21世紀の死生観・2 ~ 真学校でもっとも伝えたいこと

午前中の第1部に続く「21世紀の死生観」第2部では、生死の仕組みをひも解きます!


いさどん:
死生観は、私たちの存在にとって、もっとも大切なものです。それでは、さっそくプレゼンテーションに入りましょう。

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時代は21世紀になりました。人間は、長い時の中で様々な時代を紡ぎ、その中で数え切れないほどの人々が死に、数え切れないほどの人々が生まれてきました。それは地球の新陳代謝であり、自然界の成り立ちです。しかし、ではなぜこのように高度な文明を持つ人間に生まれ、そして死んでいくのかということの本当の意味が、まだ人間にはよく理解されていません。そして、生きることの真の目的を見失っているからこそ、今、混乱の時代を迎えています。
21世紀に入ったことにより、人々は、生まれてきたこと、生きること、そして必ず迎える死の本当の意味を知る時代に入りました。それにより、曖昧な人生を生きることから卒業できるのです。

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私たちが生きている状態というのは、肉体と魂が一体となり、生命世界において循環している状態です。循環しているということは、地球生命生態系と連動しているということであり、自らもその一員であるということです。ですから、人間だけが、その利害の上に単独で行動をすることは、慎まなければなりません。地球生態系の仕組みを壊さないように、そこと連動しながら、より地球生態系が豊かになっていくような働きをすることが、本来の人間の価値です。

私たちは、死を迎えると、肉体と魂が分離します。そこで魂はどこに行くのでしょうか。それは、それぞれの魂の意識のレベルにふさわしい次元の宇宙へと還っていくのです。この世界は、今現在私たちの生きる3次元世界だけではなく、1次元、2次元から、4次元、5次元、6次元、最終的には22次元まであると言われる多次元構造になっています。私たちは通常3次元世界にいますが、死ぬととりあえずは4次元の世界へ向かいます。4次元世界には、時間の区切りはありません。ですから、例えば亡くなったお父さんやお母さんと死後の世界で会うことができるのです。魂の縁が近いものたちは、そのように時を越えて出会うことができます。それが4次元世界です。
5次元世界へ行くと、魂のレベルによって分かれるようになります。ですから、肉体を持っている間にどんなに親しくしていても、意識レベルが違えば、5次元世界では共にはいられないということです。この5次元世界までが、通常の人間の輪廻の幅です。
6次元や7次元、8次元、9次元、10次元までになると、銀河を運営するレベルになります。魂たちは、肉体から離れた時にそのままの状態で役割を果たすものもいれば、最終的に悟りのレベルに到達し、この世界と完全に同化します。この世界と自分に区別がない、究極の悟りの状態です。

魂が昇天するとは、魂が微細になり、すべての始まりである宇宙最極小微粒子「カ」の状態に細分化され、潜象界へ還っていくことです。私たちの肉体は、「見える世界」に存在しています。その奥には魂や心などの「見えない世界」があり、その見えるものと見えないものがひとつになって、自然生態系を生きています。そして、通常の私たちの輪廻は、この「見える世界」と「見えない世界」の間を行き来することになります。一般的な宗教のレベルで言われる悟りとは、この「見える世界」と「見えない世界」の範囲の中にあるということです。この「見える世界」と「見えない世界」を、「カタの世界(現象界)」と言います。
一方、カタカムナで言う究極の悟りとは、「カタの世界」のさらに奥にある「カムの世界(潜象界)」を理解することです。「カタの世界」に存在するものが、「カムの世界」へ還っていく。それは、完全に宇宙の大本に同化するということです。

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こういった仕組みを理解するとは、「ヒフミヨイムナヤコト」の宇宙原理を理解することです。そうすると、人間からヒトとしての悟りが開かれ、最終的には、その存在は「カムの世界」へと還っていきます。

肉体は、魂と分離すると、3次元生命世界の循環の中で新しい生命の原料となり、輪廻します。魂も、肉体も、変化の旅をしているだけで、そこに死はないのです。この世界に死はない、とは、どこかで聞いたことがある言葉ですね。「あなたは死なないのですよ」と言う人もいますが、そんなことはありません。私たちは毎日の中で生と死をくり返し、変化し続けています。
ですから、昨日のいさどんは昨日で終わりました。今この瞬間のいさどんも、次の瞬間には過去のものです。常に生死をくり返しながら、生まれ変わっているのです。つまり、私たちが生きている限り、死は常にあるということです。
そして、もうひとつ大きな死が、魂が肉体から抜けるということです。死の理由として、肉体が壊れ、魂の拠りどころが無くなったから魂が抜けるという場合と、今回の生の寿命が来たから魂が抜けて肉体が自然に還るという場合があります。どちらも寿命ではありますが、その迎え方が違うということです。寿命を迎えると、魂はそれぞれに相応しい魂の世界へと還り、また地上に生きる縁によって帰ってきます。肉体は原子のレベルに分解され、次の形の構成物質となっていくわけですから、そういった意味では、私たちの存在にいずれつながり、この世界がひとつの循環の中にあることを表現していくのです。それが大宇宙の実相なのです。

