真学校は皆さんが欲しい情報を提供する場ではない

私たちが何かを学ぶ時、まずは「こういうことを知りたい」という自分の希望があり、その希望通りのことを学べると満足します。そのような傾向を現代の多くの人々が持つ中、ジイジはこんな話をしました。


おはようございます。ここに立つといつも、昨日から今日へ、私の意志とは関係なくここに来てしまったと思います。止められないのです。生きているということは、死に向かっていくことを止められません。この世界にいるということは、常に変化します。そしてその変化とは、ただ単に変化する方向性のないものではなく、経験を積み重ね、それを元に変化していくのですから、進化していくとも言えます。
私は、どこかでこの変化し続ける状態を、変わらずに留めておきたいという心があります。ですが、動くのです。昨日から今日、今日から明日へと、止まることはありません。それを「留めておきたい」と思うのは、自我があるからです。私たちは自我という自分自身を持っているために、「このまま留めておきたい」と思ったり、様々な出来事に出会うことで心が波打つのです。

いつのことでしょうか。最近、時々面白い景色が観えてきます。それは極めて・・・言葉では表現できません。皆さん、お母さんの子宮の中にいた時のことを思うことはありませんか?子宮の中に浮いているでしょう?そこには上下はないですね。その状態を思い浮かべた時に、心がどんな感覚になるかを聞きたいです。昔でも未来でもいいですが、お母さんの子宮の中にいる自分を想像することはありませんか?

えいちゃん:
安心できて、心地良い。自分のしたいことをするけれども、自分がその中で収まっている。その安心というのを認識しているかわからないけれど、守られている感じ。

ジイジ:
他にはいますか?

ペイペイ:
私は逆です。紐に引っ張られていて不自由な感じ。想像ですが、その紐がずっと自分の周りにあって、どこかに引っ張っていこうとする。暗い中でどこに行くかわからない状態は、不安定ではないかと。

カラ:
子宮の中は、色はちょっと暗い赤色。周りは水で、安心感があり、浮いている。心はきれいな状態。今も実際にプールで泳ぐ時にそういう感覚があります。どこからも支えられていて、何も考えなくても大丈夫。

ジイジ:
何も考えなくても大丈夫という感覚を言葉で表現すると、どのように表せますか?

カラ:
考えなくても全部わかっているから、世界と一体であるという感じ。

ジイジ:
私のイメージは、極めてリラックスした状態です。全てを明け渡して何も心配がない。ゆだねている。そういう中に、自分が浮いている。
今皆さんにお話ししたいことは、私たち人間が、「私」という自我を成立させ、肉体の中に入り、人生を歩み出しましたね。それは人生のスタートですが、人生は1回だけではありません。何度も生まれ、生き、死を迎えて肉体から離れ、しばらくするとまた肉体を持って生まれるということを繰り返しています。輪廻しているのです。カタカムナ的に言えばそれを7回繰り返し、魂の質的転換をして、あるところへ向かっています。僕は、その最終到達地点をイメージしていました。どういうところへ向かったら、私たちはその旅の終わりを迎えられるのか。そういう話をしたかったのです。

このプログラムは、皆さんが欲しい情報を提供する場所ではありません。同時に、皆さんが求めているプログラムでもあります。それは矛盾しますね。ですが、皆さんがすでにわかっていて求めていることを提供しても、仕方がないでしょう?
皆さん、わかっていることを提供されて、それは何のためになるのですか。今まで見たことのない視点や、考えたこともないような捉え方に出会い、人は初めて新しいところへ行くのです。
今朝ここに立った時、昨日もここに立ち、今日もここに立ったということは一日が経ったということですが、そのことに対して抵抗する自分がいるという話をしました。それは私に自我があるからです。昨日から今日、今日から明日へと向かう時に、自分の思うように進みたいと思う自我があるからです。ですが、残念ながらその自我は、毎日毎日、瞬間瞬間、一生無視され続けます。ですから私は、昨日から今日へと、自分の意志とは違う状況にいつも追いやられていることに抵抗しながら、その自分の意志が無視され続けていることが一体何であるのか、そこから何を提供されているのかを、考えるのです。
自分が無視され、一方的にそういった状況に追い込まれていると思えば、不愉快にもなります。それは、自分の考える通りにやりたいという心があるからです。しかしその自我を無視され続けることが、生きるということです。ということは、生きるということは、何かの罰でも受けているのでしょうか?

私は今、皆さんがこれまでの自らの魂の歴史の中で、おそらく考えたこともないような話をしています。それは、今まで皆さんの興味が届かなかったところの話です。そこに興味がなければ、そんな話は聞かなくてもいいでしょうか。自らの求める情報の中だけで存在すればいいでしょうか。そのような精神状態で、私たちはこの世界を生きていくのでしょうか。

この世界は、確かに私たちを包んでいます。あなたの器であるこの世界は、あなたの思うようにはならない世界です。では、なぜ皆さんはそんな場所に存在しているのでしょう。どうしてそんな所に生まれてきたのでしょう。その場は、心地いいですか?
もしも今、皆さんがこれまでに使ったことのない脳を使っているとしたら、それは新しい自分に出会うチャンスです。

今、私が語ろうとしていることは、円ではなく球です。ただ、それを話すには順序があります。つまり、いきなり球を描くことはできませんから、まずは球の端から話し始めていきます。(両腕で大きく輪を描きながら)このように輪を作って、(少し角度を変えてまた輪を描きながら)それをまたこう作って、(さらに少しずつ角度を変えながら)こう作ってこう作ってこう作って・・・と輪を描いていくと、いつの間にか全体が球になり、その中に私が入っています。その状態は、皆さん一人ひとりも同じ状態です。でも、今私が何を言っているのか、わからないですよね。そしてこの話の先にどこへ向かおうとしているのかも、わからないですよね。
そこで先ほど少しお話ししましたが、私はあることを皆さんに伝えたいのです。それは、皆さんがこの場所に来たことの目的です。私たちは赤ちゃんとして生まれ、人生を生き、死を迎えて一回の人生を終わります。その間、あなたは一度も自分の思う通りに生きてはいません。今だって、瞬間も、自分の思う通りには生きてはいません。それなのに私たちは、自分の思い通りにしようとする自我を持ち続け、生きているのです。

私は今、何を言おうとしているのか。私たちは、自我を膨らませるために生きているのではない、ということです。そして、何かを得るために生きています。でもそうだとしたら、一体何を言っているの、という話でしょう?それは、私が今語っていることが、皆さんにはわからないからです。皆さんがわからない状態だということは、私が今語っていることは、皆さんの新しい世界を開くものなのか、それともまったく無意味なことを言っているのかの、どちらかだということです。

もしも私の言っていることが無意味だとしたら、皆さんは何のためにエネルギーを使い、1ヶ月間を過ごすためにここへ来たのか。かわいそうな話です。しかし私は今、それだけのエネルギーをかけてここへ来た皆さんにふさわしいものを提供しようと思い、この話をしています。それは私からしたら、表現のできないようなプレゼントです。しかしそれに興味がなければ、この1ヶ月間の旅は非常にもったいない旅になります。興味がないということは、あなたは自分の知っている景色だけを求めている人だということです。
昨日から今日へ向かってここまで来るのに、昨日の時点で今日の景色が想像できましたか?もしも明日はこうなるんだと決めつけていたら、それは自我です。未来など、何も保証されていません。それが生きるということです。しかし人間は、明日も同じ日が来ると思い、それを自らの自我の中に組み込みます。けれども組み込んだところで、では逆に明日が来るのを止めることができるかというと、私たちは止められないのです。

明日が来るということは新しい自分に出会うことであり、そして今の自分が強制的に明日に連れていかれる、つまり、自分を無視されたということでもあるのです。今日から明日、明日からその先へという動きがあるでしょう?それは時の動きです。時というものが動き、その時が、私たちの入れものとなる器をつくっています。私たちが渦を巻き、時という器の中を旅しているということは、そこに空間が発生し、その空間の中で時空の旅をしているということです。
そしてその時空という旅の場所を、宇宙と言います。宇宙はどこにあるのかというと、ここです。皆さんが中国に帰れば中国、台湾なら台湾、日本にいれば日本の場所というように、この世界のことです。そして昨日から今日、今日から明日へと、私たちは旅をしているのです。台湾や中国から飛行機に乗って日本に来て、予定を立ててスケジュールを消化しますね。それを旅行と言います。それと同じように、皆さんが毎日の普通の生活を今日から明日へと進んでいくことも、旅です。それがここにあるのです。
私たちはお母さんから分かれ、生まれました。そして、人生という旅をします。そして死にます。今は、今回の旅の途上であるだけです。今が今回の旅の途上のある地点だとして、未来には死にます。本当はその死の先があり、死の地点からふっとワープして生まれる地点へ来て、また人生という旅を始めます。そしてまた死の地点へ来たらふっとワープし生まれる地点へ行って、旅をします。それを、カタカムナ的に言えば7回繰り返し質的転換をすると、新しい景色が見えます。

この人は、何を考えてそのことを皆さんに伝えているのでしょう。今話している話では、皆さんは理解はできていません。何か大切なことを言っているなと感じている人もいれば、何だかわからないと思っている人もいれば、興味ないと思っている人もいるかもしれません。ですが、なぜこんなことを時間をかけてやっているのかというと、そもそもこのプログラムに参加したということは、皆さんが考えたこともないことを提供するためにこのプログラムはあるのであり、それが目的で皆さんはここに来ているはずなのです。そうでしょう?学校の勉強でも、人生の体験でも、わかっていることを学習していますか?もしもわかっていることを体験しようとするなら、それは無意味なことです。わからないことを体験し、そしてそれが何であるかを観るからこそ、あなたは体験する意味があり、学習する意味があり、新しい自分と出会えるのです。

人間は自分の予定を立て、目的のところへ行って予定通りのことをこなし、それで成功だと思っています。その考え方自体が、生きているということと違うということがわかったら、この1ヶ月間、時間をかけて、皆さんがエネルギーを使ったことは有効です。

 

 


私たちは枠の中で生かされている ~ 人格を学ぶ講座4・地球暦

「人格を学ぶ講座」では、カルマ読み、カタカムナと並び太陽系時空間地図「地球暦」を用いて、一人ひとりの人生地図を読み解きます。さて、地球暦を学ぶことに、どんな意味があるのでしょう?


