第27日目:修了パーティー

さぁ、いよいよ修了パーティーの日がやってきました。
こうしたグループで作り上げることは、受講生にとって心の学びの総まとめ。この日を迎えるまで、感情のぶつかり合いや自己を見つめるいくつものプロセスがありました。それを乗り越えて、どんなパーティーになったでしょうか?

受講生は、子どもたちを喜ばせたい!ということで、子ども一人ひとりの写真を加工し、民族衣装と合成したものが、デコレーションに。早速、子どもたちはそれを見つけて大はしゃぎ!

そして時間になると男性陣は、ハワイアン+チャイニーズ?女性陣はオヤジ風+エスニックの衣装で登場!

作った料理の前で!
作った料理の前で!

こどもたちにも、個々にお子様プレートが!

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こちらは大人用
こちらは大人用

みんなでワイワイ語りながら、食事を満喫していると、「おぉ~!」デザートが出てきた!

 

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よこなお考案の「チェ・ナオグルト」ココナツミルクの中に、小豆とサツマイモ、寒天、イチゴなどの入ったアジアンスィーツ! もう一つのスィーツは、イタリアに料理修行に行ったことのあるわたるシェフの作った、木の花のエコパンとお神酒の搾りかすを使った「米グルトティラミス」!こちらもおいしかったです!

 

このデザートを担当したよこなおちゃんは、デザートセクションを任され、リーダーシップをとらざるを得ない状況に追い込んでもらったことで、心の学びがあったようです。以下は、本人の了承を得て、よこなおちゃんの日記からの抜粋です。


 

修了パーティーの担当がお菓子作りになった。というかみどりーぬに今日急に「デザートどうなっている?」と聞かれて「わたしが決めて良いの?」という思いが出てきた。昨日からわたしがデザートのメインのような雰囲気があったので、一瞬「えっ?」と思う気持ちがあったが、よしやろう!と素直に思えた。
みどりーぬやのりこちゃんが殆ど口を出さずにわたしに任せてくれているのは、わたしの行動しない癖を考えてくれているのを感じるので、その愛を素直に受けてとってやってみる。早速、キッチンののりちゃんとゆみちゃんに、どんなものを作るのかの相談をした。でもいまいち良いコミュニケーションが取れない。どうしてか、一歩引いてみてみる。また相手任せの心がある。まずは自分がどんなイメージでどんなものを作りたいのかを相手に伝えるのが先だ。もう少し自分で考えて、他の人にも相談してから、もう一度整理した内容をのりちゃんに伝える。その結果をみんなにフィードバックして詳しく詰める。

いさどんコメント:ものごとの順序が読めてきています。

みどりーぬに対して一瞬、えっ?と思った気持ち。その背景にあるみどりーぬの気持ちは良くわかるので、この気持ちを出そうかどうしようか迷っていた。でも正直に出すということからすれば、やってみたいと思うので明日実行する。相手がどう思おうが、どんな反応をするのかは気にしない。


 

デザート作りを通して一歩心の成長をしたよこなおちゃん。そのデザートはとってもおいしかったよ。この新たな挑戦を乗り越える体験を次への一歩つながりますように。

おなかが満たされた後は、子どもも一緒にゲーム大会!

じゃんけん列車でじゃんけんをするよこなおちゃん(右)
じゃんけん列車でじゃんけんをするよこなおちゃん(右)

そして、修了証の授与式でした。修了証には、一人ひとりの地球暦と、一人ひとりが乗り越えたこととこれからの課題について、二人のサポーターからのオリジナルな言葉が入っています。

前半・後半二人のサポーターが修了証を授与しました
前半・後半二人のサポーターが修了証を授与しました
修了証書を授与され、いさどんからはなむけの言葉をもらう受講生たち

全員で記念写真を撮って、今晩はお開き!

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疲れて暖炉の前で寝てしまったこどもたちも。

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明日はいよいよ旅立ちです。

 


第25日目:創造性と芸術

今日は天候によって延び延びになっていた「創造と芸術」の授業を行いました。一ヶ月間の真学校も終盤を迎え、受講者に疲れが出ていたり、修了パーティーの準備がしたいという声もあり、希望者を募って行いました。

昨日の朝の温度は7度だったのですが、今日は久しぶりに冷えて1度。吐く息は白く、土には霜柱が立って、歩くとさくさくと心地よい感覚を味わいました。 IMG_8076

この講座は、ネイテイブアメリカンの14歳の少年が行う「ビジョンクエスト」と呼ばれる、成人の儀式からヒントを得たものです。「ビジョンクエスト」は、子供から大人になるときに行う通過儀礼であり、「何のためにこの星に生まれて来たのか」を自然の精霊に請いに行き、自然の中から何かのしるし(メッセージ)を受け取ったら、親元に帰るというものです。

