4日目午前「カタカムナ1」 ~ 認識できない世界をひも解く

6時間では到底理解できない奥深い世界、カタカムナ。以下、講座の内容をご紹介します。あくまでもダイジェストであることをどうぞご了承ください。(カタカムナを学ぶにあたっての心がまえについては、本講座の冒頭に語られたお話をご覧ください。)

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いさどん:
ここに、カタカムナに80首あるウタヒの中の第5首、第6首の解説があります。表の物理性の解説と同時に、裏の性についての解説が載っています。
かつてここでカタカムナ勉強会の講師をやっていた人は全国各地で勉強会を開催していたのですが、カタカムナの勉強会を始めた頃、カタカムナの真実はこの裏の部分に秘められている、ということで、勉強会でその奥義を説き始めたら、まず女性が来なくなったそうです。そしてそのうちに人が減っていきました。女性が先に来なくなったということは、女性がいかに性に対してネガティブなイメージを持っているかということを表しています。それをひも解いていくと、男性がいかに雑なセックスをしているかということです。そして女性は受け身ですから、その間違った性が浸透していったのです。
その講師の人は、それ以来勉強会でも性について触れなくなりました。しかし僕は、そこに踏み込んでこそ、カタカムナの神髄だと思っています。もっとも、そうすると人が来なくなるのかもしれませんが。

人は自分の色をつけてものごとを見ています。性に対する認識がこれだけ歪んでいるのは、それだけ世の中が汚れているということです。そう言うと、自分のことは置いておいて「そうだ、世の中が汚れているから私は大変なんだ」と被害者になる人がいるのですが、あなた自身が汚れているのですよ。だからまず、あなたがきれいになることです。

それでは、スライドを見ていきましょう。

01

「カタカムナの世界観を現代に生かす」というのは、とても深いことです。

現代の人々は大脳思考です。そしてヨコシマ(邪)と言って、その思考は邪ですから、損得勘定の二元的思考をしています。しかし人間は地上を生きる生命として、本来は縦思考で、直観に従い、生きるべき生き物なのです。それは自らの都合で思考を回すのではなく、生きる上で必要な生命観は自ずと湧き出してくるものです。
縦というのは、天に通ずる、この世界の仕組みの柱となるものです。それを「トキ軸」と言います。それに対して、そのトキ軸に沿って回転し、この世界に現象を生み出すはたらきを「トコロ軸」と言います。

人間は、DNAの中に宇宙の始まりから今までの成り立ちを、情報としてすべて持っています。しかし現代の人々は、脳の10%程度しか使っていないため、そういった内に秘められた情報を活用することはほとんどありません。では残りの脳のはたらきは何なのかというと、宇宙を生きるためのアンテナとしての情報です。天から降りてくる様々な情報をキャッチしたり、自らの中から湧き出してくるものをつかむのです。
今、25800年ぶりの銀河の冬至を越えて、これまでのヨコシマな損得勘定から、縦思考と横思考のバランスを取る時代に入りました。一般のカタカムナの勉強会ではこのような話は出ません。これは、地球暦やこれまでの人類の歩みをここで独自にひも解いていく中で、観えてきたことです。

「因果応報」というのは、今ここにあなたが存在していることの仕組みです。何かが発生したり存在するということは、必ずそこに至る原因があります。そしてその結果がまた次の原因となって新たな現象を引き起こし、延々とつながっていくのです。そして振り返った時に、その軌跡があなたの人生です。
原因に対して相応しい結果が現れる。それが因果応報です。原因、結果、原因、結果という連鎖を延々とくり返し、それをすべてつなげて観ると、そのひとつらなりの流れの奥に物語が観えてきます。そして、誰もが一人ひとり独自の物語を持っています。宇宙にも、誕生からずっと続いている物語があります。宇宙は誕生、維持、破壊、空、そしてまた誕生というサイクルをくり返していますから、その物語には終わりがないとも言えるでしょう。その物語が観えた時、因果応報の奥にある天の意志が観えてきます。
それを観るためには、自らに囚われているようでは観ることはできません。自らの視点からちょっと離れて、いったい自分はどういう歩みをしているのだろうかと客観的に捉えることが必要です。自らのクセというのはなかなか見えないものですが、ちょっと離れてみることでそれが観えてくるのです。

「一度止まる」と書いて、「正」という字になります。今自分がどのような歩みをしているのかを、いったん止まって、離れて観る。それが客観視点です。

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私たちは現象世界にいて、その奥にはすべての源である潜象界があります。そこまでの構造を理解すると、客観背後と言って、すべての現象の背後にあるこの世界の意志が観えてくるのです。それは意志を持っていますが、持っていないとも言えます。それは何も私たちに意志表示をしない、この世界が成立するための存在です。それを神と呼ぼうが法則と呼ぼうが物理性の元と呼ぼうが、何でもいいのですが、それが観えてくるのです。

02

人生は不可思議です。主観が強い人は、他の人も自分と同じように考えて生きていると思っています。では主観に囚われずに生きている人がどれだけいるかというと、ほとんどいません。誰もがオリジナルです。それを、さも普通であるかのような顔をしてごまかしていますが、「人格を学ぶ講座」ではその一人ひとりの独自性をひも解いていきます。

人間というのは、嘘つきです。僕はたくさんの人の人生相談を受けてきましたが、まずみんな、口から出てくる言葉と奥に持っている心が違います。ですから僕は、その奥の心を観ます。相手の言葉をそのまま受け取ったりはしません。それが客観です。
その時に僕を上手にだましたとしても、それは正確なアドバイスがもらえないということですから、その分損をしていることになります。一番は、とにかく正直になることです。「こんな恥ずかしい事は言えない」と思っても、僕は今まで1万件以上の相談を受けてきて恥ずかしい話なんて山ほど聞いていますから、全然珍しくないのです。
人間は嘘つきです。ペットは人間に近いから嘘をつくかもしれませんが、自然のものは絶対に嘘をつきません。人間が嘘をつくのは、それだけ高度の生き物だということでもあります。だから曲がりくねったでこぼこの道を歩んでいくのです。先日北朝鮮の金正男氏が暗殺されたというニュースがありましたが、報道されていることはどこまでが真実でしょうか。世界は嘘でできています。そこから真実を観抜く力を持つ。それには、自分の心を磨かなければ観えません。

でこぼこ道の奥に、この世界を存在させている大いなる意志があります。こんなにひどい世界を創って、いったいその意志は何をしようとしているのでしょうか。僕は不満に思い、それを神様に問いかけたことがあります。するとこんな答えが返ってきました。

「この世界を私の実体とみて、不満を言うならば、
その意志を見分けられるおまえになれ。」

おまえが不満を持って疑っている限り、真実は観えないだろう。周りがどうであろうとも、正直でありなさい。常に正しくものを観ることを心掛けなさい ──── そう伝えられました。

03

自分がもやもやとした雲を創っていては、見えてくるものももやもやでしかありません。そしてもやもやの人ほど、それを絶対だと思っています。そして何か新しいものに出会うと「これが真実だ」と飛びつき、また別の何かに出会えば「これこそ真実だ」というように、ころころ変わっていくのです。
それが人生だとも言えます。ですから、もやもやの中にいてもいいのですよ。それがもやもやだとわかっていればいいのです。しかし、もやもやだとわかっていない人は、そのもやもやにごまかされていきます。

04

正確に言うと、循環する前に振動し、自転し、公転し、歳差運動をして、そして循環しています。その身近にある代表例が地球です。そしてそれと相似形をなしているのが、我々の体です。細胞です。原子です。素粒子です。
カタカムナでは、素粒子よりさらに小さな存在である宇宙最極小微粒子を「カ」と呼びます。素粒子は観測できますが、カは観測することはできません。それはこの世界のすべての現象が発生する前の素材です。ですから、「ない」のです。「ない」ところに「ある」微粒子 ――― それが「カ」です。

めぐちゃん:
それはダークマターのことですか?

いさどん:
「カ」は、アマハヤミと言って、光の速さの10の64乗倍の速さで宇宙空間を飛び回り、そしてある時、現象を創りたいという想いが宇宙に湧いたとしますね。そうすると、その縁を元に「カ」はヒフミヨイと数理の道順に従い、「密かに」「震え出して二つになり」「満つって」「横に広がり」というプロセスを踏んで、「位置」が決まり、そこに「マ」という空間ができ、「ワ」という球体になります。「ワ」(=球体)ができるとは、その中に空間ができるということですが、ここには実は何もないのです。

宇宙はすべて、その空間のへりにできます。我々の銀河もそこにあります。するとこの空間は、とてつもなく広い、何もない世界です。それをダークマターと名付けてもいいですが、それが何であるのかは解明できていません。ホワイトホールやブラックホールという捉え方もありますが、それもまだ不確かなものであり、今わかっているのはここまで、としておいた方がいいでしょう。

ブラックホールがすべてを吸い込むとしたら、その行き先はどこなのか。ホワイトホールから噴き出してくるとしたら、それはどこから噴き出すのか。それをどう認識するのかと言ったら、我々が認識できない世界があるということです。それが、現象界、即ち「ある世界」の源である、潜象界、即ち「ない世界」です。

「ない」のですから、私たちには認識できません。ところが、その「ない世界」を理解しないと、この「ある世界」のことを本当に理解することはできないのです。ダークマターというのは認識しているということですが、本来はそれをダークマターとも言えません。認識できない世界にあるということです。

05

世界には様々なことが起きています。戦争があり、災害があり、病気があり、貧困があり、経済の破たんもあれば、トランプさんが出てきて何をするかわからないという状況もあります。これは、悪いことでしょうか?それを体験して「痛い」と思えば、嫌だと思うかもしれません。しかし、それを体験するということは、この世界の表現の可能性を知るということです。

この世界はすべて、陰と陽の対向発生によって成り立っています。そうすると、この世界を理解するためには、陰と陽の関係から離れて全体を観る必要があるのです。もしくは、こちら側にいるものは、向こう側に行き、こちら側を見ることによって初めて自らを知ることになるのです。
現代物理学は、現象世界を解析してきました。しかしどんなにこの現象世界だけを解析したとしても、現象世界が陰陽のどちらか一方であるとするならば、必ずそれを成立させるもう一方の存在があるはずであり、そこを理解した目でこちらの世界を観ることにより、初めてこの世界の構造がわかるのです。
人類が物理的にこの世界を理解するためには、今いる現象世界と対であるもう一方の世界へ行ってこちら側を見るか、もっと確かな情報を得るには、両方の世界を離れて全体を観ることです。ではそうするためには何に乗っていけばいいのでしょうか。今確認できている宇宙のスケールは数百億光年とも言われていますから、光の速さの乗り物に乗ったとしても宇宙から離れるには数百億年かかるということです。そんなことは物理的に不可能でしょう?ですから、現代物理学でこの世界をひも解くには限界があるのです。

そこで僕は、カタカムナが現代に復活したのだと思いました。その昔、カタカムナ人は、この「ある世界(現象界)」の奥に、それを成立させている「ない世界(潜象界)」があるということを、13000年前に理解していました。そして「ない世界」の働きが「ある世界」を表しているということを知っていました。この捉え方が現代物理学に反映されれば、物理はさらに発展することでしょう。そこから先は、人間の思考が大脳思考ではなく松果体思考、つまり直観思考になると、動き出します。
ところが今の多くの科学者はそういったことを認めませんから、そのままでは行き詰りますね。特に西洋科学を絶対視する人たちはそうです。脳の構造を変えなければこの先はありません。物理学とは何の関係もないこのような場所でそんなことが語られているのも、面白いですね。
物理学を始めとする近代科学は現代社会の発展に寄与しましたが、では人間の日常生活にどれだけの豊かさをもたらしたのかというと、今ではむしろ害をもたらしています。これは近代科学を否定しているのではなく、一方に偏ったものに、もう一方にあるものを合わせていくと、次の世界のステージが観えてくるということです。この世界を運営している存在は、一体全体何のためにこの世界を創ったのか、そしてそれを受けて人間はどうしたらよいのかということが、今ようやく語られ始めたということです。