カフェ&ショップ・ロータスランド

ジイジ:
ロータスランドに池を作って3年目になります。今年は初めて、池の鯉の産卵をさせようと思っています。ロータスランドの鯉は錦鯉と言って、人間が改良したものです。野生の鯉は、5月から6月頃に水温が18度以上になると産卵します。錦鯉は人間が改良したもので、なぜかそのまま池にいても産卵しません。それで、3月の中頃から、産卵させたいメスだけを別の水槽に入れて飼っておいて、5月にその温度になった時にオスを入れてやります。そうすると産卵します。そういう技術があることは知っていましたが、より詳しく調べてみると、鯉は大潮の時に産卵するそうです。人間も、大潮の時には出産が増えると言います。しかし人間の世界では、お医者さんが陣痛促進剤を打って、人間の都合で早く産ませたり、帝王切開をしたりするので、そのリズムから外れるのです。

今日も、地球暦を使って一人ひとりの人生地図を読み解きます。そのもとは、宇宙は数であるということです。カルマ読みでも、私たちの名前の文字の画数が表す法則性から読み解いていきますね。それは、数理という、宇宙の成り立ちを利用しているのです。
地球暦は、私たちが生まれた時の太陽と惑星の配置から、その人の人生地図を読み解いていきます。さらに、カタカムナの単音の思念からも、その人の性質を読み解きます。それは一見特別なことのように思えますが、鯉が大潮の日に産卵するのと同じように、宇宙と連動しているということを元にして、私たち人間のことも読み解いているのです。
昨日から今日になるのは、地球が自転しているからです。去年から今年になるのは、地球が公転しているからです。私たちは宇宙を旅しているのであり、それは、このような形で私たちの人生を分析することと何ら変わりません。私たちは、毎日の体の生理、リズム、思考、すべてが宇宙と連動して、人生を生きているのです。

去年亡くなったスティーブン・ホーキング博士という物理学者がいました。彼は亡くなる前に、「AIが私たち人間に代わって世界を支配することはあるのでしょうか」という質問に答えたことがあります。彼の答えはとてもわかりやすく、「もしもAIが自分たちで進化する様な能力を与えてしまったら、危険でしょう」と。私たち人間は常にAIをコントロールできる立場にいるべきだと。それに対して、番組のコメンテーターは、今や技術的能力や生産能力は、AIの方が私たちを超えてしまったと言いました。より精度のいいものを作ったり、大量生産するのに、彼らは疲れないのです。未だ超えていないのは、頭脳だけです。
そこで番組では、何となく不安になるのです。人間はどこかで、進化に対して制約があります。何かが制限している。ところがAIにそのプログラムをすると、どんどん進化していく可能性があるのです。
その番組を観ていて、私は思いました。人間の存在は枠の中に入っています。何の枠かというと、宇宙という枠です。そして生命としての人間は、地球生態系の枠の中に入っています。宇宙や地球生態系の生命としての循環の中にいるからこそ、人間というのは初めて成立するのです。しかし、人間が可能な限り進化する能力をAIに与えると、AIはその枠を超えていってしまうのです。

錦鯉が大潮の日に卵を産むことは、誰も教えていません。しかし、ちゃんとその時に卵を産みます。例えば私の体温は36.5度くらいが平熱ですが、今は35度台です。33度になると意識を失い、30度になると死ぬそうです。私たちは枠の中にいます。それは、生命という枠です。何か知らないルールの中に生きるように設定されているのです。
その設定しているものとは、一体何ものなのか。そして私たちとの関係は、どのような関係なのか。それを探求するのが、これからの人類の課題でしょう。人間は、そういった存在があることを今、忘れてしまっているのです。科学は、どんどん探求していくと、私たちがそういった枠の中に生かされていることを無視して、無限に探求しようとします。その先は、未来の人々が考えることでしょうが、ホーキング博士はこうも言っています。私たち人間は、宇宙を観て、健康で健全に生きていくことを考えるべきなのです、と。
彼は科学者ですが、科学者はこの世界をどんどん分析し、人間の可能性を広げてきました。その結果、現代のような宇宙の枠や自然の枠から外れて、彼らの思う豊かな世界をつくりました。ホーキング博士は現代で最も優秀とされる人々の一人だと言いますが、その人が死ぬ前に宇宙を観て、地球を健全に生きていくことを考えようと言ったのです。
アインシュタインは亡くなる前に、私は真実を探求したいのではなかった、私は神の意思を知りたかったのだ、と言いました。彼らが共通して言っているのは、私たちはある枠の中にいるから成立するのだということです。能力が高いからといってその枠を超えてまで探求してしまったら、私たちは存在しない。枠と共に生きなさいということです。

1ヶ月間の真学校では、その枠があることを知り、私たちがその枠のルールを意識して生きると、あなたも、人類も、地球も豊かで健康で生きられるということを伝えたいのです。
その枠とは何でしょうか。私たちの存在のもとである、命という枠でもあります。それを元々命でないもので発展させるのが、AIの存在です。それは技術革新や豊かさの表現のために出てきたものですから、有効に活かすことは誰も否定するものではありません。しかし私たちは常に、その宇宙の枠の中にいることを意識して生きるべきなのです。

AIの成長曲線を解説するいとちゅう

いとちゅう:
人間の進化をグラフで表すと、直線的に上昇していきます。だから人間は、AIも直線的に進化していくと無意識に思っています。しかしAIの進化は指数関数的で、ある地点を境に一気に上昇するのです。それをシンギュラリティと言います。人間がAIをペットのように思っていても、ある瞬間に一気に人間を超えてしまう。ですから、AIが人間の最後の発明だとも言われています。

ジイジ:
それは枠のない状態です。しかし人間には、ちゃんと枠がはまっています。
地球暦を読み解いても、完全な人はいません。逆に言うと、不完全な人ばかりです。しかし欠陥があるからこそ、人間は何かと連動しながら生きていくのです。現代の人類の進化を象徴している科学の世界では、科学者たちがどんどん無限に探求しようとします。そこでどうしたらいいかは未来の人々が決めるのでしょうが、私は人々に、神様と共に生きなさい、と言いたい。
神様を忘れた人間たちは、暴走します。神の存在を知っていたら、神と共に歩むから、絶対に暴走することはありません。神の定義はいろいろありますから判断もいろいろですが、宇宙の法則と共に生きなさいということです。
そこで今日は、この地球暦の講座を通し、私たちの人生に流れている宇宙法則について読み解きます。

 

 


プライバシー保護であなたは本当に守られている?~ 人格を学ぶ講座3

木の花ファミリーでは、毎晩大人メンバーが集い「大人ミーティング」を行います。そこでは、その日にあった出来事や自分の心の内を皆にシェアし、そこから感じたことを互いに伝えあいます。そして真学校受講生やゲストも、自由に参加することができます。
この大人ミーティングでファミリーメンバーの一人が自らの心の内をシェアし、皆で語り合った翌朝の講座で、ジイジは「プライバシー」について語りました


最近ラジオ体操のやり過ぎで筋肉痛のジイジです。体を活性させたり、その状態を意識するようにすると、自分自身の状態がよくわかるようになります。そうすると、怪我をしなくなります。しかし自分の体の状態を知らずにいると、注意せずに負荷をかけ続け、怪我の元となります。

木の花ファミリーでは、昨夜の大人ミーティングのように、個人的な問題ごとを全体のこととして、みんなの前でシェアします。その時に、個人に起きたことに対し、みんなから観える景色を伝えていきます。一般社会では、こういったことはプライバシーと言って、積極的に人の前では出さないものです。プライバシーが保護されるということは、ある意味その人が守られているという考え方が現代社会にはあるのです。しかし、私たちの生活ではその解釈を逆に捉えています。ここでは、個人のことをみんなのこととして、積極的に出すようにしています。同時に、出せる環境をつくっているのです。出せる環境と出す人、その両方を作るよう心掛けています。そういった場では、いつもみんなが何を考えているのかが、互いによくわかるようになります。それによって、全体に信頼関係が生まれます。

ここへ自然療法プログラムを受けに来る人は、いろいろなことで行き詰った結果、ここを訪れます。そしてここで滞在し、自らの状態を改善しようと決意しますが、その時に多くの人が心配することがあります。それは、大勢の人の中で暮らすことです。「私は大勢の中で生活するのが苦手です」「やったことがないので不安です」という人が多いのです。そこで私は、だいたいいつも決まったことを伝えています。あなたがたくさんの人と暮らしたり、たくさんの人があなたのことを見ているのが嫌だからこそ、そういったあなたの姿勢を改めるために、たくさんの人の中にこれから入るのですよ、と。それは、新しいあなたに出会うチャンスを提供するということです。

そう言われても、当然本人はその通り受け取る気持ちにはなれないものです。しかし、それまでの自分ではいけないと思っている人は、僕の提案を受け入れます。そこで、改善する意欲もなければ、僕の提案を受け入れないようなことでは、このプログラムの結果に良い答えは出ませんから、その場合は滞在をお断りする場合もあります。
滞在を始めると、ここに生活すること自体がいつもと違うリズムになりますから、まずはそれに慣れることから始めます。ですから最初は、症状の重い人は特に何もせずに、とりあえず毎日を過ごしてもらいます。少し慣れてきたら、日記を書いてもらいます。日記はだいたい決まった時間に提出してもらい、私と、サポーターがその日記を見ます。通常、日記は人に見せるものではありません。日記を人に見られるということは、一般的にはプライバシーの侵害です。心の病気をしているような人は、日記なんて書いたこともないという人が多いものです。ですから日記を書くこと自体が初めての経験であり、その日記を人に見せることで、自分の中にいつもあるけれども外には出さずにいたことを、オープンにするわけです。
オープンにすると、その人の人格的クセや、日頃出さずに内側に溜め込んでいたものが観えてきます。それに対して私がコメントを書きますが、コメントはその人のものの捉え方からは違った視点で書かれます。そうすると、日記を書いた人は、自分の考えとは違う視点をそこに見ることになります。始めの頃は、だいたいそのコメントを無視して日記は書かれていきますが、そのうちに、コメントに反応するようになります。どちらにしても、自分が本来閉じていたもの、プライバシーとして守られていたものが、だんだん外に出てきます。その外に出たものに対して、今度は私の方からの視点によってフィードバックされるのです。そうすると、それまでになかった新しい視点がその人の中に入ります。

