当たり前の仕組み・お財布ひとつの経済

1ヶ月間の真学校・第11日目の講座は「経済革命」。お財布ひとつで暮らす木の花の経済を事例として、21世紀の経済のあり方を探求します。
講座冒頭、「話すことが湧き上がってきて噴火しそう」と、いさどん。さて、どんな話が出てくるのでしょう?

「経済革命」講座用プレゼンテーションの表紙
「経済革命」の講座用プレゼンテーション表紙

いさどん:
今日は、木の花の不思議の一つ、経済についてお話しします。
(スクリーンに映し出されたプレゼンテーション表紙のスライドを見ながら)きれいな写真ですね。これは、いさどんが担当している木の花の蓮池の写真です。

今、世界の国々は、経済について一番興味を持っています。経済と言えば、世界にはタックスヘイブン(租税回避地)という不思議なところがあり、アングラマネーが世界中に横行しています。アングラマネーとは、通常の経済の表面には現れない、裏に回ってしまったお金です。今、世界のお金の動きはマネーゲームのようになっています。現在、世界で取り引きされるお金のうち、実際に物やサービスを提供することによって発生する実体経済の占める割合はわずか1%とも言われています。その他はすべて、株式や外国為替取引のような実体を伴わないコンピューター上でのやり取りです。
そして現代の人々は、お金に追われ、お金を求めることによって豊かさを探求しています。お金が豊かさを与えてくれると思っているのです。
そもそも、お金とは何だと思いますか?

シャオラー:
物と物を交換するための道具です。

いさどん:
そうですね。物と物を交換する時に便利だから、お金を使います。言い換えると、物の流通を円滑にするためということです。では、本来お金は世の中にどんなものをもたらすものでしょうか?

シャオラー:
公平に交換できるようにする。

いさどん:
公平に交換するということは、どういうことですか?

なかのん:
隅々まで行きわたらせる。

いさどん:
隅々まで行きわたらせ、循環させる。そういった状態のことを、何と言いますか? ──── そう、健康です。お金は本来、世の中を健康にするものなのです。
さて、お金は隅々まで公平に行きわたることで、世の中に健康をもたらすものですが、それと同じ働きをするものが、私たちの体の中にもあります。さぁ、何でしょうか?

レイチェル:
血液!

いさどん:
ピンポンピンポーン♪血液には、心臓というポンプがあります。これは人間の社会で言うと、中央銀行のようなものです。それが社会へお金を送り出すのです。送り出されたお金は、社会全体の必要なところに必要な分ずつ、くまなく行きわたり、全体が循環している。それがお金の働きで、社会を健康にします。それと同じ機能が、私たちの体の中の、血液の働きです。心臓のポンプから送り出された血液が、必用なところへ必要な分量ずつ平等に行きわたり、体の各機能が健全に働いて全体が循環すれば、私たちは健康でいられます。
その血液の流れがどこかで滞ると、どうなりますか?

こうたろう:
病気になる。

いさどん:
そうです。血液が滞れば、私たちの体は病気になります。そしてお金が滞れば、社会が病気になります。
さて、ではもう少し視野を広げてみましょう。人間の体を循環して健康にさせるのは血液ですね。そして社会を循環して健康にするのはお金です。では、地球の血液の働きをするものは、何でしょうか?

クワン:
水!

いさどん:
そうです。水です。水よりちょっとゆるい循環になりますが、大気もそうです。皆に平等に行きわたります。さてそれでは、さらに視野を広げましょう!太陽系の血液は、何だと思いますか?

レイチェル:
光。

いさどん:
なるほど、光でもいいですね。では答えの中に光も入れましょう。もう一つあります。それは太陽磁場です。太陽の磁場が届いているところが太陽圏なのです。銀河系の血液も磁場です。
さぁ、それでは、宇宙全体の血液は何でしょうか?

ゲェウ:
時間ですか?

いさどん:
実は宇宙には時間のないところがあるのですよ。銀河が変わると時間も変わる可能性があります。宇宙はとても大きなものですが、その宇宙の血液は、なんと私たちも持っているものなんですよ。

クワン:
エネルギー?

いさどん:
エネルギーは無いところとあるところがあり、全体に平等にとはいかないですね。

ようたろう:
意識?

