第24&25日:天然循環法・農 – 稲作

3月10日の午前には、天然循環法―農の最後として、稲作の講義がありました。
以下、初講師を務めた田んぼ隊のこまねちからのレポートです。


冒頭に、稲作に関するスライドショーを見ました。田んぼではどんな作業をしているのか、イネがどのように成長するのかが紹介されました。

そして、稲作に関するプレゼンがありました。そのテーマは「田んぼはすごいな尊いな」です。真学校の受講生たちは農業をやりたいわけではないので、農業的な知識はできるだけ省き、地球における稲作の大切さや尊さを日本神話やカタカムナ、環境保護の視点などから伝えようとしていたプレゼンでした。

質疑応答では受講生から様々な質問や思いが出て、関心の高さが伺えました。

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その後、田んぼに入る水はどこからやってくるのかを実際に見るために、用水路を上流の方へと辿っていきました。

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上流へとさかのぼっていくと、森の中の湧水のような気持ちの良い所があり、そこで受講生たちは「こんな素晴らしいところから下流の田んぼに水が流れてるんだ」と思ったのもつかの間、さらに上流へと進んでみると堰堤のようなコンクリート構造物のある所に出ました。田んぼ隊のまこっちゃんは言います。

「天然循環法っていうといかにも人工物に頼ってないイメージとか、自分たちだけで善い事やってますっていう感じがするかもしれないけど、僕は全然そうは思わない。自分たちだけでってことは決してなくて、例えば水ひとつとっても、誰かが昔こういうのを作ってくれていて、地域とか村単位で利水してる。人工物に頼る頼らないはどっちでもよくて、「天からの頂き物とのつながり」をどれだけ意識して実践するかが大事。」受講生たちはうなずいていました。

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翌11日の午後には、田んぼに実際に行きました。折よく晴天で富士山が見守る中、まずは広い田んぼを皆で歩き回った後、「チェーン除草機」を曳いたり「手押し除草機」を押したり、「備中」で田んぼを耕したりしました。田んぼ隊からの話を聞きながら、受講生たちはそれぞれ自由に遊んでいました。とても楽しかったようです。

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手押し除草機で楽しむみへちゃん&ゆかりちゃん

 

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チェーン除草を試みるたかくん

 

その後のおやつタイムで、受講生たちと田んぼ隊で色々な話をしました。農作業に対する姿勢、お米に対する思いなどが話される中で、何が大切かを受講生たちはそれぞれ感じ取ったようです。

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受講生の声を紹介します。

「楽しかった!」

「木の花の食べ物がなんでこんなに美味しいのかが分かった」

「除草って大変すぎ。お米の有難みが分かった」

「稲が植わってる時に講義が受けられたらなお良かったけど。それ以外はベストだったと思う」

「田んぼの畦にしばらく寝っ転がっていたら、すごく疲れが取れて頭痛がなくなった!」

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第22日目:微生物資材の培養 (午前)

今朝の前半は、木の花ファミリーのあちこちで使われている木の花菌と呼ばれる微生物資材の培養について、木の花菌づくりの発案者であるいさどんと製造担当者のひろみちゃんの講義がありました。以下、講師を務めたひろみちゃんの講義レポートです。


木の花菌とは、EMをベースに、木の花でオリジナルに培養している微生物資材で、木の花ファミリーの生活のあらゆるところで利用されています。

木の花菌仕込中!
木の花菌仕込中!

木の花菌の培養が始まったのは、今から約25年前、農法について模索していたいさどんが、新聞記事の中にEMを見つけたことがきっかけでした。

それはEMを使ってスイカを栽培している農家さんの記事でした。早速会いに出かけた車の窓から見えた周囲の景色は、いつもより美しく輝いて見えたそうです。いさどんは、何か新しい扉が開く事を予感したそうです。

この出会いがEMの開発者の方との出会いに繋がり、木の花に木の花菌の培養技術が確立していくことにつながりました。

必要な出会いは、必要なトキに、必要なトコロにやってくる。

だから、流れがやってきたら、ただその流れにのっていけばいいのです。そういった生き方をしていくことです。

講義は、こうした物語から始まり、微生物のこと、木の花菌の作り方や使い方を学びました。

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第19日目:愛とお米があればいい

「愛とお米があればいい」は、数ある木の花語録の中でも、代表的な言葉です。木の花創立当初に、いさどんが畑で仕事をしているときに神様からいただいた言葉なのです。

人間は愛という言葉をよく使います。「愛があれば」「愛こそ全て」「愛してる」・・・無造作に使うこの愛という言葉に、どういう意味があるのか、深く考えたことはありますか?歌謡曲では「愛してる」という言葉がよく出てくるのですが、そこでいう愛は恋愛という限定された範囲の愛です。

