第28日目:これからが真のスタートです!~1ヶ月間の真学校・最終日のいさどんの挨拶~

この1ヶ月間はあっという間でした。今、みなさんに、この1ヶ月の学びを定着してもらうために何が一番良いのかを考えていました。学校では義務教育の9年、それに12年、16年・・・と学ぶ人もいますが、その学びはみなさんの中ではどのように残っていますか。学んだことの何パーセントくらいを日々に生かしているのでしょうか。学校での学びの多くは知識を学びます。そこから自らに相応しいものを取り入れていければ、全て人生に生かせるというものです。100の学びをして、一律80%の学びを得られたとしても、人によって必要なものと不必要なものを仕分けしているのです。逆に言えば、もし自分が必要だと思うものだけを取り入れていったら、その人は自分の枠の中だけで生きることになります。ですから、不必要と思うものをどのくらい自分の中に取り入れて有効に生かすかによって、その人の幅が広がるものです。

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今朝、みなさんがどのよう表情をしてここに来るかを想像してみました。1ヶ月間の学びを終え、昨日の修了パーティーまでの顔と、今日旅立って、日常に戻るときの顔は同じだと思いますか?

 

みどりーぬ      全く違う。モードが切り替わっている。

いさどん        元のモードに戻ってきているということですね。個人差はありますが、僕がみんなの顔を眺めてみると、元のモードに戻ってきている人と、意外と戻っていない人と、完全に元のモードに戻っている人がいます。では、何のためにこの学びをしてきたのでしょうね。みなさんは真学校で何をやりましたか。

みどりーぬ      心磨き。

いさどん        心磨きはなぜ必要なのでしょうか。

みどりーぬ      物事の奥を観るため。

みへちゃん   幸せで平和な生き方をするため。

いさどん        それは誰のためですか。

あわちゃん   世の中のため。

みへちゃん      地球のため。

いぶちゃん      宇宙?

いさどん        ハッハッハ。それって、本当に考えていますか?

いぶちゃん   社会、地球ときたので、単純にもっと広いところを言ってみました(笑)。

いさどん        そういうのを知識というのですよ。今は、あなたが心から自分らしく想っていることを聞いています。

のりこちゃん  豊かな波動を出すため。

いさどん        それは何のために必要なのでしょうか。

のりこちゃん            豊かな波動を出すと、自分も周りも自然な状態でいられるし、天とつながった状態でいられるから。

いさどん        色々とあると思いますが、まず、自分が楽に楽しく生きられることだと思います。そこで、自分を楽しくない状態にしているのは誰ですか。

のりこちゃん    自分。

いさどん        その楽しくない状態を生み出しているのは、どのような自分がそうさせているのでしょうか。

のりこちゃん    狭い世界観。

いさどん        狭い世界観とはどのようなものですか。

のりこちゃん  周りが見えず、自分しか見えない。

いさどん        もし、狭い世界観で自分しか見ていない人がいるとして、それはあまり豊かな人生を生きられないとしますよね。では、どうしてそのようになってしまうのでしょうか。狭い世界観で自分しか見ることができない生き方をしているのは、本当にいけないことなのでしょうか。

みどりーぬ      それは、自分で気付かないうちに加害者になっているのだと思う。

いさどん        それは、あなたの場合そういうことがありますね。逆に、気付かないうちに被害者になっていることもありますね。ところで、今、黙っている人たちは、心の中で何を考えていますか。

よこなお        自分のことを言われているのかなと思います。

いさどん        自分の何を言われていると思うのですか。

よこなお        自分のことしか考えていないとか、狭い世界観のことです。

いさどん        今回のこの出会いで、何を学びましたか。

よこなお        自分がいかに狭い世界観で生きてきたか、そのことによって周りに不調和を与えてきたこと。さらに、自分がいかに面倒くさくて性格が悪い人間であるかが良くわかりました(笑)。

きたじゅん      狭い世界観だと、誰も気付かないうちに、周りにも自分に対しても加害者になってしまうけれど、自分の世界観を広げれば、自分の資質や特徴などを知って、それを世の中のために生かすことが出来る、ということを考えていました。

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いさどん       自分のために生かすことが世の中のために生かせると今言いましたね。自分が世界を創っている、だから自分のためにやることが世の中のためになる。こういった話は、プログラムの中で良く出てきましたね。それは、自分と向き合った結果の話ですから、個人個人の個性を生かす話ですよね。他の人はどうですか。

たかちゃん      人との関わり合いの中で、その人たちを鏡として自分の心の状態を学ぶ。そして「正直・素直・信じる」を、勇気を持って実行すること。

いさどん        それがあなたのこれからのあり方ということですね。他にはありますか。

あわちゃん              僕は・・・良くわからなくなってきました。

いさどん        わからない状態でこれからどうしますか。

あわちゃん      わからない状態で・・・ブログを書く(みんな、笑)。

いさどん    やることはあるということですね(笑)。

あわちゃん   結構良い意味で、わからない状態なんです。

いさどん     それはある意味、幸せかもしれませんね。朝、みなさんの顔がどうなっているのだろうかと想像したときに、きっと元に戻っているのだろうと想像してきました。ここで何が言いたいかというと、人はそんなに簡単に変わることはできないということです(みんな、苦笑)。この1ヶ月間、みなさんは自分でその学びを勝ち取ったのではなく、バーチャルな1ヶ月間に誘導されてここまできたのです。ましてや、3日や1週間の学びで人が変わるようなことは普通はないのです。それで今日の最終日をもって、これからが真学校での学びを生かしていく真のスタートだということです。例えば大学まで行くと16年間学ぶことになりますが、そこで社会に出るために必要なものが全て会得できたかというと、そこからがそれを生かすスタートなのです。学校では何か刺激をもらっただけのことなのです。

僕はなぜこうしたことをしているのかをイメージしてみました。今の世の中を見ると、迷っている人が多くいます。迷っているということは、生きることの柱になる考えがないのです。本来の自分のあり方や生きるべき方向、生きる目的につながる真実がないということです。真実は人の数ほどありますが、同時に真実は宇宙には一つしかありません。そのように共通するものなのです。

人間はおかしな生き物です。自分という我を持っていて、その自我が原因となって迷う者です。我を持っているということは、自らをコントロールできるということです。他の生き物は、自らというものをコントロールすることができません。この世界に存在するために与えられた役割のまま生きていくだけです。そこから外れると、他の生き物は全て死ぬことになります。もしくは、環境が徐々に変化する場合は、環境適応という形で変化しているだけであり、それが自分の意志かどうかは微妙なところです。しかし、人間だけはそれを自由自在にできるのです。そして、自らを変えても存在できるように生を与えられているのです。それはある意味高い能力ですが、その能力が自らを苦しめることにもなります。ここにいる人たちだけではなく、人生に行き詰っている多くの人たちのほとんどは、被害者だと思っています。それでは、加害者はどこにいるのかというと、環境や時代、もしくは何か特定のものなどたくさん存在しています。その中でも、一番の加害者は自分自身なのです。大学まで進んで勉強し、社会に出ても、自分というものから抜けられないということです。では、どうしたらよいのでしょうか。自分というものから抜けられずに、そこから迷いの人生が始まる人はたくさんいるのです。

みなさんは1ヶ月間学び、それだけの知識を得ました。本当は、これは知識を得るためのものではありません。1ヶ月間学んだ結果、生きるということはどういうことなのか、この世界の構造はどうなっているのか、自分とは何なのかを学んだときに、自分の外にあるものを自分の中に取り入れていくこと、そして天の智慧をもらい、自らの内に元々ある潜在的な智慧を湧かせることになるのです。そうすると、今までの自我の人生にプラスαを得て、生きていくことになります。ところが、その学びが単なる知識に終わっていると、それは智慧を湧かせるためには使い物にならないのです。この世界が成り立っている仕組みや自らの内から湧き出る日頃意識していない潜在的な智慧を使うと、その人に柱が立つのです。柱が立っていないと、元の環境に戻ると元の顔に戻っていきます。柱というのは自分らしいということですよ。そのためには、わたしは何者か、わたしはどういう性質をしているのか、をまずは知ることが大切なのです。

(いぶちゃんがi-phoneを操作しているのを見て)

ねぇ、そこの人、何をしていますか、話を聞いていますか。

いぶちゃん      はい、聞いています。

いさどん        そういう姿勢は聞いているとは言いません。確かにそれはあなた流の聞いているということですが、そうした姿勢がこれまでのあなたを創ってきたのですよ。それで今までを振り返ってみてどうでしたか。

いぶちゃん      学んでいないです。

いさどん        学ぶ、学ばないということを聞いているのではなく、今までの人生を振り返ってみて、あなた流に生きてきた結果どうでしたか。

いぶちゃん      うまく生活できませんでした。

いさどん        でもそれがあなたですよ。うまくできなかったことと自分を切り離していないですか。これからもそれを続けていくと同じような人生が待っていますよ。それは、嫌なことも全て自分が歩んできた道だということです。自分の歩んできた道だからこそ、変えようと思えばどのようにでもなるのです。自分とはこういうものだ、今まではこうやって生きてきたからこれからはこういうふうにしていくぞ、と柱を立てられるのです。自分を理解していないと、歩んできた自己責任の道を環境や人のせいにしていくのです。

みなさんは人間であり生命であり、そして生命は時代と共に生きるのです。そして時代というのも生命なのです。蛙でも1年ずつで死にますが、昨年の蛙、今年の蛙、来年の蛙というように、花でも昨年の花、今年の花、来年の花と命をつないでいるのです。私たち人間も、この時代の人、あの時代の人・・・と古代からずっとつながっているように、世界もそのようにつながっています。つまり、私たちは自分という人生を生きているだけではなく、同時にこの世界をつないで生きているのです。それは、ここで聞いたからそうなのではなく、この世界は実際そうなっているのです。宇宙を生きるということは、毎年季節を迎え、春にすること、夏にすること、秋にすること、冬にすることに付き合いながら生きることです。朝を迎えることも宇宙を生きることです。しかし、そういった大いなる仕組みの中で生きている私たちは今、何を考えているのでしょうか。あれを食べたいとか、これがないと生きていけないとか、その心があなた自身なのです。