いさどん:
そうとも言えますが ──── 正解は、スピリットです。宇宙はひとつのスピリットのもとに、すべてが循環しています。宇宙のスピリットとは、簡単に言えば、神様の心です。

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いさどん:
私たちの体、社会、地球、太陽系、銀河、そして宇宙。それぞれに、全体を循環する血液の役割を果たすものがあります。さてそれでは、こういったものが存在する目的は何でしょうか?

ゲェウ:
生きるため。

いさどん:
なるほど。そうでもありますが、もっと簡単なことですよ。

こうたろう:
健康になるため?

いさどん:
健康のもとです。それは、その世界をひとつにつなぐ、ということです。全体を循環することで、全体をひとつにするのです。これが大事です。ここを通らなければ、木の花の経済は語れないのです。

経済とは、お金の流れです。では、木の花の中でお金の流れはどうなっているでしょう。
木の花の中のお金は、ひとつです。皆さんの会社や家庭の中で、お金はひとつではないでしょう?でも木の花では、お金はひとつなのです。みんなでひとつの財布です。つまり木の花の経済は、私たちの体や地球、太陽系、銀河、宇宙の仕組みと同じなのです。それはこの世界の仕組みそのものですから、当たり前のことですね。ところが、この当たり前のことが今の人間社会にはできないのです。
僕はいろいろなエコビレッジなどに招待されて行くことがありますが、皆さんのところではお財布はひとつですか、と聞くと、そうではありませんね。たった「財布ひとつ」ができない。なぜだかわかりますか。それはスピリット、つまり、心がひとつではないからです。

木の花の経済は「財布ひとつ」ですが、それを循環させる心臓の役割を今日は連れてきました。

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いさどん:
経理のなかのんです。木の花の心臓です。よろしくお願いします。

(みんな拍手!)

みかこ:
金は天下の回り物、と言いますね。

いさどん:
おもしろいですね。「天下」とは天の下、つまり地上のことですね。
木の花の経済は「目から鱗」と言いますが、実は当たり前のことです。天の恵みを世の中に広げる、天然循環経済。その基本が、財布ひとつということです。
財布ひとつと言うと、みんなびっくりします。でも、地球の水はひとつですよね。液体だったり個体だったり気体だったりしますが、それは循環しているだけで、ひとつです。空気もひとつですね。今私たちは、ひとつの空気を共有しているじゃないですか。これはみんなの中を循環し、みんなを健康にするものです。そしてこの世界をひとつにします。お金もそうでなければなりません。それは、私たちの体を流れる血液と同じなのです。

もしも皆さんの会社や所属する組織がお財布ひとつだったら、とても便利がいいですよ。自分の貯金なんて確保しなくていいのです。お金が必要になった時に、お財布の中身が足りない、どうしようなんて考えなくても、全体のお財布から持ってくればいいのです。その代わり、自分が日々働くことは全体のためであり、お金も全体に入ります。自分は全体のために働き、自分が何かを必要になった時は全体から供給されます。ということは、自分のためだけに、なんて考えなくてもいいのです。とても楽だと思いませんか?とても楽で理に適った当たり前のことですが、それを聞いてみんな驚くのです。

でも皆さんは、そんな世界を求めているのではありませんか?

 

 


ジオセントリックからヘリオセントリックへ ~「己読み」を学ぶ意味

「人格を学ぶ講座3」は、いよいよ地球暦を使った「己読み(こよみ)」に入ります。
「己読み」とは、太陽系の惑星配置を通してその人の天命を読み解くものです。なぜこれを学ぶことが大切なのか。その意味を、いさどんが語りました。

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いさどん:
おはようございます。いさどんでございます。毎日いさどんです。
今日は、地球暦というものについて、いろいろな情報を学びます。

「地球暦」ですから、暦のことです。宇宙の構造をだんだん正確に知っていくにつれて、宇宙はいろいろな星と星が対話しながら成り立っているということがわかってきました。それは、私たちがこの地球で生きている姿と同じです。私たちは地球で、時と空間を共有し、地球と共に宇宙を旅しています。
私たちは生きて、宇宙を旅していますが、それを私たち一人ひとりが自分の意志でコントロールすることはできません。ちょっと皆さん、宇宙空間に、自転しながら公転し、太陽と共に旅をしている地球の映像を思い浮かべてください。そしてその上に存在する、私たち人間の姿を思い浮かべてください。私たちの姿は、想像できないでしょう?何故なら私たちは、その小さな地球にへばりついている、微生物のようなものだからです。
そのたった1個の微生物である私たち一人ひとりは、地球という天体、或いは太陽と惑星の天体群に対して、どれだけの影響を与えられるでしょう。能力としては、何もできない状態です。私たちの体の中にはたくさんの微生物がいますが、その微生物の1つが、私たちに何か影響を与えているとは思えませんね。そして私たちも、自分の体内の微生物に対して、何か会話をして連携を取るということはしていません。
ですが、食についての講座では、その微生物の働きについて学びます。微生物は、実は私たちの体の健康をコントロールしてくれています。宇宙空間を旅している小さな星と、その星にへばりついている微生物一つひとつの関係も同じです。微生物と星の関係は、とても密接に結びついて、共に旅をしています。つまり、あなたの健康が、地球の健康になっているということです。おなかの中の微生物の状態が健全ならば私たちが健康であるように、同じことが地球と私たちの関係にも言えるのです。
それは、広い世界観を持っているからこそ分かることです。それが私たちが日々暮らしているこの自然生態系の姿です。

