3日目午前「互いを知る」

この講座は、「互いを知る」ということで、まずは2つのグループに分かれ、一人一人の自己紹介をした後に、他のグループに自分以外の人を紹介する「他己紹介」をしました。

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紙に書かれた自己紹介をもとに質疑応答

自分のことを紹介するのは、例え苦手ではあっても自分のことなのですから、何とかネタはあるもの。でも、人の紹介をするとなると、余程その人に興味を持って聞いていなければ、詳しく伝えられません。

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「互いを知る」とは、まず相手に関心を持つことがスタートなのです。そしてそこから互いに理解しあい繋がっていくことで一つになっていけるのです。

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他己紹介をもとに書き出されたメモ

3日目午前「圃場見学」

今日の午前中は、木の花ファミリーの見学ツアーから始まりました。8時半におひさまハウスひまわりを出発し、こうちゃんガイドのもと、本宅、配送センター、養蜂場、ビニールハウス、ニワトリ小屋、畑を回ります。

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冬を越すために、巣箱を毛布で包んで温かくしている蜂小屋。それぞれがそれぞれの役割を果たしながら全体でひとつの生き物のように生きているミツバチの生態は、これからの人類のモデルになる、ということで、木の花ファミリーではミツバチを飼い始めたのでした。

隣りのビニールハウスでは、蜜源植物となるエキウム・ウィルドプレッティの苗を育てていたり ー
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メダカがいたり。
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セロリもすくすく育ってます。
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そしていちごハウスへ。
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赤い実を探して、つまみ食い♪
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続いてキャベツの畑へ。
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人間の役割は、作物が本来の生命力のままに伸びゆくことができる場を整えること。キャベツが何を言っているのかを感じ取り、必要なことをする。農とは、作物と人間の協同作業なのです。
「作物はウソをつかないから、自分のやったことの答えがそのまま正直に返ってくる。そういう意味では人間より付き合いやすいかもしれないね」とこうちゃん。

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今日は気候も穏やかで、見学日和。あちらこちらに梅の花も咲いていました。
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見学後は講義室へ戻り、『互いを知る』のワークショップ。

これから1ヶ月間を共に過ごすのも、いわばひとつのコミュニティ。1ヶ月間を通して自分自身を深く知ると同時に、他者のこともより深く知って、互いを理解しあい、共に生きることを学びます。

 


2日目午後「世界観を広げよう」~固くなったものをやわらかく

午前中の『木の花ファミリー総合プレゼンテーション』に続いて、午後の講座は『世界観を広げよう』。
「わからないことを提供していきます」という初日の挨拶の通り、固定概念の枠を超える情報の洪水に「頭が噴火しそう」と受講生のとしみちゃん。

休憩時間に倒れこむけーごくん
休憩時間に倒れこむけーごくん

それでもけーごくん曰く、「今まで何度かここで世界観のプレゼンを聞いてきたけど、今日が一番深く理解できた」。
それぞれに「何か」を探し求めてやってきた受講生たちの間から次々と質問が飛び出し、講座はとても活気のある場になっています。「脱線の中に真実あり」。そう、質問によって新たなものが引き出され、どんどん脱線して話の幅がぐんと広がることで、思いがけず宇宙の真理に出会ったりするのです。

子どもの時に星空のあまりの美しさに魅せられ、ずっと宇宙のことをもっと知りたいと思ってきためぐちゃん
子どもの時に星空のあまりの美しさに魅せられ、宇宙物理学の道へ進みながら自分が本当に知りたいことは何なのかを探し求めてきためぐちゃん
みんな熱心にメモをとっています
熱心にメモをとり続けます

講座の冒頭、いさどんはこう語りました。
「今、地球は狭くなりました。19世紀までは地球を1周するのは大変なことでしたが、今は無給油で地球を1周する乗り物もできました。それだけ世界を認識できるようになったということですが、逆に、人間の個々の価値観は狭くなりました。そこで広い意識を持ち、世界観を広げることによって、固くなったものをやわらかくしていきます。」

やわらかいいさどん
やわらかいいさどん

それでは、頭の中を白紙にしてお付き合いください。

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いさどんは語ります。
「時代は、生きものです。その中で私たちは、『時の旅人』です。これはどんなに拒否しても、乗車拒否することはできません。死ぬとできるだろうかというと、死んでもできません。我々が存在している限り、この『時』という乗り物に乗っているということです。
私たちは肉体という器を持ち、そこに縁ある魂が乗って、人生という旅をしています。そこで同時に、時という乗り物にも乗っています。一定の時間を過ごし、寿命が来ればみんな死にますね。私たちが死んだ後も、時代は動き続けています。ですからもしも生まれ変わるとしたら、それだけ時代が進んだ先に生まれるのです。そのように人間は、生まれては死ぬことをくり返しています。これを輪廻と言います。人間が生きている時も、死んでいる時も、時は同じように進んでいます。」