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全ての生命に平等に太陽は降り注ぎ、自然は万物に循環し、平等に四季があり、平等に一年が経っていきます。その一年はあなただけの一年ではありません。全てと共に時代を創っているのです。みんなが生きる時代が積み重なって、地球の歴史になり、さらに宇宙の歴史が刻まれているのです。真学校の中では、そこまでのレベルに人々が目覚めることをイメージしながらいろいろなことを皆さんに提供してきました。人間はそこまでの意識で生きられるのです。それは当たり前のことです。しかし、人は自らの内側だけに興味を持っていたら、ばかばかしいほど些細なことを考えるのです。

のりこちゃん    焼肉を食べたいとか、日本酒を飲まないとダメとか(みんな、笑)。

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いさどん        そうなのです。時間の使い方であっても、朝起きて、テレビをつけてただボォ―と観て、一日が終わっていく人たちもいます。それが積み重なって時代を創っているのです。「わたしは世の中なんて創っていない」「世界で起きていることはわたしに関係ない」と言っても、事実、そういったことが世の中を創っているのです。そしてたくさん電力を消費して、原発の電力が要るか要らないかという話になっているのです。それは深刻な話なのですが、そういう人たちによって電力会社が支えられているのです。こうしたものの見方は、視点が変われば当たり前に気付くことであり、そういった視点を持たないと、「焼肉を食べたい」「たばこはやめられない」「お小遣いはいくら無くてはダメ」となるのです。そういったことは全てその人その人の基準です。これは、そのような枠の中に自らをはめているのか、それとも知らない間にそういった枠ができて、その枠の中に閉じ込められているのか、そのどちらにも考えられます。「それが僕の権利で、それがないと幸せに生きられない」という狭い枠の囚われ方もあるのです。枠というのは小さなものから大きなものまで様々にあります。時代の流れまで考えたり、宇宙の彼方まで想いを馳せるといった大きな枠もあるのです。そのどれもが真実です。ですから、自らのスケールはいかようにも持つことができるのです。その結果、あなたの前に、あなたの枠のスケールにふさわしい現象や感情が現れてくるのです。例えば、「生きにくいな」とか、「世の中にろくなやつはいない」とか、「幸せに生きられない」など、一人ひとりの感情をあげたらきりがありません。そのように、一人ひとりは全くオリジナルな人生を歩んでいますが、狭く小さな自分の中に閉じこもって生きていながら、そういった自らを観ることをせず、「わたしの人生がうまくいかないのはなぜなのだろう?」と不可思議に思っている人もいるのです。

みなさんは僕が伝えたいことがわかりますか?そこに気付けた人は、人として生きてきたことの意味をやっと理解し始めた人たちだと思うのです。こんなことは簡単でしょう?ちょっと自らを離れて、自分の言っていることや自分のまわりを観察してみれば、今まで被害者だと思っていたこと、知らない間に加害者になっていたこと、生き辛いと思っていたこの世界を創っていること、時代をつないでいること、一日を刻むこと、一年を刻むこと、死を迎えること、そして宇宙を生きていることが観えてくるはずです。ちょっと視点を切り替えれば、簡単なことでしょう?

今朝、みなさんの顔を見たら、完全に真学校前に戻っている人と、少し戻っている人と、学びが定着している人がいました。それはどういうことかというと、元の自分に戻ったのです。元々この人は既に柱が立っているという人、そろそろ柱が立つ頃だという人、柱が立つために来たという人、それから元々柱が無かったからそこへ戻った人、と人それぞれです。それでは、この学びが必要なかったのかというと、そういうことではないのです。冒頭で話したように、学校教育での学びを得て、そこからがスタートだというのは、その学びを得たからです。昨日まで真学校の学びをして、そして心新たにこれから出発するときに、いよいよその学びを自己コントロールとして使っていくかどうか――、そこからが始まりです。それは、これから取り組んでいくことなので、十分に身に付いていないですよね。それで、元の自分に戻ってしまうのです。それを私たち人間の世界では「無駄」と言い、自然界では「魔」と言います。無駄や魔は、自分の中にあるのです。自分と向き合わないでいると、いつでも魔は差してくるのです。やはり、胸を張ってまっすぐ王道を歩みながら、何のためにそれをやっているのか自らの姿勢を常に意識していくことです。そういった、一人ひとりにふさわしく、自分らしい自覚の柱というものがあるのです。なぜそういう話をするのかという一番の目的は、それがみなさんが自らの歩んだ道を好意的に見ていくコツだからです。「わたしは本当にわたしらしく、存分にわたしを活かし、生きた結果それを誇れる良い人生だった!」と言えるかどうかです。人はいつか死にます。そのときに、「あぁ、つまらない人生だったなぁ、ぜんぜんダメだった」と悔やむことのない生き方で終わるということです。人生の終末を「良い人生だった!」と胸を張って迎えたときに、初めてこの人生の答えが出るのです。ところが今、目の前にある特定のものに囚われて、「これが無いとわたしは幸せになれない」と条件を付けていたら、あなたはその枠の中に自らを閉じ込めている人ということになるのです。

 

この世界の構造を理解し、時代を生きるという話が真学校のプログラムの中でありましたね。そういったスケールの大きな人になることもできれば、目の前の小さなことに囚われて生きていくことを選ぶことも、人にはできるのです。そしてそれは、自らで長年積み重ねてきたことですから染み付いています。それをどうするかは、一人ひとりの意志です。それが、あなたらしい生き方につながります。その答えは、いつか誰でも死にますから、その時に自らと向き合って、一人ひとりどのくらいのものだったかを確認する時が来るのです。それと同時に、みなさんが生きた結果は時代に反映され、時代が紡がれていきます。ですから、この時代、この世の中は、私たちが創っているのです。それに気付いた人が多ければ多いほど、気付きのように時代は変わっていくのです。自分がその世界を創っているのですから、本当はどこにも文句は言えないのです。大きく広く捉える人であればあるほど、世の中のためになります。それが大きくどころか、考えることもしていなければ、感情のままに自我に翻弄され、その枠の中に縛られ、閉じこもって生きていくことになります。しかし、自分を閉じ込めその枠の中で不平不満を言っている人にも、その人なりの幸せがあるのです。面白い世界でしょう?これが、私たちが生きている世界の構造なのです。この世界は、どんな意識のレベルの人にでも、存在することを認めてくれるのです。自らを辛く苦しめる人にもですよ。

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真学校で学んだことは、そのために世界観を広げましょう。自我に囚われ小さいのは、世界が狭いからです。同じ自我でも世界が広がると、「地球は一つ!生命は単独で存在するのではなく、全てネットワークしているのだ。そして、そのネットワークの中に人類も含まれ、自分もいるのだ」と気付くことが簡単にできます。そして、木も草も虫も、私たちと共通したネットワークの中にいるのですから、こうしたものたちが健全である世界は、私たちにも健全がもたらされることは当たり前の話です。しかし、人はどこかで環境などの学びをしないと気付かないのです。

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空に月が昇り、朝日が昇ることによって、わたしたちは生きているのです。海の潮の満ち干きは月との関係なのです。毎日新たな一日を迎え、朝が来て、昼が来て、夜が来て、眠くなったりと活動するのも、太陽との関係です。それを全く考えないで生きていくことも可能ですが、日常の繰り返しをどのように観ているか。それが意識レベルであり、それは自由です。目の前にいる子だけを想うのは親の勝手で、感情が湧いてきたら欲しいものを求め、感情が湧いてきたら欲しいように意識表現をする。しかし、そのような生き方は頭を使っていません。それでは動物と一緒です。ところが、動物はこの世界の法から外れたことをしないので、頭を使わなくても有益な存在であり続けるのです。しかし、人間は枠を広く自由に設定してあるので、本来の目的から外れるようにも出来ているのです。ですから、人間は頭を使わないと外れてしまうことにもなるのです。人間は何のために頭を使うのかというと、自己コントロールするために頭を使うのです。動物は頭を使わないようになっているから、それぞれの枠の中から外れずに、この世界をきちんと保ってくれる美しいものなのです。人間は頭を使うようにできています。だから、逆なのです。人間は頭を使って、正しく生きるようになっているのです。動物は頭を使わないで、正しく生きられるようになっているのです。

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そうした自己コントロールを身につけて、これからも自己コントロールし続けていき、最後に「良い人生だったな」と胸を張れるのが人生の勝利者なのです。それは、外との戦いではないのです。魔が差すのは自らの内側なのです。自らをよく観察して、自己コントロールをし、自らの魔に打ち勝ったときに人生の勝利が誰にでも訪れます。

そういった人間の目覚めをそろそろ地球上に広げたいと思っているのですが、それは政治の世界で日本の総理大臣が各国の代表者と集って平和を語ったり、環境が悪くなったからといって表面的な取り組みを一生懸命進めるような大きなスケールのことではありません。誰もが日常のふとした自らの心と向き合って、「今、何をしているのだろう?」と思うことです。そういった何気ない小さなことが積み重なって、今の政治を生み、国の代表を選び、そして平和を謳いながらそれが成らない世界を創っているということではないですか。「テレビで報道されている紛争や地球温暖化、原発の話は、わたしには全く関係ない」と日頃思っていることが、この世界を創っていると僕は思います。そういったこと全てが自分のやっていることだと思いませんか。こうした出来事を順を追って振り返って行くと、「わたしはこの世界を創っている問題の元凶だ!」と気付く人もいるでしょう。頭を使っていなければ、自分には全く関係なこととして、自らの意識の行き届く身内や生活の範囲にしか興味が向かないことになるのです。

今回、広い宇宙の仕組みから身近な自我の傾向までの話をしてきましたが、そういった目線を創ることがどういったことを生み出すのかをもう一度確認し、これからのみなさんの歩みにつなげてほしいと思います。それが目覚める(目を開けて生きる)ことであり、そのことを毎日忘れないでいただきたいです。朝起きたときに、わたしは何者なのか。今日の一歩を進めるときに、自らの歩みがどこにつながるのか。それは、私たち人間が幸せになるためです。そして確かに、この世界を創っていくのです。この世界がおろかな世界だったら、私たちの幸せはないでしょう。世界には興味がなく、自分のことだけを考えていることをエゴといい、その元となっているのは自我です。しかし、自我を捨てる必要はありません。それはコントロールすればよいのです。みなさんは、その構造を学んだのです。今、話を聞いて、「そうだったなぁ!」と思い出している人もいると思います。それを毎日持ち続けていくことが大切なのです。僕は毎日持ち続けています。朝起きると、人間とは何だろうと思います。1ヶ月間、毎日それをみなさんに伝えてきました。しかし、それは僕の考えを伝えているわけではなく、この世界の仕組みの観方を伝えているのです。

