第11日目:己読みに於いて

今日の午前中のフリープログラムでは、昨日に引き続き受講生の地球暦をいさどんが紐解いていきました。プログラムの冒頭で、いさどんは次のように語りました。

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今まで僕は沢山の人たちのカルマや地球暦を観てきましたが、人はとかくそれを自らにとって都合の良いように思いたいものです。しかし、事実は他者からの目です。さらに事実は、生きてきた人生そのものです。そこを紐解くためには、自らの主観から来る思惑で見ていては絶対に観えてきません。ですから、カルマ読みや地球暦の己読みは、自らの主観を手放し、客観と主観を折り合わせながら観ていくことが大切です。そのためにはとても優れたツールです。ただし、こういったものを本当に活かすためには、自らを正しく観る覚悟がいるのです。

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よしてるくんの地球暦を観ると、よしてるくんは直観人間でありながら、それと同時に思考も沢山まわすタイプだということが分析できます。そんなよしてるくんの地球暦を見ながら、あわちゃんはいさどんに、「地球暦では直観の惑星である水星が大事だと以前いさどんが言っていたと思うのですが、それについてもう少し詳しく教えて下さい」と質問しました。それに対し、いさどんは次のように答えました。

いさどんの話に聞き入るよしてるくん
いさどんの話に聞き入るよしてるくん

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直観は、思考をしないで湧いてくるものです。そして直観には2種類あり、自らの内(本質・潜在意識)から湧いてくる直観と天から降りてくる直観があります。カタカムナ的には天から降りてくる直観を受け取り活かしましょうと言いますが、人には内から直観が湧いてくる仕組みもあるのです。「あの人は嫌だ」とか「この人は信用できる」という直観は、自らのカルマが反応している直観ですが、これは正直な心につながります。つまり、直観が働いている人は正直だということです。ですから、どのような時でも直観で受け取ったことを素直に表現すれば、まずは正直者であることになります。

ところが、正直にも種類があるのです。そうすると、正直の種類をチェックできる直観は、天から降りてくるのです。広い世界観から降りてきた直観は、自らの正直の中身を吟味できます。しかし、自己中心的な人によくあるのは、内から湧いてくる直観を「これは直観だからいいのだ」と考えるのです。それは正直ではあるのですが、正直でも自らの癖から生まれたものは振り返らなければいけない場合があるのです。

よしてるくんの場合、直観人間なので良いこと(正しい判断)に気付くのですが、自分がやれていないのに人にはそれを伝える傾向があります。そこで、「あなたは人にはそのようなことを言いますが、自分を観ていますか?」という直観が天から降りてくるようになり、それを受け取ったら、バランスの良い人になれるのです。

僕は人生に行き詰まっている人たちに対して、「はじめは何でもいいですから、自分らしく正直になりましょう」と伝えます。その後にそういった人たちは、「解放されて良かったです!良い出会いでした!」と言うのですが、そのままでいたら単なるわがままな人になってしまいます。そこからどのように自らをコントロールしていくのか、という次の段階があるのです。しかし、現代のプラス型社会の楽になればいいという世界ではそういったことを緻密に吟味していきませんから、それで終わってしまいます。

いずれにしても、「あの人は嫌だ」という想いであっても、正直であれば真実なのです。それをまず正直に出して、まわりの人から「それはあなたの独りよがりだろう」という話になって返ってきたとしても、それは良いことなのです。そこで自らの独りよがりに気付けるのですから。そこで正直を出さないでいると、自らの独りよがりの心をチェックできません。ですから、まずは素直に正直を出すことが大切なのです。それをまわりの環境は手助けしてくれているのです。

そして、心を磨いて広い世界観が身についた時に、自らの内から湧いてくる正直な想いを天から降りてくる直観から自分でチェックできるようになります。それは天と地がつながっている境地です。

ところが、その段階まで至っていない人は、宇宙の法則に基づいて自らの心を正していくためには、まずは勇気を持って正直を出すことが大切です。出すことによって、まわりの皆(全ての環境)もある意味天の存在なのですから、皆からチェックしてもらいながら正すことができるのです。その時に、自らの世界観が狭いと、皆が伝えてくれたことを受け取れません。ですから、広い世界観のもとに、皆の意見も受け入れられる広い素直な心を持つことが大切なのです。そのように主観と客観の整合性を取っていけば、人は無限に成長していくことができるのです。


第9&10日目:「価値とは?~一人ひとりの目覚めの時代~」

「1ヶ月間の真学校」の中で、カタカムナ講座が2日間にわたって行われました。2日目の講座の冒頭で、いさどんは次のように語りました。

いさどん:

私たちの住む地球には多様な生き物が存在します。さらに宇宙に目を向ければ、無限の星が存在し、その中で地球は本当に微細な存在です。先ほど皆で奏上したカタカムナの63首を聞いていたら、「価値」という言葉が浮かんできました。価値はどこにあるのでしょうか。宇宙は星と星の関係性のもとに成り立っていますが、星々は価値については何も考えず、ただ存在するだけで宇宙を形成しています。

では、地球上に無限の生命が存在する中で、その価値はどこにあるのでしょうか。例えば太陽の光は無条件に降り注いでいます。それによって風ができ、水蒸気が上がって雨が降り、大地に植物が芽生え、それが腐食して土ができるというように自然現象は成り立っています。その時に、そこに価値を認識している存在があるかというと、いないのです。動物も植物も微生物も全て、価値というものの上に存在していません。

そこで、価値はどこにあるのだろうかと考えると、人間の思考の中にあります。先日、木の花劇団がここの経済に関する劇を発表しましたが、あの中にはたくさんの価値がありました。劇の中で表現されている価値は何を表しているかというと、今の人間の有り様は変だということを伝えているのです。どうしてこのような価値に人間は縛られているのだろうか、と問いかけているのです。

価値というのは、自分と他者とを分けることから生まれます。それでは、どこから価値が生まれてくるのか、考えてみましょう。

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よしてるくん: 差。

いさどん: その差はどこにありますか?

よしてるくん: 思考かな?

いさどん: 誰の思考ですか?

よしてるくん: その価値を決める人の思考です。

いさどん: その価値を何が生み出しますか?

みどりーぬ: 比較。

いさどん: 誰と誰を比較しますか?

みどりーぬ: 人と自分。

いさどん: それは、自分という自意識の上に価値が決まってくるのです。自我を主張し合わない自然界では、価値を決めなくても、美しい生命ネットワークが形成されています。太陽の光が降り注ぎ、自然の成り立ちが流れていくと、その中で生命は全て循環して一つの輪となり、それぞれが各ポジションを担いながら相互に成り立つ仕組みになっています。それは、私たちの体の仕組みと同じです。そこでは、価値基準のいらない世界です。

そこで、さらに価値について考えると、人間の意識だけがそうした価値を持っているのです。価値を持つということは、人間の自我の表現なのです。では、私たち人間が生きていく中で、価値のある人とはどういう人なのでしょうか。

いぶちゃん: 人の役に立つ人。

みどりーぬ: 困っている人がいたら助ける人。

いさどん:「これこそ価値がある!」というような、究極に価値のある人とはどういった人でしょうか?

みどりーぬ: 闇と光の両極を知っている人。

いさどん: 難しいことを言いますね(みんな、笑)。そのような人のことを何と呼びますか?

やまちゃん: 聖人。

いさどん: そうですね。では、聖人の代表は誰ですか?

やまちゃん: お釈迦様、キリスト。

いさどん: こういった人たちは聖人として生まれてきたのでしょうが、生まれてからすぐに聖人としての生き方をしてきたわけではありません。ある時から聖人の道を歩み出したと思うのですが、それはどのような生き方だと思いますか?