この儀式を、人生の目的を見失った大人に対してワークショップとして行う部族があり、私自身28歳のとき、その儀式を体験し、強い印象を受けたということがありました。

「創造と芸術」のワークは、このビジョンクエストを「朝日を見る」というミニ版で体験し、そこから受け取ったメッセージを詩や絵画や歌にして表現するという風に、メッセージを受け取るということと、自己表現するということを結びつけたワークになっています。ひとりひとりの自己表現を受け止める信頼の場が大切で、信頼の場があるからこそ、表現者は安心して表現する事が出来ます。そしてそこでは、ひとりひとりが個性的存在として尊重されます。

このことは、木の花ファミリーの日常どこでも起こっていることなのですが、改めて神聖なご来光と対面し、そこから発せられるメッセージを受け取ること、そしてそれを普段あまりしない方法で表現するという未知なる体験をするものです。

ひまわりを6時に出発して、ご来光までしばし待ちました。そしてご来光が、美しい光を放って現れました。

ご来光
ご来光

帰ってくると、おいしいおむすびが用意されていました。キッチンさんありがとう。みんなで感謝していただきました。

春のおむすび
春のおむすび

そして、湧泉閣へ移動して、それぞれに受け取ったメッセージを文章にしたり、絵に描くワークを始めました。

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制作タイムを終えたら、一人一人自分の表現したものについてみんなにシェアーしていきます。

最初はのりちゃん。こんなメッセージを書いてくれました。

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文ちゃんの三部作の絵。左から順番にタイトルは「無限の愛と光」「つながる」「神のジュエリー」

三枚合わせて「源」というタイトル。

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みんなからは、「きれい」「あの世ってこんな感じかな」「大きな目が怖い」という人もいました。

次は、みどりーぬの文章。

「わたしは草、私は花、私は空気、私は山、私は石、私は鳥、

私は無限の空間と時間の中で生かされている。私はどこにでも存在する」

みどりーぬの絵にも、大きな目が描かれていました。大いなる目は、今の地球の人類の姿を見て涙を流しています。文ちゃんとみどりーぬの絵を並べてみました。

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由佳理ちゃんは、絵の中にカタカムナ文字を書いてくれました。自分の中を表現し切れたかどうか、表現指数は何%かと聞くと「2%」。頭の中に渦巻くものはなかなか表現できません。

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よしてるくんの作品。太陽と地球の間に人が立って両方をつないでいる姿を描いてくれました。この世界の立て直しをみんなと共にするんだという気持ちが湧いたという。真学校の後はファミリーメンバーになるという宣言をしたよしてるくん。ビジョンクエストを通して次の段階へ進むということを再確認したようでした。

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絵より文章が得意なあわちゃん。今回もたくさんのメッセージを書いて発表し、みんなを楽しませてくれました。そして替え歌まで発表してくれました。タイトルは「あわの流れのように」

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意味は分からないが見えたものをただ描いたという谷なおちゃん。別れた陰陽が一つに統合されていくような絵でした。

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朝日は見ませんでしたが、みんなとおむすびを食べているうちに、そのあとの講座に参加したくなったというたかちゃん。おむすびを食べた後に見た太陽から受けた印象を描いてくれました。

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みんなの発表が終わり、次にメッセージを歌にするワークを行いました。一人ずつ自分の受け取ったメッセージを歌うとき、みんなで音作りをします。みんなで探りながら音を出してゆくのですが、うまくかみ合うとき、様子を見あって流れが創れないとき、といろいろありながら、全員が歌ってくれました。みどりーぬが持ってきた音叉も大活躍でした。

最後に、みんなの描いた絵を一つの絵にしてみました。IMG_8326

 

気分が変わって、再度並べ替え。斜めにしてみたり・・・。

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一人一人が心を深堀する真学校で、ちょっと違った形で世界をどう捉えているのかを表現する時間でした。

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木の花ファミリーの問題点

真学校もいよいよクライマックスとなる26日目、午前中に「心の振り返り」の時間がありました。

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受講生たちは、一人ひとりがそれぞれの目的を持ってこの真学校に参加しました。
1ヶ月を経て、その目的の達成度はどうだったか。
自分が思い描いていた目的の枠を超える世界に出会った人から、今ようやくスタートラインに立ちましたという人まで様々ですが、その詳しい報告は改めてするとして、今日はぶんちゃんのコメントをご紹介しましょう。

ぶんちゃんは、ここに来た大切な目的の一つを達成できなかったと言います。
そして「それは木の花ファミリーの問題です」と。

 

