真実は変わる ~ 現代科学を超える宇宙物理・カタカムナ

真学校5日目は、いよいよ「カタカムナ」の講座に入ります。
カタカムナは、およそ1万3000年前に東アジアに栄えていた宇宙物理文明です。今、なぜカタカムナを学ぶのかについて、講座の冒頭にジイジが語りました。


ジイジ:
おはようございます。確かに昨日とは違うジイジです。昨日から今日までに地球は259万2000km移動しています。ここは宇宙空間です。今私の目の前にある一点は、地球と共にありますが、それは空間であり、地球が移動したらこの一点は宇宙空間に出ます。6分40秒ごとに地球1個分ずつ、私たちは宇宙空間を移動しています。たったの6分40秒で地球1個分ずつ移動しているわけですから、私たちが日常感じている感覚とは、宇宙の実体はまったく違うものです。
地球は自転しながら歳差運動をして公転するという、とても複雑な動きをしています。昔の人々は、今のように科学的に宇宙を観測し、データを持っているわけではありません。しかし、そのことを感じていました。
ガリレオは木星を観測して木星の周りを周る衛星を発見し、その観測から地球が動いていることを確信したのだと言います。当時の世の中は地球が中心であるという天動説が中心でしたが、ガリレオは地球が中心なのではなく、地球は太陽の周りを周っているのだという地動説を説きました。でも人によっては、地球は平らで、地面の下には象や亀がいて地面を支えていて、その周りを太陽や他の星々が周っているのだということが真実です。
人は、その時に自分が持っている情報と、自分が感じたことで、「これが真実だ」という答えを出したがります。それはそれでいいでしょう。何が言いたいのかというと、その時々で見えること、その時々で理解できることによって、私たちは真実を真実を決めてきたということです。ということは、真実は変わるということです。

本当の真実とは、どこにあるのでしょう。何かがわかった段階でそれが真実となり、次の真実、次の真実と移り変わっていきます。私たちはそうやって命をつなぎ、歴史をつくってきたということを、まず理解する必要があります。ですから、今からお話しするカタカムナの世界観を、現代に当てはめて、これがすべて正しいということを伝えたいわけではないのです。
今の世の中は、お金がもっとも重要な社会です。そして科学・テクノロジーが主体となって社会が成り立っています。そのことを私たちは否定できませんし、それで社会が回っていることは事実です。その中で、もしも科学者が「これが絶対だ」と考えてしまったら、それだけで答えを出していかなければならなくなってしまいます。その絶対は、10年、30年、50年前だったらいいかもしれません。けれどもそこで、地球の周りを天が回っているという世の中の説に矛盾を感じ、いや、地球自体が回っているのだ、と気付いた人がいたように、現代の科学一辺倒の考え方で今、たくさんの矛盾が世界中で起きています。

今年は、昨年に続き、なおやくんが中国語の通訳をしてくれています。なおやくんは個性的な人です。去年はもっと個性的でした。個性的で、付き合いにくい人でした(笑)。でも今、僕は今年のなおやくんを観て、なおやくんの時代が来ているな、と感じています。なおやくん自体は去年も今年も変わらないのに、今彼は爽やかに生きています。それは、なおやくんが変わったのだと周りは思うでしょう?でもなおやくんは頑固ですから、なかなか自分が変わるということはありません。つまり、なおやくんが変わったのではなく、時代が変わったのです。なおやくんに合う時代が、去年よりも1年分進んだということです。
それで僕は、なおやくんの活躍する時代が近付いてきたのだ、と感じました。かつて違和感のあった個性が、未来に道が開けると感じられるようになった。彼が必要とされるポジションがあるのです。でもお母さんから見ると、なおやくんは言わばニートでもあり、「困った子ども」なのです。
今、世の中にたくさんのニートがいます。ニートだけではなく、引きこもりもいます。それを表面的に観れば、ニートや引きこもりは社会に適応できない弱い人間で、問題だと捉えられることでしょう。しかし、僕はちょっと違う目線を持っています。
ある考え方で世の中が矛盾なく正常に動いている時は、みんながその流れで生きていけばいいでしょう。しかし、時代が変わっていく時に、時代の意思と社会の動きがずれてきたら、時代に合わせて社会は変わっていかなければいけないのです。そしてその社会をつくる人間も、変わっていかなければいけないのです。
かつて人々は、地球は平らでその周りを太陽や他の星々が周っていると思っていました。しかしある時から、いや、地球は球で、地球が太陽の周りを周っているのだと言う人々が出てきました。新しい考えが生まれる時、多くの人はそれに抵抗します。なぜ、時代は変わろうとしているのに、人間は変わろうとしないのでしょう。今もそうです。お金があれば幸せだとか、科学や物理が絶対だと思っていたり、自分や自分に近いものの幸せだけを願っている人間がたくさんいたら、時代は変わろうとしていても、社会は変わっていかないのです。

今から74年前に、大きな戦争が終わりました。そしてその後の復興の過程の中で、今の世の中の体制ができました。戦争ではたくさんの人が死に、人々はとても貧しく、辛い思いをたくさんしました。食べるものがない、着るものがない、住むところがない。そしてそれを得るために、お金がなければいけないという時代があったのです。衣食住の三つがなければ、人間は人間らしい生き方ができないと言います。それがなければ、人のものを奪ってでも生きていこうとします。そういった貧しい時代を通っていく中で、人々は、お金がそれを与えてくれるのだと思うようになりました。その時代を生きてきた人々にとって、それはとても強烈な記憶として刻まれています。そして、いつまで経っても「お金がないと生きていけない」「お金があれば幸せになれる」と考えています。それは固定概念というものです。何があっても変わらない、変化しない状態です。
古い人たちはそのようにして社会を創ってきました。みんながお金があって、住むところがあって、着るものがあって、食べることができる、「お金があれば豊か」という世界をつくってきたのです。そしてその時代の人々には、本当はこういう生活がしたい、本当は自分に合っているのはこういう仕事だ、と、自分の中に求めるものがあるにもかかわらず、生きるために、お金を得るために、本当に合うものとは別の生き方をしてきた人がたくさんいました。生きることは、我慢することだと。生きるためには、好きなことばかりやれるわけじゃない。生きるためには、自分の本当に求めるものも諦めなきゃいけない。そういう時代を生きてきた、ある意味、自分の心にウソを言って生きてきた人たちなのです。

その後のわずかな期間で時代はどんどん物質的に豊かになり、欲しいものが何でも手に入るようになりました。そして人間も、古い時代からどんどん新しい時代の人たちに切り替わっていきます。我慢して生きた人たちに代わって、我慢ではなく、本当に自分の求めることをやりたい、という人たちが出てきました。それは、古い人たちから見たらわがままに見えますね。しかし、そのわがままに見える「自分は本当はこういう生き方がしたいのだ」というものが、実は生きていく上で本当に自分に合っているものだとしたら、その人が活かされるためには、その生き方をするべきなのです。
古い時代の人たちは、自分が貧しくて苦しかったから、子どもたちにはお金やモノをたくさん与えて育てました。そういう子どもたちが育ってきて、確かに始めはわがままだったかもしれませんが、そのうちに、自分が本当に生きたい生き方はこうだ、と、見つける人たちが出てきたのです。古い時代をつくってきた人たちは、相変わらずお金がないと生きていけない、お金があれば幸せになれると思っています。その固定された考え方に対して、そうじゃない、お金のために自分の人生を無駄にしたくない、本当に人生の花を咲かせるためにはもっと別にやることがある、という人々が現れてきた現象のひとつとして、ニートや引きこもりが現れたのだと私は思っています。ですから、ニートや引きこもりは現象としてはいいことではありませんが、強い社会の固定概念を壊すためには、若者たちがそういう役割をする必要があったということです。
私は長い間、自然療法プログラムを通してそういう人たちの支援をしてきました。古い時代の人たちのことを否定しているわけでもありません。そして、ニートや引きこもりを否定しているわけでもありません。大切なのは、瞬間瞬間、その時に必要な真実は変わっていくということです。

今日はカタカムナの講座です。カタカムナ文明は、今から12900年前がピークでした。この時代の人々は、その時、その瞬間の状況を感じ取り、今を生きていました。それは何のためにかというと、生きるためです。つまり、生きるために直感が働き、瞬間を判断して生きていました。
そこには固定概念がまったくありません。変化、変化、変化、変化の連続です。宇宙を生きるとは、変化・変容・変態、つまり、変わり続けることが進化です。そしてそれが、生命力の証なのです。
現代の人々は、強烈なお金とモノの価値観に魅了されて、固定概念を持ってしまいました。そしてたくさんの矛盾が起きている現状が、見えなくなっています。だから、12900年前に戻れということではありません。瞬間瞬間を感じ取る生命力を取り戻し、現状を乗り越えていきましょうという話をしたいのです。

かなちゃん:
我慢して働いている人たちがいると聞いた時に、漫画やイラストなどの創作を仕事にしている人たちが、そういう人たちに下に見られていることを思い出しました。仕事の発注を受ける時に、あなたたちは好きなことをやっているんだからこのくらいの値段でいいでしょ、と。1年かけて用意したものがボツになっても、その1年分の労力に対する賃金は支払われません。

ジイジ:
固定概念の社会は、これは正しい、これは間違い、という固定された価値観があり、せっかく新しい若者の発想が生まれてきても、それをつぶしてしまうことがあります。ただ、もう一つ考えなければいけないのは、お金やモノを与えられて甘やかされて育ってきた結果、ただ自分のやりたいことだけをやり、わがままで生命力のない「若者」ならぬ「バカ者」もいるということです。そこを見分けなければいけません。
カタカムナは、これを学んで正解を皆さんに提供します、というものではありません。カタカムナを学ぶということは、自分の中に、瞬間を読み解く力を身に付けるということです。ただし、皆さんがこれを学んでただ知識として持ち帰っても、身には付かないでしょう。毎日の生活の中で、瞬間瞬間を感じ取り、読み解く力を身に付けていくのですから、これから一生をかけてそれを磨いていくスタートラインに立ったということです。それを皆さんにわかっていただいて、地球上のこれまでの科学を超える、ものすごく深い宇宙物理の話をします。

今の物理や化学は、実際には行き詰まっています。人々は、この世界の実体からしたらとても幼稚だと言えるロケットで宇宙を観測し、宇宙の成り立ちを知ろうとしています。しかし、宇宙は広大です。宇宙全体の広さからしたら、太陽系の太陽、水星、金星、地球、火星は、一体のような近い距離にあります。ところが私たち人間は、宇宙からしたら一体とも言える火星に行くのに、8ヶ月もかかるのです。
カタカムナを理解する能力は、人間の中にあります。こういったものを会得すると、科学的に観測しなくても、宇宙の構造が瞬間的に理解できるようになります。それから、観えないものの流れ、時の流れが観えるようになります。これから自然災害がたくさん来ますが、それはどんどん状況が変わるということです。その瞬間瞬間を感じ取り、そこを生き抜く力を身に付けるのです。
私たち生命にとって一番必要なのは、生命力です。その生命力にとって大切なものの判断を的確にできる能力を身に付ける。それは、私が皆さんの身に付けさせてあげるのではありません。皆さん自身がそれに興味を持ち、意識を集中していけば、その能力が研ぎ澄まされて上がっていくという、情報を提供しているのです。

 

 


21世紀の死生観・1~ 死は新たな旅の始まり

1ヶ月間の真学校の集大成とも言える講座「21世紀の死生観」。序章に続き、いよいよプレゼンテーションに入ります!

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いさどん:
『生まれてくることには目的があり、目的が終われば魂の本住の地へと還ってゆく』とあります。「還っていく」ということは、私たちの本来の住まいはそちらであるということです。
私たちは今、地上に生きています。それは、本来の地から、ある一定の期間だけ特別に降りてきているのです。何のためでしょう?それは、魂を磨き、優れたものとなるためです。しかしその磨き方を間違うと、中には汚れていくものもいます。汚れるとは、不要な思いがあるということです。そして、思いは、重い。ですから汚れるということは、重くなって、上へ上がれなくなるのです。あまりひどくなると、輪廻もできなくなります。

肉体を持ち、地上に降りると、たくさんの現象に出会います。その現象を通して、自分自身の心の垢が、たくさん見えてきます。性の講座で、性とは宇宙の根本原理であり、私たちの命を種としてつないでいく大切なものであるということを学びましたね。その性が、汚らしい、穢れた、おどろおどろしい世界にまで堕ちるのです。そういったことを、肉体を持つと、体験できるのです。
自らの魂の実態を知り、それを磨き、高めたいと思うものにとっては、肉体を持って様々な体験をすることのできる、この地球上での云わば体験ツアーは、とても大切なことです。そして誰もが、その目的のもとに生まれてきているのです。捉え方によっては、宇宙に無数にある星々を代表して、この地球という場所で魂を磨くための体験ツアーに参加していると言えるでしょう。
そうして一つひとつの魂が美しくなり、仕上がっていくと、いつか自らにふさわしいふるさとの星で、優れた魂として、その星を運営する側になる。そんな壮大なドラマも考えられるのです。

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私たちは生まれてくる時に、今までに成立させてきた過去の記憶を消されます。それは修行のためです。その理由がわかっていては、修行にならないからです。
私たちの本当のふるさとは、あちらにあります。簡単に言えば、私たちはもともと、宇宙の魂たちと同じ所属の存在であるということです。それが地球に降り立ち、人間として生きると、記憶を消されるのです。そして、生きることの本来の目的を見失い、迷いながら生きる者もいます。しかしいつかはその迷いを解いて、本住の地へと還っていくのです。
地球上の現実世界を見てみましょう。人間として生まれ、教育を受け、一生懸命勉強したとします。何のためにかというと、将来一流企業に勤めてお金をたくさん得るためです。そして土地を買い、家を買い、良い車に乗って、人生は大成功しました。物理的にやりたいことは何でもやれる。私の人生は満足だ ──── それが今の時代のステータスです。しかしそれを霊的な目で観れば、自我が膨らんだだけなのです。

我は、思いから湧いてきます。そして、重いものです。これは自分のもの、これも自分のもの、こんなにいっぱい大切なものがあると言って、たくさんの荷物を持っています。しかし、いずれ魂が自らのサイクルを終えて寿命を迎えれば、本住の地へ還らなければなりません。
死を迎えると、魂は肉体から離れ、質量がなくなります。ですから何も執着がなければ、スーッと上へ昇っていき、本住の地、天へと還るのです。ところが、思いというIMG_9708荷物を持っていると、重いですね。肉体を持っていると重くて上へは上がれないですね。ですから私たちは肉体を持って生きている限り、地上に居続けることになりますが、執着の強い思いを持っていると、肉体から離れても上へ上がることができないのです。
地上のことを、地の上と書きます。それは、地の国のことです。そしてそこで、思いが重く濁っていると、「地」の「国」に濁り(=濁点)が付いて「ヂゴク(=地獄)」になります。私たちは毎日を生きていく過程で、その体験をします。まだ寿命が来ておらず、結果も出ていないのに、すでに毎日地獄を生きている人もいるでしょう?
「クニ」をカタカムナでひも解くと、自由(ク)が定着したところ(ニ)という意味です。自由が定着したところというのは、現象をもらい、そこから学ぶことで、自我から解放されて、自由自在に変化できるということです。変化できるということは、囚われや執着がなく、常に人生の次へのステップを踏んでいく軽やかな生き方のことです。本当の「クニ」に生きるとは、地球の上でそのように生き、変化をくり返し、成長することです。そして、地球に生きる私たちの本当のふるさとは、天の国です。

「オモイ」をカタカムナで観てみましょう。
「オモイ」とは、モヤモヤと輪郭のはっきりしないもの(モ)が、六方向(前後・上下・左右)に拡大・収縮した(オ)位置(イ)、ということです。それが「オモイ」、つまり思いです。よくわからないものが拡大・収縮しながらそこに存在しているということです。どこか不安な感じですね。
それに対して「カルイ」という言葉があります。「オモイ」は重くなって沈んでいるという特別な状態を感じますが、「カルイ」をカタカムナでひも解くと、すべての現象化の根本エネルギーである宇宙最極小微粒子(カ)が継続をしている(ル)位置(イ)です。つまり、宇宙の一番元のエネルギーが、そのままの状態でい続けるということです。それは、もっとも純粋できれいな状態です。ですから、同じ「思い」でも、「オモイ」か「カルイ」かでまったく違うのです。
私たちは人生を歩む中で、それぞれの魂にふさわしい思いを持ちます。そしてその響きを発することで、それにふさわしい現象が起き、その現象が自らに返ってくることによって、自分自身が発した思いに出会うのです。ですから、人生が重いのか、軽いのかは、あなたの心次第です。

それでは、次のスライドを見てみましょう。

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木の花ファミリーでは、死ぬことを「出発(たびだち)」と言います。そして亡くなった人のことを、「出発人(たびだちびと)」と言います。これは木の花でつくった言葉です。お葬式のことは、「出発式(たびだちしき)」と言います。
一昨年の年末(約1年4ヶ月前)、メンバーのきょうこちゃんがガンで生死の境をさまよったことをきっかけに、自分はどのような出発を迎えたいかということを、メンバー一人ひとりにアンケート調査をすることになりました。数年前にも一度やっていますが、メンバーたちは、きょうこちゃんのお陰で死を身近に考えるようになり、改めてその機会を持ちました。

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一般的なお葬式は別れを悲しむものですが、木の花の出発式は、出発つ人が人生を終えた卒業式のようなものですから、祝福をする場です。亡くなった人の肉体は自然世界の循環の中へと出発ち、魂は元の本住の地へと還っていきます。

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多くの人は、死ぬことを人生の終わりと捉えます。この世界だけを見ていればそうなりますが、生死を超えた世界観で捉えれば、一区切りの人生が終わるということは、次の人生の始まりだということなのです。
その時に、肉体と魂の出発は別々です。私たちは、肉体と魂の縁によってこの世界に生まれてきます。生きている限り、肉体と魂は常にセットになっています。肉体は、宇宙が存在する限り、永遠に自然の中で循環し続けるものです。ですから、肉体に死はありません。
その常に循環し続ける肉体を、ひとつの生命として束ね、つなぎ止めているのが魂です。肉体の中に魂が入っている限り、肉体は新たな原料を常にこの世界から受け取りながら、古くなったものを排出してこの世界へ還していくという、循環の中にあり続けます。肉体は、毎日入れ代わっています。ですから、瞬間瞬間、生死をくり返しているとも言えるのです。
やがて生命としてのサイクルが終わり、魂が抜けると、それまで肉体を構成していた原料はその束縛から解き放たれて、自然世界へと還っていきます。そこでは、何もなくなるものはありません。宇宙の法則のままに、変化変容変態をくり返していくのです。
地上世界を生きるための縁が切れた、つまり寿命を迎えた魂は、肉体から離れ、それぞれの魂にふさわしい次元へと還っていきます。その魂が純粋で、軽いものであれば、本住の地へ還るでしょう。しかし、いろいろな執着や思いを持っていれば、重くなって、地上に留まることになります。その魂は地の国で汚れて生きることになり、地獄を生きることになるのです。

そういった生死の仕組みを理解した木の花ファミリーの人々に、自らの出発式はどのようにしてほしいかというアンケートを取りました。とても豊かな時間をみんなで楽しみました。私たちの魂の歩み(人生)は、宇宙の法に基づいています。しかし今の社会を生きる人々は、自らの概念によって様々な形で死を捉えているため、それぞれの個性を尊重するという意味で、メンバーの意識を調査しました。その結果、統一するべきものは統一し、個々の意志を尊重するべきものは尊重するということで、このアンケートを取ったのです。

これが、アンケートの具体的な内容です。

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このアンケートは、遺書です。②については、日本では、基本的に火葬をすることが前提になっています。僕の昔の希望は、死んだらそのまま畑に埋めて、その上に作物を作ったり果物の木を植えてみんなで食べるというものでしたが、耕していたら足が出てきたなんてことになったらまずいですから(笑)、とりあえず火葬をしてもらいます。
③は、その後にどのように出発人を祀るかについてです。それから④は、遺産についてです。遺産と言っても、基本的には木の花ファミリーは「自分のものはみんなのもの」という意識ですが、個々の人間関係によっては特殊な事情のある人もいますので、その場合はここに書いてもらいました。⑤については、ファミリーは基本的に全員出発式に参加しますが、その他に、この人は必ず呼んでほしいという人がいたら書いてください、ということです。
その下の治療方法についての部分は、寿命があるうちは病気になっても治りますが、寿命が尽きる時になる病気もあります。それを感じた時に、その治療方法をどうするか。例えば少しでも寿命を延ばすのか、それとも治療をせずに死を待つのかといったことについては、本人と周りの人々で協議をしていくということです。それから日本では臓器移植や検体も募集されていますから、そういったことについても本人とファミリーで死ぬ前に協議し、どうするかを決めます。