「私たちが生きている時、肉体は変化します。それは手に触れ、つかむこともできます。しかし魂は、つかむことはできません。魂は死ぬこともありません。たとえば、(受講生の)よしこちゃんがよしこちゃんであり続けるのは、『よしこ』というプログラムになっているからです。そのプログラムが変わると、もしかすると『わるこ』ちゃんになるかもしれません(笑)。前の人生では別のプログラムを持っていて、その結果として、今世のよしこちゃんがあるのです。そしてこの先、さらによしこちゃんになるのか、或いはわるこちゃんになるのかは、今の生き方にかかっています。」

はたしてさらによしこになるのか、わるこになるのか?
はたしてさらによしこになるのか、わるこになるのか!?

「現象世界には、永遠はありません。しかし、現象の奥にあるものというのは物質ではありませんから、そのプログラムが成立している限り、物語として続いていきます。
今は西暦2017年ですが、僕はよく、3000年までのプログラムが始まったと言います。『西暦3000年なんて私は生きていないから関係ないわ』と思うでしょう?でも実は、そのスケールのサイクルでものごとを捉えている人には、関係があるのです。よく、人々がわかりやすいように『皆さんの子孫のために』と言いますが、それは実は自分自身のためなんですよ。今あなたがその魂で成立しているということは、過去にその魂で生まれてくるような生き方をした結果であり、ひとつの物語としてずっとつながっているのです。」

今現在も、私たちは地球に乗って秒速30kmというスピードで宇宙空間を移動し続けています。自転しながら、公転しながら、歳差運動しながら、微振動しながら移動し続ける地球の動きをいさどんは地球儀ボールを使って解説。こんなに複雑な動きをしながら地球は宇宙を移動し続けており、その動きによって地球上に1日や四季がもたらされ、その中で私たちは生きているのです。

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ここからさらに、話はどんどん深まっていきます。
星の動きと人類の歴史や個人の人生がいかに連動しているかということ、時代と共に北極星は移り変わっており、今絶対と思っているものも変化していくということ、私たちはそもそも「間違い」から生まれているということ、欠けているからこそ存在しているのであり、存在するためには欠けていなければいけないということ、欠けていることを認識するために生きていて、それを認識できるだけの特別な能力を人間は与えられているということ、紙の発明以来人間は平面でものごとを捉えるようになり、良いか悪いか、損か得かという二元思考が生まれたこと、人間の思考が鈍くなったのは余分なことを考えるようになったからであり、その余分を取り除けば自分の中から宇宙の真理が無限に湧き出してくるようになること ──── 等々。
とてもここには書ききれません(*_*)以下、スライドをご紹介しますので、どうぞご覧ください。さらに深く学びたい方は、ぜひ来年の真学校へお越しください♪

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受講生との活発なやり取りで話はどんどんふくらみ、講座時間内に終わり切らなかったため、続きは夜の大人ミーティングに突入。

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大人ミーティングで講座の続きをスタート

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・・・大人ミーティングでも終わりませんでした。

今後は情報量を調整します、と反省を語るいさどんとみかちゃん
今後は情報量を調整します、と反省を語るいさどんとみかちゃん

一コマの講座でこれだけの情報量を消化するのは、そもそもムリ。が、しかし、どれも重要な内容であることには変わりありません。
そこで!スケジュールを変更し、明後日の午後に続きをやることになりました。ここまでは、過去の人類の歩みや現代社会の実態などを見てきましたが、ここからは、その現代を私たちはどう生きていくのか、という内容に入ります。

今、社会の現状を分析して何が問題なのかを語る人は多くいますが、ではそこから実際にどう生きていくのかという代替案に出会うことはなかなかありません。けれども、大切なのはそこからなのです。

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それでは、どうぞ明後日の講座をお楽しみに!

物語は、つづく。

 

 


2日目午前「木の花ファミリープレゼンテーション」

1ヶ月間の真学校、最初の講座は、木の花ファミリーの暮らしや活動について紹介する『木の花ファミリープレゼンテーション』です。

プレゼンをするいさどん
プレゼンをするいさどん

 
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これは、真学校で最初のプレゼンテーションです。木の花ファミリーの総合プレゼンテーションですが、一番最初のページはこんな言葉から始まります。

「人間の求める幸せの結果

僕はよく、このことについて語ります。それは、なぜ木の花ファミリーができたのかということにもつながるからです。
木の花ファミリーは、個人的な目的によって創られた場所ではありません。厳密に言えば、それは目的を持って結成されたとも言えるかもしれませんが、木の花ファミリーが存在する一番の目的は、今の社会がどのようになっていて、それにどのように貢献していくかということです。

