農、食、医、経済、社会、環境、防災、そして性など、様々な切り口から世界観を学んできた1ヶ月。そのすべての根源とも言える「死生観」の講座を終えた日の夜、木の花劇団による演劇が披露されました。
タイトルは、「いただきます物語」。
これは、ファミリーメンバーのきょうこちゃんが、昨年子宮頸がんで生死の境をさまよい、奇跡的に復活した実話から生まれた、オリジナル劇です。
病気とは何か。死とは何か。
実際に病院で語られた会話などを元に、人間がこの世界で生きる意味を、劇団員たちがおもしろおかしく演じました。
劇の全篇を、動画にてご覧いただけます。ぜひどうぞ♪
後編の最後には、きょうこちゃんが入院していた時の実際の映像が含まれています。生死の境をさまよう日々、病室の中でも、外でも、様々な物語がありました。映像の中で、危篤状態になりながら一命をとりとめたきょうこちゃんは、涙を流しながら「遺言」を語っています。
演劇の終了後、きょうこちゃんはみんなに挨拶をしました。
以下、きょうこちゃんの挨拶をご紹介します。
「劇を終えて」
いただきます物語、いかがでしたか?
まずは、みんなに報告があります。
昨日3月14日にがんセンターに検査の結果を聞きに行きました。
CT検査、MRI検査、細胞検査などの結果、癌が、あるかないかが分からない位になっているということでした。
私は子宮頸癌で、一番ひどいときは直径6.5センチほどの大きな癌の塊が子宮の入り口にあり、リンパや腎臓にまで浸食していました。約1年くらい前から断続的に大量出血があり、昨年10月の大量出血では命が危ない状態になり、急遽入院することになりました。
富士宮市立病院で放射線治療を受けた時に言われたことは、ここでの治療は血を止めるための応急処置でしかないから、早くて3カ月、長くても6カ月後にはまた同じような状況になるだろう、ということでした。
私も、生き延びることが出来たとはいえ、余命3カ月から6カ月だと覚悟はしていました。
でも、今信じられないような結果をいただいています。
科学や医学では説明できない何かが起こったと思うのです。
それは、この木の花ファミリーという場があったからこそ、起きたことだと思います。
みんなの愛と想いの力で奇跡が起きた。
だから、この物語は、きょうこ物語であると同時に、木の花物語なのです。
木の花マジック。あり得ないことが起きた。
こうしてみんなで集って暮らすことの素晴らしさが、この生き方の素晴らしさが、この私の体に起きた現象をもって証明されたのです。
すごい!!これは本当にすごいことだと思います。
入院中、この劇には盛り込み切れない、まだ沢山の物語がありました。
路上で茹でてくれた茹でたての新蕎麦、夢に出てきたお釈迦様の話、いさどんとした宇宙や世界情勢の話・・・。
劇のシナリオを書いていく中で、上演するには長すぎるので、たくさんの場面がカットされました。
そして、シナリオは一体何度書き直したかというくらい、読み合わせをするたびに、何度も何度も書き換えらえました。シナリオが出来上がり、今度は役者が演じるようになると、演じる度にまた何度も何度もシナリオが書き換えられました。
だからこれは、みんなで創り上げた劇。
そして、これは実際にあった実話に基づいていますから、木の花ファミリーのみんなによって創り上げられた劇なのです。
劇を練習していく中で、ある時魂が入る瞬間があります。
役者がセリフを覚えていなかったり、覚えたとしても覚えたものをただ言っているだけだと、観ている者に訴えるものがないのです。
セリフが自分のものになった時、そこにはアドリブが生まれ、セリフ通りではなくても観ている者に伝わり感動を生むのです。
私たちも同じだなと思いました。
私たちひとりひとりは、ある意味この世界の、というかこの宇宙劇場、神様劇場の役者で、神様が創ったシナリオのように人生をいただいている。
そのシナリオの意図を自分のものとし、自分のセリフとして演じることが、私たちに与えられた役割なんだと。
今回起きたことは、すごいことかも知れない。
でも、諸手を挙げてすごい、ということでもないのです。
だって、本当は癌というものをもらわなくても、こんな究極の状態をもらわなくても、人は学べる。
だから、みんなは私を見て、こんなになってはいけないんだと、学んでください。
体が元気になって、また癖が出てきます。
まだまだ癖だらけの私ですが、生きている限り、心の学びは続いて行くのです。
こうしてみんなと出会えたことに、
この生き方に出会えたことに感謝するとともに、
この稀な生き方をしていることを誇りに思います。
有難うございます。
講座で語られている死生観が、実生活を通してさらに深められていく。
そこにこそ、真実の学びがあります。
「25日目夜「いただきます物語」〜 実話に基づく死生観」への1件のフィードバック