受講生といさどんとの対話・エリちゃん編

1ヶ月間の真学校では、受講生一人ひとりがそれぞれの歩みで目覚めていくことを大切にしています。そこに固定されたプログラムはありません。12名が参加する2016年度は、個性豊かな12通りの学びがあります。
その中の一人であるアメリカ人のエリちゃんは、今年1月に初めて木の花ファミリーを訪れました。36歳の彼女は7年間ある重い病を患ってきましたが、木の花に来てからその症状が癒され、人生の新たなステージに向かう生き方を模索していました。以下は、真学校参加を決める前のエリちゃんといさどんとの会話です。まずエリちゃんが自らの病気についていさどんに説明した後、いさどんは次のように語り出しました。

「1ヶ月間の真学校」受講中のエリちゃん
講座受講中のエリちゃん

いさどん:
日本語で「病気」は気が病むと書き、心が原因となって表されるものです。ですから、心の状態によって病気が重くなったり軽くなったりするのです。

エリちゃん:
まさにそうですね!昨晩の大人会議でいさどんがおっしゃっていたように、わたしの意識が神とつながり、エネルギーが流れているときには調子が良いのです。私は今回初めて日本に来て、もう3週間が経つのですが、日本でたくさんの目覚めた人たちと出会ったように感じています。彼らは「あなたは神なのです。病気があなた自身ではないのです」とわたしに思い出させてくれました。そしてここ木の花で、わたしは病気から完全に解放されています・・・伝えたいことは本当にたくさんあるのです!

いさどん:
わたしも同じですよ(笑)。極端なことを言えば、すべてを伝え合わなくても、これはとても意味のある出会いだということはわかりますね。

エリちゃん:
心からそう思います!昨年からわたしはまるで子どものようにたくさんのメッセージを受け取ってきたのですが、その傾向は日本に来て、さらに木の花に来てからより強まっています。

いさどん:
今はそのような時代であり、木の花ファミリーは一般社会からすれば、まだ特殊な歩みをしています。しかし、わたしたちは今、地球規模で新たな時代に突入するターニングポイントを迎えているのです。今までの時代は、わたしたち人間が物理的な体を持っているために、病気も物理的現象であるかのように受け止められ、お金やものなどの物理的な豊かさを追求する時代でした。それは人間の欲望から捉えると、ある意味魅力的でもあったのです。人間には物理的な欲求の心と霊的な欲求の心の両方があるのですが、今の時代の人々は物理的な欲求が優先してしまって、バランスを欠いている状態なのです。

わたしたちの体の中にはいくつかの気の柱があり、そのバランスによっていろいろな症状が出たり、健康であったりします。そのアンバランスが起きるということは、人間を進化させる元にもなるのです。

エリちゃん:
そうです!ありがとうございます!!

いさどん:
ハッハッハ。

エリちゃん:
というのも、これまでほぼ7年間、わたしは病にひどく苦しんできたのですが、昨年になってようやく、わたしは病気に感謝できるようになったのです。ですから、病気はわたしの大いなる師なのです。

いさどん:
それは良い捉え方ですね。 今、日本で最も多くの人がかかって亡くなる病気が癌です。癌細胞からすると、温かいことと人々が朗らかに生きることが最も嫌な環境なのです。ですから、現代社会は癌にとって最も繁殖しやすい状態でもあるのです。今、医療は物理的には高度に発展していますが、それは病気に対する根本的な治療方法ではなく、その認識が病気の根本原因に行き着いていないのが現状です。

病気は決して悪いものではなく、わたしたちにそのアンバランスが起きていることを教えてくれているのです。そのことが理解できる魂と、この世界の出来事を善悪のふたつに分けそれを裁いていく魂の違いは大きいのです。あなたはそういった現象の奥にある真実を考えられる環境に行くと、心が楽になりますね。それは、あなたが次の時代を生きる魂だからです。今の時代においてあなたのような人たちは、自分の心が理解されない環境で育ってきました。だから、孤独に感じることもあるのです。しかし、その苦痛は次の時代を生きるためのバネになるのです。

エリちゃん:
そうですね。これは表現するのが難しいのですが・・・今回日本に来たのも、それは何か説明できるような理由があって来たのではなく、わたしの魂が今ここに引き寄せられたのです。

いさどん:
これからの生き方は、そういった物事に対する姿勢が大切です。それは、直観で生きるということです。人間以外の生命はそのような本能と共に生きています。人類にも、過去にはそういった時代があったのです。

新たな時代は、科学・物理・テクノロジーの発展を捨てるわけではありません。今、ピークを迎えている物理的テクノロジーの進化は、優れたことでもあるのです。ただ、それが未だに人類社会に真の平和や安定、そして豊かさをもたらしていないだけのことなのです。

出会った困難に対してそこから疑問を持ち、新たな価値観を模索しているあなたのような人たちが今、たくさん現れてきています。あなたは「1ヶ月間の真学校」に興味があると言っていましたが、今のところこのプログラムは一年に一度しか開催できません。それはわたしたちの生活上、ゆっくりと時間をかけてここにあるノウハウや情報を提供できるのは、この期間だけだからです。通常、もっと重症な心身の病を持っている人に対する取り組みとしては、自然療法プログラムがあるのですが、その場合、その人が病気の状態を健康に回復するまでの取り組みが主な目的です。しかし、「1ヶ月間の真学校」は宇宙・地球・人類の歴史を紐解き、現在わたしたちがどのような時代にいるのか、自分自身に働いている感情はどういう構造になっているのか、そしてどのように新たな時代を迎えたらいいのかを分析していくのです。

今、地球規模で行き詰まりを迎えている現状は、宇宙的に言えば切り替え時が来ているのですから当然のことなのです。ところが、世界のリーダーの多くはその原因がよくわかっていません。さらに、これからの時代は一人ひとりが目覚める時代なのです。ですから、リーダーが現れて新たな時代にいざなう時代ではないのです。そういった意味で、個人の損得の延長にこの世界を何とかしたいとか、自らの苦痛の延長に改善を求めていくのではなく、近代の社会のあり方に疑問を持ち、新たな時代を迎えようと模索する人たちが今、現れてきているのです。ですから、一人ひとりは個人のことで悩んでいるかもしれませんが、その現象の結果次の時代に訪れるのは、もっと大きな世界的ネットワークを創り出す動きだとわたしは観ています。そういった人々が広い世界観を持つことによって、心のキャパが広がり、社会にも精神的ゆとりが生まれることにより、病気などの個人的問題も社会の行き詰まりも自動的に解決されていくのです。

わたしは30数年前にこうしたビジョンを受けるようになりました。そこで気付いたことは、一人ひとりの人間は本当にオリジナルで、過去・現在・未来においてあなたという存在はあなたしかいないのであり、この瞬間しかいない、ということです。そういった個である存在に目覚め、一人ひとりが自分らしく生きると同時にこの世界に貢献していく姿が、地球に表された人間の姿なのです。

「1ヶ月間の真学校」は、こちらがただ情報を提供して学習してもらう場ではありません。わたしたち一人ひとりの中には、宇宙が誕生してから現在、そして未来までのすべての情報がDNAとして入っているのです。そして今のあなた自身は、あなたという魂がそれをDNAから引き出して、今のあなたの状態にしているのです。健康な状態も病気の状態も、あなたの魂が引き寄せてそうしているのです。ですから、病気もメッセージと受け取ることができれば、あなたの健全の元になるのです。しかし、病気を単なる病気だと捉え、それを排除したいと思えば、あなたの病気はいつまでたっても病気として認識され、たとえそれが治ったとしても「あれは病気だった」ということで終わってしまうのです。

物理的に解決することはとてもエネルギーがかかるのですが、霊的に解決することはいとも簡単なのです!

エリちゃん:
本当ですね!