やまちゃん: 真理を教えてきた生き方。

いさどん: 真理とは何ですか?

やまちゃん: 宇宙の法則に則った在り方。

いさどん:僕は宇宙の星と星の関係や地球の生命の在り方を観て、そこに価値をどのように置くかを捉えました。それに対して、人間の中にある価値とは何だろうと思った時に、価値のある人とは尊い人のことを指しています。そこで聖人というところまで皆で行き着いたのですが、聖人とはお釈迦様、キリスト、ムハンマド、孔子など、日本にもそういった人はいたと思うのです。では、そういった人はなぜ聖人なのでしょうか。

たになおちゃん: 傍(ハタ)を楽にするから。

キタジュン: 自分以外の全ての人に対して救いの手を差し伸べる。

いさどん: 簡単に言うと、世の中や人のことを考えて生きたということでしょう。そこで、さらに価値について考えた時に、自然や宇宙の成り立ちを観ると、そういったものは価値を考えることはありません。それは仕組みです。それぞれが与えられたポジションを担いながら、互いに対話して全体を成り立たせています。そこには確かに意志の存在を感じますが、それは与えられた役割を果たしているだけなのです。それは地球生態系を観ても、たとえば微生物は自らのポジションに対し、こういった価値があるから微生物をやりたいとか、次の役割はミミズにしようかと思うことはありません。

僕は、「生きているかどうか研究家」であり、「変だよ!人間」というのが持論ですが、なぜそう考えるのかというと、人間は常に損得を考えて生きているからです。そこには自我という軸があって、他者と比べて損か得かを考えて生きています。ところが、宇宙の天体や地球上の他の生命を観ても、そういった価値観を持って存在しているものは何一つありません。しかし、その中で人間は一人ひとり全て違う価値観を持っています。人間には人間という一つの価値観があればそれでいいと思うのですが、人間は一人ひとりオリジナルな価値観を持って存在しているのです。そうであるがゆえに、この世界の存在を認識するよりも先に自らの存在を認識してしまい、人間はこの世界を認識できなくなっています。自我が強くなればなるほど、認識できる世界は狭くなっていくのです。人間の意識レベルでは、自我があるのが当たり前です。それが人間らしいと勘違いしている人もいるのですが、地球上の他の生命は何一つそのような価値を持っていません。ですから、「自分が」という価値観が小さいと、この世界がより広く観えてきます。そして、「自分が」という価値観がなくなってしまうと、この世界が自分自身にもなってくるのです。

いったい、この人間とは何なのでしょうか。そういった広い世界観を通して観れば、人間として目指すべき尊い方向は、自我の価値観を捨てたところにあるのです。ところが、現代の人々は本来目指すべき方向とは逆のところに自らを置き、それを望むところとして目指しているのです。それで楽に生きているのかというと、実はその世界にいては楽ではありません。

ここにいる皆さんは、真学校で自らを1ヶ月かけてリニューアルし、新たな自分を見出していくという目標があり、1ヶ月もの時間とお金をかけて来ているのです。今の時代に1ヶ月の時間を作ることは大変なことです。それにお金を出してまでやる人は本当に限られた人たちです。今どき、心を見つめて自らをリニューアルしていくことを、1ヶ月の時間とお金をかけてやる人がいるのだろうかと思っていたら、今回14人の申し込みがありました。今後、年に2回開催していく話も出ていますが、それは需要があるからではありません。こうしたプログラムを必要とする時代が来ているからです。

皆さんは、変えることを目的にここに参加していると思いますが、では何を変えるのですか?

たになおちゃん: 自分を変える。

いさどん: 自分にどういったところがあるから、どのように変えようと思うのですか?

たになおちゃん: 自分の性格に問題があったから、自分を変えなければと思います。今まで自己中心すぎて、周りを不幸にしてきました。

いさどん: 自分のことしか考えていないということは、自分が内向きだったということです。それは先ほどの聖人と比べると反対の方向ですね。なぜ自分が内向きだったのでしょうか?自分が内向きだった時には、それが価値のあることだと思っていたから、そうしていたのではないですか?

たになおちゃん: はい、それしかないと思っていました。

いさどん: それは、価値違い(勘違い)です!(チーン♪ みんな、笑)人間の意識が低いところにあると、自らを守ってそれで自分が安定すると思っています。ところが、人間の長い歴史の中で人の営みを捉えてみると、いつの時代でも変わらず、「己を忘れて人のために生きる」ことが価値のあることになっています。しかし、多くの人間は常に自らに囚われ、意識の低いところにいて、それが自らを守ることで安心だと思っているのです。今、なおちゃんが話したように、たいていどの人も意識の低いところにいてはいけないとは思っています。そこに意識があると、行き詰まるようになっているのです。それは、この世界の奥にある見えない法則が、「ここにいてはいけないよ」とそこから抜け出すためのメッセージとして表してくれているのです。

人間社会であろうが、自然界であればなおさら、この世界では自らのことばかりで不調和に生きていたら、問題が発生するようになっています。例えば鳥が、「しばらく天候が悪くなりそうだから、食料を沢山蓄えておかないと」と考えて、田んぼのお米を沢山食べて太ってしまったら、猫が襲ってきてもとっさに飛ぶことはできません。そうしたら食べられてしまいます。そこで、「足るを知る」ことが大切なのです。適度に食べ、適度に排泄し、それが自然に還元されて、次の命につながっていくのです。そこには人間のような欲の考えはありません。「得した」「損した」「良い人生だった」と考えない世界なのです。そうした考えがなければ、生命の循環の中では皆が健康に命を紡いでいくことができます。そして、そのように価値基準を持たないのが、この世界の生命として生きるものの本来の姿です。

人間は自らを主張し、聖人という存在から遠い人間ほど、価値という基準を持っています。そして、それが自分らしいと自らを守ることであり、そこに囚われながらこの世界を創っています。それに対してこの世界の側からは、「それでは生きることが苦しくなりますよ。あなたが命だとしたら、本来の命の姿から外れていますよ」と病気などの問題事を通して教えてくれています。鳥が欲をかいて食べ過ぎていたら、危険が迫った時に逃げ遅れて食べられてしまうように、そういったものは生命として生きていく資格がないことになります。だから自然淘汰されるのです。ところが、現代では人間だけはそういった法から外れたものでありながら、淘汰されずに、人工という世界を創り、他の命に災いをもたらしながら存在しています。今、地球規模で人間は、自然災害や気候変動を通してメッセージをもらっています。しかし、国を司るリーダーたちは、相変わらず経済発展こそを豊かさとして優先しているのです。

命は循環しているのですから、他者の役に立つ働き(傍楽)をしてつないでいくと、この世界は健康になるように創られています。しかし働くのではなく、自分のことばかりを考えて物や金を溜め込もうとすると、血液が全体に行き渡らない病気の状態と同じような社会になってしまいます。今の日本経済は破綻状態にあり、それは借金ばかりが必要な人工透析状態なのです。

そうした政治を司る人々が世の中で成功した優秀な人とされていますが、それは尊い存在とは違います。ですから、今の世の中で成功した人を尊い人とは言えません。こうした社会の矛盾を目の当たりにするたびに、「人間はおかしな生き物だ」と思うのですが、人間はその価値を人間社会の中にのみ見出し、それが人間らしくていいと思い、その意識が自分たちの首を絞めていることに気付いていません。もしかしたら今、私たち人類は絶滅前夜にいるかもしれません。IPCC(国連気候変動による政府間パネル)のデータを見たら、そのようなことを続けている場合ではないのですが、それは私たち一人ひとりの目覚めに関わっていることなのです。