06

これは月の満ち欠けです。それが地球の海の満ち引きをつくり、生命が発生しました。生命の起源は光だと言いますが、光だけでは駄目なのです。つまり、光(陽)に対して闇の働き(陰)が必要です。ちょうど良い距離に太陽があり、ちょうど良い距離に月が生まれ、双方の働きが陰陽となって地球に生命が誕生しました。

陰は女性性を現します。女性の生理は生きることの基本であり、それは月と連動しています。男性の生理は精子の生産ですが、これは毎日行われています。それは太陽のリズムです。肉体的には男性が陽であり、女性が陰です。それを善悪や損得のような二元論で捉えると、男は陽だから表にいて、女は陰だから陰にいて従う存在だというような封建的な捉え方にもなります。近年、世界中がそうでしたね。
しかし、それは違うのですよ。本当は、この「ある世界」と「ない世界」の関係も、すべては陰が元になっているのです。生命もすべて女性から始まっています。ですから、「霊主体従」という言葉が表すように、陰が主であり、陽が従なのです。
長い間、権力やお金、物理的な優秀さなど、そういった陽的なものが主となり、心を従とする時代が続いてきました。今、時代はその切り替え時を迎えています。文明的にも、これまで世界をリードしてきた、物事を細分化して科学的に捉える西洋型文明から、世界を統合的に捉えその奥を観る東洋型文明に切り替わる時が来ています。例えば病気になれば、西洋文明ではその症状を物理的に治すことに専念しますが、東洋文明ではその病気の要因となる奥の気や心を観るのです。

あるものが現れて栄えていくと、それは月の満ち欠けと同じように必ず頂点を迎え、やがて欠けていきます。その時に、それと対向発生し、潜んで奥で支えていたもう一方の存在が、入れ替わりに現れてくるのです。

それでは、カタカムナの世界を具体的に観てきましょう。

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いさどん:
この図は、この世界の仕組みを二元に落とし込んで表現したものです。とてもわかりやすいですが、実際はこの世界は二元ではありません。

みかこ:
この図では左側が潜象界で右側が現象界というように分かれていますが、実際はこんな風に単純に区切られているわけではなく、潜象界はこの世界に重なってあるものです。

いさどん:
僕はある時、この現象世界の空間にふっと切れ目が入って、そこからふわーっと何かが出てくるのを感じました。何とは言えませんが、何かが来る。そして、それが「カ」なのだと思いました。これが供給されることによってこの世界が創られ続けているのだということを感じたのです。
なぜそれが観えるようになったのかというと、この世界の物理性を理解してきたからです。「カ」は宇宙最小の微粒子であり、すべての現象の元となるものです。そういった仕組みを人間は、宇宙の発生、維持、破壊、消滅までの仕組みを理解すると、意識的にその原動力である「カ」を潜象界から引き出すことができるようになります。人工によって汚染されていない純粋なエネルギーを引き出すことで、この世界に「イヤシロチ」(汚れのない生命力にあふれた場)を創り出し、美しくしていくことができる。そこまでの域に人間は達することができるのだと気付いたのです。
逆に、この仕組みを理解していないと人工の世界の中だけでぐるぐると意識を回し、人工的な歪みを増幅させてどんどんこの世界を汚していく(ケガレチ)ことになります。潜象界はこの世界のあらゆるところに重なって存在していますから、人間がその意識になれば、どこからでも「カ」は供給されるのです。例えば畑に行って「人間の欲で汚れているな」と感じたら、欲のない美しい心で作物に語りかけます。するとその空間から新しい純粋なエネルギーが作物や土に供給されて、美しく濁りのない作物が育つのです。

この図を見てください。私たちが通常認識している世界は、現象界=カタの世界です。「カ」は宇宙最極小微粒子であり、それが「タ」即ち分離独立したものが「カタ」であり、それが持続する(=チ)と「カタチ」となります。カタの世界は「見える世界」です。
その奥に、「見えない世界」があります。例えば心は見えませんね。見えませんが、カタチである顔の表情を見ていると、その奥にある心が観えてくるでしょう。ところが人間はそれを隠しますね。カタチで隠すのです。その隠れて見えないものが、この図にある「思い」「幽」「心」「言霊」といったものです。この見えないものが見えるものと重なり合って、人間が形成されます。人間だけでなく、あらゆるものがその仕組みで成り立っています。そしてすべての存在は、固有のサイクルを持っており、人間なら80年、ネズミなら数ヵ月、星なら数百億年というように、それぞれのサイクルがあって生命が維持されています。それがカタの世界です。宗教で言う霊とは、一般的にこのカタの世界の中の「見えない世界」の存在を言います。そして「見える世界」と「見えない世界」を、因果がぐるぐると回っているのです。

この現象界に対し、対向発生をしている潜象界の存在をひも解いているのがカタカムナ宇宙物理学です。その潜象界には何があるのかというと、すべての音のふるさとの響きです。響きはすべての源です。宇宙空間も実は響きなのです。
潜象界では、48の音は単独で存在しています。それが現象界へやってくると、縁が発生して他の音とつながり、意味を成すようになります。潜象界では「ア」と「イ」というように単独で存在していたものが、現象界へやってくると、それが縁により結ばれ「アイ」になるのです。
潜象界は、濁りや歪みのない世界です。それは極めて美しい状態です。ですからそれを理解するためには自らを無垢の状態にしなければなりません。先入観があっては、それをわかることはできないのです。

潜象界から現象界へ生まれ出てくると、様々な形状を持つようになります。それが自然の命の多様性です。そしてそこには「差」があります。形状の差、役割の差。そしてそれがネットワークしていくのです。
潜象界には差はありません。ネットワークもありません。それが現象界へやってくると歪みが発生して差が生まれ、ネットワークする。それが命の世界です。その歪みとは美しい歪みであり、そこでは一つひとつの差は個性なのです。
ところがそこから人工の世界へ進むと、カルマや人間の思惑による人工の歪みが発生します。それによって今、自然が汚染されているのです。それに対して、人々がどう解決しようとしているのかと言うと「自然保護」だと言うのですが、それは違います。人間の心が汚れているから、自然も汚染されているのです。

それを美しくするには、現象界の奥にある潜象界までを含めたこの世界の構造を理解し、人間が自主的に自分自身を美しくすることです。そうすると、人工で汚染されたものは潜象界へと還り、そこからまた新しい新鮮なエネルギーが供給されるという循環が生まれ、自然は自ずと美しくなっていきます。
「自然保護」というのは傲慢な言葉です。自分たちが汚染の根源であるのに、自然を「保護」しようと言うのですから。そんなことを言う前に、自らの心を改めることです。

まずは、あなたから。あなたがきれいになると、それが世界に広がって、必ず世界は美しくなるでしょう。

 

 


4日目午前「カタカムナ1」導入 ~ もっとも“わからない”講座

第4日目は、この世界をひも解く神髄とも言えるカタカムナの講座です。まずは冒頭のいさどんのお話から ──── 。

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いさどん:
今日は、カタカムナの世界観を学びます。ただし、これはカタカムナ宇宙観の入り口です。

13000年前の宇宙物理文明

カタカムナの世界は、とても深いものです。真学校では2コマ6時間をカタカムナに充てていますが、それだけでマスターすることはできません。6時間で学べることはほんの概要であり、深い世界を粗く見て「ああ、そういう感じなのか」ということをつかむためのものです。
真学校の初日に、皆さんにわからないことを伝えていきます、とお話ししました。それをわからないからと言って切り捨ててしまうと、新たな世界観を認識することはできません。このカタカムナの講座が、まさしくそれです。なるべく皆さんが理解できるようには進めていきますが、それで皆さんが本当にその神髄をつかめるかどうかはわかりません。

実は、今カタカムナの世界観をマスターしている人はこの世界にいないだろうと思います。
カタカムナは、およそ13000年前に東アジアに栄えていた宇宙物理文明であり、とても深い世界観を持っていましたが、やがて時代が進んで物質的文明が台頭してくるに従って衰退し、長い間封印されていました。そして1949年、楢崎皐月という明治生まれの物理学者が、兵庫県の六甲山系の金鳥山というところにあるカタカムナ神 ──── 正式には保久良神社というそうですが ──── そこで平十字という老人と出会い、神社の御神体として伝えられているという記号のようなもので書かれた巻物を見せられ、それをひも解き始めたことから、再び世に現れ出したのです。それは第二次世界大戦が終わってから4年後のことです。
楢崎皐月という方はとても優秀で集中力のある方だったのでしょう。それから5年間をかけて、巻物に書かれていた文字を解析し、48音の意味をひも解いていきました。この文字が、カタカムナの「八鏡文字」です。そして、カタカムナをひも解けばひも解くほど、彼一人の力ではそれを解析できないということがわかってきました。そして後に、宇野多美恵さんという女性と、その妹に出会います。そして3人で力を合わせてカタカムナ文献をひも解いていったのです。

これが八鏡文字です。

カタカムナ第5首・第6首
カタカムナ第5首・第6首

この文字が、カタカナの元になっていると言われています。
「マワリテメクル」というのは、地球の自転と公転のような物理性を表しています。そしてもうひとつ、この世界は「対向発生」と言って、陰と陽のように相反する二つのものが同時に存在することによって成り立っていることも表しています。
カタカムナには、この48音を組み合わせた80首の「ウタヒ」があり、一説によると120種以上あるとも言われています。それはこの世界の命の仕組みを表したものです。48音の一つひとつにそれぞれの意味があり、それをつなげることによって命の仕組みである物理性を表しているのですが、それをひも解いていくのはとても難解なことです。最初に発見された文献には、この図のようにフリガナが打ってあったわけではありません。それをひも解いたのですから、楢崎さんという方は素晴らしい頭脳と創造力の持ち主だったのでしょう。
80首のウタヒをひも解いていくと、「表」のカタカムナの解説があり、表を陽とするならばそれと対になる陰、即ち「裏」の解説があります。表は宇宙の物理性を説いています。裏は、性についての解説です。男女が交わることの意味や、それによって何が得られるのかということが示されています。

最も小さなコミュニティ、男女の出会い

人は生きていく上で、群れて社会を創ります。その時にできる最も小さな単位のコミュニティとは、男女の出会いです。それが対向発生です。1+1は通常2ですが、男女が出会えば子どもが生まれて3になります。それが家族というコミュニティの始まりです。家族というコミュニティが集まって一族ができ、そして村ができ、町ができ、社会ができていくわけですから、家族というコミュニティが健全であることが世の中の健全につながります。
昔から、多くの人が理想郷を築くことを目指してきました。しかしほとんどの場合、実際に理想のコミュニティを目指し、立ち上げても、長続きはしませんでした。歴史の中でユートピア運動というのは世界中にあり、日本でも多くのコミュニティが立ち上げられてきましたが、今も存在しているところがどれだけあるでしょうか。密度高く安定している場としては、木の花は代表的な事例です。
多くのコミュニティが長く続かない原因は、お金と性の問題です。これをクリアすると、コミュニティは安定します。性の話というのは多くの人にとって秘め事であり、みんな表に出そうとはしません。しかし、「性」とは「聖」と同じなのですよ。

