が100基あるそうです。福島の原発事故が起きる前から原発を無しにしようという動きがありましたが、現代の社会はお金で成り立っています。矛盾で成り立っているのです。そうすると、その「反対」という矛盾と、矛盾を「推し進めよう」という矛盾の対立の世界なのです。人間社会は21世紀になっても、戦いの世界だからです。その代表の国がアメリカです。そのアメリカは自由主義、資本主義の国であり、その実体は矛盾によって大きく栄える国なのです。それが今、世界中の国が目指すべき目標の国とされていますが、現在の社会の動かす経済は、矛盾があればあるほど大きくなります。人間はストレスが溜まれば溜まるほど無駄な消費をしますし、争いもします。そして競争が起きます。そういった負の概念が経済を大きくしているのです。ですから、福島の原発事故が起きる前から、「原発反対」と「原発推進」とで戦っていたのです。それが、福島の原発事故が起きたことで、「だからやめたほうが良いのだ」「そうではない。だからこそ、安全なものを作って推進しなければならないのだ」という議論になっています。さらに、それに加えて「安全でも安全でなくても、金になるからやらなければならない」というもう一つのグループもあるのです。原発が壊れたら、またその被害で大変なお金や労力がかかるでしょう。だから、それもビジネスチャンスだからやらないといけない、というようにそれぞれの思惑や事情があって戦っているのです。そこで、僕はどちらの側に立つのだろうかとテレビを観ながら考えていたのですが、マスコミではこのような区分けはしていません。しかし、僕にはそのように人の立場が分かれて観えるのです。僕には世の中の人はみんな、同じ穴のむじなに観えるのです。「何をあなたたちは争っているの?人間って本当に変な生き物だね」と思うのです。

アメリカの原発(スリーマイル島)
アメリカの原発(スリーマイル島)

21世紀を迎え、銀河の冬至を越えた今の時代を考えると、そろそろそういった人々がこの時代に現れてこなければいけないと思います。そして、僕は自分がそのような人間だと気付いたときに、これを生きることを人生の目的とするのです。時代を生きるとはそういうことなのです。みなさんにも少しだけ、その大いなる大事を提供してきました。「自分の生きる目的は何だろう?」「世の中ではそれがどのように扱われているのだろう?」とちょっと疑問を持ち、そしてちょっとだけ自分と向き合い、そこに頭を使い、考える。そういったことをみなさんに提供できたとしたら、1ヶ月の学びが確実にみなさんの次の一歩につながると思うのです。それが、自分らしく、柱を立てて生きることです。1ヶ月間の学びが次の一歩を踏み出すときに元に戻ってしまうならば、あなたは何のためにこの時間とお金を使ったのでしょうか?ちょっとだけ違う自分に変化して、次の一歩に生かしてもらえたら、私たちもこのプログラムを提供して良かったと思います。

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第27日目:修了パーティー

さぁ、いよいよ修了パーティーの日がやってきました。
こうしたグループで作り上げることは、受講生にとって心の学びの総まとめ。この日を迎えるまで、感情のぶつかり合いや自己を見つめるいくつものプロセスがありました。それを乗り越えて、どんなパーティーになったでしょうか?

受講生は、子どもたちを喜ばせたい!ということで、子ども一人ひとりの写真を加工し、民族衣装と合成したものが、デコレーションに。早速、子どもたちはそれを見つけて大はしゃぎ!

そして時間になると男性陣は、ハワイアン+チャイニーズ?女性陣はオヤジ風+エスニックの衣装で登場!

作った料理の前で!
作った料理の前で!

こどもたちにも、個々にお子様プレートが!

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こちらは大人用
こちらは大人用

みんなでワイワイ語りながら、食事を満喫していると、「おぉ~!」デザートが出てきた!

 

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よこなお考案の「チェ・ナオグルト」ココナツミルクの中に、小豆とサツマイモ、寒天、イチゴなどの入ったアジアンスィーツ! もう一つのスィーツは、イタリアに料理修行に行ったことのあるわたるシェフの作った、木の花のエコパンとお神酒の搾りかすを使った「米グルトティラミス」!こちらもおいしかったです!