「愛とお米があればいい」のプレゼンの中では、愛がランキング付けされています。これを見ると日頃自分が愛と言うとき、どのレベルの愛ことを言っているのかがよく分かります。それは以下の通りです。

1.自己愛   自分を存在させようとする力。生命(植物、動物、人間)、物、全てが「存在」することが自己愛。カタカムナで言う「生命カン」は、生存するために害になるものを直観で見分ける能力であり、現代人はこの能力が衰えている。

自己愛にはもう一つ人間特有の自己愛があります。それが「恋愛」。「なんで、恋愛が自己愛なの?相手がいてその人を愛しているのに」と思う人もいるでしょう。「恋は異なものあばたもえくぼ」といって、恋愛は人を盲目にし、ぼけさせます。そして、その人への執着や所有の心が発生します。「愛されたい」「支配したい」これは自我が絡む愛で、条件付きの愛なのです。

植物の自己愛

動物の自己愛

動物の自己愛2

2.身内の愛  DNAを共有しているものへの愛。親が子供を思う心、自らの命を犠牲にしても子の命を守ろうとする愛なので、神の愛に近付く。一方で、「わたしの○○」という執着の心を引き出します。

3.菩薩の愛  他者のために自分が存在し他者の喜びを自らの喜びとする。自分を愛するがごとく他者を愛する。木の花ファミリーは昨年より「菩薩の里」として仕切り直しました。こういう心のものが集っている場所を目指しています。

聖者

4.無条件の愛  宇宙全体を生命として存在させる愛のエネルギーであり、自己愛が束になったものなので、大いなる自己愛とよぶことが出来る。そこに執着や囚われの感情はない。ただ循環して、巡り巡って変化し続けるもの。

このランキングに照らすと、自分の日頃の意識がどこにいるのかが分かるようになっています。皆さんの心はどこにいましたか?誰もが一つの愛の場所にだけいるのではなく、いくつかの愛が折り重なって今の自分を作っています。生きて行くのに、心に必要なものそれが「愛」なのです。

次に「お米」についての話しがありました。

おにぎり

お米は、主食と呼ばれ、作るのに手がかからず、面積あたりの収穫量が最も高いので効率よく栽培することが出来、穀物の中でも最も栄養バランスがとれている食べ物です。生きて行くのに最低限必要な食べ物なのです。

米

人は、甘い物や、たくさんのおかずに目を奪われます。そういう物ばかりを食べ続けると体は栄養のバランスが偏り、病気になります。人生においても、同じ事が言えます。たくさんの刺激に心を奪われて脇道にそれていくとき、人生は目的を見失い遠回りになっていくのです。人間は選択肢が多いことが豊かさだと勘違いしますが、それが迷いの原因となり、問題を大きくしていることがよくあるのです。

人生は心磨きの道場。人間以外の生命は人間に従うという仕組みになっています。
(依正不二)道理を外しながら学ぶのが人間。その人間が心を磨き、この世界の実相を知って、生命ネットワークの中で人間としての役割を果たしていくことで、この世界が健全に運営されます。

人間が心を磨きながら生きて行くのに最低限必要なもの、それが、体には食べ物(お米、水、塩)、そして心には愛なのです。いつでも主になる最も大切な道を意識して歩いていれば、脇道にそれてもそれすらも人生の肥やしにしながら道を踏み外すことなく歩いて行けるのです。

心磨きに必要なもの

シンプルな生き方

大切な事はシンプルなのですね。ほっこりと心が温かくなるようでした。

歌の歌詞


第18・19日目:性と宇宙

二日間に分けて、性と宇宙の講義がありました。

【3月3日の講座】

人々の関心を引いて止まない「性」は汚いものとして封印され、人々はオープンに語り合うということをしません。しかし、地球上では日々無数の性の交わりが行われています。この性の交わりは、何のために行われているのでしょうか?性の交わりは、子孫繁栄のためと言われていますが、本当にそうなのでしょうか?実際、性の交わりは子作りを目的としていない場合の方が多いのです。