始めに、毎日体を活性し、自分の体がどんな状態かを知っていくと、怪我をしないようになるということをお話ししました。
普通は、健康に毎日を暮らしていると、何も自分の内にあることをオープンにする必要は感じません。オープンにしないのは、プライバシーを保護されているということで、自分が守られているという認識になるのです。それで守られていると思っている人ほど、自分の考えの中でしか生きていません。それがだんだん強くなっていくと、それが自らの考えだという認識すらなくなり、自動思考になっていきます。簡単に言うと、よく考えないで、いつものように自動的に行動しているという状態になるのです。それでもそういう自分の状態を外にオープンにしないことを、守られていると思っています。
心の病気や問題ごとが起きて自然療法プログラムを受ける人は、そういった状態になることによって、症状が現れた人たちです。そしてそれは、健康な人であっても、同じことが言えるのです。ただ、健康な人は自らの問題を認識していませんから、それをやり続けられるだけなのです。

自然療法プログラムで、日記のコメントに反応をするようになった人は、その分だけ、私からの新しい提案を受け入れます。自分の考えよりもその提案の方が自らにとってより有効だということを理解したら、さらに、みんなの前でそれを発表することを提案されます。どんどんプライバシーがなくなっていきます。そのうちに、その人は自分からプライバシーを破っていくようになります。自分を守る心を、無しにしていくのです。そうすると、知らない間に、自らの考えや行動に対し、新たな考え方や行動の仕方が入ってくるようになります。それが活性するということです。そして自分のやることに対して周りから返ってくる反応やフィードバックを通して、自らの姿を知っていくようになります。つまり、客観的視点を持つようになるのです。

多くの人は、プライバシーが保護されることで自分を守っていると思っていますが、それは自分が自分の中に閉じこもっている状態です。自分の中で閉じこもっていると、そのうちにそれがパターン化し、思考もせずにただクセのままに行動しているという状態になります。健康であればそれをそのままやり続けていきますが、病気になったり引きこもってしまったりすると、そのこと自体が問題ですから、それを改善するために、こういったプライバシーのないところへ来て、最初は無理やりオープンにして、しまいには自分からオープンにするようになるのです。それが自由にできるようになると、もう病気ではありません。プログラムの卒業となるのです。
始めはなぜ自分が病気になったのかがわかりませんが、ここに滞在し、客観視点を身に付けていくうちに、自分の中に閉じこもっていた心が自分自身を病気にしたのだということがだんだんわかってきます。そこで自分の殻を破ってオープンにした時に、画期的な改善が見られ、新しい人生が始まるのです。その時に、面白い現象が起きます。その人の中に、感謝が生まれるのです。それまでそんな状態の自分に付き合ってきてくれた親や周りの人たちに感謝したり、木の花ファミリーのサポートに感謝したりするようになります。それどころか、私は病気になったからこのことに気付けた、と、病気にまで感謝するようになるのです。

病気は、知らぬ間に閉じこもっていた自分の殻を破ることを、気付かせてくれました。そのように人生を観ていくと、その人はやはり病気になるべきだったのです。そして病気になってありがたい、という段階へ行ったら、自然療法プログラムは卒業となるのです。そこで、その人の病気に対する認識がまったく変わるのです。
木の花ファミリーで暮らす人は、それがいかに大切で、自らに成長をもたらすものであるかを知っているからこそ、このようなプライバシーのないところに進んで生活しています。よくそんな所で暮らせると外の人は思うかもしれません。しかし、ここで暮らすことの大切を知っている人々は、それが喜びとなるのです。幸せや喜びに対する視点が違うということです。

宇宙は常に変化し続けます。私たちもその中に生きているのですから、常に変化、変容、変態を繰り返しています。それが宇宙の掟であり、自然の掟です。ですから、自分の中に閉じこもって活性していない状態は、宇宙の法則から外れているのです。
活性するとは、循環しているということです。循環するとは、一つ目から二つ目、二つ目から三つ目へと、自動的につながっていくことであり、そうしてすべてがつながることによって、宇宙全体が調和のもとに動いているのです。全体が動いている中に自らも存在するということは、個々のプライバシーはないということです。しかし、自らを主観で守っていると思っている人は、自らの情報を自分の中だけに抱え込み、それで守られていると思っているのです。しかしその認識は、自然や宇宙の法則からは外れていることになります。ですから、そういった場合、たとえ体が健康であっても、それは症状が出ていないだけで、この世界にとっては病気の状態なのです。

今日は、「人格を学ぶ講座」に入って3日目です。
自分を守っているということは、客観的な外からの視点が無いということです。客観的視点がなければ、自分がどんな考えをし、どんな行動をして周りにどんな影響をもたらしているかということが観えません。そうすると、自分のことがわかりませんから、人生の中でいずれ怪我や病気やトラブルに出会います。そこで客観的視点がなければ、その原因が自分にあるとは思いもせず、ましてや病気に感謝することなどまったくありません。
しかし私たちが病気や問題ごとに出会うのは、宇宙の法則です。簡単に言えば、神様が、私たちが法則から外れているから、その出来事を与え、元へ戻ることを教えてくれるのです。そのことに、病気や問題ごとに出会う前に気付いて、生きていると、毎日が変化の連続で活性します。そして常に心がオープンですから、周囲との絆も深まっていきます。そこに感謝できるようになると、人は優れた人生を生きることになるのです。そのような人のことを、覚醒者と呼びます。悟った人のことです。
現代には、そのような人はほとんどいなくなりました。ここは、そういった解釈を訪れた人々に提供する場所です。皆さんは、覚醒することを目指してここに来たのでしょう?しかし、ただ情報を得ているだけでは、覚醒者にはなれません。自らをオープンにして、自分と向き合うだけの勇気、意欲を持たないと、覚醒者にはなれません。つまり、自分を救うことはできないということです。そしてそれは他の誰のせいでもない、あなた自身の責任だということです。

私は、一人でも多くの人が目覚めていくことを望んでいます。なぜなら、地球がそれを求めているからです。そして地球が喜ぶからです。私たちのすべてである地球が喜ばない生き方を、私たち生命は絶対にしてはいけません。

 

 


生きることは体に歴史を刻むこと ~ 人格を学ぶ講座

第1週から第2週にかけて、全8コマにわたって行われる真学校でもっとも大切な講座が「人格を学ぶ講座」です。この講座では、カルマ読み、己読み、カタカムナの単音の思念という3つの手法を用いて、個人の人格を総合的に読み解いていきます。講座は、ジイジのこんなお話から始まりました。


あっという間に1週間が経とうとしています。時々思うのですが、未来に向かって一方通行に流れていくこの時の流れを、なぜ止めることができないのでしょう。そんなことを思うことはありませんか?普通はそんなことは考えないかもしれません。でも僕は、何か強制されているような、制約されているような気がするのです。
なぜそんなことを考えるのかと思ったことがあります。もしかすると、自分が今のような時間の制限がないところにいたからではないか、と思ったこともあります。私たちは生まれてから・・・といよりも、お母さんの体の中で命として発生した時から、1日24時間、1年365日という、1秒1秒を規則的に刻んでいくサイクルの中に入りました。そこにかっちりとはまって、そのサイクルから抜けることはありません。このように、私たちがこの世界に存在するということは、たくさんの制約のもとにあります。

まず、人間として生まれたということは、私たちは鉱物のような存在ではありません。有機物ですね。有機物は、例えば水分を与えると腐ります。熱を加えて水分が抜けると、炭素になります。そして、ただ単に有機物であるだけならば、この世界の命の循環活動の中にはいても、それそのものが生命として活動はしません。私たちは、「自分」というものが成立する時点で、同時にそこに「自我」が成立するのです。
山に生えている木々や植物、動物たちも、皆同じです。しかし、例えば木だったら枯れる、動物だったら死ぬということになると、また単なる有機物になり、腐り、自然界へと還っていきます。単なる有機物であることと、自分というひとつの個体として生命として成立していることは、意味が違います。今私たちは、人間として、一人ひとり名前を持ち、戸籍があり、自分という特定の素性を持った存在です。

今年の1月に、メンバーのみかちゃんのお姉さんのよこちゃんが亡くなりました。よこちゃんはずっと病院に入院していて、ここでは暮らしていませんでしたが、木の花ファミリーのメンバーです。若い時に統合失調症を発症し、体も弱く、6年ほど前にお母さんが亡くなったことをきっかけに木の花ファミリーで引き取りましたが、なかなか一緒に生活をすることが難しく、この近くの病院に入院していました。そして1月末のある日、病院から「容態が急変したのですぐに来てください」と電話がありました。僕もみかちゃんと一緒に病院に行きましたが、病院に着いた時には既に亡くなっていました。お医者さんが言うには、夕方お医者さんが彼女を見た時にはいつもと変わらない様子だったらしく、看護師さんが夕方にお世話した時にも「ありがとう」と言って、ご飯も食べて、いつも通りに寝たそうです。そして夜9時半ごろに看護師さんが様子を見に行ったら、もう亡くなっていました。死因は心不全とのことでした。人間は、誰でも心臓が動かなくなれば死にます。人間にはいろいろな死因がありますが、死ぬということは心臓が機能しなくなるということですから、最終的には皆、心不全です。
それで病室に案内され、よこちゃんの遺体と対面しました。不思議なことに、ベッドに横たわっている彼女の姿から、生命力をまったく感じませんでした。それは確かによこちゃんですが、そこに生きている波動を感じないのです。それは単なる有機物で、抜け殻だと思いました。それまで入っていたものが抜けてしまった、という感じです。彼女は6年前に初めてここに来て、僕たちは、彼女がその体を使って自分というものの意志表示をする姿に出会っています。ですから、確かに中によこちゃんがいたのに、それが抜けて、病室のベッドの上にはセミの抜け殻のように空っぽのものが横たわっていました。
皆さんは死体を見たことがありますか?(全員が手を挙げる。)それは、生きている時と違いますよね。その人が、体の中にいないのです。ある程度の年数を生きれば、その体を使ってその人が人生を表現していたことは、私たちの中に記憶として残っています。その姿を知っていて、その人が無くなると、何かが抜けてしまったように見えるのです。