 

このデザートを担当したよこなおちゃんは、デザートセクションを任され、リーダーシップをとらざるを得ない状況に追い込んでもらったことで、心の学びがあったようです。以下は、本人の了承を得て、よこなおちゃんの日記からの抜粋です。


 

修了パーティーの担当がお菓子作りになった。というかみどりーぬに今日急に「デザートどうなっている?」と聞かれて「わたしが決めて良いの?」という思いが出てきた。昨日からわたしがデザートのメインのような雰囲気があったので、一瞬「えっ?」と思う気持ちがあったが、よしやろう!と素直に思えた。
みどりーぬやのりこちゃんが殆ど口を出さずにわたしに任せてくれているのは、わたしの行動しない癖を考えてくれているのを感じるので、その愛を素直に受けてとってやってみる。早速、キッチンののりちゃんとゆみちゃんに、どんなものを作るのかの相談をした。でもいまいち良いコミュニケーションが取れない。どうしてか、一歩引いてみてみる。また相手任せの心がある。まずは自分がどんなイメージでどんなものを作りたいのかを相手に伝えるのが先だ。もう少し自分で考えて、他の人にも相談してから、もう一度整理した内容をのりちゃんに伝える。その結果をみんなにフィードバックして詳しく詰める。

いさどんコメント:ものごとの順序が読めてきています。

みどりーぬに対して一瞬、えっ?と思った気持ち。その背景にあるみどりーぬの気持ちは良くわかるので、この気持ちを出そうかどうしようか迷っていた。でも正直に出すということからすれば、やってみたいと思うので明日実行する。相手がどう思おうが、どんな反応をするのかは気にしない。


 

デザート作りを通して一歩心の成長をしたよこなおちゃん。そのデザートはとってもおいしかったよ。この新たな挑戦を乗り越える体験を次への一歩つながりますように。

おなかが満たされた後は、子どもも一緒にゲーム大会!

じゃんけん列車でじゃんけんをするよこなおちゃん(右)
じゃんけん列車でじゃんけんをするよこなおちゃん(右)

そして、修了証の授与式でした。修了証には、一人ひとりの地球暦と、一人ひとりが乗り越えたこととこれからの課題について、二人のサポーターからのオリジナルな言葉が入っています。

前半・後半二人のサポーターが修了証を授与しました
前半・後半二人のサポーターが修了証を授与しました
修了証書を授与され、いさどんからはなむけの言葉をもらう受講生たち

全員で記念写真を撮って、今晩はお開き!

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疲れて暖炉の前で寝てしまったこどもたちも。

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明日はいよいよ旅立ちです。

 


第24&25日:天然循環法・農 – 稲作

3月10日の午前には、天然循環法―農の最後として、稲作の講義がありました。
以下、初講師を務めた田んぼ隊のこまねちからのレポートです。


冒頭に、稲作に関するスライドショーを見ました。田んぼではどんな作業をしているのか、イネがどのように成長するのかが紹介されました。

そして、稲作に関するプレゼンがありました。そのテーマは「田んぼはすごいな尊いな」です。真学校の受講生たちは農業をやりたいわけではないので、農業的な知識はできるだけ省き、地球における稲作の大切さや尊さを日本神話やカタカムナ、環境保護の視点などから伝えようとしていたプレゼンでした。

質疑応答では受講生から様々な質問や思いが出て、関心の高さが伺えました。

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その後、田んぼに入る水はどこからやってくるのかを実際に見るために、用水路を上流の方へと辿っていきました。

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上流へとさかのぼっていくと、森の中の湧水のような気持ちの良い所があり、そこで受講生たちは「こんな素晴らしいところから下流の田んぼに水が流れてるんだ」と思ったのもつかの間、さらに上流へと進んでみると堰堤のようなコンクリート構造物のある所に出ました。田んぼ隊のまこっちゃんは言います。