男女が惹かれあうのがなぜかは解明されておらず、その欲求はメディアによってコントロールされ、お金儲けに利用されています。

又、我々はみな例外なく性交によって生まれてきますが、キリスト教はマリアは処女懐胎したとしました。であれば、この世界は女性だけでよいはずです。なぜ宗教の中で性がそのようにゆがんだのでしょうか。男女が交わることは汚いものとされ、性を語ると人間に秩序を提供できないので、性がタブー視されてきました。

カタカムナのウタヒの中の約8割は性についての解説であるといわれています。しかし、人類の性についての意識は低すぎ、その根本の原理はなかなか理解されないので、性の奥義は長い間封印され、密教として受け継がれてきました。性については、人間性を高めてから話をする必要があります。

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宇宙の始まりは言葉であり響き、そして響きは宇宙の最初の想い。想いは心であり、その心を持って生きることが性の始まりであり、宇宙が陰と陽に分かれ、陰陽の交わりの繰り返しで宇宙が創られていきました。心が生きると書いて「性」という文字になり、それは男女の交わりの「性」と同じなのです。一般的に考えられる性へのアプローチとは違った切り口で、性のメカニズムをひもといていきました。 2

ここで、受講生のみんなに「『子孫繁栄』以外の性交の目的は何か」という問いかけをし、たくさんの意見がホワイトボードに書き出されました。性についてオープンに語り合うという場がなかなかない中で、受講者から活発に意見が出るおもしろい場でした。

 【ホワイトボードに書かれた内容】

ストレス解消(癒し)、快楽、愛を深める、互いを知るため、エネルギー交換、ノリ、
快楽依存、収入を得るため、自己満足、相手を支配しようとするため、
相手をつなぎとめるため、依存させるため、依存するため、心が寒い、運動、
美しくなるため、自己顕示欲、生理現象(習慣)、娯楽、探求心、
自分の性を表現するため、本当の自分を知る(一つであることの確認)、柱を立てる、神事

書き出したものを、良い印象と悪い印象のものに分類し、本来の性の目的は何かを話し合いました。

子孫繁栄、癒し、愛を深める、互いを知るため、エネルギー交換、美しくなるため、生理現象(習慣)、探求心、自分の性を表現するため、本当の自分を知る(一つであることの確認)、柱を立てる、神事、世界観を広げる、解放、宇宙に良い波動をもたらす

本来の性の目的とは何か、みんなで考えてみました

・エネルギー交換のための交わり
・湧かれた陰陽が一つになろうとする行為
・愛を表現し、確認する行為
・乱れたものを正常に正すこと=秩序立てる
・性行為は柱を立てることなので、秩序を元に戻すために行う行為。
・対話を円滑にするためにする行為(阿吽にする)→これまでは通すことで執着が生まれて余計通りにくくなっていた。
・儀式として物事の始まり終わりのけじめをつけるため

この後、「ない世界」(この世界の奥にある世界=潜象界)から「ある世界」(現象界)が生まれる原理について学び、そこに性の秘密が隠されていることを学びました。宇宙創造の目に見えない最初のプロセスから、「ア」という高次の存在が発生し、アマノミナカヌシが現れ、さらにそこから、カミムスビ、タカミムスビという陰(左回り、拡散)陽(右回り、収縮)の神が発生し、この造化三神がもとになって、現象界の創造が始まります。このメカニズムが、心という文字の元です。

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性とは「心を生む」あるいは「心が生きる」と書きます。この世界の全ては、天の心から生まれてきたのです。全てが天からきた一本の柱「天の心」のもとに陰陽が合体して生まれる、それが性の仕組みです。存在の元の部分の認識が汚れて狂っているために、この世界が全て狂っているのです。天から来た一本の柱「天の心」=「天の理」が忘れられ、その認識がないので、陰陽(男女)の交わりに芯がなくなり狂っていくのです。

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形の奥には、心や道理があります。つまり、形として現れた「命」の奥には「性」という仕組みがあるのです。その仕組みの奥には、天の心すなわち道理があり、形に天の心(道理)を入れていくことが一本芯を通すということなのです。今の世は、形優先で、人は心が曇っているので「形の奥にある天意」を感じることが出来ません。ですから、性の奥に秘められた意味も理解出来ないのです。

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宇宙で星が生まれる仕組みも、地球で生命が生まれる仕組みも、みんな同じ神聖な性の原理からなっています。性の交わりは、星生みと同じ高い意識の元に行われるべき神事なのです。