ところがですよ。私たち人間一人ひとりは、そんな意識を持っているでしょうか。持っていませんね、人間以外の動植物もそんな意識は持っていませんが、動植物は自然生態系の仕組みの中にきっちりとはめ込まれて、そこから外れることはありません。それは、自我を持たない状態です。自我を持たず、自然のままに生きています。その状態は、人間が自我を超越し、高く優れた精神状態に至った時の姿と同じです。
ある意味、人間は自我を持つことにより、自らの立場や役割を忘れて、精神状態が低くなっているということが言えます。大切な役割を失っている状態です。

その話を聞いても、私には関係ないと思っている人が世の中ではほとんどでしょうか。それは本当は罪なことです。私たちを生かしてくれている、そしてその体と一緒に旅している地球に対して、罪を犯しています。ですから、真学校の始まりの時に、いさどんは小劇場をやりましたね。

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*真学校第1日目の挨拶「これ以上、皆さんを前に進めさせません」より

ちょっといさどんは、人間たちに怒りがあります。それは人間に対してというよりも、自分に対する決意でもあります。自分も人間ですから、自分にも責任があるということです。この大切な人間の持つべき自覚、それを人々に伝えていく。それが、この道を歩み始めてからのいさどんの人生の目的です。
地球暦を学ぶということは、地球が中心にあり、その周りを他の星々が周っているかのような自己中心的なこれまでの捉え方ではなく、天体は皆力を合わせ、対話し、共に宇宙を旅していることを学ぶ、ということです。それは、地球生態系の中で私たちが他者によって生かされながら、同時に他者に対して役割を果たし貢献しているのと同じ仕組みです。私たちの体も、そのような仕組みで成り立っています。
これまでの捉え方を、ジオセントリック(地球中心)と言います。それは自己中心的なものの見方で、人々は自分の都合のいいように人生を歩み、世界に不調和をもたらしてきました。これから学ぶのは、ヘリオセントリック(太陽中心)という宇宙の捉え方です。天体たちは太陽に心を向け、互いに対話しながら、調和し、共に宇宙を旅しています。その視点を持たなければ、私たちは、地球に平和をもたらすものにはなれないのです。

調和するとは、他者を尊重し、そして自らを生かすことです。21世紀の始まりにあたり、私たち人類はまだまだ、20世紀型の自我を優先した不調和の中に生きています。ですが、時代はヘリオセントリックの調和の姿のように、私たちを新しい世界へといざなっているのです。その宇宙のメッセージを早く受け取った者たちは、今の社会に先駆けてそこに目覚め、世の中を良くするために自らの意識を高める、という動きをします。そのような、高く、優れた視点を持つことが、私たち自身の価値を高めることなのです。

そろそろ、お金やモノに豊かさを求めるのではなく、平和で調和した社会の中に豊かさを見出す時がやって来ました。そして私たちは、そういった世の中に対して役に立つために、しっかりとした意識を持って生きていくのです。そのような高い意識で他者に対して役立てる人生を生きた時、それは本当に豊かで、充実した人生になるのではないでしょうか。

皆さんはそのことについてどう思うのかという意味で、いさどんは皆さんに訴えたい。もうこれ以上今までのような人類の在り方で、皆さんを前へは進めさせません。ストップ!

 

 


地球が回っていることを、感じていますか?

1ヶ月間の真学校・第9日目。
「人格を学ぶ講座  基礎編-2」は、いさどんのこんな話から始まりました。

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いさどん:
おはようございます。
皆さん、地球が回っていることを、感じていますか?