「セイ」をカタカムナの単音でひも解くと、「セ」とは「せまい」とか「エネルギーが集中している」ことを表します。「イ」とは「位置」であり、「ヒフミヨイ」の「イ」ですから、これから現象化する用意が整ったことを表しています。つまり、「セイ」とは狭い位置に密度が集中しているということですから、「性」であれば女性器に男性器が結合していることを表しています。「聖」ならば道を究めていって高く狭い位置に到達し、そこで安定している状態を表しています。下の方の世界では価値観が様々にあってバラバラの状態ですが、そこから極めていって確固たる高次の精神の位置に到達したということです。「清」も「セイ」と読みますね。いろいろと汚れている世の中で、余分なものをそぎ落とし、美しく清らかな状態になったということです。

カタカムナの80首とも120首とも云われるウタヒをひも解いていくと、その7割から8割は、性についての本義が示されています。表は宇宙の物理性の解説ですが、裏には、性から紐解かれる命の解説が明快に示されています。聖なる男女が交わることによってどのような境地に至るかということが綴られているのです。
それは、現代のアダルト産業が描くような性の世界とは、まったく違った世界です。しかし現代の多くの人々は、そのような聖なる描写に出会っても誤解をします。なぜ誤解するのかというと、その人自身が、性に対して誤解をするようなレベルの認識しか持っていないからです。

「怪しい」は自分の中にある

僕がいかに真剣に、熱意を持って、その人のために、世の中のために真実を語ったとしても、人はどこかに自分の常識というものを持っており、そこから外れたことを聞くと「それは怪しい」と判断します。では何が怪しいのかというと、その人自身の中に怪しいものの基準があるのです。

本来、性とは聖なるものであり、神聖なものですよ、その聖なる精神性に則って交わることは、それにふさわしい神聖な魂を天から降ろし、優れた精神の人が世に現れ、世の中を良くしていくのですよ、と語ると、「その通りだ」と思う人もいれば、自らの性に対するイメージを重ねて「あんなことを言うなんて怪しい」と思う人もいます。現代の一般的な性の認識しか持っていない人は、性と聞くとすべて自分の中のイメージにつなげて、それは欲情をそそるものでよこしまなものだと決めつけます。女性の場合、性の出会いが不幸で嫌悪感を持っている人も少なくありません。みんな自分の中のイメージで「性とはこういうものだ」と決めつけているのです。

僕の話を聞いて「怪しい」と言う人は、実際にそのものを認識しているわけではありません。それ自体を客観的に捉えるのではなく、自分の中にある認識をそこに投影して見て、想像しているのです。
人間は恐ろしいことに、ものごとの真実を確認せずに、自らの中にあるイメージを重ねて事実とは違う幻想を創り上げ、それを独り歩きさせていきます。それは間違いを独り歩きさせているようなものです。その結果、真実と間違いのギャップが生じ、そのギャップを生きることになります。それは人生に間違いの種を播き続けることになりますから、必ず未来に間違いの芽が出ます。
その時に、本人には自分が間違いの種を播いてきたのだという認識がありません。ですから間違いの芽を見て、いったい誰がこれを播いたのだろう、なぜ私がこんなものに出会わなければいけないのだろう、と思うのです。すべて人のせいになるのです。そうすると、その人の人生にはさらに間違いが起きるようになります。

理解を超えるものを受け取る

昨日、「世界観を広げよう」という講座をやりました。その中に、心を磨くことの大切さが出てきます。なぜ世界観を広げることが必要なのかというと、視野が狭いと自分がどこにいるのかが観えないからです。広い視野の中で様々な認識に触れると、その中で自らがどのような位置にいるのかがわかり、自分の思考がどのようなものであるのかを客観的に捉えることができます。
ところが、狭い枠の中で自分の見える範囲のものだけを見て生きていると、それが世界の全てだと思うようになります。中には、自分の今の状態は他者や世の中のせいだと言って被害妄想になっている人もいます。そのように自らの視点だけで生きていては、世の中に間違いの認識を広めていくようなものです。だから世界観を広げることが必要なのです。

その時に、自分の理解できることだけを受け取っているようでは、世界観は広がりません。多くの人は狭い枠の中にいて、自分の理解できないことは間違いだとしています。しかし、カタカムナを生きるということは、今の世の中の人々が認識していない、新たな道を歩み出すということなのです。
僕は昔、この道に出会った時に、最初は自分が精神分裂病になったのかと思いました。自分の中に言葉が降りてくるのです。そういうことが、人間にはある。どうやら自分は、そういう人になってしまったようだ。そう思いました。

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しかしこれは実際に怪しい話です。一歩間違えば魑魅魍魎(ちみもうりょう)の不確かな世界にも通じるからです。よくテレビにも霊能力者と言われるような人々が出てきますが、そういった世界にも通じるもので、人々を惑わせることにもなる危険なものなのです。ですから僕自身も、そのような状態の自らを疑いながら歩んできました。しかし、疑いながらも、そうなってしまったものはなってしまったのですから、仕方がありません。「これはどういうことなのだろう」と歩みを止めることなくそれに付き合ってきました。そうして、ここまで歩んできたのです。

真実はひとつ

自分が出会ったものは何なのかということを突き詰めていくと、その人の精神構造のレベルの位置に到達します。皆さんも、いろんな本などを通してスピリチュアルな世界に出会っていると思いますが、それを教科書のように崇めていては、それを発信している人の精神レベルを超えることはできません。何かを経典とした時点で、その先の道は閉ざされるのです。

しかし、この世界は広大なものであり、情報は無限にあります。自分自身を空っぽにして、自身の中に定着したものだけが、得たものです。そして世界は無限ですから、探求は永遠に続きます。
これは、真学校を1ヶ月間どのように過ごすのかという姿勢の話です。あなたの中に新しい情報をどれだけ入れるのか。そしてそれをどれだけこなせるか。有害なものはひとつもありません。しかしそこで自分の中に入れるものを自分で選別するようでは、大事なものがすっぽりと抜けた骨抜きの情報の寄せ集めになるかもしれません。1ヶ月後にどれだけのものをあなたが得ているのかは、皆さん自身にかかっているのです。
そして、その得たものを元にそれから先の人生を生きていくことになります。それをくり返しながら人生が完成されていくのです。新たに得る情報というのは、自分が知らないものですね。ですから、わからないことでもまず取り入れてみることです。その全てをマスターすることはできなくても、まずは取り入れてみて、そして残るものを自分のものとしていけばいいのです。

その時に、これを取り入れたらいいことがあるのだと御利益を求めるようなことでは、何かのセミナーを受けて良い人生になりますようにと願うのと同じで、まやかしです。何を持って良い人生とするかは、人によって違います。今僕は、生きるということ、そしてその中で出来事に出会う時の基本の姿勢についてお話ししていますが、それは一人ひとりみんな違います。皆さんはこれまで、一人ひとり違う人生を歩んできました。これからも違うことでしょう。そこで最も気を付けなければいけないのは、自分は先入観を持っていて、その色眼鏡でものごとを見てはいないかということです。
もしもそうであるなら、あなたはあなたの色を付けてものごとを見ていることになり、真実を自分の中に取り込むことはできません。逆に言うと、その先入観で彩られた認識が、あなたにとっての真実になります。ですから、真実は人の数だけあることになります。しかし先入観を外してその情報に出会えるならば、今あなたが必要とする情報があなたにもっともふさわしい形であなたの内に残ることでしょう。そして内に残ったものこそが、誰にとっても共通するこの世界の真実なのです。

カタカムナを生きる

カタカムナの世界観を学ぶにあたり、まずは冒頭のお話をしました。これから3時間の講座が始まりますが、人によってはさっぱりわからない時間を過ごすことになります。最初は頭が痛くなることもあるでしょう。それでも付き合っていくと、何かが感じられるようになるかもしれません。それが大事なのです。
現代人は前頭葉で思考を回し、いわゆる大脳思考でものごとを解釈しますが、カタカムナ人は脳の中心にある松果体という部分を震わせて、この世界の真実を直観で受け取っていたと言われています。その時に、思考は回しません。会話も、今のように文章にするのではなく、単音に近い形でやり取りをしていました。そして群れて、直観のセンサーを働かせながら、生き残ってきたのです。ですから、生命観がとても強い。豊かに生きるにはどうしたらいいかなどと、大学の講義のように考えることはなかったのです。
これから八鏡文字について学んでいきますが、これは楢崎皐月さんが解析したもので、カタカムナ人は誰もこんな講義を受けて学んだりはしていませんでした。現代人はそれを教科書にして勉強会を開催したりしていますが、それでは結局、現代人の思考回路で知識的に学んでいるに過ぎません。

みかこ:
この文字の成立自体が、カタカムナ文明が栄えていた13000年前からずっと後の約8000年前だろうと言われています。後の世の人々が体系化したんですね。

いさどん:
木の花ファミリーでも、カタカムナに出会ってから2年間は毎月勉強会を開催していましたが、僕はある時、もうこれ以上は必要ないと思いました。間違いの方向に進み出したと思ったからです。カタカムナ人は勉強をするのではなく、毎日の生活の中でそれを表現していました。いくら知識としての勉強を重ねても、人間性を高め、その知識が人生に反映されることにはならないのです。
僕がその2年間で気付いたことは、「カタカムナを学ぶ」のではなく「カタカムナを生きる」ということでした。そしてカタカムナを探求すればするほど、私たちが今までコミュニティとして目指し表してきたここの生活が、カタカムナを表現しているのだと思いました。ですから私たちは勉強会を開催するのではなく、それを生きて、そして生活の中で表現することでもっとわかりやすく皆さんに伝えていくことができると思ったのです。カタカムナは宗教のように御利益を求めるものでも、学問のように知識として学ぶものでもなく、実際にそれを生きることで、自らの人間性に反映させていくものなのです。

それは理想論ですか?

いさどん:
人間は、まず自分自身の個性という認識の色がついています。そしてその色を通してものごとを解釈しています。そこでちょっと自分の外に出てみましょう。そして自分はどんな色を持っているのか、どんな心のクセを持っているのかを客観的に見てみましょう。そうでなければ、いつまでも自分の色やクセを通して世界を見ることになります。

としみちゃん:
聞いていて、胸に突き刺さります。さっき、男女が聖なる交わりをすることで素晴らしい子どもが生まれると言いましたよね。私は小さなころから性に対して嫌悪感があるんですけど・・・

いさどん:
今、「小さなころから」と言いましたけど、それはいつのことですか?小さな子どもの時から性的なことに関わってきたということですか?