いさどん:
この世界は、霊的なものによって物理的な現象が誘導されています。そういったことを自らの中から湧き立たせることが、「1ヶ月間の真学校」のプログラムなのです。現在を理解するためには、過去から現在までのプロセスを理解する必要があります。そして過去から現在を理解すると、現在から未来の流れが観えてくるのです。そうすると、未来に対して不安になる必要はなくなります。そのように、自らの心が未来を創っていくのです。今、人類がそういった姿勢に立って、これから地球の歴史を創っていく時代が訪れています。

過去には様々な宗教や哲学が生まれ、優れた人の教えを世界中に広めた時代もありました。しかしこれからは、一人ひとりが宇宙に対してどのような意味があって存在しているのかを理解し、その目覚めのネットワークを広げていく時代に入ったのです。それは、過去の宗教などのような特定の教えを広げるためのものではありません。それはわたしたちがこの世界に生きている意味を認識するためのものなのです。あえて言うならば、人類は皆、宇宙に所属しているのですから、宇宙からその意味を受け取り、気付く立場にいるのです。

わたしたちには次の時代の訪れを一般の人々より少し早く感じたものとして、互いに連携し合い、それを広めていく宣教師のような役割があるのです。たとえば、あなたがここに来てたくさんのことを感じ、この場でわたしに語りたいことがたくさんあるように、わたしにも伝えたいことがたくさんあるのです。

エリちゃん:
それは、わたしがいさどんに質問したいことでもありました。わたしたちの心が本当に開放されていると、天から絶え間なくメッセージが降りてくるのです。

いさどん:
その発想をしていること自体、あなたは次の時代を生きる人なのです。人が自らの考え方の中に囚われている状態を、漢字で「囚」と書きます。これは、枠の中に人が入っている状態です。この枠の下の部分を取り去ると、玄関ができて外からの情報が入ってきます。そして、上の部分も取り去ると、上からは天の法則が入ってきます。そうすると、「囚(とらわれ)」が「閃(ひらめき)」になるのです。囚われの状態とは、頭の中で思考がぐるぐるとまわり、自らの価値観で物事を裁き、世の中を生きている状態です。それに対して、閃くという状態は上から降りてくる直観と、内から湧き上がる気付きの両方によって生まれます。この閃き(直観+気付き)の状態を「縦」の思考と呼びます。それに対して、囚われの状態を「横」の思考と呼びます。横の思考は、縦の思考に沿うと、健全に働くようになるのです。そして、この縦(|)と横(一)の両方を合わせると十(重合)となり、完成されたヒトの姿となります。カタカムナでは、これを一(ヒ)から十(ト)までの道ということで、それを十(ヒト)と読み、完成された人間の姿を表します。それは、悟りに至ったヒトの姿です。

約13000年前に東アジアに存在していたカタカムナ人は、直観により自然の物理性やその元となる世界を体感し、生活していました。

エリちゃん:
わたしはカタカムナを学ぶ必要がありますね!

いさどん:
そうですね。カタカムナは世界中の言語の元になっているものなのです。わたしたちの文化は漢字を持っていますが、それは文字に意味があるのです。しかし、言語の一番の元は、一つ一つの音に意味が込められているのです。わたしたちは音を発するものであり、音を組み合わせることによって意志の疎通を図ります。その音は全部で48です。その一つ一つの単音に意味があり、音が組み合わさると、物理性が示されるのです。ですから、この世界は音の響きによってできているのです。わたしたちは音を出しながら、この世界を創っているのです。

その響きは耳に聞こえる以外の世界にも及んでいます。たとえば、物事を前に進めていく正の響きもあれば、それを逆行させる反の響きもあります。ですから、家庭の中で対立する人間関係が生まれ、その結果その家の食べ物を腐らせてしまうような反の響きを出している家庭もあるのです。逆に、この世界が過去から未来へ向かって進むように宇宙の法にふさわしく沿っていく響きもあるのです。そのように法にふさわしい正の響きを発していると、人は健康になっていきます。

人類はこれまで、いろいろな問題が起きるとそれを表面的に解決しようと努力してきました。しかし、なぜそのような状態になったのかを紐解き、そうならないような正の響きや流れを創っていけば、自動的に問題は消滅するのです。今の世界はとても複雑になっていて、純粋で美しい元の響きがわからない混沌とした状態になっています。ある意味、それはとてもダイナミックでもあるのですが、人々はそこを理解することができず、突破するのが難しい状況になのです。しかしそういったことの原因をよく理解し改めれば、シンプルに、効率良く、豊かに生きることができるのです。人類は、そういった世界を自らの中から湧き立たせることができるのですが、そのためには閃きが必要なのです。

すべての生命が宇宙を構成していて、すべての生命の中にその叡智は存在するのです。特に人間は地球上の生命の中で最も高い能力を持っているのですから、そうした情報をすべて持ち合わせているのです。しかしそれと同時に、能力が高いということは、その使い方を間違えるととても愚かしいところに堕ちることにもなるのです。

「1ヶ月間の真学校」では、今、わたしたちが行き着いた情報を提供し、それを皆で確認し合う場にしたいと思っています。しかしそれは、1ヶ月間だけの学びなのではなく、人類は進化し続けていくのですから、そこに参加する人たちの新たな生き方のきっかけのようなものとなるのです。もし、あなたが参加することが可能であるならば、もちろんそれは自分のためでもあるのですが、それはさておき、新たな世の中創りに貢献していくために活かしてもらいたいと思います。

わたしが目指している世界は、わたしから湧き出る智恵を必要とする人がわたしのもとに来ます。そしてお互いに意志を疎通させるために、目と目が合うとします。そこでわたしがにこっと微笑むと、それだけでその人には通じ、「わかりました!ありがとうございます!」と言ってその人が帰っていくのが、わたしの目指している究極の世界です。本来、人間にはそういったことが可能なのです。

エリちゃん:
そのとおりですね!!ひとつ質問があるのですが、昨晩の大人会議でいさどんは2016年のテーマである「発信」について話していましたね。そこで、言葉の重要性について考えたのですが、今、わたしにはある師がいて、彼はインドの伝統でいうグルのような存在です。これまでの人生を通してもわたしにはたくさんの先生がいて、わたしは彼らの言葉のすべてを理解できなかったのですが、何かがわたしに伝わって学んでいるのです・・・すみません、わたしの質問が何だったのか、わからなくなってしまいました!

いさどん:
わたしがそれを答えましょうか(笑)?あなた自身の道は、あなたにしか歩めないのです。ですから、あなたが出会ってきた師や学びは、あなたが本来の道に目覚めるためのものだったのです。これからは、師を持つ必要はありません。あなたが自身の歩みに目覚めれば、あなたが自らの師になるのです。本来、人は皆、そうなるべきだと思っています。

生命はそれぞれのポジションを担いながら、この世界を維持しています。ですから、すべての存在が尊いのです。過去の時代には師と弟子という関係があったのですが、新たな時代はポジションが違う関係であるだけなのです。

エリちゃん:
本当にそうですね。まだまだ、わたしには学ぶべきことがたくさんあります。

いさどん:
あなたは今まで自分に対して自信がありませんでしたね?

エリちゃん:
はい。

いさどん:
これからは、おごった自信ではなく、確信に基づく自信を持つということです。

エリちゃん:
それはよくわかります!