もう一つ、最近死に出会いました。よこちゃんが亡くなった時は「亡くなったんだな」と思いましたが、最近出会った死は、それとは違います。
木の花のメンバーの一人が、妊娠していました。妊娠11週でしたが、1週間ほど前に病院に行ったら、心音が聞こえませんと言われました。それで別の病院に検査に行くことになっていましたが、その日の朝、トイレに行ったらその赤ちゃんが出てきたそうです。それで、彼女は同じ家にいたみかちゃんに、その既に心臓の止まっている赤ちゃんを見せました。そして元々病院に行くことになっていたので、赤ちゃんと一緒に病院に向かいました。その途中で、子宮に残っていた最後の胎盤も出て、病院に着いた時には子宮の中は空っぽになっていたそうです。だから病院では何も処置する必要がありませんでした。彼女は赤ちゃんの写真を撮って、大人ミーティングでみんなにシェアしました。赤ちゃんは手のひらに乗る大きさで、指も爪もあり、口は開いていて笑っていました。
なぜ亡くなったのか、原因はわかりません。生まれてくる縁がなかったということでしょう。僕はその写真を見て、こう感じました。よこちゃんは、今までずっと入っていたものが抜けたな、という感じがしたけれど、この人は脱け殻ではない。まだ一度も使われていない、人間の形をした肉の塊。つまり未使用です。よこちゃんは人生を経験した、言わば使用後の脱け殻ですが、赤ちゃんの方はまったくカルマが使われていない未使用の状態です。そこにとても大きな違いを感じました。
もう一つ感じたのは、よこちゃんは人間です。でも赤ちゃんは、宇宙人です。僕は赤ちゃんの写真を見て、直感でそう感じました。そして、生きるとは、私たちの体の中に、生きた歴史を刻み込むこと、喜んだり悲しんだり、そういったことのすべてを刻み込んでいくことなのだと、この二つの体の違いを観て気付いたのです。

僕はよこちゃんに病院で出会った時、彼女の体は脱け殻でしたが、その場に彼女の魂がいるのを感じました。彼女は僕に、いろいろありがとうございました、と言いました。とても明るい声でした。そして翌日に遺体を引き取りに行き、木の花でお葬式をしました。木の花では葬式とは言わず、「出発(たびだち)式」と言います。死は、次のステージへと出発するのですから、みんなで卒業をお祝いし、次のステージへと送り出すのです。出発式の前夜には、ちょうど富士浅間木の花祭りの新しい演目である「このはな八重の舞」のお披露目会が予定されていました。かつてよこちゃんがここに暮らしていた時に、この祭りの舞の稽古を見て自分も一緒に踊って楽しんでいたこともあり、お披露目会ではよこちゃんの棺を神座の前に置いて、その前でみんなで舞い踊りました。その時に僕は、よこちゃんの魂が子どものように楽しそうに、一緒に舞い踊っているのを感じました。

出発式の前夜の「このはな八重の舞」

よこちゃんは体が不自由で、体型も小さく、ある時から心を病んでずっと精神病院に入院していました。子どものころはとても明るい子だったそうですが、19歳の頃から性格が変わり、お医者さんにも「性格は薬では治らない」と言われるほどでした。でも病院で僕に「ありがとうございました」と言った時も、このはな八重の舞を踊っていた時も、小学生のように幼く、明るい、素直な人でした。
日本の仏教では、人間の魂は死を迎えてから四十九日はまだこちらの世界にいて、死後の世界への準備をしていると言われています。3月15日はよこちゃんの四十九日です。その日、真学校では死生観の講座をやります。そしてその夜、2年前にガンで実際に死にかけて復活したきょうこちゃんの物語を、木の花劇団が劇として演じます。
なぜ四十九日かというと、七×七だからです。七は質的転換、つまり切り替えです。七を七回繰り返し、納得して旅立っていくのです。よこちゃんの魂は未練の残る死に方ではなかったので、魂は乱れていませんでした。それでも時々、まだこの辺りにいるのを感じます。でも四十九日を過ぎたら、もう感じなくなるでしょう。人生を生きて亡くなると、生きた記憶が体に刻み込まれているから脱け殻になる。そして亡くなった後も、魂の世界へ旅立っていく準備をする、そういう過程がいるのです。しかし赤ちゃんの方は、まったく人生を生きていない。だから何の未練も経歴もなく、その遺体は病院にどうぞと預けて、終わりです。出発式も四十九日もありません。それはある意味、美しい状態です。

3月15日の劇は、死ぬはずだったのに蘇ってきたきょうこちゃんの物語です。実際に生のきょうこちゃんがいますから、話もできますよ。よこちゃん、赤ちゃん、きょうこちゃんの物語をこうやって一度に皆さんに紹介できるのも、まるで真学校のために準備をされていたかのようです。今年の真学校に対しては、見えないところから特別なメニューが用意されているのかもしれません。

なぜこの話をしたのかというと、私たちは命をつないで人生を生きており、そこではいろいろなことに出会います。その出会う出来事をどのように受け取っていくのかは、皆さん一人ひとりの人格の問題です。一人ひとりの人格に応じて様々な体験をし、いい人生を送ることも悪い人生を送ることもありますが、それはすべて、自分自身の魂を学習するためのものだということです。
これから「人格を学ぶ講座」に入ります。この講座では、自分のカルマはどのようなものであるのか、そして自分は宇宙から何を託され、それを受けてどのような人格をしているのか、さらに、自分がどのような響きを発して人生を表現しているのか。この3つの側面から、皆さんを分析していきます。
自分自身のことが理解できると、問題がある場合は、それを改善できるチャンスです。順調な人はそのままでいいですが、難しいのは、自分はこうだと思い込んでいる人です。自分が自分の枠の中にいて、本当の自分を知らない人は、自分自身に対して間違った認識をしています。ですから問題ごとに出会うと、相手が悪いとか、運が悪いとか、自分の外に原因があると思うのです。しかしこの世界は因果応報ですから、自分に起きていることはすべて、自分が発したことが返ってきているのです。それがわからないと、人生を生きている間に起きることはすべて人のせいになり、自分自身の状態が悪くても、良くすることはできません。自分自身を客観的に正しく見て、問題点を自己コントロールし、正せる人。それが悟りであり、いい人生を生きられる人です。これからいろいろな情報を提供しますが、自らを正しく捉える術を学ぶこの「人格を学ぶ講座」は、1ヶ月間の真学校で最も大切な講座です。

 

 


真実は変わる ~ 現代科学を超える宇宙物理・カタカムナ

真学校5日目は、いよいよ「カタカムナ」の講座に入ります。
カタカムナは、およそ1万3000年前に東アジアに栄えていた宇宙物理文明です。今、なぜカタカムナを学ぶのかについて、講座の冒頭にジイジが語りました。


ジイジ:
おはようございます。確かに昨日とは違うジイジです。昨日から今日までに地球は259万2000km移動しています。ここは宇宙空間です。今私の目の前にある一点は、地球と共にありますが、それは空間であり、地球が移動したらこの一点は宇宙空間に出ます。6分40秒ごとに地球1個分ずつ、私たちは宇宙空間を移動しています。たったの6分40秒で地球1個分ずつ移動しているわけですから、私たちが日常感じている感覚とは、宇宙の実体はまったく違うものです。
地球は自転しながら歳差運動をして公転するという、とても複雑な動きをしています。昔の人々は、今のように科学的に宇宙を観測し、データを持っているわけではありません。しかし、そのことを感じていました。
ガリレオは木星を観測して木星の周りを周る衛星を発見し、その観測から地球が動いていることを確信したのだと言います。当時の世の中は地球が中心であるという天動説が中心でしたが、ガリレオは地球が中心なのではなく、地球は太陽の周りを周っているのだという地動説を説きました。でも人によっては、地球は平らで、地面の下には象や亀がいて地面を支えていて、その周りを太陽や他の星々が周っているのだということが真実です。
人は、その時に自分が持っている情報と、自分が感じたことで、「これが真実だ」という答えを出したがります。それはそれでいいでしょう。何が言いたいのかというと、その時々で見えること、その時々で理解できることによって、私たちは真実を真実を決めてきたということです。ということは、真実は変わるということです。

本当の真実とは、どこにあるのでしょう。何かがわかった段階でそれが真実となり、次の真実、次の真実と移り変わっていきます。私たちはそうやって命をつなぎ、歴史をつくってきたということを、まず理解する必要があります。ですから、今からお話しするカタカムナの世界観を、現代に当てはめて、これがすべて正しいということを伝えたいわけではないのです。
今の世の中は、お金がもっとも重要な社会です。そして科学・テクノロジーが主体となって社会が成り立っています。そのことを私たちは否定できませんし、それで社会が回っていることは事実です。その中で、もしも科学者が「これが絶対だ」と考えてしまったら、それだけで答えを出していかなければならなくなってしまいます。その絶対は、10年、30年、50年前だったらいいかもしれません。けれどもそこで、地球の周りを天が回っているという世の中の説に矛盾を感じ、いや、地球自体が回っているのだ、と気付いた人がいたように、現代の科学一辺倒の考え方で今、たくさんの矛盾が世界中で起きています。

今年は、昨年に続き、なおやくんが中国語の通訳をしてくれています。なおやくんは個性的な人です。去年はもっと個性的でした。個性的で、付き合いにくい人でした(笑)。でも今、僕は今年のなおやくんを観て、なおやくんの時代が来ているな、と感じています。なおやくん自体は去年も今年も変わらないのに、今彼は爽やかに生きています。それは、なおやくんが変わったのだと周りは思うでしょう?でもなおやくんは頑固ですから、なかなか自分が変わるということはありません。つまり、なおやくんが変わったのではなく、時代が変わったのです。なおやくんに合う時代が、去年よりも1年分進んだということです。
それで僕は、なおやくんの活躍する時代が近付いてきたのだ、と感じました。かつて違和感のあった個性が、未来に道が開けると感じられるようになった。彼が必要とされるポジションがあるのです。でもお母さんから見ると、なおやくんは言わばニートでもあり、「困った子ども」なのです。
今、世の中にたくさんのニートがいます。ニートだけではなく、引きこもりもいます。それを表面的に観れば、ニートや引きこもりは社会に適応できない弱い人間で、問題だと捉えられることでしょう。しかし、僕はちょっと違う目線を持っています。
ある考え方で世の中が矛盾なく正常に動いている時は、みんながその流れで生きていけばいいでしょう。しかし、時代が変わっていく時に、時代の意思と社会の動きがずれてきたら、時代に合わせて社会は変わっていかなければいけないのです。そしてその社会をつくる人間も、変わっていかなければいけないのです。
かつて人々は、地球は平らでその周りを太陽や他の星々が周っていると思っていました。しかしある時から、いや、地球は球で、地球が太陽の周りを周っているのだと言う人々が出てきました。新しい考えが生まれる時、多くの人はそれに抵抗します。なぜ、時代は変わろうとしているのに、人間は変わろうとしないのでしょう。今もそうです。お金があれば幸せだとか、科学や物理が絶対だと思っていたり、自分や自分に近いものの幸せだけを願っている人間がたくさんいたら、時代は変わろうとしていても、社会は変わっていかないのです。

