1ヶ月間の真学校・第9日目。
「人格を学ぶ講座 基礎編-2」は、いさどんのこんな話から始まりました。
いさどん:
おはようございます。
皆さん、地球が回っていることを、感じていますか?
僕は朝目が覚めて、「ああ、今日も朝が来たな」と思いました。昨日も朝が来ましたね。一昨日も来ました。この調子で行くと、明日も朝が来ます。いさどんの思考はユニークですから、変化するのも単調ではなく、いろいろあってもいいじゃないか、と思うのです。そうすると、この世界で一番単調なのは、時が刻まれていくようすです。
人はそれぞれの意識を持って、毎日時と付き合っています。自分の興味だけに没頭して生きている人は、時を感じることを忘れています。「もう一日たっちゃった」「忙しい」「まだ他にもやることがある」と言って、時のことを忘れて、忙しい状態にいるのです。
「忙しい」という字は、「心」を「亡」くす、と書きます。「忘れる」という字も、「心」を「亡」くすと書きます。「忙しい」とは、忙しくて時の経つのを忘れた ──── つまり、天の法則を忘れたということです。そして「忘れる」とは、人の心を忘れるということです。
個人的な話をします。
僕は朝目が覚めると、「朝が来たな」ということを感じます。朝が来たということは、一日時が動いたということです。ではなぜ時が動いたのかと考えると、僕は、地球が回転している動きを感じるのです。その時に、「天と共に生きている」ということを思い出すのです。
天の心を亡くす、つまり、天とのコミュニケーションをなくすと、忙しい、スケジュールいっぱいの状態になります。それで、ああ、時が動いているな、時と共にあるな、ということを、何かのタイミングで思い出すのです。「思い出す」ということは忘れていたということです。それが元に戻るのです。
皆さん、時々、時が動いているということを思い出してください。スケジュールがいっぱいで忙しい時ほど、時が動いているんだな、ということを思い出してください。私たちがどんなに忙しくても、時は同じリズムを刻んでいきます。カッ、カッ、カッ、カッ・・・これは地球が回る音です。そして明日が来るのです。
どんなに大変なことが起きたとしても、その先に必ず、次の世界がめぐってきます。ですから、忙しくてどうしようもないとか、何か大変なことが起きてもう先がないと思うのは、人間の心です。どんなに自分が認められないことが起きたとしても、必ずそれを取り込んだ先の世界がやってくるのです。
この世界の現象のすべての中心を貫く柱、それを天之御中主(アマノミナカヌシ)と言います。その柱は一方通行です。
過去から未来へ一方通行に進むトキ軸によって、この世界は支えられています。時という柱があり、その法則の下に宇宙全体が動いているのです。そして銀河、太陽系、地球、私たち一人ひとり、その一つひとつを、アマノミナカヌシの分身であるアメノミナカヌシが貫いています。
しかし、人間は忙しいと、そのアメノミナカヌシの存在を忘れています。それは、天の心を忘れ、人間の心も忘れている状態です。だからこそ、時々、地球の動きを感じてみることが大事なのです。地球の動きを感じて、私たちは天と共にあり、生きることをいただいているのだ、というところに立ち返るのです。
忙しい状態で生きていると、心を忘れているわけですから、その結果起きてくる現象も、どこか的が外れたものになります。何かが狂ってくるのです。確実にそうなります。
一方、時の変化を感じ、天の心と人の心が連動していれば、そこで生きていることがうまくかみ合うようになります。木の花ファミリーは、目的を実現しようと努力をしたり、企んだり、こうなってほしいという願望を持つことはあまりありません。ただ、今あるがままを生きているだけですが、出来事や人との出会い、モノやお金の流れなどが、とてもうまいことかみ合っていきます。天の動きと人の動き、アマノミナカヌシとアメノミナカヌシ、それが一致していると、自然とそうなるのです。それは、駆け引きの必要のない世界です。何かを成し遂げようとするための努力は要りません。ただ、心を美しくするための努力をすれば、ことは自ずと流れるようになります。
私たちは、この世界と連動しています。何かしら自分の思惑と違うことを与えられた時、そのことの奥にある意味に気付いたなら、生きることはずっと深くなるのです。
これまでの講座で、現代の世界情勢を観てきました。今、世界は混乱しています。なぜ混乱しているかというと、新たな価値観に変わらなければいけない時に来ているということです。それは時代の要請でもあるのです。
時代が混乱している原因は、もう一つあります。人間の自我です。私たちは一人ひとり自我を持っています。その自我の側に偏っていることによって、世界に混乱が起き、私たち自身が変わらなければいけない時が来ています。
しかし、では人間の自我が悪いのかというと、それもまた時代の要請でもあるのです。時代が要請するということは、私たち人間もその中に共にあるのですから、自我の使い方が混乱を生む方向から、自我の使い方が世界の混乱を収めるという方向に、自らを切り替える時が来ているのです。私たち人間の持つ自我は、とても個性的で、多様性に富んでいます。それは植物や動物のような、単純なものではありません。そして多様性に富むからこそ、そのたくさんの自我たちが連動していないと、世界に混乱をもたらすのです。
この「人格を学ぶ講座」では、人格を学ぶ、つまり自我の中身を理解するということで、まず自分の自我がどういう形になっているかということを学びます。そして、ではどんな自我があるのかという多様性を今、学んでいます。
これは、とても愉快な世界です。何という多様性の世界でしょう。しかしその多様性ゆえに、お互いを理解し合えないと、その多様性が混乱のもとにもなります。一人ひとりの人間が、自分に意識が行きすぎると、自我が強くなります。そうすると天とのコミュニケーションを忘れ、忙しい、忙しい、と生きることになります。そして人の心を忘れることになるのです。ですから、私たちはもっと心に余裕を持たなければいけません。
どうぞ皆さん、時々、この地球の動きを感じてください。朝が来た、でもいいですし、夜が来た、でもいいです。その、一日の動きを感じてください。そうすると、「忙しい」とか「忘れる」のサイクルではなく、人は天と共に生きるサイクルに戻れるのです。