いさどん:
そうすると、誰かから導かれなくても、自らの中から道が湧き出るようになるのです。一人ひとりの中から湧き出てきたものがネットワークしていくと、最終的にわたしたち人類は地球という生命を構成するひとつの家を持った家族だと気付くのです。その次には、地球の家族は宇宙に向かって新しいビジョンを展開するようになるのです。宇宙は広大なサイクルの中をフリーエネルギーによって運営されているように、わたしたちの中にも無限なるエネルギーと共鳴するような働きがあるのです。

今日、わたしは言葉で語るのは難しいと感じながら語っています。わたしの話が少々ぎこちなくても、ようこちゃんはスムーズに英語で通訳していますね(みんな、笑)。そういう関係を誰とでも創りたいのです。

ようこ:
こういった話を初めて聞くエリちゃんにとってわかりやすいように、情報を少し追加して通訳しています。

いさどん:
そうなのです。わたしが伝えたいことを、わたしが話すより先にようこちゃんがその内容を感じて通訳しているのです。ですから、わたしは話している格好をすればいいだけなのです(みんな、大笑)!

そういった心の関係ができると、今、世界的に起きているたくさんの問題も自動的に解決されるのです。そういった世界では皆が自分のところに利益を確保しようと思わなくてもいいのです。それこそ、閉じた心の門を開いて、閃きによってネットワークすれば、皆が豊かに生きられるのです。そこでは、新たなテクノロジーや様々な叡智が新たな意味で皆のために活かされるようになるのです。

ただ、その世界は、天の意志が通った世界です。人間たちは地上を生きていますね。そうすると、道理の通った世界に生きることに慣れていないのです。地上に生きていて、対立や競争、差別することに慣れすぎてしまい、だから地上に天国は降りてこないのです。自然界にも天国が表現されないのです。それは、今の人間たちの間違いでもあり、同時にそういった時代のプロセスを刻んでいるということでもあるのです。そこでは誰一人、悪者はいないのです。

すでに、宇宙的には新たな時代の扉が開かれました。これから、地球上にそれが現れてくるのです。ですからわたしたちは今、時代が切り替わり新たな世界へ向かう旅立ちの時に生きているのです。その切り替えの完成までには、地球時間で言うと100年ぐらいかかるでしょう。しかし、宇宙的に言えば、100年なんてほんの一瞬なのです。地球の誕生から現在までを一年にたとえると、その切り替え時は一秒にもならないのです。

(そこでようこは、250年前の産業革命は現在からほんの2秒前に起きていたことも付け加えて通訳する。)

chikyunorekishi

いさどん:
わたしが今、話さなかったことをようこちゃんは通訳していましたね(笑)。

エリちゃん:
それは完璧だわ!わたしが日本に来てから、ある意味変なことが起きているのです。

いさどん:
変な状態にならないと、現代社会のマインドコントロールは解けませんからね。

ようこ:
それは良いことなんですよ♪

いさどん:
木の花ファミリーは変な人の集団ですからね。

エリちゃん:
ハハハッ。それは良かったわ(笑)!日本に来て、特に木の花に来てから起きていることなのですが、寝ているときにたくさんの夢を観て、たくさんの人生を経験しているように感じています。そして、それはとても明快なのです。昨日の大人会議でいさどんが話していたように、エゴから解放されれば、より高い意識や無限の意識とどんどんつながっていきますね。

いさどん:
それ以上あなたが話さなくても、こちらには十分伝わっていますよ(微笑)。わたしたちは自分自身に囚われていたら、小さな自分自身であり、自分自身とも矛盾を発生させることになるのです。しかし、解放すればこの世界全体が自分自身にもなるのです。ただそこで、あまりにも解放されすぎると自分であるという意味がなくなるので、とりあえずまた自分に返ってくることもでき、自らの役割を果たすようなこともできる世界なのです。

エリちゃん:
そのとおりですね!

いさどん:
現代の多くの人々は個人として自らが成立していると思っているのですが、その個人はもうひとつ大きなスケールの中でポジションをもらっているのです。そして、わたしたちが自らを認識するこの形まで戻ってきたときに、自らの狭い枠に囚われているのか、それとも全体と自らの位置関係を認識し広い世界観のもとに存在しているのかということなのです。わたしたち自身も、無限に小さなパーツの集合によってできているものでもあるのです。これは相似形という仕組みです。そういったこともすべて、カタカムナは紐解いてくれているのです。13000年前の人々がそれをわかって生きていたのですよ。そして、宇宙時間からすれば、13000年というのは一瞬のことなのです!

わたしは銀河が誕生したときにその場に立ち会った記憶もあれば、地球が創造されるときにどういうビジョンで創るのか、仲間たちと話し合っていた記憶もあるのです。それは過去のことだけではなく、いずれ地球に賞味期限が来たときに、地球から離れて次のステージに行く未来に対してのビジョンもあるのです。

ですから、大きなスケールで今を観たら、確かに今目の前に起きていることは注目すべきことではあるのですが、悩むことではないのです。人類が今、そこに目覚める段階に来ているのです。そういったことを伝えることが、わたしがここにいる役割なのです。わたし個人の望みは地上的には何もありません。みなさんにそういったことを伝え、地球上に人類の目覚めのネットワークができたら、わたしは次のビジョンに行くだけなのです。その役割をあなたにもしてもらいたいと思っています。OK?

エリちゃん:
OK!!

いさどん:
では、また真学校で会いましょう。

エリちゃん:
Thank you!!
――

さあ、これから1ヶ月間の真学校を通してエリちゃんはどのように変化していくのでしょうか。時代の流れやこの世界の意志を感じているエリちゃんは、そうした大いなる意志とともにこの1ヶ月間を過ごしていくことでしょう。

受講生仲間と一緒にアメリカ式のパイを作るエリちゃん。“ Sooooo delicious!! ”
1ヶ月間の真学校はまだ始まったばかり!

6日目「人格を学ぶ講座1」序章の話

2016年度1ヶ月間の真学校では、最初の2週間で全8コマの「人格を学ぶ講座」を受講します。名前からその人の魂の陰陽や性質を読み解く「カルマ読み」、生まれた日の惑星配置から天命を知る「地球暦」、そして日本語の元となった48音の思念を通して生命の本質を解き明かす古代文明「カタカムナ」という3つの手法を通し、受講生一人ひとりが自らの人格を客観的に捉えた上で後半を迎え、さらに学びを深めます。
それまで知らずにいた自分自身の本質を知ることで、驚く人あり、深く納得する人あり、時には「そうだと思いたくない」と抵抗する人あり。しかしこれは、自分に都合の良い情報だけを取り上げて自己満足するための占いではないのです。

1ヶ月間の真学校の基盤とも言えるこの講座の冒頭に、「序章の序章の話」として、なぜこれをやることが大切なのか、その意味をいさどんが語りました。

まりちゃんが作った新しい服を着て
まりちゃんが作った新しい服を着て

――

僕は、いろいろな情報を得るときに、自らの感情を入れないでその情報を捉えましょう、とよく言います。それは、情報に感情がオーバーラップしてしまうと、真実が観えなくなるからです。まずは自分の思考のクセをよく把握し、その上でそのクセを意識しながら情報を聞くと、ものごとを客観的に捉えることができます。

人は自我に目覚める以前より、育てられる環境に反応し、適応することによって、内に秘められた人格が湧き出てきます。そして人間形成が進んでいくのです。
人格の成り立ちを緻密に振り返ってみると、様々な洞察が湧き出し、その人格がどのように形成されてきたのかという流れを観ることができます。その流れの中で築かれてきた人格が、私という存在です。
ある程度年齢を重ねていくと人間関係が広がり、他者との違いを通して自らがオリジナルな存在であることに気付いていきます。人によっては、そのオリジナルな目覚めが他者と違うからと言って辛い思いをすることもあれば、多くの人と同じであることに安心感を覚える人もいます。また、他者との違いから優越感に浸る人もいます。そこで優越感に浸るのか劣等感を持つのか、はたまた安心するのかは、その人の性質によって異なります。あるいは、それまでに育った環境がその反応を引き起こしている場合もあります。
そのようにして、もともと持っていた人格と、後天的な環境などから引き出された人格が折り重なり、その人の自我が創り上げられていきます。その時に、被害者のようになって人生を生きる人もいれば、加害者として生きていく人もいます。また中には、自らの人生をマイペースに生きて他者のことにはあまり干渉しない人もいます。人それぞれで、いろいろな人がいるものです。