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【3月4日の講座】

性から生まれた全ての存在は、地球上で生態系ネットワークを形成しています。人間以外の生命は、それぞれの役割を果たしながら、全体のためにあります。人間だけが、多様な選択肢の中で迷い、他を羨ましがり、はまりどころが分からなくなってさまよったり、他に害を与えたりしています。

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「あなたのままで良い」ということには、あなたに与えられた「ポジションをしっかりと担う」という義務が発生するのです。自由気ままにわがままをするということとは違います。自由と義務の両方を意識して成り立つものなのです。又、他をうらやむという心は「足るを知る」という感謝の心がないことの表れです。

統合された個性的人間が、多様性の元につながること、それがコミュニィティーの仏陀です。

性とは全てのものが存在する根本の原理であって、その性が汚れているために、この世界の全てが狂っています。狂っているとは、「天の心」「天の道理」が忘れられ、人知で世界が動いているということなのです。

天の道理を地上に降ろすことを「カムウツシ・アマウツシ」といいます。この世界は、天(カムの世界)からエネルギーや原材料を補給されて運営されているのです。そして寿命が来れば、その存在は解体されて、又 天に帰って行きます。このことを天然循環といいます。

性の原理も同じです。男女が対向することで、「天の道理」を感受して地上に表現することが、本来の性交の目的なのです。カタカムナでは、こういう性をマイナスエントロピーの性といいます。オープンでおおらかで、疲れがとれ、若返る性です。それに対して現代人の性はプラスエントロピーの性といい、快楽を求めるための性になりはて、汚くていやらしい秘め事になっています。

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では、正しく性を表現するにはどうしたら良いのでしょうか。そこで「知意行一体」で、

  • 世界観を広げこの世界のメカニズムを知り(知)、
  • 宇宙の受け皿となる事を決意して(意)パートナーを選び、
  • 高次元の波動を持って生きる事が社会に還元される。(行)

ということが必要になるのです。

高い意識波動をもっているものが、それを伝授してゆき、みんなが直接宇宙とつながるものとなると、そこではみんなが同じ事をしなくてもよい個性的で多様な存在がネットワークする世界を形成します。

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「尊きものを見つけてそこに行き救われるよりも
自らが貴きものとなって 世を救えるようなものとなれ
これからは一人一人がイエスや仏陀であるぞ」

「人々が集い語り合え、語り合うところから真実が生まれる」


午後はフリータイムでしたが、受講生からのリクエストがあり養蜂とコンポストトイレのプレゼンテーションでした。

養蜂のプレゼンテーションについては、いさどんと一緒に養蜂を担当しているちなっぴーがフェイスブックにアップしていますので、こちらをご覧くださいね。

 


第16日目:天然循環法ー食

午前:命と食について深める

毎日の生活を生き生きと活かして活性していくことを人生という。
そうした人生を送るには、俯瞰したものの捉え方が必要。

自分の能力を活性して生きていくとみんなが良い人生を生きることができる。

これがマスターできると、誰にも頼らずに自分で自分を幸せにできる。それが解明されないと、苦痛が来るようにわたしたちは作られている。

不調和であると不健康に、調和は健康になるように作られている。

自分に捉われて新陳代謝しないと苦しくなる。出すと入って来る。出したくないと言って、入ってこないと言っても、それは入って来ない。簡単なこと。

自分の中に不幸の響きがある。自分が発信源で、外に不幸の響きを響かせている。

ブログ用


 

噛む「カム」の意味は、食べ物をよくかんで味わい、身につけて命に顕していくことであり、即ち、「食べる」ことは、人生を生きるということである。

人生を生きる中で起こる出来事は、人生の食べ物である。即ち、出来事をよくかんで人生に取り入れると物事がよく理解できる。出来事が起こることによってその前の状態が認識できて感謝できる。

といった話だった。こんな話はお坊さんから出てきてもいい話だよね、といさどんは言っていたが、これらは、そのような捉え方で人生を生きていなければ出てこないような話である。けれども、このことは既にある話、宇宙の法であるのだから、どこから出てもおかしくない話であるともいさどんは言っていた。