「ごはんがおいしすぎます。
 ダイエットできませんでした。」

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受講前、ぶんちゃんは「菜食の木の花に行ったらきっとやせられる♪」と思っていたそうです。ところがどっこい、おいしくて食べちゃう、食べちゃう。
そう、これは木の花ファミリーのワナなのです。

開校に合わせて、キッチンの壁に貼り出されたメニューリスト。
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出した料理から消していき、期間中に同じ料理は二度と出さないというキッチンスタッフの意気込みが伝わってきます。
 
毎日ぶっ飛びの宇宙視点講座で頭がパンパンになって帰って来ると、ひまわりのホールからおいし~い香りが漂ってきて身も心もほぐしてくれるのでした。

こちらは桜おこわ。春の香り。
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納豆は保存食作りの講座にも登場。
納豆がキライだったはずのきたじゅんも「ここの納豆なら食べられる!」と苦手を克服。
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期間中に誕生日を迎えたいぶちゃんや息子の太郎くんには、お誕生日プレートを用意!
こちらは太郎くんリクエストのオムライス♪ 特大です。
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食事会イベント「恵みいただきます」で食べた創作韓国料理。
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「防災の日」には、ほっかほっかの釜戸炊きごはんも体験。
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お餅つき大会もやりました。
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みんな幸せそう。。
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これじゃあ痩せられないよね(笑)。
 
 

ぶんちゃんは、毎日食事の写真を台湾の友人たちに送っていたら反響がすごかったそうです。そのかいあってか、台湾からツアーを組んで木の花を訪れる企画が現在着々と進んでいます。
あ、いえ、目的はあくまでも食事ではなく“心の学び”ですが。いついかなる時でも、木の花ではおいしいごはんで皆さまをお迎えします。

 

以上、木の花ファミリーの問題点でした!

 

※注
おいしさゆえについついたくさん食べちゃう木の花ごはんですが、ある程度の期間滞在すると、健康的に痩せていく人が多いです。^^
 


第24&25日:天然循環法・農 – 稲作

3月10日の午前には、天然循環法―農の最後として、稲作の講義がありました。
以下、初講師を務めた田んぼ隊のこまねちからのレポートです。


冒頭に、稲作に関するスライドショーを見ました。田んぼではどんな作業をしているのか、イネがどのように成長するのかが紹介されました。

そして、稲作に関するプレゼンがありました。そのテーマは「田んぼはすごいな尊いな」です。真学校の受講生たちは農業をやりたいわけではないので、農業的な知識はできるだけ省き、地球における稲作の大切さや尊さを日本神話やカタカムナ、環境保護の視点などから伝えようとしていたプレゼンでした。

質疑応答では受講生から様々な質問や思いが出て、関心の高さが伺えました。

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その後、田んぼに入る水はどこからやってくるのかを実際に見るために、用水路を上流の方へと辿っていきました。

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上流へとさかのぼっていくと、森の中の湧水のような気持ちの良い所があり、そこで受講生たちは「こんな素晴らしいところから下流の田んぼに水が流れてるんだ」と思ったのもつかの間、さらに上流へと進んでみると堰堤のようなコンクリート構造物のある所に出ました。田んぼ隊のまこっちゃんは言います。

「天然循環法っていうといかにも人工物に頼ってないイメージとか、自分たちだけで善い事やってますっていう感じがするかもしれないけど、僕は全然そうは思わない。自分たちだけでってことは決してなくて、例えば水ひとつとっても、誰かが昔こういうのを作ってくれていて、地域とか村単位で利水してる。人工物に頼る頼らないはどっちでもよくて、「天からの頂き物とのつながり」をどれだけ意識して実践するかが大事。」受講生たちはうなずいていました。

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翌11日の午後には、田んぼに実際に行きました。折よく晴天で富士山が見守る中、まずは広い田んぼを皆で歩き回った後、「チェーン除草機」を曳いたり「手押し除草機」を押したり、「備中」で田んぼを耕したりしました。田んぼ隊からの話を聞きながら、受講生たちはそれぞれ自由に遊んでいました。とても楽しかったようです。

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手押し除草機で楽しむみへちゃん&ゆかりちゃん

 

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チェーン除草を試みるたかくん

 

その後のおやつタイムで、受講生たちと田んぼ隊で色々な話をしました。農作業に対する姿勢、お米に対する思いなどが話される中で、何が大切かを受講生たちはそれぞれ感じ取ったようです。