人は生きていく時に、それぞれ自らの精神性にふさわしい目標を持っています。毎日晩酌のために一日を過ごしている人もいれば、ギャンブルで当たることを目標としている人もいます。日本には多くの依存症がありますが、ギャンブル依存の中には宝くじ依存症の人々がいます。宝くじを当てることばかりを夢見て、それを目標に毎日を生き、その結果破産する人々がいるのです。
おもしろい話があります。東京オリンピックは、東京都と国がお金を出し合って開催します。東京都の負担金の約半分は、宝くじによる収益です。国も、負担金の約半分を宝くじでまかないます。そしてもうひとつ、オリンピック実行委員会の資金は、すべて宝くじでまかなわれます。
東京都の負担金の半分が宝くじなら、残り半分はどこから来るか知っていますか?そう、税金です。ではその税金はどこから来ると思いますか?都民だと思うでしょう?実は残り半分は、自治体が自治体を運営するための宝くじでまかなうのだと言います。テレビをよく観ていると、宝くじのCMがたくさんあるでしょう。もともと国や自治体の予算も宝くじでまかなわれているのです。それが東京オリンピックの費用に充てられたというだけのことです。

宝くじを買って得する人は、どのくらいいると思いますか?宝くじの売り上げの約8割は、売る側の収益になります。そして残りの2割を買った人に還元します。ですから、打率は2割以下ですね。パチンコと同じで、トータルで得をすることは決してありません。保険もそうです。外資系の保険会社は、人ではなくインターネットやテレビを使って勧誘をします。そうすると人件費がかからないので利益が大きくなり、売り上げの8割以上が収益になる会社もあります。そして、保険に入れば将来が安心だとうたいながら、人々の不安を煽っているのです。ギャンブルと同じように、決して健全に還元されない形でこの世界が回っているのです。

人間が幸せを求めてきた結果、社会に何がもたらされたでしょうか。

人々の中に不安があってそれを解消しようとしたり、あるいは何か目標を持ってそれを成し遂げる時に、その行動は世の中にたくさんの矛盾を生み出しています。そうやって今の世の中は動いています。それは本当のことです。それをわかることです。
もしもそのような矛盾がなくなり、世の中が健全になるとどうなるのかというと、とてもシンプルな世界になります。今の世の中はバブルのように、8割、9割が不要なことで成り立っています。その不要なものをそぎ落としていくと、どのような生活ができるでしょうか。

3月21日に、私たちはロータスランドをオープンします。そこではとてもおいしくて健康な食事が、とても安い金額で食べられます。
食材の多くは自家製のものを使い、建物の建築も7割ほどは自分たちでやっています。一般企業が人件費を払ってお店を運営するとしたら、こんなへんぴな所であんなお店は作りません。もっと利益の上げられる、条件の良い場所を選ぶでしょう。しかしここでは、それができる。なぜなら、木の花ファミリーという暮らしがあるからです。
そこで得る収益は、とても利益率が高い。ではその利益を何に使うのかというと、みんなでハワイ旅行に行くわけではありません。どうするかというと、次の木の花ファミリーの活動を充実させるために使います。そうやって普通の人々ができないことをやり、こんなふうに暮らせるんですよ、ということを社会に還元していくのです。これは社会運動であり、大いなる実験です。それはとても充実した、安心で、楽しい暮らしです。こういった暮らしを世の中の人々がするようになったら、世界は本当に平和で、少ないエネルギーで豊かに暮らせるようになるでしょう。

さて、20世紀型社会がわたし達にもたらしたものは何でしょうか。

 

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「1ヶ月間の真学校2017」スケジュール

さて、いよいよ今日から本格的にプログラムがスタートします。
以下が今年のスケジュールです。

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「フリープログラム」は、受講生の希望に応じて組むプログラムです。もっと深めたいと思う講座をさらに学ぶ時間にできるほか、御神酒や糀の仕込み、そば打ち、養蜂、畑や料理や子育てなどの生活体験、いさどんとの個人面談や座談会、映画鑑賞&ディスカッション、誕生日会や修了パーティーの出し物の練習などなど、受講生同士で相談して何をするかを決めます。もちろん、フリーに過ごしてもOKです。
昨年は、木の花メンバーによる長野県の皆神山での富士浅間木の花祭りの舞の奉納に受講生たちが同行する、なんてこともありました。

皆神山奉納に参加する受講生たち(2016年)
皆神山奉納に参加する受講生たち(2016年)

スケジュールは固定ではなく、その時々の流れや受講生たちの関心によってどんどん変化していきます。ほかにも、餅つき大会やお誕生日会、子どもたちが企画するキッズディナーや学習発表会など、イベントが盛りだくさん。毎年受講生から「時間がたりない〜〜!」と嬉しい(?)悲鳴が上がる、濃厚な1ヶ月間のスタートです♪