この1ヶ月間の真学校を通して、まずは自らの実体を知り、客観的な視点を養い、健康で楽に生きていけるように、皆さんは参加しているのです。僕は、改めて皆さんがそういったことを意識し学んでもらえるように、こういった話をしています。

あなたがた一人ひとりがこの世界を創っています。それが塵(チリ)も積もって70億人が集まり、地球にこれだけの影響を与えて今、この世界の現状があります。それは、あなたの働きがこの世界の行き詰まりを創っているということです。それは勉強してわかるようなものではなく、直観で感じて矛盾を捉える感性があったら、当たり前にわかることです。自らを観て客観的な視点が育てば、そこで自らの矛盾にも気付きます。そうすると、当たり前に生き方を切り替えることができます。今の人間は物事が良く見えているようで、知識をたくさん得ていても、そういったことが観えていないようです。

こういったことが人々に当たり前に観えるようになり、一人ひとりが世界の仕組みの中で役割をもらい、世界をつなげるためにあることに気付き、その役割を果たしたら、あなたはすでに聖人です。そして、その時に人は、自らが生きようとしなくても生かされる存在になります。命は必要な分だけ与えられていますし、寿命は決まっているのです。ですから、生きながらえようとしなくても良いのです。世界がこの仕組みである限り、自らに与えられたポジションで生きていく役割と期間は決まっているのです。

その中で人間だけは他の生命と少し違って、生きる内容が一人一人の意志に託されています。それが人間としての価値だと思うのです。私たちはどのように生きるのか。その結果、この世界に何をもたらしたのか。自らの価値をどこに置くのか。そこに気付き生きる自由が人間には与えられているのです。与えられている自由はそれだけです。価値基準もそれだけなのです。

 

政治はセイ(政・聖)と書くのですから、本来聖人が行うべきものです。それなのに、主義主張のために政治が行われているのが現状です。その自我の極めつけは、自国の利益を得るための戦争です。その自我が世の中に争いの世界を創り、様々な問題事の原因となっているのに、それが観えないのです。人間とはそのようなおかしな生き物です。

 

そういった中で、皆さん一人一人は自らを転換するために、1ヶ月の時間とお金をかけてここに来ています。世の中の人がなかなかできないことに皆さんは取り組んでいるのですから、僕は特別な人たちだと観ているのですが、自らの転換だけではなく、真の価値とは何かに気付き、この学びから自らの価値をどこに置くのかを考えてもらえたらと思っています。

 

プログラムの冒頭でそういったことを伝えると、「私は自分の学びのために来ているのに、人のための学びなんて嫌だ!」という可能性もあるのです。しかし、プログラムが進んできて、その中でカタカムナの宇宙観に触れるところまで来ると、皆さんもある程度今の社会情勢と宇宙の構造との矛盾について知ることができてきていると思います。そして、その学びでは広い世界観を持ちましょうと伝えてきました。その中で自分はどのような存在なのかを捉え、世界観が広くなれば、自我から離れることのきっかけとなります。そして皆さんはカタカムナの世界観と出会ったことによって、現象界の奥にある世界まで捉えた時に、この世界の存在する仕組みについてさらに理解を深めることができました。

 

宇宙空間に生きる私たちは、当然、宇宙人です。そして、私たちが宇宙人という意識を持つと、そこまでの広く高い認識を持つことができます。地球上で私たちは無数の生命ネットワークの中で存在していますが、宇宙の仕組みを認識できるのは、その中でもたった一種類、私たち人間だけです。

 

昨日のカタカムナ勉強会で「アマハヤミ」の話がありましたが、アマハヤミとは思念の速度であり、光の速度の10の64乗倍と言われています。アマハヤミはこの現象界の光と比べる対象の存在でもあり、量子力学の世界でいう究極の相対性理論のようなものです。宇宙は広大な世界ですが、アマハヤミの思念では人間が頭の中で「宇宙」を思い浮かべるだけで、瞬時にして宇宙全体が観えてくるのです。それだけの能力を人間は潜在的に持っています。カタカムナと出会うまでは、この世界の基軸は光という認識だったので、そういった概念はありませんでした。ですから、宇宙を知るためにこれまで物理学者や科学者たちは、莫大な労力をかけて宇宙を探査してきたのですが、光の速度の乗り物を作れないのに、130億光年もの宇宙の世界を観て帰って来ることは不可能なのです。そういった思考を超えて、宇宙に探査の思念を送ると、意識があるレベルに到達していれば、宇宙の全体像が瞬時に観えてきます。そして、人間の存在とは何なのかを思念として想えば、その存在価値が観えてくるのです。

 

そうしたら、客観的に自らを観て、自分が低い意識レベルにいると気付いたら、こう自らに伝えてあげればいいのです。「あなたは何のためにそのような無駄なエネルギーを使っているのですか。その上、さらに辛い思いまでして、涙を流しています。そんなエネルギーはもったいない。バカバカしいからそんなことはやめましょう。」そういった意識を皆さんに持ってもらえたら、世の中は良くなっていくと思います。

 

皆さんの日記を読んでいると、真学校の学びとはこういうものだと皆さんは少しずつ理解してきているようですが、実はあるところでこれを切って、「今の延長にこれからの学びを提供していくわけではありません。それでは、学びが皆さんの我の延長の学びになってしまいます」と伝えようと目論んでいます(笑)。そして、本来人間とは何なのかという本質を、自らを一気に超えたところで理解してもらえたらと思っています。今、種明かしをしてしまいましたが(笑)。

 

昨日のカタカムナ講座の中では、今まで聞いたこともなかったよくわからない話を聞いたと思いますが、そのわからないことを大事だと思って、それに付き合っていくと、ある時あなたに自我が切り離される時が来るのです。その時に、今まで自我に囚われていたことに気付き、今までのあなたの疑問がわかるようになるのです。

 

そのような自我を超え物事の本質に目覚めるためのプログラムを、私たちはこれからも提供し続けていきます。時代が切り替わる時を迎えているのですから、皆さんにもこの輪を広げていってもらいたいと思います。「自分のために」というところから、本当に世の中を変えていくための役割に目覚めてもらいたいと思っています。
そのために、古代人の叡智であるカタカムナの宇宙物理学は大切なものです。しかし、気を付けなければいけないことは、そこでカタカムナ教になってはいけないと思うのです。癌を治してもらおうなどと、カタカムナの奏上をお願いすると、それはご利益宗教のようになってしまいます。それではいけません。自分自身がそういった意識レベルの人になることが大切です。そして、自らの存在を持って世の中に大事を示していける人になることが大切なのです。誰もがそのような尊い人になれば、次の時代の扉は開かれます。それは一人ひとりの目覚めの時代なのです。それが、これからの人々の目指すべき価値なのです。

 

「尊きものを見つけ、そこに行き、救われることよりも、自らが尊きものとなって、他を救えるようなものになれ。これからは、一人びとりがイエスやブッダであるぞ。」


第10日目:カタカムナ&人格を学ぶ講座(実践編)

午前:カタカムナ2日目

午前中は、昨日に続いて”はがにぃ”こと芳賀俊一さんによるカタカムナの講座でした。今日は主に松果体についてのお話でした。

午後:人格を学ぶ講座(実践編) 