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生きるとは、生命として、肉体と魂の縁を持つことで、地・水・火・風・空という自然の世界の中で、肉体は常に循環の中にあります。そして、常に循環し続ける肉体を束ねているのが、魂です。

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この縦の糸は、天然循環です。天から降りてくる潜象界の「カ」が、縦糸として降りてきて、地上世界の横の循環の原料となります。この横の糸が、自然循環です。これを性の役割分担で捉えれば、縦糸が男性性であり、横糸が女性性です。
ライオンがシマウマを食べるところだけを切り取って見れば、ライオンがシマウマを殺したことになります。しかし、真実はそうではありませんね。こういった自然界の姿は、生命循環の営みとして、食べられる側も食べる側も、それぞれが役割を担っているのです。そこには、善も悪も存在しないのです。

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中心に、今の自分がいます。自分は、両親がいることによって発生しました。両親は、さらにその両親がいることによって発生しました。その両親もさらにその上の両親がいることで発生しました。そのように、この図は延々と広がっていくのです。
面白いのは、自分を1代、両親を2代、その上を3代、4代とさかのぼっていくと、この図は延々と広がっていくでしょう?ではそれだけ膨大な数のご先祖様がいるのかというと、そうではありません。30代ほどさかのぼると、地球上に存在した人間の人口と合わなくなるのです。ですから、この図をずっとさかのぼっていけばある段階で逆転現象を起こし、ご先祖様の数は減っていくわけですが、そうすると最終的にどうなると思いますか?
学問的には、人類の始まりは、アフリカの1人の女性から始まったと言われています。しかし、1人の女性から始まったというのは変ですね。この図をずーっと辿っていくと、進化論的に言えば、猿になりますね。さらに辿っていくと、爬虫類になり、両生類になり、魚類になり、バクテリアのような原始生命にまで至ります。そしてアミノ酸になり、宇宙の生命の始まりに辿り着きます。その材料は、宇宙にあったのです。さらに辿っていけば、宇宙の始まりという、ひとつのところから発生したことになります。あなたのDNAには、その生命の始まりからの情報がすべて入っています。

さらに、あなたが誰かとカップルになり、子どもをもうけたとしましょう。その子どもが成長してまた誰かとカップルになり、子どもをもうけます。そのように、今度はこの図を下の方へずーっと辿っていくと、どこに行くと思いますか?上にさかのぼっていくと、宇宙の始まりに辿り着きましたね。では下は? ──── そう、宇宙の終わりです。ところがその終わりは、ぐるっと1周してらせんを描き、また次なる宇宙の始まりへとつながっているのです。
つまり、今のあなたは、宇宙の始まりと、宇宙の終わりにつながっています。その終わりでは、すべてが宇宙最極小微粒子のカとなり、宇宙全体が潜象界へと還っていくのです。そういった仕組みが、私たちのDNAの中に、情報として眠っているのです。人類はまだ、それを解析できていません。人間の脳の90%はまだ休んでいると言いますが、ではこの90%は何のためにあるのでしょう。そこに、これから宇宙的進化を遂げることになる21世紀から30世紀にかけての人類の脳の使い方が秘められています。それは、アインシュタインのような脳の使い方ではありません。アインシュタインは脳の15%を使っただけです。ということは、人類に、それほどの可能性が秘められているということです。

その未だ使われていない90%の脳は、何かを学習し、知識を得て開くものではありません。それは、天体(宇宙)から降りてくる情報を受け取り、自らの内から湧き上がってくる魂の声を受け取る、縦の動きを司る脳です。今、僕は皆さんにたくさんのお話をしていますが、こういったことを学習したわけではありません。通常、本も読みません。湧いてくることと湧いてくることをつないでいき、そこでつなぎきれない間があった時に、今の新鮮な情報で埋めていくと、そこに法則性が観えてくるのです。
ですから学習をしなくても、皆さんの中にも情報を解析する能力は備わっているのですよ。学習をして暗記をするのは、知識だけを入れることであり、実用的ではないのです。そして知識は、10%の脳の中で使えるだけです。どんなに知識が豊富で学校の成績が優秀な人でも、それを何のために使うのかといったら、結局は自分自身の欲のためだったりするのです。そしてその結果、地球の環境を悪化させ、最終的には自らの価値も落とすのです。