いさどんの考えでは、臓器提供は基本的にしません。なぜなら、人は生まれてきたら、充実した人生を送り、その先に潔く死を迎え、未練を残さずにサッと逝く。臓器移植に頼って生きることにすがるようなことはしてほしくないので、臓器提供はしないという考えです。
きょうこちゃんは寿命があったので、血液をたくさん輸血しました。同時に、彼女自身が元々持っていた血は、ほとんど外へ出てしまいました。僕はそれを、きょうこちゃんのガンを作った心が、血液と共に外に出てきれいになったのだと思っています。輸血でまた別の悪いものが入ってくる可能性もありますが、少なくとも、きょうこちゃんの場合は輸血が良い結果をもたらしたと観ています。
臓器提供を受ける前と受けた後で、人格が変わるという話も聞くことがあります。

なおやくん:
5年前に、心臓移植を受けたアメリカの黒人の少年のドキュメンタリーを観たことがあります。彼は心臓病で、移植を受ける前は家で本を読んでいるようなおとなしい少年でベジタリアンでしたが、移植を受けた後は活発になって外で遊ぶようになり、しかも肉食になったそうです。

いさどん:
私たちは、自分の魂にふさわしい肉体のパーツを持っています。その魂の汚れが臓器に反映されていたり、逆に美しい魂であれば臓器もまたそのように作られます。ですから、臓器移植を受ける場合にも当たりはずれがあるということも言えますね。人格を変えたければ、大量に輸血をしたり臓器移植をすれば変わるかもしれませんが、当たりはずれがありますからやめておいた方がいいでしょう。

木の花ファミリーでは、このアンケートをもって遺書とします。ですから亡くなった時にも、ここに書かれた本人の意志を尊重します。こんなものを用意していると、何だか楽しくないですか?書いてみたくなりませんか?(笑)ファミリーのみんなも、とても楽しんでいましたよ。そしてこれは、ずっと同じままとも限りません。年月が経つにつれて意志が変わっていく場合もあります。ですから5年に1回ほどアンケートを書き直す予定です。

では、現代社会の死の現状を見てみましょう。

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日本人の死因の第一位は、ガンです。そして若い人たちの死因の一位は、自殺です。興味深いですね。時代が変化していく時のつなぎ役となる天秤座世代(1971~1983年生まれ)と蠍座世代(1984年~1994年生まれ)の人々に、それが多く現れています。自殺する前は、ニートや引きこもり、うつ病であった人が多いということも、時代を表しています。これは冥王星が示す時代の周期と連動しているのです。

先ほどきょうこちゃんの血が入れ替わったという話をしましたが、体質が変わると、心が変わります。逆の観方をすると、ネガティブな人は、体質が悪くなるようなものを食べたり、病気になるような生活を好んでいるということです。お酒をたくさん飲み、ジャンクフードをたくさん食べて、元気な人もいますね。それはエネルギーが強いということですから、エネルギーがあるうちはそれでいいのですが、エネルギーが衰えた時に、その反動が一気にやって来ます。一方、「あそこが悪い」「ここが痛い」と四六時中病を抱えている人は、エネルギーを少しずつ消費しますから、意外と長生きをしたりするのです。
いずれにしても、それはどちらも良い人生とは言えません。大切なのは、そういったことをよく理解し、自らの精神状態と、そこから来る食生活や習慣をコントロールできる人であるということです。そうすれば、人は常に健全な状態で生きられます。

かなちゃん:
「病は気から」ということについて聞きたいです。私は真学校に来てからずっと風邪を引いているんですけど・・・

いさどん:
あなたの質問は、病というものをネガティブに捉えていますから、悪いことが起きているというように考えていますね。これまでも学んできましたが、病気というのは浄化作用でもあり、それまで自らが生きてきた結果を形で示してくれているのですから、チャンスでもあるのです。真学校で学んでいる間に熱を出す人がいますが、大人でも、新しいものが自分の中に入ってくると、知恵熱のように、それに適応するための症状が出たりするのですよ。「病は気から」と言いますが、病気にもネガティブなものもあればポジティブなものもあるということです。

むらちゃん:
そうか!「病は気から」というのはマイナスのイメージでしたけど、気には、プラスの気もあれば、マイナスの気もあるのですね。

いさどん:
病気は、時には治療することも必要ですが、病気を悪いものと決めつけると治療にばかり走るようになります。病気になったことの意味を探る心を、自らの中に持つことです。病気は、私たちに意地悪をするために起きるのではありません。目的を達成すれば、去っていくのです。そういった認識のもとに、病気と付き合っていってください。

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過半数の人が「ある日突然、心筋梗塞などで死ぬ」を選択していますが、何も心筋梗塞にならなくてもいいと思いませんか?心筋梗塞になるということは、体に欠陥ができるまで気付かずに、生きているということです。現代の人々はこういったことが主な死因になっているから、その死に方を選択肢として選んでいるだけのことで、それは良い死に方とは言えません。
私たちは、充実した人生を生きた結果、完熟して死を迎えるということを学んでいます。木の花ではそれを「ピンピンコロリ」と呼んでいます。死の間際までピンピン生きて、コロリと逝くということです。この場合の「ピンピン」とは、いつまでも二十歳でいるという意味ではありません。その年齢にふさわしい状態でいるということです。年を取ると肉体的には不具合が起きることもありますから、この場合は常に心がピンピンしているということです。
このアンケートの結果では、約3割の人が、「病気で多少寝込んでもいいから、少しずつ死に向かっていく」を選択しています。これも病気でじわじわ死んでいくわけですから、イメージとしては良くはありませんね。できれば最期まで健康でいたいものです。

死後の世界については、4割の人々が「ない」と答えています。これについて、考えてみましょう。
私たちは地球生態系の循環の中にいます。循環とは、回っているということです。それを真ん中で区切り、上の世界を見える世界、下の世界を見えない世界とします。見える世界を生き、見えない世界へ行って、また見える世界に帰ってくると、それは循環していると言えます。
もうすぐ、お昼になります。そうすると皆さんは、昼食を取りに行きますね。そして食べ物を見ます。その目に見える食べ物を食べると、それは体の中に入って、見えなくなります。そしてその見えなくなった食べ物のエネルギーは、私たちが動くために使われます。目に見えていた食べ物が、体の中へ入って見えなくなると、今度は形を変えて、エネルギーとして私たちの体の動きとなって現れるのです。その動きは、熱となって放出され、自然界へ還っていきます。もしくは汗となって自然界へ還ります。或いはトイレへ行けば、排泄物を出しますね。そこでは、体の中に入って見えなくなったものが、再び見えてきます。それも自然に還れば、分解されて散らばっていき、形を変えて、見えなくなります。
つまり、すべてのものは、見える状態、見えない状態、見える状態、見えない状態というように、ひとつの円の中をぐるぐると回っているのです。その円運動の中心にトキ軸が立ち、そのトキ軸に沿って進んでいくということは、円運動はらせん運動であることがわかります。

今は食べ物を例にしてお話ししましたが、私たちの命の仕組みも同じようになっています。自然生態系自体も、この生命ネットワークの中で輪廻しているのです。宇宙の構造は、トキ軸を中心としたらせん運動です。それはすべてが輪廻しているということです。
今、日本人全体の中で輪廻を信じている人は全体の約3割です。ところがなぜか若い人たちの間では、輪廻を信じている人が増えていますね。これは、時代が変わってきたということでしょう。
木の花では、単に想像で輪廻があるという話をしているのではありません。宇宙の構造や、地球生態系の構造など、私たちの毎日の生死の仕組みを、マクロからミクロまで観ていくことで、この世界は輪廻していることが自ずと観えてくるのです。

キリスト教では輪廻はないと言われています。しかし原始キリスト教では、輪廻思想があったのだそうです。ではなぜ輪廻思想がなくなったかというと、ローマカトリック教会が免罪符を発行するようになったからです。免罪符とは、どんな行いをしても、それを教会から購入すれば罰を免れるというものです。人々は何か悪いことをすると、そのことに対して神の前で懺悔します。その罪を免除するための札を作ったのが、免罪符の始まりです。それによって教会は莫大な資金を得るようになりました。宗教のもっとも罪の部分です。そしてその結果、輪廻思想との矛盾が生じました。悪いことをして魂を汚しても、お金を出して免罪符を買えば、きれいになれるというのです。免罪符とは、云わば天国への偽りの切符です。
しかし輪廻の仕組みの中では、人間が生きた結果、汚れていれば重くなり、天へは昇れません。きれいになれば軽くなって、自ずと元の場所(天界)へ還っていきますが、汚れが付いていればまた戻ってきて、もう一度きれいにしなければなりません。そのようにこの世界の実体は、どこを切り口に捉えても循環(輪廻)しているのです。
この仕組みは、大元の宇宙の法に基づいています。そしてその法則は、すべての事象に遍満し、現象化されているのです。ですから、私たちが常に日々出会う出来事を通して、生きること、死ぬことには、その法則がしっかりと反映されているのです。

免罪符によってカトリック教会は大変な財産を得て、輪廻という捉え方を抹消しました。そのようなひどい教えになったことで、後に宗教改革が起こります。そしてプロテスタントが誕生しました。
こういった、宗教がこれまでに行ってきたことを観ていくと、宗教がいかに人々を縛り、そして差別を生み出してきたかということが観えてきます。宗教は、優れた教祖がいて、そこに信者たちが群がるという関係をつくりました。聖人と呼ばれる人々は、その仕組みを利用して、支配の側にい続けるのです。それが組織となれば、階級が生まれます。そして信者たちは、免罪符を買ったり、教えに縛られていくのです。
宇宙の法が正しくこの地上に降ろされるようになれば、宗教はなくなることでしょう。しかし今は、そうではありません。宗教は、これを買えば幸せになりますよ、名前を変えれば幸せになりますよ、と言いますが、それで幸せになってはいけないのです。幸せを勝ちとるためには、幸せになるような人でなければならないのです。そして、幸せになるのにふさわしい生き方をした結果、幸せにならなければいけないのです。そうであればこそ、人々の人生に矛盾は発生しないのです。
この世界はすべて、その法則のもとにあります。ということは、それはどこででも実践できるということです。逆に言うと、ここでダメだったからと言ってどこか他の場所へ行けば良くなるのかと言ったら、そんなことはありません。その人の人間性が現象となって現れるのですから、不調和な自分自身を変えない限り、どこへ行っても不調和な人生を生き続けることになるのです。
宗教は、私のところが最高ですから、私のところへ来たらいい人生を生きられますよ、と言います。どの宗教もそうです。ここへ来たら救われますよと言いながら、互いに争っているのです。

誰も、一度死んでまた同じ世界に戻ってきた人はいません。テレビのリポーターのように、向こうの世界はこうでしたよ、と教えてくれる人はいないのです。
そこで、世界観を大きく広げてみましょう。私たちは生まれて、生きて、死にます。死ぬことによって、また生まれてきます。時は一方通行に流れており、そのトキ軸に沿って私たちは生まれ、後から生まれてくるものたちを迎えます。そして私たちが死んでいく時には、後から生まれてきたものたちが次を担います。それが宇宙の構造であり、私たちの体の仕組みもまた、同じなのです。

チェンフェイ:
霊と魂は、どう違いますか?

いさどん:
魂は、私たちを構成する一番の元にあります。これは、全体の種です。そしてその種をもとに、全体の設計図ができます。これが霊です。さらに、その設計図をもとに、ここまでが肉体の範囲だということを示す、見えない外枠ができます。これを幽体と言います。そしてその幽体に沿って物質的に表現されたのが、肉体です。

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肉体は幽体という輪郭に基づいて、現象化されています。ですから、例えば片腕を切り落としてなくしたとしても、元の輪郭である幽体は残って形成されています。そして、肉体がなくなって見えなくなり、幽体と霊体だけの状態で存在しているものを、幽霊と言います。
肉体は幽体に基づき、幽体の中に霊体があり、霊体の中に魂があります。ですから、チェンフェイの質問の「霊と魂はどう違うのか」ということについては、霊の中に魂が入っているのですから同じであるとも言えますが、種と設計図という捉え方をすれば、別物です。

この、種である魂と、設計図である霊体は、光でできています。光でできているのですから、それはもっとも理想的で、完璧な設計図です。ところが、この霊体と幽体の間に、カルマ(=業)が付くのです。それは太陽系で言えばちょうど、内惑星である火星と、外惑星である木星の間に、小惑星帯があるようなものです。そこにカルマが漂うのです。そしてそのカルマが、あなたらしさを表現するのです。
魂だけの状態になれば、本来誰もが美しいものです。では、自分を磨くとはどういうことでしょうか。それは、カルマを取り除くというよりも、カルマそのものを美しくしていくということです。例えばカルマを、石だとしましょう。その石の一つひとつは、とがっていたり、汚れていたりします。そこで、人生という洗濯機の中で、肉体までを含めた魂の入れものをガラガラと回してあげましょう。そうすると、カルマ同士がぶつかり合い、丸くなって、汚れがとれていきます。私たちはカルマを持って生まれ、人生という洗濯機の中でそれを洗い、自らを美しくしていくのです。人生は洗濯機、出来事は界面活性剤です。それで魂を磨くのです。

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ここは、とても大切な部分です。これまでの宗教は、人の心を安定させるためのものでした。それは、婚姻制度が地上に降ろされたのと同じようなものです。人々の欲望を放っておくと暴走してしまうので、その欲望を枠の中に収めるために、それが必要とされた時代があったのです。

しかし今、21世紀に入り、私たちは新たな時代への扉を開きました。これから求められるのは、人々を目覚めさせるものです。その目覚めとは、一人ひとりが個々の魂にふさわしく、オリジナルな役割を持っていることに目覚めるということです。それは、これまでの宗教のように、信者を既製品のようにして統率し、組織を運営するようなものとは違います。私たち一人ひとりがオリジナルに目覚め、自らがこの世界を担っているのだという意識のもとに、社会が健全に循環していくための役割を果たしていくということです。

それは、多種多様なものがそれぞれの役割を果たしながら、全体が調和しているという姿です。それがこの大宇宙の姿であり、銀河の姿であり、太陽系の姿であり、地球の姿なのです。その末端を担っている我々人間は、その仕組みを理解し、一人ひとりがその法則に則って目覚める時が来たということです。

 

「21世紀の死生観・2」へ続く〉

 


21世紀の死生観・序章 ~ 魂のランキング

1ヶ月間の真学校・第24日目。講座はいよいよ、この1ヶ月間の集大成とも言える「死生観」に入ります!

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いさどん:
おはようございます。皆さん、昨日と今日で、皆さんの中に変化を感じていますか?変化・変容・変態をくり返す宇宙を生きるとは、瞬間瞬間変化の連続を体験することです。そして、その変化の果てに訪れるのが、死ぬということです。
さて、今日のテーマは、死生観です。1ヶ月間の真学校には様々な講座がありますが、この死生観をもって、最終章です。

私たちは生まれて、生きて、死にます。「生まれる」ということに対して、私たちは選ぶことができません。気が付いたら生まれていました。では、生まれる前はどうだったのでしょう?ちょっと、生まれる前へ心を飛ばしてみましょう。

生まれるということは、生まれる理由があるはずです。私たちが生まれる目的は何なのか。そして、私たちが生まれてくる受け皿となる、この世界の意志はどうなのか。私たちが生まれる目的と、受け皿となるこの世界の意志が一致して、私たちは生まれてきているはずなのです。

さて、そのようにして、私たちはこの世界に生まれました。そこで、赤ちゃんは無垢なものであり、みんな同じように平等に生まれてくると言われますが、実際はそうではありません。生まれた国が違います。人種が違います。親が違います。親が違えば、その親の性格や家族構成も違いますし、お金持ちなのか貧乏なのかも違います。さらに、自分自身が持って生まれた魂の形が違います。お母さんの体から離れ、単独でこの世界を生き始めた瞬間の太陽系の惑星配置がそれぞれの人生を示している、ということも、この1ヶ月間を通して学んできました。
そうすると、赤ちゃんはみんな真っ白なキャンバスのような状態で生まれてきて平等に人生をスタートする、というわけではないですね。生まれてきたその瞬間から、自分だけのオリジナルな人生がスタートするのです。

生きるとは、自らの魂が生み出す「思い」を表現することです。思いは、それぞれの響きを持っています。私たちが生きて、思いを表現すると、その思いの響きがこの世界の何かしらに当たり、ふさわしい現象となって自らに返ってきます。自分がどのような響きを発するかによって、世界はその響きに正しく応え、ふさわしい出来事を与えてくれるのです。そうすると、人生で出会うすべての出来事は、自分自身を観ていると言えます。つまり、この世界は鏡なのです。

日本の神社には、神を祀る神殿があります。その中に、御神体があります。御神体とは「神の体」と書きます。御神体にはいろいろなものがありますが、多くは、鏡です。きれいに磨かれた鏡が、御神体として祀られています。
人々は神殿に赴き、神と対面します。その時に、鏡の中に、何が見えると思いますか? ──── そう、自分自身が見えますね。では、それをどう解釈しますか?
神殿へ行き、神と対面した。その御神体は、鏡だった。鏡に映っているのは、自分自身だった。ということは ──── 「ええっ!!神様って、自分なの!?」

受講生たち:
Yes!!

いさどん:
なるほど。自分が神である。それはひとつの理論として、正しいですね。私たちは、この世界の奥にある潜象界から、この世界を現象化するために質的転換をして生まれてきた宇宙最極小微粒子「カ」によってつくられています。潜象界から現象界へ、常に新鮮な「カ」が質的転換をしながら現れているのですよ。そして現象界へ現れた「カ」は、私たちすべての生命の魂の種となります。それは、命の種です。この種の段階を「命(ミコト)」と言います。ミコトとは種の状態ですから、肉体を持っていません。この状態を、神と言います。例えば、木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)、邇邇芸命(ニニギノミコト)などと神様のことを呼びますね。これは、肉体のない生命の状態です。それが、肉体という目に見える形を持つようになると、命の種だったものが芽吹き、育ち、命になります。その状態が今の私たちです。

やがてその命のサイクルが終わり、寿命が来ると、死を迎えます。その時に、魂は肉体を離れます。そうすると、それまで魂によってつなぎ止められていた肉体の構成物質は、その肉体の生命ネットワークから解き放たれ、現象世界の循環の中へと還っていきます。そして魂は、それぞれの意識レベルにふさわしい異次元宇宙へと還っていきます。異次元宇宙とは、地獄から天界まで幅広くあり、その中の自らに相応しい場所へと還るのです。

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生きている間に、自らの魂がどのレベルにいるのか。人間界にいるのか、菩薩界にいるのか、はたまた地獄を生きているのか。それによって、還っていく場所が変わります。その魂のレベルによっては、神と同一であるということが言えます。では、地獄のレベルにいるものを、神と言えるでしょうか。その魂の位置から言えば、神の域には達していません。私たちは、魂にはランキングがあるということを知るべきなのです。

生まれてきて、生きることは、命の仕組みです。それは宇宙の法則の中にあります。人生を生きるといろいろなことに出会いますが、その出会いは、自らの魂が何を発したかによって、それにふさわしい出来事が返ってきたということです。返ってきたものを見て、私たちは自分自身を知るのです。
その時に、返ってきたものを見て、これは私のものじゃない、誰か他の人のせいだ、世の中のせいだ、運が悪かったんだ、という人がいます。それでは、自分に都合の良いものが返ってくるように、お金で買いますか?そんなことはできませんね。それは、返ってきたものを自分のものとして受け取らないということです。

神社へ行くと、御神体として、鏡があります。鏡には、自分の姿が映ります。しかしそれは、神の姿ではありません。それは自分が映ったのです。
人生という旅の中では、常に、自らが発したものが自らに返ってくるようになっています。自らが注文したものが、あなたに届けられるのです。神社へ行って御神体と対面しても、そこで自分自身を見ることになります。鏡に映った自分自身の顔を見てください。どんな顔をしていますか?しかめっ面でしょうか。ニコニコしているでしょうか。そこに映った姿から、いろいろなものを感じるでしょう?私たちにとって人生とは、この世界という鏡に自らの姿を映し、それを観て、自らを悟るということなのです。

鏡に、自分の姿が映ります。その自分の姿に、汚れているところがあります。さて、どこでしょうか。

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「カガミ」の中心に、「ガ」がありますね。人生とは、世界という鏡に自らの姿を映し、返ってきたものの中に自分自身の「我」を見て、それを取っていくことです。ですから、神社には鏡が置いてあるのです。つまり、神殿に行って御神体と対面するということは、人生を生きることの意味を悟るということです。

ここでもうひとつ、お話ししたいことがあります。女性は、自らの体の中にもうひとつ、神殿を持っています。それは子宮です。子宮とは、「子の宮」と書きます。そこに魂が宿り、御神体として、産道(=参道)を通り、鳥居をくぐって、生まれてくるのです。それはとても美しい、神聖な物語です。
ところが現代の人々は、間違った認識の性により、その神殿を汚しています。神殿とは、人生そのものを表現する場です。そこにどのようなものを迎え入れて、何を育んでこの世界へ送り出すのか。それによってこの世界が創られていくのです。
性の交わりは、私たちが神社へ行ってお参りをするのと同じ、神聖なるものです。愚かな精神によって営まれる行いは、その神殿へ、汚物を迎え入れることにもなります。子宮という、命を生み出す神殿へ、どのようなものを迎え入れるのか。その神殿の管理人は、女性たち一人ひとりです。ですから女性は、とても重要な役割を担っているのです。