としみちゃん:
小さいと言っても中学生くらいの時です。

いさどん:
それは正確に言わなければいけませんよ。「小さな」というと2、3歳の子どものようですが、中学生となれば、多くは自身の体験が元となってイメージを持つようになっています。中には何も体験していないのにネガティブなイメージを持つ人もいますが、それはもともと自らの中にネガティブな種があるということです。それがその人の色ですね。

としみちゃん:
その、聖なる行為で素晴らしい子どもが生まれてくるというのが、そうなったらいいなとは思うけれど、きれいごとというか、理想論に聞こえてしまうんですけど・・・

いさどん:
その「理想論に聞こえる」というのは、あなたの考えではないですか?そのあなたの考えで、「これは理想論なのだ」と断定しますか?あなたは今までも、そうやって自分の考えでものごとを断定しながら生きてきましたね。
「素晴らしい人」というのはどこから生まれてくるのでしょう。お釈迦様もキリストも、性の営みから生まれてきたのですよ。
人は自然を見て、美しいと言いますね。その自然も、性の営みによって生まれています。植物にも雄しべと雌しべがあり、それが交わることによって次の世代につながるのです。それはきれいごとでしょうか。

としみちゃん:
うーん・・・人はそういう考えでは行為をしていないんじゃないかなって思うんです。それは自分の考えですけど。

いさどん:
実際そうですよ。では、みんなに聞いてみましょう。交わることを神聖な行為として受け止めている人はいますか?
(2名が手を挙げる。)
では、実際に自分はそれを神聖なものとして行っている、という人はいますか?
(誰も手を上げない。)

「世界観を広げよう」の講座で、この世界は間違いから生まれているということを伝えましたね。そして、今の時代は混乱のピークにあることをお話ししました。その混乱の一番の原因は、性の間違いから来ています。性の間違いが正されると、この世界はすべてが美しくなります。
カタカムナは、表では宇宙物理を説いています。表は陽の世界です。しかしその元は、陽を支える陰の世界にあります。陰とは、霊です。見えない世界です。その見えない世界が先にあり、それが元となり、この世界が表現されているのです。「健全なる肉体に健全なる精神が宿る」と言いますが、真実は「健全なる精神に健全なる肉体が宿る」のです。
性の話も同じです。健全なるセックスに、健全なる子が宿ります。それでもあなたは疑いますか?

としみちゃん:
言葉ではわかるんですけど、心の中は「う~ん」という感じです。

正直に自分の想いを出すことで皆に学びを提供しているとしみちゃん
正直に自分の想いを出すことで皆に学びを提供しているとしみちゃん

いさどん:
あなたのその状態に付き合っていると時間はかかるし、面倒ですね。結局は、あなたがあなたの色をどうするかです。1ヶ月間どんなに勉強したとしても、自分の中の固定概念をとらない限り、あなたはいつまでも同じ位置にいることになります。そこを超えて、自らをフリーにして受け取ろうという姿勢になった時に、あなたは新たな世界を生きることになるのです。そこでいつまでも「う~ん」と疑っていると、相変わらず同じ人生を生きることになります。その決断をどうするのかは僕の範疇ではありません。それはあなたの意志の範疇であり、皆さん一人ひとりの意志の範疇です。

地球は円ではなく、球

いさどん:
自分の中に「これが絶対だ」というものを持っている人は進歩しません。宇宙は常に瞬間瞬間変化変容をくり返しながら、常に先へ先へと、未知なる未来へ進み続けているのですよ。

みかこ:
カタカムナはこの世界の成り立ちを表すもので、それはとてつもなく広いものです。例えば地球をいろんな側面から立体的に見たら球だけど、一カ所だけから見たら円に見えるよね。その時に、いくら地球は球なんですよと説明をしても、「私からは円にしか見えないからそれはおかしい」というようでは、そこで話は終わってしまう。そこで地球が円にしか見えないのは、自分の立ち位置が固定されていて、そこからしか見ていないからなんだよ。

いさどん:
地球は球ですが、それを紙という二次元の上で表せば円になります。現代の私たちの思考は、二元的発想に囚われています。八鏡文字は宇宙の成り立ちを二元で表していますが、これは実際は、球なんです。

IMG_3023

このボールは、ここで作ったものです。これは宇宙の成り立ちの仕組みを立体で表していますが、これを二元で表現すると八鏡文字のような図になります。それが間違いの始まりです。立体のものを二元に置き換えて、伝わるわけがないのです。
もっとも、このボールも単なる球体の模型です。最終的には、「この世界はこうなっているんだ」ということを自分自身の中で描ける人にならなければ、いくら僕が語ったところで「でも私から見ると円だ」と言い続けることになるのです。
それでは進化しません。宇宙を生きるとは、常に無の状態で新たな認識へと自らをいざなっていくことです。少しでもカタカムナが理解できると、それを糸口として、だんだんその意味がわかってきます。

めぐちゃん:
昨日、カタカムナの講座を受けるにあたり、自分自身の認識について考えていました。さっき、現代人は大脳思考という話がありましたけど、大脳思考の人間が発している言葉というのは音の一音一音が粒子的で、いろんな種類の粒子の組み合わせでひとつの意味を持っている。でもこの宇宙の物質には粒子性と波動性の両方があり、カタカムナ的解釈のできる人々は、粒子性と同時に波動性を認識する能力を持っている。この世界にはいろんな波動の発生源があって、その波が互いに相互作用して波模様として表現されているけれど、そういった波動的なものが現代人にはなかなか認識できないんじゃないかと思うんです。でも木の花ファミリーでは各メンバーの人たちがそれぞれ個性的な波動の発生源になっていて、そこから発される波模様が干渉しあって調和的な波紋をつくり、発生源の位置や強さによって波模様が常に変化している。昔、直観を主体として生きていたカタカムナの人々は、そういった感覚を持っていたのかな、と思いました。

元光学エンジニアならではの見地から解析をするめぐちゃん
物理畑出身ならではの見地から解析をするめぐちゃん

いさどん:
そうです。今めぐちゃんが話したことというのは、日常話される会話からするとちんぷんかんぷんでしょう?通常、今のような会話は生活の中ではあまり語られない話です。彼女は物理学を勉強してきたから、その切り口から話をしていました。それが人それぞれのこの世界を測る尺度なんです。
僕はカタカムナを学んできたから彼女の言うことはわかりますが、物理学を学ばずにカタカムナに出会った人は、そのような切り口から解釈することはできません。同時に、物理学の切り口からカタカムナを見るとある段階までは理解できますが、その切り口からだけでは限界があるのです。ですからそこに囚われると、その解釈では行き詰まることとなります。
めぐちゃんは物理学の切り口から世界の成り立ちを解析し、成り立ちの関係性を解析し、それが人と人との関係の中にもあるのだということを語りましたね。

めぐちゃん:
私も大脳的思考じゃなく、松果体的思考の大切さを感じています。

いさどん:
だからあなたはここに出会い、共鳴したのでしょう。生きるとはそういったことの連続です。僕は初めてカタカムナに出会った時に、これは今まで我々が生きてきた生き方を物理的に立証するものだということを直観で感じました。
直観の大切さを、我々はカタカムナから学んだわけではありません。もともとここにあった生き方の中でそのことを理解してきて、そしてカタカムナに出会い、同じことを言っているね、となっただけなのです。それは何かを学んで解釈したものをやってきた結果ではなく、まったく無色の状態で未知の道を歩んできた結果出会い、今の状態に至ったのです。そういった人の解釈を超えたところでの出会いは、とても大事なものです。
これを切り口として新たな時代の可能性は広がっていきますから、これが絶対だというわけではありません。今はまだ2000年代が始まったばかりで、3000年に向かってこれから1000年をかけてこの流れが仕上がっていくのですから、今はまだ始まったばかりです。

さて、それでは休憩に入りましょう。その前に何か質問はありますか?あっこちゃんはどう?

あっこちゃん:
まだよくわからないです。

いさどん:
大丈夫だよ。ずっとわからないから。(みんな:笑)。

あっこちゃん:
具体的にはならないんですか?

いさどん:
具体的になりますよ。ただ、なるまで我慢できるかどうかです(笑)。

あっこちゃん:
じゃあ我慢します。(みんな:笑)

我慢して聞き続けてみよう
我慢して聞き続けてみよう

いさどん:
今日の6時間で理解できるかどうかは、皆さん次第です。これまで積み重ねてきた心のクセが多ければ多いほど、難しいかもしれません。

 

 


4日目午後「続・世界観を広げよう」~21世紀をどう生きる?

前回、大人ミーティングの時間を使っても終えることのできなかった『世界観を広げよう』。スケジュールを変更し、本日午後、続きの時間を持ちました。第1部から第3部までは、この世界の仕組みとこれまでの人類の歩み、そしてその結果現代社会にどのような問題が起きているのかを見ていきました。そして、大切なのはここから!第4部では、それを受けて、私たちは現代をどう生きていくのかということについて深めます。(前回までの内容はこちら♪)

以下、講座のスライドをご覧ください。

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4日目午前「天然循環法 – 農 概論」〜美しい世界をつくるために

なぜ木の花ファミリーという暮らしを始めたのかというと、
美しい世界を創りたかったからです ────

講座の冒頭に、そう語ったいさどん。
今日は、そんな暮らしの中から生まれた「天然循環法」について学びます!


01

このプレゼンテーションは、「農業革命」と銘打っています。「革命」というのは、それまでの意識からガラリと変わり、新たな手法を取り入れるということでもあります。今までの農業のあり方を振り返ると、社会が観えてきます。その社会も含めて革命が起きるということを、農業を通して観ていきましょう。

画面に「生命力を曲げる『農』から『天然循環法』へ」とありますね。日本語の文字に表れている「農」の意味や、近年行われている慣行農法、有機農法、自然農法、そして我々が今現在到達している天然循環法について、説明したいと思います。

02

私たちの住んでいる地球は、広大な世界です。それは私たちの尺度からするととても大きなものですが、その地球を存在させている宇宙は、それよりもはるかに大きなものです。宇宙からすれば、地球はとても微細な存在です。宇宙の中に私たちが存在しているということは、この巨大な宇宙雲の中にあるということです。そのことをまず最初に考えなければ、私たち個人個人も、人間社会も、この世界に対して傲慢な姿勢を取ることになります。そういった近年の人類の姿勢の結果、現在の人間は環境を破壊し、多くの生命に様々な問題をもたらし、それどころか人類の行く末にも影響を与えかねない状況を生み出しています。

そのような捉え方をすることによって初めて、私たちは命の元である農について正しく語ることができるようになるのではないかと考えます。

03

地球生態系には、多様な命が無限に連鎖しながら存在しています。地球上の生命は280万種とも言われるほど、確認することができないくらいたくさんの種類と無限の生命がそこに存在しており、それが地球生態系というひとつの命のネットワークとして存在しています。
もともと地球は、三次元生命のネットワークである生態系の中に、その存在の意味があり、それが地球の特徴でもあります。そこに存在する一つひとつの生命はとても個性的で、多様性に満ちており、そのすべてがつながり、大きな地球という命を形成しています。
それは私たちの体も同じです。そして、宇宙も同じ構造なのです。私たちの体は「小宇宙」と言われているように、そういったつながりの中で存在しています。

現在の農の現場や人間のあり方を観ると、対立や競争の中で生命力を弱めており、場合によっては他の生命の存続を脅かすような存在にもなっています。近年の栄養学的な見地から健康というものを捉えると、例えば残留農薬の値が何ppm以下なら問題ないというような考え方がありますが、それはあくまでも、目に見えて現れる明らかな毒素としての影響だけを捉えた場合の話です。本来、生命の根源は響きです。それは、私たちの細胞を形成する情報であるDNAには十分な影響を与えるのです。たとえ目に見えないとしても、そういったごく微量の毒素が放つ響きは、どんなに微細なものであったとしても、生命の健全を脅かすのです。
例えば、これを生命の設計図として捉えてみましょう。何かを作るには、その前に設計図が必要になりますね。その設計の段階で毒素が入っていれば、実際に形になる時にその毒素の情報は確実に表現されるわけです。何ppm以下ならいいだろうという考え方は、その設計図に毒の情報を組み込んでいるようなものなのです。

「私たちは遠い昔から自然の恵みを享受し、命をつないでいく循環の中で生かされてきました。」

しかし現在の人々は、生きることを、競争することで勝ち取るものであるかのように捉えています。本来、すべてが循環して無駄がないのがこの世界の仕組みです。ところが、人間が競争して勝ち取り、独占していくことで、そこに無駄が発生するのです。
その無駄が矛盾の元となり、地球生態系にも、そして最終的には人間自身にも影響を及ぼしていくのです。そういったことを、現代の人々は考える必要があります。