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受講生の声を紹介します。

「楽しかった!」

「木の花の食べ物がなんでこんなに美味しいのかが分かった」

「除草って大変すぎ。お米の有難みが分かった」

「稲が植わってる時に講義が受けられたらなお良かったけど。それ以外はベストだったと思う」

「田んぼの畦にしばらく寝っ転がっていたら、すごく疲れが取れて頭痛がなくなった!」

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第22&23日目: 世界観を広げる

今回の真学校における2人目のゲスト講師、ひらぴーを招いての講座でした。

講師のヒラピー
講師のヒラピー

3月8日の午後と9日の午前の時間を使い世界観を広げるワークショップを行いました。

いくつかのワークをやった中で、受講生の印象に残ったのが、初日の3パターンのハグをするワークと、2日目の自分はどんな人なのか、他者からの視点をもらうというワークでした。
その学びについて、本人の了承を得て受講生の日記から抜粋させてもらいました。

まずは、のりちゃんの日記から、

「世界観を広げる講座の中で、3パターンのハグをすることになった。1回目は自分流に。2回目は目を見つめながら、3回目は相手を神聖なるもののように思いながら。

印象に残ったのは、相手を神聖なる物として見てハグをすること。神聖なるものと接するので、ぞんざいにできるはずはなく、謙虚な気持ちになる。動作も丁寧な上、ハグをしている自分の心が大いなるものに自分をゆだねて透明で一切の私心が無い。静かだが足は大地にしっかり根差している。高揚感は無いが、気が満ちてくる。不思議な状態になった。3回目のハグを終了した後、振り返りをしている間、意識が高いところへいってしまった感じがした。この体感を身体に深く記憶させる。会う人、もの、こと、全てに接する際に、神聖なもの、天、神と対峙するように接する。そのためにこのワークがあったのだと思う。」

いさどんコメント: この世界は、神の体。全ては神聖なものですね。

3タイプのハグのワーク
3タイプのハグのワーク

そして、みどりーぬの日記から、

3種類のハグをした。
「フリースタイル」の感想は、普段話していても気づかないが、相手が予想以上にでかいと感じた。相手によってハグをしても一体感がある人とそうでない人がいた。そして面白かったのが、リラックスしている、していないで筋肉の反応が異なった。こちらが勝手に苦手意識を感じている人に対しては、筋肉が緊張していたのを感じた。苦手が筋反射という現象として表れた。

「目を良く見てハグ」は目からの情報のみでも、より相手との距離感が縮まるなと感じた。相手によってなのか?そのときの感情で左右されるのか?はわからないが、目を合わせているにもかかわらず、視覚に入っているにもかかわらず見えていない。いや、見たくないから見ていないのだろうか?実は真学校に入る少し前から、この視覚の不思議な感覚に氣付いていた。

「うつ病」の人に見られる特徴も良く似ている。今までだった何人かのクライアントが、カウンセリング時に目を閉じたまま受け答えをしていた。目から入ってくる情報で頭が疲れるから、目を開けていられないのだそう。その問題に向き合いたくないから「見たくない」「言いたくない」「聞きたくない」と全てを閉ざしているようにしか見えないと思っていたことが確信となった。
人にコントロールされると思い込んでしまいがちだが、実は自分が自分をコントロールしていることに氣づいた瞬間に世界がひっくり返る。自分の「心」を感じること。そこから目をそらさない。

いさどんコメント:人に対して何かをしてあげると思っている場合、もらっていることを忘れていることが多いですね。わたしたちは、この世界で生きているすべてで学びをいただいている立場なのですね。大切なことに気付いています。


そして、2日目の他者からの視点をもらうワークでの学びについて、みへちゃんは以下のように書いています。

ヒラピーの授業、苦手な人を思い浮かべて言葉をかけるワークがとても印象的だった。わたしはその苦手な人に「肩の力を抜いて良い」「周りを信じていい」と声を掛けていた。まさに自分への声えがけであったことにびっくりした。
いさドンコメント:それは面白い発見でしたね。

自分の悪いところ、良いところを伝えてもらう際、気が付いたことは、わたしは
- 理想がとても高く、多くを求め、それゆえ失敗すると落ち込む
- 注意散漫になりやすい だった。
講義が終了すると、どこか爽やかな気持ちになった。

いさどんコメント: なぜそうなったのか、振り返ってみてください。

相手にしたアドバイスを自分にしたらどう感じる?
相手にしたアドバイスを自分にしたらどう感じる?

それぞれの学びが、日々続いています。


第22日目:微生物資材の培養 (午前)

今朝の前半は、木の花ファミリーのあちこちで使われている木の花菌と呼ばれる微生物資材の培養について、木の花菌づくりの発案者であるいさどんと製造担当者のひろみちゃんの講義がありました。以下、講師を務めたひろみちゃんの講義レポートです。


木の花菌とは、EMをベースに、木の花でオリジナルに培養している微生物資材で、木の花ファミリーの生活のあらゆるところで利用されています。

木の花菌仕込中!
木の花菌仕込中!