僕は朝目が覚めて、「ああ、今日も朝が来たな」と思いました。昨日も朝が来ましたね。一昨日も来ました。この調子で行くと、明日も朝が来ます。いさどんの思考はユニークですから、変化するのも単調ではなく、いろいろあってもいいじゃないか、と思うのです。そうすると、この世界で一番単調なのは、時が刻まれていくようすです。

人はそれぞれの意識を持って、毎日時と付き合っています。自分の興味だけに没頭して生きている人は、時を感じることを忘れています。「もう一日たっちゃった」「忙しい」「まだ他にもやることがある」と言って、時のことを忘れて、忙しい状態にいるのです。
「忙しい」という字は、「心」を「亡」くす、と書きます。「忘れる」という字も、「心」を「亡」くすと書きます。「忙しい」とは、忙しくて時の経つのを忘れた ──── つまり、天の法則を忘れたということです。そして「忘れる」とは、人の心を忘れるということです。

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個人的な話をします。
僕は朝目が覚めると、「朝が来たな」ということを感じます。朝が来たということは、一日時が動いたということです。ではなぜ時が動いたのかと考えると、僕は、地球が回転している動きを感じるのです。その時に、「天と共に生きている」ということを思い出すのです。
天の心を亡くす、つまり、天とのコミュニケーションをなくすと、忙しい、スケジュールいっぱいの状態になります。それで、ああ、時が動いているな、時と共にあるな、ということを、何かのタイミングで思い出すのです。「思い出す」ということは忘れていたということです。それが元に戻るのです。

皆さん、時々、時が動いているということを思い出してください。スケジュールがいっぱいで忙しい時ほど、時が動いているんだな、ということを思い出してください。私たちがどんなに忙しくても、時は同じリズムを刻んでいきます。カッ、カッ、カッ、カッ・・・これは地球が回る音です。そして明日が来るのです。
どんなに大変なことが起きたとしても、その先に必ず、次の世界がめぐってきます。ですから、忙しくてどうしようもないとか、何か大変なことが起きてもう先がないと思うのは、人間の心です。どんなに自分が認められないことが起きたとしても、必ずそれを取り込んだ先の世界がやってくるのです。

この世界の現象のすべての中心を貫く柱、それを天之御中主(アマノミナカヌシ)と言います。その柱は一方通行です。
過去から未来へ一方通行に進むトキ軸によって、この世界は支えられています。時という柱があり、その法則の下に宇宙全体が動いているのです。そして銀河、太陽系、地球、私たち一人ひとり、その一つひとつを、アマノミナカヌシの分身であるアメノミナカヌシが貫いています。
しかし、人間は忙しいと、そのアメノミナカヌシの存在を忘れています。それは、天の心を忘れ、人間の心も忘れている状態です。だからこそ、時々、地球の動きを感じてみることが大事なのです。地球の動きを感じて、私たちは天と共にあり、生きることをいただいているのだ、というところに立ち返るのです。

忙しい状態で生きていると、心を忘れているわけですから、その結果起きてくる現象も、どこか的が外れたものになります。何かが狂ってくるのです。確実にそうなります。
一方、時の変化を感じ、天の心と人の心が連動していれば、そこで生きていることがうまくかみ合うようになります。木の花ファミリーは、目的を実現しようと努力をしたり、企んだり、こうなってほしいという願望を持つことはあまりありません。ただ、今あるがままを生きているだけですが、出来事や人との出会い、モノやお金の流れなどが、とてもうまいことかみ合っていきます。天の動きと人の動き、アマノミナカヌシとアメノミナカヌシ、それが一致していると、自然とそうなるのです。それは、駆け引きの必要のない世界です。何かを成し遂げようとするための努力は要りません。ただ、心を美しくするための努力をすれば、ことは自ずと流れるようになります。
私たちは、この世界と連動しています。何かしら自分の思惑と違うことを与えられた時、そのことの奥にある意味に気付いたなら、生きることはずっと深くなるのです。

これまでの講座で、現代の世界情勢を観てきました。今、世界は混乱しています。なぜ混乱しているかというと、新たな価値観に変わらなければいけない時に来ているということです。それは時代の要請でもあるのです。
時代が混乱している原因は、もう一つあります。人間の自我です。私たちは一人ひとり自我を持っています。その自我の側に偏っていることによって、世界に混乱が起き、私たち自身が変わらなければいけない時が来ています。
しかし、では人間の自我が悪いのかというと、それもまた時代の要請でもあるのです。時代が要請するということは、私たち人間もその中に共にあるのですから、自我の使い方が混乱を生む方向から、自我の使い方が世界の混乱を収めるという方向に、自らを切り替える時が来ているのです。私たち人間の持つ自我は、とても個性的で、多様性に富んでいます。それは植物や動物のような、単純なものではありません。そして多様性に富むからこそ、そのたくさんの自我たちが連動していないと、世界に混乱をもたらすのです。