カタカムナやコンポストトイレの作り方、天然循環法など、いくつかの講座に部分的に申し込んでいるゲスト参加者もいて、にぎやかになりそうです(^^)

 


「自由」とは何か ~ ウェルカムコンサートより

初日の夜は、ウェルカムコンサート!
『Welcome to 木の花ファミリー』に始まり、木の花楽団のオリジナル楽曲の数々で受講生のみんなをお迎えします。

子どもたちによる『みつばち小学校のうた』

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最後は『みんなで踊ろう』!
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「今日は、かつて自分たちが星であったことを思い出して、星という視点からこの世界を観ることの始まりの日です」とメインボーカルのみかちゃん。

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そして木の花合唱団による『この星の上で』の前に、いさどんがこんな話をしました。

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今、ちょうどみかちゃんが僕が話したいことの入り口について話してくれました。それは「自由」ということについてです。

今の時代の人々は、「自由」というと、何でも自分の思う通りにやれること、好きなようにできることだと思っています。それは人それぞれに自分自身を好きなように表現するということですから、その人の心の在り方によってできる世界が変わってきます。わがままな人はわがままな世界を創り、自分を閉じ込めて苦しめる人は苦しい世界を創るのです。

そこで、もうひとつ違う「自由」があります。それは、この世界の自由です。

カタカムナには、「クニツクリ」という言葉があります。クニツクリとは、地球創りのことです。日本、オランダ、中国、アメリカ・・・地球上にはいろんな国がありますが、「クニ」という言葉には、「自由が定着した所」という意味があります。
現代の人々の思考は、まず自分があり、自分の側から見てこの世界が思うようになるかならないか、という捉え方になっています。そしてこの世界のルールが自分に都合の良いものであることを望んでいます。しかし真実は、まずこの世界があり、その中に自分がいるのです。つまり、先にこの世界のルールがあって、そのルールのもとに自分が生きているということです。そこで自分の願望とこの世界のルールが合わないと、人は「自由じゃない」と感じるようになるのです。

クニは、その中にいる人間一人ひとりに何を求めているのでしょうか。そして、人間一人ひとりはどのような役割を果たしてクニを維持していくべきなのでしょうか。その両方が連携した時に初めて、この世界は健全になります。
現代の人々にとっての自由とは、ものごとを自分の思い通りにするというものです。しかし、そのような人々がたくさんいたら、はたして世界に秩序は成り立つでしょうか。例えば、それは自分の体でも同じことです。自分一人分の健康は、体の健全な循環の中にあります。ところが、心が「ああしたい」「こうしたい」という余分な思いを持っていると、体のバランスが崩れ、健康ではなくなるのです。
世の中もそうですね。社会を構成する一人ひとりが「ああしたい」「こうしたい」とバラバラであったら、全体が無秩序となり、その中で争いが起きるようになります。それは、体で言えば病気の状態です。

この世界は、個々の存在の自己主張によって保たれているのではなく、個々のものが個性を発揮し、それが連携して大きなネットワークとなることで成り立つようになっています。その構造を、自分に囚われず、自らの内からも外からも観える状態 ──── それが本当の「自由」なのです。

そのような美しいネットワークによって生まれる形、組織、星を、「クニ」と言います。それは、本当の自由の世界です。そこへ向かわなければ、地球の未来はありません。
今、このことを皆さんが学ぼうとしているということは、皆さん一人ひとりの健全で楽しい、豊かな毎日につながるということもありますが、一人ひとりが健全で楽しく豊かな毎日を送り、そのネットワークが広がっていったら、日本も、オランダも、中国も、アメリカも、世界中の国が豊かになって、地球が健全になることでしょう。個人の幸せは、世界中の健全と豊かさにつながらなければならないのです。

これから、そういった時代が始まります。僕がこの1ヶ月間を通して皆さんにお話しする話は、その時代の現れです。そして皆さんは、縁があって出会った、その時代の扉を開ける人たちです。それはとても充実した大切な人生を生きるということです。そうすると、皆さん一人ひとりの毎日が豊かで、楽しくなります。そうでなければなりません。世の中の扉を開けるとともに、皆さん自身の扉も開くのです。

これから、『この星の上で』という歌を歌います。今の人類の姿を見ていると、地球のがん細胞のようですね。人間以外の生命の視点から見れば、迷惑な存在であるとも言えます。しかし本来人間は、地球生態系ネットワークの指揮者でなければなりません。自らが模範となり、この地球というクニを、自由で、豊かで、みんなが幸せな世界にするのが人間の役割です。
私たちは何のために生まれてきたのか ──── そのことを問いかけ、歌った歌です。お聴きください、『この星の上で』。

 