午後は、人格を学ぶ講座の第5回目。前回に引き続き、受講生一人一人の地球暦をカルマと合わせながらいさどんが丁寧に紐解いていきました。

前回はブンちゃんといぶちゃんの地球暦が紐解かれ、皆で大いに盛り上がったのですが、今日のトップバッターはみへちゃん。いさどんから、「地球暦が車で、魂の形(カルマ)がドライバーだとしたら、みへちゃんの場合車の性能は良いのに、ドライバーとしてのあなたが変わり者のためまわりから理解されにくく、さらに独りよがりなため、良い車を生かしきれていませんね。自らの善意が伝わらないことから人間不信になっていたはずです」と伝えられました。みへちゃんは、「その通りです。それは私自身が原因なのだと思いますが、どうしたら私の車をうまく運転できるようになるのですか?」と質問し、それに対していさどんは次のように答えました。「真学校が始まって今日で10日目になりますが、いぶちゃんものりこちゃんも顔がどんどん変わってきましたね。それと同じように、みへちゃんの顔もどんどん変化してきます。それがどうするかの答えです。知らない間に、目から鱗の体験をしていたり、魂に触れることをやっていれば変わっていくことが、一番自然なのです。あなたのように自分が強い人は、まずは知らない間に身についていくようなことが良いと思いますよ。」

 

表情がどんどん美しくなっていくいぶちゃんとのりちゃん
表情がどんどん美しくなっていくいぶちゃんとのりちゃん

 

続いて、最近どんどん顔の表情が優しくなってきて、まわりに穏やかな空気をもたしているのりこちゃん。それほど立派とは言えない地球暦を持ち、受け身な心ののりこちゃんを、いさどんは次のように分析しました。「のりこちゃんは受け身なため、これまでの人生では被害妄想的にまわりに怒りを向けて生きてきました。しかし、それは環境が創ったのではなく、自分がこういう人生を選んできたと認識することが大切です。そして、のりこちゃんはここに滞在していくうちにそのことが観えてきたので、どんどん自分にもまわりの人にも優しい人になってきたのです。これは運命の出会いですね。本当ののりこへようこそ!」

そして、よこなおちゃんは1ヶ月間の真学校が始まる前に何度かいさどんの面談を受けてきましたが、面談の度に「けど」「でも」を繰り返し、なかなか自らを改めることができませんでした。そんなよこなおちゃんの地球暦には、まさに自分が強いということが表れていました。気持ちはあってもなかなか自己改革ができないよこなおちゃんに対して、いさどんは次のように語りました。

「人生は己を知る旅です。内を観ないで、自らの問題事を被害妄想的に外のせいにしていると、人生は生き辛くなります。だから、自らと対話することが大切なのです。僕は時々『世のため人のために生きるには何をしたらいいですか?』という質問を受けるのですが、その際にはこう答えます。『それは簡単です。まずは自分を健全にして、そしてあなたのまわりにそれを反映させていき、それが広がっていけば、世の中は平和になるのです。つまり、世のため人のためとは、自らと向き合って自分を健康にすることなのです。』そして、本当に自分が求めているものを知り、それを生きていくことが本来の人生の目的なのです。『けど』『でも』という言葉が出ないようになるためには、世界観を広げることです。地球暦は宇宙空間に出て自らを観るようなものなのですよ。」

 

いつも心のこもった話をするいさどん
いつも心のこもった話をするいさどん

いさどんが、「皆から何か質問やコメントはありますか?」と投げかけたその時、今日27歳のお誕生日を迎えたいぶちゃんは、「頭の中では今日のおやつが気になって・・・」とにこにこ笑いながら正直な想いを出しました♪そこでいさどんも、「実はいつ頃おやつにしようかと思っていたんだよ」と笑顔で返しました。そんないぶちゃんの地球暦はとてもバランスが良いものです。いさどんは「だから、さっきのようなひらめきが湧いてくるのです。いぶちゃんもここと出会って、どんどん心が開かれていき、本当の自分が現れてきたのですね」とコメントし、皆が楽しみにしていたおやつの時間になりました♪

今日のおやつをおいしそうにほうばるいぶちゃん(今日お誕生日です!)
今日のおやつをおいしそうにほうばるいぶちゃん(今日お誕生日です!)

第9日目:TV番組鑑賞、座談会、カタカムナ勉強会

今日は、フリープログラムの日。

午前中、用意されている3時間のフリーな時間のうち、最初の1時間ほどを真学校に用意されたお薦めTV番組録画リストから選ばれた「NHKスペシャル 人体 ミクロの大冒険2 あなたを変身させる細胞が出す魔法の薬」を見ました。

観た後に、みんなで感想を述べ合いました。

みんなでざっくばらんに感想を言い合ってます
みんなでざっくばらんに感想を言い合ってます

他者に対する思いやりや愛情を育む時に出る、オキシトシンを出すには、ハグが効果的なのではないかということで、みんなでハグ大会になりました。ハグが苦手というやまちゃんも、その奥底の心を見つめていくといいねという話になりました。

ハグの後、いい顔になったやまちゃん
ハグの後、いい顔になったやまちゃん

その後、「互いを知る」のプログラムのときに、きたじゅんからみんなで日記をシェアしてはどうかという提案があり、みんなもその意見に賛成。

まずはきたじゅんの日記のシェアから始まり、同じ部屋で日記のチェックをしていたいさどんからも解説があり、また自分を見つめていく材料が一つできたかな?

今度のフリータイムでは、みんなの日記のシェアをしていこうという話になりました。

 

午後:カタカムナ勉強会 1日目     (レポート:ひとみ)

授業の始まる前は63首奏上。その後、真学校校長のいさどんからの
挨拶の予定でしたが、さっそく、その63首についての質問が続出。
真学校のプレゼンなどでカタカムナの世界観に触れてきただけあっ
受講生のカタカムナの関心度の高さと感じさせるスタートでした。
いさどんからは、学ぶことの姿勢の在り方についてお話がありました。
学ぶという事はひとりひとりの旅。
意識は上がって行けば上がって行くほど見えてくるのもだけど、
解らないものに出会った時に解らないと言って切り捨てるのではな
その難解なことは自分が求める道の先にあることなのかどうか直感で感じることが大切。
その解らない事は大事なのか、大事ではないのか。
その直感にしたがって生きていればいずれその大事なところに到達するし、人はどんどん成長して行く。
それからいよいよ授業が始まりますが、冒頭の質問の意欲はどこへやら
始まったとたんに殆どの受講生が潜象界(夢の中)へ・・・。
潜象界で学ぶ受講生たち
潜象界で学ぶ受講生たち
ふつうの授業だと寝ることは、ご法度ですが講師のはがにぃは潜在意識に入れることが
大事なのだからどんどん、寝たらいいといいます。
「ノートをとって脳みそで覚えよう、記憶することは学ぶということではない。
記憶するということは忘れること。考えることはいらない。自分の身の中に起きることだけを自分の身の中(細胞の中)に入れてしまうこと。反復し、感じとることだけを続けていくと条件が整うとそれがバッーと開く」とはがにぃは言います。
新潟弁で熱くカタカムナを語るはがにぃ
新潟弁で熱くカタカムナを語るはがにぃ
「胃や肺や心臓などの人間の生命にとって大事な臓器は胸に集中しています。
胸は身体の中で、一番大事な部分が集まっている場所だから、何かあると胸はきゅん!とする。」とはがにぃが、可愛らしいしぐさで説明してくれます。
愛でも慈悲でも胸の部分で心というものが感じられるのはその為なのです。
直感を磨くためには心をきれいにすることです。
人はどんな人でも心をきれいにし、直感に委ねることで、素に立ち返ることができます。
それが人としての役割なのです。
心の話になると、さすが真学校受講生!
寝ていた受講生もいつの間にか新潟弁まじりのはがにい節で、笑いの渦に包まれていました。