例えば今のあなたが、お父さんやお母さんは大切だ、おじいちゃんやおばあちゃんがいたから自分がいるのだ、自分の一族がいたお陰で今の自分がある、と思ったとします。もっと言えば、自分の国があったから自分はいるのだ、と思ったとします。それは、この図でいうと縦のラインですね。
ところが魂の遍歴を観ていくと、前世、前々世というように、横のライン上にもさかのぼって自分はいます。前世では、今世で戦争をした相手の国に生きていたかもしれません。縦だけではなく、この横のラインにも、宇宙の始まりから終わりまでの情報があり、その中にあなたがいます。前々世では、アボリジニだったかもしれないし、ネイティブアメリカンだったかもしれません。今世では今のあなたの人生があるわけですが、来世でどこに生まれるのかは、今世の結果によります。いろんなことを経験してきた結果、今のあなたがあり、今の経験の結果が、未来のあなたをつくっていくのです。
そのように観ていくと、あなたはどこか特定の場所に所属しているわけではなく、「地球が我が家」ということになりませんか?

ですから、ご先祖様とは、過去に存在したすべての人々がご先祖様です。子孫とは、未来に存在するすべての人々が子孫です。もしくは、すべての生命のことです。先ほど、縦のライン上を受け継がれてきたDNAの話をしました。宇宙の始まりから宇宙の終わりまでの情報が、細胞一つひとつのDNAの中に入っています。同じように、この横のラインを左へずっと辿っていけば、宇宙の始まりにたどりつきます。右へずっとたどっていけば、宇宙の終わりにたどりつきます。「私」という今の自分が、魂の輪廻をくり返しながら、宇宙の始まりから終わりにまで関わっているのです。そして、その織物の糸をつなぐつなぎでもあるのです。
私たちの内にはさらに、目には見えない霊的なDNAが伝承されています。目には見えませんが、霊的なDNAの情報ボックスというものがあり、それを名付けて「宇宙図書館」と言います。そこには様々な情報が整理されており、未だ使われていない90%の脳を使ってそこにアクセスすると、すべての情報が出てくるのです。私たちは、そのような物理的、霊的複雑な仕組みのもとに存在しています。
肉体のDNAの解析と同時に、霊的なDNAにアクセスし、人類の営みを進化させるのが2000年から3000年にかけての人類の歩みです。その中で、物理的テクノロジーも進化していきます。そこに霊的なテクノロジーが重なっていきますから、3000年になるころには我々は今は想像もつかないような世界を見ることになるでしょう。

300年前の我々の先祖はどのように暮らしていたかと考えると、携帯電話など、思いもつかなかったでしょう。テレビの中で人が動くなどということも、考えられなかったでしょう。100年前でも、技術はあったかもしれませんが、現実的にはなっていませんでした。
今、2000年を越えて3000年へ向かう1000年記が始まりました。さて、3000年はどのような世界になっているでしょう。「それは私には関係ない。だって寿命は80年なのだから」と言ってしまったら、関係のないことになります。自分のやりたいことをやって、その後がどうなろうと関係ないということです。しかし、人間は輪廻をくり返します。あなたが今世でやりたいことをやって生きたツケは、来世のあなたに降りかかります。来世のあなたのツケは、来々世のあなたに降りかかります。今のあなたの行いが、ずっと先の未来までをつくっていくのですから、実はあなたのこととしてすべて関係があるのです。なぜなら、魂は消滅しないのですから。
最終的には、私たちは潜象界へと還っていきます。ところが、一切の濁りも歪みもない、すべての根源である宇宙最極小微粒子「カ」でさえ、DNAを持っているのです。過去にどんなものを構成してきたかという記憶が響きとしてインプットされていくのです。ですから、「カ」が潜象界から現象界へと現れる時に、例えば「カ」と「タ」と「チ」が、過去に共に何かをした記憶を持っていて、「カタチ」をつくるのです。
これは、とても壮大な宇宙ドラマです。神が創る宇宙ドラマです。その中で、私たち一人ひとりは、ドラマの出演者です。誰一人、「その他大勢」という人はいません。一人ひとり誰もがオリジナルな出演者として、その役を担っていくのです。