この星の上で

宇宙の暗やみに浮かんでる
青い小さなこの星よ
大きな光の手に包まれて
今生まれ変わろうとしている

限りなきいのち与えられ
この星の上で生きている
はじめから全て与えられ
この星の上生きている

起こりゆくことの全ては
善きことのためにあると
悲しきことも苦しきことも
全てこの身に受けて

何のためにこの星に
降り立ったのかを
知らないままで暗やみの中
迷いながら生きている

何のためにこの星に
降り立ったのかを
思い出したらもう迷わない
いのちの道を歩みはじめる

やがて全ての人々が
互いに心をゆるしあい
やがて全ての人々が
光り輝き出すだろう

限りなきいのち与えられ
この星の上で生きている
はじめから全て与えられ
この星の上生きている

この星の上生きている

 

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1日目「皆さん一人ひとりに、新しい自分自身をプレゼントします」

始まりました!1ヶ月間の真学校2017!

さて、これからどんな1ヶ月間が紡がれていくことでしょうか。
講座の内容など、当サイトにて随時発信してまいります。皆さま、どうぞ遠隔参加ください。まずは開講にあたってのいさどんの挨拶をご紹介します!

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皆さん一人ひとりに
新しい自分自身をプレゼントします

— 1ヶ月間の真学校2017開講の挨拶 ―

最近僕は、自分はなぜこのような人生を生きているのだろう、と考えることがあります。それは自分の意志ではないと思っています。過去の歴史からつなげて今の時代を観てみると、世界は今、変革の時を迎えているということがわかるからです。

皆さんは、一人ひとりそれぞれの人格を持ち、それにふさわしい人生を生きています。そのふさわしい人生を、多くの人は、自分の意志で選んで生きてきたと思っています。
しかし、今の時代の社会を、自分で選んでつくることはできません。世の中が今こうなっているから自分はこういう人生を生きているのだ、というように人は捉えます。人によっては、自分の思うような人生が生きられなければ、自らを犠牲者のように捉える人もいます。時代を思うようにはできないということも、自分の人生は自分でつくってきたのだと思うことも、どちらも実は違うのではないか、と思うのです。
今、あえて「違うのではないか」と言ったのは、そのことを明快にするためにこの1ヶ月間の真学校があると考えるからです。

時代は、物語を刻んでいます。それを小さく区切って自らの目の前のことだけを見て、日常の中に思考が囚われていては、時代が物語を紡いでいることを理解することはできません。多くの人は時代に翻弄され、実際に水の中で溺れてはいなくとも、心は時代の波にのみ込まれています。自分自身の感情にすら翻弄されているのです。
ずっと昔、人間がもっと自然に近かった時代には、そのようなことはありませんでした。それは、自然から与えられた環境のままに人間が生きていたからです。人間はとても高い能力を持っていました。やがて火を使うようになり、道具を使うようになり、どんどん賢くなって、生きることに工夫をするようになりました。
そうすると、人間の中に「あれが欲しい」「これがしたい」という思いが湧くようになりました。そしてその思いがだんだん膨らみ、育っていきました。何のためにそれがしたいのかというと、自らの満足のためにしたいのです。それが自我の目覚めです。

自我とは、本能と同じものです。本能のままに自我はあります。しかし人間が他の動物や植物と違うのは、その自我がある意味欲望であり、感情であり、それぞれの精神性にふさわしく膨らませていくものであるということです。それが行きついたところが、現代の社会です。
1ヶ月間の真学校では、このことについてひも解いていきます。現代は人間の自我が極めて膨らみ、本来私たちは自然の生命でありながら、非自然の中に生きるようになりました。生命は自然の仕組みそのものですが、人間は自然とはかけ離れた欲望を持ち、自然とはかけ離れた環境を創り出し、生きるようになったのです。
その結果、「あれが欲しい」「これがしたい」という欲望もどんどん膨らみ、本来の自然の生命観からしたら不要な思いをたくさん持つようになりました。皆さんも、持っているでしょう?その不要な思いを持つことによって何が起きるのかというと、それは自然の中では矛盾ですから、本来自然の中にあるべき秩序を乱し、この世界に歪みをもたらし、人々がつくる社会にも不調和をもたらします。自然界では、動物の関係も植物の関係も自然の循環の中にあり、とてもスムーズです。ところが人間は、人間同士の間ですら関係が難しくなりました。さらに、自らの思いが自然から離れることで、自らの体にまで矛盾を発生させるようになりました。それを病気といいます。

現代の人々はそのような分析はしません。病気が蔓延していることや、世界にまだ戦争があることなど、自然にはありえない現象が人間の世界にたくさん存在していることを、当たり前に思っているのです。そしてそれが在ることを前提に、対処しています。ですから、なぜそれが起きているのかを根本的に考えるということをしないのです。
根本的に考えるとは、もっと大きな枠でその現象を捉えるということです。しかし人々は、まずそれがあることを前提にして見ていますから、その目線では決してその根本的原因を理解することができず、問題の解決を図ることはできません。