第8日目:人格を学ぶ講座-2

全日:人格を学ぶ講座

午前中の講座は、これまで学んだ陰陽の仕組みから、まず自分の性格とその活かし方についての話をし、その後、いろいろな人たちの相性を見ていく実習をしていきました。

講座に聞き入る受講生
講座に聞き入る受講生

受講生のやまちゃんからの質問:

「自分は読みにくい名前で中性に近い二文字陽性(6/7 の+1)ですが、性格はネガティブなところがある。それを活かすというのはどういうことでしょうか?」

それに対して、いさどんからは、
「読みにくい名前の人は、他の人に無い発想をする。変わり者であるというのは孤独でもあるが、独創的な道を歩むということでもある。6/7なので、独りよがりで勝手に行く部分もあるが、ぶれないで進めることができる。悪いところを考えるときに、その反対を見ていくとどんな風に見えるか、良いところを考えていくんだよ」と説明がありました。

その後、受講生とサポーターの相性を見ていきました。自分のパートナーや身近な人たちとの相性を計算している人もいました。いさどんからそれに対する解説があり、みんな興味深々。やまちゃんは、パートナーとの相性はバッチリ!関係の改善点までアドバイスがありました。

但し、相性が良いからといって、それが必ずしも良いとは言えません。むしろ相性が悪い人たち同士が実際には結婚していたりすることが多いのです。それは、縁が深いということ。こうした縁による出会いは、そこから学びを得ていくための因縁です。

カルマ読み、己読みが活かされやすい人の特徴
カルマ読み、己読みが活かされやすい人の特徴

 

後半はいよいよ地球暦について。

地球暦の開発者、杉山開知くんとの出会いは3.11の直後。開知くんとの勉強会を経て、地球暦を毎日使っていく中で、木の花独自の読み方が編み出されました。そして、これが個人の天命を知り、それをよく理解して生きることに活かされるためのツールになったのです。

 

名前や惑星に現れる特徴は、今生のテーマで、生まれたときのスタートの状態が表されています。これは生きている間に、自分に足らないものを埋めていきながら変えていくものなのです。占いで運命を見るようなものではないのです。

問題ごとがあるということは、自分のどこをどう改善してよいかがわかると言うこと。

心を磨き、カルマを越え、天命を生きること。それは自然な流れ。宇宙の流れに沿った生き方、自らにも地球にも優しいこれからの生き方です。

その後、冥王星による世代の特徴を見ていきました。今回の受講生の9割は、天秤世代。ニートや引きこもりが多い世代ですが、それも時代の要請に応じて起こっていることなので、悩む必要はないという話になりました。

二度と来ない時空を旅するわたしたち。それぞれが、この宇宙の中で然るべき役割をすべく、この世界に生まれ、そして死んでいきます。この世に生存している期間に、自分の天命に気づかずに死んでいく人も多くいます。

名前講座や地球暦、カタカムナを学ぶことで、自分の心の癖を知り、それを改善し、天命に沿った生き方をすることで、自分もこの世界も調和したものになっていくのです。

いさどんの地球暦
いさどんの地球暦

正直・素直・信じる by いさどん

真学校も第2週目に入りました。

真学校前に1か月間のケア滞在をしていたよしてるくんは、日々緻密に自分の心を見つめて、それを日記にしたためてきました。ある日の子どもミーティングを観察していて、子どもたちが大人に心を開いていることで、堂々とした発言ができるようになると感じたという。

そして、心を開いていくにはどうしたらよいかということを考えたときに、正直・素直・信じることをしたらいいのではないか?と思ったそうだ。

以下、よしてるくんに日記をちょっと抜粋させてもらう。

「ふっと思ったこと。正直・素直・信じるということは、誰に、何をという所が大きく関わってくるという説明がありました。自分で自分の心を見る場合、緻密に見たとしても自分の枠の中で見てしまい、自己完結して本当を捉えきれないかもしれません。正直でありさえすれば、緻密に見ることは必要のないことなのかとも思いました。そういうことを考えていたら、昨日のいさどんのコメントを思い出しました。「求める心。」それがキーワードのような気がしました。求める心があれば、信じて間違いないものに出会うのかなと思いました。そうであれば、先程の私の考えるようなことは考える必要のないことなのかもと思いました。そもそも信じる心があれば、そのようなことは考える必要はないですね。」

いさどんからは、「とても良い投げかけです。みんなで共有するとよい話なので、ミーティングで質問して下さい。」とコメントがありました。

ミーティングで、いさどんがこれについて説明をしてくれました。

「正直・素直・信じる」の正直は、まず自分のありのままを表現することです。正直は一つしかありません。ですから、正直を言うのであればいつも簡単なことです。正直が複雑にある時には「複雑にあります」と言えばいいだけですし、正直がいくつかある場合には「いくつかあって、これとこれとこれです」と言えばいいので、結局正直は一つだけなのです。ところが、ウソをつくとその中身は沢山あるのです。まず一つウソをつくと、それがバレそうになったら次のウソをつき、また次のウソをつく・・・とずっとウソをついて生涯ウソをついていくことになります。その場合は頭をすごく使うことになるので大変です。ウソつきほど頭を沢山使っていますし、詐欺師はある意味大変能力が高い人たちです。その能力をまっとうなことに使えばよっぽど世の中の為にも自分の為にも良いのです。それにひきかえ正直はただありのままを言えばいいのですから、全く頭を使わなくてもいいのです。

そこで、正直を言う時に、もう一つセットで必要なものがあります。それは素直な心がないと、正直は出てこないのです。素直は素に直る。素は元という意味です。その元はどこにあるのかというと、この世界の元です。この世界の元は宇宙原理ということにもなりますが、自分の中にある良心のことでもあるのです。それは自分を創っている一番元の心です。それに直るということが素直ということで、素直に合ったこと、つまり内にある駆け引きや思惑のない言葉を伝えることは、仏様の心を持っていることになります。人は、このような心を表現する人を憎みませんし、攻撃もしません。仮にその人が間違っていても、代わりにまわりの人がかばってくれるのです。こういう人を徳のある人と呼びます。

ところが、普通の人が正直に素直に生きようと思っても、それはなかなかできません。「この人はこういう人だ」と思っても、「そんなことを言ったら、逆に叱られてしまうのではないか、自分が損をするのではないか」と余分なことを考えてしまうのです。そうやって自分の損得を考え、相手の想いを勝手に膨らませて、正直を伝えずウソをつくのです。そうすると、本当に正直になるには勇気がいるのです。勇気がいるということは、やはり信じていなくてはいけません。その信じる時に、ほとんどの人は条件付きで信じようとするのです。「これをしたら自分が良い思いをする」とか、神社に行って「ご利益をもらえるのなら信じる」と思っているのです。しかし、信じるということは、わかったらやるとか、約束をしてくれたらやるということではないのです。わからないけれどやる、というのが信じることなのです。木の花のメンバーも、一体全体自分たちがどこへ向かっていくのかわからなくても、大事だと思うからこれまで歩んできたというのは、信じる心があるからです。つまり、信じることは、素に戻る、常に変わらない自分の大元に自分が直ることです。そうすると、正解がどうなのか、行く先が良いのか悪いのかはわからなくても、ただ正直に素直に生きていくことが、信じる心のベースにあるのです。信じる心ができると、勇気が湧いてきます。そうすると、とてもたくましく生きていくことができます。それは覚悟ができていることでもあるのです。