これはいさどんワールドなので、アカデミックではありません。しかし、僕はこれが本当に道理にかなっている自信があります。今の科学、物理、政治、経済、教育などの現場では、表面的な道理からできています。しかし、これはどう考えても道理にかなっていることです。人はこれまで学問として学びを捉えてきました。それが人間社会に豊かさや優秀さを提供し、この世界を創ってきました。しかし、それは否定することではありません。それをもっと有効に生かすとしたら、やはり道理を理解し、道理を常に保っている人が育たなければならないと思うのです。それは、毎日の地道なその人の意識、活動にあるのです。朝起きたときに、わたしはどう生きるのか。一日が終わって(木の花ではありがたいことにミーティングがありますが)、そこで今日の自分は一日どうだったか。そこでの振り返りには個人差があり、真剣に振り返る人もいれば、みんなの智慧を借りて振り返る人もいます。そして、全体の中から個人の意識になって、寝る前に、今日一日どうだったかと振り返る。それが、一日の「生まれて死ぬ」ことの繰り返しなのです。

こういった生き方を、僕は「充実」と言います。そういった意識をみんなが持ったら、居酒屋やディズニーランドなどレジャーの場所に行っても、「わたしの人生はどうだったかな」とか、「これから世の中をどうしていったらいいのだろう?」という話題がたくさん出てくるようになると思います。自分がどう生きたかということが、どのように世の中に反映されているのか。人々は自らを通して振り返るようになるでしょう。

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僕は日々そのように思うのですが、人間と付き合っていくと、「なぜ人間はこのような生き物なのだろう?」と気持ちが折れてしまいそうになることがあります。それも人間らしくて良いのかもしれませんが、人類はこのまま進んで行くと、そのツケは大きいと思います。3日前、あの東日本大震災から4年が経ちました。アメリカには原発が100基あるそうです。福島の原発事故が起きる前から原発を無しにしようという動きがありましたが、現代の社会はお金で成り立っています。矛盾で成り立っているのです。そうすると、その「反対」という矛盾と、矛盾を「推し進めよう」という矛盾の対立の世界なのです。人間社会は21世紀になっても、戦いの世界だからです。その代表の国がアメリカです。そのアメリカは自由主義、資本主義の国であり、その実体は矛盾によって大きく栄える国なのです。それが今、世界中の国が目指すべき目標の国とされていますが、現在の社会の動かす経済は、矛盾があればあるほど大きくなります。人間はストレスが溜まれば溜まるほど無駄な消費をしますし、争いもします。そして競争が起きます。そういった負の概念が経済を大きくしているのです。ですから、福島の原発事故が起きる前から、「原発反対」と「原発推進」とで戦っていたのです。それが、福島の原発事故が起きたことで、「だからやめたほうが良いのだ」「そうではない。だからこそ、安全なものを作って推進しなければならないのだ」という議論になっています。さらに、それに加えて「安全でも安全でなくても、金になるからやらなければならない」というもう一つのグループもあるのです。原発が壊れたら、またその被害で大変なお金や労力がかかるでしょう。だから、それもビジネスチャンスだからやらないといけない、というようにそれぞれの思惑や事情があって戦っているのです。そこで、僕はどちらの側に立つのだろうかとテレビを観ながら考えていたのですが、マスコミではこのような区分けはしていません。しかし、僕にはそのように人の立場が分かれて観えるのです。僕には世の中の人はみんな、同じ穴のむじなに観えるのです。「何をあなたたちは争っているの?人間って本当に変な生き物だね」と思うのです。

アメリカの原発(スリーマイル島)
アメリカの原発(スリーマイル島)

21世紀を迎え、銀河の冬至を越えた今の時代を考えると、そろそろそういった人々がこの時代に現れてこなければいけないと思います。そして、僕は自分がそのような人間だと気付いたときに、これを生きることを人生の目的とするのです。時代を生きるとはそういうことなのです。みなさんにも少しだけ、その大いなる大事を提供してきました。「自分の生きる目的は何だろう?」「世の中ではそれがどのように扱われているのだろう?」とちょっと疑問を持ち、そしてちょっとだけ自分と向き合い、そこに頭を使い、考える。そういったことをみなさんに提供できたとしたら、1ヶ月の学びが確実にみなさんの次の一歩につながると思うのです。それが、自分らしく、柱を立てて生きることです。1ヶ月間の学びが次の一歩を踏み出すときに元に戻ってしまうならば、あなたは何のためにこの時間とお金を使ったのでしょうか?ちょっとだけ違う自分に変化して、次の一歩に生かしてもらえたら、私たちもこのプログラムを提供して良かったと思います。

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第26日&27日:心の振り返り

一ヶ月間の真学校もいよいよ終盤をむかえ、最後のまとめとして、12日と13日の午前の時間を使って一人一人の学びの振り返りをしました。初めにいさどんから以下のような話しがありました。

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「どんなに人間が科学物理の世界を広げたとしても、神とつきあわないで人間の歴史があったことはありません。しかし人間は、神を見失い、神や真実を怪しむようになりました。人間の中に、神や真実の世界が定着しておらず、揺るぎない柱が立っていないので情報の洪水の中で、見えない世界に対しての迷い人となっているのです。迷い人たちが作り上げた現代社会は、矛盾の生産工場になってもいるのです。

人々の興味は自らの自我に向かっているのです。しかし、真学校では、最も大きな世界から自らに向かってきて、初めて自らが見えるというように、自分が世界の中心ではないことを学びました。みなさんが次のステージに立ったときに、真学校で学んだ客観視点で何を観るのか、それが一人一人のこれからの歩みで、真学校の本当のスタートなのです。」

そしてしばし、一人一人がここでの学びと、当初の目標が何だったのかを振り返る時間を持ちました。ここで、いさどんがみんなに伝えたことは、

「真学校は一人一人に伝える講座としてやりました。それは一人一人歩む道が違うからです。しかし、その本質はその、一つのことを伝えました。それはこの世界が一つだからです。」

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それから丸く座り直し、振り返りの時間が始まりました。

「生き詰まっている人は、自らの望みを叶えようと奔走します。つまり自らを特定の枠の中においておこうとする人です。それを手放すと人は変わっていきます。

生きる事は一人一人オリジナルな旅をしている人生はバイキングのようなものです。みんなが自由に心をオープンにして語り合っていく中で、いろんな人のいいと思う性質を自分の人生にトッピングしていくことができます。」

13人の中身の濃い振り返りがあったのですが、その中から、2年前のEDEにも参加し、その後も会社に勤めながらも木の花に関わり続け、今は長期滞在しながら心を学んできいるあわちゃんの振り返りにスポットをあててみました。

あわちゃんの真学校に参加する目的は

「自己コントロールして健全に生きる。

真学校が終わって、これだったら僕にとっても心地よく自分の回りも喜び合えるような生き方を見つけること」というものでした。

以下は、今回の振り返りのいさどんとあわちゃんの会話です。

いさどん: あわちゃんは元々生きる事のテンションが高い人。今までテンションが高くなりすぎて壊れて、落ちてということを繰り返していた。テンションが高いのが個性なのだから、そこでテンションが高い状態で自分を他者に生かせるようになったら、あなたの心も満足し、回りにも貢献できる。結構今そこにはまってきていると思うけど、どうかな?最近はぐるぐるというよりも、巧妙に表現して最後は笑いを取って拍手をもらって終わるという感じになっているね。今もぐるぐるしているの?

あわちゃん: 最近はバラバラの思考が若干統合できるようになってきていて、文章にするとまとめられるけど、文章化しないと頭の中でまとめられないという状態です。

いさどん: 頭の中で考えたり、話したりするとまとめられないことが、文章にするとまとめられるということは、そういう役割で生きて行きなさいということでもあるんだね。

今まで先に「これが欲しい」と欲を優先してみんなダメにしてきたけど、わからないけど何かこれでいいんだという安心のもとに進んで行ったら、結果として出会って見えるものがあると思う。

あわちゃん: 自分の場合、「こうしたい、こうなりたい」というのがすごく強いので、それを一瞬一瞬止めていて、普段日常のことから積み上げていった結果が、ああいったシェアーとかブログという形になっている。僕の人生自体、真学校が終わった後どうなるか分からないから、とりあえず今常に自分の心にあるものを前に送り、その結果いろいろいただくので、いつもだとそこでバーンと落ちるんだけど、それを文章で表現するということで落ちる前に上手く循環できて、コントロールする感覚が得られてきていると思う。

いさどん: あわちゃんにはもう一つ聞きたいことがあって、ここまでは「自分がどうするか、自分の心の状態をどう掴んでいるか、そしてどういった姿勢でこれから望んでいくか」という話しをしたでしょう。木の花にいるいないに関係なく、その先にある社会という器に対して自分の目標やイメージはあるのかな?