木の花菌の培養が始まったのは、今から約25年前、農法について模索していたいさどんが、新聞記事の中にEMを見つけたことがきっかけでした。

それはEMを使ってスイカを栽培している農家さんの記事でした。早速会いに出かけた車の窓から見えた周囲の景色は、いつもより美しく輝いて見えたそうです。いさどんは、何か新しい扉が開く事を予感したそうです。

この出会いがEMの開発者の方との出会いに繋がり、木の花に木の花菌の培養技術が確立していくことにつながりました。

必要な出会いは、必要なトキに、必要なトコロにやってくる。

だから、流れがやってきたら、ただその流れにのっていけばいいのです。そういった生き方をしていくことです。

講義は、こうした物語から始まり、微生物のこと、木の花菌の作り方や使い方を学びました。

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第21日目:3回目のフリーデー

真学校が始まり3週間がたちました。受講生の心の成長も人それぞれですが、どの人にも着実に変化が観られます。

今年は昨年のEDE(エコビレッジ・デザイン・エデュケーション)のプログラムよりも、ずっとゆとりのあるスケジュールになっていましたが、それでも勉強熱心な受講生は、フリープログラムの時間も、お神酒作りや養蜂、コンポストトイレ作りなどについて学ぶ時間にしていました。

そんな受講生も、今日はしっかりと休息をとって最終週に備える人も多かったようです。

午後は畑やキッチン体験をする人も。

夕食後は、3月に生まれた人たちを祝う月例のお誕生日会が開催されました。
今月は3日のおひな祭りが平日だったので、ひな祭りも兼ねました。
着物を着た小学生のきよ、みのり、みこの3人と新1年生になるひみこが「さくら さくら」を舞いました。

「さくらさくら」の舞
「さくらさくら」の舞

その後、れいちゃんとみほちゃんからこの地球生態系の豊かさを表した人形劇のプレゼント。

みほちゃんとれいちゃんの人形劇
みほちゃんとれいちゃんの人形劇

そして、真学校生も出し物をしましたよ~!
「バンザイ 君に会えてよかった!」の替え歌とダンス!

自分の枠を壊すために股引腹巻の禿げおやじに挑戦したよこなおちゃんと金髪美女のわたるくん(左) そして、あれ?こうちゃんがいる?!
自分の枠を壊すために股引腹巻の禿げおやじに挑戦したよこなおちゃんと金髪美女のわたるくん(左)
そして、あれ?こうちゃんがいる?!

こうちゃんがあまりにも似ていて、みんな誰がこうちゃん役かがわかりませんでした(笑)

ルンルンランラン、ちなっぴーです!
ルンルンランラン、お目目キラキラちなっぴーです!
ギターの上手なキタジュン
ギターの上手なキタジュン

 

そして、トリを勤めたのは、木の花劇団。
問題ごとを自らを知る機会とし、自らの心を振り返り、自己コントロールすることで、誰もが楽しく調和して生きることが出来ることを描いた木の花劇団の書き下ろし作「貧乏神と疫病神」が演じられました。

 

左から貧乏の神役のあやちゃん、祟り神役のゆみちゃん、疫病神役のみきちゃん
左から貧乏の神役のあやちゃん、祟り神役のゆみちゃん、疫病神役のみきちゃん
木の花劇団
木の花劇団+いさどん

最後は、おなじみ花祭りの舞をみんなで踊り、楽しく温かく夜が更けていきました。


防災デーについて

真学校2週間目の最後2月27日に、防災ワークショップが行われました。

人類が際限ない物質的な豊かさや経済成長を追い求めた結果、地球の46億年の歴史の中の、ほんの一瞬にしか過ぎない短期間に、地球環境を変化させ、自然災害が世界のあちらこちらで起こっています。

その災害をどう捉え、どのように防いでいくのかについてのワークショップを行いました。

受講生からは、「こうしたことは考えてもみなかったので、今後意識していくことができる」という感想が多く聞かれました。


ワークショップの最後に、いさどんから「防災について」以下の話がありました。

防災というと、人によっては恐怖をイメージするものですが、地球の歴史から観れば、たとえば生命の大量絶滅は過去に何回もありました。それは古いものを壊し、新しいものを生み出すきっかけになってきました。私たちは、人生を生きていく上で色々な出来事や困難に出会いますが、そういった困難は自分たちの今までの在り方を振り返って、新たな人生に出会うチャンスでもあるのです。ですから、地球規模で私たち生命の存在を捉えれば、それは決して悪いことばかりではないのです。

ただ、人間は今の自分に囚われ、今の状態を維持したいと常に思うわけです。維持したいと思うと、自らにとって恐怖に思う出来事が起きようとすれば、それを避けようと考えるものです。しかし、世界はこれまで一度も止まることがなく、変化・変容・変態を繰り返しています。そして、私たちも常に新しい世界を生きているのです。すべての生命が古い自分を捨て、新しい自分に出会い続けているのです。