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この図は、1ヶ月間の真学校の中で何度も出てきましたが、おさらいです。
「ある世界」即ち「カタ」の世界と、「ない世界」即ち「カム」の世界を、質的転換(ナ)しながら行ったり来たりしている状態を「カタカムナ」と言います。この図の緑色の矢印で表されているように、現代の物理・化学は、「カタ」の世界の「見える世界」の中だけに意識がある人工の世界です。そしてこの水色の矢印が、宗教です。物理・化学よりは「見えない世界」に意識を向けた自然循環の状態ですが、いずれも「カタ」の世界の中だけで意識が巡っています。それが、カタカムナの世界観になると、「見えない世界」のさらに奥にある「カム」の世界にまで意識を向けた、天然循環になります。
私たちが今学んでいる世界観というのは、6500年前より始まった近代の人類の文明にはなかったものです。それを、西暦2000年を越えた今、学んでいます。そのことを認識してください。
天然循環の認識を持つようになると、人間は地球生態系を超えて、宇宙観という世界観を持つようになります。しかし事実、ずっと昔から現在まで、そして未来も、私たちは宇宙に存在しているのです。やっとその認識を人類は持つようになったということです。
そして、カタカムナ物理学というのは、未だ極められてはいません。今やっと、その探求が始まったばかりです。それは、まだ使われていない人類の脳の90%を目覚めさせていく21世紀以降の人々につないでいくものであり、私たちはその先駆けだということです。大変光栄なことですね。

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この世界に、死はありません。
トキ軸がこのように横向きに進んでいます。そのトキ軸に沿い、ある時点で私たちは生まれます。そして人生を生きます。そして必ず死を迎えます。そうすると、また次に生まれてくるまで「死んでいる期間」に入ります。
生きている間は、魂のレベルの高いものも低いものも、いろんな生命が一緒になって現象世界を生きます。しかしこの「死んでいる期間」に入ると、意識レベルの違いによって分類されます。自らの意識レベルにふさわしい魂のグループに分類されるのです。そしていくらかの期間の後、またある時点で現象世界へと生まれてきます。この図の生死を表している波線は、トコロ軸です。図は二次元ですので波線に見えますが、実際はトキ軸に沿い、らせんを描いています。らせんを描いてトキの上を進みながら、生死をくり返していくのです。

図に、「魂の集合体A」とありますね。これは、意識レベルが同じ状態の魂のグループということです。その中から個に分かれたものが現象世界へと生まれ、人生を生き、死を迎えるとまたふさわしい魂のグループへと還っていきます。
もうひとつ、「魂の集合体B」がありますね。意識が高くなると、輪廻のサイクルから離脱して、世界を運営する側に立ちます。そのような魂のグループがあるのです。このレベルになると、もう現象世界に生まれてくることはなくなります。意識が高くなれば、人間として修業をすることも役割を果たすことも必要がなくなり、天体の運行を司るようになるのです。
ちなみに、現代の人間の「生きている期間」は、日本だと平均80年ですね。中国や台湾も同じようなものでしょうか。アフリカなどの国によっては、もっと短くなりますね。では、「死んでいる期間」はどのくらいだと思いますか?死んでいる間も、トキ軸は進んでいるのですよ。(1万年、数百年など思い思いの数字を受講生たちが答える。)差はありますが、だいたい200年です。何の根拠もありませんが、僕が「何年ですか」と天に問いかけたら「200」と降りてきたから、そう言っています。

「この子は誰々が亡くなった日に生まれたから、その人の生まれ変わりだ」ということを信じていた人がいましたが、それはそのように思いたい人間の思い込みです。人間は思い込むと、勝手にそのように見たがるのです。これは人間のカルマの汚れです。そこは冷静に観ていかなければなりません。その人は亡くなりましたが、あまり良い亡くなり方ではありませんでした。そういったことにのめり込みすぎると、死後も魂の世界で迷い続けることになります。
輪廻をすることは、健康になる元です。元の世界へと還っていくことで汚れをリセットするのですが、囚われが強いと現象世界の中でさまよい続けることになります。そして生まれてくることもできなくなります。先ほどもお話ししたように、魂が軽ければ天へ昇りますが、重くて地上に留まれば、天からまた降りてくることもできずにそこに留まったままになるのです。そうやって何百年も浮遊霊として地上にい続けるものもいます。人間は、そのように愚かなものにもなるということです。
人間が愚かなものになるのはなぜかと言うと、自我が原因でそうなるのです。人間であるということは、必ず自我が伴います。その自我が執着となった時に様々な問題を引き起こし、極限の執着になれば輪廻不能となります。それが極端になると、最終的には魂の再生への道へ進み、地中のマグマの中へ入ります。そしてマグマのエネルギーとなるでしょう。そういった方向へ進む魂たちは、天へ昇るのではなく、地へ堕ちていくのです。