今から74年前に、大きな戦争が終わりました。そしてその後の復興の過程の中で、今の世の中の体制ができました。戦争ではたくさんの人が死に、人々はとても貧しく、辛い思いをたくさんしました。食べるものがない、着るものがない、住むところがない。そしてそれを得るために、お金がなければいけないという時代があったのです。衣食住の三つがなければ、人間は人間らしい生き方ができないと言います。それがなければ、人のものを奪ってでも生きていこうとします。そういった貧しい時代を通っていく中で、人々は、お金がそれを与えてくれるのだと思うようになりました。その時代を生きてきた人々にとって、それはとても強烈な記憶として刻まれています。そして、いつまで経っても「お金がないと生きていけない」「お金があれば幸せになれる」と考えています。それは固定概念というものです。何があっても変わらない、変化しない状態です。
古い人たちはそのようにして社会を創ってきました。みんながお金があって、住むところがあって、着るものがあって、食べることができる、「お金があれば豊か」という世界をつくってきたのです。そしてその時代の人々には、本当はこういう生活がしたい、本当は自分に合っているのはこういう仕事だ、と、自分の中に求めるものがあるにもかかわらず、生きるために、お金を得るために、本当に合うものとは別の生き方をしてきた人がたくさんいました。生きることは、我慢することだと。生きるためには、好きなことばかりやれるわけじゃない。生きるためには、自分の本当に求めるものも諦めなきゃいけない。そういう時代を生きてきた、ある意味、自分の心にウソを言って生きてきた人たちなのです。

その後のわずかな期間で時代はどんどん物質的に豊かになり、欲しいものが何でも手に入るようになりました。そして人間も、古い時代からどんどん新しい時代の人たちに切り替わっていきます。我慢して生きた人たちに代わって、我慢ではなく、本当に自分の求めることをやりたい、という人たちが出てきました。それは、古い人たちから見たらわがままに見えますね。しかし、そのわがままに見える「自分は本当はこういう生き方がしたいのだ」というものが、実は生きていく上で本当に自分に合っているものだとしたら、その人が活かされるためには、その生き方をするべきなのです。
古い時代の人たちは、自分が貧しくて苦しかったから、子どもたちにはお金やモノをたくさん与えて育てました。そういう子どもたちが育ってきて、確かに始めはわがままだったかもしれませんが、そのうちに、自分が本当に生きたい生き方はこうだ、と、見つける人たちが出てきたのです。古い時代をつくってきた人たちは、相変わらずお金がないと生きていけない、お金があれば幸せになれると思っています。その固定された考え方に対して、そうじゃない、お金のために自分の人生を無駄にしたくない、本当に人生の花を咲かせるためにはもっと別にやることがある、という人々が現れてきた現象のひとつとして、ニートや引きこもりが現れたのだと私は思っています。ですから、ニートや引きこもりは現象としてはいいことではありませんが、強い社会の固定概念を壊すためには、若者たちがそういう役割をする必要があったということです。
私は長い間、自然療法プログラムを通してそういう人たちの支援をしてきました。古い時代の人たちのことを否定しているわけでもありません。そして、ニートや引きこもりを否定しているわけでもありません。大切なのは、瞬間瞬間、その時に必要な真実は変わっていくということです。

今日はカタカムナの講座です。カタカムナ文明は、今から12900年前がピークでした。この時代の人々は、その時、その瞬間の状況を感じ取り、今を生きていました。それは何のためにかというと、生きるためです。つまり、生きるために直感が働き、瞬間を判断して生きていました。
そこには固定概念がまったくありません。変化、変化、変化、変化の連続です。宇宙を生きるとは、変化・変容・変態、つまり、変わり続けることが進化です。そしてそれが、生命力の証なのです。
現代の人々は、強烈なお金とモノの価値観に魅了されて、固定概念を持ってしまいました。そしてたくさんの矛盾が起きている現状が、見えなくなっています。だから、12900年前に戻れということではありません。瞬間瞬間を感じ取る生命力を取り戻し、現状を乗り越えていきましょうという話をしたいのです。

かなちゃん:
我慢して働いている人たちがいると聞いた時に、漫画やイラストなどの創作を仕事にしている人たちが、そういう人たちに下に見られていることを思い出しました。仕事の発注を受ける時に、あなたたちは好きなことをやっているんだからこのくらいの値段でいいでしょ、と。1年かけて用意したものがボツになっても、その1年分の労力に対する賃金は支払われません。

ジイジ:
固定概念の社会は、これは正しい、これは間違い、という固定された価値観があり、せっかく新しい若者の発想が生まれてきても、それをつぶしてしまうことがあります。ただ、もう一つ考えなければいけないのは、お金やモノを与えられて甘やかされて育ってきた結果、ただ自分のやりたいことだけをやり、わがままで生命力のない「若者」ならぬ「バカ者」もいるということです。そこを見分けなければいけません。
カタカムナは、これを学んで正解を皆さんに提供します、というものではありません。カタカムナを学ぶということは、自分の中に、瞬間を読み解く力を身に付けるということです。ただし、皆さんがこれを学んでただ知識として持ち帰っても、身には付かないでしょう。毎日の生活の中で、瞬間瞬間を感じ取り、読み解く力を身に付けていくのですから、これから一生をかけてそれを磨いていくスタートラインに立ったということです。それを皆さんにわかっていただいて、地球上のこれまでの科学を超える、ものすごく深い宇宙物理の話をします。

今の物理や化学は、実際には行き詰まっています。人々は、この世界の実体からしたらとても幼稚だと言えるロケットで宇宙を観測し、宇宙の成り立ちを知ろうとしています。しかし、宇宙は広大です。宇宙全体の広さからしたら、太陽系の太陽、水星、金星、地球、火星は、一体のような近い距離にあります。ところが私たち人間は、宇宙からしたら一体とも言える火星に行くのに、8ヶ月もかかるのです。
カタカムナを理解する能力は、人間の中にあります。こういったものを会得すると、科学的に観測しなくても、宇宙の構造が瞬間的に理解できるようになります。それから、観えないものの流れ、時の流れが観えるようになります。これから自然災害がたくさん来ますが、それはどんどん状況が変わるということです。その瞬間瞬間を感じ取り、そこを生き抜く力を身に付けるのです。
私たち生命にとって一番必要なのは、生命力です。その生命力にとって大切なものの判断を的確にできる能力を身に付ける。それは、私が皆さんの身に付けさせてあげるのではありません。皆さん自身がそれに興味を持ち、意識を集中していけば、その能力が研ぎ澄まされて上がっていくという、情報を提供しているのです。

 

 


この世界はフリーエネルギー ~ 世界観を広げよう

真学校3日目の講座は「世界観を広げよう」。地球の現状を観ながら、固定概念の枠を取り払い、世界観を大きく広げていく全3コマの講座です。以下は、講座冒頭のジイジのお話です。


おはようございます。
昨日から今日にかけて、地球は259万2000km移動しました。そして、移動してそこで止まるわけではなく、ずっと移動し続けています。今この瞬間も、秒速30kmで移動し続けています。
今日の講座は「世界観を広げよう」です。スライドの表紙に『時代に乗って新たな世界へスイングバイ』とあります。このことについて、今からお話しします。

私たちは今、ここで生きています。生きているということは、自分が毎日生活をして年を取っていくことだと考えています。でももう一つ、別の流れがあります。例えば、多くの人は意識していませんが、地球は常に自転と公転をしています。決して止まることなく、それを繰り返しています。もしも私たちが、重さ100㎏の荷物を自分一人で持とうとしても、持てませんね。しかし地球は、地球上の荷物を全部集めて重さがどれだけになるのかはわかりませんが、とんでもない重さの荷物をすべて乗せて、宇宙空間で回転し、公転し続けています。それをさせ続けているエネルギーがあるのです。そして私たちも、目には見えなくとも、その動きに乗って日々を生きています。

太陽はおよそ27日で自転をしています。そして2億2600万年をかけて銀河を1周します。そのような巨大なエネルギーの中に、私たちはいます。それは、時代が動いているということです。その時に、私たちもその時代の変化を感じ、一緒に動いていくことが、宇宙を生きるということなのです。
今のようなテクノロジーがなかった時代には、人々は昇る太陽を見て、その日の天気や、その年の気候がどうなるかを感じて生きていました。例えば、太平洋の南の島の人々は、羅針盤もないのに、星を見て、太陽の位置を見て、海を渡り新たな島へと向かっていきました。風を感じて、海がおだやかなのか、荒れるのかを知りました。人間の中には、そういった能力があるのです。
例えば犬の嗅覚は、人間の何万倍とも言われています。キツネや鷹の視力は、人間よりもはるかにいいです。昔、アフリカのマサイ族の人は、東京タワーの上から地上を歩いている人の顔を識別できたと言います。その人の視力は6.0だったそうです。人間は地球上の中でもっとも優れた生き物ですから、そのような他の動物たちや特殊な人々が持っている優れた能力を、本来すべての人が持っているのです。でも今の人たちは、その能力を持っていません。それは使わないからです。もしくは必要としないからです。なぜ必要としないのかというと、便利が良くなったからです。
本当は、今地球上には大変な変革の時が来ていて、人類にとって危機的な状況にあるのに、人々は今のまま進んでいてそれでいいと思っています。私たちは毎日食べ物を食べてエネルギーを得ますが、それよりも大切なのは、生命力があるかです。生命力があれば、その食べ物がどのようなものであるのかを瞬時に感じ取り、これは食べても良い、これはいけないということがわかります。生命力があれば、危険が迫っている時に、ここから先は進んではいけない、ということを感じられるようになります。今の人たちは、世の中がどんどん便利になっていったがために、自分の中にあるそういう能力を失っています。ですから人間は、地球上で最もたくさん病気をする生き物でもあるのです。