「病気」とは、心の滞りで、肉体の中で生命の繋がりが切れて響き合わない状態である。「気」は簡単に変わるものなのになぜ変わらずに続けるかというと、そういう性質だからである。病気といってもニーズがあるから病気になるのだから、治してはいけない時もある。例えば子供の病気は親の学びや気付きの為にある。子供は幼いほど自我がないから鏡の役割をしている。20歳を過ぎ、30歳までになったら全て自分の責任で親の問題ではなくなる。30歳を過ぎても親の影響から抜けられないのは、現代の環境がよすぎるからである。

「健康」とは、元の気(響き)のつらなりの通りにあり、互いに響きあいながら連鎖し循環する姿である。循環するとは、自分に留めず執着しないということである。イメージとして力を抜いてまっすぐ立っている状態で、歪んだ姿勢でそれが当たり前になっていたらどこかがおかしくなるに決まっていると、いさどんは、ポーズをとって説明していた。

「食べる」時も、感謝しながら食べているかと考えてみる。自分が食べている姿をビデオにでも撮って客観的に観察したり、人に観てもらったりして晒すと美しくなる。

これらは「食べる」ということで話を進めているが、全て「生きる」ことに置き換えて考えることができる。

例えば、自分を正直に人前に出して晒すことで、人に客観的に観てもらい、そのフィードバックを素直に受け取ることで美しくなっていくという「心磨き」の捉え方になる。

いさどんは、人間は、間違っていても自分の見る目が正しいと思いがちで、これは謙虚さを忘れていることだと話した。

そして、人の不幸によって成り立っている職業は、世の中からなくなるといい世の中になると話した。例えば、人の不健康が飯の種になっている「医者」、人の不幸から依存を作り出す「お坊さん」、世の中の悪い出来事がないと成り立たない「弁護士」がそれらの例である。

私達は、自分がどのような姿で、世の中にどんな影響を与えているのかを俯瞰してみる必要がある。人間は万物の長であり、人間の健康は地球の健康であり、それが世界が平和になることに繋がる。これは社会運動であるといういさどんの話を聞いて私が思い出したのは、木の花にいろいろな形で関わる人たちの中には、「戦争反対」「原発反対」を声高に叫び、ボランティアなどをしないのかという質問を投げかける人達も多いが、その時にいつも、「私たちの心を綺麗にすることが平和運動です。」と答えていることである。意識の共有ができなければなかなかその真意は伝わらないが、確実にその心が多くの人に伝わる日が近づいてきていることを今日の講義からも感じた。

(文責:まりねぇ)

午後は食養生講座でした。

木の花ファミリーが菜食をしている7つの理由や、木の花ファミリーが取り入れている食養生についての説明がありました。

また講義が少し早目に終わったので、「人々がなぜ肉や魚を食べるのか?」というテーマで座談会をしました。

一番に解放される必要があるのは、自分からの解放。

自分の心の起伏があり悩んでいる。本来、その悩みは無いこと。起きているのは自分が何かに反応していること。実際は無いことで自分の心が作り出していること。

霜降りの肉も、それが食べ物でなければ食べない。人間は自分の姿を客観的に見えなくなっている。

自分の視点で見て、無いものをあるようにしているのだと思う。客観的に実態を見たら、バカなことをしている。自分のイメージが崩れて落ち込むよりも、もっとそれを客観的に観ると、あまりにバカバカしくて笑える。

そういう目線をもって、世の中を生きていくと、一人一人が世の中にとても良いものをもたらせる。「これは木の花原理主義!」(笑)

「そうだ、納豆菌爆弾で、世界中をネバネバさせよう!」

みんなで食べて幸せ♪

視点を変えたところから自分や社会を見ていく。

降りたところから上がっていく時代に来ている。

時代は宇宙の巡り会わせ。人間は宇宙の法の動きに合わせていくのが人間の役割。

 

 

 


第5日目:天然循環法-農 

午前: 天然循環法 概論

講師は、畑隊のこうちゃん。

2013年11月にカタカムナと出会ってから木の花ファミリーでは農に対する捉え方も変化してきました。有機農法から自然農法へ、そして天然循環法へと変わってきたのです。

以下、こうちゃんの今日の講義を少し覗いてみましょう!