「天然循環法っていうといかにも人工物に頼ってないイメージとか、自分たちだけで善い事やってますっていう感じがするかもしれないけど、僕は全然そうは思わない。自分たちだけでってことは決してなくて、例えば水ひとつとっても、誰かが昔こういうのを作ってくれていて、地域とか村単位で利水してる。人工物に頼る頼らないはどっちでもよくて、「天からの頂き物とのつながり」をどれだけ意識して実践するかが大事。」受講生たちはうなずいていました。

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翌11日の午後には、田んぼに実際に行きました。折よく晴天で富士山が見守る中、まずは広い田んぼを皆で歩き回った後、「チェーン除草機」を曳いたり「手押し除草機」を押したり、「備中」で田んぼを耕したりしました。田んぼ隊からの話を聞きながら、受講生たちはそれぞれ自由に遊んでいました。とても楽しかったようです。

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手押し除草機で楽しむみへちゃん&ゆかりちゃん

 

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チェーン除草を試みるたかくん

 

その後のおやつタイムで、受講生たちと田んぼ隊で色々な話をしました。農作業に対する姿勢、お米に対する思いなどが話される中で、何が大切かを受講生たちはそれぞれ感じ取ったようです。

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受講生の声を紹介します。

「楽しかった!」

「木の花の食べ物がなんでこんなに美味しいのかが分かった」

「除草って大変すぎ。お米の有難みが分かった」

「稲が植わってる時に講義が受けられたらなお良かったけど。それ以外はベストだったと思う」

「田んぼの畦にしばらく寝っ転がっていたら、すごく疲れが取れて頭痛がなくなった!」

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第22&23日目: 世界観を広げる

今回の真学校における2人目のゲスト講師、ひらぴーを招いての講座でした。

講師のヒラピー
講師のヒラピー

3月8日の午後と9日の午前の時間を使い世界観を広げるワークショップを行いました。

いくつかのワークをやった中で、受講生の印象に残ったのが、初日の3パターンのハグをするワークと、2日目の自分はどんな人なのか、他者からの視点をもらうというワークでした。
その学びについて、本人の了承を得て受講生の日記から抜粋させてもらいました。

まずは、のりちゃんの日記から、

「世界観を広げる講座の中で、3パターンのハグをすることになった。1回目は自分流に。2回目は目を見つめながら、3回目は相手を神聖なるもののように思いながら。

印象に残ったのは、相手を神聖なる物として見てハグをすること。神聖なるものと接するので、ぞんざいにできるはずはなく、謙虚な気持ちになる。動作も丁寧な上、ハグをしている自分の心が大いなるものに自分をゆだねて透明で一切の私心が無い。静かだが足は大地にしっかり根差している。高揚感は無いが、気が満ちてくる。不思議な状態になった。3回目のハグを終了した後、振り返りをしている間、意識が高いところへいってしまった感じがした。この体感を身体に深く記憶させる。会う人、もの、こと、全てに接する際に、神聖なもの、天、神と対峙するように接する。そのためにこのワークがあったのだと思う。」

いさどんコメント: この世界は、神の体。全ては神聖なものですね。

3タイプのハグのワーク
3タイプのハグのワーク

そして、みどりーぬの日記から、

3種類のハグをした。
「フリースタイル」の感想は、普段話していても気づかないが、相手が予想以上にでかいと感じた。相手によってハグをしても一体感がある人とそうでない人がいた。そして面白かったのが、リラックスしている、していないで筋肉の反応が異なった。こちらが勝手に苦手意識を感じている人に対しては、筋肉が緊張していたのを感じた。苦手が筋反射という現象として表れた。

「目を良く見てハグ」は目からの情報のみでも、より相手との距離感が縮まるなと感じた。相手によってなのか?そのときの感情で左右されるのか?はわからないが、目を合わせているにもかかわらず、視覚に入っているにもかかわらず見えていない。いや、見たくないから見ていないのだろうか?実は真学校に入る少し前から、この視覚の不思議な感覚に氣付いていた。