あわちゃん: 大きなものは今あえて考えていません。狙わない方がいいと気がついたので。

いさどん: 最終的なイメージとしてその人のスケールで社会に貢献していくこと、よりよい社会の成り立ちに貢献する自分につながったらいいと思うので、そういうイメージは持っていたらいいね。

あわちゃん: 僕が何も狙わずににシェアーをした事を受けて、ともくん(ヘルパーさん)が「僕も勇気をもらったからやってみるよ」と言って自分の事をシェアーしてくれたのは、すごく嬉しかった。狙ったわけではないけど、結果的に僕自身のうまくいってないところを出すことで、同じような想いをしている人たちが勇気をもらって歩んでいってもらえる、そういう感じが僕の役割なのかな。

いさどん: 社会に貢献しているね。今までは、あわちゃんが「こうなりたい、ああなりたい」と言っているのを見ると、あわちゃんだけの世界で勝手にやっていて、孤立しているという感じだったけど、ともくんが反応したということは、共感出来るものが発信されているからそうなったんだよ。とりあえず自分が思うところをやった結果、答えがちゃんとそこにある。自分が行動したから起こったことで、流れや出会いによっていただいたことでもある。

ここで共通しているのは、21世紀の始まりの今の時代を生きているよね。今の時代はすごく分かりやすくて、日本でいったら江戸時代なんていう時代は同じ様な変化のない時代がずっと続いていて、わかりにくかった。

例えば江戸時代と明治維新というのは、時代は変わったけどそんなに意識は変わっていない。あの時代は国を開けて外と自分たちを比べる時代が来たから激しい変化のように見えるけど、人の意識は武士から日本帝国軍兵士に変わっただけで、武士道はそのままで、その元にある意識は変わっていない。

でもこれからの時代は日本人が日本人でなくなり、世界人になる。そして地球人が宇宙人になる時代だからすごく変わる時代。そういう意味で情報を提供してきたけど、太陽が一螺旋して銀河の冬至が来たとか宇宙的にも、地球上の時代の流れ的にも、また環境的にも変化の時をむかえている。哲学とかイデオロギーとか宗教が元になっていた制度が限界に来ている。そういったいろんな意味で切り替えの時が来て、ものすごく大きな変革が来るとしたら、一人一人がどこかでそのことを意識し始めている。そのためには誰もが変化していく必要がある。

あわちゃんは、どちらかというと独りよがりで自滅するという、社会にとって有効なのか無効なのか分からない様な存在だった。しかし、あなたの個性が生かされて社会が転換していく役に立ったとき、一人が一人の人生を作っていくという以上の大きな意義が生まれる。その両方をみんなには考えて欲しい。真学校はみんなにそういったことに目覚めてもらう場所でもある。単に「個人の目標を見つけて良い人生を生きましょう」というセミナー的な発想とは違うと僕は思っています。その意識を社会的に持って欲しいということ。これはあわちゃんだけでなく、みんなに伝えたい事です。

そうすると自分の目標のスケールが大きくなって、心の尺度も大きくなり、柔軟性も増す。例えば社会で起業して成功するのは何のためなのと考えること。それは成功するためにはどういう人であるべきなのかということになって、どんどん人が大きくなっていく。起業して成功するということだけだとお金があるかないか、規模がどうだとか、考えていることは自らの利益のためだけ、そうすると新しい社会にとって新たな害をもたらす事にもなる。そうすると時代が転換することにはあまり有効なものにはならない。

あわちゃん: 真学校の13人のコミュニテイーってこれからの時代の超スモール版だと思う。これ自体、時代の流れに沿ったものであれば、ここで学んだ事を社会とか地球に広げるだけで、良いのかなと思う。

いさどん: たかだか一人の人生ですよ。そして一人一人がこれからどう生きて行くかということは、小さく見えるけど、そういったものがネットワークしてこの世界が出来ている。それは地道な話しであるけれど、それがネットワークすると、個人意識だったものが宇宙人になるぐらい、時代をにない創造していく人になる。それはすごくダイナミックで大きな話しにつながる。カタカムナで言う「カ」という最極微少粒子が、この巨大な世界を作っている。小さければ小さいほど連携して振動しこの世界を作っているとしたならば、このネットワークは「あっ」という間にわ~っと広がる。アマハヤミだから。「大きい」は「小さい」が創造している。

最近のあわちゃんは、まだまだ荒削りだし未熟で、これからも探求とか自己コントロールがいるだろうけど、日記を止めて単独の行動としてブログという形でみんなを楽しませていることを、いい意味であわちゃん流にはじけていると思って見ている。

「ルールは日記の中から、コメントもらって振り返れよ」なんて、そんな狭い枠に閉じこめるんじゃなくて、いい意味でどんどんはじければいい。

みかこ: これが、無個性になる道じゃなくて、クセが個性になっていって害から良いものを回りに与えるといういい例だね。

いさどん: ひとりひとりの個性の花を開くというのが、「コノハナ」の意味。

よしてる: 「個人の花」という意味?

みかこ:(絵を描きながら)
「コ」はカタカムナのムナヤコトのコで、深い意味があって、「くり返し」とか「転がり出る」「超える」などの意味がある。潜象界(現象界の元となる多次元世界)から常時生命力がわき出してくること。それがこの世界に伸してくる。次々と転がり出たものが、この世界に生み出された個性なんだよね。それが個人の「コ」でもあり、大宇宙の中に小宇宙がとびだしたということでもあり、「コノハナ」というのは飛びだした個性が花のように開いてバランスを取り合って曼荼羅を作っているという意味。

ホワイトボードの絵

ホワイトボードの絵

コノハナ曼荼羅
コノハナ曼荼羅

いさどん: コノハナというのは宇宙を歩くそれを理解した人たち。我々がそういうことを理解してこの世界に生きるということは、宇宙(時代)を歩くことを理解し、個人を存分に発揮しながらこの世界を創る人々という意味。イメージはそういった宇宙意識を持った人たちが宇宙空間(時代)を歩いている。(ここでナンバ歩きの動作をする)

そうすると気持ちが落ち着いて、存分にコ(個人)の花を咲かせられる。そうすると自ずとあなたのポジションが見えて来る。

あわちゃん: まだ荒削りなのは重々解っています。

いさどん: その典型的なのは、あなたが良く語る「もてる」という話しだよね。「もてたい」という心があるのは荒削りで、「もてる」というのは「もてたい」じゃなくて魅力的な人になればもてるんだよね。しかし、自分に似合わないものにもてたら困るでしょ。やっぱりふさわしいところでもてる事が一番だよ。そうしたら、落ちるところへ一度落ちて、そこからもう一度積み上げることだね。

この世界にいろんな花があるとすると、そのものらしく咲いているということは、その花が必要とされているということです。

みかこ: 最近のあわちゃんをいいなと思うのは、天の意志とつながりだしたから魅力が出てきているんだよね。あわちゃんは今まで、ほかの人に好かれたい。でもみんなが天とつながらないところで連携して全体で外れていくという世界をやっていたんだね。みんなが中心の意志とつながり始め一人一人に柱が立つと、世界に花を咲かせるということになると思う。柱が立った人たち同士で連携していくと、お互い魅力的だなと思うのが当たり前の世界なんだと思う。

いさどん: (ホワイトボードの図参照しながら)

この一個一個が個性でしょ。こういった個性が存在することが自らの位置を理解する客観だよね。この一個のものがどう生きるかということは、そのものの物語なんだけど、一つ一つ全体の関係性の中で役割があるとしたら、全体の物語を紡ぐ役割があるということ。それはこの時代の盤面から離れないと解らない。それが客観背後。直観はこの中心の柱からもおりてくるんだよ。

みかこ:今は世界全体が中心の意志の柱を見失っていて、全体で横にそれていっている状態。ネットワークも悪いネットワークになっている。しかし、このネットワークに中心の想いの柱が立ったら、全体に良い流れになるね。

道理が欠如した世界
道理が欠如した世界

いさどん: というように、客観背後まで捉えても、我々は最も身近に単独の自分というエゴをもらっている。常にそれを主役にしながら、同時にこの大きな世界を意識していく。そしてこの両面を意識していれば、自らの中にいる自分は必ず生かされるものです。

道理の通った世界
道理の通った世界

真学校を受ける中で、確実に大きな変化があった人の一人があわちゃんでした。それがこの振り返りに現れていて、大きな世界観にまでつながったのでしょう。

最近のあわちゃんブログには、地球外生命が登場して、いろいろな鋭いコメントをしています。その名も「あわりーぬ」。是非こちらも見て下さいね。

★あわちゃんブログのアドレス

http://ameblo.jp/awari-nu/entry-12002725233.html

http://blog.livedoor.jp/anumakatak/


修了パーティーでの出し物

あまりにも充実した日々が過ぎみんな多忙で
しばらく真学校ブログの更新がありませんでしたが
先週の土曜日1ヶ月間の真学校が終了しました。

涙あり笑いありの修了パーティーも終了し
真学校受講生はそれぞれの人生の道に帰っていきました。

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(終了パーティー後の全員写真)

今までの講義や修了パーティーの様子は順次本サイトに
掲載される予定ですのでしばらくお待ち下さい。

一足お先に修了パーティーの一部の出し物であった
真学校の修了パーティーで受講生が書いた物語を以下にご紹介しますね。

真学校で起こった出来事を元に受講生のあわちゃんが創作した内容になっています。

ーー以下物語ーー

そう、ここは、天の川銀河系、M78星雲、第3惑星の地球。ほー、なんとも美しい惑星だな。

今、この地球上で、人類史上、かつてない画期的なプログラムが行われているのだ。

その名も、「木の花塾「1ヶ月間の真学校」」。

怪しい。「真学校」ってなんなんだ。

内容は、なになに
「すべての出来事は、目には見えない大いなる時代の流れから生まれています。目の前で起きている現象だけを捉えれば問題ごとに思えることも、その背後にある、この世界を生み出す側の視点に立った時、それはまったく違った意味を持って見えてきます。そして、壮大な時代の流れに沿い、人として生まれてきた役割を果たすための叡智が湧いてくるのです。」

うん、よく分からない・・・

あっ、申し遅れました。僕は、「地球外生物あわりーぬ」です。基本的に体はありません。地球から10の64乗km離れている惑星に住んでいますが、1秒で地球までやってくることができます。人間界で言うと「思念」「想い」というものです。あれっ、もしかして、「真学校」より僕の方がよっぽど怪しいって??