今回1ヶ月間の真学校に参加された皆さんは、参加の理由はそれぞれにあることでしょう。しかし、共通して言えることがあります。
皆さんは、この時代にこういったものごとの捉え方を得る機会に出会いました。この時代だからこそ、この視点が必要なのです。それを得ると、皆さんの人生は確実に変わります。
どう変わるのかというと、生きるということに対する解釈が変わっていきます。1ヶ月間が経てば、確実に変わります。ただし、そのことに対する一人ひとりのニーズの内容はそれぞれでしょう。今の暮らしを安定した人生にすることを求めている人もいれば、新たな人生を歩みたいという人もいます。ニーズはそれぞれですが、確かなことは、今この時を生きる人々にとって、こういった学びが必要とされているということです。

今、世界中でたくさんの矛盾がピークを迎えています。その矛盾を理解し、新たな時代へと移行していく時に、その先端を行く者はごく少数から始まります。やがてそれは全体へと伝播していきますが、今はまだ、世の中全体は混乱の中にあり、多くの人々は次に進むべき新たな世界を見出せずにいます。そして矛盾が発生し続けています。皆さんは、このことを理解し、これからの時代のために、世の中のために生きていってくれる人たちだと思うのです。

そこで、では自分は世の中のために何ができるだろうと考えます。簡単なことです。自分一人を変えれば、自分一人分世の中が変わります。あなたがご機嫌で、幸せで、理に適った生き方をすれば、あなた一人分世の中を良くするのです。
今、時代は大きな切り替えの時に来ています。その変化が連鎖していく種になるということは、あなた自身が変化の波の先端に立ち、これから後に続いてくるであろう人々の見本にもなるということです。

実は、皆さんへの講座で使うプレゼンテーションを今用意しているのですが、その半分ほどは、もしかするとちんぷんかんぷんかもしれません。その、よくわからないものを皆さんにプレゼントしようとしています。「これを聞いてもきっと理解できないだろうな」と思いながら、プレゼンテーションを準備しています。
それはなぜかというと、もしも皆さんがわかることを得るとしたら、皆さんはきっと納得することでしょう。しかしそれでは、あなたの心は満足するかもしれませんが、あなたが変わることにはならないのです。
多くの人は、自分が納得できるものだけを得ようとします。しかし納得できるということは、それは自分の理解の範囲内のものだけを得るということですから、そこに進化はありません。時代は常に進化し続けているのですから、今の考えのままでい続ければいつかは必ずそこに矛盾が発生し、行き詰まるようになっています。ですから、皆さんのために、「きっとこれは理解できないだろうな」と思いながらプレゼンテーションを用意しています。

新たなものに出会うということは、「そういう捉え方があるのか!」と、これまでの自分の枠を突破することになります。ですから、皆さん一人ひとりにできる限り寄り添いながら、理解できるようにお話ししていきますが、わからなくてもいいんですよ。なぜなら、わからない話に出会っている、というだけで、すでにあなたは、今までのあなたの枠を外し、新しい世界にいるからです。
そうでしょう?自分がわからないところへ積極的に行こうとするなんて、普通はしませんね。そこにいるというだけで、新たなものを得ようとする姿勢があるということなのです。それは、進化しようとする姿勢の証です。

木の花ファミリーには、毎晩夕食後に「子どもミーティング」というものがあります。通常は、その日にあった出来事などを子どもたちが話し、それに対して大人たちがコメントをするなどしてやり取りをする場です。
そこに時々、いさどんが登場することがあります。いさどんはできるだけ子どもたちにもわかるように話しますが、それは世界観が広く、小学生以下の子どもたちには難しい話です。中学生以上でも難しいかもしれません。できるだけ理解できるように話すものの、本来そういった世界観を、子どもたちはまだ持ってはいないのです。
ではなぜそんな話をするのかというと、わからなくてもいいのです。つまり、子ども達はそこで言葉を聞いているのではありません。いさどんという人が、何か大切な話をしている。それを大人たちが熱心に聞いている。言葉も難しくてわからないけれど、何か大切なことを言う人がいて、それを大切に受け取っている人たちがいるという、その空気を感じているのです。
そうすると、意味がわからなくても、子どもたちは「自分のわからないことで大切なことがあるんだ」ということをしっかりと受け止めていきます。ですから日常の中でちょっとそういった話に出会うと、子どもたちはパッとそれを受け取り、いつの間にか大人よりも立派なことを言うようになるのです。大人は頭で学習しますが、子どもたちの言葉は内からにじみ出てきたものですから、本物です。

これから1ヶ月間、きっとわからないだろうというような話を、皆さんに伝わるように、精一杯やっていきます。皆さんも、わからなくても付き合ってみてください。そうすると、1週間経ち、2週間経ち、3週間経ち、1ヶ月が経つと、皆さんはきっと変わっています。
これから、とても充実した1ヶ月間を皆さんにプレゼントします。皆さんも、自分の頭の中で先に何かを予測するのではなく、すべてを白紙にしてお付き合いください。そうすれば、皆さん一人ひとりに、新しい自分自身をプレゼントすることができるだろうと思っています。

1ヶ月間、よろしくお願いします!

