3日目午前の前半は、木の花ファミリーの圃場見学をし、後半は互いを知る講座がありました。
(木の花ファミリーの圃場見学)
(互いを知る)
3日目午前の前半は、木の花ファミリーの圃場見学をし、後半は互いを知る講座がありました。
(木の花ファミリーの圃場見学)
(互いを知る)
さぁ、いよいよ、1ヶ月の真学校の講座が始まりました!!
初日は「木の花ファミリープレゼン」
そして最初の講座から、事前に準備されたプレゼン資料から話は脱線し、とても大事な話に。
人はみんな枠に囚われています。「人」という文字を枠(□)で囲むと「囚」という字になります。
そしてその枠の大きさでその人の世界観や思考・発想、そして人間性にまで大きく影響してきます。
その枠を取り払うというよりも、自分にとってその枠がなんであるか客観的に、さらにその客観の奥に気がついていくことで人は成長していきます。
「・・・??よく分からない」という言葉が聞こえてきそうですが、そんな方は是非来年の真学校にご参加ください♪
今年の真学校が始まるに当たって、今僕の心はフリーです。その真意は、今みなさんに何か提供しようという意欲を持っていないということです。もちろん、この真学校の中でたくさんの情報は提供します。100年、200年という単位での最近の時代は、人が学習していく時代でした。それは優れているものをたくさんの人が追いかける時代でした。そこでは優れている見本があって、みんながそれにあこがれていたということです。そういった中で人々にも社会にも格差が生まれました。
そして今21世紀に入って、世界は新しい時代を迎えようとしています。その100年、200年の時代がリセットされて、次の21世紀から30世紀までの時代を迎えたのです。そういった新たな価値観を迎えたという証として、今地球上の国家や社会はとても混乱しています。今、アメリカの大統領選挙が始まりました。しかし、この人に託したらいいという優れた候補者が見当たりません。日本でも経済活動一辺倒の豊かさを探求することしか次の時代を築く方法を見つけられていません。人々は知識的には賢くなりましたが、本当に新しい時代に向けての価値観に行き着いていないのです。
そして、今私がこの1ヶ月間の真学校の始まりに当たってフリーだと言いました。それはみなさん一人ひとりが自分の成長、変化、進化を自らの中から導き出す時間だからです。1ヶ月間みなさんに共通の情報を提供しますが、それぞれみなさんの歴史から今の心の状態、そして未来に向けてのビジョンは違うものなのです。今回12人の参加者がいますが、それは12通りの受け取り方があるということです。ですから12の講座を今回は提供しているようなものです。そしてここにスタッフとしてサポートしてくれる人たちがいますが、この人たちもそれぞれにそれを受けて自らの成長につなげることができると思います。この1ヶ月間の縁をここに関わる人たちがもらって、全体もきっと新たなコミュニティとなって成長することでしょう。ですから木の花ファミリーをベースとして、木の花ファミリーがこの講座を提供しているのではなく、木の花ファミリーも参加者として、この1ヶ月間の真学校を通じて全体が成長することでしょう。
ですから、みなさん一人ひとりが自分が主役であるということを意識して、自らに問いかけ、自らの成長を促してください。それがこの真学校の本当の意味です。最初に言いましたが、この数百年の間人々は優れたモデルを作ってみんなでそこに向かって歩んできました。そしてそこに格差を生み出したのです。しかし自然を見渡してみると、空気や水、植物や動物と様々なものが存在していますが、そこに格差はないのです。それはどれもオリジナルにそれぞれがしっかりと発揮されて、そして全体に貢献しているという姿です。
ですからこの世界にはたくさんの数の人がいますが、真実は、一人ひとりオリジナルなのです。そして一人ひとりがオリジナルな自らに目覚めこの世界に貢献していくことこそ、生きることの真の希望、喜びを見出すことだと思います。
しばらくの間、人間はモデルを目標にして既製品化されてきました。その中ではその規格に合わないものは落ちこぼれになっていきました。中には新しい規格を作ったものは優れたものとしてもてはやされました。こういった格差の時代はもう終わりなのです。宇宙はどんなものも必要なものとしてこの世界に誕生させました。ですから誰もが自分というものを存分に発揮して、希望ある生き方ができるはずなのです。そのためには自分が何者であるか、そしてどういうルーツを歩んできたのか。その結果今の時代がどういう状態になっていて、この先どうこの世界に貢献できるのかを知る必要があるということです。多くの人々はそういったものの捉え方をまだしていません。
今回この出会いによって真学校は進めていかれますが、僕のイメージの中にはここに集った人たちを通して世界に新しい価値観を発信していくというイメージがあります。これは宇宙的には開いた扉を地上に開くことを意味しています。みなさん一人ひとりには、自らのテーマを解決することや、人生の扉を開くという目標があると思いますが、今の時代に人類が行き詰っていることに対して、新しい時代の扉を開くというもう一つ大きな役割があるということです。そんな充実した1ヶ月間にしていきたいと思います。
そのためには、私は講師ではありません。先生でもありません。ただみなさんに、思考の視点を変えていただくための情報と環境を提供する者だということです。そこで提供されたことを記憶していくことではないのです。情報を提供されたら、みなさんは頭の中で考えを回すのではなくて、頭からずっと離れた上の空間でイメージする。そしてその提供されたものの周りや奥を判断する力を身に付けることです。
それはどういうことかと言うと、私たちは人間で今の時代に生きています。地球という世界があって、大体そこまでは誰しもが理解することですが、真実は巨大な宇宙の中に存在します。その宇宙の歴史の中に銀河があり、太陽系があり、地球があり、そして悠久の宇宙の時が流れていて、そして今の時代があり、そして私たちがいる。そのことの意味を理解しながら今の自分と向き合っていくことが、これからの時代の人類の姿なのです。個人が自らの中から湧き出してきた自我を満たすことを目的として生きてきた時代はもう終わりを迎えるのです。
そういった意味で、真学校の始まりにあたって、どうかみなさん、新しい自分に出会うためにこの1ヶ月を楽しんでください。僕は相変わらずフリーです。そしてどんなことが自らから出てくるのかとても楽しみにしています。中には今までの人生の歩みの結果、ネガティブに陥っている人もいるかもしれません。ですから、ぜひ今までの価値観を取り払って、そしてこれを機会に新たに変化、進化していくことを楽しんで1ヶ月間を過ごしてもらえたらと思っています。みなさん、楽しんでいきましょう。
こんにちは!事務局のともこです。
さてさて、1ヶ月間の真学校開講まで、いよいよあと1週間を切りました!昨日をもちまして2016年度の参加お申込みの受付を終了させていただきましたので、お知らせ致します。
開講に向けて、ただ今準備が進んでおります。世界観から食に農、経済、芸術に至るまで、各分野の講師となるメンバーたちはそれぞれに講座の内容を深め、その資料をみちよん&ようこちゃんが英訳し、受講生の皆さんをお迎えする準備も着々と整いつつあります。
受講生対応は、今年はともこからまりねえにバトンタッチ!
今年は海外からの3名の参加者を含む、年齢も職業も参加目的も多種多様な12名の方々が集います。すでにアメリカからトーマスが到着し、毎晩の大人ミーティングに参加しています。パートナーのテイアはビザの関係で残念ながら今回は参加が難しいとのことですが、その分トーマスが学び、得たものを共有していってくれることでしょう!
受講生一人ひとりが、それまで知らずにいた自らの心の仕組みを紐解いていくことを通して、この世界の壮大な仕組みを知っていく1ヶ月間の歩みは、本ブログにて随時発信してまいります。日々のレポートを担当してくれるのは、2015年度受講生のこの二人!
2015年度真学校修了から1年を経て現在も変化し続ける二人が、自らの体験を生かしスタッフとして参加します。頭脳明晰で表現力豊かな二人が紡ぎ出す日々のレポートを、皆さんどうぞ楽しみにしていてくださいね(^v^)
はたしてこれからどんな1ヶ月間が始まることか。天のみぞ知る!