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現代の人は、生きることに対して大きな勘違いをしています。お金と暇があれば好きなことができる。それを自由だと思っています。それが豊かさだと勘違いしています。しかし、お金があって暇があって、好き勝手なことをすると何が起きるでしょう?自我が膨らむのです。そして膨らんだ自我は、さらに好き勝手なことをするようになります。つまり、自らの汚れをどんどん固めていくのです。それを「自分らしい」と思っています。
自分らしく生きて、自分の思う通りの人生を歩む。それがいいことだと思っている人がたくさんいます。しかし実はそれは、自我の中に閉じ込められている状態です。価値観は、必ず対向発生しています。善と悪、陰と陽など、両者は対等なものですが、選ぶ方向を間違えれば災いの元となります。ですから、自らの心を磨き、バランスの良い客観的な目線を持つことが、その判断を正しくしてくれます。そしてその判断のバランスを欠けば、必ず人生は行き詰まるように、天はこの世界を創り、人々にその仕組みを与えたのです。
昨日こうたろうさんが、天はもっとまともな世界を創れば良かったのに、どうしてこんなにひどい世界を創ったのでしょうと質問をしてきました。こんなにも不完全な人間を創らなくとも、最初からきちんと法則に則った判断のできるものを創ればよかったのではないですか、と。これについては、今は解説しません。なぜなら、これは宇宙の精神を表すものだからです。これを解説すると、神の偉大さが理解できるでしょう。

『偏りから、つながることの大切さ(宿命)を学ぶようになっている』とあります。宿命というのは、私たちがつながるようにできています。単独で自らの都合だけで生きてはいけませんよ、という世界になっているのです。「自分勝手に生きてもいいじゃないか」と言っても、世の中があるからそういう我儘もできるわけです。空気が無しで生きていけるのか、太陽が無しで生きていけるのか。私たちが生きているということは、必ず他のものに生かされているということです。宇宙は常に対向発生です。他者と関わり、力を合わせることで宇宙が成り立っているのです。その物理性の根本が、愛なのです。
ところが地球上に、ヘンなものが現れました。そんなに歴史は古くありません。しかし、ものすごい勢いで繁殖し、この世界に大きな影響をもたらしています。それが人間の存在です。「自分が」「自分が」と言って、宇宙の仕組みを無視しているのです。
それでも長い宇宙の歴史から言えば、これもほんの一瞬のことです。今は、人間が自我の方向へ暴走したことにより、人間社会は行き詰まりをもらっています。しかし、天はそういった愚かしい人間の中から、賢い者たちを選抜し、次の時代への準備をしています。今、銀河の冬至を越え、冥王星の248年のサイクルが終焉を迎え、次の時代を担う人々が確実に生まれてきています。ということは、私たちは既に、希望ある時代へと足を踏み入れているのです。

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「死ぬことの大切さ」があります。私たちは、どのような形で死を迎えるのか。それは、どう生きたかの結果、与えられるものです。そして、生まれてきた真実の目的を達成したのかどうか。

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死ぬことの大切さがわかると、生きることの大切さがわかるようになります。生きることは、日々真剣勝負です。生きることが大切になるために、私たちは死ぬことの意味を理解するべきなのです。

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この図は、人間の目のように見えますね。図の左側に行くほどミクロの世界を表し、右側に行くほどマクロの世界を表します。私たち人間は中心にいて、そこから外れていくと、物理的には見えない世界になっていきます。そしてその両極に、宇宙最極小微粒子「カ」のミクロ宇宙と、大宇宙の成り立ちであるマクロ宇宙があります。どちらも肉眼では見えません。
しかし、人間が自らの囚われを外せば、物理的には見えないミクロ宇宙も、巨大なマクロ宇宙も、観ることができるようになります。自分という囚われを外せば、そこでは閃きが湧くようになります。そうなるために、肉の目から見えるものを客観的に捉え、その奥にある「客観背後」の視点を持つことが大切なのです。
私たちは生まれてから死ぬまで、人生をこの目によって確認します。しかし、生まれたところが始まりではありません。その前があったからこそ、生まれたのです。そして死を迎えた時に、そこが終わりでもありません。その先もずっと、物語は続いていくのです。そんな中、自我に囚われていては、肉の目に見えるものしか見えません。もしもその目に色がついていれば、フィルターがかかって見えてしまいます。だからこそ、正確にものを観るために、心磨きが大切なのです。

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この画面に出てくる段階はすべて、マクロの仕組みの中で生きています。私たちは、自らの中にミクロの世界を持ちながら、マクロの仕組みの中で生きているのです。

