第26日&27日:心の振り返り

一ヶ月間の真学校もいよいよ終盤をむかえ、最後のまとめとして、12日と13日の午前の時間を使って一人一人の学びの振り返りをしました。初めにいさどんから以下のような話しがありました。

IMG_8458

「どんなに人間が科学物理の世界を広げたとしても、神とつきあわないで人間の歴史があったことはありません。しかし人間は、神を見失い、神や真実を怪しむようになりました。人間の中に、神や真実の世界が定着しておらず、揺るぎない柱が立っていないので情報の洪水の中で、見えない世界に対しての迷い人となっているのです。迷い人たちが作り上げた現代社会は、矛盾の生産工場になってもいるのです。

人々の興味は自らの自我に向かっているのです。しかし、真学校では、最も大きな世界から自らに向かってきて、初めて自らが見えるというように、自分が世界の中心ではないことを学びました。みなさんが次のステージに立ったときに、真学校で学んだ客観視点で何を観るのか、それが一人一人のこれからの歩みで、真学校の本当のスタートなのです。」

そしてしばし、一人一人がここでの学びと、当初の目標が何だったのかを振り返る時間を持ちました。ここで、いさどんがみんなに伝えたことは、

「真学校は一人一人に伝える講座としてやりました。それは一人一人歩む道が違うからです。しかし、その本質はその、一つのことを伝えました。それはこの世界が一つだからです。」

IMG_8479

それから丸く座り直し、振り返りの時間が始まりました。

「生き詰まっている人は、自らの望みを叶えようと奔走します。つまり自らを特定の枠の中においておこうとする人です。それを手放すと人は変わっていきます。

生きる事は一人一人オリジナルな旅をしている人生はバイキングのようなものです。みんなが自由に心をオープンにして語り合っていく中で、いろんな人のいいと思う性質を自分の人生にトッピングしていくことができます。」

13人の中身の濃い振り返りがあったのですが、その中から、2年前のEDEにも参加し、その後も会社に勤めながらも木の花に関わり続け、今は長期滞在しながら心を学んできいるあわちゃんの振り返りにスポットをあててみました。

あわちゃんの真学校に参加する目的は

「自己コントロールして健全に生きる。

真学校が終わって、これだったら僕にとっても心地よく自分の回りも喜び合えるような生き方を見つけること」というものでした。

以下は、今回の振り返りのいさどんとあわちゃんの会話です。

いさどん: あわちゃんは元々生きる事のテンションが高い人。今までテンションが高くなりすぎて壊れて、落ちてということを繰り返していた。テンションが高いのが個性なのだから、そこでテンションが高い状態で自分を他者に生かせるようになったら、あなたの心も満足し、回りにも貢献できる。結構今そこにはまってきていると思うけど、どうかな?最近はぐるぐるというよりも、巧妙に表現して最後は笑いを取って拍手をもらって終わるという感じになっているね。今もぐるぐるしているの?

あわちゃん: 最近はバラバラの思考が若干統合できるようになってきていて、文章にするとまとめられるけど、文章化しないと頭の中でまとめられないという状態です。

いさどん: 頭の中で考えたり、話したりするとまとめられないことが、文章にするとまとめられるということは、そういう役割で生きて行きなさいということでもあるんだね。

今まで先に「これが欲しい」と欲を優先してみんなダメにしてきたけど、わからないけど何かこれでいいんだという安心のもとに進んで行ったら、結果として出会って見えるものがあると思う。

あわちゃん: 自分の場合、「こうしたい、こうなりたい」というのがすごく強いので、それを一瞬一瞬止めていて、普段日常のことから積み上げていった結果が、ああいったシェアーとかブログという形になっている。僕の人生自体、真学校が終わった後どうなるか分からないから、とりあえず今常に自分の心にあるものを前に送り、その結果いろいろいただくので、いつもだとそこでバーンと落ちるんだけど、それを文章で表現するということで落ちる前に上手く循環できて、コントロールする感覚が得られてきていると思う。

いさどん: あわちゃんにはもう一つ聞きたいことがあって、ここまでは「自分がどうするか、自分の心の状態をどう掴んでいるか、そしてどういった姿勢でこれから望んでいくか」という話しをしたでしょう。木の花にいるいないに関係なく、その先にある社会という器に対して自分の目標やイメージはあるのかな?