この「人格を学ぶ講座」では、人格を学ぶ、つまり自我の中身を理解するということで、まず自分の自我がどういう形になっているかということを学びます。そして、ではどんな自我があるのかという多様性を今、学んでいます。
これは、とても愉快な世界です。何という多様性の世界でしょう。しかしその多様性ゆえに、お互いを理解し合えないと、その多様性が混乱のもとにもなります。一人ひとりの人間が、自分に意識が行きすぎると、自我が強くなります。そうすると天とのコミュニケーションを忘れ、忙しい、忙しい、と生きることになります。そして人の心を忘れることになるのです。ですから、私たちはもっと心に余裕を持たなければいけません。

どうぞ皆さん、時々、この地球の動きを感じてください。朝が来た、でもいいですし、夜が来た、でもいいです。その、一日の動きを感じてください。そうすると、「忙しい」とか「忘れる」のサイクルではなく、人は天と共に生きるサイクルに戻れるのです。

 

 


たくさんの人に明るい人生を与えてください ~ 私たちが「人格」を学ぶ意味

1ヶ月間の真学校・第8日目。
いよいよ、1ヶ月間の中でももっとも多くの時間をかけて学ぶ「人格を学ぶ講座」が始まりました。以下、講座開始にあたってのいさどんのお話をお届けします。

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いさどん:
新しい週が始まりました。先週1週間は、現代の世界情勢を知り、宇宙をカタカムナで分析するということをやりました。私たちはどういった時代に生き、その中でどのような個性を持ち、どう生きているのか。その結果、自分自身がどのような状態になっているのか。多くの人は、そのことを詳しくはわかっていません。

人生の波があるとしますね。ある人は、その波の中を泳いでいます。ある人は、波にのまれて溺れています。泳いでいるのは、自分の意志がはっきりして、人生を歩んでいるという意識のある人です。一方、人生の海で溺れている人もいます。それはあまり印象の良い人生ではないですね。もうひとつ、サーファーのようにその波を楽しんでいる人もいます。しかしその楽しんでいることが、良いことなのか悪いことなのかは、理解できていません。

人間は、自らの感情的な欲求を満たしてやることが幸せだと、勘違いしているところがあります。それが幸せだと思っていても、実は社会や、自分自身に対してさえも、良くない事をしている場合もあるのです。不幸だと思っていることが、実は今の社会の仕組みや今の時代を表していることもあります。ですから私たちは、自分のしていることがどのようなことなのかを、もっと大きな視点から観る必要があるのです。特に、溺れている人にとってそれは大切なことです。元気に生きている人たちにとっても大切です。なぜなら、その元気で幸せな暮らしが、世の中に悪い影響を及ぼしている可能性もあるからです。

今日から、「人格を学ぶ講座」に入ります。人格とは、皆さん一人ひとりの性格です。人間はそれぞれの人格によって物事を判断し、そして行動します。その行動の結果を受けて、喜んだり、悲しんだりするのですが、その受け取り方もそれぞれの人格によって変わります。皆さん一人ひとりの人格が、人生のすべてにおいて影響しているのです。

私たちは人生の中で様々な出来事に出会いますが、同じ出来事に出会っても、それに対する反応は人それぞれに違います。ところが人生を雑に生きている人は、みんな一緒だと思っています。そして自分の考えを正しいと思っている人は、人にそれを押し付けます。親が子どもにとか、先生が弟子にとか、政治家が国民にというように、いろいろな形があります。優れているとか、正しいという立場に立っている人ほど、そういうことをするのです。

人格を学ぶと、人間は一人ひとり違うことがわかってきます。私たち一人ひとりは地球の細胞であり、各細胞はパラボラアンテナでもあるのです。一人ひとりがそれぞれの独自の視点からこの世界を感じ、得たものを情報として社会に共有すると、社会はその多様性ある反応を分析し、結果としてみんなが喜ぶ世界になります。私たちはアンテナを張り、情報を集め、それぞれに得た情報を共有して、地球が健全になっていくために活かしていけるのです。