IMG_9797その神殿に宿った命は、十月十日(280日)の細胞分裂を経て、人として社会に生まれ出てきます。始めの細胞は、単細胞です。そこから複雑な細胞へと分裂し、やがて海に生息する魚類に進化します。ですから子宮の羊水は、古代海水と成分が同じと言われています。やがて魚類から陸へ上がって両生類となり、爬虫類へと進化します。爬虫類は鳥類と哺乳類へ分かれ、哺乳類の進化は猿へとつながっていきます。そして猿は猿人へ進化し、人類の祖先であるホモサピエンスとなっていくのです。
この受精から猿へ、猿から人へと変化していく過程は、約30億年の生命の進化の上に成り立っています。子宮の中でその進化の過程をたどり、人となった私たちは、最初に通った産道(=参道)を通り、鳥居をくぐって、人間社会へと旅立っていくのです。そして人生という世界の鏡を通して、自分自身を悟りながら、学び、成長していく旅が始まるのです。

「カガミ」の中に見える汚れは、自分自身の「ガ」です。では、その「ガ」を取り除くとどうなるでしょうか。そうすると、「カミ」とも言えますが、同時に「ガ」の濁点(=濁り)を取り除いて「カカミ」とも言えます。「カカミ」をカタカムナでひも解くと、宇宙最極小微粒子の「カ」が満つっている(ミ)状態だということです。この世界のすべての原料となるエネルギーは、「カ」です。「カ」がいたるところに遍満し、それがそれぞれにふさわしく満つり、多様性の世界が表現されているのです。魂のように目には見えないものも、肉体のように形があって見えるものも、すべて「カ」が満つったものです。
「カガミ」に映し出される姿は、その「カ」に濁りが付いて「ガ」となり、現象界に現れた自らの姿です。ですから、私たちすべての生命には、我があるということです。この世界の元である潜象界に存在する「カ」は、濁りも歪みもない、美しいこの世界の原料であり、エネルギーです。それが現象界に現れ、個性を持ち、様々なものとして現象化されたのが、この世界です。その世界の中で、時と共に、私たちは人生を歩んでいます。

私たちは人生をスタートした時点で、寿命を与えられています。人間としての平均的な寿命はありますが、実際は、今回の人生に対する契約がどれだけの長さであるかは一人ひとり違います。そしてその契約については、記憶を消されています。誰も、自分の寿命を知って生きている人はいません。先に答えを知ってしまっては、その手前の人生が狂ってしまうからです。狂うとは、先にものごとの結果を固定して、生を生きることになるということです。
現象界で生きるとは、時と共に旅をしているということです。そして時が進んだ分だけ、現象をいただくようになっています。つまり現象界を生きるとは、「今」との出会いの連続を生きているということです。今を生きることの連続が、生きているということなのです。
ところが、今を生きていない人々がいます。過去を振り返って悔やんでいる人もいれば、未来を考えて、まだ来てもいないのに物事を決めつけている人もいます。未来を自分の都合のいいように思うことも、やたらと不安に思うことも、まだ実際に起きていないことを決めつけて捉えているという意味で同じなのです。

人間以外の生き物は、今だけを生きています。しかし人間は、今を生きるのではなく、過去や未来に囚われて、現在を地獄として生きています。けれども、生きるということは、時と共に、瞬間瞬間を移動しているということです。アナログで表現すれば、カッ、カッ、カッ、カッ・・・・。デジタルで表現すれば、ピ────────・・・・。そのように、決して留まることなく、常に移動し、変化し続けているのです。そしてそれはどこかで必ず、終末点を迎えます。それは、出発点で約束してきた「寿命」というものに出会うということです。
寿命は、生まれる前に組んできたプログラムの中に入っています。時と共に生きる者には、それは知らされません。それを先に知らされたら、未来に囚われたり、過去に囚われたり、時を越えて思考してしまうようになり、生きる意味がなくなってしまうからです。
生きる意味とは、その瞬間、瞬間の「今」を生き、その瞬間に出会う出来事から、自らが発したものが何であるかを知って、学び、自らを変化変容させていくことです。そして寿命が来た時に、その寿命の終わりを悟り、生きている間にどれだけ学び、得られたかという結果と共に、次の次元へと向かうのです。そしてそこで、今世での学びの結果をもとに、次のサイクルへ入るためのプログラムを組みます。その時に、一人ひとり固有の寿命がプログラムされます。固有ですから、標準的な寿命の人もいれば、短い人も、長い人もいます。個々に存在する理由があるのですから、寿命の長さがそれぞれに違うのは当然のことです。そこで問われるのは、その寿命の間に展開される中身についてです。

生まれてくるということは、約束のもとにあります。生まれてから死ぬまでの間に私たちは様々なプロセスを通っていきますが、その中の3割ほどは、前もっての約束のもとにあります。まず、生まれますね。生まれたら、生の旅が始まります。やがて必ず、私たちは死にますね。これが人生の骨格です。これを避けて通ることは、誰もできません。
次に、生まれてくる時にどこを受け皿にするのか。日本に生まれるのか、中国に生まれるのか。そしてどの時代に生まれてくるのか。そういった人生の骨格の部分は、生まれた時点で決まっていますから、変えることはできません。
そのような条件の中で、いろいろな現象に出会いながら、自らの性質がどのように反応していくのか。その現象を通して学び、魂のレベルを上げていくものもいれば、まったく学ばずに生まれた時と同じ状態でい続けるものもいます。中には、下がっていくものもいます。上下するものもいます。そこについては、それぞれの魂の歩みに任されています。それが、私たちが生まれてから死ぬまでの間に与えられている自由です。

もう一度、カガミの話に戻りましょう。生きる本来の目的は、自らの我を取ることです。我を取っていくと、どんどん軽くなりますから、意識が高いところへと昇っていきます。そして、約束の寿命に到達します。その時に、生まれて生きて死ぬまでの、人生の結果が出ます。
人生とは、学校に入ったようなものです。死という卒業の時に、生きている時にどれだけ学んだかという成績表が出るのです。そして成績が良かろうが、悪かろうが、みんな卒業していくのです。その時に、たくさん学んでいい人生だったなと思うのか、まったく学ばず成長しなかったと思うのか、ひどい人生でさらに悪くなったと思うのか。それを採点するのは、誰か先生がいてやってくれるわけではありません。
皆さんは、心のランキングの図を見た時に、自分がどの位置にいるかということがすぐわかったでしょう?つまり、あなたは知っているのです。ですから私たちは、自らの死を迎えた時に、自己採点をするのです。

自己採点をすることは、とても重要です。もしも何か他のものに採点をしてもらったら、人間は「あの採点はおかしい」と言って、それを受け入れないかもしれません。人間は、ずるいものですね。しかし、自分で自分のことはよく知っています。自己採点をするからこそ、自らの人生を体験し、すべてを知っている自分自身には、ごまかすことはできないのです。
自己採点をし、今世を終わり、魂はふさわしい場所へと還っていきます。そしてまた、次の人生のプログラムを組みます。この世界と協議し、人生の様々な設定をして、寿命の契約をし、相応しい星の配置になるタイミングを狙って、3・・・2・・・1・・・オギャー!!と生まれてくる。そして、また新たなサイクルがスタートするのです。

今日のプレゼンテーションの表紙には、『目から鱗・21世紀の死生観』とあります。

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20世紀ではなく、21世紀です。21世紀に入り、30世紀に向けての1000年記の価値観がスタートしました。20世紀の延長線上に、21世紀があるのではありません。20世紀までの物質優先かつ男性主導の社会から、21世紀の扉を開け、30世紀に向けての新たな歩みが始まったということです。その世界では、物理性ではなく、精神性が優先され、男女が宇宙の原理にふさわしい対等の生き方をしていくための扉が開いたということです。それが、この1ヶ月間の真学校で学ぶ、最も重要なものです。
ですから、死生観も21世紀型でなくてはなりません。今の社会の現状を観ると、20世紀型の古い価値観は、どこでも行き詰っていることがわかります。それは、新しい時代の扉が開いたからです。しかし人々は、物質的豊かさの魅力に憑りつかれて、自らの欲望によって翻弄されています。まだまだ人間の世界では、精神性優先の価値観が本来のこの世界の大本であるということに気付けないのです。

しかし今、ここに集っている皆さんは、その古い20世紀型の価値観を越え、新たな価値観を求めているからこそ、縁が紡がれ、集いました。そして1ヶ月間の真学校を通して、世界観を広げ、宇宙の構造を学んできました。この死生観の講座では、生まれてくる前、そして死んでいった先の世界までに視野を広げ、私たちはなぜ生まれ、なぜ生き、なぜ死ぬのかを探求していきます。これは、この1ヶ月間の学びの、最終章です。

 

「21世紀の死生観・1」へ続く〉

 


波動が高いということは、壊れるということ

1ヶ月間の真学校も、いよいよ大詰め。全4回にわたって行われた『性と宇宙』の講座の中で、こんなお話がありました。

『性と宇宙』の講座を行ういさどんとみかちゃん
『性と宇宙』の講座を行ういさどんとみかちゃん

いさどん:
天然循環と自然循環の違いについてお話しします。

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私たちは、形ある世界、即ち「見える世界」に存在しています。この「見える世界」は、「見えない世界」の心や思いによって、現象化されています。「見える世界」を陽とすると、「見えない世界」は陰になります。そしてこの「見える世界」と「見えない世界」を合わせた、形をつくる世界を「ある世界」と言います。

この宇宙は、どんなものでも必ず対向発生をしています。つまり、逆の性質を持つもの同士が向き合うことで、成り立っているのです。そうすると、「ある世界」があるとしたならば、それに対して「ない世界」があるはずです。しかし、これまで私たち人類は、「ある世界」だけを解釈し、探求してきました。近代の文明では、この「ある世界」の奥にある「ない世界」というものは、一切表現されてきませんでした。特に現代は、科学的思考が世の中の主流となっていますが、物理・化学の世界では、形のある「見える世界」こそが重要とされています。それは私たちに優れた近代文明をもたらしましたが、深さとしては浅いものでした。

そして今、私たちはカタカムナ宇宙物理学に出会い、「見える世界」と「見えない世界」を合わせた「ある世界」の奥に、「ない世界」があるということが解明されてきました。おもしろいですね。「ない世界」が「ある」のです。ないものがあるというのですから、難しいですね。
これは、インドで0が発明された時と同じようなものでしょう。0は「ない」のですが、0が「ある」ことによって、他の数字があり、世界が広がっていくのです。

カタカムナでは、「ある世界」を現象界、「ない世界」を潜象界(せんしょうかい)と言います。「ない世界」は、「カムの世界」とも言います。カムの世界は、響きだけの世界です。響きとは、音のふるさとです。そこには音も存在せず、音の元となる響きだけがあります。それを簡単に言いますと、この世界の一番奥にある「神様の心だけの世界」です。
潜象界には、一切の濁りも歪みもなく、すべてがピタリとかみ合っています。ですから、現象も起きません。そこからアマ界を通って現象界へと現れる時に、歪みが発生します。この歪みによって、現象が生まれるのです。
潜象界から現れたばかりの歪みは、自然の美しい歪みのネットワークです。ところが、自然の美しい歪みである「見えない世界」から「見える世界」へやって来ると、人間の欲や思惑による人工の歪みが加わり、どんどん歪みが大きくなります。その結果が、現代社会の現状になります。

こちらのスライドを読んでください。

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私たちは、物理、化学の世界を発展させ、様々な矛盾を地球上にもたらしました。自然にはない矛盾を、自然世界にもたらしたのです。そしてその矛盾は、今や自然世界の中だけでは解消できないものとなっています。
海の水に入り込んだ重金属やマイクロプラスチックは、もはや回収不能といわれています。原発から生まれる放射性物質も、人間の力で解消することはできません。この問題を解決するには、今起きている矛盾を、すべての現象のふるさとである「ない世界」へと還すことが必要なのです。それによって歪みが解かれ、元の正常な響きへと戻り、また次の現象化のための正常な原料となることができるのです。
現代の地球の矛盾は、人間の誕生によってもたらされたものです。ですから、この矛盾を解消するためには、人間たちがこの矛盾の仕組みを理解し、「ない世界」へと送りかえす、そのための学びが必要です。人間が「ない世界」の存在を理解して生きれば、人間がつくった矛盾は、元の世界へと還っていきます。その仕組みのことを、天然循環と言います。

そして、宇宙の創造、発展、消滅の仕組みを理解したものを、「ヒト」と言います。ヒフミヨイムナヤコトと進むこの世界の数理の仕組みの「ヒ」から「ト」までを理解した者ということです。ヒトという、宇宙の構造を理解した者は、高次の意識を持っています。その優れた精神は、この世界に、潜象界の美しい響きをもたらします。この世界全体の構造を理解し、潜象界にまで意識が届くことで、地上の矛盾を潜象界へと送り還し、歪みや濁りのない、元の美しい響きへと還すことができるのです。そしてその潜象界の高い生命エネルギーを、現象界へと引き出す存在ともなるのです。

マイクロプラスチックや、放射性物質などの矛盾は、もはや人間の力では解消できません。これを解消するには、その仕組みを理解し、人々の波動が高くなる必要があります。いいですか。波動が低いということは、壊れないということです。波動が高いということは、壊れるということです。
波動が高くなると、質的転換が起こります。もち米を蒸して突くと、圧力が高まって波動が高くなりますね。波動が高くなったものは、私たちが食べると質的転換を起こし、エネルギーになります。波動が低いものは質的転換が起こりにくいですから、いつまでもその形が残ったままになるのです。
宇宙は、常に変化することで成り立っています。波動が高いところでどんどんどんどん変化すること ─── それが活性化です。人間が自我を持ち、欲を持つと、変化しないことを求めるようになります。何かに囚われ、現状を守ろうとするのです。しかしその自我の欲が満たされても、人間は成長しません。むしろ、その欲に支配されて、不自由に生きることになるのです。
けれども、人間が自らを手放し、自分から解放することにより、自我の枠から離れることができます。この、自分自身を手放すことを、シヴァのはたらきと言います。シヴァとは、破壊の神の物理性です。宇宙は、この世界をどんどん変化させていきます。それは、無限の宇宙の中で、トキ軸を柱にし、常に先へ先へと、未知なるところに向かって旅し続けているということです。それが生命の宿命であり、宇宙を生きる上で正常な状態なのです。その中で、私たち人間も、自らの価値観を絶対とするのではなく、宇宙が変化していく流れをいただいていく。「いただく」ということは、古いものを捨てるということです。

宇宙を生きるとは、どういうことでしょうか。それは、自分を手放すということです。ところが、現状に執着する人にとっては、それは苦痛となります。そして宇宙の流れに逆らってでも、現状を保とうとするのです。そうすると、宇宙はその人に問題ごとを与えます。それは宇宙の法則からのメッセージです。そしてそれが、神様が私たちに与えてくれている、愛です。あなたを捨てなさい。そして私と共にありなさい ──────

この愛は、いじわるをしているみたいですね(笑)。けれどもこの愛は、宇宙を生きるのに最もふさわしい生き方を教えてくれています。私たちの自我による愛は、この世界に矛盾をつくる愛です。今、そういったことを理解した人間たちが、これからの地球上に生きていくことが求められています。それが、この宇宙の物理性を正しく現実化することになるからです。
そのことを理解した者たちは、今の地球上の矛盾を、どんどん潜象界へと送りかえします。そうすると潜象界は、その矛盾を、まったく汚れのない、宇宙の最極小微粒子である「カ」という最も小さい単位にして、再び現象界へと送りかえすのです。この形ある「カタ」の世界(現象界)と、神の心である「カム」の世界(潜象界)を、行ったり来たりしながら質的転換「ナ」を繰り返す宇宙の仕組みが、「カタカムナ」です。そしてその推進力になれるのが、「ヒト」です。それはこの潜象物理を理解した者だから、できるのです。

みかこ:
ちょっと横道にそれますね。波動が高いものは壊れる、波動の低いものは壊れないという話から、閃きました。

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食の講座の中でお話ししたように、細胞の中には、酵素が入っています。酵素というのは、あらゆる生命活動の変化を促す、大切な存在です。ところがこの酵素は、細胞膜の中に入っていると働けません。食べ物に含まれる酵素が働けるようにするには、細胞膜を破らなければいけないのです。
ですから、細胞膜を破るために、その食べ物をすりおろしたりします。そうすると、中から酵素が出てきて、より働けるようになります。

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私たち一人ひとりは、地球の細胞だと言いますね。そうすると、酵素にとっての細胞膜は、私たち人間でいうと、自我の枠です。この枠の中にいると、宇宙の法が入りません。
よくいさどんが、一人の人を解明していく時に「三枚おろしにする」と言います。その人の心をバラバラにして解明するということです。そうやって、自分が何者かを知り、自分というものを手放して、この世界に心を開けば、自動的に宇宙の法が入ってきます。

いさどん:
女性の体の中でできる卵子も同じですね。精子が来て、膜を破って中に入り、命になります。

みかこ:
それが交わるということの結果ですね。

いさどん:
ですから、この酵素の図は、精子と卵子の出会いであるとも言えますし、男性器が女性器に入って命を生む子宮だとも言えます。

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みかこ:
「囚われ」という字と「閃き」という字は、どちらも中に「人」が入っています。

  囚  閃

人が枠の中にいれば「囚われ」ですが、その枠が壊れると門となり、宇宙の法が上から降りても来れば、下からも湧いてくるようになります。下から湧くということは、自らの中から湧き出すということです。
自我の枠が壊れれば、細胞膜が破れて、酵素が生命のために働き出すのと同じように、人間が法と共に、この世界のために働くようになります。1ヶ月間の真学校でやっていることは、そういう人になっていくことです。

いさどん:
現代の社会にある矛盾は、もともと自然界にはなかったものが、人間の自我を優先する営みによってもたらされたものであるとすると、それを元の正常な状態に還すのも、人間に求められている、もしくは、託されていることなのです。しかしながら、現代の人間たちは、そのような物理性の理解ができていません。そこで、古代の叡智カタカムナの宇宙物理の智恵を人々が会得し、古代の人々が自然や天体と共に生きていたように、高次の意識に立ち返ることにより、その矛盾をこの世界の大本に還し、濁り、歪みのない新たな美しいエネルギーとして、また現象界に迎えるということが可能となるのです。
これは、物質至上主義で、二元の思考を持つ人間たちには理解できないものですが、20世紀を越え、30世紀に向け、新たな進化の道が開かれた今、これからの時代を生きる人々にもたらされる目覚めの叡智なのです。

 

 


正しいヒメゴト・命を生み出す宇宙の根本原理 〜 性と宇宙

1ヶ月間の真学校・第18日目。今日の講座は、「瀬織津姫(セオリツヒメ)の舞」から始まりました。

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瀬織津姫とは、日本の神話に登場する神様であり、水を司るはたらきをします。木の花ファミリーでは、毎年節分前に、世界中の水を一つに融合し、その周りを人々が丸一日舞い踊る富士浅間木の花祭りという祭りを開催しています。この祭りに、今年から新たに、瀬織津姫の舞の演目が加わりました。そこには深い意味が秘められています。
18日目の講座のテーマは、『性と宇宙』。この講座がなぜ、瀬織津姫の舞から始まったのか。講座冒頭、いさどんは瀬織津姫について語り始めました。

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いさどん:
瀬織津姫という存在について、日本人もほとんどそのはたらきを知りません。
どのくらい昔でしょうか。日本の神話が、改ざんされました。日本は「日の本の国」と言って、太陽の国です。ですから国旗も、太陽を表しています。そして天照大神(アマテラスオオミカミ)という、太陽の神様を崇めます。
この天照大神は男神であり、瀬織津姫という妃がいました。しかし神話の改ざん後、天照大神は女神になってしまったのです。女神に妃がいてはおかしいですから、瀬織津姫は封印されることになりました。同時に、太陽神である天照大神の男神としての働きも、封印されたのです。そしてそれ以来、人間の社会は男性が支配するようになりました。
太陽神という、神話の中でも一番のトップである神様を女神にしたのに、なぜ男性の支配する社会になったのだと思いますか?