2015年度1ヶ月間の真学校が終わってから、間もなく1年。卒業後、さらなる学びのために木の花ファミリーに滞在し続けていたきたじゅんが、1年間を振り返り、今の想いをシェアしてくれました。
きたじゅんは大手エネルギー企業に勤務中に眼精疲労を患い、休職して第1回1ヶ月間の真学校を受講しました。そして自らの体験を活かし、第2回真学校にスタッフとして参加します!そんなきたじゅんからのメッセージをどうぞご覧ください。
〜 第1回真学校を振り返って 〜
2015年は私にとってターニングポイントの年でした。
年明け早々、眼精疲労の影響で2度目の休職に入った私は、自分ではどうすることもできない行き詰まりに直面していました。自分が今まで信じてきた価値観や考え方を本気で見直さなければいけないと思いました。それにふさわしい環境が自然療法プログラムを以前から実践してきた木の花ファミリーだと思い、1月末に訪問しました。
自然療法プログラムを受ける相談をするため創設者のいさどんに面談をしてもらいました。すると、いさどんは一枚の紙(私の地球暦)を見ながらいきなり話し始めました。
「あなたは何かを始めるときの動機がいつも自分中心で、人の輪の中に入るのが苦手、そして社会性に欠けているね。名前を見ても受け身で濁りがあってねじれているから、今の社会で生きていくことが大変だね。よく今まで生きてこれたね。」
それを聞いてとても驚きました。私のことを何も知らないはずなのにどうして自分の特徴を正確に言い当てられるのか不思議でした。いさどんは続けて言いました。
「でもあなたの大きな特徴は、金星と海王星の結び、そしてそれが冥王星とも連携しているから、女性性、愛、豊かさをベースにした場所を求めている。残念ながら今の世の中にそのような場所はまだないけど、これからやってくる新しい時代の精神性を示す役割が天命としてあなたには与えられているね。」
男なのに女性性がベース?自分の特徴だけじゃなくて天命までどうして分かるんだ?この人は一体何者なんだ?と次々に疑問が浮かび上がってきました。さらに、カルマ読みや家系図について説明してもらいましたが、話についていけませんでした。私が理解に苦しんでいる内にあっという間に時間が過ぎてしまい、最後にいさどんはこう言いました。
「今、あなたは精神病にかかっているわけではないけど、目の病気は物理的な原因より精神的な原因が大きく影響していると私は考えています。だから、自然療法プログラムより2月から始まる1ヶ月間の真学校を受けることをお勧めします。
真学校では自分のことを深く知り、世界観を広げることで、既存の価値観を超えたまったく新しい視点で生きることを学びます。あなたは今年で30歳を迎えますね。30年というのは社会性を示す土星が一周する年です。人は30歳までに自分が何者かを知り、30歳から60歳までの間に本来生まれ持った役割を果たし、60歳以降は自分の歩みを振り返り総仕上げして旅立っていくのです。今まさに切り換えの時期に来ているからとても良いタイミングだと思うよ。」
その時は、話の内容がよく理解できないままで、真学校の中身も全く予想できませんでしたが、今の行き詰まりを解決できるなら、いさどんの言葉を信じて真学校にかけてみようと思い、受講することを決めました。(真学校の中身は真学校体験記をお読みください。)
真学校で学んだことは大きく2つあります。1つ目は宇宙全体の流れから今の時代の人間の立ち位置を把握するマクロの視点です。2つ目は、日々の出来事を客観的に分析することで自分という存在を理解するミクロの視点です。
マクロの視点の具体例は、太陽の一螺旋(25800年)、東西の文明周期説(1600年)、冥王星の周期(248年)などです。そして、今の時代は様々なターニングポイントが重なっており、人間の生き方が根本的に切り換わる時が来ていることを知りました。
例えば、太陽は天の川銀河を約2億2600万年かけて1周する間に約9000回の螺旋を描きますが、その一螺旋は25800年です。太陽の一螺旋には地球と同じように夏至と冬至があり、宇宙的には2012年12月21日に銀河の冬至を迎え、闇のピークから光のピークへ向かうサイクルに入りました。これは価値観の基準が物質的豊かさから精神的豊かさへ移り、争いから調和の時代へ入ったということです。
そんな目に見えない宇宙の大きなスクールの話は信じられないと思う方もいるかもしれませんが、ひとたび世界に目を向けてみると、地球温暖化、テロ紛争、貧富の格差、人種差別など多くの矛盾が発生しており、混乱の極みを迎えていることを感じる人もいると思います。世界に目を向けなくても日々の生活の中で何となく生き辛さを感じていたり、病気、人間関係、お金、家庭などの個人的な問題で行き詰まりを感じている人も少なくないと思います。
私自身、病気が最初のメッセージでした。思い返せば、2012年から目の調子がおかしくなり、銀河の冬至を迎えた年末には仕事が続けられないほど悪化してしまいました。2013年は半年ほど休職し、その後、一度復帰しましたが、結局2015年の年明けすぐに二度目の休職に入りました。こうして30歳を目前に人生を振り返ることになったのも、いさどんが面談で説明してくれたように、土星の周期が関係していました。
このように、地球上で起きていることは問題の大小に関わらず、星と星の関係と連動していることを私は体感しました。ただ意識を少し広げて考えてみれば、宇宙の一部の地球に住んでいる人間、その他の生き物はすべて星と星の関係という宇宙の仕組みの下に生かされている存在だということが分かります。このことを明確に物語っているのが自分を客観的に知るツールの一つである「地球暦」です。
ミクロの視点として学んだ地球暦は、生まれた月日の太陽を中心とした各惑星の配置関係によって、その人の社会的役割を知ることができます。面談の時、いさどんが私の性質を私以上に正確に次々と読み解いていった理由が分かりました。真学校では参加者全員の地球暦を丁寧に説明してもらいましたが、他の人の事例を知れば知るほど、人間は一人ひとりその人に相応しいオリジナルな役割を宇宙から与えているということが実感できました。
他に、自分を客観的に知るツールとして、名前からその人の魂の性質を読み解く「カルマ読み」、名前の単音の一音一音の思念からその人の本来生まれ持った性質を読み解く宇宙物理学「カタカムナ」があります。この3つのツールを生かすことで、自分の人格を立体的に読み解くことを真学校では学びます。
真学校後、私は木の花に滞在し続けて約1年が経ちました。マクロの視点とミクロの視点の両方を意識しながら日々の生活を送っていると、世界で起こっている様々な問題と自分の心の状態がつながっていることを実感します。それはどちらも国の利益、個人の利益を優先することで対立や矛盾が発生し、国際的な問題なら地球温暖化やテロ等、個人的な問題なら病気や人間関係の行き詰まりとして現れるという点で共通しています。
真学校を受ける前の私は自分のことばかり優先する心で生きてきた結果、周りには不調和な空気をもたらし、自分には病気となって返ってきました。そのことに気付いた今は、病気を治して社会復帰することよりも病気を作り出した心と正面から向き合い、健全な状態に組み立て直すことを最優先に取り組んでいます。私一人が健全な状態で生きられるようになれば、一人分世の中が健全になると思います。
このように真学校を通して、自分の病気、世の中の問題に対する捉え方、人生に対する捉え方、人生に対する姿勢まで180度見方が変わりました。今の私の課題は、頭だけの理解から人間性に反映させ、生活の場に表現することです。
この実践を一人で続けることは大変ですが、木の花には互いに心を磨きながら生活を共にする心強い仲間がたくさんいます。だから、縁あって今回真学校を受講する皆さんも安心して1ヶ月間過ごすことができると思います。私も微力ながらサポートさせて頂きます。
皆さんと会えることを楽しみにしています。共に学び、共に成長する濃い時間を過ごしましょう。
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2016年度は日英2か国語での開催となります。
2016年度開催概要はこちら!
みなさんこんにちは!
「1ヶ月間の真学校」事務局のともこです。
さ〜〜今年もやってまいりました!
1ヶ月間の真学校2016!!
自分を変え、世界を変えて時代の大転換を巻き起こす前人未到のプログラムの開講まで、いよいよあと1ヶ月と迫りました。みなさま、心の準備はよろしいでしょうか!?
昨年も数々のドラマがあった真学校ですが、今年は海外からの参加も決まり、なんと日英2か国語で講座を行うこととなりました!
トーマスとテイアは、現在アメリカの大学院でトランスパーソナル心理学を研究し、今後インドネシアのバリでコミュニティを立ち上げることを予定しています。昨年11月に木の花ファミリーにて開催された第9回大人サミットに参加した二人は、もっと学びを深めたい、と真学校へ参加することを決めました。
真学校にはこれまでにも海外からの参加がありましたが、日本語のわかる方であったため、講座は日本語で行われていました。しかし今や、宇宙の真理は国境を越えてぐんぐん広まっていく時代。というわけで今年の真学校は2か国語での提供となり、トーマスとテイアの他にも海外から参加を検討したいという声が届いています。さてさて、いったいどんな1ヶ月となることか!?
そんな中、昨年度卒業生のあわちゃんが、
真学校のスライドショーを制作してくれました!!
1ヶ月間の真学校では、ただ今さらなる参加お申込みを受け付けています。
自分を変え、世界を変える1ヶ月間の旅へ、
みなさまのご参加をお待ちしています!!
この1ヶ月間はあっという間でした。今、みなさんに、この1ヶ月の学びを定着してもらうために何が一番良いのかを考えていました。学校では義務教育の9年、それに12年、16年・・・と学ぶ人もいますが、その学びはみなさんの中ではどのように残っていますか。学んだことの何パーセントくらいを日々に生かしているのでしょうか。学校での学びの多くは知識を学びます。そこから自らに相応しいものを取り入れていければ、全て人生に生かせるというものです。100の学びをして、一律80%の学びを得られたとしても、人によって必要なものと不必要なものを仕分けしているのです。逆に言えば、もし自分が必要だと思うものだけを取り入れていったら、その人は自分の枠の中だけで生きることになります。ですから、不必要と思うものをどのくらい自分の中に取り入れて有効に生かすかによって、その人の幅が広がるものです。
今朝、みなさんがどのよう表情をしてここに来るかを想像してみました。1ヶ月間の学びを終え、昨日の修了パーティーまでの顔と、今日旅立って、日常に戻るときの顔は同じだと思いますか?
みどりーぬ 全く違う。モードが切り替わっている。
いさどん 元のモードに戻ってきているということですね。個人差はありますが、僕がみんなの顔を眺めてみると、元のモードに戻ってきている人と、意外と戻っていない人と、完全に元のモードに戻っている人がいます。では、何のためにこの学びをしてきたのでしょうね。みなさんは真学校で何をやりましたか。
みどりーぬ 心磨き。
いさどん 心磨きはなぜ必要なのでしょうか。
みどりーぬ 物事の奥を観るため。
みへちゃん 幸せで平和な生き方をするため。
いさどん それは誰のためですか。
あわちゃん 世の中のため。
みへちゃん 地球のため。
いぶちゃん 宇宙?
いさどん ハッハッハ。それって、本当に考えていますか?