人間の体は、ネットワークです。このネットワークは、様々な機能が連携し、互いに情報交換しながら、人体というひとつの生命体を成立させています。そこでは細胞の一つひとつに魂があり、意志があり、それぞれに独立した自分のポジションで得た情報を互いに交換しながら、人体全体の健康を保っています。その姿は、地球生態系とまったく同じです。地球生態系が健全であるためには、私たち人間が、それぞれに違ったポジションで得た情報を互いに交換しながら、その情報を地球全体が健全になるように活かしていくのです。

そのためには、皆さん一人ひとりの人格の個性を理解することです。いろいろな人たちの情報を得て、それを正しく活かすと、社会が健全になります。そして、なぜ自分はこんな出来事に出会うのだろうかとこれまで疑問に思っていたことの、発生の仕組みが理解できると、一人ひとりも明るく健康になります。人は、暗くて物が見えないと不安になるのです。しかし、その問題が解決しなくても、どうしてそうなったのかがわかるだけで楽になるのです。

そんなことについて、この講座では学んでいきます。皆さん一人ひとりの現在の状態を明るく軽くすると同時に、これをしっかりマスターして、たくさんの人に明るい人生を与えてください。

 

 


ちょっとブレイク 〜 御神酒造り

1ヶ月間の真学校は、毎週土曜日がフリータイム。受講生は思い思いに1日を過ごし、外出する人もいれば、味噌仕込みや蕎麦打ち、お菓子作りなど、いくつかのフリープログラムの中から受講生同士で相談をして、やりたいものを選ぶこともできます。
今日は、やすえどんによる「御神酒造り」がありました。

微生物と対話する「御神酒造り」
微生物と対話する「御神酒造り」
やすえどん(右)と受講生のクワン
やすえどん(右)と受講生のクワン

以下、講師のやすえどんより ─────

 

御神酒造り

木の花ファミリーでは、手造りの御神酒を祭事や新月、満月の時に私達が恩恵に預かっている食べ物と共に、神に捧げ感謝して頂いています。お酒と言いましても、糖化醗酵中の甘酒状態のもので、栄養価に優れ「飲む点滴」とも言われています。
お酒には、何かしら皆んなの心を一つにする力がある事を感じ、御神酒造りの提案をさせて頂いたのですが、何と、日本、中国、台湾、タイ王国からの真学校生ほぼ全員の参加があり、この世界を元気にするカタカムナのウタヒを響かせながら、粛々と取り行うことが出来ました ♪

カタカムナ第63首を響かせながら御神酒を仕込む
カタカムナ第63首を響かせながら御神酒を仕込む

「固めの盃を交わす」と言う言葉がありますね。意味は、人と人との結びつきや約束事を確かにするために盃を取り交わして酒を飲む事とあります。目には見えない心のつながりをこうして紡いでいくのですね。又、御神酒は、神への捧げものであると同時に、身を清め神との一体感を高めるための飲み物でもあります。つまり、心を綺麗にしていく事が大切だと言うことですね。

お酒を造ることを「かむ(噛む)」と言います。
「かむ」→「かむす」→「かもす(醸す)」
「口噛みで酒をかむす」「酒を醸す」

日本列島での米の口噛み酒は、縄文時代後期以降であると考えられており、米などの穀物や芋、木ノ実などを口に入れて噛み、それを吐きだして溜めたものを放置して造るお酒のことを言います。大和(古代日本)や台湾では口噛み酒は神事の際にも造られており、原料を口で噛む人間として巫女や処女が選ばれていたと言います。中国ではこれを「米寄(ミィーチー)」と言ったそうです。
ちなみに、口を噛み噛みして動いたところを「こめかみ」と言うのですから、日本語に秘められている意味を知ると実に道理にかなっており面白いですね ♪

by やすえどん

 

天気が良かったので、御神酒を仕込む「本宅」まで歩いて行きました
天気が良かったので、御神酒を仕込む「本宅」まで歩いて行きました

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本宅の釜戸小屋にて、まずは「四拍手」で場を清めます
本宅の釜戸小屋にて、まずは「四拍手」で場を清めます

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富士浅間木の花祭りで世界中から届いた清水を注いでいきます
富士浅間木の花祭りに寄せられた世界中の清水と浅間大社の清水を注ぎます