そういったことから考えると、防災という考え方は現状を守りたい心で成り立っているとも思えます。しかし、時代は変わり続けていくのですから、何かが壊れていくということは、新たな時代の幕開けにつながるということです。今の世界情勢を観ると、地球上での人間の営みが飽和状態になってきているので、危険信号とも取れる様々な自然災害が起きようとしています。そういった災害は、これからも現実に私たちの身近なこととして起こり続けるのです。

まず、地球温暖化から来る気候の変化は、確実に今後食糧難を引き起こします。人々の考え方や生き方を変えていかないと、それは極めて身近な現実となります。しかし、今考え方を変えても、すでに今までのツケがこれから現象として現れてきますので、ある意味手遅れでもあるのです。

そうすると、それに対して私たちはどのように考えたらいいのでしょうか。
今から全てを変えてそれに対処することはできません。しかし、その必要はありません。つまり、その都度私たちはどのようにしていけばいいのかを考えていけばいいわけですし、そのような対応しかできないのです。

その時に、自分さえよければいいという「我先の心」は、奪い合い殺し合う世界を創ります。本来の日本の大和の精神は「和」の心です。「大和」とは、「大いなる調和」を意味します。その和の心があるからこそ、日本で災害が起きると、人々はつながり助け合うようになり、世界からもそういった精神を非常に評価されています。それとは逆に、海外では災害が起きるとここぞとばかりに奪い合う事件が起こっています。
ですから、大和の精神はこういった時にこそとても重要なものであり、私たちが日本人でいることの意味があると思うのです。これから、地球上で災害が頻発する時代に、そういった心を私たち大和民族は発揮する時が来ていると思います。

それと同時に、人間はこれまで物理的な豊かさを求め過ぎてきたがために、対立の世界を創ってきました。そういった世界が災害によって壊れるということは、新たな世界を創りなさいという人類に対してのメッセージでもあるのですから、広い世界観があればむやみに恐れる必要はないのです。
これまで蓄積されてきた地球上のプラスのエネルギー(破壊のエネルギー)は、いずれ現実に私たちの前に現れてくることでしょう。ただ、その恐怖を煽って、どこかに誘導しようとは思いませんし、そのように考えてもいけません。やはり、一人ひとりがそのメッセージの意味をよく捉えることが大切です。

私たちは一人ひとり生きています。蜜蜂の世界では、一匹の蜂が生きるということは、何万匹の蜂の生命をつないでいくことです。それは私たち人類も同じであり、生きるということは、自分が生きると同時に、人類という生命を次の世代へつないでいくことなのです。そこで自らを主張したところで、46億年という地球の歴史からすると、それはとても微細なことです。

そこで私たちが問われるのは、自分自身が今まで生きてきた結果、次へ何を伝えたのかということです。生きてきた結果、死を迎える時に、充実した人生だったと思うのか、それとも結局自分本位に生きて自らの価値を下げたのかが、問われると思うのです。

これまでの人類の在り方のように、ただ、物理的に生きて、物理的な喜びのもとに存在しているようでは、これから来るであろう困難は恐怖にしかすぎません。しかし、本来生きることはそうではないはずです。物理的なことを超えて、私たちがこの世界を創る一部であり、歴史の一部分を紡ぐ者であることに気付く時がいよいよ来ているのです。
私たちの実態は魂であり、そこに肉体が形成され、その器の中に魂が生きています。肉体は終わっても、魂は残ります。それがまた何かの縁により、この世界に生きるとしたら、今の時代を生きることは自分の未来を創っていることにもなります。

このように世界観を広げていけば、今をどのように生きるのかによって、未来の自分に何を与えるのかが観えてきます。そして、それはこの三次元の世界でも、今をどのように生きるのかが、自分の子供や孫だけではなく、全てのいのちに影響を与えているのです。そのような捉え方をしたら、人間の生き方自体が変わってくるはずです。その時に、私たちは新たな時代を観るのでしょう。今をどのように生きるのかが今、一人ひとりに問われる時代が訪れています。

防災デーにあたり、ただ危険が来るからそれを避けて通るという表面的な狭い視点ではなく、ぜひ広い世界観を持つきっかけにしてもらえればと思います。

そして、それは死生観にもつながります。死は必ず訪れるものなのですから、気持ち良く生きて潔く旅立っていくことができるのです。
ただ災害を防ぐだけが防災ではありません。防災を考えたときに、やはり日々の生き方の姿勢を自らに問い、そして時代と共に問うていくことが大切だと思います。