このように細かく自らの人格形成の成り立ちを認識していく人は、ほとんどいません。ですから、多くの人は無自覚のうちに形成された人格をクセのように身に付け、そのクセのままに思考し行動していることに気付いていないのです。ですから同じことを繰り返し、「またやっちゃった」と反省したり、人から指摘されて「そういえば前にも同じことを言われてたね」「あなたらしいね」ということになります。自分の中から日々湧き出てくる感情を観察し、自己コントロールしている人というのは非常に少ないのです。

ただ、そのようにノーチェックでクセを出すことで、この世界に波紋を広げていることは事実です。この世界は鏡ですから、自らが世界に波紋を広げれば、それはいずれ必ず自らに返ってきます。因果応報という言葉の通り、この世界は原因と結果の連鎖によって成り立っていますから、何かの形で結果が返ってきたということは、必ずどこかで自分がその原因を発しているということです。その構造がわかったら、原因はどこにあるのだろうと振り返ることができます。それを発したことによって喜べない結果が返ってきたとしたら、今後はそれを発することをやめれば、同様の結果は発生しないことになるのです。

日々自らの中に湧き出してくる感情も、その瞬間にそれがどのようなものなのかを客観的に捉えることができれば、その感情をコントロールすることができます。例えばそれが相手に対して突き刺さるようなものであれば、少し緩めたりして表現すればいいのです。相手に強く突き刺されば刺さるほど、それは自らに強く返ってきます。それは相手が強く発したとも言えますが、強く返ってくるには返ってくるだけの、何かの理由があるのです。

この世界は、目に見える世界と目に見えない世界からなる「現象界(ある世界)」と、それらすべての源となる「潜象界(ない世界)」によって成り立っているということを、カタカムナの世界観から学びましたね。現象界では、光は真っ直ぐに進みます。そして物に当たりながら進むので、速度も遅くなります。しかし、私たちの想いは光よりもはるかに高速です。人がこの世界全体の構造を理解する時、その心から発せられる想いは「アマハヤミ」で宇宙を駆け抜けます。それは一切の抵抗なく人の心すらも通り抜け、瞬間的にいい人間関係作ることができるのです。
ただし、作るといっても、自分の都合の良いように作るわけにはいきません。相手には相手の都合と、精神的な歩みの段階があります。ですから、少なくとも自分からは相手が不愉快に思うような種を蒔かないことです。しかし、時と場合によっては相手が不愉快と思うようなことも、相手の状態を理解しながらあえて発しなければいけないこともあることを、忘れてはいけません。それが他者を想うことであり、自らの気付きを生かすということです。そのように自由自在にトキとトコロをかぎ分け、自らの精神を使い分けることができる人が、自己コントロールして生きる人なのです。

そのように分析しながら毎日を生きている人はほとんどいませんが、そういった構造を体得すると、自らをコントロールすることができるようになります。しかし知らなければ、無自覚に自分の感情を他者にぶつけ続けることになります。その思考回路は、ただ思いついたことを出し、また何かが浮かんだら出すという条件反射的で感情をノーチェックの状態です。そして精神が幼いと、ノーチェックで出した自らの想いが叶うのがいいことであり、叶わないと辛いことになるのです。
けれども、カタカムナの講座でも触れたように、すべての存在はそもそも「間違い」からこの世界に生まれてきています。そして物事が滞ることを通して、人は「正しい」とはどういうことなのかを知るのです。ですから、神様はわざわざ滞りを私たちに与えました。このことを理解できない人は、滞りが起きると「神様はいじわるだ!」と思うかもしれません。けれども、神様も含めたもう一つ大きな世界から観れば、そうではないことがわかります。そのスケールでものごとを解釈できた時に、人は初めて自らのスケールを広げ、大人としての人格を持つことができるのです。

「人格を学ぶ講座」では、まず自らの人格の実態を知っていきます。3つの手法(カルマ読み、地球暦、カタカムナ)を通して、心の形を客観的に捉え、それが現在の自分にどのように表現されているのか、今までの人生を振り返ってどのように表現されてきたか、またその結果を受けてどのように反応してきたかということを紐解いていきます。そして、自分は今世どのような心の性質を持って生まれてきて、それをどれだけ認識して生きているかということを観ていきます。
ほとんどの人はそのようなことに無自覚なのですが、幸せなことに、たくさん問題ごとに出会う人ほど、少しずつそれを伝えられる環境をもらっていることになります。それは神様の愛です。そして、それが自らの中で愛として捉えられているかどうかが、とても重要なのです。

今私たちが生きている時代や環境、民族、国、親兄弟やその他の近しい人々まで、そういったものはすべて、学びとして自らが選んで生まれてきているのです。しかし多くの人は、何か問題が起きると周りのせいにします。周りが間違っているから自分は辛いのだと不満を言うのか、それとも、その問題のおかげで自らの学びを深めることができてありがたいと思うのか、そこには大きな違いがあります。そしてそれは何か特定のものに感謝するということではなく、この仕組み自体が私たちが生まれてきた意味そのものなのです。誰しもそこから離れて生きられる人はいないのです。

僕自身のことを振り返ってみると、なぜ自分のもとにこういった道が与えられたのか、その意味が分かってきました。それはこの時代の人々に、新しい意識を提供するためです。
そう言うと、救いの手を差し伸べられたかのように受け取る人がいるかもしれません。一時はそのように捉えてもいいのですよ。しかし、ぜひその先に行ってもらいたいと思っています。これから学ぶ手法を通して自らを紐解き、それを生かして、世の中に生きることの本当の意味を知ることを広めてもらいたいのです。
生きることの本当の意味を知ったら、人は無駄なことはしません。無駄なことをしないからエネルギーも無駄にならないし、競争をしないから争いも生まれません。生きる意味を知ることは、人の心を穏やかにするのです。それが真の平和運動であり、それこそが、この1ヶ月間の真学校のテーマである「目覚め」の目的なのです。

人は自分を知るために人生を生きていると言えます。自らを知らずにいると、どこにいるのかもわからないままやみくもに生きることになります。世界にたった一つしかない自分物語を、自らが主役となって生きるからこそ、人生を振り返り、一人ひとりオリジナルに与えられた役割を果たすことができるのです。

これまでは、世の中にも、人々の間にも差がありました。そして政治の世界でも経済の世界でも、社会を構成するほとんどの人はリーダーシップをとる側ではなく、ついていく側にいたのです。
しかし今、みんなで創る時代が始まりました。一人ひとりが主役となり、みんなで創っていく。それは本当にやり甲斐のある、希望の持てることなのです。

(いさどん)

――
こんなふうに一人ひとりが思えるかが、時代の大きなターニングポイントを迎えるに当たり本当に大切なことなのです。

日常の出来事を受け、小さな心の動きから、それを緻密に観て分析していくことで、自分を知り、他者を知り、世界、宇宙の仕組みを知っていく。そして逆に宇宙、世界、他者の視点から自分を観る。それが循環しながら、一瞬一瞬、自分が意識しようがしまいが波動となってこの世界に表現されていく。自らのカルマを超え、もとの美しいヒビキを持つものになった時、宇宙からのメッセージを受け、それをそのまま表現できるものになる。そこに表されたものは、一人ひとりオリジナルで、しかもそれらの一つ一つは不完全だからこそ繋がりあい、美しいハーモニーを奏でる。その為に不完全さがあるのだから、その仕組みを知り、調和の方へと自らをコントロールしていければ、その不完全さが個性となって輝く。

そんなイメージを日々持ち、自分の人生を大切に生きていれば、愛あふれた調和の世界が遠からず実現できます。大きな構想ですが、それも小さな一人ひとりの意識の一歩から創られていくのです。

(まりねえ)

 


5日目「天然循環法 – 農」概論

1ヶ月間の真学校では、農や食、その他のあらゆる場面において新しい生き方の指針となる「天然循環法」の世界観を学びます。
では、天然循環法とは一体どのようなものなのでしょう。以下に、講座で使用したスライドとともに概論をお届けします!