いぶちゃん 社会、地球ときたので、単純にもっと広いところを言ってみました(笑)。
いさどん そういうのを知識というのですよ。今は、あなたが心から自分らしく想っていることを聞いています。
のりこちゃん 豊かな波動を出すため。
いさどん それは何のために必要なのでしょうか。
のりこちゃん 豊かな波動を出すと、自分も周りも自然な状態でいられるし、天とつながった状態でいられるから。
いさどん 色々とあると思いますが、まず、自分が楽に楽しく生きられることだと思います。そこで、自分を楽しくない状態にしているのは誰ですか。
のりこちゃん 自分。
いさどん その楽しくない状態を生み出しているのは、どのような自分がそうさせているのでしょうか。
のりこちゃん 狭い世界観。
いさどん 狭い世界観とはどのようなものですか。
のりこちゃん 周りが見えず、自分しか見えない。
いさどん もし、狭い世界観で自分しか見ていない人がいるとして、それはあまり豊かな人生を生きられないとしますよね。では、どうしてそのようになってしまうのでしょうか。狭い世界観で自分しか見ることができない生き方をしているのは、本当にいけないことなのでしょうか。
みどりーぬ それは、自分で気付かないうちに加害者になっているのだと思う。
いさどん それは、あなたの場合そういうことがありますね。逆に、気付かないうちに被害者になっていることもありますね。ところで、今、黙っている人たちは、心の中で何を考えていますか。
よこなお 自分のことを言われているのかなと思います。
いさどん 自分の何を言われていると思うのですか。
よこなお 自分のことしか考えていないとか、狭い世界観のことです。
いさどん 今回のこの出会いで、何を学びましたか。
よこなお 自分がいかに狭い世界観で生きてきたか、そのことによって周りに不調和を与えてきたこと。さらに、自分がいかに面倒くさくて性格が悪い人間であるかが良くわかりました(笑)。
きたじゅん 狭い世界観だと、誰も気付かないうちに、周りにも自分に対しても加害者になってしまうけれど、自分の世界観を広げれば、自分の資質や特徴などを知って、それを世の中のために生かすことが出来る、ということを考えていました。
いさどん 自分のために生かすことが世の中のために生かせると今言いましたね。自分が世界を創っている、だから自分のためにやることが世の中のためになる。こういった話は、プログラムの中で良く出てきましたね。それは、自分と向き合った結果の話ですから、個人個人の個性を生かす話ですよね。他の人はどうですか。
たかちゃん 人との関わり合いの中で、その人たちを鏡として自分の心の状態を学ぶ。そして「正直・素直・信じる」を、勇気を持って実行すること。
いさどん それがあなたのこれからのあり方ということですね。他にはありますか。
あわちゃん 僕は・・・良くわからなくなってきました。
いさどん わからない状態でこれからどうしますか。
あわちゃん わからない状態で・・・ブログを書く(みんな、笑)。
いさどん やることはあるということですね(笑)。
あわちゃん 結構良い意味で、わからない状態なんです。
いさどん それはある意味、幸せかもしれませんね。朝、みなさんの顔がどうなっているのだろうかと想像したときに、きっと元に戻っているのだろうと想像してきました。ここで何が言いたいかというと、人はそんなに簡単に変わることはできないということです(みんな、苦笑)。この1ヶ月間、みなさんは自分でその学びを勝ち取ったのではなく、バーチャルな1ヶ月間に誘導されてここまできたのです。ましてや、3日や1週間の学びで人が変わるようなことは普通はないのです。それで今日の最終日をもって、これからが真学校での学びを生かしていく真のスタートだということです。例えば大学まで行くと16年間学ぶことになりますが、そこで社会に出るために必要なものが全て会得できたかというと、そこからがそれを生かすスタートなのです。学校では何か刺激をもらっただけのことなのです。
僕はなぜこうしたことをしているのかをイメージしてみました。今の世の中を見ると、迷っている人が多くいます。迷っているということは、生きることの柱になる考えがないのです。本来の自分のあり方や生きるべき方向、生きる目的につながる真実がないということです。真実は人の数ほどありますが、同時に真実は宇宙には一つしかありません。そのように共通するものなのです。
人間はおかしな生き物です。自分という我を持っていて、その自我が原因となって迷う者です。我を持っているということは、自らをコントロールできるということです。他の生き物は、自らというものをコントロールすることができません。この世界に存在するために与えられた役割のまま生きていくだけです。そこから外れると、他の生き物は全て死ぬことになります。もしくは、環境が徐々に変化する場合は、環境適応という形で変化しているだけであり、それが自分の意志かどうかは微妙なところです。しかし、人間だけはそれを自由自在にできるのです。そして、自らを変えても存在できるように生を与えられているのです。それはある意味高い能力ですが、その能力が自らを苦しめることにもなります。ここにいる人たちだけではなく、人生に行き詰っている多くの人たちのほとんどは、被害者だと思っています。それでは、加害者はどこにいるのかというと、環境や時代、もしくは何か特定のものなどたくさん存在しています。その中でも、一番の加害者は自分自身なのです。大学まで進んで勉強し、社会に出ても、自分というものから抜けられないということです。では、どうしたらよいのでしょうか。自分というものから抜けられずに、そこから迷いの人生が始まる人はたくさんいるのです。
みなさんは1ヶ月間学び、それだけの知識を得ました。本当は、これは知識を得るためのものではありません。1ヶ月間学んだ結果、生きるということはどういうことなのか、この世界の構造はどうなっているのか、自分とは何なのかを学んだときに、自分の外にあるものを自分の中に取り入れていくこと、そして天の智慧をもらい、自らの内に元々ある潜在的な智慧を湧かせることになるのです。そうすると、今までの自我の人生にプラスαを得て、生きていくことになります。ところが、その学びが単なる知識に終わっていると、それは智慧を湧かせるためには使い物にならないのです。この世界が成り立っている仕組みや自らの内から湧き出る日頃意識していない潜在的な智慧を使うと、その人に柱が立つのです。柱が立っていないと、元の環境に戻ると元の顔に戻っていきます。柱というのは自分らしいということですよ。そのためには、わたしは何者か、わたしはどういう性質をしているのか、をまずは知ることが大切なのです。
(いぶちゃんがi-phoneを操作しているのを見て)
ねぇ、そこの人、何をしていますか、話を聞いていますか。
いぶちゃん はい、聞いています。
いさどん そういう姿勢は聞いているとは言いません。確かにそれはあなた流の聞いているということですが、そうした姿勢がこれまでのあなたを創ってきたのですよ。それで今までを振り返ってみてどうでしたか。
いぶちゃん 学んでいないです。
いさどん 学ぶ、学ばないということを聞いているのではなく、今までの人生を振り返ってみて、あなた流に生きてきた結果どうでしたか。
いぶちゃん うまく生活できませんでした。
いさどん でもそれがあなたですよ。うまくできなかったことと自分を切り離していないですか。これからもそれを続けていくと同じような人生が待っていますよ。それは、嫌なことも全て自分が歩んできた道だということです。自分の歩んできた道だからこそ、変えようと思えばどのようにでもなるのです。自分とはこういうものだ、今まではこうやって生きてきたからこれからはこういうふうにしていくぞ、と柱を立てられるのです。自分を理解していないと、歩んできた自己責任の道を環境や人のせいにしていくのです。
みなさんは人間であり生命であり、そして生命は時代と共に生きるのです。そして時代というのも生命なのです。蛙でも1年ずつで死にますが、昨年の蛙、今年の蛙、来年の蛙というように、花でも昨年の花、今年の花、来年の花と命をつないでいるのです。私たち人間も、この時代の人、あの時代の人・・・と古代からずっとつながっているように、世界もそのようにつながっています。つまり、私たちは自分という人生を生きているだけではなく、同時にこの世界をつないで生きているのです。それは、ここで聞いたからそうなのではなく、この世界は実際そうなっているのです。宇宙を生きるということは、毎年季節を迎え、春にすること、夏にすること、秋にすること、冬にすることに付き合いながら生きることです。朝を迎えることも宇宙を生きることです。しかし、そういった大いなる仕組みの中で生きている私たちは今、何を考えているのでしょうか。あれを食べたいとか、これがないと生きていけないとか、その心があなた自身なのです。
全ての生命に平等に太陽は降り注ぎ、自然は万物に循環し、平等に四季があり、平等に一年が経っていきます。その一年はあなただけの一年ではありません。全てと共に時代を創っているのです。みんなが生きる時代が積み重なって、地球の歴史になり、さらに宇宙の歴史が刻まれているのです。真学校の中では、そこまでのレベルに人々が目覚めることをイメージしながらいろいろなことを皆さんに提供してきました。人間はそこまでの意識で生きられるのです。それは当たり前のことです。しかし、人は自らの内側だけに興味を持っていたら、ばかばかしいほど些細なことを考えるのです。
のりこちゃん 焼肉を食べたいとか、日本酒を飲まないとダメとか(みんな、笑)。
いさどん そうなのです。時間の使い方であっても、朝起きて、テレビをつけてただボォ―と観て、一日が終わっていく人たちもいます。それが積み重なって時代を創っているのです。「わたしは世の中なんて創っていない」「世界で起きていることはわたしに関係ない」と言っても、事実、そういったことが世の中を創っているのです。そしてたくさん電力を消費して、原発の電力が要るか要らないかという話になっているのです。それは深刻な話なのですが、そういう人たちによって電力会社が支えられているのです。こうしたものの見方は、視点が変われば当たり前に気付くことであり、そういった視点を持たないと、「焼肉を食べたい」「たばこはやめられない」「お小遣いはいくら無くてはダメ」となるのです。そういったことは全てその人その人の基準です。これは、そのような枠の中に自らをはめているのか、それとも知らない間にそういった枠ができて、その枠の中に閉じ込められているのか、そのどちらにも考えられます。「それが僕の権利で、それがないと幸せに生きられない」という狭い枠の囚われ方もあるのです。枠というのは小さなものから大きなものまで様々にあります。時代の流れまで考えたり、宇宙の彼方まで想いを馳せるといった大きな枠もあるのです。そのどれもが真実です。ですから、自らのスケールはいかようにも持つことができるのです。その結果、あなたの前に、あなたの枠のスケールにふさわしい現象や感情が現れてくるのです。例えば、「生きにくいな」とか、「世の中にろくなやつはいない」とか、「幸せに生きられない」など、一人ひとりの感情をあげたらきりがありません。そのように、一人ひとりは全くオリジナルな人生を歩んでいますが、狭く小さな自分の中に閉じこもって生きていながら、そういった自らを観ることをせず、「わたしの人生がうまくいかないのはなぜなのだろう?」と不可思議に思っている人もいるのです。
みなさんは僕が伝えたいことがわかりますか?そこに気付けた人は、人として生きてきたことの意味をやっと理解し始めた人たちだと思うのです。こんなことは簡単でしょう?ちょっと自らを離れて、自分の言っていることや自分のまわりを観察してみれば、今まで被害者だと思っていたこと、知らない間に加害者になっていたこと、生き辛いと思っていたこの世界を創っていること、時代をつないでいること、一日を刻むこと、一年を刻むこと、死を迎えること、そして宇宙を生きていることが観えてくるはずです。ちょっと視点を切り替えれば、簡単なことでしょう?