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糀の投入
糀の投入

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今回の御神酒は黒米を使用
今回の御神酒は黒米を使用
一段落したところで、先に仕込んでおいた御神酒の試飲
一段落したところで、先に仕込んでおいた御神酒の試飲
カンパーイ♪
カンパーイ!
楽しかったね♪
楽しかったね♪

 


世界に新しい価値観をもたらすには まず自分を解放してあげなさい

今日の午前中は「人格を学ぶ講座・序章」の予定でしたが、まずは昨日終わることができなかった「カタカムナ2」のプレゼンテーションを終わらせ、それから「人格を学ぶ講座」に入ろうということになりました。ところが、話が深まる深まる。やっぱりカタカムナは終わらず、「人格を学ぶ講座」は次へと持ち越しになりました。その場の流れに沿いながら、行き先は天任せ。真学校のプログラムは常に流動的なのです。
さて、カタカムナの「ミノナライ」の解説中、「考える」ということについてこんな話がありました。

「ミノナライ」について語るいさどん
「ミノナライ」について語るいさどん

いさどん:
昨日、大人ミーティングでメンバーのじゅんぞうくんが僕に質問をしました。それに対して、僕は答えを言いませんでした。なぜなら、僕がすべてを答えてしまうと、じゅんぞうくんはその内容を覚え、それを手法として自分に取り入れようとするからです。そうすると、じゅんぞうくんはいさどんを先生にして、いさどんから正解をもらって、それをやっていればいいというだけの人になります。だから僕は彼の質問に答えませんでした。それによって彼には、考える機会が与えられました。考えることが大事なのです。

「カンガエル」をカタカムナでひも解いて観ましょう。
「カ」は宇宙の最極小微粒子。「ン」はそれを強める働きをします。そして「ガ」は「カ」に濁点が付いて濁ったもの ―――「我」です。「エ」は発生、「ル」は行為の継続を表します。つまり、「カンガエル」とは、新鮮な「カ」がどんどん湧き出してくることであり、それを「我」によって引き出そうとする力が発生するということです。
だからじゅんぞうくんに正解を与えてはいけないのです。彼が自分で考えて、引き出す。

なおやくん:
じゃあ、僕は昨日その後にじゅんぞうくんの質問に答えてしまったけど、あれではいけなかったんですね。

いさどん:
本当はよくないですが、答えを持っている人は言いたくなるものです。しかしその言いたくなる気持ちは、相手のためというより、「自分は答えを持っているぞ」ということが言いたいのです。相手のためなら、答えは言わないことです。そうすれば、彼は自分で道を切り開く人になります。
僕が皆さんに語ることは、「これが正しい」とか「これは間違っている」ということではありません。そういったものをすべて情報として提供し、それによって皆さん一人ひとりが自分の位置を知るということです。あなたは今、どこにいるのか。そして、その位置でいいのか。今の自分の位置が見えたなら、そこからどこを目指すのかは、あなた自身が考えるのです。僕がやっているのは、そういうことです。

人間は、自分の考えや経験を良いものにしたがります。それは、自分のやっていることは良いことであるとして自分の枠の中に収めることですから、それ以上成長しません。その枠を壊さなければ、人間は進歩しないのです。
「納得する」には2種類あります。一つは、自分の理解できる枠の中に収める納得。もうひとつは、「自分にわからないこともあるのだ」という、未知なるものを許容する納得。未知なるものを許していくと、自分は広がっていきます。しかし、枠の中にはめようとして収まらないから「納得できない」とするのは、その枠の中に自分を閉じ込めることになります。自分を広げようと思うなら、未知なるものに心を開いていくことです。

人間は考える生き物です。大切なのは、どちらの方向に考えるかということです。自分の考えに囚われる方向に考えるのか、自分の考えから自分を解放して、自由になる方向に考えるのか。

みかこ:
「カンガエル」とは、「ガ=我」「エ=発生」「ル=継続」ですから、「我」が発生し続けることであるとも言えます。「ガ」の濁点(=濁り)を取って「カンカエル」なら、濁りも歪みもない純粋なエネルギーである「カ」が発生し続けるということですから、これは美しい思考だとも言えますね。

しずかちゃん:
では先ほど言っていたのは、「カンガエル」ではなく「カンカエル」をしなさいということですか?