まーそれは横に置いておいて、今回はこの「あわりーぬ」が真学校に潜入して、このプログラムで何が起こっているのかこの目で確かめてみようと思います。

皆には、これからこの真学校で起こっている事を紹介するね。

ちなみに、僕は人間界にいるときはこんな姿をしているよ。

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可愛いでしょ。

この写真の前列にいるのが今回の真学校の受講生達だね。バックグラウンドも個性もバラバラな14人なようだね。しかも今回の真学校の受講生の14人のうち6人が木の花ファミリーが提供している「自然療法プログラム」の卒業生なんだ。そもそもこの地球は今、健常者もみんな病気みたいなもんだから、みんな病気をこのプログラムで治しに来たのかな。

あっ、早速何か始まってる。もう授業も終わったはずなのに受講生の二人が部屋で真剣に話をしているよ。

—-ひとみ刑事出動の巻—-

真学校受講生のやまちゃん:(やまちゃん正座しながら悩んでいるような難しい顔をしている)渉君、折り入って相談があるのだが。僕は今真学校の講義を受けていて、内容が頭に入って来ないんだ。

真学校受講生の渉君:なんでだい?

やまちゃん:うーん・・・いつも講義をしてくれる、木の花ファミリーの創設者でもあるいさどんのことなんだけど・・・うーん・・・だって、いさどんお腹が出ているじゃないか。

渉君:(予想外の言葉を聞いて一瞬思考が停止する)・・・お腹が出ている?

やまちゃん:そうだよ。僕は、そんないさどんは信じられないんだ。だって、ここは菜食主義をしていて、毎日規則正しい生活をしているんだろ。授業でも、素晴らしい生活や食の話しをしているじゃないか。なのにいさどんはお腹が出ている。それはおかしいよ。言っている事とやっていることが違うよ。だから僕はいさどんが信じられないから、いさどんが講義をする内容も頭に入ってこないんだ。

渉君:なるほど、お腹が出ているか。やまちゃん随分鋭い視点を持っているのだね。僕自身も皆から、料理包丁のような鋭い切れ味を持っているとよく言われているけど、そのことには気づかなかったよ。いさどんのお腹が出ているか。本当だ。いさどんお腹出てるよ。それ、おかしいよな。でもな、やまちゃん、今の僕から言えるのは、とりあえずいさどんのことを信じようと信じまいと構わないから、講義の内容だけは聞いておきなよ。折角授業を受けているのだし内容は結構面白いし。

(突然パトカーのサイレンの音が聞こえる。ウーーーーーーン、ウーーーーーーーン、ウーーーーーーーン)

そのあと、隣の部屋との間仕切りになっていたふすまが突然開く。

(ガラガラガラーーー!!)

丁度体調を崩して隣の部屋で寝ていた木の花ファミリーメンバーのひとみ刑事が突然やまちゃんと渉君の部屋に入って来たのだ)

ひとみ刑事:なんだか、気持ち悪いよその会話!!!いさどんのお腹が出ているのはねキャラクターなの。いさどんはちょっとぐらいふっくらしてる方が可愛いでしょ。

(やまちゃんと渉君はびっくりしすぎて腰を抜かしているが、構わずひとみ刑事は続ける)

ひとみ刑事:そもそも渉君、そんなアドバイスをするなんて無責任だよ。渉君は割り切ってやっていてもいいかもしれないけど、それをやまちゃんにアドバイスするのはやまちゃんのためにならないよ。それにやまちゃん、いつまでもタバコを吸っているなんて・・・(ごにょごにょごにょ。その後しばらくの間機関銃のようなひとみ刑事のトークが続いていった。)

—-ひとみ刑事出動の巻終了—-

はっはっ、いきなりこんなことが起きているんだね。皆真剣だ。1ヶ月間共同生活をしながら学んで行っている様だしこれからが見物だね。

—-活性液爆発の巻—-

あっ、今度は講義で木の花菌を元に活性液を作ったようだね。なんだか楽しそう。

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(出来上がった活性液を手にする受講生たち)

農業からお掃除まで、微生物くんたちの力で何でもござれのこの活性液、発酵するためには温度が必要だということで、昨年のEDEの講座では受講生が抱いて眠ったら、発酵しすぎて夜中に大爆発したらしい。

そんなわけで今年は安全対策に万全を期して、ペットボトルも大きく頑丈なものにして、発酵場所もお風呂場にしたようだけど・・・

今年もやっぱり大爆発

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(今年の爆発現場 - お湯が茶色に・・・)

爆発したのは、ぶんちゃん、わたるくんペア製作の活性液。

普段はそんなことはないようだけど、それだけ真学校生のエネルギーで微生物くんたちも活発になってるみたいだね。ここでちょっと、微生物くん達になんで爆発したか聞いてみようかな。
あわりーぬ:ねーねー、微生物くん、今回も見事に爆発したんだね。でも、いつもはそんなことないようなのになんで今回こうやって爆発したの?

微生物くん:ふふふ。だってね、この活性液の制作者のぶんちゃんのエネルギーがすごかったんだよ。ぶんちゃんがそれを分かっていたようで、マイナスイオン系のわたる君がお世話をしてくれていたんだけど、やっぱりだめだったね。もう自分をどうしても開放したくなっちゃってたまらず大爆発しちゃったよ。

あわりーぬ:なるほどー!ぶんちゃんはもしかしたら、そうやって開放を促すような存在なのかもしれないなー。今度僕もあやかりに行こ〜♪スキップスキップランランランのあわりーぬです♪

—-活性液爆発の巻終了—-

あれっ、今度は真学校受講生のみんなで真剣に話しをしているな。何を話しているんだろう。

—-誕生会の出し物の巻—-

よしてる君:うーん、僕はね今回の誕生会の出し物の企画には参加しないよ。

みんな:・・・

のりちゃん:なんで?ヨシテル君は何を考えているのかよー分からん。何か考えがあるなら言ってくれないとみんなには伝わらないよ。

よしてる君:うん、僕はみんなに何かを伝えたいわけじゃないんだ。ただ、客観的かつ冷静に捉えて、さらに客観背後も意識しながら地球人類いや宇宙全てのことを意識しながら、ただ情報として話しているだけなんだよ。

みんな:・・・

みどりーぬ:めんどくさ!!ただ、シンプルに皆で出し物の事を考えればいいんじゃないの。

たかちゃん:うーん、でも、僕はよしてる君が言っている事はよくわからないけどわかる気もするな。彼がなんでそんな投げかけをしているかみんなで考えてみようよ。

いぶちゃん:(心の中の声:あー、お腹すいたなー。今日のおやつなんだろう。私あのブルーベリーが入ったパンみたいなもの好きなんだよねー。)

渉君:そうだね、考えてみようよ。

のりちゃん:あわちゃんはどう思うの?

あわちゃん:僕はなんだか分かる気がするよ。皆からやる気が感じられないんじゃないかな。やっぱり皆で出し物をするんだし、しかも誕生会でメンバーの人達への感謝を表現する必要もある。更に、この出し物をするということは表面的な事で、この出し物をするということを通してみんなの心の成長を促す事が本来の目的だからね。そう言った意味でも、よしてる君の投げかけは意味があると思うよ。

ぶんちゃん:はー、この男達は面倒くさいね。そんな面倒くさいことを言っていたら、ずっと女の子にもてないよ。もうちょっとシンプルに考えて、女心も理解していかないとダメだね。

よしてる君:いや、僕は女性にもてるもてないなんてどうでもいいんだ。ただ、宇宙の真理を体感して宇宙と一体になり・・・(その後数分よしてる理論が続いていく)

なおちゃん:なんか私胃が痛くなってきた。そんな難しい話しを聞くと訳分からなくなってくる。

みへちゃん:私、ちなっぴーになりたいなー♪

みんな:何?突然・・・

やまちゃん:おー、おー、おー、ここらで僕の美声の登場かな。

きたじゅん:じゃ、僕は得意のギターで参加だ。

ゆかりちゃん:うーん、皆についていけない。グルグルグルグル。

よこなおちゃん:私はー、ここで自分壊しをしたいな。

みんな:いーじゃん!!

皆バラバラながらも、一生懸命やってるなー。僕も仲間に入りたくなって来た。ところで誕生会の出し物はうまくいったのかな。

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はっはっ、この様子だとうまくいったみたいだね。

—-誕生会の出し物の巻終了—-

今度は畑でみんな何かをやっているね。

—-じゃがいも定植の巻—-

じゃがいも定植しているんだね。みんな楽しそう。そして作業後は、やっぱりみんなでカタカムかー。

みんな:ヒーフーミーヨーイー。イー。マーワーリーテーメークールー。ルー。ムーナーヤーコートー。トー。・・・(最後までカタカムナを歌い終わる。)

こうちゃん:みんなちょっとずれてたねー。まーそれもそれでいいよね。

よしてるこうちゃん:へへー、みんなカタカムナズレ過ぎ。へへー、へへー、へへー。こちゃんの物まね楽しいな。あっ、楽しいな、楽しいな、嬉しいな、嬉しいな、金神様のお出ましだい。
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—-じゃがいも定植の巻終了—-

(突然あわりーぬの中心部からアラーム音が聞こえてくる。)

ピコーン、ピコーン、ピコーン。

あれれっ、なんだかちょっと調子が悪いなー。熱っぽい。体温計で計ってみよう。

(体温計の音)ピピピピっ、ピピピピっ、ピピピピっ

どれどれっ。えーーーーーーーーー!!!!!!!40、7度。こんなに熱があるのは初めてだ。あまりにも皆のエネルギーが高すぎて、僕の体温も急上昇だ。一旦僕の惑星に帰って冷却しないと。

惑星に帰る前に、最後に真学校受講生1人1人と話しをしてみようかな。

まずは誰に話しかけよう。

よし、のりちゃんに行こう。

あわりーぬ:のりちゃん、今回の真学校はどうですか?楽しいですか?

のりちゃん:楽しいですよー。なんだか、何もなくなった感じがするんですよー。楽になった。これでいいんやなー、という感じ。

あわりーぬ:へー、なんか菩薩みたいだね。僕はよくボサーっと突っ立ってるな、とよく言われるんだけど、のりちゃんの変化や心のシェアでは沢山の気づきを得ました。ありがとう。

次は誰にしよう、よし貴ちゃんに行こう。

あわりーぬ:たかこちゃん、真学校はどうですか?充実してますか?