「うつ病」の人に見られる特徴も良く似ている。今までだった何人かのクライアントが、カウンセリング時に目を閉じたまま受け答えをしていた。目から入ってくる情報で頭が疲れるから、目を開けていられないのだそう。その問題に向き合いたくないから「見たくない」「言いたくない」「聞きたくない」と全てを閉ざしているようにしか見えないと思っていたことが確信となった。
人にコントロールされると思い込んでしまいがちだが、実は自分が自分をコントロールしていることに氣づいた瞬間に世界がひっくり返る。自分の「心」を感じること。そこから目をそらさない。

いさどんコメント:人に対して何かをしてあげると思っている場合、もらっていることを忘れていることが多いですね。わたしたちは、この世界で生きているすべてで学びをいただいている立場なのですね。大切なことに気付いています。


そして、2日目の他者からの視点をもらうワークでの学びについて、みへちゃんは以下のように書いています。

ヒラピーの授業、苦手な人を思い浮かべて言葉をかけるワークがとても印象的だった。わたしはその苦手な人に「肩の力を抜いて良い」「周りを信じていい」と声を掛けていた。まさに自分への声えがけであったことにびっくりした。
いさドンコメント:それは面白い発見でしたね。

自分の悪いところ、良いところを伝えてもらう際、気が付いたことは、わたしは
- 理想がとても高く、多くを求め、それゆえ失敗すると落ち込む
- 注意散漫になりやすい だった。
講義が終了すると、どこか爽やかな気持ちになった。

いさどんコメント: なぜそうなったのか、振り返ってみてください。

相手にしたアドバイスを自分にしたらどう感じる?
相手にしたアドバイスを自分にしたらどう感じる?

それぞれの学びが、日々続いています。


第22日目:微生物資材の培養 (午前)

今朝の前半は、木の花ファミリーのあちこちで使われている木の花菌と呼ばれる微生物資材の培養について、木の花菌づくりの発案者であるいさどんと製造担当者のひろみちゃんの講義がありました。以下、講師を務めたひろみちゃんの講義レポートです。


木の花菌とは、EMをベースに、木の花でオリジナルに培養している微生物資材で、木の花ファミリーの生活のあらゆるところで利用されています。

木の花菌仕込中!
木の花菌仕込中!

木の花菌の培養が始まったのは、今から約25年前、農法について模索していたいさどんが、新聞記事の中にEMを見つけたことがきっかけでした。

それはEMを使ってスイカを栽培している農家さんの記事でした。早速会いに出かけた車の窓から見えた周囲の景色は、いつもより美しく輝いて見えたそうです。いさどんは、何か新しい扉が開く事を予感したそうです。

この出会いがEMの開発者の方との出会いに繋がり、木の花に木の花菌の培養技術が確立していくことにつながりました。

必要な出会いは、必要なトキに、必要なトコロにやってくる。

だから、流れがやってきたら、ただその流れにのっていけばいいのです。そういった生き方をしていくことです。

講義は、こうした物語から始まり、微生物のこと、木の花菌の作り方や使い方を学びました。

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第21日目:3回目のフリーデー

真学校が始まり3週間がたちました。受講生の心の成長も人それぞれですが、どの人にも着実に変化が観られます。

今年は昨年のEDE(エコビレッジ・デザイン・エデュケーション)のプログラムよりも、ずっとゆとりのあるスケジュールになっていましたが、それでも勉強熱心な受講生は、フリープログラムの時間も、お神酒作りや養蜂、コンポストトイレ作りなどについて学ぶ時間にしていました。

そんな受講生も、今日はしっかりと休息をとって最終週に備える人も多かったようです。

午後は畑やキッチン体験をする人も。

夕食後は、3月に生まれた人たちを祝う月例のお誕生日会が開催されました。
今月は3日のおひな祭りが平日だったので、ひな祭りも兼ねました。
着物を着た小学生のきよ、みのり、みこの3人と新1年生になるひみこが「さくら さくら」を舞いました。

「さくらさくら」の舞
「さくらさくら」の舞

その後、れいちゃんとみほちゃんからこの地球生態系の豊かさを表した人形劇のプレゼント。

みほちゃんとれいちゃんの人形劇
みほちゃんとれいちゃんの人形劇

そして、真学校生も出し物をしましたよ~!
「バンザイ 君に会えてよかった!」の替え歌とダンス!