今朝、みなさんの顔を見たら、完全に真学校前に戻っている人と、少し戻っている人と、学びが定着している人がいました。それはどういうことかというと、元の自分に戻ったのです。元々この人は既に柱が立っているという人、そろそろ柱が立つ頃だという人、柱が立つために来たという人、それから元々柱が無かったからそこへ戻った人、と人それぞれです。それでは、この学びが必要なかったのかというと、そういうことではないのです。冒頭で話したように、学校教育での学びを得て、そこからがスタートだというのは、その学びを得たからです。昨日まで真学校の学びをして、そして心新たにこれから出発するときに、いよいよその学びを自己コントロールとして使っていくかどうか――、そこからが始まりです。それは、これから取り組んでいくことなので、十分に身に付いていないですよね。それで、元の自分に戻ってしまうのです。それを私たち人間の世界では「無駄」と言い、自然界では「魔」と言います。無駄や魔は、自分の中にあるのです。自分と向き合わないでいると、いつでも魔は差してくるのです。やはり、胸を張ってまっすぐ王道を歩みながら、何のためにそれをやっているのか自らの姿勢を常に意識していくことです。そういった、一人ひとりにふさわしく、自分らしい自覚の柱というものがあるのです。なぜそういう話をするのかという一番の目的は、それがみなさんが自らの歩んだ道を好意的に見ていくコツだからです。「わたしは本当にわたしらしく、存分にわたしを活かし、生きた結果それを誇れる良い人生だった!」と言えるかどうかです。人はいつか死にます。そのときに、「あぁ、つまらない人生だったなぁ、ぜんぜんダメだった」と悔やむことのない生き方で終わるということです。人生の終末を「良い人生だった!」と胸を張って迎えたときに、初めてこの人生の答えが出るのです。ところが今、目の前にある特定のものに囚われて、「これが無いとわたしは幸せになれない」と条件を付けていたら、あなたはその枠の中に自らを閉じ込めている人ということになるのです。
この世界の構造を理解し、時代を生きるという話が真学校のプログラムの中でありましたね。そういったスケールの大きな人になることもできれば、目の前の小さなことに囚われて生きていくことを選ぶことも、人にはできるのです。そしてそれは、自らで長年積み重ねてきたことですから染み付いています。それをどうするかは、一人ひとりの意志です。それが、あなたらしい生き方につながります。その答えは、いつか誰でも死にますから、その時に自らと向き合って、一人ひとりどのくらいのものだったかを確認する時が来るのです。それと同時に、みなさんが生きた結果は時代に反映され、時代が紡がれていきます。ですから、この時代、この世の中は、私たちが創っているのです。それに気付いた人が多ければ多いほど、気付きのように時代は変わっていくのです。自分がその世界を創っているのですから、本当はどこにも文句は言えないのです。大きく広く捉える人であればあるほど、世の中のためになります。それが大きくどころか、考えることもしていなければ、感情のままに自我に翻弄され、その枠の中に縛られ、閉じこもって生きていくことになります。しかし、自分を閉じ込めその枠の中で不平不満を言っている人にも、その人なりの幸せがあるのです。面白い世界でしょう?これが、私たちが生きている世界の構造なのです。この世界は、どんな意識のレベルの人にでも、存在することを認めてくれるのです。自らを辛く苦しめる人にもですよ。
真学校で学んだことは、そのために世界観を広げましょう。自我に囚われ小さいのは、世界が狭いからです。同じ自我でも世界が広がると、「地球は一つ!生命は単独で存在するのではなく、全てネットワークしているのだ。そして、そのネットワークの中に人類も含まれ、自分もいるのだ」と気付くことが簡単にできます。そして、木も草も虫も、私たちと共通したネットワークの中にいるのですから、こうしたものたちが健全である世界は、私たちにも健全がもたらされることは当たり前の話です。しかし、人はどこかで環境などの学びをしないと気付かないのです。
空に月が昇り、朝日が昇ることによって、わたしたちは生きているのです。海の潮の満ち干きは月との関係なのです。毎日新たな一日を迎え、朝が来て、昼が来て、夜が来て、眠くなったりと活動するのも、太陽との関係です。それを全く考えないで生きていくことも可能ですが、日常の繰り返しをどのように観ているか。それが意識レベルであり、それは自由です。目の前にいる子だけを想うのは親の勝手で、感情が湧いてきたら欲しいものを求め、感情が湧いてきたら欲しいように意識表現をする。しかし、そのような生き方は頭を使っていません。それでは動物と一緒です。ところが、動物はこの世界の法から外れたことをしないので、頭を使わなくても有益な存在であり続けるのです。しかし、人間は枠を広く自由に設定してあるので、本来の目的から外れるようにも出来ているのです。ですから、人間は頭を使わないと外れてしまうことにもなるのです。人間は何のために頭を使うのかというと、自己コントロールするために頭を使うのです。動物は頭を使わないようになっているから、それぞれの枠の中から外れずに、この世界をきちんと保ってくれる美しいものなのです。人間は頭を使うようにできています。だから、逆なのです。人間は頭を使って、正しく生きるようになっているのです。動物は頭を使わないで、正しく生きられるようになっているのです。
そうした自己コントロールを身につけて、これからも自己コントロールし続けていき、最後に「良い人生だったな」と胸を張れるのが人生の勝利者なのです。それは、外との戦いではないのです。魔が差すのは自らの内側なのです。自らをよく観察して、自己コントロールをし、自らの魔に打ち勝ったときに人生の勝利が誰にでも訪れます。
そういった人間の目覚めをそろそろ地球上に広げたいと思っているのですが、それは政治の世界で日本の総理大臣が各国の代表者と集って平和を語ったり、環境が悪くなったからといって表面的な取り組みを一生懸命進めるような大きなスケールのことではありません。誰もが日常のふとした自らの心と向き合って、「今、何をしているのだろう?」と思うことです。そういった何気ない小さなことが積み重なって、今の政治を生み、国の代表を選び、そして平和を謳いながらそれが成らない世界を創っているということではないですか。「テレビで報道されている紛争や地球温暖化、原発の話は、わたしには全く関係ない」と日頃思っていることが、この世界を創っていると僕は思います。そういったこと全てが自分のやっていることだと思いませんか。こうした出来事を順を追って振り返って行くと、「わたしはこの世界を創っている問題の元凶だ!」と気付く人もいるでしょう。頭を使っていなければ、自分には全く関係なこととして、自らの意識の行き届く身内や生活の範囲にしか興味が向かないことになるのです。
今回、広い宇宙の仕組みから身近な自我の傾向までの話をしてきましたが、そういった目線を創ることがどういったことを生み出すのかをもう一度確認し、これからのみなさんの歩みにつなげてほしいと思います。それが目覚める(目を開けて生きる)ことであり、そのことを毎日忘れないでいただきたいです。朝起きたときに、わたしは何者なのか。今日の一歩を進めるときに、自らの歩みがどこにつながるのか。それは、私たち人間が幸せになるためです。そして確かに、この世界を創っていくのです。この世界がおろかな世界だったら、私たちの幸せはないでしょう。世界には興味がなく、自分のことだけを考えていることをエゴといい、その元となっているのは自我です。しかし、自我を捨てる必要はありません。それはコントロールすればよいのです。みなさんは、その構造を学んだのです。今、話を聞いて、「そうだったなぁ!」と思い出している人もいると思います。それを毎日持ち続けていくことが大切なのです。僕は毎日持ち続けています。朝起きると、人間とは何だろうと思います。1ヶ月間、毎日それをみなさんに伝えてきました。しかし、それは僕の考えを伝えているわけではなく、この世界の仕組みの観方を伝えているのです。