04

私たち個人、家族、国、人類、地球生態系、地球、太陽系、銀河、大宇宙というように捉えていくと、それは私たちの器の連鎖です。小さなものが集まって多様性ある生命のネットワークを作り、それが循環することでもう一つ大きな生命を構成しているのがこの世界の仕組みです。近年は、人間個人が自らに都合のいい世界を表現しようとする考え方が当然のようになっていますが、もともと人間は自然の仕組みの中で生かされてきたのです。人間の横暴がまかり通るようになったのは、歴史的にはごく最近のことですね。
現代の人間たちは、地球上で傲慢な姿勢を取っています。その姿勢がなぜ傲慢だと言えるのかというと、人間は自然の中で生かされてきたからです。本来、生命は自然の循環の中で役割を果たすことによって存在するものなのです。現代人は、そういった意味では大きな勘違いをしていることになります。
農業革命の革命とは、何に対する革命なのかというと、農、食、そして命に対する人類の意識を変換するということです。

05

これは、近年の農の現場で行われていることですね。

「大量の作物を得るために、大量の化学肥料、農薬や除草剤等を使用し、それが土壌や地下水・河川を汚染し、自然界はバランスを崩している。」

生命は自然界から与えられるものを食べ物としていただき、自らの命にしています。そうすると、自然界だけではなく、自らの命もバランスが崩れていくのは当然のことです。

「生命バランスを失った作物は、病害虫に弱くなり、農薬を必要とするため、さらに化学物質が自然界に投入され悪循環になっている。」

人間には智恵がありますから、自然に反するようなものを使っても、なんとかそれをやり繰りして、表面的には問題がないかのように見せています。ところが、その自然に反したものは、響きとなって環境や私たち自身の体の中に情報として反映されていきます。そして、自然が非自然の状態となり、それが矛盾となって何らかの形でこの世界に表現されていくのです。

もっとも懸念されるのは、人間の精神性にそれが反映されているだろうということです。では、本来の精神性は何を拠りどころとするべきかというと、「生かされている」「いただいて生きている」という、私たちが生きる上で与えられているこの世界の仕組みを理解することです。ところが今は、「自分は自分の力で生きている」というように、「いただいている」のではなく「獲得している」かのように錯覚しています。近代になり、人間が自然を顧みなくなったことによって、その傾向はさらに強まっています。

「効率を求めるために、作物を単一化し、畑から多様性が消え、生態系が狂い始めた。」

自然の植物には、肥料は与えられません。当然、そこには農薬の存在もありません。しかしその世界はバランスがとれており、それによって健全に成り立っています。その代わり、大量生産はできません。人間に都合のいいものもできません。自然の中の生態系のバランスに則ったものしか、得ることはできないのです。それを人間の智恵によって、いかにより多く、より優れたものを得るかということは、人間が生きていく上で必要なことでもあります。しかし現代は、自然界にない形で成り立つ化学物質を投入してまでも、多くを得ようとするのです。
その背景にある精神は、「良いものをつくろう」という心ではないですね。何かといったら、お金にしようということです。そういった欲による汚染が、世の中に蔓延しています。

「不健康な食べ物が人間の体を蝕み、体のみならず精神にも異常をきたしている。」

これが、私たちが伝えたいことです。

06

現代は、人間のエゴを優先した結果、本来食べるべきものではないものを餌として牛に与え、その牛を人間が食べています。アメリカの五大湖では、冬場に魚を獲っては牛に食べさせていたと言います。それは牛のあるべき姿でしょうか。牛を生き物ではなく、食料として見ているのです。私たちは、ただ食べられればいいのでしょうか。自然の法則に則り、本来のあるべき姿で存在している命が自然な流れで食べ物として私たちの元へやってくるのか、それとも自然から外れた不自然な状態のものを食べ物として取り入れ、それを自らの命としていくのか。残留農薬が何ppm以下なら問題ないと言いますが、では長い期間にそれがどのようにDNAに情報として刻まれていくのかを考えると、とても問題のあることだと思うのです。

「石油開発やトウモロコシ栽培のための熱帯雨林の伐採で、ジャングルは大きく枯れ始めている。」

地球の酸素の供給源であるアマゾンの森が枯れていくのですから、地球にとって大変な問題です。それは、人間だからこその行いですね。

「砂漠地帯での大規模灌漑農業では 地下水を大量に使用し、2020年には地下水が枯渇するといわれている。」

砂漠の地下水は古代水といって、これを汲み上げてしまうともう供給されません。ずっと昔からあった地球の遺産のようなものですが、それがあたかも無限にあるかのように消耗し続けるということが、今行われています。

「農や食の現状は生命から程遠いものになってしまった」

けれども、今の世の中はそれで回っています。そうするとそこには何も問題がないかのように思えますが、本当にそうなのかどうかということを、今こそ考えなければなりません。

07

世界の穀物を一部の企業が握り、価格調整などのコントロールをしています。それは一部の企業だけの話ではなく、いろいろなところで、お金儲けのために農業が行われ、食料が利用されています。日本にはアメリカとの安全保障条約がありますが、それよりも私たちにとってもっと重要なのは、食料安保です。自国で食料を自給できないようなことでは、今後の気候変動に伴う世界的な食料難の時に、その国はとても弱い立場になることでしょう。本来、日本はそういったことを最優先に考えていかなければならない国ですが、現在は自動車や電化製品を売ることの方が優先されています。

08

世界の種の現状はこのようになっています。
ここで一番に考えなければならないのは、遺伝子組み換え作物が年々増加してきているということです。GM作物が問題かどうかというのは、科学的な分析からすると、よくわからないようです。ただ、遺伝子組み換えによって、作物を栽培する時に除草剤をまいても大丈夫なようになっています。雑草には除草剤が効くけれど自分たちが欲しい作物には効かないというのですから、この技術は素晴らしいですね。人間の叡智の賜物です。それはとても便利なことですが、自然からすると異常な状態です。そういったことを、科学的なデータだけを見て何も問題がないとするのではなく、もっと深い意味で観ていくことが大切なのです。

このような、近代の人々の精神性も含めた農の現状があります。そこでここからは、生命の「響き」という側面からのお話をします。

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「この世界(現象界)は生命も物質も響きで出来ている」

私たちの存在する世界は、響きという情報によって、形が形成されています。

「『響き』は生命力の源であり、元の気が出るところ。すなわち音の故郷(潜象界)から生まれ出る」

人が誰かと出会った時に、その人から明るい印象を感じたり、暗い印象を感じたりしますね。「この人に会うと元気になる」とか、「あの人に出会うと気分が悪くなる」ということがあるのは、何かを感じているからです。それが響きです。人間はそれを感じるセンサーを持っており、かつ自らも発信しています。その響きによってご機嫌な人生を送ったり、ご機嫌な社会が創られていくのです。

自然界では、個々がそれぞれに個性的です。種が違えばその個性はさらに個性的かつ多様になりますが、同じ種の中でも一つひとつが個性的なのです。今、人間は70億人以上がいますが、一人として同じ人はいないですね。

ところが、その個性がつながらずに対立や競争、区別をすることになると、争いの元となり、ゴミが発生し、無駄が生じることになります。しかし個性とは、他者にないものを持っているということであり、本来それは他者につなぎ、循環に活かし、全体の可能性を広げるためにあるのです。自らの個性を社会に還元すれば、同じように社会が自らにないものを与えてくれます。その循環が地球生態系の仕組みであり、宇宙の仕組みでもあるのです。我々の体も同じ構造です。すべては循環の響きによって成り立っています。

響きには、循環だけではなく対立の響きもあります。循環を止めてしまうのです。ものごとが滞り、淀んで腐敗していく響きもあります。しかし自然界は、腐敗してもそれが美しくよみがえり、他の生命に吸収されていく仕組みになっています。すべての生命が他の生命を生かしているということは、生命とは善意によって成り立っているということです。その善意をつなげていくのが、響きなのです。

「生命を壊すメカニズムを知り美しい響きのままの状態を保つために、私たちはどのようにすればよいのでしょうか」

現代は、競争や「自分さえよければいい」という我先の心によって、美しい響きが循環していくことを妨げ、生命を壊すメカニズムが蔓延しています。本来、農とは命をつなげていくものです。ところがそのつなぐためのものが、逆につながりを断ち切るようなものになっているのです。

それでは、命を育む農について考えてみましょう。

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これは農に限らず、宇宙の根本的な構造を、13000年前に東アジアで発展したカタカムナ文明の宇宙物理学の見地から表したものです。

私たちの存在する世界は、この図の右側のブルーの部分です。ここを「現象界」と言います。現象界は、目で見たり手で触れたりして形を五感で感じることのできる「見える世界」と、心や魂や縁など、形の世界を巡回してつないでいく「見えない世界」から成っています。「見える世界」が陽であるのに対し、「見えない世界」は陰です。この陰陽から成り立っているのが現象界です。それは「形の世界」です。そこでは命が循環して、地球生態系を表現しています。

見える世界の中で近年著しい発展を遂げたのが、右端の濃いブルーの「人工」の世界です。人工とは、人間の手によって自然の仕組みから逸脱した世界です。この人工の歪みはカルマとも言います。人間の持つ欲などの自我の心が発生源となって広がる世界です。現代人はそれを表現して対立し、競争し、戦争まで起こしています。

「人間は長い歴史の中で世界観が狭くなり、天然循環の法則を忘れ、己の利益のみを求め、他に害を与える存在になってしまった。」

ものごとを唯物論的に捉える人々は、「見える世界」の中だけでものごとを解釈しています。スピリチュアル的な捉え方をする人々は、「見える世界」の奥に「見えない世界」があることを意識していますが、カタカムナではさらにその奥を観ます。「見える世界」と「見えない世界」から成る現象界は、現象が現れているのですから、形の世界とします。それを陽と捉えると、それに対してもう一方の陰の働きをする世界があることになります。この世界をカタカムナでは「潜象界」と言います。ここが、私たちの存在する現象界の源であり、響きの故郷なのです。

カタカムナでは、この世界の響きは48の音からできていると説いています。この48音は、すべての言語の元です。この世界は音でできており、どんな国の言葉であっても、音からその意味を探っていくと同じような意味を示しています。

この現象界で汚れたものは、自然が改善してくれます。ところが今は自然の改善能力のキャパを超えてしまい、改善しきれないのです。例えば、バクテリアは水を浄化しますね。ところがバクテリアの力では浄化しきれないほどの汚染を生み出した時には、汚染はどんどん広がっていきます。

しかし実際は、自然の力以上に、その汚染を改善する力がこの世界にはあるのです。それがこの図に表れています。現象界と潜象界の間にあるこのひし形のゾーンを見てください。現象界は潜象界の側にはみ出し、潜象界は現象界の側にはみ出しています。この中間地点を通り、現象界では改善されないものも潜象界へと戻って、すべての現象は、その源である響きだけの状態へと還り、リセットされていくのです。そこには、物質は一切ありません。音の種があるだけです。

「人間が破壊し続けても、源の世界は生命エネルギーを全生命に与え続けている。」

これは、現象界で歪んだものが、潜象界へ還って、歪みのない元の状態になるということです。原子が合体して分子になる時、その組み合わせによっては毒の働きをするものがありますね。ところが、その分子の構造をバラバラにして原子の状態に戻せば、無害になるでしょう。それと同じような仕組みです。潜象界は響きだけであり、一切の濁りもゆがみもない世界なのです。