自分の枠を壊すために股引腹巻の禿げおやじに挑戦したよこなおちゃんと金髪美女のわたるくん(左) そして、あれ?こうちゃんがいる?!
自分の枠を壊すために股引腹巻の禿げおやじに挑戦したよこなおちゃんと金髪美女のわたるくん(左)
そして、あれ?こうちゃんがいる?!

こうちゃんがあまりにも似ていて、みんな誰がこうちゃん役かがわかりませんでした(笑)

ルンルンランラン、ちなっぴーです!
ルンルンランラン、お目目キラキラちなっぴーです!
ギターの上手なキタジュン
ギターの上手なキタジュン

 

そして、トリを勤めたのは、木の花劇団。
問題ごとを自らを知る機会とし、自らの心を振り返り、自己コントロールすることで、誰もが楽しく調和して生きることが出来ることを描いた木の花劇団の書き下ろし作「貧乏神と疫病神」が演じられました。

 

左から貧乏の神役のあやちゃん、祟り神役のゆみちゃん、疫病神役のみきちゃん
左から貧乏の神役のあやちゃん、祟り神役のゆみちゃん、疫病神役のみきちゃん
木の花劇団
木の花劇団+いさどん

最後は、おなじみ花祭りの舞をみんなで踊り、楽しく温かく夜が更けていきました。


防災デーについて

真学校2週間目の最後2月27日に、防災ワークショップが行われました。

人類が際限ない物質的な豊かさや経済成長を追い求めた結果、地球の46億年の歴史の中の、ほんの一瞬にしか過ぎない短期間に、地球環境を変化させ、自然災害が世界のあちらこちらで起こっています。

その災害をどう捉え、どのように防いでいくのかについてのワークショップを行いました。

受講生からは、「こうしたことは考えてもみなかったので、今後意識していくことができる」という感想が多く聞かれました。


ワークショップの最後に、いさどんから「防災について」以下の話がありました。

防災というと、人によっては恐怖をイメージするものですが、地球の歴史から観れば、たとえば生命の大量絶滅は過去に何回もありました。それは古いものを壊し、新しいものを生み出すきっかけになってきました。私たちは、人生を生きていく上で色々な出来事や困難に出会いますが、そういった困難は自分たちの今までの在り方を振り返って、新たな人生に出会うチャンスでもあるのです。ですから、地球規模で私たち生命の存在を捉えれば、それは決して悪いことばかりではないのです。

ただ、人間は今の自分に囚われ、今の状態を維持したいと常に思うわけです。維持したいと思うと、自らにとって恐怖に思う出来事が起きようとすれば、それを避けようと考えるものです。しかし、世界はこれまで一度も止まることがなく、変化・変容・変態を繰り返しています。そして、私たちも常に新しい世界を生きているのです。すべての生命が古い自分を捨て、新しい自分に出会い続けているのです。

そういったことから考えると、防災という考え方は現状を守りたい心で成り立っているとも思えます。しかし、時代は変わり続けていくのですから、何かが壊れていくということは、新たな時代の幕開けにつながるということです。今の世界情勢を観ると、地球上での人間の営みが飽和状態になってきているので、危険信号とも取れる様々な自然災害が起きようとしています。そういった災害は、これからも現実に私たちの身近なこととして起こり続けるのです。

まず、地球温暖化から来る気候の変化は、確実に今後食糧難を引き起こします。人々の考え方や生き方を変えていかないと、それは極めて身近な現実となります。しかし、今考え方を変えても、すでに今までのツケがこれから現象として現れてきますので、ある意味手遅れでもあるのです。

そうすると、それに対して私たちはどのように考えたらいいのでしょうか。
今から全てを変えてそれに対処することはできません。しかし、その必要はありません。つまり、その都度私たちはどのようにしていけばいいのかを考えていけばいいわけですし、そのような対応しかできないのです。