これはいさどんワールドなので、アカデミックではありません。しかし、僕はこれが本当に道理にかなっている自信があります。今の科学、物理、政治、経済、教育などの現場では、表面的な道理からできています。しかし、これはどう考えても道理にかなっていることです。人はこれまで学問として学びを捉えてきました。それが人間社会に豊かさや優秀さを提供し、この世界を創ってきました。しかし、それは否定することではありません。それをもっと有効に生かすとしたら、やはり道理を理解し、道理を常に保っている人が育たなければならないと思うのです。それは、毎日の地道なその人の意識、活動にあるのです。朝起きたときに、わたしはどう生きるのか。一日が終わって(木の花ではありがたいことにミーティングがありますが)、そこで今日の自分は一日どうだったか。そこでの振り返りには個人差があり、真剣に振り返る人もいれば、みんなの智慧を借りて振り返る人もいます。そして、全体の中から個人の意識になって、寝る前に、今日一日どうだったかと振り返る。それが、一日の「生まれて死ぬ」ことの繰り返しなのです。
こういった生き方を、僕は「充実」と言います。そういった意識をみんなが持ったら、居酒屋やディズニーランドなどレジャーの場所に行っても、「わたしの人生はどうだったかな」とか、「これから世の中をどうしていったらいいのだろう?」という話題がたくさん出てくるようになると思います。自分がどう生きたかということが、どのように世の中に反映されているのか。人々は自らを通して振り返るようになるでしょう。
僕は日々そのように思うのですが、人間と付き合っていくと、「なぜ人間はこのような生き物なのだろう?」と気持ちが折れてしまいそうになることがあります。それも人間らしくて良いのかもしれませんが、人類はこのまま進んで行くと、そのツケは大きいと思います。3日前、あの東日本大震災から4年が経ちました。アメリカには原発が100基あるそうです。福島の原発事故が起きる前から原発を無しにしようという動きがありましたが、現代の社会はお金で成り立っています。矛盾で成り立っているのです。そうすると、その「反対」という矛盾と、矛盾を「推し進めよう」という矛盾の対立の世界なのです。人間社会は21世紀になっても、戦いの世界だからです。その代表の国がアメリカです。そのアメリカは自由主義、資本主義の国であり、その実体は矛盾によって大きく栄える国なのです。それが今、世界中の国が目指すべき目標の国とされていますが、現在の社会の動かす経済は、矛盾があればあるほど大きくなります。人間はストレスが溜まれば溜まるほど無駄な消費をしますし、争いもします。そして競争が起きます。そういった負の概念が経済を大きくしているのです。ですから、福島の原発事故が起きる前から、「原発反対」と「原発推進」とで戦っていたのです。それが、福島の原発事故が起きたことで、「だからやめたほうが良いのだ」「そうではない。だからこそ、安全なものを作って推進しなければならないのだ」という議論になっています。さらに、それに加えて「安全でも安全でなくても、金になるからやらなければならない」というもう一つのグループもあるのです。原発が壊れたら、またその被害で大変なお金や労力がかかるでしょう。だから、それもビジネスチャンスだからやらないといけない、というようにそれぞれの思惑や事情があって戦っているのです。そこで、僕はどちらの側に立つのだろうかとテレビを観ながら考えていたのですが、マスコミではこのような区分けはしていません。しかし、僕にはそのように人の立場が分かれて観えるのです。僕には世の中の人はみんな、同じ穴のむじなに観えるのです。「何をあなたたちは争っているの?人間って本当に変な生き物だね」と思うのです。
21世紀を迎え、銀河の冬至を越えた今の時代を考えると、そろそろそういった人々がこの時代に現れてこなければいけないと思います。そして、僕は自分がそのような人間だと気付いたときに、これを生きることを人生の目的とするのです。時代を生きるとはそういうことなのです。みなさんにも少しだけ、その大いなる大事を提供してきました。「自分の生きる目的は何だろう?」「世の中ではそれがどのように扱われているのだろう?」とちょっと疑問を持ち、そしてちょっとだけ自分と向き合い、そこに頭を使い、考える。そういったことをみなさんに提供できたとしたら、1ヶ月の学びが確実にみなさんの次の一歩につながると思うのです。それが、自分らしく、柱を立てて生きることです。1ヶ月間の学びが次の一歩を踏み出すときに元に戻ってしまうならば、あなたは何のためにこの時間とお金を使ったのでしょうか?ちょっとだけ違う自分に変化して、次の一歩に生かしてもらえたら、私たちもこのプログラムを提供して良かったと思います。
一ヶ月間の真学校もいよいよ終盤をむかえ、最後のまとめとして、12日と13日の午前の時間を使って一人一人の学びの振り返りをしました。初めにいさどんから以下のような話しがありました。
「どんなに人間が科学物理の世界を広げたとしても、神とつきあわないで人間の歴史があったことはありません。しかし人間は、神を見失い、神や真実を怪しむようになりました。人間の中に、神や真実の世界が定着しておらず、揺るぎない柱が立っていないので情報の洪水の中で、見えない世界に対しての迷い人となっているのです。迷い人たちが作り上げた現代社会は、矛盾の生産工場になってもいるのです。
人々の興味は自らの自我に向かっているのです。しかし、真学校では、最も大きな世界から自らに向かってきて、初めて自らが見えるというように、自分が世界の中心ではないことを学びました。みなさんが次のステージに立ったときに、真学校で学んだ客観視点で何を観るのか、それが一人一人のこれからの歩みで、真学校の本当のスタートなのです。」
そしてしばし、一人一人がここでの学びと、当初の目標が何だったのかを振り返る時間を持ちました。ここで、いさどんがみんなに伝えたことは、
「真学校は一人一人に伝える講座としてやりました。それは一人一人歩む道が違うからです。しかし、その本質はその、一つのことを伝えました。それはこの世界が一つだからです。」
それから丸く座り直し、振り返りの時間が始まりました。
「生き詰まっている人は、自らの望みを叶えようと奔走します。つまり自らを特定の枠の中においておこうとする人です。それを手放すと人は変わっていきます。
生きる事は一人一人オリジナルな旅をしている人生はバイキングのようなものです。みんなが自由に心をオープンにして語り合っていく中で、いろんな人のいいと思う性質を自分の人生にトッピングしていくことができます。」
13人の中身の濃い振り返りがあったのですが、その中から、2年前のEDEにも参加し、その後も会社に勤めながらも木の花に関わり続け、今は長期滞在しながら心を学んできいるあわちゃんの振り返りにスポットをあててみました。
あわちゃんの真学校に参加する目的は
「自己コントロールして健全に生きる。
真学校が終わって、これだったら僕にとっても心地よく自分の回りも喜び合えるような生き方を見つけること」というものでした。
以下は、今回の振り返りのいさどんとあわちゃんの会話です。
いさどん: あわちゃんは元々生きる事のテンションが高い人。今までテンションが高くなりすぎて壊れて、落ちてということを繰り返していた。テンションが高いのが個性なのだから、そこでテンションが高い状態で自分を他者に生かせるようになったら、あなたの心も満足し、回りにも貢献できる。結構今そこにはまってきていると思うけど、どうかな?最近はぐるぐるというよりも、巧妙に表現して最後は笑いを取って拍手をもらって終わるという感じになっているね。今もぐるぐるしているの?
あわちゃん: 最近はバラバラの思考が若干統合できるようになってきていて、文章にするとまとめられるけど、文章化しないと頭の中でまとめられないという状態です。
いさどん: 頭の中で考えたり、話したりするとまとめられないことが、文章にするとまとめられるということは、そういう役割で生きて行きなさいということでもあるんだね。
今まで先に「これが欲しい」と欲を優先してみんなダメにしてきたけど、わからないけど何かこれでいいんだという安心のもとに進んで行ったら、結果として出会って見えるものがあると思う。
あわちゃん: 自分の場合、「こうしたい、こうなりたい」というのがすごく強いので、それを一瞬一瞬止めていて、普段日常のことから積み上げていった結果が、ああいったシェアーとかブログという形になっている。僕の人生自体、真学校が終わった後どうなるか分からないから、とりあえず今常に自分の心にあるものを前に送り、その結果いろいろいただくので、いつもだとそこでバーンと落ちるんだけど、それを文章で表現するということで落ちる前に上手く循環できて、コントロールする感覚が得られてきていると思う。
いさどん: あわちゃんにはもう一つ聞きたいことがあって、ここまでは「自分がどうするか、自分の心の状態をどう掴んでいるか、そしてどういった姿勢でこれから望んでいくか」という話しをしたでしょう。木の花にいるいないに関係なく、その先にある社会という器に対して自分の目標やイメージはあるのかな?