ようくん:
本当の男性性を封印したから。

いさどん:
そうです。
群れを統べる存在を、長(おさ)と言います。村長や酋長などの長ですね。この長には、「オサ」と「ヲサ」の二つがあります。カタカムナで、「オ」は「六方向(前後・左右・上下)に限りなく拡散、または凝縮する思念」であり、「ヲ」は「奥に達して収まる」ことを表します。「オサ」とは、力を用いて権力で治める存在です。これに対して「ヲサ」は、宇宙の叡智をもって治めるのです。
神話の改ざんが行われた時、この「ヲサ」が、「オサ」になりました。宇宙の柱を降ろす真のリーダーの精神性が封印され、力を用いて戦いに勝つ者がリーダーになったのです。現代で言えば、その力とはお金やモノです。金やモノの力が、世の中を支配してきたのです。

では、「セオリツヒメ」をカタカムナで紐解いてみましょう。

「セ」・・・狭いエネルギーが集中しているところ。表からは見えにくい狭いところや後ろ。隠れているという意味。瀬、背。
「オ」・・・六方向に限りなく拡散・収縮する。発展という意味。
「リ」・・・本体からの分離。
「ツ」・・・集う。高次の限定空間。つまり、意識の高いものが集っている。
「ヒ」・・・秘か。ものの始まり。静から動への出発点。日、火、一つ。
「メ」・・・時間の経過と共に発達するもの。表面に出ている部分は小さくても、見えないところに大きな広がりを持つ。目、芽。

「セオリツヒメ」とは、まだ皆にはよく見えない、奥に隠れていて広がるエネルギーが、独立し、集い、秘かに芽が動き始めているということ。つまり、それはとても大切なものですが、浅いところでは見えない、奥にあるのです。その奥にある大切なものを観る目を持つことを伝える存在、それが瀬織津姫です。その存在が封印されてきたということは、真実を見出せない今の世の中が、まさしく逆さまであることの示しと言えるでしょう。
先ほどの舞は、瀬織津姫の舞です。あの衣装の青い色は、水の色です。潜象界から現象界に最初に現れる物質が、水です。地球の生命の世界では、水は、私たちの体の血液と同じように、最も大切なものです。水が地球の命をつなぎ、循環させていくように、私たちがこうして生きているのも、血液があり、それが体の中を循環しているからです。しかし血液は、外からは見えません。奥にあって見えないものですが、とても大切な働きをしています。
同じように、瀬織津姫も奥にあって大切な存在ですが、それが封印されて、見えるものが大切になる時代がやって来ました。それが今の人間社会です。奥にあり、大切なものである女性性が封印され、それを収めていく男性のリーダーもいなくなりました。ヲサがオサになったのです。日本で言えば1000年以上、それは封印されてきました。そして女性性が封印されることによって、封建時代がやってきました。
今、女性性の復活ということで、社会では男女平等が叫ばれています。今日は性についての講座ですから、このことが性についてどのように関係があるのかを、お話しします。

天の法則を地上に降ろすことを、カムウツシと言います。これは男性性のはたらきです。見ることも感ずることもできない奥にある「ない世界・カム(潜象界)」をうつすのですから、潜象界を現象界に現すということです。これに対し、その天から降りてきた法則の種を受け、横の回転を起こし、現象化する力を、アマウツシと言います。これは女性性のはたらきです。この二つの働きによって、命が生まれます。そしてこの二つの力は、対等なものです。

潜象界から現象界への狭間にあるこの部分を、アマ(宇宙、もしくは天)と言います。これは、宇宙の子宮です。

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天の種を降ろしてくる縦の柱が男性性、それを受けて横に回転し現象化する働きが女性性です。この潜象界と現象界が交わり、現象化する世界がアマ(宇宙)です。それは天の子宮です。ですから、この縦の働きが男性器であり、横の回転が女性器だということです。
カタカムナ的物理学でひも解くと、宇宙はこのような構造になっています。この縦の柱のエネルギーと、横の回転軸のエネルギーは、対等のものです。宇宙を成り立たせるには、両方がないと成り立ちません。
しかし、今の男女の関係は、対等ではないですね。なぜそうなったかというと、ヲサからオサになったからです。つまり、宇宙の叡智よりも、人間の権力で治めようという力が働いたからです。

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天の種は、光が元になっています。すべての物質化の始まりは光です。
地球の光は、太陽です。太陽は毎日やって来ます。毎日昇って、毎日昼間が来ます。私たちの体の中で、太陽のサイクルをもって作られるのが、男性の生理、精子です。これは毎日作られます。それに対して、女性のサイクルは月のサイクルです。それは夜のサイクルという意味ではありません。夜は毎日来ますから、これも太陽のサイクルなのです。女性性は、月が満ちていき満月となり、欠けていき、また満ちるというサイクルです。ですから女性の生理である卵子は、月のサイクルで作られます。
地球に生命が誕生したのは、太陽の力だけによるものではありませんでした。月ができ、そのサイクルが地球上の海に満ち引きを起こし、最初の生命が誕生しました。太陽だけではなく、その受け皿となる月のサイクルが地球に寄り添ってあったからこそ、生命が生まれたのです。月と太陽。この陰陽二つの働きによって、地球は生命の星となりました。ところが、現代の私たち人間の男性と女性の関係は、男性が力で女性を支配する、という時代が長く続いてきたのです。

もう一つの捉え方があります。男性が権力や財力を持つことにより、女性がそれに媚びを売るようになりました。今の女性は、いい男とはお金をたくさん持っている人のことだと言うでしょう?男性の本質を観て、いい男だとは言わないのです。昔はまだ、強さや逞しさを男性の魅力としていましたが、今はほとんどお金になってしまいました。それは、世の中を権力や財力で支配することがいいことだとされる、オサの時代だからです。
ここが微妙で大切なところですが、例えばトドやサルのように、群れを作る動物たちが自然界にいますね。その中で、一番のボスになっているのはオスです。ボスはその座を力で勝ち取ったように見えますが、実はメスが支持をするから、そのオスが選ばれたのです。誰をボスにするかを選ぶ権利は、メスにあるのです。もしもオスが他のオスとの戦いに勝ち抜いてトップに立ったとしても、メスに支持されなければ、リーダーにはなれないようになっています。つまり、表面的に見えるリーダーは、奥にあって見えないメスたちによって支持され、その立場にいるのです。
私たちはこれまで真学校の学びを通して、宇宙の仕組みを学んできました。宇宙は陰陽から成り、陰は目に見えない奥にある、大切なものです。まず始めに陰があり、それを元に、形である陽が発生します。ですから、本来この世界では、女性性が、正しいもの、優れたものを選ぶ智恵を持っているのです。つまり、メスがオスを選ぶ権利を持っています。それによって、女性と男性の力が、役割として対等になるのです。それがこれからの時代の男と女の関係です。

何か、今の社会と違うでしょう?男性は、一生懸命男を磨く。そして、その磨いた男を女性が選ぶのです。しかし女性の目が曇っていると、お金やモノや権力で男性を選ぶようになります。僕は、今の世の中の性が乱れているのは、女性の正しい判断力が封印されたからだと観ています。簡単に言うと、女性がバカになってしまったのです。(笑っている受講生たちに向かって)これは本当の話ですよ。女性が支配する社会というのは、平和な社会です。
ニューギニアかどこかの部族には、女性が働き、生活を支え、男性はブラブラしていて、どちらかというと女性に従っている部族があります。しかし、その部族をまとめるヲサの役割をするのは、男性です。男たちはブラブラしていますが、ただ遊んでいるのではなく、必要な時に部落を守り、まとめて引っ張っていく役割は、男性なのです。
これからの世の中には、その仕組みが復活します。2012年12月21日に、私たちは太陽と共に、25800年ぶりの「銀河の冬至」を迎えました。闇のピークである冬至を過ぎたということは、これから夏至に向かって光が増していくということです。

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カタカムナ文明は、今から12900年前の銀河の夏至の時代に東アジアに栄えていました。夏至とは光のピークです。その時代、カタカムナの叡智は光に照らされ、人々によって生活の中に表現されていました。やがて銀河の冬至に向かって闇が増していくにつれて、その文明は封印されていきました。しかし、闇のピークを越えて、光が増していくサイクルに入った今、時代はそれが復活していく流れにあります。だからこそ、今このことが語られているのです。

女性性の復活というのは、単に制度的に男女が平等になるということではありません。それは、女性が女性であることの意味を理解し、正しい目を持つ者になるということです。同時に、これまでの男性優位の社会のような、男性が力や財力によって支配してきた時代が終わるということです。男性は、力や財力ではなく、智恵を持って、リーダーとしての役割を果たすのです。
男性は、この地上世界に宇宙の法を降ろします。女性はその法を受け取り、それにふさわしい、秩序ある地上を創るのです。その時に、種を降ろす男性と、それを受けて現象化する女性は、対等な存在です。男性性と女性性が対等となり、世界が運営されていくのです。その宇宙の仕組みが、地上に表現される時代が来たということです。

もう一度、整理しましょう。これまで男性は一生懸命、権力や財力を持つために努力してきました。そして女性を支配してきました。もしくは、その権力や財力を持つ男性に、女性は媚びを売ってきました。しかしこれからは、女性が正しい目を持ち、優れた男を見分ける力を持つということです。それに対して男性は、女性から選ばれるように努力し、男を磨くということです。オサではなく、ヲサになる努力をするのです。
それは本来、当たり前のことです。しかしあまりにも長い間、男性が力で支配する時代が続いたため、今の人々には、この当たり前のことが理解できないのです。女性は、男性にへつらうことが染みついています。そのことについて、これから講座の中でひも解いていきます。本当の男女平等とは、どういうものなのか。真の平等は、宇宙の法に則った、正しい陰と陽の関係にあるのです。

先ほど、瀬織津姫をカタカムナでひも解きました。それは、目には見えない奥にある大切なものであり、それを観る目を持つことを伝えてくれる存在です。
「ヒメ」をカタカムナでひも解いてみると、「ヒ=秘か。ものの始まり」「メ=芽。目。まだ見えないところに広がりを持っている」ですから、ヒメとは、秘かに芽が出ていること。節分前のまだ寒い時期に、表面的には何も動いていないように見えても、土の中では秘かに芽が動き出しています。その命の芽吹きのことです。
女性のことをヒメと言います。それは、表面には見えていませんが、現象化するためにもっとも大切な存在だということです。

みかこ:
私たちは現象界に生きています。だから、現象界から潜象界を見ても、このアマ界で起こっていることは見えません。でもここにはとても広がりのある世界があります。天の種を降ろす縦の男性原理と、それを受けて回転させ現象化する横の女性原理の働きは、この見えない世界で起きています。この回転はらせんを描いて現象界に現れますが、芽というのは、この渦の先端のことを言います。それは芽であり、目です。だけど物理的な目で見ると、この先端の奥にある広がりが見えないのです。

いさどん:
見えないところで起こっている ──── 男と女が交わって、種を降ろし、命を生み出すのは、見えないところでやるでしょう?それを「ヒメゴト」と言います。
男女の交わりは命を生み出す宇宙の根本原理であり、とても神聖なものです。ところが現代は、それは後ろめたい、忌まわしい、隠さなければいけないものになってしまいました。なぜだかわかりますか?本来の性の意味を履き違え、欲望のままに人々は性を行うことにより、人々の中に、それは悪いものだという心が生まれたからです。ですから、それを隠すようになったのです。
瀬織津姫は、正しい性の物理性の象徴です。それは、宇宙が現象化し、命として生まれてくる仕組みのことです。私たちの性も、本来そのような神聖な意識のもとに行われなければなりません。
このことが理解できないと、この講座で伝えようとしていることが、伝わりません。今の社会が最も逆転現象を起こし、真実から外れてしまっているのが、この性の原理なのです。

宇宙は生命そのものです。その仕組みに倣い、私たち地球の生命も、人間も存在しています。ですから、宇宙の原理に則って、私たちも命の循環に倣い、生きていかなければならないのです。
ところが、人間は自我を持ち、宇宙から自らを切り離してしまいました。生命誕生の仕組みである宇宙の根本原理を、自らの自我で汚してしまったのです。性という聖なるものを、自らの快楽や、お金や物で世の中を支配するための道具にしてしまったのです。それを、宇宙の法に基づく、本来の男性性と女性性の関係に戻す流れが、今起きています。

真学校の学びも半分を越えました。これまでとんとん拍子に講座を進めてきましたが、今日は少し、いつもよりリズムがゆっくりです。これは、皆さんといさどんの関係が対向発生しているからです。この性についての講座は、皆さんが、自らの中に正しく落とさなければなりません。しかし、それは今までの常識とは真逆のものですから、慎重に、丁寧にお話ししています。今日は、急がずに、一人ひとりが「ああ、そういうことなんだ」と腹に落とし、しっかりと理解する場にしたいと思います。このことを理解するのに十分熟している人もいるでしょうし、まだその旬が来ていない人もいるでしょうが、この場全体が理解するために、進めていきたいと思います。

〈いさどんが語っている間、みかちゃんはホワイトボードに図を描きこんでいました。〉

みかこ:
今、「閃き」ということの意味がわかりました。閃きました。
「ヒ」は、秘か、秘密など、奥にあって目に見えない、深遠なるもの。そして「ラ」は、目に見えないエネルギーの存在の場、つまりアマ界です。そしてそこから現象界へと現れてくるのが「メ」(=芽)ですね。それが「キ」(=起)、発生するのです。

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奥にある秘密のものが、見えない広がりを持つエネルギーの場に、芽となって発生する。それが閃くということです。

いさどん:
それを観る目を持つということですね。閃きのメカニズムとは、今までのように、こうしたらこうなるからああしてこうして・・・と人間が人智を回して、自分の思い通りの結果を得ようとすることとは、違います。それは、人間が自我の願望を満たすための思考です。閃きとは、自分の願いを叶えようとすることではなく、宇宙の法を受け取り、その秩序のもとにどう生きていくかということなのです。

今、閃きました!これまで男女の交わりは、自らの欲望を満たしたり、ストレスを解消するためのものでした。快楽を求めてエネルギーを消費することも、ストレスの解消です。そのような性が氾濫しているのが、これまでの時代でした。

ところが ──── 地球暦を見てください。

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これはボーシャンの地球暦です。彼がまだ生まれてくる前、ボーシャンの魂は天にいて、地上に降りてくる準備をしていました。星々が自分の天命の配置になるタイミングを、狙っていたのです。それは思考ではありません。タイミングなのです。それが、天から降りてくる種の事情です。それはボーシャンの生命の旬を表しています。
一方、地上の受け皿の側の事情もあります。地上には、ボーシャンのお父さんとお母さんがいますね。そして天から「このタイミングで降りる」という指令が出た時に、地上の側はピッとそれを感じて、「今日、やろうか」となるのです。そうすると、天の事情と地の事情が連動して、この地球暦に表される天命を持った魂が生まれてくるのです。
今、僕は閃きました。人間は本来、それを意識して子どもをつくるべきです。性とは本来そうあるべきなのに、それが今は欲望や快楽に汚染されてしまっているのです。それどころか、権力や財力のように世の中を支配する汚れたものに利用され、売春やレイプのような、地獄の世界まで発生しているのです。

本来の性とは、命を生み出す宇宙の根本原理であり、とても神聖なものです。これからその機会に出会う人たちは、どこかにこういった高い意識を持って、出会ってください。その交わりは、世の中の秩序を正します。そして、そういった精神性で交わる者は、正しい宇宙の法の元に生きることになります。それは、尊いものになる道を歩んでいくということです。それが「アマウツシミチ」「カムウツシミチ」ということです。

みかこ:
日本では、妊娠して赤ちゃんが生まれてくるまでの期間を「十月十日(トツキトオカ)」と言います。「ヒフミヨイムナヤコト」と進んで「ト」は統合ですから、十月十日とはまさに「トトノウ」ですね。

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いさどん:
今日は、皆さんとわかりあってからでないと、この性のプレゼンテーションには入れないという想いがありました。
僕の想いは、僕が今皆さんに話している話を理解してください、というものではありません。この世界の真実の姿を、皆さんに理解してもらいたいのです。宇宙を理解することによって、私たちは、生きていることでたくさんの閃きが湧いてくるようになります。
もう、計算して、自分に都合の良い答えを出そうとすることは、必要ありません。計算しなくても、これが大切なのだ、こちらが進むべき方向なのだということが閃いてくれば、それにふさわしい出来事が未来に待っています。そのようにして人生の道を歩んでいくと、その未来に待っている出来事は、何かの流れを表すように、スムーズに進むようになります。どうしてこんなにうまくいくの?いったい誰がこの道を創っているの?というくらいに。

木の花ファミリーの創立からの歩みをお話しした時に、まるで元々準備されていたかのように、いろいろなものごとに出会ってきたということをお話ししました。天体がそうであるように、宇宙は約束のように運営されているのです。私たち人間も、その法則に則って生きることが、この世界に貢献することであり、自らの人生がとてもスムーズで豊かなものになるということなのです。
そもそも私たちは、なぜここにいるのでしょう?私たちは、宇宙の仕組みによってここにいるのです。この肉体は、私たちを生み出したお父さんとお母さん、男と女の交わりから始まっています。その交わりは、20世紀型のものでした。その20世紀型の価値観のもとに、私たちは降りてきました。しかし時代は今、21世紀に入り、30世紀に向けての千年紀がスタートしました。その新しい価値観が、今皆さんが学んでいる、この学びなのです。
どうぞ、理解しようと力むのではなく、その響きを感じるように、聞いてください。

それでは、プレゼンテーションに入ります。

 

 


世界に新しい価値観をもたらすには まず自分を解放してあげなさい

今日の午前中は「人格を学ぶ講座・序章」の予定でしたが、まずは昨日終わることができなかった「カタカムナ2」のプレゼンテーションを終わらせ、それから「人格を学ぶ講座」に入ろうということになりました。ところが、話が深まる深まる。やっぱりカタカムナは終わらず、「人格を学ぶ講座」は次へと持ち越しになりました。その場の流れに沿いながら、行き先は天任せ。真学校のプログラムは常に流動的なのです。
さて、カタカムナの「ミノナライ」の解説中、「考える」ということについてこんな話がありました。

「ミノナライ」について語るいさどん
「ミノナライ」について語るいさどん

いさどん:
昨日、大人ミーティングでメンバーのじゅんぞうくんが僕に質問をしました。それに対して、僕は答えを言いませんでした。なぜなら、僕がすべてを答えてしまうと、じゅんぞうくんはその内容を覚え、それを手法として自分に取り入れようとするからです。そうすると、じゅんぞうくんはいさどんを先生にして、いさどんから正解をもらって、それをやっていればいいというだけの人になります。だから僕は彼の質問に答えませんでした。それによって彼には、考える機会が与えられました。考えることが大事なのです。

「カンガエル」をカタカムナでひも解いて観ましょう。
「カ」は宇宙の最極小微粒子。「ン」はそれを強める働きをします。そして「ガ」は「カ」に濁点が付いて濁ったもの ―――「我」です。「エ」は発生、「ル」は行為の継続を表します。つまり、「カンガエル」とは、新鮮な「カ」がどんどん湧き出してくることであり、それを「我」によって引き出そうとする力が発生するということです。
だからじゅんぞうくんに正解を与えてはいけないのです。彼が自分で考えて、引き出す。

なおやくん:
じゃあ、僕は昨日その後にじゅんぞうくんの質問に答えてしまったけど、あれではいけなかったんですね。

いさどん:
本当はよくないですが、答えを持っている人は言いたくなるものです。しかしその言いたくなる気持ちは、相手のためというより、「自分は答えを持っているぞ」ということが言いたいのです。相手のためなら、答えは言わないことです。そうすれば、彼は自分で道を切り開く人になります。
僕が皆さんに語ることは、「これが正しい」とか「これは間違っている」ということではありません。そういったものをすべて情報として提供し、それによって皆さん一人ひとりが自分の位置を知るということです。あなたは今、どこにいるのか。そして、その位置でいいのか。今の自分の位置が見えたなら、そこからどこを目指すのかは、あなた自身が考えるのです。僕がやっているのは、そういうことです。

人間は、自分の考えや経験を良いものにしたがります。それは、自分のやっていることは良いことであるとして自分の枠の中に収めることですから、それ以上成長しません。その枠を壊さなければ、人間は進歩しないのです。
「納得する」には2種類あります。一つは、自分の理解できる枠の中に収める納得。もうひとつは、「自分にわからないこともあるのだ」という、未知なるものを許容する納得。未知なるものを許していくと、自分は広がっていきます。しかし、枠の中にはめようとして収まらないから「納得できない」とするのは、その枠の中に自分を閉じ込めることになります。自分を広げようと思うなら、未知なるものに心を開いていくことです。

人間は考える生き物です。大切なのは、どちらの方向に考えるかということです。自分の考えに囚われる方向に考えるのか、自分の考えから自分を解放して、自由になる方向に考えるのか。

みかこ:
「カンガエル」とは、「ガ=我」「エ=発生」「ル=継続」ですから、「我」が発生し続けることであるとも言えます。「ガ」の濁点(=濁り)を取って「カンカエル」なら、濁りも歪みもない純粋なエネルギーである「カ」が発生し続けるということですから、これは美しい思考だとも言えますね。

しずかちゃん:
では先ほど言っていたのは、「カンガエル」ではなく「カンカエル」をしなさいということですか?