貴ちゃん:(体をクネクネしてウィンクをしてから)楽しいわよー。あたし、ずっと男だと思って生きてきたの。頑張ってきたの。ワイルドになろうとしてきたの。でも、だめだった、苦しかった。だからもう、ワイルドにならなくてもいい、そう決めたの。そしたら、目覚め始めたの。

あわりーぬ:(ちょっと汗をかきながら)あっ、あっ、そうなんだー。何に目覚め始めたのかな。でも何にしろ目覚めるというのはいいことだね。これからも応援してるよ。

次は誰だー、よし、みどりーぬに聞こう。

あわりーぬ:みどりーぬちゃん、真学校はどうですか?満喫してますか?

みどりーぬ:ちょーー楽しい。目から鱗って感じやね。今まで人にカウンセリングをしたら相手に引っ張られて自分の体調を崩してしまったこともあったけど、これからは違うわ。これから娑婆に戻ってどうなるかワクワクするよ。

あわりーぬ:みどりーぬちゃんは愛の人だもんね。そんな優しさを地球上にふりまいてくださいねー。

よし、次は誰にしよう。よこなおちゃんにしよう。

あわりーぬ:よこなおちゃん、真学校はどうですか?

よこなおちゃん:うーん、楽しいかな。はっはっ。でもね、私いっつも物事をネガティブに捉えてしまう癖があって分かっていても辞められないんだー。でも、その癖に今回の真学校で気づき始めてようやく新しい一歩を踏み出そうとしているのかな。

あわりーぬ:そっかー。よかったねー。焦らなくて良いもんね。一歩一歩やっていこうねー。

よし、次は誰にしよう。途中で真学校を辞めてしまったやまちゃんに聞いてみようか。

あわりーぬ:やまちゃん、真学校はどうだったかい?

やまちゃん:(腕組みをしながら)うーん、「心磨きの大事さ」を教えてもらうことができたよ。でも、僕は僕の気持ちに嘘をつくことができない。だから出ていく。

あわりーぬ:そうかー、それが今のやまちゃんの正直なんだね。また何かあればいつでも帰って来てねって木の花のみんなが言ってたよ。

よし、次は誰だー。いぶちゃんに聞いてみよう。

あわりーぬ:いぶちゃん、今回の真学校はどうですか?楽しいですか?

いぶちゃん:へへっ、楽しいよー。私ね、今までずっと浅い考えしかしてこなかったら、今回の真学校は頭がパンクしそうになっちゃった。でも、私、色々なことを今まで見ないようにしてきたし聞こえないようにしてきたんだと思う。それに気づけてよかった。

あわりーぬ:そっか、そんな大きな気づきがあったんだね。これからいぶちゃんカラーがどんどん出てくるといいね。

次は誰にしよう。奈緒ちゃんに聞いてみよう。

あわりーぬ:奈緒ちゃん、どうだい、今回の真学校は?

奈緒ちゃん:なんかびっくり。私がこんなこと出来るなんて全然思わなかったんだ。いつも私は自分のことをダメな人間だと思ってきたけど、こんなこともできるんだって。なんだか楽しいし楽だよ。

あわりーぬ:へーー、今まで自分ができると思わなかった事ができると気づいた。それこそ世界観が広がって、心磨きをしているんだね。素晴らしい。

次は誰だー。きたじゅんにしようか。

あわりーぬ:きたじゅん、真学校楽しんでる?

きたじゅん:うん、お陰様で満喫させてもらってます。このタイミングで真学校を受講できて、僕はほんと恵まれているなって思います。みんなには心から感謝してます。

あわりーぬ:なんだか最初に真学校に来た時より、背筋も伸びて目もまっすぐ相手を見て話してるね。きたじゅんの変化は皆の希望だね。ありがとう。

次は誰にしようかな。よし、みへちゃんに聞いてみよう。

あわりーぬ:みへちゃん、真学校はどうですか?楽しんでますか?

みへちゃん:うーん、楽しいよー。誕生会の時のちなっぴー役もとても楽しかったー。私はいつも人に嫌われるんじゃないかって思っていたんだけど、そんなこともう気にしなくていいかなー♪スキップスキップランランラン、私はみへっぴー♪

あわりーぬ:みへっぴー、いいね!これからもそんな感じでよろしくね。

次は誰にしようかな。渉君にしよう。

あわりーぬ:渉君、真学校はどうですか?

渉君:はい、思いっきり弾けてますよ。やっぱり盛り上がりが大事ですよ。私は今まで自分の腹のうちを明かさないで来ましたが、今回はどんどん出しました。そしたら、料理をするように人をさばきそうになってしまいました。でも、それが僕の持ち味なんだと思います。

あわりーぬ:わたる君は鋭いですもんねー。これからもその鋭さに磨きをかけてほしいです。

次は誰にしょう。文ちゃんに聞いてみよう。

あわりーぬ:文ちゃん、真学校はどうですか?楽しんでますか?

文ちゃん:楽しいですよー。最初真学校に申し込んだ時はあれっ間違えたかなと思ったけど結果的にはとても良かったです。何事も起こっている意味はその時には分からなくても、行ってみたら気づく事があって学びになるんですよね。全ては鏡であり学びですから。

あわりーぬ:うわー、さすが文ちゃんだねー。僕も勉強になります。これからも色々学ばせてもらいます♪

残るはあと2人。よし、よしてる君に聞いてみよう。

あわりーぬ:よしてるくん、真学校はどうですか?

よしてる君:はっはっ、色々ありながらも楽しんでますよ。この1ヶ月の真学校生活を通して沢山のことを学んでいます。僕はついつい小難しく言ってしまうのですが、これからはもっと愛を持って人に伝えようと思っているんです。(ここで突然こうちゃんの物真似をする)

あわりーぬ:よしてる君も随分変わったようだね。僕はまたよしてる君の鋭い物まねやコントが見てみたいな。楽しみにしてるよ。

次は誰に・・・そうだ、忘れてた、あわちゃんに聞いてみよう。

あわりーぬ:あわちゃん、今回の真学校はどうですか?

あわちゃん:ごほっごほっごほっ、むにゃむにゃむにゃ。熱が40度を初めて超えたー。しばらく潜象界に行ってたよ。僕はまだまだまだ僕を開放できるぞー!!えいえいおー!!

あわりーぬ:あわちゃん、あんまり無理しないでね・・・。でももっともっと開放したあなたを見てみたい。

よし、最後はゆかりちゃんだー。

あわりーぬ:ゆかりちゃん、今回の真学校はどうですか?

ゆかりちゃん:はい、楽しんでます。私は今まで頭の中がぐるぐるしていて、何を話せば良いか分からなくて、正直に思っている事を出せなかったんです。でもこれからは違います。私、出します。どんどん出します。出して出して出しまくります。出して出してダシ巻き卵になります。

あわりーぬ:おー、ゆかりちゃんもそろそろ本気になってきたかな。期待してます。

なんか段々コメントがいさどんっぽくなってきたな。。じゃーやっぱり最後は、真学校校長のいさどんに聞いてみよう。

あわりーぬ:いさどん、今回の真学校はどうですか?

いさどん:今回のチーン学校は(チーン)、今までやれなかったことをあらゆるしがらみを取り払ってやり切っている感じがします。これから時代が変化していく中で、必ずこの取り組みを世間が必要とする時がやってきます。今回の真学校はその先駆けとしてとてもよいものになったのではないかと思います。これからは一人一人の個性が花を咲かせ調和の世界をつくっていく「コノハナ人」の時代です。真学校卒業生がここから大空へ羽ばたいていくことを願っています。ありがとうございます。

あわりーぬ:・・・特にコメントがありません。こめんとなさい。(チーン)

じゃー僕はそろそろ僕の惑星に帰ろうかな。ちょっと寂しけど。

(ふわふわふわー)

あわりーぬは、生まれ故郷の惑星に帰っていった。

んっ?最後は誰が締めくくるのだ?あわりーぬよ、最後まで締めて帰って欲しかったな。まー仕方ないか。では、僕が締めくくろう。

信じる心。僕は信じる心、という意味がよく分かっていなかったんだと思う。今もまだまだわかっていないんだと思う。でも、正直素直信じる、の破壊力は凄まじい。この真学校自体も何の意味があるのか、そして真学校受講生達がこれからどうなっていくのか、それは行ってみなければ分からないし、行ってみれば分かる事がある。

「人は歩みをとめたときに、そして挑戦をあきらめた時に年老いていくのだと思います。この道を行けばどうなるものか。あやぶむなかれ。歩まずば道は無し。踏み出せばそのひと足が道となり、そのひと足が道となる。迷わずいけよ、いけばわかるさ。アリガトー!」

こうして真学校の1ヶ月は光よりも早く過ぎ去っていくのだった。この1ヶ月で皆は何を学び何を得る事ができたのだろうか。今はそんなことを考える必要は無い。だって、今は楽しい楽しい修了パーティー!!これから皆で楽しいゲームをやるから楽しんでいこーー!!

お・わ・り


第27日目:修了パーティー

さぁ、いよいよ修了パーティーの日がやってきました。
こうしたグループで作り上げることは、受講生にとって心の学びの総まとめ。この日を迎えるまで、感情のぶつかり合いや自己を見つめるいくつものプロセスがありました。それを乗り越えて、どんなパーティーになったでしょうか?

受講生は、子どもたちを喜ばせたい!ということで、子ども一人ひとりの写真を加工し、民族衣装と合成したものが、デコレーションに。早速、子どもたちはそれを見つけて大はしゃぎ!

そして時間になると男性陣は、ハワイアン+チャイニーズ?女性陣はオヤジ風+エスニックの衣装で登場!

作った料理の前で!
作った料理の前で!

こどもたちにも、個々にお子様プレートが!

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こちらは大人用
こちらは大人用

みんなでワイワイ語りながら、食事を満喫していると、「おぉ~!」デザートが出てきた!

 

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よこなお考案の「チェ・ナオグルト」ココナツミルクの中に、小豆とサツマイモ、寒天、イチゴなどの入ったアジアンスィーツ! もう一つのスィーツは、イタリアに料理修行に行ったことのあるわたるシェフの作った、木の花のエコパンとお神酒の搾りかすを使った「米グルトティラミス」!こちらもおいしかったです!