あわちゃん: 大きなものは今あえて考えていません。狙わない方がいいと気がついたので。
いさどん: 最終的なイメージとしてその人のスケールで社会に貢献していくこと、よりよい社会の成り立ちに貢献する自分につながったらいいと思うので、そういうイメージは持っていたらいいね。
あわちゃん: 僕が何も狙わずににシェアーをした事を受けて、ともくん(ヘルパーさん)が「僕も勇気をもらったからやってみるよ」と言って自分の事をシェアーしてくれたのは、すごく嬉しかった。狙ったわけではないけど、結果的に僕自身のうまくいってないところを出すことで、同じような想いをしている人たちが勇気をもらって歩んでいってもらえる、そういう感じが僕の役割なのかな。
いさどん: 社会に貢献しているね。今までは、あわちゃんが「こうなりたい、ああなりたい」と言っているのを見ると、あわちゃんだけの世界で勝手にやっていて、孤立しているという感じだったけど、ともくんが反応したということは、共感出来るものが発信されているからそうなったんだよ。とりあえず自分が思うところをやった結果、答えがちゃんとそこにある。自分が行動したから起こったことで、流れや出会いによっていただいたことでもある。
ここで共通しているのは、21世紀の始まりの今の時代を生きているよね。今の時代はすごく分かりやすくて、日本でいったら江戸時代なんていう時代は同じ様な変化のない時代がずっと続いていて、わかりにくかった。
例えば江戸時代と明治維新というのは、時代は変わったけどそんなに意識は変わっていない。あの時代は国を開けて外と自分たちを比べる時代が来たから激しい変化のように見えるけど、人の意識は武士から日本帝国軍兵士に変わっただけで、武士道はそのままで、その元にある意識は変わっていない。
でもこれからの時代は日本人が日本人でなくなり、世界人になる。そして地球人が宇宙人になる時代だからすごく変わる時代。そういう意味で情報を提供してきたけど、太陽が一螺旋して銀河の冬至が来たとか宇宙的にも、地球上の時代の流れ的にも、また環境的にも変化の時をむかえている。哲学とかイデオロギーとか宗教が元になっていた制度が限界に来ている。そういったいろんな意味で切り替えの時が来て、ものすごく大きな変革が来るとしたら、一人一人がどこかでそのことを意識し始めている。そのためには誰もが変化していく必要がある。
あわちゃんは、どちらかというと独りよがりで自滅するという、社会にとって有効なのか無効なのか分からない様な存在だった。しかし、あなたの個性が生かされて社会が転換していく役に立ったとき、一人が一人の人生を作っていくという以上の大きな意義が生まれる。その両方をみんなには考えて欲しい。真学校はみんなにそういったことに目覚めてもらう場所でもある。単に「個人の目標を見つけて良い人生を生きましょう」というセミナー的な発想とは違うと僕は思っています。その意識を社会的に持って欲しいということ。これはあわちゃんだけでなく、みんなに伝えたい事です。
そうすると自分の目標のスケールが大きくなって、心の尺度も大きくなり、柔軟性も増す。例えば社会で起業して成功するのは何のためなのと考えること。それは成功するためにはどういう人であるべきなのかということになって、どんどん人が大きくなっていく。起業して成功するということだけだとお金があるかないか、規模がどうだとか、考えていることは自らの利益のためだけ、そうすると新しい社会にとって新たな害をもたらす事にもなる。そうすると時代が転換することにはあまり有効なものにはならない。
あわちゃん: 真学校の13人のコミュニテイーってこれからの時代の超スモール版だと思う。これ自体、時代の流れに沿ったものであれば、ここで学んだ事を社会とか地球に広げるだけで、良いのかなと思う。
いさどん: たかだか一人の人生ですよ。そして一人一人がこれからどう生きて行くかということは、小さく見えるけど、そういったものがネットワークしてこの世界が出来ている。それは地道な話しであるけれど、それがネットワークすると、個人意識だったものが宇宙人になるぐらい、時代をにない創造していく人になる。それはすごくダイナミックで大きな話しにつながる。カタカムナで言う「カ」という最極微少粒子が、この巨大な世界を作っている。小さければ小さいほど連携して振動しこの世界を作っているとしたならば、このネットワークは「あっ」という間にわ~っと広がる。アマハヤミだから。「大きい」は「小さい」が創造している。
最近のあわちゃんは、まだまだ荒削りだし未熟で、これからも探求とか自己コントロールがいるだろうけど、日記を止めて単独の行動としてブログという形でみんなを楽しませていることを、いい意味であわちゃん流にはじけていると思って見ている。
「ルールは日記の中から、コメントもらって振り返れよ」なんて、そんな狭い枠に閉じこめるんじゃなくて、いい意味でどんどんはじければいい。
みかこ: これが、無個性になる道じゃなくて、クセが個性になっていって害から良いものを回りに与えるといういい例だね。
いさどん: ひとりひとりの個性の花を開くというのが、「コノハナ」の意味。
よしてる: 「個人の花」という意味?
みかこ:(絵を描きながら)
「コ」はカタカムナのムナヤコトのコで、深い意味があって、「くり返し」とか「転がり出る」「超える」などの意味がある。潜象界(現象界の元となる多次元世界)から常時生命力がわき出してくること。それがこの世界に伸してくる。次々と転がり出たものが、この世界に生み出された個性なんだよね。それが個人の「コ」でもあり、大宇宙の中に小宇宙がとびだしたということでもあり、「コノハナ」というのは飛びだした個性が花のように開いてバランスを取り合って曼荼羅を作っているという意味。
ホワイトボードの絵
いさどん: コノハナというのは宇宙を歩くそれを理解した人たち。我々がそういうことを理解してこの世界に生きるということは、宇宙(時代)を歩くことを理解し、個人を存分に発揮しながらこの世界を創る人々という意味。イメージはそういった宇宙意識を持った人たちが宇宙空間(時代)を歩いている。(ここでナンバ歩きの動作をする)
そうすると気持ちが落ち着いて、存分にコ(個人)の花を咲かせられる。そうすると自ずとあなたのポジションが見えて来る。
あわちゃん: まだ荒削りなのは重々解っています。
いさどん: その典型的なのは、あなたが良く語る「もてる」という話しだよね。「もてたい」という心があるのは荒削りで、「もてる」というのは「もてたい」じゃなくて魅力的な人になればもてるんだよね。しかし、自分に似合わないものにもてたら困るでしょ。やっぱりふさわしいところでもてる事が一番だよ。そうしたら、落ちるところへ一度落ちて、そこからもう一度積み上げることだね。
この世界にいろんな花があるとすると、そのものらしく咲いているということは、その花が必要とされているということです。
みかこ: 最近のあわちゃんをいいなと思うのは、天の意志とつながりだしたから魅力が出てきているんだよね。あわちゃんは今まで、ほかの人に好かれたい。でもみんなが天とつながらないところで連携して全体で外れていくという世界をやっていたんだね。みんなが中心の意志とつながり始め一人一人に柱が立つと、世界に花を咲かせるということになると思う。柱が立った人たち同士で連携していくと、お互い魅力的だなと思うのが当たり前の世界なんだと思う。
いさどん: (ホワイトボードの図参照しながら)
この一個一個が個性でしょ。こういった個性が存在することが自らの位置を理解する客観だよね。この一個のものがどう生きるかということは、そのものの物語なんだけど、一つ一つ全体の関係性の中で役割があるとしたら、全体の物語を紡ぐ役割があるということ。それはこの時代の盤面から離れないと解らない。それが客観背後。直観はこの中心の柱からもおりてくるんだよ。
みかこ:今は世界全体が中心の意志の柱を見失っていて、全体で横にそれていっている状態。ネットワークも悪いネットワークになっている。しかし、このネットワークに中心の想いの柱が立ったら、全体に良い流れになるね。
いさどん: というように、客観背後まで捉えても、我々は最も身近に単独の自分というエゴをもらっている。常にそれを主役にしながら、同時にこの大きな世界を意識していく。そしてこの両面を意識していれば、自らの中にいる自分は必ず生かされるものです。
真学校を受ける中で、確実に大きな変化があった人の一人があわちゃんでした。それがこの振り返りに現れていて、大きな世界観にまでつながったのでしょう。
最近のあわちゃんブログには、地球外生命が登場して、いろいろな鋭いコメントをしています。その名も「あわりーぬ」。是非こちらも見て下さいね。
★あわちゃんブログのアドレス
http://ameblo.jp/awari-nu/entry-12002725233.html
http://blog.livedoor.jp/anumakatak/
あまりにも充実した日々が過ぎみんな多忙で
しばらく真学校ブログの更新がありませんでしたが
先週の土曜日1ヶ月間の真学校が終了しました。
涙あり笑いありの修了パーティーも終了し
真学校受講生はそれぞれの人生の道に帰っていきました。
今までの講義や修了パーティーの様子は順次本サイトに
掲載される予定ですのでしばらくお待ち下さい。
一足お先に修了パーティーの一部の出し物であった
真学校の修了パーティーで受講生が書いた物語を以下にご紹介しますね。
真学校で起こった出来事を元に受講生のあわちゃんが創作した内容になっています。
ーー以下物語ーー
そう、ここは、天の川銀河系、M78星雲、第3惑星の地球。ほー、なんとも美しい惑星だな。
今、この地球上で、人類史上、かつてない画期的なプログラムが行われているのだ。
その名も、「木の花塾「1ヶ月間の真学校」」。
怪しい。「真学校」ってなんなんだ。
内容は、なになに
「すべての出来事は、目には見えない大いなる時代の流れから生まれています。目の前で起きている現象だけを捉えれば問題ごとに思えることも、その背後にある、この世界を生み出す側の視点に立った時、それはまったく違った意味を持って見えてきます。そして、壮大な時代の流れに沿い、人として生まれてきた役割を果たすための叡智が湧いてくるのです。」
うん、よく分からない・・・
あっ、申し遅れました。僕は、「地球外生物あわりーぬ」です。基本的に体はありません。地球から10の64乗km離れている惑星に住んでいますが、1秒で地球までやってくることができます。人間界で言うと「思念」「想い」というものです。あれっ、もしかして、「真学校」より僕の方がよっぽど怪しいって??