第20日目:自然療法プログラム

今日の午前は、木の花ファミリーで10年ほど前から行っている「自然療法プログラム」についての講義でした。

自然療法プログラムの原型は、今から30年以上前(いさどんが32歳の時)の人生相談という形で始まった。その頃は何でも相談に乗っていて、カルマ読みをベースにして相談を受けていた。

その初期の頃の話がたまたまfacebook にちなっぴーがあげていたので、それをみんなでシェアした。いさどんおじさんと10代のちなっぴーのほんわかした雰囲気が出ていて講義の合間のアイスブレイクにもなった。 木の花ファミリーfacebook

「ケアはテクニックでなく場の力である。」

「ここにいるだけで心身の改善が進む。」

といさどんが何度も語っていたように、どういった場で暮らすのかが一番心の癒しになる。

コミュニティがいいと言っても、群れは良くない。それは傷口を舐めあう関係になれば逆効果。問題とは一人で向き合わなければならない。周りは健全で、それをサポートするのがいい関係。

相談を受ける中で、お母さんが子どもに対する接し方がわからないということがある。自分が子どもから抜け切れないインナーチャイルドの親もいるということからすると、親子の絆や秩序をつけていき、そこに柱(父性)がないのだから柱を立てていくことが大切である。

自然療法プログラムでは必ず定期的に面談を行うのだが、その時の録音テープを聴くことで、客観的に自分を捉えることができる。それは自分で自分の癖や傾向などに気付いていく為に有効である。

面談の他に主治医のいさどんは、つけてもらった日記を点検してコメントをしているのだが、これらを含めても、このプログラムは一人がテクニックを駆使してできることではなく、周りの環境が必要になる。だから一人を健全にしていく為には社会作りが必要となる。

一方、天然循環法の「食」の講座の中でもいさどんが語ったように、病気の中にも治療してはいけないものもある。病気や問題事は因果応報で、自分にふさわしく与えられているのだから、時と場合によっては、治して楽にすると学ぶチャンスを奪うことになり、当事者の成長を妨げることになる。病気や問題事というのは神様からの贈り物であり、なぜそれを与えられるのかを振り返り、健全になっていく為に起こっているということが腑に落ちれば、その問題事は不必要となり消えていくというのが宇宙の法である。

だから、それを伝えることを生業とすれば、霊的には天の意志に反することになり、人生が終わる時には、それが必ずチェックされる。

けれども浅い意識のところではそのことはいいことになってしまう。いさどんは、初期に神様から伝えられた

「心を語って飯を食うな。」

をずっと固く守り続けている。

この取り組みは、純粋に相手のことを想うことであり、そういう意味からも「治療」ではなく、「世直し」だといさどんは語った。

自らの心の癖を知って自己コントロール(洗心)し、上手に使い分けていくとそれが個性となる。

自分のエゴ(我)に縛られているのに、好きなことをしてそれが叶うことが自由だと思っている。本当は、エゴ(我)を手放していくことで自由になるのにはき違えている。このように物の価値観がひっくり返る転換期が来ている。歪みに執着していると楽にならない。本来全てのものは、もとの響きの健全な状態になろうとしている。それが嫌だといって病気になったり、嘘をついたりして無駄なエネルギーを使っている。物事が自分の思い通りにならないのは本当は有難いことなのだ。

今の時代を見ても、いいと思ってやっていることがおかしな結果になっている。(例えば、昨日テレビで観たネットバンキングの被害では、便利だとうたってお客を獲得してきた銀行が、知らない間に何者かにネットバンキングの銀行口座からお金を引き出されて、そのセキュリティ対策にお金をかけ、そのセキュリティの裏をかいてまた詐欺が行われる)これはしっかりとした柱が立っていないからで、それに気付かせるために起こっている現象とも言える。

このようなことは宇宙真理であって、決して宗教ではない。

今の世の中には舎利弗(釈迦の十大弟子の一人であり、頭が良くて賢いが、それ故に悟りが遅かったと言われる)のような人がたくさんいて、人より優れていると思い、自己主張ばかりで振り返らないので、自分が正しいと思い、人の話を聞かない。それに対して鳩摩羅什という人は、頭は良くなかったが、尊師の言うがままに生きて早く悟りを開いたように、尊師、即ち宇宙の法に則り、いただく精神で、生かされているという謙虚な心で生きていくことで人間は早く目覚めることができる。

腹を決めると柱が立つ。

そして天とともに地を生きて、菩薩の心を持ちながら地上を生きることができる。

みんな平等であり、「(教育、宗教、医療、政治などの)先生」はいらない。一人一人が目覚めて世界に貢献している理想郷を目指していて、それをまず木の花が表現する為に私たちはこの生活をしている。

現実に、治療不可能と医者から見放された多くのケアの人達が、この自然療法プログラムによって治って社会復帰を果たしている。今回の受講生14名のうち、5名がこのケアプログラムの卒業生である。また、メンバーの中にも卒業生がおり、ケアではなくても、行き詰っていた人達がここで健全になり日々を過ごしている。