いさどん:
違います。それでは「ガ」が悪くて「カ」が良いという話になってしまいますが、私たちは我の世界に生きています。この世界は我の世界です。ですから、「ガ」が悪いということではなく、「カンガエル」の方向性が大事なのです。自分を高めて優れたものにしたり、汚れを取って美しくする方向へ考えるのか、それとも自分に囚われて損得勘定に走って、さらに自分を汚していくような方向に考えるのか。おなじ「カンガエル」でも方向が違います。そのことを知ることが大事なのです。
本当は、「カンカエル」であるべきです。しかしそうは言っても、私たちの思考は「カンガエル」なのです。なおやくんがなおやくんであるように、しずかちゃんがしずかちゃんであるように、誰もが自分という我を持っています。そこでその「ガ」が、どちらの方向に向いているか、ということなのです。

みかこ:
大事なのは、性質を知ることです。現象界から濁りを取ることはできない。そもそもの存在が、濁りや歪みから発生しているのだから。

イメージキャラクター「カンガエル」くん
イメージキャラクター「カンガエル」くん

いさどん:
今一度振り返って、皆さんにお話ししたいと思います。
真学校が始まったばかりの頃に、私たちは自我を持っています、ということをお話ししました。自我を持っている人は、自我の欲望を満たすことを幸せに感じます。そして自我の中には過去の経験や知識があり、それを正しいものとしたがります。そうすることで、人間は「これでいいのだ」という自信を持って生きていくことができるからです。それが人間を幸せに導いたり、正しいとされていた時代がありました。
しかし、それは自分という枠の中の価値観から観た満足の世界です。その状態では、その人は枠の中だけでしか思考していませんから、実はその枠の中に閉じ込められた不自由な状態です。矛盾しているでしょう?自分を不自由にすることが幸せだと思っているのです。

そこで、自分の考えを、たくさんある考えの中のひとつだとしておきましょう。ものごとの捉え方は人によって様々であり、自分の考えは全体の中の一つなのだと捉えた時に、自分の自我から離れた目線が持てるのです。それが客観性です。

簡単に言うと、自分を壊せということです。
もっと極端な言い方をすると、自分を否定しなさい、ということです。

自分を否定したら、何を元に考えればいいのでしょう?
今与えられた出来事や情報を、常に新鮮に自分の中に入れていきなさい。そうすると、常に新鮮な情報が自由に入ってきます。それを、過去や経験に囚われない今の自分の視点で観て、必要なものを選んでいきなさい。そうすると、現在の自分はそこに在りますが、それは常に変わり続ける自分です。これを自由と言います。

そう聞いても、人間にはそれぞれクセがあり、なかなか離れることができません。それは、これまでそういった考え方が主流となって世界が動いてきたからです。時代を観ても、国を見ても、政治や社会の在り方を観ても、すべてそうです。それが今、行き詰まりを迎えています。

私たちは、自分の自我を壊すことはなかなかできませんが、何か外の世界に疑問を感じて、今ここに集っています。新しい世界を観ようとしています。同時に、この社会に新しい価値観をもたらそうとしています。それができる人になるためには、まず、自分を解放してあげることです。

あなたが自分の中に「これが絶対に正しい」というものを持っていれば、それは他の人の「正しい」と対立することになります。あなたがどんなに優れていても、それが正しいと主張したら、自我に汚染されていることになります。それは、その「正しい」を理解できない自我を持っていると人との、対立を生むだけです。私たちは、自分の視点に囚われずに、情報として自分の視点を伝えあい、共有していく。そのことが大切なのです。

知意行一体の段階で、私たちにはもう一つコミュニケーションを取る場所があります。
私たちは、人間社会や自然と接し、感じて、いろいろなことを考えたり発信したりします。それは客観視点で捉えることができるものです。今までお話ししてきたのは、客観視点についてです。

そこでもう一つ、私たちにはどうすることもできない、見えない、捉えられない世界がありますね。宇宙です。宇宙が存在するから、この地球があって、人間社会があって、私たちがいるのです。そうすると、まず自分という主観があり、そしてこの世界や地球という客観があり、さらにその奥に、宇宙という「客観背後」があります。その客観背後の意志を感じ取るのです。

私たちは自分の人生を生きるものでもありますが、地球人でもあります。そして太陽系を構成するものでもあります。銀河を構成するものでもあれば、この全宇宙の意志と共に、宇宙を生きているものでもあります。

これまで人類は、20世紀までの時代を歩んできました。それは否定するものではありません。しかしそれは、私たちが歩んできた階段の、20世紀という段にしかすぎません。私たちは今、21世紀という段階に足をかけました。そしてこれからずっと先へと、その階段を昇っていくのです。もう、これまでの手法は変わらなければいけないのです。

 


20日目午前「糀仕込み」〜 命の花を咲かせよう

今日の午前中は、やすえどんによる糀仕込み講座!

やすえどん
やすえどん

こうじ(糀・麹)とは、米、麦、大豆などのようにでんぷんやたんぱく質を含む材料を蒸煮して、これにこうじ菌を繁殖させ、色々な酵素を生成させたものです。このこうじを原料として、酒や味噌、しょう油、御神酒などの加工品ができるのです。今回は、4日後の「味噌作り講座」で使う、味噌用の「糀」を仕込みます。

こうじ菌は「国菌」とも称される日本特有の微生物であり、目に見えないところで日本人の暮らしをずっと支えてきてくれた存在です。

美しい糀の花
美しい糀の花

「神様は宇宙を創造し、そこに人間という種をまいて、一人ひとりの命を花開かせます。今日は私たちが創造主となって、糀の花を咲かせましょう」とやすえどん。以下、やすえどんからのレポートです。


宇宙の響きを醸す こうじ( 糀 )づくり

真学校の生徒さんがこうじづくりを体験しました♪
まず、釜戸小屋にて4拍手👏👏👏👏
心と場を整えます。
始まりは火「ヒ」入れから。薪火の炎の美しいこと!パチパチと響く音も心地良く。さながらここは、異次元空間カマドカフェ⁉︎(笑)

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「カタカムナ」思念
ヒ: 静から動への出発点、ものの始まり

「糀とは高次元のこうじですね。」とは、めぐちゃんの弁。
「まさに‼︎」
眼には見えない糀菌(カビの一種)が培養することによって、蒸したお米に繁殖し、白い菌糸を出して綿状に広がり、美しい花を咲かせるのですから。これは、単に味噌の材料と言えるものではありません。

「カタカムナ」思念
コ: 転がりでる
ウ: 渦、生まれる
シ: 示されるもの
キ: 現象化、発生する
ン: 強める

高次元世界、潜象界より螺旋を描いて現象界に発生するもの。
宇宙物理学「カタカムナ」での紐解きが、講座の会話に花を咲かせてくれました。

by やすえどん

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こうじ菌はかびの一種で、生育の適温は34~37℃、湿度は80~90%です。繁殖条件が満たされますと、菌は発芽して白色の菌糸を出して綿状に広がります。繁殖が進むと酵素が生成され、菌糸内に生成されたものがこうじ全体に広がって浸透していきます。

以下、材料です。

米
米(精米したもの)
大麦または小麦(精麦したもの)ー 今回は小麦を使用しました
大麦または小麦(精麦したもの)ー 今回は小麦を使用しました

小麦は糀菌がつきやすいように、表面を少し削っています。お米と小麦の割合は1:1で、その0.1~0.2%ほどの種こうじを用意します。種こうじは専門店で作られ市販されています。これは、こうじ菌を純粋培養したものに木灰を混ぜて作ったもので、黄緑色でよく乾燥したものがよいです。

種こうじ
種こうじ

一般的に、味噌用の糀はお米だけを使うことが多いのですが、木の花ではいさどんの閃きで麦を使うようになりました。お米だけではなく自分たちで麦も育てていたので、まず材料があったということと、混ぜ合わせることで多様性が生まれ、味に深みが増すのです。

一晩水に浸した米と小麦を、米は蒸す30分前、小麦は1時間前にザルに上げて水を切り、カマドの火にかけ蒸しあげます。

蒸しあがった小麦 ー なんともいい匂い
蒸しあがった小麦 ー なんともいい匂い
小麦を割ってみて、白い芯が残っていなければOK
小麦を割ってみて、白い芯が残っていなければOK

蒸した小麦と米をムシロの上に広げ、菌が死なないように50℃まで冷まします。

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小麦と米が冷めたら、いよいよ種まき開始!糀の花を咲かせましょう♪

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種糀を手に持っていたら「何だかすごくビリビリする」とめぐちゃんとよしこちゃん ー 糀菌のエネルギーが伝わったのでしょう
お米と小麦の畑に種まき
お米と小麦の畑に種まき

種をまき終わったら、ひたすら混ぜ混ぜ。

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よく混ざったら、諸箱に移し糀室へ。保温庫にもろ箱を重ねて入れ、一番上に露防止のためのタオルを乗せて、庫内温度が28~32℃になるように保ちます。

いくつかの諸箱に分け入れ、それぞれを一塊にする
7つの諸箱に分け入れ、それぞれを一塊にする
お風呂場を改造した糀室 ー 壁が黒いのは「くら菌」です
お風呂場を改造した糀室 ー 壁が黒いのは「くら菌」です
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「くら菌」のようなやすえどんと一緒に♡

以後、約半日ごとに菌と対話しながらもみほぐす「手入れ」を行い、2日後に糀室から取り出す「出糀(でこうじ)」をして完成です。

材料が蒸しあがるまでの合間に、カマドカフェにて、1週間ほど前のフリープログラムで仕込んだ御神酒も試飲しました。

美しいピンク色の、黒米御神酒
美しいピンク色の、黒米御神酒
みんなでカンパーイ!!
みんなで「カンパーイ!」
用事があって一時帰宅中のオレンジくんの分も「カンパーイ♪」
用事があって一時帰宅中のオレンジくんの分も「カンパーイ♪」

御神酒は完成間近のいい感じで、「明日にはもう絞れるよ」とやすえどん。明日の午前中はフリープログラムなので、みちよちゃん講師による自力整体講座の後、またまたみんなで御神酒絞りをしにやってくることになりました。

この日の体験を、よしこちゃんは日記に以下のように綴っていました。いさどんのコメントともどもご紹介します。

 


よしこちゃんの日記

今日は糀づくりをしました。まるで神話の世界(=創世)を再現しているような気分になりました。
穀物(乾・種・男性原理)を水(湿・無形・女性性)に浸し、水を含んだ状態になった穀物に火(動・熱・男性原理)を入れ、変成させる(種をまくための土壌となる)。セイロから出した米&小麦はフカフカともり上がり、まるで雲(あるいは島)が湧き出すかのようでした。そこにうぐいす色の種菌を蒔き、上下をひっくり返しながらていねいに混ぜ込みます。
すると!なんてことでしょう!ご機嫌な微生物のマネをしたいさどんの姿がボン!と浮かび、本当に微生物がキャッキャッと言いながら笑っているかのように感じられ、つい私も一緒になって笑ってしまいました。

― いさどんのコメント ―
観えるべきものが観えてきましたね。

それを7つの島に分け 一昼夜と少し寝かすと 花が咲くのですね。
人間が花を咲かすにはずい分時間がかかりますが(笑)

― いさどんのコメント ―
固有のサイクルがあるのです。

微生物時間は限りなく「無い時間」に近いのでしょう。

日常の食を賄う過程に神事を見ることはこれまでありませんでした。日々の生活にそういうものをみいだせることはなんて豊かなことなのでしょう!

― いさどんのコメント ―
そうです。

でも本当は何をやっていても、瞬時瞬時にそれはそこにあり、それを感じるか/感じないか、みいだすか/みいださないか、だけなのかもしれません。
だとすれば、「豊かさ」は常にどこにでも、誰のもとにもあり、あとはその人が見いだすか/見いださないか、ということにすぎないのでしょうね。
潜象界がどこか別の世界にあるのではなく、遍満しているというのは、こういうことなのかもしれないな・・・と、ふと思いました。

― いさどんのコメント ―
かもしれないですか?それを真理というのですよ。

 

ニナが教えてくれたオランダ式バンザイ
ニナが教えてくれたオランダ式バンザイ
「フラーーー!!!」
「フラーーー!!!」

 

 


ニナからいさどんへのインタビュー ~ これからの人類の進化とは

受講生の一人であるニナは、アムステルダムの大学で文化人類学を専攻している大学院生です。「精神性と持続可能性がどのように関連し、日常の生活の中で実践されているのかを学び、その背後にある哲学への理解を深め、現代の消費社会に対する代替案を提示したい」との目的から3ヶ月間の予定で木の花ファミリーに滞在し、その一環として真学校を受講しています。「受講生の多くが自己改革を目的としている中、社会的な目的を持って参加している二ナの視点が加わることで全体に客観的な捉え方が生まれ、みんなにとってとてもいい刺激になっている」と同じく受講生のめぐちゃん。

ニナは真学校開講前から定期的にいさどんにインタビューをする時間を持っています。真学校も3分の1を過ぎた昨日は、ニナからのこんな質問で始まりました。


ニナ:
いさどんは60歳の時に生前葬をしたと聞きました。それがどのような意味を持つのかを聞きたいです。

いさどん:
それは、物理的にも霊的にもみかちゃんの方が詳しいですよ(笑)。
土星は太陽の周りを1周するのに30年をかけます。それは人の人生にとっても一つの節目となるサイクルを刻んでおり、自分が生まれてから土星が1周する30年の節目を「サターン・リターン」と言います。
僕は30歳の時にお釈迦様に出会い、この生き方に目覚めました。それを実践してきて、40歳からこの生活に入りました。50歳の時の記憶はあまりありませんが、ある程度木の花の基礎ができて、自然療法プログラムや様々な場所で講演などをするようになったのが50歳ごろのことだと思います。
僕の人生は、30歳までは自分のための野心で生きてきました。そして30歳からは、与えられた宿命を実現する人生に入りました。そして60歳になり、その与えられた役割を最も大切なものとして生きるということが、60歳からの使命だと思いました。
だからと言って60歳以降の生き方が変わったかと言うと、僕としては全然変わったとは感じていません。自らの人生の終わりに向かい、完結していこうという意志が働いているだけです。ただ、60歳から明らかに体質は変わり、僕の体は大きくなりました(笑)。そして安定して高止まりしています。霊的にも変化はあるのでしょうけどね。

葬儀をするということは、旅立つ人よりも、送る側の人たちにとって意味があります。ですから、葬儀委員長だったみかちゃんの方が詳しいと思いますよ。ですから、みかちゃんに聞いてみるといいですね。

ニナ:
そうします。送る側にとっての方が意味があるというのは、どうしてですか?

いさどん:
通常の葬儀では、亡くなった人というのは次のステージに向かうだけです。ですから亡くなった人にとっては、葬儀があろうとなかろうとどちらでもいいのですよ。もう新たな方へと向かっているのですから。もしも亡くなった人が自身の葬儀に対してクレームをつけるようなら、それは生きることに対して執着があり過ぎるということですから、霊的には問題な存在です。そう思いませんか?

ニナ:
そうかもしれませんね(笑)。

いさどん:
僕はいつの頃からか、何かの機会があるたびに、自分が死ぬ瞬間をシミュレーションするようになりました。例えば高速道路を走っている時に、交通事故に出会うことをシミュレーションします。大きな病気でもすればそれが原因で死ぬこともあるでしょうが、今のところ僕には病気がないので、現実的に死ぬ可能性のある瞬間を常にシミュレーションしているのです。
その時にいつも僕が大切にしているのは、いかに死を受け入れていくかということです。いかにその現実に抵抗せず、それを越えた先の世界へ積極的に進んでいくか。実際に死んでみなければわかりませんが、僕は、生きている人たちが死んだ僕に対して何をするのかということはほとんど気にすることなく、旅立っていくだろうと思うのです。
残された人たちに対する意識は、生きている間に伝えています。残された人たちともしも霊的に再会するとしたら、死んだ先の世界に、例えば熊が冬眠するような穴があって、そこで休憩しているから後から来る人はそこに集合しよう、と言うかもしれません。そこは銀河旅行の駅のようなものですが、そこで何人の人が一緒に乗れるのかはわかりません。
まあ、これも今そう言っているだけで、実際はどうでもいいことです(笑)。

ニナ:
では、今生きている中で大切なことは一体何ですか?

いさどん:
僕にとって大切なことは、何もありません。あえて言うならば、人類の目覚めです。今の愚かしい悪夢から人々が目覚めることです。ただ、これは神様があえて人間に悪夢を見るように仕組んでいるという可能性もあります。悪夢を見れば見るほど、目が覚めた時に感動があるでしょう?ですからこれは、神の人類に対するプレゼンとか、はたまたいたずらか、どちらかですね。

ニナ:
それはどちらでしょう?(笑)

いさどん:
う~ん、どっちかなあ(笑)。両方かもしれないですね。なぜなら、神さまは楽しむことが最優先だからです。僕はこの神の仕掛けたゲームに、対抗心を持って臨んでいます。「このゲームには負けないよ」と(笑)。ですからそれがプレゼントであろうといたずらであろうと、どちらでもいいのです。
ただし、そのゲームを真剣にやり過ぎると深刻になります。このカラクリがわからない人々は気の毒ですね。

ニナ:
木の花のメンバーたちはそのゲームに対して深刻になっていると思いますか?

いさどん:
深刻ですね(笑)。

ニナ:
確かに昨晩の大人ミーティングで、メンバーたちが深刻になっている感じを受けました。

いさどん:
深刻になるのはいいのですが、深刻になる目的は、それに踊らされるのではなく、そのカラクリを知って、余裕を持って豊かに生きるということです。みんなは固いですね。深刻になった時にこそパフォーマンスをやったり冗談を言って、場をやわらげることです。
ただしそれは、深刻の意味がわかった上でやらなければいけませんね。わからないのにやっては、ただの不真面目ですよ。まあもっとも、僕がいつもそうしているのと同じようにメンバー全員がやり始めたら、メンバーの数だけ僕がいるみたいですから、それはそれで問題ですね(笑)。

ニナ:
コミュニティ全員がいさどんになったところを想像しちゃいました(笑)。

いさどん:
ゾッとするね(笑)。

ニナ:
木の花のメンバーがゴールに向かっていくことについて、どのように考えていますか?

いさどん:
目的地に着くことが目的ではないと、僕は思っています。大切なのは、そのプロセスです。だから大変な道があってもいいのですよ。

今日、「人格を学ぶ講座」の中で、あなたの地球暦を読みましたね。それを読みながら僕は、新人類が現れたな、と思いました。もしくは、これからの人類の可能性に出会ったと思いました。僕が憧れているアメーバのようなね(笑)。

今日、日和(木の花で生まれ育った女の子)が日記を書いて持ってきました。以前彼女が落ち込んでいた時に、日記を書いては時々僕のところに持って来ていたのですが、いつの頃からかやらなくなり、2、3日前に部屋を片付けたら久しぶりにその日記が出てきたのだそうです。それで彼女は、久々に日記を書いてみようと思いました。そしてそれを僕のところに届けました。
それを読んで、僕はとても感動しました。彼女は勉強が苦手で、自分のことをバカだと言っていますが、あんなにもポジティブに人生をエンジョイできる人になったなんて、と。これなら勉強なんかしなくていいね、と思いました。素晴らしいです。(日和の日記については、木の花ファミリーブログをご覧ください。)
そう感じた時に、あなたのことを思い出しました。新人類が生まれてきたな、と。僕は日記の最後にこうコメントを書きました。「日和に出会えて幸せです。」あの日記は、ぜひあなたにも読んでもらいたい。素晴らしいよ。勉強はできなくてもいいんです。

ニナ:
その日記のどこを特に素晴らしいと感じましたか?

いさどん:
彼女は、子どものころからとても明るい子でした。明るいけれどちょっと暴走気味のところもあって、子どもたちの間ではうっとおしがられることもありました。それで他の男の子たちに何となくいじめられるので、僕はいつも日和の味方をしていたんですよ。だから彼女にとって、僕は大事な存在だったでしょうね。しかし彼女自身は、勉強も苦手だし、自分のことをあまり評価していなかったのです。
そして中学校を出て、高校には行かずに2年間を木の花で農作業やお菓子作りをしながら過ごしました。そして外にアルバイトに行くようになり、3ヶ月が経ちます。その中で、彼女がネガティブからポジティブに変化していくプロセスがとても面白いのです。これまでにあったいろいろなことが全部素晴らしいことだったというのですから。まだ若いからそんなにたくさんの物語があるわけではありませんが、何しろ素晴らしい。言葉ではどう表現してよいかわからないので、ぜひ日記を読んでください。
彼女の姿勢は、ここのもっと小さな子どもたちにとってもいい刺激になっています。そして彼女より年上の子たちにとっては、自分の姿勢を見直すいい機会になるだろうと思います。

ニナ:
木の花で育った他の子どもたちにも興味があります。他の子どもたちといさどんとの関係はどのようなものですか?