まーそれは横に置いておいて、今回はこの「あわりーぬ」が真学校に潜入して、このプログラムで何が起こっているのかこの目で確かめてみようと思います。
皆には、これからこの真学校で起こっている事を紹介するね。
ちなみに、僕は人間界にいるときはこんな姿をしているよ。
可愛いでしょ。
この写真の前列にいるのが今回の真学校の受講生達だね。バックグラウンドも個性もバラバラな14人なようだね。しかも今回の真学校の受講生の14人のうち6人が木の花ファミリーが提供している「自然療法プログラム」の卒業生なんだ。そもそもこの地球は今、健常者もみんな病気みたいなもんだから、みんな病気をこのプログラムで治しに来たのかな。
あっ、早速何か始まってる。もう授業も終わったはずなのに受講生の二人が部屋で真剣に話をしているよ。
—-ひとみ刑事出動の巻—-
真学校受講生のやまちゃん:(やまちゃん正座しながら悩んでいるような難しい顔をしている)渉君、折り入って相談があるのだが。僕は今真学校の講義を受けていて、内容が頭に入って来ないんだ。
真学校受講生の渉君:なんでだい?
やまちゃん:うーん・・・いつも講義をしてくれる、木の花ファミリーの創設者でもあるいさどんのことなんだけど・・・うーん・・・だって、いさどんお腹が出ているじゃないか。
渉君:(予想外の言葉を聞いて一瞬思考が停止する)・・・お腹が出ている?
やまちゃん:そうだよ。僕は、そんないさどんは信じられないんだ。だって、ここは菜食主義をしていて、毎日規則正しい生活をしているんだろ。授業でも、素晴らしい生活や食の話しをしているじゃないか。なのにいさどんはお腹が出ている。それはおかしいよ。言っている事とやっていることが違うよ。だから僕はいさどんが信じられないから、いさどんが講義をする内容も頭に入ってこないんだ。
渉君:なるほど、お腹が出ているか。やまちゃん随分鋭い視点を持っているのだね。僕自身も皆から、料理包丁のような鋭い切れ味を持っているとよく言われているけど、そのことには気づかなかったよ。いさどんのお腹が出ているか。本当だ。いさどんお腹出てるよ。それ、おかしいよな。でもな、やまちゃん、今の僕から言えるのは、とりあえずいさどんのことを信じようと信じまいと構わないから、講義の内容だけは聞いておきなよ。折角授業を受けているのだし内容は結構面白いし。
(突然パトカーのサイレンの音が聞こえる。ウーーーーーーン、ウーーーーーーーン、ウーーーーーーーン)
そのあと、隣の部屋との間仕切りになっていたふすまが突然開く。
(ガラガラガラーーー!!)
丁度体調を崩して隣の部屋で寝ていた木の花ファミリーメンバーのひとみ刑事が突然やまちゃんと渉君の部屋に入って来たのだ)
ひとみ刑事:なんだか、気持ち悪いよその会話!!!いさどんのお腹が出ているのはねキャラクターなの。いさどんはちょっとぐらいふっくらしてる方が可愛いでしょ。
(やまちゃんと渉君はびっくりしすぎて腰を抜かしているが、構わずひとみ刑事は続ける)
ひとみ刑事:そもそも渉君、そんなアドバイスをするなんて無責任だよ。渉君は割り切ってやっていてもいいかもしれないけど、それをやまちゃんにアドバイスするのはやまちゃんのためにならないよ。それにやまちゃん、いつまでもタバコを吸っているなんて・・・(ごにょごにょごにょ。その後しばらくの間機関銃のようなひとみ刑事のトークが続いていった。)
—-ひとみ刑事出動の巻終了—-
はっはっ、いきなりこんなことが起きているんだね。皆真剣だ。1ヶ月間共同生活をしながら学んで行っている様だしこれからが見物だね。
—-活性液爆発の巻—-
あっ、今度は講義で木の花菌を元に活性液を作ったようだね。なんだか楽しそう。
農業からお掃除まで、微生物くんたちの力で何でもござれのこの活性液、発酵するためには温度が必要だということで、昨年のEDEの講座では受講生が抱いて眠ったら、発酵しすぎて夜中に大爆発したらしい。
そんなわけで今年は安全対策に万全を期して、ペットボトルも大きく頑丈なものにして、発酵場所もお風呂場にしたようだけど・・・
今年もやっぱり大爆発
爆発したのは、ぶんちゃん、わたるくんペア製作の活性液。
普段はそんなことはないようだけど、それだけ真学校生のエネルギーで微生物くんたちも活発になってるみたいだね。ここでちょっと、微生物くん達になんで爆発したか聞いてみようかな。
あわりーぬ:ねーねー、微生物くん、今回も見事に爆発したんだね。でも、いつもはそんなことないようなのになんで今回こうやって爆発したの?
微生物くん:ふふふ。だってね、この活性液の制作者のぶんちゃんのエネルギーがすごかったんだよ。ぶんちゃんがそれを分かっていたようで、マイナスイオン系のわたる君がお世話をしてくれていたんだけど、やっぱりだめだったね。もう自分をどうしても開放したくなっちゃってたまらず大爆発しちゃったよ。
あわりーぬ:なるほどー!ぶんちゃんはもしかしたら、そうやって開放を促すような存在なのかもしれないなー。今度僕もあやかりに行こ〜♪スキップスキップランランランのあわりーぬです♪
—-活性液爆発の巻終了—-
あれっ、今度は真学校受講生のみんなで真剣に話しをしているな。何を話しているんだろう。
—-誕生会の出し物の巻—-
よしてる君:うーん、僕はね今回の誕生会の出し物の企画には参加しないよ。
みんな:・・・
のりちゃん:なんで?ヨシテル君は何を考えているのかよー分からん。何か考えがあるなら言ってくれないとみんなには伝わらないよ。
よしてる君:うん、僕はみんなに何かを伝えたいわけじゃないんだ。ただ、客観的かつ冷静に捉えて、さらに客観背後も意識しながら地球人類いや宇宙全てのことを意識しながら、ただ情報として話しているだけなんだよ。
みんな:・・・
みどりーぬ:めんどくさ!!ただ、シンプルに皆で出し物の事を考えればいいんじゃないの。
たかちゃん:うーん、でも、僕はよしてる君が言っている事はよくわからないけどわかる気もするな。彼がなんでそんな投げかけをしているかみんなで考えてみようよ。
いぶちゃん:(心の中の声:あー、お腹すいたなー。今日のおやつなんだろう。私あのブルーベリーが入ったパンみたいなもの好きなんだよねー。)
渉君:そうだね、考えてみようよ。
のりちゃん:あわちゃんはどう思うの?
あわちゃん:僕はなんだか分かる気がするよ。皆からやる気が感じられないんじゃないかな。やっぱり皆で出し物をするんだし、しかも誕生会でメンバーの人達への感謝を表現する必要もある。更に、この出し物をするということは表面的な事で、この出し物をするということを通してみんなの心の成長を促す事が本来の目的だからね。そう言った意味でも、よしてる君の投げかけは意味があると思うよ。
ぶんちゃん:はー、この男達は面倒くさいね。そんな面倒くさいことを言っていたら、ずっと女の子にもてないよ。もうちょっとシンプルに考えて、女心も理解していかないとダメだね。
よしてる君:いや、僕は女性にもてるもてないなんてどうでもいいんだ。ただ、宇宙の真理を体感して宇宙と一体になり・・・(その後数分よしてる理論が続いていく)
なおちゃん:なんか私胃が痛くなってきた。そんな難しい話しを聞くと訳分からなくなってくる。
みへちゃん:私、ちなっぴーになりたいなー♪
みんな:何?突然・・・
やまちゃん:おー、おー、おー、ここらで僕の美声の登場かな。
きたじゅん:じゃ、僕は得意のギターで参加だ。
ゆかりちゃん:うーん、皆についていけない。グルグルグルグル。
よこなおちゃん:私はー、ここで自分壊しをしたいな。
みんな:いーじゃん!!
皆バラバラながらも、一生懸命やってるなー。僕も仲間に入りたくなって来た。ところで誕生会の出し物はうまくいったのかな。
はっはっ、この様子だとうまくいったみたいだね。
—-誕生会の出し物の巻終了—-
今度は畑でみんな何かをやっているね。
—-じゃがいも定植の巻—-
じゃがいも定植しているんだね。みんな楽しそう。そして作業後は、やっぱりみんなでカタカムかー。
みんな:ヒーフーミーヨーイー。イー。マーワーリーテーメークールー。ルー。ムーナーヤーコートー。トー。・・・(最後までカタカムナを歌い終わる。)
こうちゃん:みんなちょっとずれてたねー。まーそれもそれでいいよね。
よしてるこうちゃん:へへー、みんなカタカムナズレ過ぎ。へへー、へへー、へへー。こちゃんの物まね楽しいな。あっ、楽しいな、楽しいな、嬉しいな、嬉しいな、金神様のお出ましだい。
—-じゃがいも定植の巻終了—-
(突然あわりーぬの中心部からアラーム音が聞こえてくる。)
ピコーン、ピコーン、ピコーン。
あれれっ、なんだかちょっと調子が悪いなー。熱っぽい。体温計で計ってみよう。
(体温計の音)ピピピピっ、ピピピピっ、ピピピピっ
どれどれっ。えーーーーーーーーー!!!!!!!40、7度。こんなに熱があるのは初めてだ。あまりにも皆のエネルギーが高すぎて、僕の体温も急上昇だ。一旦僕の惑星に帰って冷却しないと。
惑星に帰る前に、最後に真学校受講生1人1人と話しをしてみようかな。
まずは誰に話しかけよう。
よし、のりちゃんに行こう。
あわりーぬ:のりちゃん、今回の真学校はどうですか?楽しいですか?