いさどん:
違います。それでは「ガ」が悪くて「カ」が良いという話になってしまいますが、私たちは我の世界に生きています。この世界は我の世界です。ですから、「ガ」が悪いということではなく、「カンガエル」の方向性が大事なのです。自分を高めて優れたものにしたり、汚れを取って美しくする方向へ考えるのか、それとも自分に囚われて損得勘定に走って、さらに自分を汚していくような方向に考えるのか。おなじ「カンガエル」でも方向が違います。そのことを知ることが大事なのです。
本当は、「カンカエル」であるべきです。しかしそうは言っても、私たちの思考は「カンガエル」なのです。なおやくんがなおやくんであるように、しずかちゃんがしずかちゃんであるように、誰もが自分という我を持っています。そこでその「ガ」が、どちらの方向に向いているか、ということなのです。

みかこ:
大事なのは、性質を知ることです。現象界から濁りを取ることはできない。そもそもの存在が、濁りや歪みから発生しているのだから。

イメージキャラクター「カンガエル」くん
イメージキャラクター「カンガエル」くん

いさどん:
今一度振り返って、皆さんにお話ししたいと思います。
真学校が始まったばかりの頃に、私たちは自我を持っています、ということをお話ししました。自我を持っている人は、自我の欲望を満たすことを幸せに感じます。そして自我の中には過去の経験や知識があり、それを正しいものとしたがります。そうすることで、人間は「これでいいのだ」という自信を持って生きていくことができるからです。それが人間を幸せに導いたり、正しいとされていた時代がありました。
しかし、それは自分という枠の中の価値観から観た満足の世界です。その状態では、その人は枠の中だけでしか思考していませんから、実はその枠の中に閉じ込められた不自由な状態です。矛盾しているでしょう?自分を不自由にすることが幸せだと思っているのです。

そこで、自分の考えを、たくさんある考えの中のひとつだとしておきましょう。ものごとの捉え方は人によって様々であり、自分の考えは全体の中の一つなのだと捉えた時に、自分の自我から離れた目線が持てるのです。それが客観性です。

簡単に言うと、自分を壊せということです。
もっと極端な言い方をすると、自分を否定しなさい、ということです。

自分を否定したら、何を元に考えればいいのでしょう?
今与えられた出来事や情報を、常に新鮮に自分の中に入れていきなさい。そうすると、常に新鮮な情報が自由に入ってきます。それを、過去や経験に囚われない今の自分の視点で観て、必要なものを選んでいきなさい。そうすると、現在の自分はそこに在りますが、それは常に変わり続ける自分です。これを自由と言います。

そう聞いても、人間にはそれぞれクセがあり、なかなか離れることができません。それは、これまでそういった考え方が主流となって世界が動いてきたからです。時代を観ても、国を見ても、政治や社会の在り方を観ても、すべてそうです。それが今、行き詰まりを迎えています。

私たちは、自分の自我を壊すことはなかなかできませんが、何か外の世界に疑問を感じて、今ここに集っています。新しい世界を観ようとしています。同時に、この社会に新しい価値観をもたらそうとしています。それができる人になるためには、まず、自分を解放してあげることです。

あなたが自分の中に「これが絶対に正しい」というものを持っていれば、それは他の人の「正しい」と対立することになります。あなたがどんなに優れていても、それが正しいと主張したら、自我に汚染されていることになります。それは、その「正しい」を理解できない自我を持っていると人との、対立を生むだけです。私たちは、自分の視点に囚われずに、情報として自分の視点を伝えあい、共有していく。そのことが大切なのです。

知意行一体の段階で、私たちにはもう一つコミュニケーションを取る場所があります。
私たちは、人間社会や自然と接し、感じて、いろいろなことを考えたり発信したりします。それは客観視点で捉えることができるものです。今までお話ししてきたのは、客観視点についてです。

そこでもう一つ、私たちにはどうすることもできない、見えない、捉えられない世界がありますね。宇宙です。宇宙が存在するから、この地球があって、人間社会があって、私たちがいるのです。そうすると、まず自分という主観があり、そしてこの世界や地球という客観があり、さらにその奥に、宇宙という「客観背後」があります。その客観背後の意志を感じ取るのです。

私たちは自分の人生を生きるものでもありますが、地球人でもあります。そして太陽系を構成するものでもあります。銀河を構成するものでもあれば、この全宇宙の意志と共に、宇宙を生きているものでもあります。

これまで人類は、20世紀までの時代を歩んできました。それは否定するものではありません。しかしそれは、私たちが歩んできた階段の、20世紀という段にしかすぎません。私たちは今、21世紀という段階に足をかけました。そしてこれからずっと先へと、その階段を昇っていくのです。もう、これまでの手法は変わらなければいけないのです。