――

いさどん:
私たちは、木の花ファミリー設立当初は有機農法をやっていました。これは今、一般的に普及している農法ですね。
有機農法は、人間が自然から作物を「取ってやろう」というものです。有機農法をやっている人々は、確かに環境に配慮をして、農業資材もそれなりのものを使っていますが、その暮らしはお金を稼いで生活することが目的になっています。ですから、その人たちと一緒に過ごしてみると、生活のサイクルがお金で回っていることがわかります。
確かに木の花ファミリーも社会の中にありますし、社会の血液であるお金の流通の中に生きていますが、ここにはお金に縛られて生活している人はいません。ここでは労働するのはやることがあるからです。しかし一般的には、労働とはお金を稼ぐため、生活をするためにやることになっています。農業で言うと、農産物を生産し、それを買ってもらってお金にし、生活することが目的になっています。それで本当に自然と純粋に付き合えるかと言うと、それはなかなか難しいのです。

私たちはカタカムナに出会い、天然循環法という世界に踏み出しました。「天然循環法」という名前は、木の花で付けたものです。これが始まった時に、やっと行き着くべきところに来たのだということを感じました。それは、そこに関わる人々の精神性から醸し出す響きまでを生活に表現する場所です。

僕は40歳の時に仕事を辞めて、いずれ農的暮らしをしようということで農業の勉強を始めました。その時に始めたのは、慣行農法でした。
その頃、僕の畑にはいろんな人がやって来ました。僕のいない時にも来ました。そこで農薬を使ったら、農薬の残留期間があるので○○日までは食べられませんよ、ということを知らせる立札を立てておかなければいけませんでした。それから、害虫は土と植物のバランスが崩れた時に発生するものですが、それを無理やり抑えるために土の中に薬をまくのです。誰に聞いても薬をまく以外の方法がないという結論に行きついた時に、僕は畑にバーナーを持って行って、土を掘り起こしては焼くということをしました。それは大変な労力でした。そこへ生ごみを入れたらいいだろうと無知な発想でやってみたら、それはもう、蛾の幼虫を養殖しているような畑になってしまいました(笑)。後に土壌の状態と作物の関係がわかって来た時に、僕のやったことは作物ではなく害虫を作っていたのだということが証明されました。(みんな:笑)
それで、とびっきり良い野菜を作ろうと思いました。そうしたら微生物に出会いました。それは現在、「木の花菌」のベースになっているものです。私たちの生活には、農業だけではなくあらゆる場所で、微生物が様々な形で利用されています。私たちの生活は微生物と共存しているのです。

13000年前の日本に存在していた宇宙物理文明・カタカムナの世界観から、この世界の仕組みを観てみましょう。
この世界は、目に見える世界と見えない世界を合わせた「現象界(ある世界)」と、それらすべての源となる「潜象界(ない世界)」から成っています。微生物は自然界の一番奥に存在します。そこは潜象界の入り口です。微生物は、潜象界から湧き出してくる生命の一番始めの姿なのです。

図1
 図1

僕は微生物の存在に出会った時に、それを神様からの贈り物だと受け取りました。それはとても神聖なもので、人間の心が汚れていると影響されるような、繊細なものだと捉えていました。そして、有機農法に出会いました。

慣行農法は、確かにこの現象界の自然の中にありますが、そこでの営みは自然のバランスを考えずに、むしろ自然を壊しながら生産をする現場になっています。そこで作られたものは、場合によっては毒素を含んでいます。戦争で、サリンやマスタードガスなどの化学兵器が使われることがありますね。そういったものと化学式がほんの少し違うだけの農薬が、慣行農法では使われてきました。ですからそれを知っている農家は、自分が作ったものを自分では食べません。けれどもお金にするために人には売ります。すごい世界でしょう。しかしそれが私たちの食料を生産する主力となる場の現状だったのです。
そこで有機農法は、人の健康や環境に配慮するために、素性の良い素材を使おうということで始まりました。ですから有機農法にはたくさんの基準があります。それは世界基準になっており、その基準を守っている人は特別な表示で売ってもいいということになっています。そして流通にしても有機JASの認証にしても、どうしてもそこにお金が絡んでくるのです。ですから有機農家はいいことをやっているようなつもりでも、その波動は美しいものではないですね。

こうちゃん:
IMG_9772-768x512そう、ひどい世界です。僕は元有機農家だけど(みんな:笑)有機農家が増えていくと消費者の奪い合いになるから、有機農家は同業が増えないことを望んでいたりします。
口では環境を良くしたいと言ったり、お金があまりないから皆で協力し合って農業機械を貸し合ったり消費者を広げる活動をしたりしてるけど、本心では有機農家が増えてもらっちゃ困る、と思ってる。すごい世界ですよ。要は、自分の損得が思考のベースになってるんです。

いさどん:
これはもしかすると日本だけのことかもしれませんが、なかなか有機農家は増えないですね。いずれにしても、その世界はお金やルールの縛りの中にあるのです。
その後、私たちは自然農法に出会いました。自然を観察し、科学して、いかに圃場に自然を表現するか。これは、今の私たちの農のベースになりました。
自然農法は本来、その発生元からして精神性をベースとして生み出された農法のはずでした。ところが、それを広めているのは、実践の現場とはほど遠いアカデミックな研究者たちでした。その実践の現場とかけ離れた研究者の人々の中に、精神性の重要性を探求する姿勢は見受けられません。本来そういった真理を探究する現場では、一貫して揺るがない何かがあるものです。特に現代社会のようにものごとの本質を失ってしまった場では、その揺るぎない精神性を示すことが社会の健全さに貢献するための筋となるのです。しかしながら、そのような確固たる方針を見失った人々は、一般社会にうけることを目的とし、どれだけうけたかによって自分たちの正当性を裏付けようとするのです。
そして実際に自然農法を探求しているという人々と付き合ってみると、科学的探求に偏っている人が多く、中には個人的に人格の疑わしい人も見かけました。そういった本来の柱であるべき精神性が失われた現場では、そのもっとも重要なことが問われないのです。
一般社会にうけようとしたら、目に見える世界の奥にある存在や、そこに携わる人の精神性がいかに大切であるかということを語ることはできません。けれども、多くの自然農法研究者たちは、一般社会にうけることを目的とし、いかにそれを広めるかということに重きを置いていたのです。

そこで私たちは考えました。やはり、濁りのない心でさわやかに「これだ!」と思えるものを実践していこう。それは人や世の中の顔色を見ることではありません。ましてやお金ではありません。
私たちが生活していく中で、毎日「これだ!」と思い、確信の持てる生き方をしよう。そしてその流れができると、自分で意図しなくても、不足しているものが自然と補われるようになっていくのです。それが天然循環法の世界で表現される、「天と共に生きる」ということです。
ですから皆さん、見てください。慣行農法、有機農法、自然農法、天然循環法と4つ並べてみると、ひとつだけに違いがあるでしょう(図1参照)。そうです!天然循環法は「農法」ではないのです。
私たちは、これを「農法」と呼ぶことをやめました。つまり、これはライフスタイルなのです。すべてのものに通じる生き方のことです。