 そうすると、知意行の元の心である決意ができて、それで人は道が開かれていくのです。カタカムナでは「知意行一体」といって、知は知ること、意は決意すること、そして行は行うことです。その三つが一体でないといけないのです。そうすると、最初に知ることが必要になり、その知る内容によって決意するレベルも変わってきます。そこで、まずは何を知るか、次に知ったことに対してこれは大切なのだから行じていこうと決意し、行いになるのです。そうすると、人は言行一致の人になります。言行一致の人は言ったことを行うのですから、これを正直な人生というのです。言ったことをやらなかったり、思ってもいても出さないというのは不正直であり、知意行一体にならないのです。この知意行全てをマスターした段階に至った人は、ものをグルグルと考えなくても、直観で物事を判断できるのです。ですから、知意行一体の後に初めて直観が湧いてきて、考えるよりも鋭い真理が湧き出してくる人になるのです。

同じように、正直・素直・信じるは三位一体なのです。一つずつではダメなのです。正直と素直と信じるがセットになって初めて意味があるのです。

 


涙涙の自己紹介

真学校は、形ではなく心をひもとくことを目的とした人たちの集まり。

毎日、毎日心の話し、深い精神性の学びを続ける真学校は世の希望である。
と断言しよう。

彼等の学びは、私の学び。わたしたちの学び。あなたはわたし、わたしはあなた・・・。

集い語り合え、想い愛し合え、みんなでひとつになれ。

それこそが神の喜び、神の姿。この無限の愛の姿が輪になって、この星の上に広がりますように。

今日の発表はきたじゅん、わたるくん、そしてのりちゃん。

 

笑顔が無かったきたじゅんが笑った!
笑顔が無かったきたじゅんが笑った!

 

この時間に、みんな正直に自分の心の内や過去を語る。そこで正直とは何かについて深めた。

のりちゃんの、日記の発表があった。真学校の授業の中で、過去を振り返り心を解放して、癒されていくのりちゃんの心の変化に、いさどんはじめみんなが泣いた。いさどんはこの日記を読んで泣いて、発表を聞いて泣いて泣いてばかりのいさどん。

発表を聞いて涙するいさどん
発表を聞いて涙するいさどん

神様の食べ物は、喜びだという。人間が学んで成長してゆくその姿を見て、神は喜ぶ。それが神様の食べ物なのです。この涙は、喜びの涙。みんなで共有したい涙だ。

本来ののりちゃんは女性らしい人なのに、おやじの鎧を着ていた。それは過去の出来事によって作られたもの。

毎日きれいになっていくのりちゃん
毎日きれいになっていくのりちゃん

けれども、こうして過去を振り返り解放してゆくなかで、美しく変わってゆく姿にみんなが心を打たれた。

そんな彼女と一緒に参加したみどりーぬが、のりちゃんが癒され変化する姿を見てを泣きながら、彼女への思いを語った。人を思って泣く、みどりーぬの姿に又感動する。こういう気づきと、癒しの連鎖が起こるのが真学校。誰がこんな場を用意したのだろうか。

のりちゃんの変化に喜びの涙を流すみどりーぬ
のりちゃんの変化に喜びの涙を流すみどりーぬ

ホールのロッカーの上にいるマザーの顔が笑っているように見えた。

金神様の顔も笑っている様に見える。うれしうれし、楽し楽しの世が来るぞと。

(文責:みかこ)


第2日目:木の花ファミリー総合プレゼン&世界観を広げよう

今日の午前中の講座「木の花ファミリープレゼンテーション」の中で、いさどんは壮大な宇宙観について語りました。

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参加者の皆から活発な質問が出る中で、いさどんが「天とはどこですか?」「では地とはどこですか?」と皆に質問していきます。いさどん曰く、「天とは宇宙空間のことです。ですから、天の法則とは宇宙の構造・宇宙法則のことなのです。今、皆さんは宇宙に生きているのです。でも、宇宙に生きていると言うと、怪しいですよね?」と問いかけると、数人から「怪しい~!」という返答が。そこでいさどんが、「じゃあ、あなたは今どこに生きているのですか?」と尋ねると、「・・・宇宙(笑)」と答えるのりこちゃん。「確かに私たちは今、宇宙に生きているのですが、ではなぜそれを怪しいと人は思うようになったのでしょうか?そのあたりについても、この1ヶ月間で紐解いていけると良いですね」といさどんは、にこにこ笑いながら皆の意識の変化を温かく見守っているのでした。

そのような中であわちゃんは、「今までいさどんから何度もこうした宇宙の話を聞いてきましたが、今日はとても自分の中に入って来ました!」とコメント。以下、あわちゃんのこれまでと今の変化について語ってもらいました。

世界観が開けたあわちゃん
世界観が開けたあわちゃん

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最近ようやく、自分を知る、ということをもう一度取り組み始めています。そして、自分の思考や感情を一瞬一瞬微細に見て行くと、思考パターンや価値観や人とのコミュニケーションする時の考え方等、いかに「自分の枠」に囚われているかという状況が見えて来ます。そうすると、僕自身が普段日常生活しているなかで、気分が一気に落ち込んだりやる気をなくしていく時の構造が見えて来ます。

例えば、誰かと話しをしているときに、無意識的に自分の話しに相手が同意してくれる、賛同してくれるという、決めつけを持っているとします。そのときに、相手から思いもよらない全く違う方向から意見が来るとします。そうすると、僕は相手が「こう言ってくれる、納得してくれる」と思って話しているので、何か自分が否定されたように思います。そして、勝手に相手にイライラしたり、逆に自分はダメな人間だと落ち込んだりしてしまいます。

でも、相手の立場に立って考えてみると、ただ相手はその事に対してこう思うという意見を言っているだけ、そして僕が勝手に相手がこう言ってくれると決めつけているだけで、相手は普通のコミュニケーションをしてくれているだけです。そんな「自分の枠」に囚われた思考パターンは、人とのコミュニケーションだけではなく、僕が今一瞬一瞬行動しているほとんどの時に当てはまります。何か本を読んでいる時、話しを聞いているとき、テレビを見ている時いつもです。その思考パターンに気づき、一瞬一瞬余計な思考を切り捨てて行く事で今生きている流れが少し変わって来たように思います。

そして今日久しぶりに、宇宙の太陽系の運行の話しを聞きました。太陽系は、常に留まる事無く動き続けています。地球も自転して公転して常に動き続けています。宇宙は常に動いている。でも、自分の価値観に囚われている時に僕の心は止まっています。体(呼吸したり等)や細胞も無意識で動き続けている。思考や心だけは、時には常に同じトコロにずっと留まっている。それは、僕自身が「自分の枠」に囚われていることにすら気づかなかったときの状態だと思います。

前から宇宙の運行と地球と人間と細胞と全て繋がり1つである、ということは知識で聞いては分かっていました。でも、知識だけではなくそうやって今の自分の心の構造と、宇宙の構造を照らし合わせて考えると、何かとてもしっくりくきます。でも、そう考えると人が自分の中の決まりきった価値観で止まっている事って、なんだんだろうと思います。僕自身の感覚で言うととても苦しいです。でも宇宙は常に動き続けていることを考えると、そこでずっと止まって留まっている状態は苦しいに決まっています。

そして、今の僕はその囚われを一瞬一瞬感じて、かなり強引にでもあるけど、ニュートラルしようとか、手放そうとしています。外見はぼーっとして何も考えていないようによく思われたりするけど、頭の中は凄まじい事になっています。でも、今、そこを手放し始めて楽になってきています。自分を見て、そして手放して、なんとなく直感が冴えて来ている気もして、それも楽しいと感じたりもします。