いさどん:
それは一人ひとり違います。それぞれが独特です。それは大人のメンバーと接するのも同じですよ。どういうことかというと、その人の人柄に応じて接しているということです。こちらの伝えることをサッと理解する人もいれば、時間のかかる人もいます。
僕は一人ひとりとの関係を、プロセスとして捉えています。ですから時に、相手が感じている印象とはギャップがあることがあります。どういうことかと言うと、僕は相手の今の状態を、その人が歩んでいく物語の一部として捉えており、今はこの人には厳しく接することが必要だな、とか、今は甘くしておこう、というようにつなげて観ているのですが、相手はただ厳しくされていると感じている人もいれば、好感を持っている人もいて、受け取り方は様々です。
ですから子どもとの関係がどうかということを、一律に語ることはできません。それは大人との関係も同じことです。いさどんは策略家なんですよ(笑)。

ニナ:
調整しているということですね。

いさどん:
そうですね。その人がいかに大切なものを築いていけるかということのために僕は生きていますから。その中で一人ひとりにはそれぞれのサイクルがありますから接し方もそれぞれに違いますが、相手を大切に思い、愛していることに違いはありません。

ニナ:
ここを離れたメンバーについても興味があります。ここを離れる人は、いい感情を持って離れるとは限らないですよね。

いさどん:
そこは難しいところですね。いい感情とは何なのか、ということです。
離れていく人も、ここのやっていることは大切だということは理解していたからこそ、メンバーになったのだと思います。ところがメンバーでなくなるということは、それを最優先にできなかったということです。
その中で、その人にとっての「旬」が来ていなかったから離れていく人と、旬でありながら離れていく人がいます。後者の方が業が深いです。そして業が深い人ほど自分を否定したくないので、感情としては悪いものを持って離れていきます。旬でなかった人は、感情がどうであるかは別として、また旬が来れば戻ってきます。
僕はどの人に対しても、この道に戻ることはいつでも容認しています。ただし、人によっては無条件に戻ることを許してはいけない場合もあります。その人の性質にふさわしい振り返りがなければなりません。どの人も、メンバーになってから離れるということは、この生き方の大切さをわかった上で離れるということですから、離れていく自分に対する評価は複雑でしょう。自分に対して否定的になることもあれば、木の花に対して否定の矛先を向け、自分自身を肯定しようとする人もいます。それはどちらも、相手の都合の問題です。

今、世の中には様々な人々の価値観があります。それは西暦1000年から2000年にかけた1000年間の拡大の時代の名残です。それが今、2000年を越えて3000年へと向かう1000年が始まり、これまでの拡大の時代から、余分なものをそぎ落として真実に目覚めていく時代に入りました。世界はそのようなサイクルに入ったのですから、この視点は重要です。
そろそろ、こういったメッセージを人類に向けて発信していく必要があります。今はまだ、人類に対する影響はそれほど大きくないかもしれませんが、時が経過していくにつれて、そのメッセージの重要性に人々は気付いていくはずです。そして新しい時代の真理を求める人々が目覚めていくきっかけとなることでしょう。
僕の中ではふっと、今朝そのスイッチが入りました。その証として、今日あなたの地球暦を読んだのだと思います。もともとあなたのような人々は世界にいたのかもしれませんが、僕は初めて出会いました。僕は瞬間的に、あなたのことを宇宙人だと思いました。そう思いながら、自分も宇宙人だった、と思いました(笑)。だから人のことを特別だと思ってはいけませんね。
日和のことは全然宇宙人だとは思っていませんでしたが、夕方に彼女の日記を見て、勉強ができなかったり飛び抜けて優れたところがなくても、人はこんなに美しくなれるということを感じて、感動しました。これからは、何でもないところからそういった美しい人がたくさん現れてくることでしょう。

ニナ:
今日はとても良い流れだったようですね。

いさどん:
こういった生き方を目指して集い、コミュニティを創った木の花の人たちも、一人ひとりはとても一生懸命ですが、もう少し羽目を外してもいいのかな、と思いますね。エンジョイしなくちゃ。彼らはエンジョイするのがヘタですね。僕はエンジョイしてるでしょ?

ニナ:
いさどんのやり方はいい方法ですね(笑)。
日和や私の世代についても考えていました。大きな都市に住む人々にとっては、まだ物質的なものが大切になっていますよね。物質至上主義的な価値観の人々に対して、どのように考えますか?

いさどん:
大都市か田舎かは関係なく、人々は欲望や自我にまみれています。そして欲望や自我にまみれている分だけ、人工的な生き方をしています。お金や物と関わっていても、欲望や自我に翻弄されずにある程度コントロールできている人というのは、自然に近いですね。こういった分類の方が、人々が今の時代の混乱を解決していく方向性をつかむのに適切だろうと思います。

ニナ:
若い世代の人たちにとっては、例えばiphoneは重要なものですよね。

いさどん:
彼らにとっては、iphoneを介したネットワークが脳に直結しているのでしょうね。そこに出てくるいろいろな情報と脳の中の情報が見えないもので連結していて、一種の人工頭脳のような状態になっています。それはある意味、人間の単独の思考回路を越えて、ローカリゼーションからグローバリゼーションになるように、思考がコンピュータの中に入ってたくさんの人々とつながるので、ある意味進化ですね。ところが彼らは、一種の中毒にもなっています。それは人間の人格否定とも言えて、自分らしいオリジナルな人格を否定することになるのではないかとも思います。
それはきっと何らかの形で害が出てくることでしょう。しかしあの中毒状態の人々にやめなさいと言ったところで、意味はありません。それはひとつの時代のプロセスとして、どうなっていくのか興味を持って観ていくことです。彼らは確実に未来の地球を担っていきますからね。

そしてひとつ、彼らの中に可能性を感じるのは、自我が重要だった20世紀までの人類の視点からすると、新しい精神世界を開く可能性があるということです。実際に、今回の真学校参加者の中で最年少であるオレンジくんは、聖者になって人類を導くのだと言っていますね。ただし、自分の価値観を優先して他者と通じ合わなければ聖者とは言えませんから、そこは意識する必要がありますが、いつかは変身するかもしれません。ニナも宇宙人ですが、オレンジくんも宇宙人です。

オレンジくん
オレンジくん

ニナ:
彼は素晴らしい聖者になる可能性がありますよね。ユニークな方が適しているでしょうから。

いさどん:
そうですね。今は変わり者でも、世の中がその方向に進めば「素晴らしい」に変わる可能性があります。

ニナ:
時代は変わるものですが、それはいつ、どのように変わっていくのでしょう?

いさどん:
「人格を学ぶ講座」で、地球暦の惑星配置の構造について学びましたよね。惑星同士が創る角度が個人の人生にどのように関わっているのかということをお話ししましたが、あれは我々の思考で解釈しやすいように、便宜上そうしているだけです。実際は、瞬間瞬間どの角度でも、星々は対話をしています。たくさんの楽器がそれぞれの音を出しながら、全体で交響曲を奏でているようなものです。その中でターニングポイントというものはありますが、時代がいつ、どう変わるのかというと、例えば1月1日になって新しい年を迎える時に、前の日から比べて元旦に何かが変わったかというと、何も変わりませんよね。つまり変化というのは、ゆっくりじわじわと進むものなのです。

ニナ:
講座の中で、時代は既に変わっているというお話が出てきますね。

いさどん:
そうですね。日本では、毎年だいたい12月21日に冬至を迎えます。冬至は1年で最も太陽のエネルギーの少ない時です。しかし気温が最も寒くなるのは、冬至からだいたい1ヶ月後の1月下旬から2月にかけてでしょう。太陽の光の量は増えていっても、空気や海などの都合で気温の変化は遅れて進むのです。夏も同じですね。太陽の光が最も多いのは6月21日の夏至ですが、暑くなるのは7月、8月ですね。
それと同じことが、宇宙の星々と地球上に起こる現象との関係にも言えます。星々はターニングポイントを過ぎたことを示していますが、それが地球上で実際に現象として現れるのはもう少し先なのです。例えば冥王星のサイクルから観ていくと、1913年は、冥王星が太陽を1周する248年のサイクルの中で闇のピークでした。しかし、その闇のピークに生まれた人々によって、実際に第二次世界大戦という闇が表現されたのは、その約30年後です。そのように、星の動きと実際の現象には時差があります。

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今、宇宙的にはターニングポイントを過ぎていますから、あとは我々は現象化される時を待つということです。

ニナ:
おもしろい!

いさどん:
こういった捉え方は、単なるスピリチュアル的思惑で編み出したものではなく、天文学的にも歴史的にも、それから先人たちが残したデータの中にも盛り込まれているものです。それを自分の都合のいいように受け取るのではなく、様々な角度から見てつなげて読み解いていくというという作業が重要です。
面白いのは、私たちは研究家ではありませんが、自然とこういったことが伝えられる生き方をしているということです。

ニナ:
先ほど、自我をコントロールできている人は自然と近いというお話がありましたね。そのことについてもう少し詳しく聞きたいです。

いさどん:
大都会というのは、人工の極みの世界です。それは自然の中に生まれた矛盾の世界と言えます。
しかし、大都会の中にも実は自然はあります。そこで生きている人々は当然空気を吸いますし、食べ物を食べるということは土を必要としているということです。気候が変わればその影響も受けるでしょう。ですから大都会の中にも自然はあるのですが、本来の循環からすると異常な自然をつくっているのです。そういった場を快適だと思う人は、大都会の波動に合っているということです。
一方、人間が創ったそのような疑似的自然に対して、違和感を感じる人たちがいます。そういった視点から区別した方が、人を分類する時に、単に大都会に住んでいるのか、田舎に住んでいるのかという分け方をするよりも、有効だということです。

ニナ:
人工的な自然をつくる人々に対して、どのように思いますか?

いさどん:
そういった人々は、その人個人にとってもそれが今重要なのだというプロセスを歩んでいるのでしょうし、同時に、そういったことが地球上で重要に思われているという時代的プロセスを歩んでいるとも言えます。その矛盾は様々な形で地球上に広がっています。元々私たちのベースである自然に対して、矛盾が増えているのです。そこで人間の叡智を使いながらどう自然と共生するのかというと、それにはまず、人間が自然を第一に考えることです。そして、その姿勢をベースとして人間の叡智を使っていくのが、これからの21世紀から30世紀までの人類の在り方だと思います。それは人類の地球上での進化の過程を考えた時に、もっとも無理のない在り方です。

ニナ:
その進化とはどういうものですか?

いさどん:
人間はこれからも進化していきますよ。世界観がもっと広くなっていきます。今、地球はグローバル化されて、人間の意識からしたら狭くなりました。これからもっと狭くなるでしょう。いずれは国境もなくなり、通貨も共通のものになる。物理的にどこまでということは語れませんが、思念はもっと宇宙的なものになります。
今のように科学やテクノロジーが発展しながら、人間の世界観が進化しなければ、確実により多くの矛盾が地球上にもたらされ、人類は他の生命と共存できなくなるどころか、地球と共存することができなくなるでしょう。そう言うと、人間と地球が対等のように聞こえるかもしれませんが、実際は地球から人類が排除されるということです。

ニナ:
私も同じように感じています。

いさどん:
地球としてはこの不良品のような人類をリセットして、新たな生命との共生を始めるだけです。地球の歴史を振り返ると、過去6億年の間に6回大量絶滅が起きています。人間は7回目の引き金を引くかどうか、というところです。
このサイクルを何億年という単位で俯瞰して観ると、人類が7回目の引き金を引いたとしても、地球にとっては新たなサイクルに入るだけのことであり、その後に現れる生命は人間よりもさらに進化しているのですから、地球からすれば歓迎すべきことでしょう。今の段階で人間が人間であることに囚われていると、それは自分たちの滅亡ということで大事のように思えるのでしょうが、地球の歴史から見れば何度も起きてきたことのひとつに過ぎないのです。
ですから、人類には二つのスタンスがありますね。ひとつは、世界観を大きく広げ、月が満つればかけていくように、人類の存在もいずれは終わりが来るのだという捉え方。それはネガティブなものではなく、さらに進化した次の生命へバトンタッチしていくといういうことです。
もう一つは、個人としてどう在るかということ。意識のスケールが大きくなり、人類のサイクルを超越した意識になれば、物語を観ているようなものでしょう。

ニナ:
木の花のメンバーにとって、自然や環境とは大切なものですか?

いさどん:
みんな環境意識は高いですよ。だからこの生活をしています。
僕は環境活動家とはちょっと違います。環境が悪くなるのも一種の学習であると捉えているからです。環境問題とは、自分たちの行いに対する明快な答えをもらって学習するチャンスなんですよ。人間はバカなことをやらないと、学習できないのです。
人間からヒトになると、愚かなことをやらなくても成長していくようになりますから、地球上に現れる現象は確実に穏やかになることでしょう。そうすると、僕の故郷である金星のような世界になりますね。人がみんな菩薩のようになってしまい、調和が当たり前になるのです。それはある意味、生命力がないとも言えるでしょう。地球は様々な問題が起きて実にダイナミックで、生命力にあふれています。ですから、何がいいのかはわからないですね。

ニナ:
地球と人間の関係というのが個人的な話にもつながって面白いです。

いさどん:
個人である自分を基準としたものの見方があると同時に、我々は人類であり、さらに視野を広げると、我々は神でもあるのです。だから面白いのですよ。人間が完璧に悟ってしまうと、神さまも、人間も退屈でしょう。何もない時が永遠に続くのですから。

ニナ:
それでは面白くないですね(笑)。

いさどん:
だから僕はある意味、金星では不良品でした。完璧な世界に退屈してしまったわけですから。それでも金星の味を覚えているので、地球に来ると「ひどい世界だ」と愚痴を言うことになりましたね(笑)。

ニナ:
金星の記憶というのはどのようなものですか?

いさどん:
太陽系は、太陽と九つの惑星が連携してできているでしょう。その中で極めて精密に太陽と連携しているのが金星です。金星の軌道はほぼ真円で、ブレがありません。太陽系は太陽を指揮者として素晴らしい生命の交響曲を奏でており、それを現象化する星が地球ですが、その中で金星の役割はメトロノームです。もっともオーケストラにはメトロノームはありませんから、何に例えたらいいのでしょうね。もっともベースとなるリズムを刻むものであり、すべての指針です。その星が女性性を表しているというのも、面白いですね。そして愛がベースになっている。そう観ていくと、宇宙を創造している神さまの心が感じられませんか?

僕が過去に金星にいた時の話は、以前にも少し話しましたね。地球の記憶ほどたくさんの物語を語ることはできませんが、印象は残っています。この富士山麓に移住してからのある夜、車でこの近くを走っていた時のことです。その時は、霧のような雨が降っていました。道路にはいろいろな高さの街灯が経っていて、そこにも霧がかかっていました。そうすると、霧の柱が立っているように見えるのです。のっぽもいれば太くて低いのもいて、それが虹のようにいろいろな色をしている。それを見た時に、僕は思い出しました。「この景色はどこかで見たことがあるぞ!」と。それが金星の風景です。
のっぽや低くて丸いのやいろいろな形があって、高いものだと地球の基準で言ったら3メートルから4メートルほどになるでしょうか。低いものでは1メートルくらいです。それは何かというと、魂なのです。今はそれを形で表しましたが、地球のような物理的三次元で表現されるものではありません。僕は人と話す時に、表に表れている形よりもその人の魂を見て話しますが、それと同じようなものです。形状の違いは、その人の心の性質を表しています。

地球上で人間を観ると、色がとても美しいものもいれば汚いものもあり、歪んでいたり濁っていたり、ずっと複雑です。しかし金星の風景はぼわーんとして、すべてが虹のように、いろんな色が入っています。全体はピンクがベースです。それに対して個々の魂は、虹の七色の中でもピンクが強いとかブルーが強いとかいうように個性があります。霧の中の風景を見ながら、それを思い出したのです。

金星人たちはどうやってコミュニケーションを取るのかというと、震えるのです。震えながら「ブウッ、ブウッ」と、背が高く細い魂なら高い音、低くて太い魂なら低い音というように、それぞれの音を出して会話しています。そしてすべては虹であり、光であり、何より友好的です。光は七色が調和して神様の光になっているのですから、どんな色をしていても調和的に決まっているのです。ですから会話の内容がどんなものであっても、すべてが愛であり、素晴らしい世界です。 ──── つまらないでしょう?(笑)

ニナ:
でもとても温かい雰囲気ですね。

いさどん:
そうですね。そこには苦痛がありません。だけど、苦痛のない不幸というのもあるんですよ(笑)。僕は霧の中の風景を見て、あれは自分の家族だと思いましたが、その家族のことがあまり好きになれなかったのでしょうね。だから地球に来たのです。
これはとても面白い話ですから、そのうちに木の花劇団の劇にするといいかもしれませんね。

ニナ:
その劇を見てみたいです(笑)。
先ほど金星は女性性を表すという話がありましたが、男性性と女性性ということについて興味深く感じています。一般社会の男性性と女性性とは違う意味で使われていますか?

いさどん:
そうですね。今の一般社会で言われている男性性と女性性というのは、物理的な面に偏っています。生殖のための男性性と女性性というのはありますが、それはさして重要ではないですね。それは機能的な役割分担のようなものです。
太陽系の惑星の軌道を見ると、金星は真円を描いて、安定した響きを発していますね。それは例えば家にお母さんがいて、いつでも帰って来られる癒しの場があるからこそ子どもたちは安心して外に冒険に出かけ、戻ってきてはお母さんのもとで癒される、というような感じです。男性は、女性が安定して住まいを守ってくれることによって、外で何かを勝ち取ってくることができます。男性性と女性性というのは、生きていくための役割分担であり、それぞれのポジションのようなものです。女性性とは、男性性がダイナミックに動けるためのベースとなるものとも言えます。揺らがない柱のようなものですね。

私たちのいる現象世界は、変化する世界です。それに対して絶対不動のものが神であり、それは目には見えない安定した柱です。そしてその絶対不動の柱があるからこそ、周囲はダイナミックに変化していくことができます。そうやって生命を躍動させていくのが男性性の役割です。それはパワーであり、変化です。元の部分が安定しているからこそ広がっていくことができるのですが、元がないまま広がっていってはバラバラになってしまいます。その元になるものとは、目には見えない、始まりの意志のようなものですね。カタカムナの講座でお伝えした通り、陰が主で陽が従とはそういうことです。

講座では、カタカムナの5首と6首には表の解説と裏の解説があるということをお話ししましたね。あなたはその解説が欲しいと言いました。日本人の受講生は誰も言いませんでしたから、それを欲しいと言うあなたはただ者ではないと思いました。重要なのは、裏の解説です。
裏の解説は、男女の性についてのものです。男女の役割分担にはどのような目的があるのか。その役割分担とは、男女の交わりのことです。カタカムナの裏は、ほとんどが性の解説になっています。この宇宙の法則はすべての生命のモデルであり、生命が現象化する時、それは雄と雌の交わりによって創られます。それは神が行うものですから、神聖なものです。その時に、正しい交わりの作法というものがあります。それが裏の解説です。

現代の人々はその神聖さを忘れてしまいましたが、男女の交わりとは「カムウツシ」であり「アマウツシ」です。「カムウツシ」とは、潜象界からの真理を降ろすことであり、男性の役割です。「アマウツシ」とは、現象化した宇宙の真理を人間界へと現すことであり、これは女性の役割です。ですから男性がカムウツシをし、それを女性がアマウツシします。物理的な構造で言うと、男性は男性器によって潜象界から現象界へ真理の柱を立て、女性はその種を子宮に受け、そこに回転が生まれます。するとそこにも陰陽が発生します。それが「カムミムスヒ」と「タカミムスヒ」です。そして現象化して生まれたのが、地球です。
銀河も太陽系も地球も、すべて同じ構造になっています。それを忠実に表現しているのが、男女の交わりなのです。それは「アマ」の精神と、さらにその奥にある「カム」の精神を再び人間に復活させるという目的があります。交わることは、それを人間に復活させるための儀式なのです。

ですから、単に子孫を残すための行為としてそれを行うことは、意識としては低いものですね。それはすべての動物や植物が行っているのと同じことでもあり、ある意味汚れのない美しいものですが、高いものではありません。
しかし交わることには、ヒトという高い存在のものが行う行為、もしくは人間がヒトになるための過程として宇宙の真理を降ろすための作法としての行いとしての意味があるのです。興味がありますか?

ニナ:
一般社会で言われていることとはまったく違うものですね。

いさどん:
そう、まったく異質なものです。例えばエクスタシーについても、一般社会では単に官能を楽しむものであり、欲求として求めるものになっていますが、それは日本で言う「マツリ」の精神と同じで、人間が自我を忘れ完全にトランス状態になると、そこに神が入るのです。それがカムウツシ、アマウツシのエクスタシーの状態であり、無我の境地です。
そうすると人は高い意識波動になり、さらに直観が働くようになります。そしてひとたびそこにアクセスできるようになると、毎回それを行わなくとも常にその精神状態を保てるようになります。ただし、通常の人間は低いところにいますから、その低い位置の欲求を振り払って振り払ってそこまで登ってきて、その意識に至ってアクセスすることがなかなか常人ではできないということです。そういったことが、カタカムナの解説には書かれています。
ではその解説を書いた人々が実際にその境地に至ったのかというと、挑戦したであろうことは確認されていますが、そこに至ったということはどこにも書かれていません。後にその解説書を研究して世に広めていった人たちの人間性を観ても、その境地には至っていないだろうと僕は思うのです。そこに至っていない人々が勉強会を開いてそれを世に広めたとしても、それは偽物の波動でしょう?ですから今現在カタカムナを広めている人たちも、裏の解説には触れていません。

僕は人に何かを語る時、相手の精神状態に合わせて語る内容が変わっていきます。人は自分のニーズに合わせて色を付けて物事を解釈するので、真実とまったく違った話になったりするのです。ですからこういった話をする場合でも、聞く側は無色でなければなりません。
ニナは5首と6首の解説の英訳が欲しいと言いましたね。それであなたの人柄を観ていて、僕は伝えてもいいと思いました。それは、一般の人々が思い描くのとはまったく別の世界です。あの裏解説は極めて説得力のあるものであり、今世の中でカタカムナを広めている人々に見せてあげたいと思っています。彼らは頭で学んでいるだけで、実際に経験していない世界を語っているのですから。それは、エコビレッジとはこういうものだと語りながら実際にはその生き方をしていない人々と同じです。すべては実体験のもとに立証されなければなりません。
あなたは裏解説の英訳を読んでどう思いましたか?