では、「農」という字を見てみましょう。

図2
 図2

「農」という字を二つに分けると、上の部分は「曲げる」という字になります。そして下の部分は「辰」という字です。これは北極星や、生命力の元となる命の力を表しています。この命の力を曲げてしまったことを示すものが、「農」という字です。
農的暮らしとか農業というと、良いものだというイメージがあるでしょう。ところが現在の農は、自然が与えてくれた生命そのものではなく、人間の都合で曲げられたものになっています。本来、潜象界から出てきたばかりの最も美しい生命力が「天然」の状態です。しかし、もっと生産性を上げたいとか、もっと味のいいものが欲しいというような人々の欲の心から、その生命力を曲げてしまったのです。ですから農のことをYesではなくNoと言います。(チーン♪)

カタカムナの世界観で観る、現象界と潜象界の仕組みをもう少し説明しましょう。
明日から「人格を学ぶ講座」が始まります。そこでも学びますが、私たちは日ごろ、現象界の「見える世界」と「見えない世界」の、「見える世界」を主に認識しています。化学・物理の世界では、現象で証明しなければ正しいとは認められません。けれども実際は、この世界には目に見える現象の奥や、そのさらに奥にも物理性があります。そのことを、皆さん理解できますか?
(まだよくわからない、という顔をしている受講生たちを見て)まだマインドコントロールが進んでいませんね。(みんな:笑)ここはね、しっかりマインドコントロールが進まないといけません。このことが理解できる位置に立つと、皆さんの世界観や思考回路がどんどん広がっていくからです。
自分の殻の中にいると、何を大切に守っているのか、頑なになって広がっていくことはできません。それは自分にとって損なことです。僕の話を聞いても聞かなくてもいいですが、皆さんが自らをオープンにしなければ、成長することはできません。それは皆さんにとって損なことですから、なるべく積極的に自らの殻を破って、広げた方がいいですね。1ヶ月の講座が終わって振り返って「広げすぎたな」と思ったらその時に縮めればいいんですから。(みんな:笑)たぶんその時には手遅れになってると思いますけどね。(みんな:爆笑)

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現代の「見える世界」は、人間の思惑によって本来の生命力が曲げられた、人工の歪みが支配している世界です。私たちは常に自らの魂を、その精神性のもとに現象界で表現しています。その人工の世界の中だけに自らの意識があると客観的視点を持つことが難しく、何か出来事が起きるたびにただ条件反射をしているだけの状態になります。
そこでは、人々は対処療法的に浅く物事を捉え、ものごとの本質を観ることをせずに右往左往し、自らの姿勢を正す学びを得ることはできません。その精神レベルで痛みを感じれば、それは人や社会のせいになり、人々は常に被害者の立場にいることになります。そして自らが歪んでいることに気付かないまま、その歪みの中でぐるぐると回り続けるのです。
この人工の「見える世界」の中だけで行われているのが慣行農法です。そういった中で作られる作物が私たちの食べ物として供給された時に、私たちの中で私たちの生命にどのような影響をもたらすか、想像できますか。

有機農法は、人工だけの世界(見える世界)から少し自然(見えない世界)へ入り込んでいます(図1参照)。今でこそ有機農法と言いますが、ちょっと昔に化学肥料や農薬が使われるようになるまではこれが当たり前でした。昔の人たちはそれを当たり前にやっていて、「足るを知る」という精神で生きていました。しかし今では、この目に見えない思いの世界も歪んでいます。
今、自然界では、私たちが知らない間にたくさんの生命が淘汰されています。信じられないかもしれませんが、僕にも10代のころがありました。(みんな:え~~!!笑)学校帰りに近くの小川に行って魚を捕ったり、虫やいろんな動物を捕まえたり、通学路にある柿の木の実をとって食べたり、とてもおおらかでしたね。大雨が降ると道が川のようになって、そこをウナギが泳いでいったこともありました(笑)。
僕の生きていた時代に、そういった時があったのです。それはとても豊かな世界でした。けれどもその自然は、消えてしまいました。潜象界へ還ってしまったのです。今でもまったく無くなったわけではないですから、それを残していかなければ、とは思います。
そのために必要なのは、環境を保護する心ではありません。保護しようというのは、奢った心です。必要なのは、今のその自然の状態と共鳴する心の姿勢です。それを人間が持てば、もともと人間が自然を今の状態に追いやったのですから、人間次第でまた元に戻る可能性はあるのです。そう僕は信じています。

天然循環法という「農」を入れないライフスタイルは、潜象界の、まだ何も汚れていない、濁りやゆがみのない美しいものを引き出すということです。人の心が美しくなれば、自然の元となる美しい響きを人は引き出し、かつてあった美しい世界を再現することも可能なのです。僕は今、この話をしながら、そのことの大切さを改めて再認識しています。
このスライド(図2)を読んでください。
「『農』とは、現象界(自然界)の中にあるべき『天の法則』や『生命力』を人間の歪んだ想いによって曲げたもの、ということになる。だから、農は本来の自然の姿ではないことになる。」

なぜこのようなことを語るのか、理解していただけるでしょうか。
こんなにも大切なことが隠されているのに、誰も知らないのです。

次のスライドを見てみましょう。

図3
 図3

人間が生きるということは、他のものを犠牲にして、人間に都合のいい世界を広げていくということではありません。ここに「人間が生きるということは生命循環の中で役割を果たすこと」と「この世界の仕組みを理解できない者たちは願望を叶えようとしている」とありますね。今の世の中は、この二つのせめぎあいです。しかし前者の意識を持っている人はほとんどいません。ほとんどの人間は後者であり、その人々は大きな錯覚をしています。そしてそれは、すべての解釈の逆転現象を生んでいます。農の世界でも、この世界の解釈の逆転現象が起こっているのです。

艮の金神様の言葉に「この世はすべて逆さまじゃ」とありますが、ものごとの捉え方が浅いと、その逆さまの世界がまともに見えてしまうのです。そしてその浅い解釈をマスコミも世の中も持ち上げるので、それが絶対であるかのように思われています。それは人々の意識がそこにあるということですから仕方のないことですが、それを進めれば進めるほど、世の中の目覚めは遅くなります。
もしも皆さんが、自らの欲望を満たし、願望を叶えることに目的を置き、ただ世の中の顔色をうかがって生きていくだけなら、このような真理に出会うことは不幸ですね。しかし、時代の扉は既に開いています。皆さんの中に最先端を生きようという気持ちがあるならば、この目に見える世界の奥にある世界に、目を向けなければいけません。それは、これから訪れようとする時代では、当たり前の話なのです。

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人間の命は天の法則より与えられています。我々はその法則を理解し、天の意志にかなうように生きるのが本来の命あるものの目的です。そして心を整えると、この世界の仕組みを直観で感受し、的を射た判断が下せるようになります。
ですから、心が整っていないとまったく見当違いなものの方が正しく、大切に思えます。政治の世界でも、農業の世界でも、食べ物の世界でも、これがいいともてはやされているものが、実は自然や宇宙の本質から外れているということが、特に今の時代はたくさんあるのです。最近の良い事例として、清原さんの覚せい剤使用があります。彼は、現代社会の人々の羨望の的となる成功者としてまつり上げられ、その浅い評価と本人の人間性とのギャップから転落することとなった、ある意味社会の犠牲者でもあると言えます。

皆さんはこれから、そういった本質を見抜ける力を、真学校の学びを通して身に付けます。天然循環の考え方で生きるということは、人を育てます。作物は天が与えてくれるものです。人間は、そこに出会うことによって育てられるのです。
ですから、自分が育てようなどと思うことではありません。一生懸命に自らの心をきれいにして、この世界を汚さないように、この世界に失礼にならないような姿勢で向かうということです。

みかこ:
カタカムナを学び始めて、農には生命力を曲げるという意味があることを知った時にはびっくりしました。

こうちゃん:
だけど僕たちは、木の花ファミリーを始めた当初から「畑を耕す前に心を耕せ」と言っていました。もともとそういった発想があり、カタカムナに出会って改めてその意味を確認できたという感覚です。