 

このデザートを担当したよこなおちゃんは、デザートセクションを任され、リーダーシップをとらざるを得ない状況に追い込んでもらったことで、心の学びがあったようです。以下は、本人の了承を得て、よこなおちゃんの日記からの抜粋です。


 

修了パーティーの担当がお菓子作りになった。というかみどりーぬに今日急に「デザートどうなっている?」と聞かれて「わたしが決めて良いの?」という思いが出てきた。昨日からわたしがデザートのメインのような雰囲気があったので、一瞬「えっ?」と思う気持ちがあったが、よしやろう!と素直に思えた。
みどりーぬやのりこちゃんが殆ど口を出さずにわたしに任せてくれているのは、わたしの行動しない癖を考えてくれているのを感じるので、その愛を素直に受けてとってやってみる。早速、キッチンののりちゃんとゆみちゃんに、どんなものを作るのかの相談をした。でもいまいち良いコミュニケーションが取れない。どうしてか、一歩引いてみてみる。また相手任せの心がある。まずは自分がどんなイメージでどんなものを作りたいのかを相手に伝えるのが先だ。もう少し自分で考えて、他の人にも相談してから、もう一度整理した内容をのりちゃんに伝える。その結果をみんなにフィードバックして詳しく詰める。

いさどんコメント:ものごとの順序が読めてきています。

みどりーぬに対して一瞬、えっ?と思った気持ち。その背景にあるみどりーぬの気持ちは良くわかるので、この気持ちを出そうかどうしようか迷っていた。でも正直に出すということからすれば、やってみたいと思うので明日実行する。相手がどう思おうが、どんな反応をするのかは気にしない。


 

デザート作りを通して一歩心の成長をしたよこなおちゃん。そのデザートはとってもおいしかったよ。この新たな挑戦を乗り越える体験を次への一歩つながりますように。

おなかが満たされた後は、子どもも一緒にゲーム大会!

じゃんけん列車でじゃんけんをするよこなおちゃん(右)
じゃんけん列車でじゃんけんをするよこなおちゃん(右)

そして、修了証の授与式でした。修了証には、一人ひとりの地球暦と、一人ひとりが乗り越えたこととこれからの課題について、二人のサポーターからのオリジナルな言葉が入っています。

前半・後半二人のサポーターが修了証を授与しました
前半・後半二人のサポーターが修了証を授与しました
修了証書を授与され、いさどんからはなむけの言葉をもらう受講生たち

全員で記念写真を撮って、今晩はお開き!

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疲れて暖炉の前で寝てしまったこどもたちも。

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明日はいよいよ旅立ちです。

 


第25日目:創造性と芸術

今日は天候によって延び延びになっていた「創造と芸術」の授業を行いました。一ヶ月間の真学校も終盤を迎え、受講者に疲れが出ていたり、修了パーティーの準備がしたいという声もあり、希望者を募って行いました。

昨日の朝の温度は7度だったのですが、今日は久しぶりに冷えて1度。吐く息は白く、土には霜柱が立って、歩くとさくさくと心地よい感覚を味わいました。 IMG_8076

この講座は、ネイテイブアメリカンの14歳の少年が行う「ビジョンクエスト」と呼ばれる、成人の儀式からヒントを得たものです。「ビジョンクエスト」は、子供から大人になるときに行う通過儀礼であり、「何のためにこの星に生まれて来たのか」を自然の精霊に請いに行き、自然の中から何かのしるし(メッセージ)を受け取ったら、親元に帰るというものです。

この儀式を、人生の目的を見失った大人に対してワークショップとして行う部族があり、私自身28歳のとき、その儀式を体験し、強い印象を受けたということがありました。

「創造と芸術」のワークは、このビジョンクエストを「朝日を見る」というミニ版で体験し、そこから受け取ったメッセージを詩や絵画や歌にして表現するという風に、メッセージを受け取るということと、自己表現するということを結びつけたワークになっています。ひとりひとりの自己表現を受け止める信頼の場が大切で、信頼の場があるからこそ、表現者は安心して表現する事が出来ます。そしてそこでは、ひとりひとりが個性的存在として尊重されます。

このことは、木の花ファミリーの日常どこでも起こっていることなのですが、改めて神聖なご来光と対面し、そこから発せられるメッセージを受け取ること、そしてそれを普段あまりしない方法で表現するという未知なる体験をするものです。

ひまわりを6時に出発して、ご来光までしばし待ちました。そしてご来光が、美しい光を放って現れました。

ご来光
ご来光

帰ってくると、おいしいおむすびが用意されていました。キッチンさんありがとう。みんなで感謝していただきました。

春のおむすび
春のおむすび

そして、湧泉閣へ移動して、それぞれに受け取ったメッセージを文章にしたり、絵に描くワークを始めました。

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制作タイムを終えたら、一人一人自分の表現したものについてみんなにシェアーしていきます。

最初はのりちゃん。こんなメッセージを書いてくれました。

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文ちゃんの三部作の絵。左から順番にタイトルは「無限の愛と光」「つながる」「神のジュエリー」

三枚合わせて「源」というタイトル。

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みんなからは、「きれい」「あの世ってこんな感じかな」「大きな目が怖い」という人もいました。

次は、みどりーぬの文章。

「わたしは草、私は花、私は空気、私は山、私は石、私は鳥、

私は無限の空間と時間の中で生かされている。私はどこにでも存在する」

みどりーぬの絵にも、大きな目が描かれていました。大いなる目は、今の地球の人類の姿を見て涙を流しています。文ちゃんとみどりーぬの絵を並べてみました。

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由佳理ちゃんは、絵の中にカタカムナ文字を書いてくれました。自分の中を表現し切れたかどうか、表現指数は何%かと聞くと「2%」。頭の中に渦巻くものはなかなか表現できません。

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よしてるくんの作品。太陽と地球の間に人が立って両方をつないでいる姿を描いてくれました。この世界の立て直しをみんなと共にするんだという気持ちが湧いたという。真学校の後はファミリーメンバーになるという宣言をしたよしてるくん。ビジョンクエストを通して次の段階へ進むということを再確認したようでした。

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絵より文章が得意なあわちゃん。今回もたくさんのメッセージを書いて発表し、みんなを楽しませてくれました。そして替え歌まで発表してくれました。タイトルは「あわの流れのように」

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意味は分からないが見えたものをただ描いたという谷なおちゃん。別れた陰陽が一つに統合されていくような絵でした。

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朝日は見ませんでしたが、みんなとおむすびを食べているうちに、そのあとの講座に参加したくなったというたかちゃん。おむすびを食べた後に見た太陽から受けた印象を描いてくれました。

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みんなの発表が終わり、次にメッセージを歌にするワークを行いました。一人ずつ自分の受け取ったメッセージを歌うとき、みんなで音作りをします。みんなで探りながら音を出してゆくのですが、うまくかみ合うとき、様子を見あって流れが創れないとき、といろいろありながら、全員が歌ってくれました。みどりーぬが持ってきた音叉も大活躍でした。

最後に、みんなの描いた絵を一つの絵にしてみました。IMG_8326

 

気分が変わって、再度並べ替え。斜めにしてみたり・・・。

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一人一人が心を深堀する真学校で、ちょっと違った形で世界をどう捉えているのかを表現する時間でした。

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木の花ファミリーの問題点

真学校もいよいよクライマックスとなる26日目、午前中に「心の振り返り」の時間がありました。

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受講生たちは、一人ひとりがそれぞれの目的を持ってこの真学校に参加しました。
1ヶ月を経て、その目的の達成度はどうだったか。
自分が思い描いていた目的の枠を超える世界に出会った人から、今ようやくスタートラインに立ちましたという人まで様々ですが、その詳しい報告は改めてするとして、今日はぶんちゃんのコメントをご紹介しましょう。

ぶんちゃんは、ここに来た大切な目的の一つを達成できなかったと言います。
そして「それは木の花ファミリーの問題です」と。

 

「ごはんがおいしすぎます。
 ダイエットできませんでした。」

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受講前、ぶんちゃんは「菜食の木の花に行ったらきっとやせられる♪」と思っていたそうです。ところがどっこい、おいしくて食べちゃう、食べちゃう。
そう、これは木の花ファミリーのワナなのです。

開校に合わせて、キッチンの壁に貼り出されたメニューリスト。
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出した料理から消していき、期間中に同じ料理は二度と出さないというキッチンスタッフの意気込みが伝わってきます。
 
毎日ぶっ飛びの宇宙視点講座で頭がパンパンになって帰って来ると、ひまわりのホールからおいし~い香りが漂ってきて身も心もほぐしてくれるのでした。

こちらは桜おこわ。春の香り。
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納豆は保存食作りの講座にも登場。
納豆がキライだったはずのきたじゅんも「ここの納豆なら食べられる!」と苦手を克服。
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期間中に誕生日を迎えたいぶちゃんや息子の太郎くんには、お誕生日プレートを用意!
こちらは太郎くんリクエストのオムライス♪ 特大です。
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食事会イベント「恵みいただきます」で食べた創作韓国料理。
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「防災の日」には、ほっかほっかの釜戸炊きごはんも体験。
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お餅つき大会もやりました。
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みんな幸せそう。。
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これじゃあ痩せられないよね(笑)。
 
 

ぶんちゃんは、毎日食事の写真を台湾の友人たちに送っていたら反響がすごかったそうです。そのかいあってか、台湾からツアーを組んで木の花を訪れる企画が現在着々と進んでいます。
あ、いえ、目的はあくまでも食事ではなく“心の学び”ですが。いついかなる時でも、木の花ではおいしいごはんで皆さまをお迎えします。

 

以上、木の花ファミリーの問題点でした!