数日前、地球と火星の間にあるリュウグウという小惑星に、日本の探査機「はやぶさ2」が着陸しました。この小惑星に探査機が行くためには、地球の軌道から離れる時に、地球の公転速度より速い速度で離れなければいけません。
はやぶさ2は地球を周回しながら、一緒に宇宙を旅しています。地球の周回軌道に乗るということは、地球の公転速度で宇宙を飛ぶということです。そしてある瞬間、地球の公転エネルギーに自分の力をプラスして、地球の公転軌道から離れ、目的の小惑星へと向かうのです。その速度は、地球上の乗り物では得られません。地球の公転速度に乗るから、そのエネルギーが得られるのです。それを「スイングバイ」と言います。
これは宇宙工学の話ですから、私は詳しく話すことはできません。何が言いたいのかというと、この世界には何かしら流れがあり、巨大なエネルギーが動いているということです。そして私たちは、その中で生きているということです。もしそのエネルギーや流れを感じられたら、私たちはそれを使って生きることができるということです。

天の川銀河の誕生から138億年、地球の誕生から46億年と言われます。そして誕生からずっと、地球は宇宙空間を旅し続けています。では地球は、その燃料をどこで補給しているのでしょうか。宇宙空間にガソリンスタンドはありませんね。つまり、宇宙はフリーエネルギーなのです。宇宙のエネルギーは、動き出したら繰り返し繰り返し、はずみ車のように動き続けるのです。
実は、私たちのいるこの世界もフリーエネルギーです。毎日太陽が昇り、空気と植物が循環し、植物と動物も循環し、有限のものが無限に循環し続けています。そのフリーエネルギーの循環の中で、もしも人間が「畑から作物をとってやろう」という心で作物を育てると、肥料をやり過ぎたり、連作障害が起きたり、いろいろな問題が発生します。でも、自然界の森の木を見てください。誰も肥料をやらず、長い間ずっとそこに立っていますが、健康です。彼らは空気中の窒素と炭素をエネルギーに変え、誰も肥料をやらなくとも健康に生きているのです。
このように、私たちが認識しているよりももっと巨大な、そして無限のエネルギーの中で時代は動き、この生命世界は循環しています。

皆さんの毎日に戻りましょう。今月の生活費はいくらですか?使い過ぎてお金がないからと、臨時のアルバイトをすることもあるかもしれません。その生活はフリーエネルギーではないですね。生きることが、たくさんの計算の中にあります。でも本当は、私たちはフリーエネルギーの中で、このスイングバイの仕組みを使って生きていけるのです。
あなたの人生が今終わろうとしているとします。しかし、死んで終わりではありません。あなたの肉体は分子レベルに解体され、自然生態系の循環の中に還元されます。そして魂は、次の受け皿を求めながら、魂の本住の地に存在するのです。今生きている瞬間も、汗が出る、垢が落ちる、食べることによって排泄する、というように、変化しながら循環しているでしょう?それは、私たちが死と表現する時も同じなのです。自分を構成するものが立場を変えて存在し続けるのです。そういった意味で、この世界に死ぬということはありません。立場を変えていくだけです。

ところでジイジは、なんでそんなことを考えるようになったのでしょう。頭がヘンだからです(笑)。僕は何かを見て、好きとか嫌いとかいう反応を示すことはありません。出来事を見て反応することを条件反射と言います。例えば蹴られたら「痛い」と思うとかね。もちろんそういう回路もありますが、その思考回路で生きてはいません。
こうしてボーっとしていると、何かがポコッと、自分の中に入ってくるのです。あれ、何でこうなっているんだろう、と。それで、その入ってきたものを開けます。そうすると、自分が今まで考えたこともないようなことが、中に入っているのです。私はアカデミックな教育は受けていません。研究者でもありません。ですが、こうやって湧き出てくるものを、拒否しないようにしています。自分の考えというものに囚われないように、自分自身をフリーにしたのです。そうしたら、その時に必要な分析が湧き出すようになりました。まるきり宇宙遊泳しているような感じです。ですから、何も心配することはありません。計画することもありません。
1ヶ月間の真学校でお伝えする世界観は、そういう発想から生まれてきたものです。普通とはちょっと違う世界の捉え方に、皆さんをご案内します。

いとちゅう:
質問があります。その「ポコッ」と降りてくるものは、自分が知りたいと思っているから降りてくるのか、それとも全然関係なく勝手に降りてくるのか、どちらですか。

ジイジ:
良い質問ですね。始めの頃は、求めていないのに降りてきました。そしてその降りてきたものは、自分の世界観と違いますから、ある意味、自分を否定するものでした。しかし、よくよくその降りてきたものを分析すると、そちらの方がはるかに優れているのです。だから、そちらの方に興味を持って生きるようにしました。そうすると何が起きるかというと、今までの自分を否定することになるのです。
僕は5月で68歳になります。その、自分とは違う考えが降りてくるようになったのは、30歳の頃の話です。そうなってから2年くらいの間は、一人になるといつも泣いていました。降りてくる優れたものを受け取ることは、当然のことです。しかしそれを受け取るのと同時に、自分を捨てなければいけない。その時に、道理に沿っていない自分に執着があり、それが辛くて一人になると泣いたり、自分で自分の頭を殴ることもありました。
知らない人からすれば、どちらもあなたでしょう、と思うかもしれませんね。でも明らかに、片方は今までの自分だという認識があるのに、もう一方は今まで考えたこともないようなものが降りてくるのですから、始めは別のものでした。その別のものを受け取ろうとして、2年間辛い思いをして、気付いたのです。無駄な抵抗はやめよう、と。結局は優れた方を選ぶ自分がいるのであれば、無駄な抵抗はやめて、その降りてくるものに従おうと思いました。その時に私の中で、自我を優先することを卒業しました。それからです。時代を観て、時代の流れに沿うようになったのは。この世界には様々な流れがある。その流れに沿うことが大切であり、それが人生をスムーズに生きることだと気付いたのです。

もうすぐ「人格を学ぶ講座」が始まります。そこでは皆さんの人格や人生観を分析します。例えば天命。あなたがこの世界に生きる意志と、この世界がなぜあなたを生み出したのかという、両方を観ます。その時に、あなたが持っていていい人格と、持っていては問題を起こす人格とがあるのです。それを仕分けられる自分になる必要があります。だから私は、持っていては流れを悪くする人格を捨てることにしたのです。その自分が出てくるたびに捨てるのです。そして、そのうちに出てこなくなりました。
そうすると、上から勝手に来るものを受け取って、自分の中の不要なものを捨てていく作業から、今度は「これについてどう思いますか」と上に質問をするようになりました。すると、答えが返ってきます。そして、対話するようになりました。
今は、対話しません。私は私という単独のものであり、世界は、私の器です。その器全体をひとつの体としたならば、私と器が対話をすることは、ちょうどこの指の爪と私が対話しているようなものです。この爪は、何かの役割があってこの爪のポジションにいるだけで、全体の一部なのです。ですから、その一部から、全体を認識することができるわけです。
宇宙の中に生きるということは、自分は自分自身であると同時に、宇宙全体なのです。その中で、宇宙を忘れて自分だけのことを考えていたら、あなたの世界はそれだけの狭さです。そうやって自分のことばかりを考え、全体の仕組みから外れれば、矛盾が生まれ、病気になったり、問題ごとに出会うようになっています。ですが、もしこのほんの小さな自分が世界全体に意識を向けていたら、世界全体のエネルギーや仕組みが、自らの中に湧いてくるのです。例えば私たちがインターネットを使う時に、問題のあるサイトにアクセスするのか、優れたサイトにアクセスするのか、自分の興味が何に向いているかによってアクセスする先が変わります。それがあなたの世界観であり、そのあなたの興味によって、この世界がつくられています。もしも世界観を広げたければ、今の自分が観ている世界の枠を、壊すことです。

私たちの体の中に、自我があります。自分の体という枠に、自分というエゴが閉じこもっています。それを「囚われ」と言います。「囚」という字は、枠の中に人が入っていますね。しかしその枠を開いて「門」にし、天から降りてくる法則やエネルギーを自分に入れると、それは「閃き」になります。自分の意志でそれを受け取りますよ、と、門を開くのです。

天から降りてくる意思と、自らの意志の門を開けておく。その「門」の中にいる「人」も、枠の中にいる「人」も、同じ自分です。しかし門を開ければ「閃き」になります。「囚われ」は自分の頭で考え、自分を守っている状態です。「閃き」はすべてオープンです。

今、私たちは言語を使ってコミュニケーションを取ります。ですから言葉のルールを守らなければ、何を言っているのか相手にはわかりません。
13000年前のカタカムナ人の時代は、まだ言葉が十分に発達していませんでした。その時に彼らは、響きで会話していました。音のひとつずつに意味があり、その音を使って通じ合っていました。現代人はとても難しい言語を使い、複雑なことをやりますが、本質はつかめていないのかもしれません。

ジイジが言おうとしていることには、何となく新しい世界があると感じませんか?これを、言葉で伝えるのは、とても難しい。それでも、なぜジイジがこんなにも熱心に皆さんに伝えるのかというと、それはとても大切なことだからです。皆さん一人ひとりにとってもとても大切なことですが、これからの人類にとっても大切なことです。
私たちは、囚われたエゴの自分で生きていくこともできますが、それでは人としてこの世界に生まれた価値がありません。優れた人とは、時代と共に、世の中のために、自らを生かした人です。時代はすでに、一人ひとりが優れた人として目覚める時代に入っているのです。

そのような視点のもとに、この「世界観を広げよう」というプレゼンに入ります。この講座では地球の現状に触れていきますが、今、地球上にはあまりにも問題がありすぎて、挙げ始めたらきりがないのです。さらに新しい問題がどんどん出てきて、とても紹介しきれないほどです。でも、だからと言って、それに麻痺してしまってはいけません。そしてその解決策は、その問題をつくってきた私たち自身が、自分の心を観るということです。それがこの世界に対して私たちがすることができる、もっとも実現可能なことです。
皆さんも、いつか必ず死を迎えます。その旅立ちの時に、優れた人生を生きた魂として誇りを持って旅立てるかどうか。人間は、自分の受けた被害には着目しますが、事実私たちは今、何の抵抗もしない他の動物達や自然界に負荷をかけている、加害者なのです。

それでは、地球の実態を観ていきましょう。

 

Source of photo: JAXA

 


幸せは「すでにある」〜 木の花ファミリー総合プレゼンテーション

開講から一夜が明け、1ヶ月間の真学校の講座第1号となるのは「木の花ファミリー総合プレゼンテーション」。講座は、ジイジのこんなお話から始まりました。


昨日も、この同じ講義室で、皆さんに開講の挨拶をしました。さて、この場所は昨日と同じ所にあるでしょうか?同じ場所にあると思う人!(受講生数名が手を挙げる。)
住所は同じですよ。日本の富士宮市にあります。では、昨日とは違う場所にあると思う人!(数名が手を挙げる。)おお。では、違うと思う理由を教えてください。(受講生:私たちはみんな、地球という船に乗って宇宙を移動しているから。)なるほど。では、違う考えの人はいますか?(受講生:心が違えば観えるもの、感じるものが変わってくる。)それは、場所は同じ所にあるということですか?(受講生:そうです。)
今、僕はなぜこの話をするのかというと、それがこれから1ヶ月間の探求の基本になるからです。