現象界は「ある世界」であり、潜象界は「ない世界」です。「ない世界」とは、人間には認識のできない世界です。しかし、この世界は常にその認識のできない世界から、美しい歪みのない生命エネルギーが供給されており、それによってこの世界は健全に成り立っているのです。

そのことを理解し、天然循環法というものを学ぶことの何が重要なのかというと、人間がその物理的構造を理解し、濁りのない美しい響きを自らの精神性に乗せて響かせた時に、そこにはイヤシロチという濁りも歪みもない世界ができるのです。逆に、人間が欲をかいて精神がどんどん汚れていくと、自然が破壊されて人工に汚染された大都市のような場所ができます。それをケガレチと言います。人間にはその両方を創る能力があり、人間の能力は両刃の剣のようなものです。低い意識で自我にまみれれば、自らの人生や世界を汚染する原因にもなります。しかし高い意識となり潜象界までの仕組みを理解し、その法則に則った精神状態を有して生きる者は、その者が響かせる響きによってこの世界を美しいイヤシロチへと変えることができるのです。

その精神を有したものが自然に接することにより、より健全な作物を育むことができます。それが天然循環法の農の基本です。ここを抑えなければ、天然循環法とは何であるかを理解することはできないでしょう。

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さて、日本語の文字に「命」という字があります。

「命という字を見てみると『祝詞をあげて天の命を受ける』『人が集まって神託を受ける』の意があります。」

私たちは、自らの命をつないでいくために、自然の恵みをいただいています。自然に感謝をし、祀りごとを行います。祀る対象は天であり、命(みこと)であり、神です。日本では、神のことを「みこと(命)」と言います。私たちは、この世界に遍満している神の命の現れの一部なのです。つまり、私たち自身も「みこと」だということです。

では、「命」という漢字の成り立ちを見てみましょう。

「『口』には『命令する』『言いつける』『授ける』『名前を付ける』等の意味がある。形としては、のりとを載せる台」

この台には、天からいただいた作物を供物として乗せます。

「儀礼用の深い帽子をかぶりひざまずいて神のお告げを受ける人の形」

天に感謝を伝えたり、その恵みをいただいていく自らの姿勢について天にお伺いをたてています。こういった人のあるべき姿が、「命」という文字に表れているのです。

私たちが毎日を生きるということは、命をつないでいるということです。その時に、農の現場を通して食べ物を生産します。食べ物の生産は命をつなぐことであり、それは宇宙の根本原理と同じことなのです。私たちは、すべてが循環し巡り巡って命がつながっていく宇宙の仕組みを、形を持って現象界に表現している「みこと」なのです。

「命とは天(潜象界)から地(現象界)に向かって降ろされる神の響き(神託=命)。すなわち現象界に生み出された神(=命)のことである。その仕組みは、生命ネットワークであり、常に循環し、巡り巡って変化し続けるもの。」

変化し続けるということは、例えば何か富を得た時に、欲の心でその富をずっと持ち続けようとするのではなく、常に与えられる状況をいただいて感謝し、それを手放し、また次の状況をいただいて感謝するということのくり返しです。この世界は常に変化し続けているのですから、何かを保ち続けようとすることは宇宙の仕組みから外れることであり、そこには必ず矛盾が発生するのです。

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「農」という文字は、二つに分けることができます。

上の部分は、「曲げる」という意味を現しています。下の部分の「辰」は、星や北極星を表し、日本では、動植物がぶるぶると奮い立つことから十二支の5番目(5月)にも充てられ、生命力を意味しています。つまり、農とは生命力、即ち天の法則を曲げたものだということが、この文字に表れているのです。

「自然」という言葉があります。それは、生命本来の生命力が、生態系の仕組みの中であるようにあるということです。そこには自然の厳しさもあり、状況は様々ですが、それらはすべて天の仕組みによって成り立つものです。その中で人間は、よりたくさん採れるようにとか、もっと食べやすいものがいいというような条件を付けて、自分たちに都合のいいように環境を変え、自然の姿を変えてきました。それが農です。

「現代の農業の発想は、人間の歪んだ思いによって『天の法則』や『生命力』を弱めることから発しているので、宇宙の原理から見たら根本的に逆さまであり、本来の自然の姿ではない。」

本来、食べ物をいただくということは、祝詞をあげて天にお伺いを立て、命をいただくというということです。その姿勢は、自然に対して「ありがとうございます」と心から感謝して、謙虚であるべきことなのです。そこからすると、現代の農はまったく違う世界になってしまっています。

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「農業」というと、「農」という自然の仕組みを曲げたものに、さらに人間の「業(ごう=カルマ)」が付いています。人間の欲の延長線上に行われるのが農業です。そこには「命をいただく」という姿勢はありません。農業を行う人々は、作付の計画を立てる時にも、これだけ作ればいくら稼げるかと考えており、常にお金と農が結びついています。その欲の心の象徴として、遺伝子組み換えや種の操作、農薬、化学肥料、除草剤などが世界中に蔓延しています。それは、人間の歪んだ心が創り上げた矛盾です。

その矛盾の世界から、私たちは、どのように次に進んでいけばよいのでしょうか。

「百姓」という日本語があります。「百」とは、単なる99+1の数字の100ではなく、無限という意味です。日本語には「八百万(やおよろず)の神々」という表現がありますが、それはこの世界には命(みこと=神)が無限にいて、その連鎖によって成り立っているということです。

「百姓」の「姓」の文字には「女」という字が入っています。この世界は陰陽から成り立っており、男性が陽であるのに対して、女性は陰です。

「『姓』の中の『女』とは陰のこと。形に現れていない奥にある大切なもの。『女性性』は天からいただいた種をはらみ、生命を生み出し、ネットワークする役割。自然の奥に潜んでいる天の理『男性性』を受け取り、命を生み出し、地に表現する『女性性』の特性が『百姓』に通じる」

「奥にあるもの」とは、現象界でいうと、例えば私たちの肉体の奥にある精神性や心です。心が健全だと、形も健全になります。しかし、形がいくら健全に見えても、その奥にある心が悪ければ、結局はすべてが不健全なものとなるのです。ですから、女性性とはとても大切なものですね。本来、この世界では見えないものが先にあり、それを元にして形を形成していくことが大切なのです。

百姓とは「作物を通して天の仕組み・生命の仕組みを学び表現する生き方」です。これはとても大切なことです。百姓として食べ物を作るのは、本来お金を儲けるためではありません。それは、自然から命をいただき、生きることの意味を学び、自らの精神を高めていくもっとも大切な生き方なのです。自らの精神性を高め、世の中を健全にしていく。そういった意味が百姓にはあります。あらゆる職業の中で最も尊く、優れている生き方が、百姓という生き方なのです。そういったことを、皆さんにもご理解いただければと思います。

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これが、天然循環法の原点です。ですから、人間の精神が美しくなることが前提です。それだけの高い精神性を有した者が、この世界を美しくしていく力を持っているということです。
そこで、「自分には高い精神性がないからダメだ」ということではありませんよ。だからこそ自らの精神性を磨いていくのです。それが私たちが生きることの真の意味です。

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自然は、それぞれの存在に個性があります。それが循環していく中で、格差が生まれます。人間の世界でも、個々の間には差があり、それが格差を生んでいきます。人工の世界では、その差がエゴによって極端に大きくなっていくのです。その差を取って、あなたも私も同じものであり、みんなでつながって助け合って生きることを「差取り=悟り」と言います。「差」を「取る」のです。

それは個性をなくすのではなく、それぞれの個性を活かしながらつながって、もう一つ大きな命を創るという宇宙根本の仕組みの姿です。その意識の者が創る世界では、個々の間の差は自然となくなります。あなたも私も大きな命の中でそれぞれの役割を果たしているということが理解できた時、その人は悟りを有した者となるのです。それが優れた人間です。

もともと、私たちはみんな同じところから来ているのです。同じ故郷から、それぞれに個性を与えられて現象界へ生まれたのです。その個性的な者たちが再びつながり、循環し、ひとつの命を創る。それが差を取るということです。天然循環の仕組みがわかれば、そのことが理解できます。

「現代人は食べる事で不健全な体や精神を創っています。食べる事で健康になっていく食べ物、薬になる食べ物があることを知っていますか。」

これは当たり前のことですね。ところが今は、食べることによって不健康になり、病気になっていくことがたくさんあります。本来、健全な食べ物というのは、病気になったものを治す力があるのですよ。私たちは、そういったものを生産していくことが大切であり、それは単に環境にいい資材を使えばいいのだというようなことではありません。それを生産する人間の精神性がもっとも大切なのです。人間の波動はいろいろなものに影響を与え、汚れた世界を創ることもできれば、それがネットワークし、美しい世界にしていくこともできます。だからこそ人間が率先して美しい世界を創る精神性になることが肝要なのです。

あらゆる農法には、農という文字が入っていますが、天然循環法には入っていません。もともと農は生命力(=宇宙の法則)を曲げたものであり、人間の思惑の上に発展してきたものだからです。天然循環法とは、農という食料生産の現場だけではなく、この世界の仕組みそのものを表しており、本来、生きることのすべてが天然循環法なのです。

慣行農法から有機農法、自然農法までは、農業の手法でした。そこからすると、天然循環法とはとても深いところを突いています。これは優劣をつけているのではなく、宇宙の法である天理の話です。このことを理解すると、これを広めていくことの大切さを改めて理解できます。

自然農法とは、 現象界(自然界)の好循環を意識して作物を作る農法だが、人知で作物をとってやろうという「欲」の心に陥りやすい。天意に沿い、いただく精神に欠ける。」
自然農法や有機農法にも、環境を良くするというような側面はありますが、そこにはやはり作物をたくさんとってお金を得ようとする心があります。そこで人間が心を磨くことにより意識が変わっていくと、天然循環法の世界が観えてきます。

そこでは「生まれたての元の響き=無垢な気=元の気(元気)に戻すことによって、美しく濁り汚れのない、生命力あふれる作物が育つ。手がける人の心がその仕組みを理解、体得しその響きを響かせることによって、曲げられた作物に元の気が復活する。天の法によって生かされていることを表現する営み。」ということです。それは農法を超えた生き方にもつながります。

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天然循環法は、直感栽培とも言います。
人間が「どうしたらもっと得するか」と頭の中でああでもないこうでもないと思考を回すことを、人智と言います。それに対して直観を有することは、「心の状態が安定し、自らに囚われず天地と一体の精神を有するものは、ものの実態を一瞬でつかみ取る直感を有し、天の法則に則った響きを場に響かせることができる。そのものの存在がイヤシロチとなる。」

つまり、その人がいるだけでなぜかいい空気になったり、場が明るくなっていくのです。反対に、場を暗くしていく人もいますね。

「そしてその生活の場もイヤシロチとなり、全てが好循環(天然循環)していく。そこで営まれる生活が天然循環法=直感栽培」

直感とは、頭の中で思考を巡らせて企むものではなく、パッと感じてサッと判断することです。それは天の気を感じることです。それには、自らの精神状態を美しくすることが必要です。自我にまみれて損得勘定をしているようなことでは、天から降りてくる直感を受け取ることはできないのです。

今の世の中では、お金をたくさん稼いだ人が成功者だと見られていますが、それは霊的には、汚れた人生を生きていることになります。21世紀を迎えた今、人類はそこに目覚めなければ、本当の意味で地球に生きる役割を果たすことはできません。

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この図は、この世界の仕組みを表しています。中心に「質的転換」をする出入口がありますね。潜象界では響きだけの存在だったものが、質的転換をして、現象界に命となって現れます。命として生まれ、個性を持ちます。その個性が人工的な歪みを発生させ、自然から遠のいていくのです。