 

※注
おいしさゆえについついたくさん食べちゃう木の花ごはんですが、ある程度の期間滞在すると、健康的に痩せていく人が多いです。^^
 


第24&25日:天然循環法・農 – 稲作

3月10日の午前には、天然循環法―農の最後として、稲作の講義がありました。
以下、初講師を務めた田んぼ隊のこまねちからのレポートです。


冒頭に、稲作に関するスライドショーを見ました。田んぼではどんな作業をしているのか、イネがどのように成長するのかが紹介されました。

そして、稲作に関するプレゼンがありました。そのテーマは「田んぼはすごいな尊いな」です。真学校の受講生たちは農業をやりたいわけではないので、農業的な知識はできるだけ省き、地球における稲作の大切さや尊さを日本神話やカタカムナ、環境保護の視点などから伝えようとしていたプレゼンでした。

質疑応答では受講生から様々な質問や思いが出て、関心の高さが伺えました。

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その後、田んぼに入る水はどこからやってくるのかを実際に見るために、用水路を上流の方へと辿っていきました。

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上流へとさかのぼっていくと、森の中の湧水のような気持ちの良い所があり、そこで受講生たちは「こんな素晴らしいところから下流の田んぼに水が流れてるんだ」と思ったのもつかの間、さらに上流へと進んでみると堰堤のようなコンクリート構造物のある所に出ました。田んぼ隊のまこっちゃんは言います。

「天然循環法っていうといかにも人工物に頼ってないイメージとか、自分たちだけで善い事やってますっていう感じがするかもしれないけど、僕は全然そうは思わない。自分たちだけでってことは決してなくて、例えば水ひとつとっても、誰かが昔こういうのを作ってくれていて、地域とか村単位で利水してる。人工物に頼る頼らないはどっちでもよくて、「天からの頂き物とのつながり」をどれだけ意識して実践するかが大事。」受講生たちはうなずいていました。

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翌11日の午後には、田んぼに実際に行きました。折よく晴天で富士山が見守る中、まずは広い田んぼを皆で歩き回った後、「チェーン除草機」を曳いたり「手押し除草機」を押したり、「備中」で田んぼを耕したりしました。田んぼ隊からの話を聞きながら、受講生たちはそれぞれ自由に遊んでいました。とても楽しかったようです。

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手押し除草機で楽しむみへちゃん&ゆかりちゃん

 

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チェーン除草を試みるたかくん

 

その後のおやつタイムで、受講生たちと田んぼ隊で色々な話をしました。農作業に対する姿勢、お米に対する思いなどが話される中で、何が大切かを受講生たちはそれぞれ感じ取ったようです。

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受講生の声を紹介します。

「楽しかった!」

「木の花の食べ物がなんでこんなに美味しいのかが分かった」

「除草って大変すぎ。お米の有難みが分かった」

「稲が植わってる時に講義が受けられたらなお良かったけど。それ以外はベストだったと思う」

「田んぼの畦にしばらく寝っ転がっていたら、すごく疲れが取れて頭痛がなくなった!」

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第22&23日目: 世界観を広げる

今回の真学校における2人目のゲスト講師、ひらぴーを招いての講座でした。

講師のヒラピー
講師のヒラピー

3月8日の午後と9日の午前の時間を使い世界観を広げるワークショップを行いました。

いくつかのワークをやった中で、受講生の印象に残ったのが、初日の3パターンのハグをするワークと、2日目の自分はどんな人なのか、他者からの視点をもらうというワークでした。
その学びについて、本人の了承を得て受講生の日記から抜粋させてもらいました。

まずは、のりちゃんの日記から、

「世界観を広げる講座の中で、3パターンのハグをすることになった。1回目は自分流に。2回目は目を見つめながら、3回目は相手を神聖なるもののように思いながら。

印象に残ったのは、相手を神聖なる物として見てハグをすること。神聖なるものと接するので、ぞんざいにできるはずはなく、謙虚な気持ちになる。動作も丁寧な上、ハグをしている自分の心が大いなるものに自分をゆだねて透明で一切の私心が無い。静かだが足は大地にしっかり根差している。高揚感は無いが、気が満ちてくる。不思議な状態になった。3回目のハグを終了した後、振り返りをしている間、意識が高いところへいってしまった感じがした。この体感を身体に深く記憶させる。会う人、もの、こと、全てに接する際に、神聖なもの、天、神と対峙するように接する。そのためにこのワークがあったのだと思う。」

いさどんコメント: この世界は、神の体。全ては神聖なものですね。

3タイプのハグのワーク
3タイプのハグのワーク

そして、みどりーぬの日記から、

3種類のハグをした。
「フリースタイル」の感想は、普段話していても気づかないが、相手が予想以上にでかいと感じた。相手によってハグをしても一体感がある人とそうでない人がいた。そして面白かったのが、リラックスしている、していないで筋肉の反応が異なった。こちらが勝手に苦手意識を感じている人に対しては、筋肉が緊張していたのを感じた。苦手が筋反射という現象として表れた。

「目を良く見てハグ」は目からの情報のみでも、より相手との距離感が縮まるなと感じた。相手によってなのか?そのときの感情で左右されるのか?はわからないが、目を合わせているにもかかわらず、視覚に入っているにもかかわらず見えていない。いや、見たくないから見ていないのだろうか?実は真学校に入る少し前から、この視覚の不思議な感覚に氣付いていた。

「うつ病」の人に見られる特徴も良く似ている。今までだった何人かのクライアントが、カウンセリング時に目を閉じたまま受け答えをしていた。目から入ってくる情報で頭が疲れるから、目を開けていられないのだそう。その問題に向き合いたくないから「見たくない」「言いたくない」「聞きたくない」と全てを閉ざしているようにしか見えないと思っていたことが確信となった。
人にコントロールされると思い込んでしまいがちだが、実は自分が自分をコントロールしていることに氣づいた瞬間に世界がひっくり返る。自分の「心」を感じること。そこから目をそらさない。

いさどんコメント:人に対して何かをしてあげると思っている場合、もらっていることを忘れていることが多いですね。わたしたちは、この世界で生きているすべてで学びをいただいている立場なのですね。大切なことに気付いています。


そして、2日目の他者からの視点をもらうワークでの学びについて、みへちゃんは以下のように書いています。

ヒラピーの授業、苦手な人を思い浮かべて言葉をかけるワークがとても印象的だった。わたしはその苦手な人に「肩の力を抜いて良い」「周りを信じていい」と声を掛けていた。まさに自分への声えがけであったことにびっくりした。
いさドンコメント:それは面白い発見でしたね。

自分の悪いところ、良いところを伝えてもらう際、気が付いたことは、わたしは
- 理想がとても高く、多くを求め、それゆえ失敗すると落ち込む
- 注意散漫になりやすい だった。
講義が終了すると、どこか爽やかな気持ちになった。

いさどんコメント: なぜそうなったのか、振り返ってみてください。

相手にしたアドバイスを自分にしたらどう感じる?
相手にしたアドバイスを自分にしたらどう感じる?

それぞれの学びが、日々続いています。


第22日目:微生物資材の培養 (午前)

今朝の前半は、木の花ファミリーのあちこちで使われている木の花菌と呼ばれる微生物資材の培養について、木の花菌づくりの発案者であるいさどんと製造担当者のひろみちゃんの講義がありました。以下、講師を務めたひろみちゃんの講義レポートです。


木の花菌とは、EMをベースに、木の花でオリジナルに培養している微生物資材で、木の花ファミリーの生活のあらゆるところで利用されています。

木の花菌仕込中!
木の花菌仕込中!

木の花菌の培養が始まったのは、今から約25年前、農法について模索していたいさどんが、新聞記事の中にEMを見つけたことがきっかけでした。

それはEMを使ってスイカを栽培している農家さんの記事でした。早速会いに出かけた車の窓から見えた周囲の景色は、いつもより美しく輝いて見えたそうです。いさどんは、何か新しい扉が開く事を予感したそうです。

この出会いがEMの開発者の方との出会いに繋がり、木の花に木の花菌の培養技術が確立していくことにつながりました。

必要な出会いは、必要なトキに、必要なトコロにやってくる。

だから、流れがやってきたら、ただその流れにのっていけばいいのです。そういった生き方をしていくことです。

講義は、こうした物語から始まり、微生物のこと、木の花菌の作り方や使い方を学びました。

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第21日目:3回目のフリーデー

真学校が始まり3週間がたちました。受講生の心の成長も人それぞれですが、どの人にも着実に変化が観られます。

今年は昨年のEDE(エコビレッジ・デザイン・エデュケーション)のプログラムよりも、ずっとゆとりのあるスケジュールになっていましたが、それでも勉強熱心な受講生は、フリープログラムの時間も、お神酒作りや養蜂、コンポストトイレ作りなどについて学ぶ時間にしていました。

そんな受講生も、今日はしっかりと休息をとって最終週に備える人も多かったようです。

午後は畑やキッチン体験をする人も。

夕食後は、3月に生まれた人たちを祝う月例のお誕生日会が開催されました。
今月は3日のおひな祭りが平日だったので、ひな祭りも兼ねました。
着物を着た小学生のきよ、みのり、みこの3人と新1年生になるひみこが「さくら さくら」を舞いました。

「さくらさくら」の舞
「さくらさくら」の舞

その後、れいちゃんとみほちゃんからこの地球生態系の豊かさを表した人形劇のプレゼント。

みほちゃんとれいちゃんの人形劇
みほちゃんとれいちゃんの人形劇

そして、真学校生も出し物をしましたよ~!
「バンザイ 君に会えてよかった!」の替え歌とダンス!

自分の枠を壊すために股引腹巻の禿げおやじに挑戦したよこなおちゃんと金髪美女のわたるくん(左) そして、あれ?こうちゃんがいる?!
自分の枠を壊すために股引腹巻の禿げおやじに挑戦したよこなおちゃんと金髪美女のわたるくん(左)
そして、あれ?こうちゃんがいる?!

こうちゃんがあまりにも似ていて、みんな誰がこうちゃん役かがわかりませんでした(笑)

ルンルンランラン、ちなっぴーです!
ルンルンランラン、お目目キラキラちなっぴーです!
ギターの上手なキタジュン
ギターの上手なキタジュン

 

そして、トリを勤めたのは、木の花劇団。
問題ごとを自らを知る機会とし、自らの心を振り返り、自己コントロールすることで、誰もが楽しく調和して生きることが出来ることを描いた木の花劇団の書き下ろし作「貧乏神と疫病神」が演じられました。

 

左から貧乏の神役のあやちゃん、祟り神役のゆみちゃん、疫病神役のみきちゃん
左から貧乏の神役のあやちゃん、祟り神役のゆみちゃん、疫病神役のみきちゃん
木の花劇団
木の花劇団+いさどん

最後は、おなじみ花祭りの舞をみんなで踊り、楽しく温かく夜が更けていきました。