この講座を受講生以外の現在ケア滞在中のあっこちゃんも受けていた。日に日に明るくなっていくあっこちゃんを見ると嬉しく有難いなぁと思う。そしてこの気持ちは地球の心だと思った。彼女が社会復帰できることを心から願う。

そのことを考えてみても、このような捉え方で日々を生きることは、人類にとって本当に大切な取り組みであると思う。

そういった意味でも、私達はみんな毎日「自然療法プログラム」を受けながら暮らしていると言える。

 

 

 

 


第19日目:愛とお米があればいい

「愛とお米があればいい」は、数ある木の花語録の中でも、代表的な言葉です。木の花創立当初に、いさどんが畑で仕事をしているときに神様からいただいた言葉なのです。

人間は愛という言葉をよく使います。「愛があれば」「愛こそ全て」「愛してる」・・・無造作に使うこの愛という言葉に、どういう意味があるのか、深く考えたことはありますか?歌謡曲では「愛してる」という言葉がよく出てくるのですが、そこでいう愛は恋愛という限定された範囲の愛です。

「愛とお米があればいい」のプレゼンの中では、愛がランキング付けされています。これを見ると日頃自分が愛と言うとき、どのレベルの愛ことを言っているのかがよく分かります。それは以下の通りです。

1.自己愛   自分を存在させようとする力。生命(植物、動物、人間)、物、全てが「存在」することが自己愛。カタカムナで言う「生命カン」は、生存するために害になるものを直観で見分ける能力であり、現代人はこの能力が衰えている。

自己愛にはもう一つ人間特有の自己愛があります。それが「恋愛」。「なんで、恋愛が自己愛なの?相手がいてその人を愛しているのに」と思う人もいるでしょう。「恋は異なものあばたもえくぼ」といって、恋愛は人を盲目にし、ぼけさせます。そして、その人への執着や所有の心が発生します。「愛されたい」「支配したい」これは自我が絡む愛で、条件付きの愛なのです。

植物の自己愛

動物の自己愛

動物の自己愛2

2.身内の愛  DNAを共有しているものへの愛。親が子供を思う心、自らの命を犠牲にしても子の命を守ろうとする愛なので、神の愛に近付く。一方で、「わたしの○○」という執着の心を引き出します。

3.菩薩の愛  他者のために自分が存在し他者の喜びを自らの喜びとする。自分を愛するがごとく他者を愛する。木の花ファミリーは昨年より「菩薩の里」として仕切り直しました。こういう心のものが集っている場所を目指しています。

聖者

4.無条件の愛  宇宙全体を生命として存在させる愛のエネルギーであり、自己愛が束になったものなので、大いなる自己愛とよぶことが出来る。そこに執着や囚われの感情はない。ただ循環して、巡り巡って変化し続けるもの。

このランキングに照らすと、自分の日頃の意識がどこにいるのかが分かるようになっています。皆さんの心はどこにいましたか?誰もが一つの愛の場所にだけいるのではなく、いくつかの愛が折り重なって今の自分を作っています。生きて行くのに、心に必要なものそれが「愛」なのです。

次に「お米」についての話しがありました。

おにぎり

お米は、主食と呼ばれ、作るのに手がかからず、面積あたりの収穫量が最も高いので効率よく栽培することが出来、穀物の中でも最も栄養バランスがとれている食べ物です。生きて行くのに最低限必要な食べ物なのです。

米

人は、甘い物や、たくさんのおかずに目を奪われます。そういう物ばかりを食べ続けると体は栄養のバランスが偏り、病気になります。人生においても、同じ事が言えます。たくさんの刺激に心を奪われて脇道にそれていくとき、人生は目的を見失い遠回りになっていくのです。人間は選択肢が多いことが豊かさだと勘違いしますが、それが迷いの原因となり、問題を大きくしていることがよくあるのです。

人生は心磨きの道場。人間以外の生命は人間に従うという仕組みになっています。
(依正不二)道理を外しながら学ぶのが人間。その人間が心を磨き、この世界の実相を知って、生命ネットワークの中で人間としての役割を果たしていくことで、この世界が健全に運営されます。

人間が心を磨きながら生きて行くのに最低限必要なもの、それが、体には食べ物(お米、水、塩)、そして心には愛なのです。いつでも主になる最も大切な道を意識して歩いていれば、脇道にそれてもそれすらも人生の肥やしにしながら道を踏み外すことなく歩いて行けるのです。

心磨きに必要なもの

シンプルな生き方

大切な事はシンプルなのですね。ほっこりと心が温かくなるようでした。

歌の歌詞