 

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自分を変え、世界を変える1ヶ月間の始まりです

 


「マツリ」の中の真学校

2017年1ヶ月間の真学校の開講まで、いよいよあと2日!

すでに受講生のみなさんをお迎えする準備は整い、あとは到着を待つばかり。メイン講師のいさどんとみかちゃんは、講座資料の最終確認を行っています。
実は木の花ファミリーでは、真学校終了3日後の3月21日に新店舗「ロータスランド」をオープンするため、ただ今真学校と並行してロータスランドの開業準備も進んでおり、畑や田んぼでも新たな取り組みが始まるなど、あちこちに同時進行で様々なプロジェクトが進んでいます。そんな中、いさどんが早朝に目を覚まし、こんなことを語り始めました。

*上の写真は昨年の1ヶ月間の真学校のイベント時のものです。


いさどん:
ロータスランドのオープンに向けて、今、みんなで一丸となってひとつのことをやっている。一丸となってひとつのことを越えていくというのは、たくさんの心がそこに共鳴しあって、人に希望を与えることだ。
その中で、誰か一人でも自我にまみれていては、そのような場はできない。自我を忘れて、みんなが渦になる。カタカムナで言えば、「マワリテメクル」ということ。それは地球の動きだ。地球は自転し、公転し、歳差運動をし、微振動をしながら進んでいる。これは、古くから日本人の中にある、「マツリ」の精神だ。

今、我々は生活の中でマツリを表現している。そこでただ物理的なことを目指していると、何か特定の目的があって、それを達成するためにみんなでひとつになろうという世界になる。そこでも、自我があっては調和的な世界を創ることはできない。
今日、1ヶ月間の真学校の講座で使うカタカムナのプレゼンテーションをチェックしながら、改めてカタカムナの精神について振り返っていた。カタカムナの精神とは、マツリの精神だ。マツリの精神とは、命の仕組みの精神であり、宇宙の天体の成り立ちを言う。
そのことについて思考を巡らせていたら、北朝鮮の金正男氏が暗殺されたことが思い浮かんだ。そしてトランプ政権のフリン補佐官が更迭されたことが思い浮かんだ。世界中で争いやいがみ合いが起きている。人間のご都合主義の世界が、今の世の中に蔓延している。

ここで表現しようとしているのは、それとは別の世界だ。これをカタカムナ精神と言っていいものかどうかはわからないが、ここの生活にはカタカムナが浸透している。つまり、カタカムナを学ぶのではなく、カタカムナを語り、カタカムナを生きているということだ。魂のこもった生き方とは、そのようなことを言うのだろう。それをやっていかなければならない。いくら知識を学んで語ったところで、それが生活の中で現象化しなければ、生きることに反映されないのだから。
これからそれをやっていこうということではなく、我々は今、現実にそれをやっている。そしてその現象化したものを、1ヶ月間の真学校で伝えていく。それはとても難しいことだ。カタカムナの講座は6時間あるが、たったの6時間でどこまで伝えられるだろうか。ほとんどは理解できないだろう。なぜなら、まず価値観が違うからだ。価値観は違うが、縁があって出会った人々にそれを伝えることは、大変ではあるが希望のあることでもある。

例えばカタカムナ理論というように特定の用語を作って固定してしまうと、数ある理論の中のひとつのように思えるが、これは宇宙に遍満している法則そのものだ。
宇宙は、動いている。我々は毎日を認識し、時が過ぎていくが、これは巨大なエネルギーがうねっている「マワリテメクル」の世界だ。その中の一環としてこの仕組みがあるということを理解すると、すべてのところにその法則が遍満していることが観えてくる。それを意識しながら生きていくことが大切だ。
この理論が体得できるようになると、自我は消え、この世界を構成するものとして、大いなる生命としての役割を果たしながら、宇宙の実体のままに生きていくことになる。現代の人々は大いなるものから離れ、自我にまみれていがみ合っているが、そういったことがすべて帳消しになってしまう世界が、いがみ合いの奥にいつでもちゃんと控えているのだ。
それを語っていくことは、物理的な現状の地球を見ていると不可能なように思えるかもしれないが、ここではその存在を知って、語り出した。いずれ必ず、人間たちがそれを理解する時が来る。既に扉は開き、その動きは始まっているのだと思うと、やはりテンションは上がる。それこそ病魔に侵されて死にかかった者が生きることの本当の意味を知って「死んでなんかいられない」となるように、僕も、夜中だけど寝てなんかいられないよというテンションになった。まあ、語ったらまた寝るけどね(笑)。しかし何か、この今のときめきを語っておかなければいけない、と思った。