畑のことを活き活きと語る講師のこうちゃん
畑のことを活き活きと語る講師のこうちゃん

 この世界は、炭素など色々なものが上手に巡って(循環して)いるものを上手に利用しています。

わたしたちは、循環の中にいる。
光、空、大地、水、風
どこに暮らしていても、その循環は同じ。
僕らは一つ。
生まれたら必ず死ぬ。

死んで放っておくと腐る。
腐るという文字には肉という文字が含まれている。

生命が終わっていくときに、腐敗する。
肉を食べるということは、生命を終わらせるエネルギーが体の中に廻っていく。
腸の中に腐敗をもたらし、それが病となる。
かたや発酵するということは、命を活かすこと。

怒ったり、悲しんでいると全身の細胞にその影響がもたらされる。

一番大事なのは、みんなの心の在り方。

僕たちは食べたものになる。

みんなが活き活きすること。調和とは平和。
平和な環境から生まれてきたものを食べることで
平和(=調和=バランスが良い)になる。

一方、戦いの中で生まれてきた作物を食べると、体内に戦争のエネルギーをもたらす。

食べたいという想いで食べるのではなく、体とコミュニケーションしながら食べる。お腹が空いたというのは、体が必要なものを吸収する準備ができたということ。

これは、作物にも同様にいえる。

人間の心がとってやろうと思うと、肥料をたくさん入れる。それがバランスの悪い状態を生む。人間も同じ。これが良いから、あれが良いからと言ってたくさん与えられることで、最近では子どもたちが成人病になっている。

僕らは作物を作っているというよりも、そこをイヤシロチ化していくということ。潜象界から現象界にこの世界を創る最小微粒子の「カ」が満ちてくるところ。そういうところだと当たり前に作物ができる。手法としては、微生物をたくさん入れる。潜象界のカム(神)がミコト(命)となる。 

こうしたことを学ばせてもらう現場が田畑。そのようにかかわった場所を生命豊かにしていくのが、天然循環法。そうすると命が満ちていく。

こうしたことは、自分が宇宙の法則に沿ったものでないと、理解できない。
だからこそ自分の心を磨く。
そうすると田畑でなくても、どこにいても活力が溢れる場所ができるんだよ。


午後: 天然循環法 実践

今日の午後の講座は野外実習としてボカシづくり、土ボカシ、生ごみボカシ作り
そして室内で活性液と米ぬか活性液作りを行いました。

午後の講師はきょうこちゃん+畑隊のひろみちゃん、カトケン、こうちゃん。

木の花の米ぬか、水、木の花菌を入れて、手を使ってみんなで混ぜていきます。
ギュっと握って、つつくとホロッと崩れるくらいの水分量が出来上がり。

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「いい匂い~!」「おいしそう~!」という声。

きょうこちゃんが、「食べることもできるのよ。」というと、食べ始める受講生も。

このボカシはそのままだと腐ってしまうけど、土に混ぜると長期間保存が可能です。
すぐに使わない時は、土と混ぜるといいですね。これが土ボカシ。

それから生ごみの処理にもこのボカシを混ぜると悪臭もしません。
1週間くらい経ったら、土に混ぜると、その1週間後には跡形もなくなっているといいます。恐るべし発酵の力!こうして生ごみも潜象界へ戻っていくのですね。

その後、室内に入り、活性液作りをしました。
この活性液は、野菜を育てたり、お掃除をしたり、お風呂に入れたりと色々なことに使えます。

きょうこちゃんの説明を受けて活性液づくり
きょうこちゃんの説明を受けて活性液づくり

糖蜜、ぬるま湯、木の花菌を混ぜて作っていきます。
また米ぬか活性液は、家庭からの生活排水を汚染する米のとぎ汁を活性液で無害化し、有益なものにしていきます。

二人一組で活性液作り。この後、毎日、お風呂に入れて発酵させます。
二人一組で活性液作り。この後、毎日、お風呂に入れて発酵させます。

最後にみんなで感想と質問タイムを持ちました。

実習後の質問&感想タイム
実習後の質問&感想タイム

畑隊のカトケンからは、普段見ているものに対してのみんなの「すご~い!」という反応が新鮮で楽しかった。最初にどちらの菌を付けるかで、その後が決まる。心磨きも同じ。ネガティブな思考を持つと、その思いで行ってしまう。

受講生の元エリートサラリーマンのあわちゃんからは、
「こうちゃんがいつも楽しそうに畑をやっている意味がわかった」
いぶちゃんからは
「みんなで笑いながらできたから(活性液に)良い波動が入ったと思う」
みへちゃん
「微生物は目に見えないけれど、いっぱいいると思うと可愛く感じる。
微生物を観る目が変わった」