ニナ:
とても面白いものだと思いました。真学校では「性と宇宙」の講座もありますよね。

いさどん:
そうですね、そこでそのことについて語ります。実技指導はないですよ(笑)。
本当は、これはやたらと伝えてはいけないものです。なぜなら、未熟な人々はそれを自らの色を付けて解釈し、歪めて受け取るからです。そうすると、聖なる伝承が歪んでしまいます。ですから、こういったことは昔から、意識がその段階に至ったことを師匠が確認し、そして口伝で伝えてきたのです。
1ヶ月間の真学校では、そのことについて皆さんにお伝えしていきます。ですから皆さんにも、自らの色を付けることなく心をフリーにして学び、たとえ今はそこまでの段階に至らないとしても、実生活の中で高みを目指していってもらたらと思います。

 


4日目午前「カタカムナ1」 ~ 認識できない世界をひも解く

6時間では到底理解できない奥深い世界、カタカムナ。以下、講座の内容をご紹介します。あくまでもダイジェストであることをどうぞご了承ください。(カタカムナを学ぶにあたっての心がまえについては、本講座の冒頭に語られたお話をご覧ください。)

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いさどん:
ここに、カタカムナに80首あるウタヒの中の第5首、第6首の解説があります。表の物理性の解説と同時に、裏の性についての解説が載っています。
かつてここでカタカムナ勉強会の講師をやっていた人は全国各地で勉強会を開催していたのですが、カタカムナの勉強会を始めた頃、カタカムナの真実はこの裏の部分に秘められている、ということで、勉強会でその奥義を説き始めたら、まず女性が来なくなったそうです。そしてそのうちに人が減っていきました。女性が先に来なくなったということは、女性がいかに性に対してネガティブなイメージを持っているかということを表しています。それをひも解いていくと、男性がいかに雑なセックスをしているかということです。そして女性は受け身ですから、その間違った性が浸透していったのです。
その講師の人は、それ以来勉強会でも性について触れなくなりました。しかし僕は、そこに踏み込んでこそ、カタカムナの神髄だと思っています。もっとも、そうすると人が来なくなるのかもしれませんが。

人は自分の色をつけてものごとを見ています。性に対する認識がこれだけ歪んでいるのは、それだけ世の中が汚れているということです。そう言うと、自分のことは置いておいて「そうだ、世の中が汚れているから私は大変なんだ」と被害者になる人がいるのですが、あなた自身が汚れているのですよ。だからまず、あなたがきれいになることです。

それでは、スライドを見ていきましょう。

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「カタカムナの世界観を現代に生かす」というのは、とても深いことです。

現代の人々は大脳思考です。そしてヨコシマ(邪)と言って、その思考は邪ですから、損得勘定の二元的思考をしています。しかし人間は地上を生きる生命として、本来は縦思考で、直観に従い、生きるべき生き物なのです。それは自らの都合で思考を回すのではなく、生きる上で必要な生命観は自ずと湧き出してくるものです。
縦というのは、天に通ずる、この世界の仕組みの柱となるものです。それを「トキ軸」と言います。それに対して、そのトキ軸に沿って回転し、この世界に現象を生み出すはたらきを「トコロ軸」と言います。

人間は、DNAの中に宇宙の始まりから今までの成り立ちを、情報としてすべて持っています。しかし現代の人々は、脳の10%程度しか使っていないため、そういった内に秘められた情報を活用することはほとんどありません。では残りの脳のはたらきは何なのかというと、宇宙を生きるためのアンテナとしての情報です。天から降りてくる様々な情報をキャッチしたり、自らの中から湧き出してくるものをつかむのです。
今、25800年ぶりの銀河の冬至を越えて、これまでのヨコシマな損得勘定から、縦思考と横思考のバランスを取る時代に入りました。一般のカタカムナの勉強会ではこのような話は出ません。これは、地球暦やこれまでの人類の歩みをここで独自にひも解いていく中で、観えてきたことです。

「因果応報」というのは、今ここにあなたが存在していることの仕組みです。何かが発生したり存在するということは、必ずそこに至る原因があります。そしてその結果がまた次の原因となって新たな現象を引き起こし、延々とつながっていくのです。そして振り返った時に、その軌跡があなたの人生です。
原因に対して相応しい結果が現れる。それが因果応報です。原因、結果、原因、結果という連鎖を延々とくり返し、それをすべてつなげて観ると、そのひとつらなりの流れの奥に物語が観えてきます。そして、誰もが一人ひとり独自の物語を持っています。宇宙にも、誕生からずっと続いている物語があります。宇宙は誕生、維持、破壊、空、そしてまた誕生というサイクルをくり返していますから、その物語には終わりがないとも言えるでしょう。その物語が観えた時、因果応報の奥にある天の意志が観えてきます。
それを観るためには、自らに囚われているようでは観ることはできません。自らの視点からちょっと離れて、いったい自分はどういう歩みをしているのだろうかと客観的に捉えることが必要です。自らのクセというのはなかなか見えないものですが、ちょっと離れてみることでそれが観えてくるのです。

「一度止まる」と書いて、「正」という字になります。今自分がどのような歩みをしているのかを、いったん止まって、離れて観る。それが客観視点です。

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私たちは現象世界にいて、その奥にはすべての源である潜象界があります。そこまでの構造を理解すると、客観背後と言って、すべての現象の背後にあるこの世界の意志が観えてくるのです。それは意志を持っていますが、持っていないとも言えます。それは何も私たちに意志表示をしない、この世界が成立するための存在です。それを神と呼ぼうが法則と呼ぼうが物理性の元と呼ぼうが、何でもいいのですが、それが観えてくるのです。

02

人生は不可思議です。主観が強い人は、他の人も自分と同じように考えて生きていると思っています。では主観に囚われずに生きている人がどれだけいるかというと、ほとんどいません。誰もがオリジナルです。それを、さも普通であるかのような顔をしてごまかしていますが、「人格を学ぶ講座」ではその一人ひとりの独自性をひも解いていきます。

人間というのは、嘘つきです。僕はたくさんの人の人生相談を受けてきましたが、まずみんな、口から出てくる言葉と奥に持っている心が違います。ですから僕は、その奥の心を観ます。相手の言葉をそのまま受け取ったりはしません。それが客観です。
その時に僕を上手にだましたとしても、それは正確なアドバイスがもらえないということですから、その分損をしていることになります。一番は、とにかく正直になることです。「こんな恥ずかしい事は言えない」と思っても、僕は今まで1万件以上の相談を受けてきて恥ずかしい話なんて山ほど聞いていますから、全然珍しくないのです。
人間は嘘つきです。ペットは人間に近いから嘘をつくかもしれませんが、自然のものは絶対に嘘をつきません。人間が嘘をつくのは、それだけ高度の生き物だということでもあります。だから曲がりくねったでこぼこの道を歩んでいくのです。先日北朝鮮の金正男氏が暗殺されたというニュースがありましたが、報道されていることはどこまでが真実でしょうか。世界は嘘でできています。そこから真実を観抜く力を持つ。それには、自分の心を磨かなければ観えません。

でこぼこ道の奥に、この世界を存在させている大いなる意志があります。こんなにひどい世界を創って、いったいその意志は何をしようとしているのでしょうか。僕は不満に思い、それを神様に問いかけたことがあります。するとこんな答えが返ってきました。

「この世界を私の実体とみて、不満を言うならば、
その意志を見分けられるおまえになれ。」

おまえが不満を持って疑っている限り、真実は観えないだろう。周りがどうであろうとも、正直でありなさい。常に正しくものを観ることを心掛けなさい ──── そう伝えられました。

03

自分がもやもやとした雲を創っていては、見えてくるものももやもやでしかありません。そしてもやもやの人ほど、それを絶対だと思っています。そして何か新しいものに出会うと「これが真実だ」と飛びつき、また別の何かに出会えば「これこそ真実だ」というように、ころころ変わっていくのです。
それが人生だとも言えます。ですから、もやもやの中にいてもいいのですよ。それがもやもやだとわかっていればいいのです。しかし、もやもやだとわかっていない人は、そのもやもやにごまかされていきます。

04

正確に言うと、循環する前に振動し、自転し、公転し、歳差運動をして、そして循環しています。その身近にある代表例が地球です。そしてそれと相似形をなしているのが、我々の体です。細胞です。原子です。素粒子です。
カタカムナでは、素粒子よりさらに小さな存在である宇宙最極小微粒子を「カ」と呼びます。素粒子は観測できますが、カは観測することはできません。それはこの世界のすべての現象が発生する前の素材です。ですから、「ない」のです。「ない」ところに「ある」微粒子 ――― それが「カ」です。

めぐちゃん:
それはダークマターのことですか?

いさどん:
「カ」は、アマハヤミと言って、光の速さの10の64乗倍の速さで宇宙空間を飛び回り、そしてある時、現象を創りたいという想いが宇宙に湧いたとしますね。そうすると、その縁を元に「カ」はヒフミヨイと数理の道順に従い、「密かに」「震え出して二つになり」「満つって」「横に広がり」というプロセスを踏んで、「位置」が決まり、そこに「マ」という空間ができ、「ワ」という球体になります。「ワ」(=球体)ができるとは、その中に空間ができるということですが、ここには実は何もないのです。

宇宙はすべて、その空間のへりにできます。我々の銀河もそこにあります。するとこの空間は、とてつもなく広い、何もない世界です。それをダークマターと名付けてもいいですが、それが何であるのかは解明できていません。ホワイトホールやブラックホールという捉え方もありますが、それもまだ不確かなものであり、今わかっているのはここまで、としておいた方がいいでしょう。

ブラックホールがすべてを吸い込むとしたら、その行き先はどこなのか。ホワイトホールから噴き出してくるとしたら、それはどこから噴き出すのか。それをどう認識するのかと言ったら、我々が認識できない世界があるということです。それが、現象界、即ち「ある世界」の源である、潜象界、即ち「ない世界」です。

「ない」のですから、私たちには認識できません。ところが、その「ない世界」を理解しないと、この「ある世界」のことを本当に理解することはできないのです。ダークマターというのは認識しているということですが、本来はそれをダークマターとも言えません。認識できない世界にあるということです。

05

世界には様々なことが起きています。戦争があり、災害があり、病気があり、貧困があり、経済の破たんもあれば、トランプさんが出てきて何をするかわからないという状況もあります。これは、悪いことでしょうか?それを体験して「痛い」と思えば、嫌だと思うかもしれません。しかし、それを体験するということは、この世界の表現の可能性を知るということです。

この世界はすべて、陰と陽の対向発生によって成り立っています。そうすると、この世界を理解するためには、陰と陽の関係から離れて全体を観る必要があるのです。もしくは、こちら側にいるものは、向こう側に行き、こちら側を見ることによって初めて自らを知ることになるのです。
現代物理学は、現象世界を解析してきました。しかしどんなにこの現象世界だけを解析したとしても、現象世界が陰陽のどちらか一方であるとするならば、必ずそれを成立させるもう一方の存在があるはずであり、そこを理解した目でこちらの世界を観ることにより、初めてこの世界の構造がわかるのです。
人類が物理的にこの世界を理解するためには、今いる現象世界と対であるもう一方の世界へ行ってこちら側を見るか、もっと確かな情報を得るには、両方の世界を離れて全体を観ることです。ではそうするためには何に乗っていけばいいのでしょうか。今確認できている宇宙のスケールは数百億光年とも言われていますから、光の速さの乗り物に乗ったとしても宇宙から離れるには数百億年かかるということです。そんなことは物理的に不可能でしょう?ですから、現代物理学でこの世界をひも解くには限界があるのです。

そこで僕は、カタカムナが現代に復活したのだと思いました。その昔、カタカムナ人は、この「ある世界(現象界)」の奥に、それを成立させている「ない世界(潜象界)」があるということを、13000年前に理解していました。そして「ない世界」の働きが「ある世界」を表しているということを知っていました。この捉え方が現代物理学に反映されれば、物理はさらに発展することでしょう。そこから先は、人間の思考が大脳思考ではなく松果体思考、つまり直観思考になると、動き出します。
ところが今の多くの科学者はそういったことを認めませんから、そのままでは行き詰りますね。特に西洋科学を絶対視する人たちはそうです。脳の構造を変えなければこの先はありません。物理学とは何の関係もないこのような場所でそんなことが語られているのも、面白いですね。
物理学を始めとする近代科学は現代社会の発展に寄与しましたが、では人間の日常生活にどれだけの豊かさをもたらしたのかというと、今ではむしろ害をもたらしています。これは近代科学を否定しているのではなく、一方に偏ったものに、もう一方にあるものを合わせていくと、次の世界のステージが観えてくるということです。この世界を運営している存在は、一体全体何のためにこの世界を創ったのか、そしてそれを受けて人間はどうしたらよいのかということが、今ようやく語られ始めたということです。

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これは月の満ち欠けです。それが地球の海の満ち引きをつくり、生命が発生しました。生命の起源は光だと言いますが、光だけでは駄目なのです。つまり、光(陽)に対して闇の働き(陰)が必要です。ちょうど良い距離に太陽があり、ちょうど良い距離に月が生まれ、双方の働きが陰陽となって地球に生命が誕生しました。

陰は女性性を現します。女性の生理は生きることの基本であり、それは月と連動しています。男性の生理は精子の生産ですが、これは毎日行われています。それは太陽のリズムです。肉体的には男性が陽であり、女性が陰です。それを善悪や損得のような二元論で捉えると、男は陽だから表にいて、女は陰だから陰にいて従う存在だというような封建的な捉え方にもなります。近年、世界中がそうでしたね。
しかし、それは違うのですよ。本当は、この「ある世界」と「ない世界」の関係も、すべては陰が元になっているのです。生命もすべて女性から始まっています。ですから、「霊主体従」という言葉が表すように、陰が主であり、陽が従なのです。
長い間、権力やお金、物理的な優秀さなど、そういった陽的なものが主となり、心を従とする時代が続いてきました。今、時代はその切り替え時を迎えています。文明的にも、これまで世界をリードしてきた、物事を細分化して科学的に捉える西洋型文明から、世界を統合的に捉えその奥を観る東洋型文明に切り替わる時が来ています。例えば病気になれば、西洋文明ではその症状を物理的に治すことに専念しますが、東洋文明ではその病気の要因となる奥の気や心を観るのです。

あるものが現れて栄えていくと、それは月の満ち欠けと同じように必ず頂点を迎え、やがて欠けていきます。その時に、それと対向発生し、潜んで奥で支えていたもう一方の存在が、入れ替わりに現れてくるのです。

それでは、カタカムナの世界を具体的に観てきましょう。

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いさどん:
この図は、この世界の仕組みを二元に落とし込んで表現したものです。とてもわかりやすいですが、実際はこの世界は二元ではありません。

みかこ:
この図では左側が潜象界で右側が現象界というように分かれていますが、実際はこんな風に単純に区切られているわけではなく、潜象界はこの世界に重なってあるものです。

いさどん:
僕はある時、この現象世界の空間にふっと切れ目が入って、そこからふわーっと何かが出てくるのを感じました。何とは言えませんが、何かが来る。そして、それが「カ」なのだと思いました。これが供給されることによってこの世界が創られ続けているのだということを感じたのです。
なぜそれが観えるようになったのかというと、この世界の物理性を理解してきたからです。「カ」は宇宙最小の微粒子であり、すべての現象の元となるものです。そういった仕組みを人間は、宇宙の発生、維持、破壊、消滅までの仕組みを理解すると、意識的にその原動力である「カ」を潜象界から引き出すことができるようになります。人工によって汚染されていない純粋なエネルギーを引き出すことで、この世界に「イヤシロチ」(汚れのない生命力にあふれた場)を創り出し、美しくしていくことができる。そこまでの域に人間は達することができるのだと気付いたのです。
逆に、この仕組みを理解していないと人工の世界の中だけでぐるぐると意識を回し、人工的な歪みを増幅させてどんどんこの世界を汚していく(ケガレチ)ことになります。潜象界はこの世界のあらゆるところに重なって存在していますから、人間がその意識になれば、どこからでも「カ」は供給されるのです。例えば畑に行って「人間の欲で汚れているな」と感じたら、欲のない美しい心で作物に語りかけます。するとその空間から新しい純粋なエネルギーが作物や土に供給されて、美しく濁りのない作物が育つのです。

この図を見てください。私たちが通常認識している世界は、現象界=カタの世界です。「カ」は宇宙最極小微粒子であり、それが「タ」即ち分離独立したものが「カタ」であり、それが持続する(=チ)と「カタチ」となります。カタの世界は「見える世界」です。
その奥に、「見えない世界」があります。例えば心は見えませんね。見えませんが、カタチである顔の表情を見ていると、その奥にある心が観えてくるでしょう。ところが人間はそれを隠しますね。カタチで隠すのです。その隠れて見えないものが、この図にある「思い」「幽」「心」「言霊」といったものです。この見えないものが見えるものと重なり合って、人間が形成されます。人間だけでなく、あらゆるものがその仕組みで成り立っています。そしてすべての存在は、固有のサイクルを持っており、人間なら80年、ネズミなら数ヵ月、星なら数百億年というように、それぞれのサイクルがあって生命が維持されています。それがカタの世界です。宗教で言う霊とは、一般的にこのカタの世界の中の「見えない世界」の存在を言います。そして「見える世界」と「見えない世界」を、因果がぐるぐると回っているのです。

この現象界に対し、対向発生をしている潜象界の存在をひも解いているのがカタカムナ宇宙物理学です。その潜象界には何があるのかというと、すべての音のふるさとの響きです。響きはすべての源です。宇宙空間も実は響きなのです。
潜象界では、48の音は単独で存在しています。それが現象界へやってくると、縁が発生して他の音とつながり、意味を成すようになります。潜象界では「ア」と「イ」というように単独で存在していたものが、現象界へやってくると、それが縁により結ばれ「アイ」になるのです。
潜象界は、濁りや歪みのない世界です。それは極めて美しい状態です。ですからそれを理解するためには自らを無垢の状態にしなければなりません。先入観があっては、それをわかることはできないのです。

潜象界から現象界へ生まれ出てくると、様々な形状を持つようになります。それが自然の命の多様性です。そしてそこには「差」があります。形状の差、役割の差。そしてそれがネットワークしていくのです。
潜象界には差はありません。ネットワークもありません。それが現象界へやってくると歪みが発生して差が生まれ、ネットワークする。それが命の世界です。その歪みとは美しい歪みであり、そこでは一つひとつの差は個性なのです。
ところがそこから人工の世界へ進むと、カルマや人間の思惑による人工の歪みが発生します。それによって今、自然が汚染されているのです。それに対して、人々がどう解決しようとしているのかと言うと「自然保護」だと言うのですが、それは違います。人間の心が汚れているから、自然も汚染されているのです。

それを美しくするには、現象界の奥にある潜象界までを含めたこの世界の構造を理解し、人間が自主的に自分自身を美しくすることです。そうすると、人工で汚染されたものは潜象界へと還り、そこからまた新しい新鮮なエネルギーが供給されるという循環が生まれ、自然は自ずと美しくなっていきます。
「自然保護」というのは傲慢な言葉です。自分たちが汚染の根源であるのに、自然を「保護」しようと言うのですから。そんなことを言う前に、自らの心を改めることです。

まずは、あなたから。あなたがきれいになると、それが世界に広がって、必ず世界は美しくなるでしょう。

 

 


4日目午前「カタカムナ1」導入 ~ もっとも“わからない”講座

第4日目は、この世界をひも解く神髄とも言えるカタカムナの講座です。まずは冒頭のいさどんのお話から ──── 。

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いさどん:
今日は、カタカムナの世界観を学びます。ただし、これはカタカムナ宇宙観の入り口です。

13000年前の宇宙物理文明

カタカムナの世界は、とても深いものです。真学校では2コマ6時間をカタカムナに充てていますが、それだけでマスターすることはできません。6時間で学べることはほんの概要であり、深い世界を粗く見て「ああ、そういう感じなのか」ということをつかむためのものです。
真学校の初日に、皆さんにわからないことを伝えていきます、とお話ししました。それをわからないからと言って切り捨ててしまうと、新たな世界観を認識することはできません。このカタカムナの講座が、まさしくそれです。なるべく皆さんが理解できるようには進めていきますが、それで皆さんが本当にその神髄をつかめるかどうかはわかりません。

実は、今カタカムナの世界観をマスターしている人はこの世界にいないだろうと思います。
カタカムナは、およそ13000年前に東アジアに栄えていた宇宙物理文明であり、とても深い世界観を持っていましたが、やがて時代が進んで物質的文明が台頭してくるに従って衰退し、長い間封印されていました。そして1949年、楢崎皐月という明治生まれの物理学者が、兵庫県の六甲山系の金鳥山というところにあるカタカムナ神 ──── 正式には保久良神社というそうですが ──── そこで平十字という老人と出会い、神社の御神体として伝えられているという記号のようなもので書かれた巻物を見せられ、それをひも解き始めたことから、再び世に現れ出したのです。それは第二次世界大戦が終わってから4年後のことです。
楢崎皐月という方はとても優秀で集中力のある方だったのでしょう。それから5年間をかけて、巻物に書かれていた文字を解析し、48音の意味をひも解いていきました。この文字が、カタカムナの「八鏡文字」です。そして、カタカムナをひも解けばひも解くほど、彼一人の力ではそれを解析できないということがわかってきました。そして後に、宇野多美恵さんという女性と、その妹に出会います。そして3人で力を合わせてカタカムナ文献をひも解いていったのです。