その時に、自分さえよければいいという「我先の心」は、奪い合い殺し合う世界を創ります。本来の日本の大和の精神は「和」の心です。「大和」とは、「大いなる調和」を意味します。その和の心があるからこそ、日本で災害が起きると、人々はつながり助け合うようになり、世界からもそういった精神を非常に評価されています。それとは逆に、海外では災害が起きるとここぞとばかりに奪い合う事件が起こっています。
ですから、大和の精神はこういった時にこそとても重要なものであり、私たちが日本人でいることの意味があると思うのです。これから、地球上で災害が頻発する時代に、そういった心を私たち大和民族は発揮する時が来ていると思います。

それと同時に、人間はこれまで物理的な豊かさを求め過ぎてきたがために、対立の世界を創ってきました。そういった世界が災害によって壊れるということは、新たな世界を創りなさいという人類に対してのメッセージでもあるのですから、広い世界観があればむやみに恐れる必要はないのです。
これまで蓄積されてきた地球上のプラスのエネルギー(破壊のエネルギー)は、いずれ現実に私たちの前に現れてくることでしょう。ただ、その恐怖を煽って、どこかに誘導しようとは思いませんし、そのように考えてもいけません。やはり、一人ひとりがそのメッセージの意味をよく捉えることが大切です。

私たちは一人ひとり生きています。蜜蜂の世界では、一匹の蜂が生きるということは、何万匹の蜂の生命をつないでいくことです。それは私たち人類も同じであり、生きるということは、自分が生きると同時に、人類という生命を次の世代へつないでいくことなのです。そこで自らを主張したところで、46億年という地球の歴史からすると、それはとても微細なことです。

そこで私たちが問われるのは、自分自身が今まで生きてきた結果、次へ何を伝えたのかということです。生きてきた結果、死を迎える時に、充実した人生だったと思うのか、それとも結局自分本位に生きて自らの価値を下げたのかが、問われると思うのです。

これまでの人類の在り方のように、ただ、物理的に生きて、物理的な喜びのもとに存在しているようでは、これから来るであろう困難は恐怖にしかすぎません。しかし、本来生きることはそうではないはずです。物理的なことを超えて、私たちがこの世界を創る一部であり、歴史の一部分を紡ぐ者であることに気付く時がいよいよ来ているのです。
私たちの実態は魂であり、そこに肉体が形成され、その器の中に魂が生きています。肉体は終わっても、魂は残ります。それがまた何かの縁により、この世界に生きるとしたら、今の時代を生きることは自分の未来を創っていることにもなります。

このように世界観を広げていけば、今をどのように生きるのかによって、未来の自分に何を与えるのかが観えてきます。そして、それはこの三次元の世界でも、今をどのように生きるのかが、自分の子供や孫だけではなく、全てのいのちに影響を与えているのです。そのような捉え方をしたら、人間の生き方自体が変わってくるはずです。その時に、私たちは新たな時代を観るのでしょう。今をどのように生きるのかが今、一人ひとりに問われる時代が訪れています。

防災デーにあたり、ただ危険が来るからそれを避けて通るという表面的な狭い視点ではなく、ぜひ広い世界観を持つきっかけにしてもらえればと思います。

そして、それは死生観にもつながります。死は必ず訪れるものなのですから、気持ち良く生きて潔く旅立っていくことができるのです。
ただ災害を防ぐだけが防災ではありません。防災を考えたときに、やはり日々の生き方の姿勢を自らに問い、そして時代と共に問うていくことが大切だと思います。


第19日目:糀仕込み

今日の午前は3月9日に行われる味噌作りのために、みんなで糀を仕込みました。みなさん、「こうじ」には二つ漢字があることをご存知ですか?「糀」と「麹」。

今日使ったのは「糀」の方で、これは味噌用の糀です。

今日の講師役のやすえどんは、木の花創設期から木の花の醸造部門を担当してきました。まずは、エプロンとバンダナ姿で集まった受講生たちと共に、カタカムナの5首と6首を奏上。