いさどん:
木の花ファミリーの生活は、農を目的として始まったわけではありません。しかし結果的に農的生活をすることになったのは、自然というこの世界でもっとも美しいものと共に生きるということと、その美しいものが汚れているのでそれを守るという意味があったのです。微生物を使い出したのも、水をきれいにするためでもあったのです。
ですから、これは社会運動ですね。当初は自分たちで育てた作物を売るという発想がなかったので、近所の人たちにタダであげていました。そうしたらそのうちに受け取ってもらえなくなりました。なぜかと言うと、人は面白いもので、他者と自分の区別があるがために、もらい続けるとだんだん申し訳ない気持ちになっていくのです。それでもあげますと言っていたら、では売ってくださいと言われました。それで販売が始まったのです。
簡単に言うと、僕たちは始めから変な人たちだったということですね(笑)。

みかこ:
現代の農業は、実は畜産と共に環境汚染の一番の原因です。農薬や化学肥料の使用による土壌や水系の汚染、農業用水の汲み上げによる地下水の枯渇などが世界各地で問題になっています。

いさどん:
そんな中で、私たちはどうしたらいいのでしょう。

5
 図4

「農」という字に、さらに「業(ごう)」を付けたのが農業です。「業」とはカルマを表しますから、「農」だけでも生命力を曲げているのに、そこにさらにカルマまで付いた状態が農業なのです。その業に汚染された結果として、遺伝子組み換え食品や種の操作、農薬、化学肥料、除草剤など様々なものがありますね。人間の歪んだ心が作り上げた世界です。先ほどの農の分類のスライド(図1)で見たように、人工の世界でカルマにまみれている状態ですね。現代の農業の現場では、本当にそういった世界が表現されています。
そして、そこから生み出されたものが食べ物として世の中に浸透していくと、その響きによって人々の体が作られ、日常の中にその響きが矛盾として広がっていくのです。

スライドに、「農業から百姓へ」とありますね。これは、文字にとても意味があります。
百姓とは、本来の生命力を曲げない生活のあり方です。「百」には単なる数字の100ではなく、無限という意味があります。そして「姓」という文字には「女」が入っており、これは陰、つまり、形に現れていない、奥にある大切なものを意味します。私たちの体で言うと、陰とは心のことですね。現象界と潜象界で言えば、潜象界のことです。
もともと自然の奥に潜んでいる本質から大事なものを受け取り、生きる糧とするのが百姓です。それは作物を通して天の仕組みを学ぶ生き方です。自然と対話をしたり、人間が自然と一体となって生きる生き方です。
百姓についてさらに深めましょう。

図5
 図5

天の命(意志)を受け生きる(天命)ということは、常に直観が働いて生きているということです。
そして植物と対話するということは、自然と対話するということですね。自然と対話できると、自然を壊したりはしません。そういったことを理解しない人間は、自然は人間に従属するものであるかのように思っているから、平気で自然を壊すのです。
私たちの命は循環のもとに、自然と命を交換をしています。つまり、私たちが自然に与えたものはまた我々に返ってくるということです。だからこそ美しいものを提供し、美しいものをいただいていく。そういった美しい循環の中に、私たちは生きられるのです。
「命」という字は、祝詞をあげて天の命を受ける人間の姿勢を表しています。

 図6
 図6

昔、社会がシャーマニズムで動いていた時代には、人々は精霊に問いかけて生きていました。イヌイットの人々は、自分たちがアザラシを捕まえるのにどれだけの数を捕っていいかということを、天にお伺いを立てて神託を受け、捕り過ぎることのないようにしていました。今は、現代人の考え方に汚染されてしまいましたけれどね。

木の花ファミリーは、有機農法の後に自然農法を始めました。それが今、天然循環法へと変化しています。

 図7
 図7

本来食べ物とは、食べることで健康になっていくものです。そういう食べ物があることを知っていますか?
スライドに、「天意に沿い、いただく精神が大切」とありますね。現代の農は、自然を科学し、よりたくさんとれるようにとか、世の中にたくさん広めようとか、人々から支持されようという心がベースになっています。それはなぜかと言うと、今の自然世界を人間が支配していると錯覚しているからです。自然が自分たちの手の中にあると思っているのです。
それに対して天然循環法という生き方は、生まれたての元の響き=無垢な気=元の気(元気)に戻すことによって、美しく、濁りや汚れのない、生命力あふれる世界が生まれます。大切なのは、それを手掛ける人がその仕組みを理解し、体得しているということです。逆に言うと、理解し体得していなければ、その優れた理論も現実のものとはなりません。すべては自分次第であり、だから心磨きが必要なのです。
天然循環法を理解すると、人々は宇宙の法則や自然の仕組みの中で自らが生かされているという、とても謙虚な姿勢になります。そこに向かうには、心磨きがもっとも大切なものとなります。

図8
 図8

天然とは天の然るべき状態であり、それが降りてきて自然となります。自然とは、自我が然るべき状態になったものです。
潜象界はまだ現象化していない世界ですから、元の響きがあるだけです。そしてそこから湧き出してきていろいろな生命になったものが自然です。草や木や動物やバクテリアまで、自然には様々なものがあるでしょう。自然の「自(し)」は、自分になると「自(じ)」というように濁点が付きますね。それは個であり、多様性の表現の働きです。それがネットワークすることによって現象界(ある世界)ができます(図1参照)。
自然のネットワークは、様々な個性がつながり合った、多様性のある美しいネットワークです。ですから、皆さんも自然を見て「美しいね」と言いますね。しかし自然の「自(し)」が人間の世界で「自(じ)」になると、自我となって、この世界の不調和の原因となり、問題ごとが発生します。
人工の世界は、その自我を持つ人間によって歪められた世界です。人工の構造物の美しさというのもありますが、あれは本来の循環システムに則ったものではありません。美しくても、自然の循環の中にはなく、いずれは人工的に壊して作り直さなければいけないものです。

この世界の本質は、天然の状態から命が発生して自然となり、それが個性となって、美しい生命ネットワークとなって表現されていきます。そしてその一つひとつに寿命があります。それぞれのサイクルがあるのです。そして寿命が尽きて役割が終わると、元の世界(潜象界)へ還っていきます。
自然界で生きているものは、天然から閃きや直観の働きかけをもらいながら生きています。スライド(図8)の右側に、慣行農法と自然農法と天然循環法が、それぞれこの世界のどこまでの循環の中にあるのかが描かれています。天然までに到達する天然循環法では、心磨きが必要なのです。

自然にはもともと差があり、歪みがあります。その歪みや差によって生まれるダイナミックなネットワークが自然の美しさです。それを人間の自我によって歪め、汚染したのが人工の世界です。自然界には潜象界から貫かれた天の理である秩序がありますが、人工の世界ではエゴが蔓延しているため、天の理が通らず、無秩序となります。
今、世界中に国という組織があり、それがさらに連携して国連という組織になって世界が動いていますが、その組織自体が自然をどんどん歪めて破壊する元凶ともなっています。ですから地球規模で観ると、人間のやっていることは無秩序なのです。天然循環法とは、この人工の歪みを解いて宇宙の元の響きへと組み直し、天の然るべき状態へと還すことなのです。

こういった話をしていくと、かつて僕の父親が僕に言ったことを思い出します。「世の中にはたくさん人がいるのに、おまえだけがそんなことを言ってもどうにもならない」と。父親だけではありません。多くの人が「そんな理想論を言っても無理だろう」と思っています。
けれども、そこで考えてもらいたいのです。現実には多くの抵抗があり、なかなか変化は起きないように思われます。しかし、あなた一人分でも、心に濁りのない状態で生きることを心掛け、旅立っていくことがとても重要なのです。
そこでこそ自我で、「自らの納得する人生を生きたい」という強い信念を持ち、人生を探求しなければいけません。そこで自我を通すということは、自らのためを優先するのではなく、天から地への道理を通し、世の中に一本の真理の筋を通すことなのですから、それこそエゴ的な自我を超えて、本当の意味での自らの価値を高める優先するべき自我の表現のしどころなのです。
そして時が来れば、必ず同じ意志を持った人々が現れてネットワークしていきます。今、時代の扉が開いて、いよいよそれが地上に顕れ出しています。その証としてこの「1ヶ月間の真学校」があるのがわかりますか、皆さん!(みんな:わかる~~!!)