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「全て」とは、全宇宙です。霊的にもそうです。ですから人間が霊的に目覚めると、宇宙全体である大本の神様の存在を知ることになります。大本の神様を知ることは、実は懐かしいことなのですよ。なぜなら、そこが魂のふるさとなのですから。
宇宙にはもともと、何もなかったのです。八鏡文字で表されるように、すべてのエネルギーがかみ合っている世界では、飽和安定し、何も現象は起こらず、ただ響きがあっただけでした。その響きとは、神の響き(神の御心)です。神様は、何もなかった世界に闇をつくり、自身からもっとも遠いところへ投げました。その時に、この世界に時が生まれ、空間が生まれ、闇の中から遠くに見える光を目指して還っていく道の上に時空が生まれたのです。それがどんどん大きく膨らみ、試行錯誤の結果、現在のような現象世界となりました。そしてその膨らみがピークに達すると、今度は徐々に収縮が始まります。そして、いずれはまた、光だけの世界(何もない世界)へと収束するのです。
すべての生命は、この宇宙の仕組みの中にあります。ところが人間は、高い能力を持つが故に、「自分が」「自分が」と自己主張をして、自らの力だけで生きているのだと思っています。しかし、最終的にはすべてが光へと収束していくように、この世界の仕組みは本来、大本から多様性へと広がり、また大本へ還っていく一体なものなのですから、その仕組みの内で人間の能力を発達させていかなければ、矛盾が起きるのです。高い能力も使い方を間違えれば、今のような矛盾の多い世界をつくることになるのです。

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これは、仏教の法華経の教えです。法華というのは、蓮の花のことです。
「依」というのは人間以外の生命のことです。人間以外の生命は、宇宙の法から外れることはできません。「正」とは、ヒトのことです。能力の高さゆえに、宇宙の法から外れることができます。法から外れるということはエゴによって外れるわけですから、そのことを通して矛盾や痛みを体験し、正しい道を思い出すようになっています。この「依」と「正」は、不二一体で存在しています。私たち人間は、人間以外の生命世界と一体となって存在しているということです。そして、人間が正しいヒトとしての歩みをしなければ、人間以外の生命にも問題をもたらすことになるのです。
これはおよそ2000年前に成立した経典の教えです。その頃はまだ、今のように自然環境は破壊されてはいませんでした。それが近代になり、まさしくこの依正不二が問われる時が来ています。それは、人間が正しく生きれば、この世界が正しく運営されるという示しです。人間には、ヒトとしての、正しく生きる責任があるのです。

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講座の初めに語りましたが、このランキングのポイントは、「自分の心の位置は自分が一番知っている」ということです。
一口に地獄界といっても、その中にもさらにランキングがあります。人間界の中にもありますし、菩薩界の中にもあります。しかし最上階の仏界は、ひとつです。
自分は今どこにいるのか。いつも自分自身を観察できる目を持つことが大切です。感情や欲望に翻弄されるのではなく、いつも冷静な目で自分自身を観られる状態にするために、この図をいろいろなところに貼っておくといいですね。

仏界は天界とも言います。この「あってあるもの なきてなきもの」というのは、いさどん造語です。もしくは、神様造語です。なぜならあちらからそのように伝えられたからです。「あってあるもの なきてなきもの」とは、ひとつの魂のことです。「ある」存在でもり、「ない」存在でもある。神様がそのように言われたのです。私には名はないが、あえて私が何ものであるかを表すならば、私は「あってあるもの なきてなきもの」である。そう言われたのです。
(「あってあるもの なきてなきもの」との出会いについては、『木の花記~金神様の巻』をご覧ください。)

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これは、2000年前に成立した法華経に書かれている宇宙の仕組みです。宇宙は、誕生(成)、維持(住)、破壊(壊)、無(空)、そしてまた誕生、というプロセスを無限にくり返しており、その仕組みを「成住壊空(じょうじゅうえくう)」と言います。それをみかちゃんが図に表し、「蓮根宇宙」と名付けました。蓮根は見ての通り、いくつも連なっています。二次元で表すとこの図のようになりますが、実際はDNAと同じ、らせんです。陰陽がらせんを描きながら進んでいるのです。
蓮根でいうとつなぎめにあたるところが、「空」です。そしてこの「空」が潜象界です。図で見ればこの「空」は単なる点ですが、それは「ない世界」ですから、実は限りのない世界なのです。
私たちの銀河の歴史は、138億年です。銀河は、ある一点から、爆発して広がりました。それがビッグバンです。そして今も広がり続けています。「空」というある一点から、「有」が始まり、それが広がり、ピークを迎え、収縮していって再び「空」へと収まるのです。そして長い時を経て、また誕生します。
これは、私たちの人生も同じ仕組みです。誕生し、人生を生きていってピークを迎え、だんだん収束していき、死を迎えます。先ほど死の期間をおよそ200年とお伝えしましたが、200年が過ぎるとまた生まれてくるのです。ですから、宇宙の仕組みと同じですね。蓮の花は霊的にもとても大切な花ですが、泥の中にある蓮根もこんなことを表していたのですね。