今日、真学校のプログラムとして上演する木の花劇団の劇の読み合わせをやった。この劇は、ガンになって死の瀬戸際まで行ったきょうこちゃんの体験を元にして、彼女自身が脚本を書いている。そこに出てくる自分のセリフを読み上げながら、あれはセリフではなく、日常会話の中から出てきた言葉だから、本番でもアドリブを交えて、そのまま生でやれたらいいと思った。最後にみんなが泣くシーンがあるが、あの涙はいいね。その場で本物の涙を流しながら、やりたいね。

(ここでひとみちゃんが、ロータスランドのテラスの上に描く壁画の下絵を持って部屋に入ってきました。)

いさどん:
何をしていたの?

ひとみ:
壁画の下絵を描いてた。

いさどん:
テラスの上の壁画を描くのに、足場に手すりをつけないのはどうしてだか、わかる?

テラスの上の壁に壁画を描くひとみちゃん
テラスの上の壁に壁画を描くひとみちゃん

ひとみ:
落ちるように?(笑)

いさどん:
あなたは、足場が壁に近すぎて、全体を見ながら描くことができないと言う。それはわかる。だから池の方に向かってデッキの端まで足場を作り、壁から離れて見られるようにするが、それは面倒なことであり、できればなくていけたらいい仕事だ。
人は自分の頭の中に構想を持っていて、それを物理的に現す時に、大きな絵なら離れて全体を見ようとする。その遠くから全体を見る目を、例えば他の誰かが補うとか、足場の下に降りて離れて見るということもできる。あなたが「近いから見にくい」と言うと、みんなはすぐにそれを解決してあげようとする。それは悪いことではないが、それよりも、そういったことを含めて、あなたの神がかり的な能力を発揮してやってもらいたい。

ひとみ:
大丈夫だよ。降りたり上がったりしながら描いてるから。

いさどん:
降りたり上がったりしながら、あなたのシャーマン的精神を呼び覚ましてもらいたい。あなたには、きっとできる。

(ここで、ひとみちゃんが持って帰ってきた絵を広げて見ました。いさどんの助言を受けて、絵には新たに太陽と月が描き加えられていました。)

ああ、いいね!月をもう少し上に上げて、月と太陽が斜め45度の角度に並ぶようにしよう。太陽はもう少し富士山の右肩に隠れて、半分だけ顔を出して、これからもう半分が出るよ、という感じになるといい。鶴と亀はどこに描くの?亀が空を飛んでいてもいいね。ルールは破ればいい。写実画を求めているわけではないのだから。(しばらくアドバイスをした後、しみじみと絵を眺めながら)いいね。テーマは、やはり花だよ。花がなければいけない。
あなたが一人でこれを描いているという気がしない。これは協同作業だ。一緒にやろう。時間のことは気にせずにやっていけばいい。そうすれば、必要なことは必要なように、事が成っていくから。これは仏像をつくるのと同じで、そこにあるものが描かれていくのだから、自分でやってやろうだなんて思わないことだよ。「これはこうだな」「これは少し違うな」と、あるものを探りあてていく、手探りのような作業だ。完成形があるわけではなく、そこに関わっていくと自然と成っていく。
あなたがあそこで絵を描いている姿は、絵になるよ。そこを通りがかる人は「何をしているんだろう?」と思い、進捗状況を気にするようになるだろう。こんなふうに、お金持ちがお金を払って誰かに絵を描いてもらうのではなく、生活の中ににじみ出る余裕から、そこに表現されていく。それは、生活そのものがマツリだからこそできることだ。

「祭」という字は「サイ」とも読む。「何々祭」というと、それは日常の生活から離れた儀式の場で使う用語になる。そこには天と地があり、地が天を崇めて祭典をするという「サ」=差のある状態だ。「サイ」は「マツリ」とは違い、まだマツリに至らない段階の儀式に用いられる。
それが「マツリ」になると、「マ」は宇宙空間であり、生命が躍動する特定の場、宇宙の法則が表現される場所のことであり、「ツ」は集い、「リ」は離れるということ。自我から離れた者たちが集い、宇宙の法則のままに生命が躍動する。それがマツリだ。そのような無我の境地で、美しく、日々を舞い踊るように生きたいものだ。

 


 

そんなマツリの日々の中で、真学校は開催されます。どうぞ一緒に、自我の囚われから放たれて美しく舞い踊るような1ヶ月間を過ごしましょう。^^