昨日の皆さんと今日の皆さんは違いますか?同じと思う人!(数名が手を挙げる。)では違うと思う人。(数名が手を挙げる。)では違うと思う人は、なぜ違うと思うのですか?(受講生:この世界はその時その時で変化し続けるから。)では、何が変化するのでしょう?(気持ちが変化しています。)なるほど。気持ちというのは揺れ動くものですね。それは進んだり、戻ったりします。でもそれは、外から見てわかりにくいですね。もっと物理的にわかりやすいところで、昨日と今日は変わっていませんか?(食べ物が変わっているから体の中が変わっている、髪の毛が抜けたり伸びたりしている、という声が上がる。)そうですね。例えば、垢が自分の皮膚からはがれ落ちるのも、昨日より今日はリニューアルしているということです。
去年から今年にかけて、あなたは1歳年を取りました。1日が経つということは、1日分年を取るということです。それを365回繰り返すと、1歳年を取ることになります。さて、これは止まることはあるでしょうか?止まったことがある人はいますか?止まらないですね。なぜだと思いますか。なぜ時間は止まらないのでしょう ──── そうです。地球が動いているからです。では、逆に戻ることはあるでしょうか。それもありませんね。

私たちがいるこの世界は、止まりません。では時間だけが留まらないのかというと、場所も移動しています。動くということは、変化するということです。私たちのいるこの場所は常に移動し続け、決して止まらず、変化し続ける、変化、変容、変態の世界です。
先ほどまで、この場所は暗かったですね。でも今は日が出て、明るくなりました。あと3時間後には太陽の位置がさらに高くなって、お昼が来ます。これはなぜかと言うと、地球が回転しているからです。地球は24時間をかけて1回転をします。回転するということは、私たちが今いるこの場所は移動しているということです。1回転することで1日が経ちますね。それを365回繰り返すと、1年が経ちます。そして地球はその1年の間に、太陽の周りを1周します。その時、太陽は止まっていますか?(受講生:止まっていない。)ではどのように動いていますか?(受講生:銀河を周っている。)そうですね。地球の動き方と太陽の動き方は、少し違います。それについては明日から詳しくお話しします。いずれにしても、太陽は宇宙空間を移動しています。地球が太陽の周りを周っているように、太陽も銀河の中心の周りを周っているのです。そして地球は、そのように宇宙空間を移動し続ける太陽の周りを周りながら、一緒に宇宙を旅しているのです。

地球の自転の速度は、赤道上で秒速468mです。音速は、環境によっても変化しますがおよそ340mです。それがマッハ1ですね。マッハ1は、戦闘機の早さです。地球はそれよりもさらに速い速度で回転しています。想像してみてください。その速さで回転していることを感じますか? ──── 私は感じるのです。その速さで回転しながら、太陽の周りを公転しています。では公転の速度はどれだけかと言うと、秒速30kmです。1秒間に30kmですから、およそマッハ90です。地球上にそんな乗り物はありません。では、1日で地球はどれだけ移動しているでしょう?秒速30km×60秒×60分×24時間=259万2000kmです。それだけの距離を、地球は1日で移動しています。
今私たちがいるこの建物とこの土地は、木の花ファミリーのものです。それは、人間が決めたことです。そして地球上の話です。しかし宇宙空間的には、この場所は固定されておらず、誰のものでもありません。今から1万年前、今のような社会の仕組みがなかった時代には、この土地も誰のものでもありませんでした。人々は狩猟採集をして生きており、どこででも獲物を獲ったり、木の実を拾ったりしてもよかったのです。今は、人の土地に勝手に入って獲物を獲ったり木の実を拾えば、不法侵入になります。しかし本来は、誰のものでもないのです。

私たち人類は、他の生きものにも自然にも宇宙の星々にも何の断りもなく、いつの間にか勝手にルールを作り、その枠の中で生きています。そのルールは、人間の枠の中だけのことです。なぜ人間にはそんな権利があるのでしょう。もしくは、あなたはあなただけのルールを持ってませんか?朝はいつもこうするとか、食べ物はこうでなくてはならないとか、自分だけの決め事をつくり、その中に自分を閉じ込めていませんか?
人間は知らない間にたくさんの決め事を自らに課しています。この土地は木の花ファミリーのものですが、それは日本の社会の中だけで通用する話です。この場所は宇宙的には、秒速30kmで移動しています。そしてあなたという人も、瞬間瞬間変化しています。お母さんから分かれてオギャーと生まれた瞬間から確実に年を取り、死に向かっています。始めはお母さんから栄養をもらっていましたが、そのうちに自分でご飯を食べるようになり、不要になったものを排せつして、瞬間でも同じ状態でいることはありません。しかし今の人間は、変化し続ける世界にいることを忘れて自分でたくさんのルールを作り、その中に自らを閉じ込めているのです。
変化、変容、変態し続けるこの世界には、物理的変化、時間的変化、そしてサイクルの変化があります。かつて人間たちは地球上で原始的な暮らしをしていました。始めは狩猟採集をしていましたが、やがて農耕が始まって定住をするようになり、社会を創るようになりました。そして様々な文明が生まれ、その文明は技術革新をもたらしました。人間は自然を研究し、自分たちの生活しやすいように自然を変えていきました。そして自然が自分たちの都合のいいようになることが、豊かさだと思ってきたのです。

誰も、「不幸になりたい」と思って毎日を生きてはいません。例えば自殺をする人がいますが、それは不幸になりたいからでしょうか?
僕は、心の病を抱える多くの人々に出会ってきました。その人たちは、今の自分の状態を不幸だと思っています。では何が不幸なのかというと、自分の思うように良くなりたいけれどなれない、ということです。しかしその「良くなりたい」という想いが自分の都合だけを考えた「良くなりたい」では、良くはなりません。それはわがままや自分勝手ですから、その考えではうまくいかないようになっています。しかしそのことがわからないと、自分を幸せにしようとして何度でもわがままを通そうとします。それをやり続けるとどんどん問題が起きますから、どこかで「自分に問題があるのでは」と思うのですが、自分に問題があると思いたくない人はわがままをやり続け、結果的に、幸せを求めているはずなのに、自分の行いが自分を不幸にしていくのです。
そうすると、生きることが辛くなります。生きることが辛いということは、自分を幸せにするためにはどうしたらいいでしょうか?そう、生きるのをやめればいいですね。それが自殺です。

人間はみんな、幸せを願っています。しかし、幸せの方向をどこへ求めているのかによって、幸せを求めているはずなのに不幸にもなっていくのです。人間は幸せになるために、科学技術を発達させ、豊かな世界をつくろうとしてきました。それは、幸せを「獲得しよう」とする姿勢です。
ジイジ的幸せとは、「すでにある」のではないか、ということです。毎日太陽が昇り、約束通りに時間が経ち、季節がめぐり、自然は食べ物などの恵みを与えてくれます。今の状態で固定しているのではなく、いつも変化、変容、変態を繰り返しながら、人というのは人生を豊かに旅するようになっているのです。自然の生きものはみんな、そうやって生きています。自然界で動物が「不幸だな」と言って自殺しようとしているのを見たことがありますか?人間はとても高度で、いろいろなことをやりますが、不幸をたくさんつくる生き物でもあるのです。

今は2019年です。地球的には、大きな変化の時代に入りました。AIが台頭し、何を食べたらいいか、どんな服を着たらいいかということも、AIが教えてくれる時代がやって来ました。年を取って介護が必要になれば、AIが介護してくれます。人間社会には様々な問題が起き、その問題によって経済効果がもたらされ、人々はお金があって豊かになれば幸せになると考えています。それが社会の幸せであり、個人の幸せであると考えています。
しかし少し違う角度、たとえば自然や、宇宙の天体の仕組みから考えてみると、現在の地球上の人間たちの営みは、極めて異物です。人間社会は、表面的にはさらなる経済発展を求めています。しかし宇宙的、もしくは地球環境的に観れば、これ以上経済発展をしてはいけない状態にいます。早ければ、あと10年後には夏に北極の氷がすべて溶ける可能性があると言われています。そういったことが今、急激に地球上に起きています。それは、産業革命以降の250年ほどの間に人間たちが求めてきたことの結果です。
ヨーロッパ産業革命は、西洋型の経済発展をもたらしました。今ここにいる私たちは、東洋の国の人々です。現代は西洋型の社会が熟し、問題がたくさん起きているのですから、時代は切り替えの時に来ています。これから、東洋型の思想が世界に必要な時代になります。しかし現実には、中国も台湾も日本も、西洋の考え方に汚染されています。今の経済発展の考え方は西洋型であり、20世紀型のものです。しかし元々、日本なら自然との共生、中国なら人の生き方の哲学というものを、私たちは伝統的に持っています。
今、明らかに宇宙的にも地球的にも、西洋型の経済発展を求める価値観が変わらなければいけない時に来ています。けれども、モノが欲しい、カネが欲しいと欲で固まってしまっている人間たちは、そのことになかなか気付けません。

今ここにいる人々は、何か、「本当に大切なのはお金ではないのではないか」「技術だけでは人は幸せになれないのではないか」と思っているから、ここに来たのでしょう?その中にも、だいぶ古い人と、ちょっと古い人がいますが、もうすでにピカピカの新しい人たちも生まれてきています。今の子どもたちは、これから地球と共生する生き方をするようになります。ですから日本でも中国でも台湾でも、若い人たちがただモノを求めるだけの暮らしをしなくなってきました。そして新しい発想をするようになってきました。それを宇宙人的発想と言います。そしてモノにこだわるよりも、精神性に興味を持つようになってきました。
その時に、ちょっと古くなった私たちは何をしたら良いのでしょう?今のままでは地球の問題を遺産として新しい人たちに残すことになります。ここに20代の人はいますか?(2人が手を挙げる。)この人たちは、今の子どもたちと次の社会を創っていく人たちです。他の人たちは、自分たちが作ってきた負の財産をきれいにしていく責任があります。それを自分が生きていく上での責任として、考えていく時代が来ているのです。
一番言いたいことは、今地球的にも、人間の社会的にも、大変革が起きているということです。木の花ファミリーは、そういったことを感じている人たちが集まり、次の社会をどのようにしたらいいのかという見本を生きているのです。

それでは、その暮らしのプレゼンテーションに入ります。

 

 

 


2019年1ヶ月間の真学校 開講の挨拶

今年もいよいよ始まりました!1ヶ月間の真学校2019!!