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みかこ:
この矢印は、宇宙の根本に存在する大本の流れです。そこに、一定のリズムによって現象界を発生させるサイクルがあります。

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いさどん:
2000年に入ったということは、それまでの1000年記から価値観が大転換する新たな1000年記が始まるということを、これまで学んできました。これは地球上の歴史だけではなく、天体が示す大転換です。それが地球上の文明や時代の変化と一致しているということです。
中国の「天盤の巡り」では、もはや宗教の時代は終わりを迎えていることを伝えています。人々に悟りを与えないのが宗教です。代わりに御利益をうたうのです。21世紀からは、「白陽期」という庶民の目覚めの時代が始まります。それぞれが自らの内にある価値に目覚め、そして一人ひとりが悟りの道を歩む時代に入ったということです。これまでのように、何かに救済を求める必要はありません。救済を求めているようでは、自らの価値は高まりません。誰もが自我に翻弄されることなく、自らの価値を高め、自分自身を誇れる意識を持って生きる時代が始まったのです。
真学校でお伝えしていることは、皆さん一人ひとりが自分自身を価値あるものとして目覚め、自らの手で自分自身を育てていく人になるということです。その優れた情報が、あなたの肉体的DNAの中にも、霊的DNAの中にも入っています。それが、この真学校で皆さんに最も伝えたいことです。

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人間は、自我の願望を叶え、自我を膨らませていくことが自由で喜びのように思えますが、それが自らを汚し、不自由の中に自らを閉じ込めるのです。宗教のようなものに頼って救われようとすればするほど、自らの道を他者にゆだね、自分自身の価値を上げない者になるのです。これは、真理のカラクリで、宇宙の神様と人間のゲームのようなものです。
どうですか。お金があって物があって暇があり、好き勝手に生きられたらいいと思いますか?人はそのように自らの望みを安易に考えるものですが、それが本当に人として価値のあることであるかどうかを考えたら、それではいけないとわかるはずです。
物もお金も、必要な時に必要なだけあればいい。そして、与えられたものにふさわしい生き方をするべきです。タイのプミポン前国王は、そのことを「足るを知る経済」と表現しました。「足るを知る」とは、あれもこれもと無制限に求め続けるのではなく、ちょうど良い量に「ありがとう」と感謝して生きられる精神です。そして、経済的なことだけではなく、心も、自らの欲に翻弄されるのではなく、ちょうど良い欲の持ち方を身に付けて調整できる人になることです。

その「ちょうど良い」が理解できないと、「たくさんあればいい」という世界になります。そして、楽であることだけを良しとします。「楽」とは「楽しい」と書きます。楽しくなるには、そこに至るにふさわしい過程があり、その延長線上に「楽しい」がなければなりません。「ラク」をカタカムナでひも解くと、目には見えないエネルギーの存在の場(ラ)の自由(ク)となります。つまりそれは、思いの内容により、どこにでもあり、そしてどこにも見つからないものなのです。
ある時、「楽しい」を見つけたとします。そして毎日ずっとそれをやっていくとしましょう。今日は楽しい。今日も楽しい。今日も楽しい・・・のかな?いつの間にかいつもと一緒になり、「楽しい」が当たり前になって、楽しいものではなくなっていくのです。ですから、そこに至るプロセスの中に、「楽しい」がなければなりません。
私たちは、生きていく上で様々なものに出会いながら変化し、学習していきます。つまり、「楽しい」だけが目的ではないのです。その出来事との出会いのカラクリを、宇宙は、私たち一人ひとりにひも解くよう、与えてくれているのです。一方通行に楽になろうとすることは、自らを貶めることになるということに気付かなければなりません。

いさどんは、よく喋ります。では、ここでちょっと、仏像になってみましょうか。

(そう言っていさどんは仏像のまねをし、じっと黙りました。)

皆さん、仏像の表情を思い浮かべてください。仏像は、極めて冷静な表情の中に、喜怒哀楽を表しています。しかし、仏像はあまり親切ではありません。言葉を語るわけではありませんから。面白いのは、仏像が怒っているように見えたり、笑っているように見えたり、悲しく見えたりするのは、自らの心の現れです。自分の心が仏像を通して観えるのです。神社の鏡の示しと同じです。
いさどんは生身ですから、そういう意味では親切ですね。こうして皆さんに語りながら、ポイントの部分ではそれぞれ対象の人に「あなたに言っているんだよ」と伝えています。

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神様は僕に、「私の存在は、あってあるもの、なきてなきものである」と言われました。それはこの宇宙すべての仕組みのことです。まさしくここに書かれている物理性であり、精神性です。私たちはこのように、無限なる、とても豊かな世界に生きています。そして毎日その存在と、生きることを通して、対話しているのです。