現象界の「人工の歪みの世界」の中だけで行われるのが慣行農法です。それに対して、資材はいいものを使っているのが有機農法です。そして自然の法則を取り入れたのが自然農法です。さらに、潜象界までを含めたこの世界の仕組みを理解した精神状態の者が行うのが、天然循環法です。

慣行農法は、「アメリカによる戦後の農業大改革から始まった、農薬・化学肥料を主体とする農法。遺伝子組み換え、種の操作も行われている。環境汚染の原因NO.1。支配するものと、支配されるものの関係で成り立っている。どちらも、目先の利益のみに囚われ、世界観が狭く、そのような自分自身も観えない状態」ということで、これが現代の農業の大部分を占めています。

有機農法は、「慣行農法では環境に良くない、という意識から生まれた農法だが、規定が多すぎて、現実的ではない。製品のニーズが少なく、消費者の奪い合いが起こる。お金や、規定の縛りの中にあり、天然の理より、自分の都合が優先している状態」というもので、そこではやはりお金を稼いで生活を成り立たせることが目的になっています。

自然農法は、「自然の仕組みに沿う精神性をベースに生まれた農法だが、科学的探究に偏り、精神性が忘れられている。理論と実際の精神性にギャップがある」というものです。自然農法を行う人々は、自分たちが世の中から理解されたいがために科学的な分析をして裏付けを取り、世間の支持を得ようとしています。しかし、そういった様々な農法は、現代の科学万能主義の社会にゴマをするようなことになってしまっています。地球の歴史を振り返ってみれば、現代の農法が地球上に表れたのはごくごく最近のほんの一瞬のことであり、それは本来の生命のあり方から大きく外れてきています。生命とは何であるのかという世界観をもとにして考えたならば、社会に媚びを売るのではなく、むしろ今の世の中のあり方に警鐘を鳴らすような立場を取るべきでしょう。

それに対し天然循環法とは、「自分優先の生き方から、天の心をいただく生き方」です。天の心とは法則ですね。天体の動きや時代の流れを感じながら生きていく生き方です。広い世界観をもとにした精神状態の者が天と対話し、自然と対話しながら、人間の欲によって歪んだ世界を美しくしていくのです。その上で、天から与えられた食べ物をいただいていく。そういった姿勢で日々を生きていく。その人生そのものの表現が天然循環法です。

「天然とは自然界の奥にあって、生命の元になる世界であり、そのもとの美しい響き「天のしかるべき状態」を生活全般に表現することを天然循環法という。その中に「農」もある。全ては豊かな循環の中にあり争う必要のない世界の表現。」

それが天然循環法であり、生きることの大革命なのです。

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現代人の発想は、損得勘定の二元論です。

「見えるもののみを大切にし、物事の奥にある意味や本質を観ない。宇宙の仕組みを無視し、国や個人の利益に重点を置く生き方。結果、自然生態系や宇宙の調和を乱し、世界に害をもたらす。」

程度の差はありますが、慣行農法も有機農法も自然農法も、こういった発想の中にあります。それは人間の頭で考えた人智の世界なのです。そこでは生きることも、自分の力で生きていると捉えています。
そこから世界観が広がって視点が大転換すると、「自己中心視点」から「宇宙視点」になります。宇宙視点とは、「目覚めの時代のヒトの発想」です。

「自分優先の生き方から、天の法をいただく生き方へ。生命の無限の連鎖の中で、ヒトとしての役割を与えられ生きる。」

ヒトというのは、宇宙の誕生、維持、破壊、空というプロセスを数理で表すと「ヒフミヨイムナヤコト」となりますが、その始まりである「ヒ」から終わりの「ト」までを理解し、宇宙のすべての原理をマスターした存在を言います。「人間」は「人」の「間」と書きますので、まだヒトには至らない途上の者ということです。ヒトとしての役割というのは、天の法の中にあり、簡単に言うとこの世界のために生きるということです。

「結果、欲望の延長に獲得しなくても不足しているものが自然と補われていく。」

この世界には、本来不足しているものはありません。欲望から獲得しようとしなくても、道理に沿えば、必要なものは自然と補われていくのです。

「天然とは、天の然るべき状態。人間によって歪められていない純粋な元の響きの状態」ということです。

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つまりこの生き方は、天の意志を受け取り地上に表現する、地上天国創りなのです。これからの時代を生きる人々には、そういったことが求められていきます。そういったことが忘れられている現代の社会は、地球生態系からすれば異常なことなのです。

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人間には、目には見えない生命の響きを嗅ぎ分けられる能力があるのです。

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大切なのは、これだけ大事な役割を果たしている微生物は非常に繊細なものだということです。人間の心が歪んだり濁ったりしていると、微生物の生育を阻害したり破壊することにもなります。人間が傲慢な心で接すれば、良い資材ができないどころか、腐敗していくこともあるのです。微生物は地球にとっての人間のような存在ですね。有効なものとして働くのか、それとも腐敗菌となるのかは、私たち人間次第なのです。

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木の花ファミリーでは、このように様々な微生物を活用しています。

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これはクリノゼオライトです。私たちは自らの精神を高めると同時に、こういった資材の力も借りて農を行っています。

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これは21世紀最大の人類への贈り物と言われる、ニームです。木の花ファミリーでは、これをタイから輸入して使用しています。

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このニームとクリノゼオライトとサンカルシウムを組み合わせることによって、農薬を使うことなく病害虫に負けない作物を育てることを実践しています。

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人間が心を磨いて美しくなると、作物も美しいものができます。健全な作物は土と作物のバランスがとれており、虫に喰われることもなく美しい姿をしています。

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作物のできには、環境や、そこに関わる人間の性質がそのまま現れます。だから作物と対話していくことが本当に大切です。ものを言わぬ作物が何を訴えているのかを、瞬間瞬間感じ取る。そのセンサーを働かせるには、精神が純粋でなくてはなりません。では純粋でないとはどういうことかというと、自我による思い込みや囚われがあり、自分に都合のいいようにものごとを考えたり、怠けている状態です。そういったクセ性分が、畑にも、人生にも反映されていきます。そこをいかに自らと向き合い、美しくしていくか。それが天然循環法の醍醐味であり、原点です。心磨きなくして天然循環法はあり得ないのです。

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地・水・火・風・空という自然の五原則が、人間の心、体、社会と一体となり、天然の響きを響かせることが大切です。現代の社会では、人間の心、体、社会が発する響きは天然ではなく、人工の響きであり、それが地・水・火・風・空を汚染しています。しかし本来人間は、美しい世界を築いていく原動力にならなければいけないのです。

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さて、皆さん、これからどのように行動しますか?

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3日目午後「ファシリテーション」〜人生をファシリテートする

今年大きくリニューアルした講座のひとつが、このファシリテーション講座です。

ファシリテーションというと、通常は会議やミーティングなどの場で、様々な立場の参加者一人ひとりを活性化し、協働を促して、合意形成をサポートする役割を言います。ところが視野を広げてみると、「ファシリテーション」とはもっと深い捉え方ができます。

これまでの時代のファシリテーションとこれからの時代のファシリテーションについて、カタカムナを通して解説するみかちゃん
これまでの時代のファシリテーションとこれからの時代のファシリテーションについて、カタカムナを通して解説するみかちゃん
ファシリテーションとは何かを語るいさどん
ファシリテーションとは何かを語るいさどん

いさどんは以下のように語りました。


自分自身の中に湧いてくる様々な思考を仕分け、取捨選択し、時代の流れや宇宙の法則に沿うように自分自身をファシリテートする能力が、これからの人類には必要とされます。『人類に』と言うと大きなことのように聞こえますが、『あなた自身の人生に必要とされている』と置き換えれば、身近な話になります。大きくても小さくても同じです。例えば自分の周りを小さく区切れば「家族」や「会社」という単位になりますが、それを大きくすれば地球になります。そういう中に、私たちは生きているのです。

私たち一人ひとりの体は、60兆個の細胞からなるひとつのコミュニティです。それをファシリテートしているのは、実はあなたではないんですよ。あなたは、その60兆個の細胞をファシリテートしている存在があることを知るべきなんです。あなたがいくら「これは自分の体だ」と言っても、それは何ものかにファシリテートされることによって健康に保たれているのです。

ところが、その健康に保たれているものをダメにするのは、あなた自身です。ということは、あなたと、あなたを含めた全体をファシリテートしているものとが連携していくことが、あなたの人生を健全にし、社会を健全にします。その全体をファシリテートしているものとは、時代や、天体の動きです。

そのことに目覚めると、自分を含めたすべてをファシリテートすることにつながっていきます。これまでの「ファシリテーション」とはただ会議を円滑に進めるための手法でしたが、これは人生のファシリテーションであり、人類の目覚めとなる重要な捉え方なのです。


以下、講座のスライドをご紹介します!

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3日目午後「リーダーシップ」

午前中の圃場見学に続いて、午後も快晴♪
というわけで、みんなで宮ノ下広場に出かけて「リーダーシップ」のワークショップを行いました。

富士山を一望する宮ノ下広場
富士山を一望する宮ノ下広場

まずは毎年恒例、「渡り鳥のワーク」。渡り鳥のようにV字になって、先頭の人の動きをまねながらついていきます。そして渡り鳥の群れがあうんの呼吸で先頭を入れ替わりながら飛んでいくように、互いの呼吸を読みながら言葉を発することなく、先頭のリーダーを入れ替わっていきます。IMG_2792

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ちょっと風邪気味のためワークを見学しているニナの周りをみんなでぐるぐる。「自分もその中にとりこまれている感じがしたし、見ていて楽しかった」とニナ。IMG_2817

オレンジくんの動きはとにかく斬新。IMG_2852

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ワーク終了後、みんなで感想をシェア。誰がリーダーになったときにどのように感じたか、自分がリーダーのときに心がけたことは何か等々。

続いて同じく恒例の「ビーチボールのワーク」。ボールをパスしながら、全員が少なくとも2回ずつボールに触ること。落としたらやり直し。風が吹く中、みんなで智恵を出し合いながら一丸となってミッション達成に向かいます。

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いい運動になりました(^^)

 

ふだん「自分がリーダーなんて」と思っていても、実は誰もがリーダーシップを発揮できるんだよ、と確認しあったところで、次の講座『ファシリテーション』に向かいます。

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3日目午前「互いを知る」

この講座は、「互いを知る」ということで、まずは2つのグループに分かれ、一人一人の自己紹介をした後に、他のグループに自分以外の人を紹介する「他己紹介」をしました。

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紙に書かれた自己紹介をもとに質疑応答

自分のことを紹介するのは、例え苦手ではあっても自分のことなのですから、何とかネタはあるもの。でも、人の紹介をするとなると、余程その人に興味を持って聞いていなければ、詳しく伝えられません。

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「互いを知る」とは、まず相手に関心を持つことがスタートなのです。そしてそこから互いに理解しあい繋がっていくことで一つになっていけるのです。

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他己紹介をもとに書き出されたメモ

3日目午前「圃場見学」

今日の午前中は、木の花ファミリーの見学ツアーから始まりました。8時半におひさまハウスひまわりを出発し、こうちゃんガイドのもと、本宅、配送センター、養蜂場、ビニールハウス、ニワトリ小屋、畑を回ります。

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冬を越すために、巣箱を毛布で包んで温かくしている蜂小屋。それぞれがそれぞれの役割を果たしながら全体でひとつの生き物のように生きているミツバチの生態は、これからの人類のモデルになる、ということで、木の花ファミリーではミツバチを飼い始めたのでした。