それでは、元の響きを復活させるにはどうしたらよいのでしょう。

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まずは日々の心磨き。いつも天を意識して生きていくということですが、人はだいたい自分の都合ばかりを考えて生きています。そうすると、常に天から命(めい)が降りてきていても、それに気付くことはできません。それを直観で受け取る受け皿がないのです。先ほど「命」という字を見ましたね。常に天に心を向け、その命を受ける姿勢で生きていくのが本来の生命の姿なのです。
そして、カタカムナの奏上。これについては、真学校の中で深める時間を持ちます。
イヤシロチ化とは、畑をパワースポットや神社のように特別なパワーを持つ場にしていくということです。そして人間の意識が上がると波動量が上がり、その高い波動をこの世界にもたらすことができる者になるのです。
日々の心磨きをしていない人がいい作物を育てたいと言っても、育ちません。ですから、ひとえに心磨きをしましょう。心磨きは一律のものではないのですよ。それぞれが自分の心に合わせて相応しくやっていくのですから、まずは自分の心を知らなければいけません。明日から始まる「人格を学ぶ講座」で、皆さん一人ひとりが自らを知る学びをしていきます。

心の状態が安定し、自らに囚われず、天地と一体の精神を有する者になると、ものの状態を一瞬でつかみ取る直観力を持ち、天の法則に則った響きを響かせることができるようになります。するとその場はイヤシロチとなり、すべてが好循環する天然の状態となっていきます。そこで表現される生活が、天然循環法なのです。

 

 


「2016年1ヶ月間の真学校」いさどんの開講のあいさつ 

今年の真学校が始まるに当たって、今僕の心はフリーです。その真意は、今みなさんに何か提供しようという意欲を持っていないということです。もちろん、この真学校の中でたくさんの情報は提供します。100年、200年という単位での最近の時代は、人が学習していく時代でした。それは優れているものをたくさんの人が追いかける時代でした。そこでは優れている見本があって、みんながそれにあこがれていたということです。そういった中で人々にも社会にも格差が生まれました。

そして今21世紀に入って、世界は新しい時代を迎えようとしています。その100年、200年の時代がリセットされて、次の21世紀から30世紀までの時代を迎えたのです。そういった新たな価値観を迎えたという証として、今地球上の国家や社会はとても混乱しています。今、アメリカの大統領選挙が始まりました。しかし、この人に託したらいいという優れた候補者が見当たりません。日本でも経済活動一辺倒の豊かさを探求することしか次の時代を築く方法を見つけられていません。人々は知識的には賢くなりましたが、本当に新しい時代に向けての価値観に行き着いていないのです。

そして、今私がこの1ヶ月間の真学校の始まりに当たってフリーだと言いました。それはみなさん一人ひとりが自分の成長、変化、進化を自らの中から導き出す時間だからです。1ヶ月間みなさんに共通の情報を提供しますが、それぞれみなさんの歴史から今の心の状態、そして未来に向けてのビジョンは違うものなのです。今回12人の参加者がいますが、それは12通りの受け取り方があるということです。ですから12の講座を今回は提供しているようなものです。そしてここにスタッフとしてサポートしてくれる人たちがいますが、この人たちもそれぞれにそれを受けて自らの成長につなげることができると思います。この1ヶ月間の縁をここに関わる人たちがもらって、全体もきっと新たなコミュニティとなって成長することでしょう。ですから木の花ファミリーをベースとして、木の花ファミリーがこの講座を提供しているのではなく、木の花ファミリーも参加者として、この1ヶ月間の真学校を通じて全体が成長することでしょう。

ですから、みなさん一人ひとりが自分が主役であるということを意識して、自らに問いかけ、自らの成長を促してください。それがこの真学校の本当の意味です。最初に言いましたが、この数百年の間人々は優れたモデルを作ってみんなでそこに向かって歩んできました。そしてそこに格差を生み出したのです。しかし自然を見渡してみると、空気や水、植物や動物と様々なものが存在していますが、そこに格差はないのです。それはどれもオリジナルにそれぞれがしっかりと発揮されて、そして全体に貢献しているという姿です。

ですからこの世界にはたくさんの数の人がいますが、真実は、一人ひとりオリジナルなのです。そして一人ひとりがオリジナルな自らに目覚めこの世界に貢献していくことこそ、生きることの真の希望、喜びを見出すことだと思います。

しばらくの間、人間はモデルを目標にして既製品化されてきました。その中ではその規格に合わないものは落ちこぼれになっていきました。中には新しい規格を作ったものは優れたものとしてもてはやされました。こういった格差の時代はもう終わりなのです。宇宙はどんなものも必要なものとしてこの世界に誕生させました。ですから誰もが自分というものを存分に発揮して、希望ある生き方ができるはずなのです。そのためには自分が何者であるか、そしてどういうルーツを歩んできたのか。その結果今の時代がどういう状態になっていて、この先どうこの世界に貢献できるのかを知る必要があるということです。多くの人々はそういったものの捉え方をまだしていません。

今回この出会いによって真学校は進めていかれますが、僕のイメージの中にはここに集った人たちを通して世界に新しい価値観を発信していくというイメージがあります。これは宇宙的には開いた扉を地上に開くことを意味しています。みなさん一人ひとりには、自らのテーマを解決することや、人生の扉を開くという目標があると思いますが、今の時代に人類が行き詰っていることに対して、新しい時代の扉を開くというもう一つ大きな役割があるということです。そんな充実した1ヶ月間にしていきたいと思います。

いさどん
いさどん

そのためには、私は講師ではありません。先生でもありません。ただみなさんに、思考の視点を変えていただくための情報と環境を提供する者だということです。そこで提供されたことを記憶していくことではないのです。情報を提供されたら、みなさんは頭の中で考えを回すのではなくて、頭からずっと離れた上の空間でイメージする。そしてその提供されたものの周りや奥を判断する力を身に付けることです。

それはどういうことかと言うと、私たちは人間で今の時代に生きています。地球という世界があって、大体そこまでは誰しもが理解することですが、真実は巨大な宇宙の中に存在します。その宇宙の歴史の中に銀河があり、太陽系があり、地球があり、そして悠久の宇宙の時が流れていて、そして今の時代があり、そして私たちがいる。そのことの意味を理解しながら今の自分と向き合っていくことが、これからの時代の人類の姿なのです。個人が自らの中から湧き出してきた自我を満たすことを目的として生きてきた時代はもう終わりを迎えるのです。

そういった意味で、真学校の始まりにあたって、どうかみなさん、新しい自分に出会うためにこの1ヶ月を楽しんでください。僕は相変わらずフリーです。そしてどんなことが自らから出てくるのかとても楽しみにしています。中には今までの人生の歩みの結果、ネガティブに陥っている人もいるかもしれません。ですから、ぜひ今までの価値観を取り払って、そしてこれを機会に新たに変化、進化していくことを楽しんで1ヶ月間を過ごしてもらえたらと思っています。みなさん、楽しんでいきましょう。

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アメリカからの3名の受講生を含め、 全12名の受講生たち