カタカムナを奏上する受講生
カタカムナを奏上する受講生

そして、この微生物の世界とカタカムナが解く宇宙真理の世界について、やすえどんは次のように話しました。

宇宙の響きを醸す 命を作る糀づくり

糀菌はカビの一種で生育適温は34~37℃(これは人が受胎する体温と等しい)、湿度は80%~90%を要します。繁殖条件が満たされると、蒸したお米に付着した菌は発芽して白色の菌糸を出して綿状に広がります。繁殖が進むと酵素が生成され、糀が全体に広がって浸透し、美しい花(菌の胞子)を咲かせます。繁殖条件を満たす手段とは、目には見えないもの(菌)との対話、そしてその時々の気候との相談。すなわち直観を働かせ菌にとって心地良い環境を作るということです。このようにして糀という生命が誕生します。

 目には見えない世界(潜象界)「カム」から目に見える世界(現象界)「カタ」へと生み出す「ナ」。宇宙の響きを感受して・・・。

糀の命は、変化、変容、変態し、高度な精神文明を築いた上古代の「カタカムナ人」が表現した生命や物質の発生、消滅を垣間見せてくれます。

ある日の作業で、仕上がった糀をもみほぐしながら、ヘルパーのともくんとの会話。

やすえどん:       糀づくりは神の存在なくしてはありえないよね。

ともくん:           人智を超えていますよ。科学では作れないですよね。

やすえどん:       時々思うんだけど、一体これ(糀菌)を誰が作ったんだろうって?

ともくん:        試験管でも作ることはできないですからね。

糀は人の腸を整える働きをするチョウ優れもの。健康への導きの菌。神さまは人の心のみならず、その肉体をも浄化するようにこの世界(地球)を作られたのですね。

受講生に説明をするやすえどん
受講生に説明をするやすえどん

 

まずは浸水させたお米を、カタカムナのウタヒを上げながら布を敷いたセイロに入れていき、釜戸で蒸します。すぐに大麦も蒸していきますのですが、その間、先に蒸しあがったお米をきれいなゴザの上に広げていきます。大麦が炊き上がるまでちょっと休憩。

その間、3日のフリープログラムの時に仕込んだ御神酒の発酵状態を確認します。
出来上がりは10日後になりますが、みんなで味見しました。さらっとした甘みで美味しかったです♪

そうこうしている間に蒸しあがった大麦を、先に広げたお米の上に広げていきます。そして全体の重量の0.01%の分量の「糀菌」をふりかけ、きれいに洗った両手をこするようにして全体にまんべんなく混ぜていきます。そして最終的に30度くらいまで温度を下げていきます。糀菌、空気中に漂う菌、そしてみんなの菌が、こうして混ざり合っていきます。なので、この糀は「真学校メンバー」のオリジナル菌なのです。

みんなで糀菌+真学校受講生菌を均等にまぶしていきます
みんなで糀菌+真学校受講生菌を均等にまぶしていきます

菌をむしろの上で混ぜるときに外側に出ないように木枠があるのですが、それは建築チームのヒロッチが丁寧に作ったものでした。そこから、昔のヒロッチの仕事が粗かったけれど、日々の生活からの心の学びを通して変化し、仕事を丁寧にするようになったことなど、メンバーそれぞれの心の歩みと変化の話などが出ました。

こうして十分に混ぜ合わさった糀は、もろ箱に分けて移され、お風呂場を改造した微生物室にて3日間発酵させます。そして9日の午後に行われる味噌作り講座で使われます。

さぁ、どんなお味噌ができるでしょうか。楽しみですね!

最後にみんなでやすえどんを囲んでハグ大会!
最後にみんなでやすえどんを囲んでハグ大会!

 

 


第15日目:2回目のフリーデー

今日は二回目のフリーデー

真学校受講生は、思い思いに時間を楽しんでいました。
寝坊組数名、朝ゆっくり休んで9時半からパン作りをする人たち7名、お出かけ組が2名、という感じ。

受講生7人で作ったパン。夕食で美味しくいただきました!
受講生7人で作ったパン。夕食で美味しくいただきました!

パンを発酵させている待ち時間に、翌日の講座にもつながるいさどんお薦めの動画「中国の危険な食品 安全を求めて立ち上がった市民たち」を鑑賞。

午後は「いのちの食べ方」のDVDを鑑賞しました。

ということで、今日はゆったりとした時間となりました。