そして音叉セラピストのみどりーぬちゃんからは
「命が命をつないでいる。いさどんのしている話をシンクロしている」

それに対し、こうちゃんは
「僕は僕の感じた世界を発している。いさどんはいさどんの言葉で伝えている。
みんな宇宙の大元の心が入っている。だから語り合うんだよ。」

それを聞いてみどりーぬは、
「真実がわかった感じ。受け売りの話と実際に現場でやっている人の違いがわかる。頭ではない。体感するものと思った」

木の花ファミリーでは知意行一体を実践すべく生活しています。
これまでの知識編重のプログラムとは違う、感じて学ぶプログラムになりました。


 

プログラムの最後に受講生から質問がありました。

Q: どんな時にこれを捲くのですか?

A: 苗の時は1000倍、作物に元気のない時は2000倍、病気が発生し、広がるのを防ぐときは原液を捲きます。あとは、直観ですね。

どれだけ良い菌を補給しても、それを定着させる環境を作ってやらないと機能しません。


 

活性液と一緒に
活性液と一緒に

この世界は響きで成り立っています。みんなも響きを発しているよね。それは何を想って毎日を生きているかが響きによって表れている。自分が霊的に成長したり、高まったりすることで、この世に何をもたらすでしょうか?

 

 


第3日目:圃場見学&ファシリテーション講座&人格を学ぶ講座

セッション1:圃場見学

今朝は小雨が降る中、木の花ファミリーがどのように天然循環法を日常の暮らしに活かしているのかを感じるための見学がありました。

ガイドは畑隊のこうちゃん。

畑や田んぼ、鶏舎、配送センター、育苗センター、蜂小屋、しょうゆ醸造場などを見学。
木の花の田んぼと、すぐ隣にあるよその家の田んぼの土を、実際に触って違いを感じるということをしました。

白菜の畑でこうちゃんの説明を聞く受講生のみんな
白菜の畑でこうちゃんの説明を聞く受講生のみんな

農薬を使っているよその家の田んぼの土は、固くて、崩すとさらさらするのに対し、木の花の土は植物の根が絡みついており、ふわふわの土で、色も濃く、農に関わったことのない受講生も、明らかにその違いを感じることができたと、感動していました。


 

セッション2:ファシリテーション講座

午前2つ目のプログラムは、天然循環法・ファシリテーションの講座でした。

今年から、ファシリテーション講座も、天然循環ファシリテーションに変わりました。

基本的な論理と手法の話の後に、それに捉われない、直観に基づいたファシリテーションについての話になりました。

ここで、天然循環ファシリテーションについての解説スライドをシェアしますね。

天然循環法ファシリ

受講生は明後日から、木の花のファシリチームメンバーのサポートの元に、実際に木の花ファミリーのコミュニティ・ミーティングのファシリテーションの実習をする予定です。

 

セッション3:人格を学ぶ講座-序章 (報告:みかこ)

プログラムに変更があり、明日18日の予定の人生講座が今日に繰り上げになった。

人生講座はこの真学校の中でも重要な講座。いさどんが30歳の時に出会った「黄金の仏陀」から受け取った

名前とカルマの深遠な仕組みがここでは伝授される。カタカムナと出会って、益々名前の意味が深まった。ちなみにカタカムナでひもとくとナマエとは

ナ 成る。分身。質的転換。

マ 小さいマリが描く円軌道によって区切られた球空間。現象宇宙界。

エ 時軸が局部に限定されること。生きている間。

いさどんと美雅子で読み解いたのは、

「神の分身が質的転換して存在する時空間(とき・ところ)」

名前に、生まれる時空が示されているというのです。名前講座3で学ぶ地球暦「己読み」の目的と一緒ということです。

名前

序章はカタカムナの世界観をしっかりと学びました。音魂、数魂、言魂、型魂がカタカムナの世界の分類によって見事に整理されたのです。こんなふうに、カルマ読みも日々進化しているのです。

最後の15分で、いさどんに「どのようにカルマ読みがやってきたのか」語ってもらいました。

今まで黄金の仏陀はお釈迦様だと思っていたのですが、いさどんの中に入られたのは、実は大日如来だった事が今日のお話で解りました。大日如来は別の言い方をすると天之御中主大神のことだそうです。その黄金の光の中にお釈迦様も入っておられて、地上を生きる人々が、地上で生きながら経験を積んで、天に昇っていく道を示したのでしょうね。