それを木の花のメンバーのまり姉に話したら、「そうや、心磨きは楽しいよ」と言っていました(心磨きとは、木の花ファミリーの中でとても大切にしていることで、自我を捨てて世界観を広げ天意の元に生きて行く為の行為)。僕はそのとき「えっ?心磨きが楽しい?」と思い「僕は今心磨きをしているのか?」とも思いました。そもそもつい2週間前まで、自己コントロールをしない完全に自分を見つめる事を放棄し「心磨き」という言葉自体にも「うっ」とする反応をしていました。ただ、その「心磨き」ということを今の等身大の僕流の言葉で解釈すると、「自分を知って囚われを手放して、楽になって皆と楽しく生活するために必要な事」という感じで捉えると、それって楽しいよなと思います。

そんな経験の真っ最中の僕が今回改めて宇宙の話しを聞いて、宇宙の動きと僕の心の動きを連動して感じることができた時、今まで知識で聞いていたことが体の中にしみ込んでくるような経験をしました。

ということで、これからの一ヶ月の真学校、格好付けずに楽しんで行きます♪

講義に聞き入る受講生のみんな

講義に聞き入る受講生のみんな


第1日目:オリエンテーションとコンサート

1ヶ月間の真学校が始まりました。
参加者は20代から40代の比較的若い世代の14名で、台湾からの参加者もいます。

今日は、おいしい昼食後に、施設案内、開講挨拶、自己紹介ゲーム。

お昼ごはん
お昼ごはん

そして、素材から手作りのおいしいおやつの後に、1ヶ月間のプログラムの流れを共有しました。

1日目-2

夕食の後は、ウェルカムコンサートでした。コンサートの後、よこちゃんは、「みんなと踊って、自分の考えていることがちっぽけだと思いました。まだ終わっていないけど、参加してよかったと思います!」とコメント。

プログラム初日の夜に、このコメントが出て、みんなどっと笑いがおきました。

木の花に来訪2度目のみどりーぬちゃんは、「あちらこちらに愛のある空気感を感じる」と感想を述べてくれました。

さぁ、この1ヶ月でどんな風にみんな変化していくのでしょうか?

1日目-3

これからの真学校の進め方と、今日のいさどんの開講挨拶を、みなさんにもシェアします。

「1ヶ月間の真学校の進め方~一人一人がクニツクリを」

皆さんは1ヶ月間の真学校に参加することによって何か良い方法をもらい、人生が切り開かれていくように思うかもしれませんが、それはとても受け身な心です。事実、皆さんはこの世界を担っているのですから、自らの人生を切り開くためには皆さんがこの世界を創ればいいのです。いつもそのチャンスは皆さんのまわりにあるのです。皆さんが思う存分、心地の良い世界を創れば、皆さんは自らの人生を心地良く生きることが出来ます。それは、自らの中から湧き出る考えが心地良いものであれば、まわりがそれに反応して心地良いものがあなたに返ってくるのですから、自然と皆さんのまわりには心地の良い世界が広がっていくでしょう。そうやって自分一人分だけの心地良い世界を担い、皆でそういった世界をネットワークしていけば、この世界は心地良い世界となるのです。

そのことに気が付いたならば、今までは心地良い人生は外から来るのではないかと思っていたことや、この世界にはないと探し回っていたことが、無意味で見当違いだったとわかるでしょう。

約30年前、僕に次のようなビジョンが降りてきました。「いつかこの国を司る役割を持っている人たちがここを訪れて、僕に問いかけるのです。『私たちはこの国の人々が本当に豊かで幸せになるように、一生懸命治めようとしてきましたが、これはと思うことをいくらやっても、それがどうにも上手くいきません。本当に国を正しく豊かに治めるにはどうしたらいいのでしょうか。』と問うのです。それに対して、僕はこう答えるのです。『それは制度や仕組みを創ることではないのです。ここにある自然を見てください。そして、そこに生きている人々の心を見てください。このような心や考え方で人々が暮らせるような国創りをすれば、本当に豊かな国になるでしょう。』」

これからは誰もが主役の時代です。これまで自らの特性を発揮出来ずにいた人たちも、それを個性として存分に発揮していく時代はすでに訪れているのです。

――

真学校の進め方について、まず必要なのは、何の目的でこの1ヶ月間に臨むのかということを一人一人が自覚する時間を設けることです。それは、今がどういった時代なのか、時代背景・社会情勢を知り、その中にいて自分がどういった立場なのか、一人一人が振り返るのです。そして、その関係に問題があるとしたら、そこでどうしたいのか、観える人はそこをしっかりと振り返り、逆に観えない人はそれをどう描き出せばいいのか、見出していく必要があります。

そのときに、この1ヶ月間を一人一人が自らの本当の姿を知り、自分と向き合う時間にしたいと考えています。その自らと向き合うときに、私たちは向き合いきれない人をサポートするためのアドバイスを多方面からの捉え方で提供していきます。しかし、一番大切なことは、参加者はそのアドバイスをもらいながら自分で振り返り、答えを見出していく力を身につけていくことです。

はじめに参加者は皆に自己紹介をします。それでも人は本音を出せないものですし、自分の本当を知らない場合もありますので、講義を提供しながらいつも本音を出せる場所を創っていきます。

はじめは私たちスタッフのサポートによってその場が出来ていくのですが、そのうちに参加者同士が個人個人であったり、全体のつながりの中で皆でサポートし合っていくような体制を創っていくのを理想的な目標としています。

 

そのような中で、提供するプログラムのメニューについても、何を提供するのかは途中から皆で考えていければと思っています。参加者は滞在期間中毎日日記を書いていただきます。はじめはそれに対してこちらからコメントをしながら、目覚めのための方向性を見出していくのですが、それは同時にそのコメントを受けながら、自らを理解していく時間にもしていきたいものです。その後、そういったコメントや日記を皆でシェアし合うような場も創っていきたいと思っています。

たとえば午前中に色々な情報の提供を受け、午後からは基本的に畑作業や食事作りの実習プログラムになりますが、人によっては一人で自らを振り返ったり日記を書く時間を持ったりと、そのようにプログラムに自由を持たせていきます。

そして、共通の話題については皆で考えていく場を創り、一人一人が自らのことをしっかりと捉え、かつ広い世界観を持つために社会のことにもつなげて、その中でどう自らを生かしていくのか、考えていく場を持ちます。今回出会った人たちと調和していくことを身につけていきながら、そういった主体的な場所を創ることを目指します。

あらかじめメニューは沢山用意してあります。そして、メニューの種類は紹介しますが、どのメニューを出すかはそのときに応じて決めていきます。最初はこちらのほうから提示していきますが、途中からは皆で選んで決めていきましょう。時には、メニューを使わなくても皆で語り合おうとか、メニューは皆の日記のシェアでもいいですし、一人一人の振り返りの時間にしてもいいでしょう。

今までの社会の色々な問題点は、制度が原因だとされてきました。そこで仕組みを創ればいいと考えられてきたのですが、その制度を創っているのは人間なのですから、本当は制度はどうでもよいのです。つまり、人間の質を変えさえすれば、その質にふさわしい制度になるのですから、制度は自ずと変わるのです。そして、心が出来た者が創る社会とそうでない者が創る社会は自ずと違ってきます。極端なことを言えば、人の心が出来てしまえば、制度も法律もいらなくなるのです。

1ヶ月間の真学校は、参加者一人一人がそのことに目覚め、その後の人生にその気付きを生かし、本当の健康と真の傍楽(はたらく・働く)を実現し、人々が豊かに生きられる社会創りの機会にしていければと思っています。

――

 