隣りのビニールハウスでは、蜜源植物となるエキウム・ウィルドプレッティの苗を育てていたり ー
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メダカがいたり。
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セロリもすくすく育ってます。
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そしていちごハウスへ。
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赤い実を探して、つまみ食い♪
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続いてキャベツの畑へ。
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人間の役割は、作物が本来の生命力のままに伸びゆくことができる場を整えること。キャベツが何を言っているのかを感じ取り、必要なことをする。農とは、作物と人間の協同作業なのです。
「作物はウソをつかないから、自分のやったことの答えがそのまま正直に返ってくる。そういう意味では人間より付き合いやすいかもしれないね」とこうちゃん。

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今日は気候も穏やかで、見学日和。あちらこちらに梅の花も咲いていました。
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見学後は講義室へ戻り、『互いを知る』のワークショップ。

これから1ヶ月間を共に過ごすのも、いわばひとつのコミュニティ。1ヶ月間を通して自分自身を深く知ると同時に、他者のこともより深く知って、互いを理解しあい、共に生きることを学びます。

 


2日目午後「世界観を広げよう」~固くなったものをやわらかく

午前中の『木の花ファミリー総合プレゼンテーション』に続いて、午後の講座は『世界観を広げよう』。
「わからないことを提供していきます」という初日の挨拶の通り、固定概念の枠を超える情報の洪水に「頭が噴火しそう」と受講生のとしみちゃん。

休憩時間に倒れこむけーごくん
休憩時間に倒れこむけーごくん

それでもけーごくん曰く、「今まで何度かここで世界観のプレゼンを聞いてきたけど、今日が一番深く理解できた」。
それぞれに「何か」を探し求めてやってきた受講生たちの間から次々と質問が飛び出し、講座はとても活気のある場になっています。「脱線の中に真実あり」。そう、質問によって新たなものが引き出され、どんどん脱線して話の幅がぐんと広がることで、思いがけず宇宙の真理に出会ったりするのです。

子どもの時に星空のあまりの美しさに魅せられ、ずっと宇宙のことをもっと知りたいと思ってきためぐちゃん
子どもの時に星空のあまりの美しさに魅せられ、宇宙物理学の道へ進みながら自分が本当に知りたいことは何なのかを探し求めてきためぐちゃん
みんな熱心にメモをとっています
熱心にメモをとり続けます

講座の冒頭、いさどんはこう語りました。
「今、地球は狭くなりました。19世紀までは地球を1周するのは大変なことでしたが、今は無給油で地球を1周する乗り物もできました。それだけ世界を認識できるようになったということですが、逆に、人間の個々の価値観は狭くなりました。そこで広い意識を持ち、世界観を広げることによって、固くなったものをやわらかくしていきます。」

やわらかいいさどん
やわらかいいさどん

それでは、頭の中を白紙にしてお付き合いください。

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いさどんは語ります。
「時代は、生きものです。その中で私たちは、『時の旅人』です。これはどんなに拒否しても、乗車拒否することはできません。死ぬとできるだろうかというと、死んでもできません。我々が存在している限り、この『時』という乗り物に乗っているということです。
私たちは肉体という器を持ち、そこに縁ある魂が乗って、人生という旅をしています。そこで同時に、時という乗り物にも乗っています。一定の時間を過ごし、寿命が来ればみんな死にますね。私たちが死んだ後も、時代は動き続けています。ですからもしも生まれ変わるとしたら、それだけ時代が進んだ先に生まれるのです。そのように人間は、生まれては死ぬことをくり返しています。これを輪廻と言います。人間が生きている時も、死んでいる時も、時は同じように進んでいます。」

「私たちが生きている時、肉体は変化します。それは手に触れ、つかむこともできます。しかし魂は、つかむことはできません。魂は死ぬこともありません。たとえば、(受講生の)よしこちゃんがよしこちゃんであり続けるのは、『よしこ』というプログラムになっているからです。そのプログラムが変わると、もしかすると『わるこ』ちゃんになるかもしれません(笑)。前の人生では別のプログラムを持っていて、その結果として、今世のよしこちゃんがあるのです。そしてこの先、さらによしこちゃんになるのか、或いはわるこちゃんになるのかは、今の生き方にかかっています。」

はたしてさらによしこになるのか、わるこになるのか?
はたしてさらによしこになるのか、わるこになるのか!?

「現象世界には、永遠はありません。しかし、現象の奥にあるものというのは物質ではありませんから、そのプログラムが成立している限り、物語として続いていきます。
今は西暦2017年ですが、僕はよく、3000年までのプログラムが始まったと言います。『西暦3000年なんて私は生きていないから関係ないわ』と思うでしょう?でも実は、そのスケールのサイクルでものごとを捉えている人には、関係があるのです。よく、人々がわかりやすいように『皆さんの子孫のために』と言いますが、それは実は自分自身のためなんですよ。今あなたがその魂で成立しているということは、過去にその魂で生まれてくるような生き方をした結果であり、ひとつの物語としてずっとつながっているのです。」

今現在も、私たちは地球に乗って秒速30kmというスピードで宇宙空間を移動し続けています。自転しながら、公転しながら、歳差運動しながら、微振動しながら移動し続ける地球の動きをいさどんは地球儀ボールを使って解説。こんなに複雑な動きをしながら地球は宇宙を移動し続けており、その動きによって地球上に1日や四季がもたらされ、その中で私たちは生きているのです。

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ここからさらに、話はどんどん深まっていきます。
星の動きと人類の歴史や個人の人生がいかに連動しているかということ、時代と共に北極星は移り変わっており、今絶対と思っているものも変化していくということ、私たちはそもそも「間違い」から生まれているということ、欠けているからこそ存在しているのであり、存在するためには欠けていなければいけないということ、欠けていることを認識するために生きていて、それを認識できるだけの特別な能力を人間は与えられているということ、紙の発明以来人間は平面でものごとを捉えるようになり、良いか悪いか、損か得かという二元思考が生まれたこと、人間の思考が鈍くなったのは余分なことを考えるようになったからであり、その余分を取り除けば自分の中から宇宙の真理が無限に湧き出してくるようになること ──── 等々。
とてもここには書ききれません(*_*)以下、スライドをご紹介しますので、どうぞご覧ください。さらに深く学びたい方は、ぜひ来年の真学校へお越しください♪

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受講生との活発なやり取りで話はどんどんふくらみ、講座時間内に終わり切らなかったため、続きは夜の大人ミーティングに突入。

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大人ミーティングで講座の続きをスタート

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・・・大人ミーティングでも終わりませんでした。

今後は情報量を調整します、と反省を語るいさどんとみかちゃん
今後は情報量を調整します、と反省を語るいさどんとみかちゃん

一コマの講座でこれだけの情報量を消化するのは、そもそもムリ。が、しかし、どれも重要な内容であることには変わりありません。
そこで!スケジュールを変更し、明後日の午後に続きをやることになりました。ここまでは、過去の人類の歩みや現代社会の実態などを見てきましたが、ここからは、その現代を私たちはどう生きていくのか、という内容に入ります。

今、社会の現状を分析して何が問題なのかを語る人は多くいますが、ではそこから実際にどう生きていくのかという代替案に出会うことはなかなかありません。けれども、大切なのはそこからなのです。

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それでは、どうぞ明後日の講座をお楽しみに!

物語は、つづく。

 

 


2日目午前「木の花ファミリープレゼンテーション」

1ヶ月間の真学校、最初の講座は、木の花ファミリーの暮らしや活動について紹介する『木の花ファミリープレゼンテーション』です。

プレゼンをするいさどん
プレゼンをするいさどん

 
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これは、真学校で最初のプレゼンテーションです。木の花ファミリーの総合プレゼンテーションですが、一番最初のページはこんな言葉から始まります。

「人間の求める幸せの結果

僕はよく、このことについて語ります。それは、なぜ木の花ファミリーができたのかということにもつながるからです。
木の花ファミリーは、個人的な目的によって創られた場所ではありません。厳密に言えば、それは目的を持って結成されたとも言えるかもしれませんが、木の花ファミリーが存在する一番の目的は、今の社会がどのようになっていて、それにどのように貢献していくかということです。

人は生きていく時に、それぞれ自らの精神性にふさわしい目標を持っています。毎日晩酌のために一日を過ごしている人もいれば、ギャンブルで当たることを目標としている人もいます。日本には多くの依存症がありますが、ギャンブル依存の中には宝くじ依存症の人々がいます。宝くじを当てることばかりを夢見て、それを目標に毎日を生き、その結果破産する人々がいるのです。
おもしろい話があります。東京オリンピックは、東京都と国がお金を出し合って開催します。東京都の負担金の約半分は、宝くじによる収益です。国も、負担金の約半分を宝くじでまかないます。そしてもうひとつ、オリンピック実行委員会の資金は、すべて宝くじでまかなわれます。
東京都の負担金の半分が宝くじなら、残り半分はどこから来るか知っていますか?そう、税金です。ではその税金はどこから来ると思いますか?都民だと思うでしょう?実は残り半分は、自治体が自治体を運営するための宝くじでまかなうのだと言います。テレビをよく観ていると、宝くじのCMがたくさんあるでしょう。もともと国や自治体の予算も宝くじでまかなわれているのです。それが東京オリンピックの費用に充てられたというだけのことです。

宝くじを買って得する人は、どのくらいいると思いますか?宝くじの売り上げの約8割は、売る側の収益になります。そして残りの2割を買った人に還元します。ですから、打率は2割以下ですね。パチンコと同じで、トータルで得をすることは決してありません。保険もそうです。外資系の保険会社は、人ではなくインターネットやテレビを使って勧誘をします。そうすると人件費がかからないので利益が大きくなり、売り上げの8割以上が収益になる会社もあります。そして、保険に入れば将来が安心だとうたいながら、人々の不安を煽っているのです。ギャンブルと同じように、決して健全に還元されない形でこの世界が回っているのです。

人間が幸せを求めてきた結果、社会に何がもたらされたでしょうか。

人々の中に不安があってそれを解消しようとしたり、あるいは何か目標を持ってそれを成し遂げる時に、その行動は世の中にたくさんの矛盾を生み出しています。そうやって今の世の中は動いています。それは本当のことです。それをわかることです。
もしもそのような矛盾がなくなり、世の中が健全になるとどうなるのかというと、とてもシンプルな世界になります。今の世の中はバブルのように、8割、9割が不要なことで成り立っています。その不要なものをそぎ落としていくと、どのような生活ができるでしょうか。

3月21日に、私たちはロータスランドをオープンします。そこではとてもおいしくて健康な食事が、とても安い金額で食べられます。
食材の多くは自家製のものを使い、建物の建築も7割ほどは自分たちでやっています。一般企業が人件費を払ってお店を運営するとしたら、こんなへんぴな所であんなお店は作りません。もっと利益の上げられる、条件の良い場所を選ぶでしょう。しかしここでは、それができる。なぜなら、木の花ファミリーという暮らしがあるからです。
そこで得る収益は、とても利益率が高い。ではその利益を何に使うのかというと、みんなでハワイ旅行に行くわけではありません。どうするかというと、次の木の花ファミリーの活動を充実させるために使います。そうやって普通の人々ができないことをやり、こんなふうに暮らせるんですよ、ということを社会に還元していくのです。これは社会運動であり、大いなる実験です。それはとても充実した、安心で、楽しい暮らしです。こういった暮らしを世の中の人々がするようになったら、世界は本当に平和で、少ないエネルギーで豊かに暮らせるようになるでしょう。

さて、20世紀型社会がわたし達にもたらしたものは何でしょうか。

 

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