初日夜のウェルカムコンサートより

今年も、社会全体が大きな変革期にある中国、そして台湾からのお申し込みが相次ぎ、日本人5名、中国人3名、台湾人8名の、多彩な受講生がそろいました。昨年同様、ボランティアで通訳を引き受けてくれた5名の通訳陣のご協力のもと、日中2ヶ国語にてプログラムを提供していきます。世界が大きな行き詰まりを迎える中、例年にも増して意欲の高い受講生がそろった2019年。固定概念の枠を取り払い、新たな時代の突破口を開く1ヶ月間の旅が始まります。

開講の朝、真学校のメイン講師である「いさどん」改め「ジイジ」は、この1ヶ月間に向けて湧き出してくる想いを語りました。以下、ジイジが朝に語った開講の挨拶「予告編」と、実際に受講生に向かって語られた開講の挨拶「本番編」をご紹介します。


 

「1ヶ月間の真学校・ジイジの開講の挨拶」
―予告編・徒然なるままに真学校を語る―

木の花ファミリーのメンバーはここで暮らすことの意味を共有し大事にしているから、それにふさわしい景色を毎日出会う出来事から観ている。面白い捉え方として、世界は動いている。それは、この世界が動いて時代を刻んでいるようだが、一人ひとりが出会う出来事から観る景色は時代のほうから見せてくれているのではなく、自分が何を考え、毎日どのような生活をしているのかによって見るものを選択している。それは自分の心のフィルターを通して世界をみている状態で、たとえば怒っている人にとっては世界が怒りの原因をもたらしているように解釈できるわけだ。体の中のバランスを欠いている人は、そのアンバランスは自分の中にある原因に基づいて蓄積されてきたものである。それは世界が歪んでいるのではなく、自らの歪みが蓄積されてきた結果もたらされたものである。だから、人生においてどのような景色をみて、どのような感情を持ち、どのような人生を送るかは、どんな時でも自分次第だ。それは、自分にとって世界は自分自身を知るための鏡であるのだから、本当はこの世界に不満を言ってはいけない。

多くの人はそうやって自分のみる景色を否定していくが、世界はその悟れない人を使って物語を紡いでいる。世界が時代を創っていく時の物語を個人としての立ち位置で理解できれば、それが本当の生きる目的であり、悟るということになる。ところが今、人々は自らの思惑や精神に翻弄されて生きているので、自らが発したものを世界に映し出し、それを自分がみることによって、自分自身に溺れている状態だ。

時代は、サイクルを刻みながら大きな物語を紡いでいて、どのような時代も何かメッセージを表現しようとしている。人間はその大きなメッセージを理解できるような存在でもある。人間以外のものは時代の目的と共に忠実に存在するけれど、時代の目的を理解し、それを共に表現するような意識を持つことはない。それに対し、そろそろ人間は、自分から湧き出る精神に翻弄されるのではなく、自らの精神をコントロールし、そして時代の目的を理解することにより、それを時代と共に表現する時が来ている。それが人間の尊さの証なのである。「時代」は「時の代(シロ)」と書くように、うつろな(ロ)時の示し(シ)。その宇宙創造の根本原理と共に生きていけば、人間の存在する目的が観えてくる。現代のように、人々がお金やものやテクノロジーに溺れてしまい、人間の本当の生きる意味を見失っている状態では、生きることの本来の目的を表現することはできない。そもそも、これほど物質に偏った欲求を表現しなくても、これほど自我に囚われなくても、その情熱を合理的に向ける方向は他にもある。

それを示すために今、生きている。それをこれからの人々が表現できるように、私は今、地球生命として生きている。言葉で伝えるのは難しいから、感じてもらうために、私は今を生きている。内にある想いを人々に伝えるのはとても難しい。それと同じように、時代はその奥にある意思を人間に感じさせようとしている。そして、それが通じた時に、人々に生きることの本当の喜びが発生する。時代の意思が感じられる者として、私はその立ち位置で今、生きている。

 

「1ヶ月間の真学校・ジイジの開講の挨拶」
―本番編・徒然なるままに真学校の始まりを語る―

皆さん、こんにちは。今日初めて出会う人と何回も会っている人がいますね。今日から「1ヶ月間の真学校」が始まります。1ヶ月間は長いですか、それとも短いですか?長いとも言えますし、短いとも言えますね。そして、今日ここに16名の受講生が集まりました。皆さんは今まで別々の人生を歩んできました。私と皆さんも違いますね。スタッフもいますが、みんな違いますね。つまり、同じ人生を歩んできた人はいないということです。それを「個性」と言います。

皆さん、窓のほうを見てください。そのカーテンの向こうに森があります。そこには木があったり、草があったり、虫や動物たちがいます。木と草と動物、それから土はみんな違いますね。そしてここには空気があるのです。これも違うものです。すべて違うものなのに、そういったものはどこにありますか?ここにあります。簡単に言えば、地球にあるとも言えます。

今回、皆さんは中国や台湾、日本から来ました。国は違います。しかし、それはすべて地球上にあります。皆さんの生まれてからの歴史は違いますね。しかし、みんな地球上に生きています。そして今という瞬間を生きています。私たちは何を共有していますか?一番共有しているものは時間です。みんな、同じ時間を共有しているのです。宇宙的に言えば、私たちは地球という船に乗って宇宙を旅しています。地球が宇宙を旅しているので、私たちは時間という船に乗ることができるのです。さて、そのような話をしていくと、違うことと同じことが、実は同じ瞬間に共有されているのです。つまり、私たちは違うのに、同じ行動をたくさんしているのです。それは私たちは違うのに、同じ存在だということです。

今、時代は進み、技術やテクノロジーは進歩し、世界にものはあふれ、物理的には豊かな時代を迎えました。現代のこの豊かさは約250年前に起きたヨーロッパ産業革命から始まり、人々は自分が豊かになりたいと考えるようになりました。ですから、生活することは自分が何かを獲得して得するようにと考えるようになったのです。たとえば、宇宙の中で自分が生きていると意識している人や宇宙の中で生かされていると考える人は少なくなりました。ところが、たとえば10,000年前の時代、もしくは1,000年前の時代、人々は自然の中で生かされていました。

地球上に人類は約400万年前から住んでいます。人類誕生から徐々に人口は増え、だいたい、1年に0.5%ぐらいの割合で増えてきたそうです。ところが、約250年前にヨーロッパ産業革命が起きてから、人口は爆発的に増えたのです。たった250年ですよ。そのたった250年前から人口が急激に増えたのと時を同じくして、人間は何を考えるようになったのかというと、人間は豊かになろうと考えるようになったのです。それに対して、それまでの人間は何を考えて生きていたかというと、今を生きていました。変化する自然の中で、「今、どのように生きるのか」を一生懸命考えていました。ですから、その当時の人間たちは星と対話していました。星がどのように生きるべきかを教えてくれたのです。食べ物を得るにはどこへ行ったらいいのかを星が教えてくれました。そして、自然が今、何をしたらいいのかを教えてくれました。ですから、人が生きるということは、星や自然と共にあったのです。今も、星や自然は人間に語りかけています。

皆さんの中にはこの真学校に参加するという意志がありましたから、今ここにいますね。皆さんは、何か普通の社会で大切にされていること以外に、もっと大切なことがあるのではないかと思っていませんか?それは、現代人が星や自然と対話することを忘れてしまっていることに対して、人間は本来星や自然と共に生きる生き物だと思っている心があるからです。

今、科学やテクノロジーが進歩し、便利な時代が来ました。これから1ヶ月間をかけて、地球の現状や人間社会の状態を観ながら、私たちがどのように歩んでいくべきなのかを探っていきます。その中で、私たちが今のままで進んでいいことと、忘れてしまってもう一度取り戻さないといけないことがあります。たとえば、近代的な都市で生きている人は電気とガス・水道によって生きています。そこに地震が来てそういったライフラインが停止すれば、生きていけなくなります。しかし、たとえば木の花の暮らしというものは地震が来ても生活は継続できるのです。では、なぜ都市で暮らしている人はその生活が継続できないのでしょうか。それは、この世界と人間の在り方に何かギャップがあるからです。ですから、人間が自分の考える豊かさや願いを叶えようとした途端に人口は急激に増え、不自然が当然の生き方となり、それが豊かさだと思うようになったのです。

今、ここでその話のすべてをすることはできません。ですから、1ヶ月間をかけてお伝えしていきます。私には、そういった人間たちが本来持っていなければいけないものや忘れてしまったものを人々にもう一度思い出してほしいという想いがあります。人間たちは本当にこの生き方やこの状態で地球に存在していて、誇りを持っていられるのでしょうか?それほど遠くなく、人間は地球にとって何者であるのかを考えなければいけない時が来ます。

実は、今までのような豊かさを追求しなくても、別の道があるのです。そろそろ、私たちは今までとは違う生き方を地球上で選択しなければいけない時が来ています。今の話は人類に対しての話です。そういった情報を知識のようにして学び、社会に向けて、「人間たちはそう生きるべきなのだ」と発信するだけではダメなのです。それはなぜかというと、人類の歩みは私たち一人ひとりが歩んだ結果、積み重なってなったものだからです。この1ヶ月間にたくさんの情報を皆さんに提供しますが、それが単なる知識で終わっては意味がありません。それが皆さん一人ひとりの人生に意味あるものとして伝わり、そして真学校の後の皆さんの人生が変わることが大切です。

木の花ファミリーの暮らしや私の話はひとつの提案です。そして、日々の木の花ファミリーの暮らしとして、実際に裏付けがそこにあります。その暮らしに出会った皆さんには、どうか、皆さんにもやさしく、そして地球にもやさしい生き方をしてもらいたいと思います。1ヶ月間、今まで知らなかった人同士がここに集ってミニコミュニティを創ります。そして、この新しい出会いを通して新しい可能性を探求していきましょう。私の中にはたくさんの想いがありますが、これは1ヶ月間をかけて皆さんにお伝えしたいと思います。今は白紙にして、楽しみだけを持って、これから始めていきたいと思います。どうか、よろしくお願いします。