これが八鏡文字です。

カタカムナ第5首・第6首
カタカムナ第5首・第6首

この文字が、カタカナの元になっていると言われています。
「マワリテメクル」というのは、地球の自転と公転のような物理性を表しています。そしてもうひとつ、この世界は「対向発生」と言って、陰と陽のように相反する二つのものが同時に存在することによって成り立っていることも表しています。
カタカムナには、この48音を組み合わせた80首の「ウタヒ」があり、一説によると120種以上あるとも言われています。それはこの世界の命の仕組みを表したものです。48音の一つひとつにそれぞれの意味があり、それをつなげることによって命の仕組みである物理性を表しているのですが、それをひも解いていくのはとても難解なことです。最初に発見された文献には、この図のようにフリガナが打ってあったわけではありません。それをひも解いたのですから、楢崎さんという方は素晴らしい頭脳と創造力の持ち主だったのでしょう。
80首のウタヒをひも解いていくと、「表」のカタカムナの解説があり、表を陽とするならばそれと対になる陰、即ち「裏」の解説があります。表は宇宙の物理性を説いています。裏は、性についての解説です。男女が交わることの意味や、それによって何が得られるのかということが示されています。

最も小さなコミュニティ、男女の出会い

人は生きていく上で、群れて社会を創ります。その時にできる最も小さな単位のコミュニティとは、男女の出会いです。それが対向発生です。1+1は通常2ですが、男女が出会えば子どもが生まれて3になります。それが家族というコミュニティの始まりです。家族というコミュニティが集まって一族ができ、そして村ができ、町ができ、社会ができていくわけですから、家族というコミュニティが健全であることが世の中の健全につながります。
昔から、多くの人が理想郷を築くことを目指してきました。しかしほとんどの場合、実際に理想のコミュニティを目指し、立ち上げても、長続きはしませんでした。歴史の中でユートピア運動というのは世界中にあり、日本でも多くのコミュニティが立ち上げられてきましたが、今も存在しているところがどれだけあるでしょうか。密度高く安定している場としては、木の花は代表的な事例です。
多くのコミュニティが長く続かない原因は、お金と性の問題です。これをクリアすると、コミュニティは安定します。性の話というのは多くの人にとって秘め事であり、みんな表に出そうとはしません。しかし、「性」とは「聖」と同じなのですよ。

「セイ」をカタカムナの単音でひも解くと、「セ」とは「せまい」とか「エネルギーが集中している」ことを表します。「イ」とは「位置」であり、「ヒフミヨイ」の「イ」ですから、これから現象化する用意が整ったことを表しています。つまり、「セイ」とは狭い位置に密度が集中しているということですから、「性」であれば女性器に男性器が結合していることを表しています。「聖」ならば道を究めていって高く狭い位置に到達し、そこで安定している状態を表しています。下の方の世界では価値観が様々にあってバラバラの状態ですが、そこから極めていって確固たる高次の精神の位置に到達したということです。「清」も「セイ」と読みますね。いろいろと汚れている世の中で、余分なものをそぎ落とし、美しく清らかな状態になったということです。

カタカムナの80首とも120首とも云われるウタヒをひも解いていくと、その7割から8割は、性についての本義が示されています。表は宇宙の物理性の解説ですが、裏には、性から紐解かれる命の解説が明快に示されています。聖なる男女が交わることによってどのような境地に至るかということが綴られているのです。
それは、現代のアダルト産業が描くような性の世界とは、まったく違った世界です。しかし現代の多くの人々は、そのような聖なる描写に出会っても誤解をします。なぜ誤解するのかというと、その人自身が、性に対して誤解をするようなレベルの認識しか持っていないからです。

「怪しい」は自分の中にある

僕がいかに真剣に、熱意を持って、その人のために、世の中のために真実を語ったとしても、人はどこかに自分の常識というものを持っており、そこから外れたことを聞くと「それは怪しい」と判断します。では何が怪しいのかというと、その人自身の中に怪しいものの基準があるのです。

本来、性とは聖なるものであり、神聖なものですよ、その聖なる精神性に則って交わることは、それにふさわしい神聖な魂を天から降ろし、優れた精神の人が世に現れ、世の中を良くしていくのですよ、と語ると、「その通りだ」と思う人もいれば、自らの性に対するイメージを重ねて「あんなことを言うなんて怪しい」と思う人もいます。現代の一般的な性の認識しか持っていない人は、性と聞くとすべて自分の中のイメージにつなげて、それは欲情をそそるものでよこしまなものだと決めつけます。女性の場合、性の出会いが不幸で嫌悪感を持っている人も少なくありません。みんな自分の中のイメージで「性とはこういうものだ」と決めつけているのです。

僕の話を聞いて「怪しい」と言う人は、実際にそのものを認識しているわけではありません。それ自体を客観的に捉えるのではなく、自分の中にある認識をそこに投影して見て、想像しているのです。
人間は恐ろしいことに、ものごとの真実を確認せずに、自らの中にあるイメージを重ねて事実とは違う幻想を創り上げ、それを独り歩きさせていきます。それは間違いを独り歩きさせているようなものです。その結果、真実と間違いのギャップが生じ、そのギャップを生きることになります。それは人生に間違いの種を播き続けることになりますから、必ず未来に間違いの芽が出ます。
その時に、本人には自分が間違いの種を播いてきたのだという認識がありません。ですから間違いの芽を見て、いったい誰がこれを播いたのだろう、なぜ私がこんなものに出会わなければいけないのだろう、と思うのです。すべて人のせいになるのです。そうすると、その人の人生にはさらに間違いが起きるようになります。

理解を超えるものを受け取る

昨日、「世界観を広げよう」という講座をやりました。その中に、心を磨くことの大切さが出てきます。なぜ世界観を広げることが必要なのかというと、視野が狭いと自分がどこにいるのかが観えないからです。広い視野の中で様々な認識に触れると、その中で自らがどのような位置にいるのかがわかり、自分の思考がどのようなものであるのかを客観的に捉えることができます。
ところが、狭い枠の中で自分の見える範囲のものだけを見て生きていると、それが世界の全てだと思うようになります。中には、自分の今の状態は他者や世の中のせいだと言って被害妄想になっている人もいます。そのように自らの視点だけで生きていては、世の中に間違いの認識を広めていくようなものです。だから世界観を広げることが必要なのです。

その時に、自分の理解できることだけを受け取っているようでは、世界観は広がりません。多くの人は狭い枠の中にいて、自分の理解できないことは間違いだとしています。しかし、カタカムナを生きるということは、今の世の中の人々が認識していない、新たな道を歩み出すということなのです。
僕は昔、この道に出会った時に、最初は自分が精神分裂病になったのかと思いました。自分の中に言葉が降りてくるのです。そういうことが、人間にはある。どうやら自分は、そういう人になってしまったようだ。そう思いました。

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しかしこれは実際に怪しい話です。一歩間違えば魑魅魍魎(ちみもうりょう)の不確かな世界にも通じるからです。よくテレビにも霊能力者と言われるような人々が出てきますが、そういった世界にも通じるもので、人々を惑わせることにもなる危険なものなのです。ですから僕自身も、そのような状態の自らを疑いながら歩んできました。しかし、疑いながらも、そうなってしまったものはなってしまったのですから、仕方がありません。「これはどういうことなのだろう」と歩みを止めることなくそれに付き合ってきました。そうして、ここまで歩んできたのです。

真実はひとつ

自分が出会ったものは何なのかということを突き詰めていくと、その人の精神構造のレベルの位置に到達します。皆さんも、いろんな本などを通してスピリチュアルな世界に出会っていると思いますが、それを教科書のように崇めていては、それを発信している人の精神レベルを超えることはできません。何かを経典とした時点で、その先の道は閉ざされるのです。

しかし、この世界は広大なものであり、情報は無限にあります。自分自身を空っぽにして、自身の中に定着したものだけが、得たものです。そして世界は無限ですから、探求は永遠に続きます。
これは、真学校を1ヶ月間どのように過ごすのかという姿勢の話です。あなたの中に新しい情報をどれだけ入れるのか。そしてそれをどれだけこなせるか。有害なものはひとつもありません。しかしそこで自分の中に入れるものを自分で選別するようでは、大事なものがすっぽりと抜けた骨抜きの情報の寄せ集めになるかもしれません。1ヶ月後にどれだけのものをあなたが得ているのかは、皆さん自身にかかっているのです。
そして、その得たものを元にそれから先の人生を生きていくことになります。それをくり返しながら人生が完成されていくのです。新たに得る情報というのは、自分が知らないものですね。ですから、わからないことでもまず取り入れてみることです。その全てをマスターすることはできなくても、まずは取り入れてみて、そして残るものを自分のものとしていけばいいのです。

その時に、これを取り入れたらいいことがあるのだと御利益を求めるようなことでは、何かのセミナーを受けて良い人生になりますようにと願うのと同じで、まやかしです。何を持って良い人生とするかは、人によって違います。今僕は、生きるということ、そしてその中で出来事に出会う時の基本の姿勢についてお話ししていますが、それは一人ひとりみんな違います。皆さんはこれまで、一人ひとり違う人生を歩んできました。これからも違うことでしょう。そこで最も気を付けなければいけないのは、自分は先入観を持っていて、その色眼鏡でものごとを見てはいないかということです。
もしもそうであるなら、あなたはあなたの色を付けてものごとを見ていることになり、真実を自分の中に取り込むことはできません。逆に言うと、その先入観で彩られた認識が、あなたにとっての真実になります。ですから、真実は人の数だけあることになります。しかし先入観を外してその情報に出会えるならば、今あなたが必要とする情報があなたにもっともふさわしい形であなたの内に残ることでしょう。そして内に残ったものこそが、誰にとっても共通するこの世界の真実なのです。

カタカムナを生きる

カタカムナの世界観を学ぶにあたり、まずは冒頭のお話をしました。これから3時間の講座が始まりますが、人によってはさっぱりわからない時間を過ごすことになります。最初は頭が痛くなることもあるでしょう。それでも付き合っていくと、何かが感じられるようになるかもしれません。それが大事なのです。
現代人は前頭葉で思考を回し、いわゆる大脳思考でものごとを解釈しますが、カタカムナ人は脳の中心にある松果体という部分を震わせて、この世界の真実を直観で受け取っていたと言われています。その時に、思考は回しません。会話も、今のように文章にするのではなく、単音に近い形でやり取りをしていました。そして群れて、直観のセンサーを働かせながら、生き残ってきたのです。ですから、生命観がとても強い。豊かに生きるにはどうしたらいいかなどと、大学の講義のように考えることはなかったのです。
これから八鏡文字について学んでいきますが、これは楢崎皐月さんが解析したもので、カタカムナ人は誰もこんな講義を受けて学んだりはしていませんでした。現代人はそれを教科書にして勉強会を開催したりしていますが、それでは結局、現代人の思考回路で知識的に学んでいるに過ぎません。

みかこ:
この文字の成立自体が、カタカムナ文明が栄えていた13000年前からずっと後の約8000年前だろうと言われています。後の世の人々が体系化したんですね。

いさどん:
木の花ファミリーでも、カタカムナに出会ってから2年間は毎月勉強会を開催していましたが、僕はある時、もうこれ以上は必要ないと思いました。間違いの方向に進み出したと思ったからです。カタカムナ人は勉強をするのではなく、毎日の生活の中でそれを表現していました。いくら知識としての勉強を重ねても、人間性を高め、その知識が人生に反映されることにはならないのです。
僕がその2年間で気付いたことは、「カタカムナを学ぶ」のではなく「カタカムナを生きる」ということでした。そしてカタカムナを探求すればするほど、私たちが今までコミュニティとして目指し表してきたここの生活が、カタカムナを表現しているのだと思いました。ですから私たちは勉強会を開催するのではなく、それを生きて、そして生活の中で表現することでもっとわかりやすく皆さんに伝えていくことができると思ったのです。カタカムナは宗教のように御利益を求めるものでも、学問のように知識として学ぶものでもなく、実際にそれを生きることで、自らの人間性に反映させていくものなのです。

それは理想論ですか?

いさどん:
人間は、まず自分自身の個性という認識の色がついています。そしてその色を通してものごとを解釈しています。そこでちょっと自分の外に出てみましょう。そして自分はどんな色を持っているのか、どんな心のクセを持っているのかを客観的に見てみましょう。そうでなければ、いつまでも自分の色やクセを通して世界を見ることになります。

としみちゃん:
聞いていて、胸に突き刺さります。さっき、男女が聖なる交わりをすることで素晴らしい子どもが生まれると言いましたよね。私は小さなころから性に対して嫌悪感があるんですけど・・・

いさどん:
今、「小さなころから」と言いましたけど、それはいつのことですか?小さな子どもの時から性的なことに関わってきたということですか?

としみちゃん:
小さいと言っても中学生くらいの時です。

いさどん:
それは正確に言わなければいけませんよ。「小さな」というと2、3歳の子どものようですが、中学生となれば、多くは自身の体験が元となってイメージを持つようになっています。中には何も体験していないのにネガティブなイメージを持つ人もいますが、それはもともと自らの中にネガティブな種があるということです。それがその人の色ですね。

としみちゃん:
その、聖なる行為で素晴らしい子どもが生まれてくるというのが、そうなったらいいなとは思うけれど、きれいごとというか、理想論に聞こえてしまうんですけど・・・

いさどん:
その「理想論に聞こえる」というのは、あなたの考えではないですか?そのあなたの考えで、「これは理想論なのだ」と断定しますか?あなたは今までも、そうやって自分の考えでものごとを断定しながら生きてきましたね。
「素晴らしい人」というのはどこから生まれてくるのでしょう。お釈迦様もキリストも、性の営みから生まれてきたのですよ。
人は自然を見て、美しいと言いますね。その自然も、性の営みによって生まれています。植物にも雄しべと雌しべがあり、それが交わることによって次の世代につながるのです。それはきれいごとでしょうか。

としみちゃん:
うーん・・・人はそういう考えでは行為をしていないんじゃないかなって思うんです。それは自分の考えですけど。

いさどん:
実際そうですよ。では、みんなに聞いてみましょう。交わることを神聖な行為として受け止めている人はいますか?
(2名が手を挙げる。)
では、実際に自分はそれを神聖なものとして行っている、という人はいますか?
(誰も手を上げない。)

「世界観を広げよう」の講座で、この世界は間違いから生まれているということを伝えましたね。そして、今の時代は混乱のピークにあることをお話ししました。その混乱の一番の原因は、性の間違いから来ています。性の間違いが正されると、この世界はすべてが美しくなります。
カタカムナは、表では宇宙物理を説いています。表は陽の世界です。しかしその元は、陽を支える陰の世界にあります。陰とは、霊です。見えない世界です。その見えない世界が先にあり、それが元となり、この世界が表現されているのです。「健全なる肉体に健全なる精神が宿る」と言いますが、真実は「健全なる精神に健全なる肉体が宿る」のです。
性の話も同じです。健全なるセックスに、健全なる子が宿ります。それでもあなたは疑いますか?

としみちゃん:
言葉ではわかるんですけど、心の中は「う~ん」という感じです。

正直に自分の想いを出すことで皆に学びを提供しているとしみちゃん
正直に自分の想いを出すことで皆に学びを提供しているとしみちゃん

いさどん:
あなたのその状態に付き合っていると時間はかかるし、面倒ですね。結局は、あなたがあなたの色をどうするかです。1ヶ月間どんなに勉強したとしても、自分の中の固定概念をとらない限り、あなたはいつまでも同じ位置にいることになります。そこを超えて、自らをフリーにして受け取ろうという姿勢になった時に、あなたは新たな世界を生きることになるのです。そこでいつまでも「う~ん」と疑っていると、相変わらず同じ人生を生きることになります。その決断をどうするのかは僕の範疇ではありません。それはあなたの意志の範疇であり、皆さん一人ひとりの意志の範疇です。

地球は円ではなく、球

いさどん:
自分の中に「これが絶対だ」というものを持っている人は進歩しません。宇宙は常に瞬間瞬間変化変容をくり返しながら、常に先へ先へと、未知なる未来へ進み続けているのですよ。

みかこ:
カタカムナはこの世界の成り立ちを表すもので、それはとてつもなく広いものです。例えば地球をいろんな側面から立体的に見たら球だけど、一カ所だけから見たら円に見えるよね。その時に、いくら地球は球なんですよと説明をしても、「私からは円にしか見えないからそれはおかしい」というようでは、そこで話は終わってしまう。そこで地球が円にしか見えないのは、自分の立ち位置が固定されていて、そこからしか見ていないからなんだよ。

いさどん:
地球は球ですが、それを紙という二次元の上で表せば円になります。現代の私たちの思考は、二元的発想に囚われています。八鏡文字は宇宙の成り立ちを二元で表していますが、これは実際は、球なんです。

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このボールは、ここで作ったものです。これは宇宙の成り立ちの仕組みを立体で表していますが、これを二元で表現すると八鏡文字のような図になります。それが間違いの始まりです。立体のものを二元に置き換えて、伝わるわけがないのです。
もっとも、このボールも単なる球体の模型です。最終的には、「この世界はこうなっているんだ」ということを自分自身の中で描ける人にならなければ、いくら僕が語ったところで「でも私から見ると円だ」と言い続けることになるのです。
それでは進化しません。宇宙を生きるとは、常に無の状態で新たな認識へと自らをいざなっていくことです。少しでもカタカムナが理解できると、それを糸口として、だんだんその意味がわかってきます。

めぐちゃん:
昨日、カタカムナの講座を受けるにあたり、自分自身の認識について考えていました。さっき、現代人は大脳思考という話がありましたけど、大脳思考の人間が発している言葉というのは音の一音一音が粒子的で、いろんな種類の粒子の組み合わせでひとつの意味を持っている。でもこの宇宙の物質には粒子性と波動性の両方があり、カタカムナ的解釈のできる人々は、粒子性と同時に波動性を認識する能力を持っている。この世界にはいろんな波動の発生源があって、その波が互いに相互作用して波模様として表現されているけれど、そういった波動的なものが現代人にはなかなか認識できないんじゃないかと思うんです。でも木の花ファミリーでは各メンバーの人たちがそれぞれ個性的な波動の発生源になっていて、そこから発される波模様が干渉しあって調和的な波紋をつくり、発生源の位置や強さによって波模様が常に変化している。昔、直観を主体として生きていたカタカムナの人々は、そういった感覚を持っていたのかな、と思いました。

元光学エンジニアならではの見地から解析をするめぐちゃん
物理畑出身ならではの見地から解析をするめぐちゃん

いさどん:
そうです。今めぐちゃんが話したことというのは、日常話される会話からするとちんぷんかんぷんでしょう?通常、今のような会話は生活の中ではあまり語られない話です。彼女は物理学を勉強してきたから、その切り口から話をしていました。それが人それぞれのこの世界を測る尺度なんです。
僕はカタカムナを学んできたから彼女の言うことはわかりますが、物理学を学ばずにカタカムナに出会った人は、そのような切り口から解釈することはできません。同時に、物理学の切り口からカタカムナを見るとある段階までは理解できますが、その切り口からだけでは限界があるのです。ですからそこに囚われると、その解釈では行き詰まることとなります。
めぐちゃんは物理学の切り口から世界の成り立ちを解析し、成り立ちの関係性を解析し、それが人と人との関係の中にもあるのだということを語りましたね。

めぐちゃん:
私も大脳的思考じゃなく、松果体的思考の大切さを感じています。

いさどん:
だからあなたはここに出会い、共鳴したのでしょう。生きるとはそういったことの連続です。僕は初めてカタカムナに出会った時に、これは今まで我々が生きてきた生き方を物理的に立証するものだということを直観で感じました。
直観の大切さを、我々はカタカムナから学んだわけではありません。もともとここにあった生き方の中でそのことを理解してきて、そしてカタカムナに出会い、同じことを言っているね、となっただけなのです。それは何かを学んで解釈したものをやってきた結果ではなく、まったく無色の状態で未知の道を歩んできた結果出会い、今の状態に至ったのです。そういった人の解釈を超えたところでの出会いは、とても大事なものです。
これを切り口として新たな時代の可能性は広がっていきますから、これが絶対だというわけではありません。今はまだ2000年代が始まったばかりで、3000年に向かってこれから1000年をかけてこの流れが仕上がっていくのですから、今はまだ始まったばかりです。

さて、それでは休憩に入りましょう。その前に何か質問はありますか?あっこちゃんはどう?

あっこちゃん:
まだよくわからないです。

いさどん:
大丈夫だよ。ずっとわからないから。(みんな:笑)。

あっこちゃん:
具体的にはならないんですか?

いさどん:
具体的になりますよ。ただ、なるまで我慢できるかどうかです(笑)。

あっこちゃん:
じゃあ我慢します。(みんな:笑)

我慢して聞き続けてみよう
我慢して聞き続けてみよう

いさどん:
今日の6時間で理解できるかどうかは、皆さん次第です。これまで積み重ねてきた心のクセが多ければ多いほど、難しいかもしれません。