のりちゃん:楽しいですよー。なんだか、何もなくなった感じがするんですよー。楽になった。これでいいんやなー、という感じ。
あわりーぬ:へー、なんか菩薩みたいだね。僕はよくボサーっと突っ立ってるな、とよく言われるんだけど、のりちゃんの変化や心のシェアでは沢山の気づきを得ました。ありがとう。
次は誰にしよう、よし貴ちゃんに行こう。
あわりーぬ:たかこちゃん、真学校はどうですか?充実してますか?
貴ちゃん:(体をクネクネしてウィンクをしてから)楽しいわよー。あたし、ずっと男だと思って生きてきたの。頑張ってきたの。ワイルドになろうとしてきたの。でも、だめだった、苦しかった。だからもう、ワイルドにならなくてもいい、そう決めたの。そしたら、目覚め始めたの。
あわりーぬ:(ちょっと汗をかきながら)あっ、あっ、そうなんだー。何に目覚め始めたのかな。でも何にしろ目覚めるというのはいいことだね。これからも応援してるよ。
次は誰だー、よし、みどりーぬに聞こう。
あわりーぬ:みどりーぬちゃん、真学校はどうですか?満喫してますか?
みどりーぬ:ちょーー楽しい。目から鱗って感じやね。今まで人にカウンセリングをしたら相手に引っ張られて自分の体調を崩してしまったこともあったけど、これからは違うわ。これから娑婆に戻ってどうなるかワクワクするよ。
あわりーぬ:みどりーぬちゃんは愛の人だもんね。そんな優しさを地球上にふりまいてくださいねー。
よし、次は誰にしよう。よこなおちゃんにしよう。
あわりーぬ:よこなおちゃん、真学校はどうですか?
よこなおちゃん:うーん、楽しいかな。はっはっ。でもね、私いっつも物事をネガティブに捉えてしまう癖があって分かっていても辞められないんだー。でも、その癖に今回の真学校で気づき始めてようやく新しい一歩を踏み出そうとしているのかな。
あわりーぬ:そっかー。よかったねー。焦らなくて良いもんね。一歩一歩やっていこうねー。
よし、次は誰にしよう。途中で真学校を辞めてしまったやまちゃんに聞いてみようか。
あわりーぬ:やまちゃん、真学校はどうだったかい?
やまちゃん:(腕組みをしながら)うーん、「心磨きの大事さ」を教えてもらうことができたよ。でも、僕は僕の気持ちに嘘をつくことができない。だから出ていく。
あわりーぬ:そうかー、それが今のやまちゃんの正直なんだね。また何かあればいつでも帰って来てねって木の花のみんなが言ってたよ。
よし、次は誰だー。いぶちゃんに聞いてみよう。
あわりーぬ:いぶちゃん、今回の真学校はどうですか?楽しいですか?
いぶちゃん:へへっ、楽しいよー。私ね、今までずっと浅い考えしかしてこなかったら、今回の真学校は頭がパンクしそうになっちゃった。でも、私、色々なことを今まで見ないようにしてきたし聞こえないようにしてきたんだと思う。それに気づけてよかった。
あわりーぬ:そっか、そんな大きな気づきがあったんだね。これからいぶちゃんカラーがどんどん出てくるといいね。
次は誰にしよう。奈緒ちゃんに聞いてみよう。
あわりーぬ:奈緒ちゃん、どうだい、今回の真学校は?
奈緒ちゃん:なんかびっくり。私がこんなこと出来るなんて全然思わなかったんだ。いつも私は自分のことをダメな人間だと思ってきたけど、こんなこともできるんだって。なんだか楽しいし楽だよ。
あわりーぬ:へーー、今まで自分ができると思わなかった事ができると気づいた。それこそ世界観が広がって、心磨きをしているんだね。素晴らしい。
次は誰だー。きたじゅんにしようか。
あわりーぬ:きたじゅん、真学校楽しんでる?
きたじゅん:うん、お陰様で満喫させてもらってます。このタイミングで真学校を受講できて、僕はほんと恵まれているなって思います。みんなには心から感謝してます。
あわりーぬ:なんだか最初に真学校に来た時より、背筋も伸びて目もまっすぐ相手を見て話してるね。きたじゅんの変化は皆の希望だね。ありがとう。
次は誰にしようかな。よし、みへちゃんに聞いてみよう。
あわりーぬ:みへちゃん、真学校はどうですか?楽しんでますか?
みへちゃん:うーん、楽しいよー。誕生会の時のちなっぴー役もとても楽しかったー。私はいつも人に嫌われるんじゃないかって思っていたんだけど、そんなこともう気にしなくていいかなー♪スキップスキップランランラン、私はみへっぴー♪
あわりーぬ:みへっぴー、いいね!これからもそんな感じでよろしくね。
次は誰にしようかな。渉君にしよう。
あわりーぬ:渉君、真学校はどうですか?
渉君:はい、思いっきり弾けてますよ。やっぱり盛り上がりが大事ですよ。私は今まで自分の腹のうちを明かさないで来ましたが、今回はどんどん出しました。そしたら、料理をするように人をさばきそうになってしまいました。でも、それが僕の持ち味なんだと思います。
あわりーぬ:わたる君は鋭いですもんねー。これからもその鋭さに磨きをかけてほしいです。
次は誰にしょう。文ちゃんに聞いてみよう。
あわりーぬ:文ちゃん、真学校はどうですか?楽しんでますか?
文ちゃん:楽しいですよー。最初真学校に申し込んだ時はあれっ間違えたかなと思ったけど結果的にはとても良かったです。何事も起こっている意味はその時には分からなくても、行ってみたら気づく事があって学びになるんですよね。全ては鏡であり学びですから。
あわりーぬ:うわー、さすが文ちゃんだねー。僕も勉強になります。これからも色々学ばせてもらいます♪
残るはあと2人。よし、よしてる君に聞いてみよう。
あわりーぬ:よしてるくん、真学校はどうですか?
よしてる君:はっはっ、色々ありながらも楽しんでますよ。この1ヶ月の真学校生活を通して沢山のことを学んでいます。僕はついつい小難しく言ってしまうのですが、これからはもっと愛を持って人に伝えようと思っているんです。(ここで突然こうちゃんの物真似をする)
あわりーぬ:よしてる君も随分変わったようだね。僕はまたよしてる君の鋭い物まねやコントが見てみたいな。楽しみにしてるよ。
次は誰に・・・そうだ、忘れてた、あわちゃんに聞いてみよう。
あわりーぬ:あわちゃん、今回の真学校はどうですか?
あわちゃん:ごほっごほっごほっ、むにゃむにゃむにゃ。熱が40度を初めて超えたー。しばらく潜象界に行ってたよ。僕はまだまだまだ僕を開放できるぞー!!えいえいおー!!
あわりーぬ:あわちゃん、あんまり無理しないでね・・・。でももっともっと開放したあなたを見てみたい。
よし、最後はゆかりちゃんだー。
あわりーぬ:ゆかりちゃん、今回の真学校はどうですか?
ゆかりちゃん:はい、楽しんでます。私は今まで頭の中がぐるぐるしていて、何を話せば良いか分からなくて、正直に思っている事を出せなかったんです。でもこれからは違います。私、出します。どんどん出します。出して出して出しまくります。出して出してダシ巻き卵になります。
あわりーぬ:おー、ゆかりちゃんもそろそろ本気になってきたかな。期待してます。
なんか段々コメントがいさどんっぽくなってきたな。。じゃーやっぱり最後は、真学校校長のいさどんに聞いてみよう。
あわりーぬ:いさどん、今回の真学校はどうですか?
いさどん:今回のチーン学校は(チーン)、今までやれなかったことをあらゆるしがらみを取り払ってやり切っている感じがします。これから時代が変化していく中で、必ずこの取り組みを世間が必要とする時がやってきます。今回の真学校はその先駆けとしてとてもよいものになったのではないかと思います。これからは一人一人の個性が花を咲かせ調和の世界をつくっていく「コノハナ人」の時代です。真学校卒業生がここから大空へ羽ばたいていくことを願っています。ありがとうございます。
あわりーぬ:・・・特にコメントがありません。こめんとなさい。(チーン)
じゃー僕はそろそろ僕の惑星に帰ろうかな。ちょっと寂しけど。
(ふわふわふわー)
あわりーぬは、生まれ故郷の惑星に帰っていった。
んっ?最後は誰が締めくくるのだ?あわりーぬよ、最後まで締めて帰って欲しかったな。まー仕方ないか。では、僕が締めくくろう。
信じる心。僕は信じる心、という意味がよく分かっていなかったんだと思う。今もまだまだわかっていないんだと思う。でも、正直素直信じる、の破壊力は凄まじい。この真学校自体も何の意味があるのか、そして真学校受講生達がこれからどうなっていくのか、それは行ってみなければ分からないし、行ってみれば分かる事がある。
「人は歩みをとめたときに、そして挑戦をあきらめた時に年老いていくのだと思います。この道を行けばどうなるものか。あやぶむなかれ。歩まずば道は無し。踏み出せばそのひと足が道となり、そのひと足が道となる。迷わずいけよ、いけばわかるさ。アリガトー!」
こうして真学校の1ヶ月は光よりも早く過ぎ去っていくのだった。この1ヶ月で皆は何を学び何を得る事ができたのだろうか。今はそんなことを考える必要は無い。だって、今は楽しい楽しい修了パーティー!!これから皆で楽しいゲームをやるから楽しんでいこーー!!
お・わ・り