「今の時代を生きる一人として~1ヶ月間の真学校・いさどんの開講のあいさつ~」

今日、ここに集っている皆さんは、それぞれの人生や歩みがあって、性格も違えば環境も違う人生をこれまで生きてきました。しかし、皆さんの中に共通しているものがあります。それは、今の時代を生きているということです。過去をずっと振り返って46億年の地球の歴史からしたら、人類の歴史はそれほど長くはありませんが、その中で人は生まれては死んで、人は生まれては死んで、そのいのちを紡いできたのです。その時に、その時代にふさわしい魂が生まれてきていることがわかってきました。例えば縄文時代の人々や江戸時代の人々、そして現代の人々はその時その時代にふさわしい魂として生まれてくるようになっているのです。逆に言えば、人は生まれ変わるという輪廻の考え方からすると、そうやって時代と共に成長しながら、その時代を創る役割を担う為に生まれているのです。それを「クニツクリ」と言います。ですから、皆さんがこの時代に生まれてきたということは、この時代を担う役割をもらってきているのです。

ただ、人間には自我がありますので、過去も今現在も自分自身に意識が向き過ぎてしまって、国の為にという意識はほとんどありません。しかし、意識が高くなれば、地球を運営する役割や、宇宙の星々の関係を司る役割も担えるような意識になれるのです。

もう一つ、ここに集っている皆さんの共通点は、何かしら今の時代に不足感を持っていることです。皆さんのように今の社会の在り方に対し、これではいけないと思っている人たちが今の時代には増えてきました。人の心にそういった想いが芽生えるということは、人の心がこの世界を創っているのだとしたならば、時代が変わろうとする時が来ているということです。ただし、そうした不満だけを持っていても、時代を変える人にはなりません。その不満の種が何かを理解し、そして自らにとって不満のない世界とはどういった世界なのかに気付いた時に、この地球の歴史、人類の時代を変える人たちになるのです。それは意識が高くなって、世界観が広くなったということです。

ですから、今の時代に皆さんが不満を持っているとしたら、この世界を創っている側に自分は立っているのだと気付き、自ら一人分の姿勢を変えていったら、時代は変わります。そうやって人々が意識を変えていけば、確実に時代は変わっていきます。それは全ての人が変わらなくても、あるパーセントまで到達すれば、変わっていくムードが世の中に現れて、自動的に時代が変わっていくのです。大量消費や環境破壊、経済破綻と今の時代は、確実に飽和状態にあります。モノやお金や欲の人間関係が飽和状態になっており、多くの人はこのことに難色を示しているのです。

しかし、それに対して次の時代をどのようにしていったらいいのか、誰も見出せていません。それは今まであまりにも物質的な欲望に浸ってきたので、すぐには変えることができない状態なのですが、その解答がどこかで見つかったら、一気に時代は動き出すでしょう。2000年を境にして、時代は確実に変わろうとしています。正確に言うと、2012年12月21日の銀河の冬至で切り替わったのです。私たちは宇宙的にはすでに新しい時代に入っていますが、社会の中には古い時代の情報や傾向がまだ多く残っています。そして、そのことから世の中にはたくさんの問題があることが観えてきています。2015年を迎えてからも、マスコミが取り上げるニュースのネタは身近なことから国際的なことまで不自由することはありません。

そのように世の中に問題事が山積みされているように、今の時代を生きる私たちの人生でも問題事が山積みになっています。私たちの人生で問題事が沢山あればあるほど、人生は切り替え時が近づいている証になります。そして、それがピークを迎えた時に今まで所有していたものを捨てて、新しい人生をいただくことになるのです。この講座の中でも人類の歴史について情報を提供しますが、その一つに今、地球上で6億年の間に6回生物が絶滅したと言われています。私たち人間だったら、絶滅する前に「絶滅してしまうのだ!どうしよう!何とか自分を守ろう!」と思うものですが、絶滅する時は来るものです。しかし、大量絶滅した後にはいつも生命は進化し蘇ってきたのです。

例えば不摂生な生活をしている人が、何も考えないでそういった不摂生な生活をしていれば、それが知らない間にガンなどの病気をつくる元になるのです。それが小さな症状であれば、そのまま人は生きていくことでしょう。ところが、いよいよガンが大きくなって、死んでしまえば生まれ変わってもう一度リセットとなり、それはそれで良いことなのですが、それが死ぬ前に見つかったとします。「大手術をしましょう。あなたのいのちがかかっています」と伝えられた時に、手術をしていただいて、いのちが救われることは良いことなのですが、それは今までの不摂生な生活を改め、その次の人生を与えられて進化していく為にあるのです。

そうすると、悪いことは良いことになります。今、世界中が今までの人類の在り方で行き詰まっています。この現象は一人一人の人生としても捉えることができますし、一つ一つの国に対する姿勢にも当てはめることができます。それと同じように、私たちも一人一人オリジナルの人生を生きてきました。そして、今があります。そこで、今の自分の状態はどうかと診断した時に、あそこが問題、ここが問題、ここもだったと思うことでしょう。そして、「私は悪くないのに、こうなってしまった」と被害妄想に思っている人もいるのです。ところが、それを正しく観ていくと、自分の今までの生き様が観えてきます。そこから、自分とは一体何者なのかを分析して、未来に当てはめていけば、新しい世界が開かれるのです。それと同じ方法で、私たちの国も立て直すことができるのです。

今、天変地異が沢山用意されています。地震、火山噴火、スーパー台風、温暖化等、色々な自然災害が近未来に控えていると言われています。それはこの20世紀に高度に発展し、私たちに魅力的な生活を与えてくれてきた時代を壊し、新しい時代へいざなおうとする動きでもあるのです。その時に、もしそのような巨大災害が来たら、それこそ大量絶滅かもしれません。そうならないために、人間は自らを見直し、国家を見直し、人類を見直していく前夜が訪れているのです。

これは宇宙物語なのです。星と星の関係や、今までの地球の歴史を振り返ってみると、そこには法則があるのです。その切り替え時に今という時代があって、その時には私たち人類が方向を変えないといけないのです。それは地球との付き合い方を変えることなのです。人類とは個人の集合体です。ということは、個人が自らの生き方を変えるのです。宇宙的にも時代的にも、そして個人にとっても、その分岐点の時に皆さんは今、生きているのです。ですから、今生きている皆さんはこれからの新たな時代を創っていく代表者なのです。まずは足元の自らの生活から見直していきましょう。そして、この1ヶ月間の真学校の終わりに雰囲気が違う人に変身していたら、真学校の学びが社会で生きることになります。

私たちが情報を沢山提供しても、情報を学ぶだけでは事は成っていきません。大切なのは、人を変えることです。人が変わると、形は変わり、制度は変わります。人を変えないのに、制度を変えても意味がありません。

1ヶ月間の「真学校」の真は、真実の真と書きます。しかし、本当は「神学校」のイメージなのです。ただ、そのように書くとイスラム教の神学校のイメージになってしまうので、こちらの真という字を使っています。しかし、真実は、神という字を当てはめています。今、イスラム教は社会に大きな問題提起をしています。これは時代に必要だからこういう問題提起をしているのですが、そういったことも含めて、まず自らの真実を知ってもらいたいと思います。さらに社会の真実を知り、そしてなぜこの時代に自分が生きているのか、そしてどう生きて、どう死んでいくべきなのか。一人一人が自らと向き合い、真実に目覚め、個性的に人生をエンジョイしていくために、ここでの学びを生かしてもらえたらと思います。皆さんがそういったことに気付くための環境を私たちは提供し、皆さんに新たな意識を持っていただけたらと思っています。1ヶ月間、どうぞよろしくお願いします。