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僕が今語っていることは、お釈迦様からいただいた智恵により、生まれてきています。お釈迦様は「ガンジスの河の砂のごとく、衆生はおる」と言われました。ガンジスの河の砂とは、数え切れないほどたくさんということです。それほどたくさんの人々が、この世界にはいるということです。そしてさらに、こう言われました。「そのすべてに、仏性あり」。仏性とは、仏になれるだけの性質を持っているということです。そしてここまでが、仏典に書かれているお釈迦様の言葉です。
お釈迦様は、僕にその続きの言葉を語られました。「ただし、その法のもとに生きた者だけに、仏性は現れる」。
経典には、すべての人々に仏性があると書かれ、その言葉通りに世の中の人々に教えが説かれてきました。しかし、未だに人々に仏性は現れていません。それどころか、仏教を説いているお坊さんたちにすら現れていません。お坊さんは戒律に縛られ、自由な宇宙の法のもとに生きることを忘れているのです。
すべての人々に仏性はありますが、それを悟り現象化した者にだけ仏性は現れるということを、お釈迦様は後で付け加えてくれました。そして皆さんは今、そのための学びをしているのです。

さらにお釈迦様は「仏の悟りは仏のためにあらず。仏の悟りは一切衆生のためにあり」と言われました。優れた者は、その優れた境地にいることが優れているのではありません。精神の高いものは、その高い精神を低い者に伝えることによって、価値が初めて立証されるのです。ですから、意識の高いものであればあるほど、世のため人のために、生涯が存在するのです。
多くの人々は、自分らしく、自分のために、好きなように生きることが大切だと思っています。そしてそうすることで得をしたように思っています。ところがそれはどんどん自我をふくらませることであり、人のためにならないどころか、自らの価値も下げているのです。これもカラクリですね。そこに引っかかってはいけません。神様はいつも、私たちにゲームを仕掛けています。「自らを手放し、私の意志のままに生きなさい」と神様はいつも私たちに示してくれています。そういった高い意識のもとに生きることが、私たちの存在が天と共にあり、神様の御心のままにあるということです。

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私たちが提供する学びのプログラムが「EDE(エコビレッジ・デザイン・エデュケーション)」から「1ヶ月間の真学校」へとリニューアルされ、こういったことを皆さんに提供していくことを始めたのは、今の時代には人々を導くための教えがたくさんありますが、そういったものが折り重なって、現状の行き詰った世界をつくっていることが事実だからです。人々は欲にまみれていますから、どこに行ったら自分が得をする教えがあるのだろう、どこに行ったら得をする人生が送れるのだろう、と、亡者のように損得勘定に翻弄されています。
いさどんは、今から37年前にこの生き方を始めました。それはとてもユニークな生き方ですが、一貫した道理が通っていました。その歩みの途中では、いったいこの道がどこに向かっているのかということは、わかりませんでした。そしてこれからも、現象としてはどのようなことが起きていくかはわかりません。
僕はかつて瞑想中に、自らの体を抜け出し、宇宙空間へ飛び出したことがあります。そして、地球の実態を宇宙から眺めました。その時に、人類が地球のガン細胞であることがわかり、人間の地上での在り様が間違っている、と気付きました。その時から、自分が地上で生きることのすべては、人類が地球のガン細胞でなくなり、人と地球が調和し、すべての生命に私たちが歓迎されるものになるためにある ──── そう思って生きてきました。
今、世の中は本当に先が見えない状態になっています。人々は教育を受け、賢い者にはなっています。しかしその賢さは、自らが得をするか損をするかという損得勘定に使われる賢さです。そしてその精神は、地球や宇宙に矛盾をもたらすのです。宇宙も、地球生態系も、損得勘定で動いてはいません。すべてがひとつらなりの命として、一体の世界を表現しているのです。それは、損得で表されるものではありません。優劣があるものでもありません。

皆さんには、この価値ある生き方に目覚め、一人ひとり自らを誇れる人生を生きてもらいたいと思います。あの、「仏界」から「無明界」までの心のランキングの図を見て、「この低い位置が自分だ」と思うのではなく、「今日はこんなに清らかな日を送れた」「これなら悔いなくいつでも旅立てる」と思える毎日を送る。それが、私たちがこの地球という学校に入学し、人生を通して学び、優秀な成績を取って卒業していくということです。
今日はちょうど、木の花の子どもたちの学校の卒業式です。皆さんも、いずれやって来る人生の卒業式に、「ありがとう!」と言って、希望を持って次の入学へ向かって旅立てるような日々を送ってください。

 

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