あわちゃん: 大きなものは今あえて考えていません。狙わない方がいいと気がついたので。

いさどん: 最終的なイメージとしてその人のスケールで社会に貢献していくこと、よりよい社会の成り立ちに貢献する自分につながったらいいと思うので、そういうイメージは持っていたらいいね。

あわちゃん: 僕が何も狙わずににシェアーをした事を受けて、ともくん(ヘルパーさん)が「僕も勇気をもらったからやってみるよ」と言って自分の事をシェアーしてくれたのは、すごく嬉しかった。狙ったわけではないけど、結果的に僕自身のうまくいってないところを出すことで、同じような想いをしている人たちが勇気をもらって歩んでいってもらえる、そういう感じが僕の役割なのかな。

いさどん: 社会に貢献しているね。今までは、あわちゃんが「こうなりたい、ああなりたい」と言っているのを見ると、あわちゃんだけの世界で勝手にやっていて、孤立しているという感じだったけど、ともくんが反応したということは、共感出来るものが発信されているからそうなったんだよ。とりあえず自分が思うところをやった結果、答えがちゃんとそこにある。自分が行動したから起こったことで、流れや出会いによっていただいたことでもある。

ここで共通しているのは、21世紀の始まりの今の時代を生きているよね。今の時代はすごく分かりやすくて、日本でいったら江戸時代なんていう時代は同じ様な変化のない時代がずっと続いていて、わかりにくかった。

例えば江戸時代と明治維新というのは、時代は変わったけどそんなに意識は変わっていない。あの時代は国を開けて外と自分たちを比べる時代が来たから激しい変化のように見えるけど、人の意識は武士から日本帝国軍兵士に変わっただけで、武士道はそのままで、その元にある意識は変わっていない。

でもこれからの時代は日本人が日本人でなくなり、世界人になる。そして地球人が宇宙人になる時代だからすごく変わる時代。そういう意味で情報を提供してきたけど、太陽が一螺旋して銀河の冬至が来たとか宇宙的にも、地球上の時代の流れ的にも、また環境的にも変化の時をむかえている。哲学とかイデオロギーとか宗教が元になっていた制度が限界に来ている。そういったいろんな意味で切り替えの時が来て、ものすごく大きな変革が来るとしたら、一人一人がどこかでそのことを意識し始めている。そのためには誰もが変化していく必要がある。

あわちゃんは、どちらかというと独りよがりで自滅するという、社会にとって有効なのか無効なのか分からない様な存在だった。しかし、あなたの個性が生かされて社会が転換していく役に立ったとき、一人が一人の人生を作っていくという以上の大きな意義が生まれる。その両方をみんなには考えて欲しい。真学校はみんなにそういったことに目覚めてもらう場所でもある。単に「個人の目標を見つけて良い人生を生きましょう」というセミナー的な発想とは違うと僕は思っています。その意識を社会的に持って欲しいということ。これはあわちゃんだけでなく、みんなに伝えたい事です。

そうすると自分の目標のスケールが大きくなって、心の尺度も大きくなり、柔軟性も増す。例えば社会で起業して成功するのは何のためなのと考えること。それは成功するためにはどういう人であるべきなのかということになって、どんどん人が大きくなっていく。起業して成功するということだけだとお金があるかないか、規模がどうだとか、考えていることは自らの利益のためだけ、そうすると新しい社会にとって新たな害をもたらす事にもなる。そうすると時代が転換することにはあまり有効なものにはならない。

あわちゃん: 真学校の13人のコミュニテイーってこれからの時代の超スモール版だと思う。これ自体、時代の流れに沿ったものであれば、ここで学んだ事を社会とか地球に広げるだけで、良いのかなと思う。

いさどん: たかだか一人の人生ですよ。そして一人一人がこれからどう生きて行くかということは、小さく見えるけど、そういったものがネットワークしてこの世界が出来ている。それは地道な話しであるけれど、それがネットワークすると、個人意識だったものが宇宙人になるぐらい、時代をにない創造していく人になる。それはすごくダイナミックで大きな話しにつながる。カタカムナで言う「カ」という最極微少粒子が、この巨大な世界を作っている。小さければ小さいほど連携して振動しこの世界を作っているとしたならば、このネットワークは「あっ」という間にわ~っと広がる。アマハヤミだから。「大きい」は「小さい」が創造している。

最近のあわちゃんは、まだまだ荒削りだし未熟で、これからも探求とか自己コントロールがいるだろうけど、日記を止めて単独の行動としてブログという形でみんなを楽しませていることを、いい意味であわちゃん流にはじけていると思って見ている。

「ルールは日記の中から、コメントもらって振り返れよ」なんて、そんな狭い枠に閉じこめるんじゃなくて、いい意味でどんどんはじければいい。

みかこ: これが、無個性になる道じゃなくて、クセが個性になっていって害から良いものを回りに与えるといういい例だね。

いさどん: ひとりひとりの個性の花を開くというのが、「コノハナ」の意味。

よしてる: 「個人の花」という意味?

みかこ:(絵を描きながら)
「コ」はカタカムナのムナヤコトのコで、深い意味があって、「くり返し」とか「転がり出る」「超える」などの意味がある。潜象界(現象界の元となる多次元世界)から常時生命力がわき出してくること。それがこの世界に伸してくる。次々と転がり出たものが、この世界に生み出された個性なんだよね。それが個人の「コ」でもあり、大宇宙の中に小宇宙がとびだしたということでもあり、「コノハナ」というのは飛びだした個性が花のように開いてバランスを取り合って曼荼羅を作っているという意味。

ホワイトボードの絵

ホワイトボードの絵

コノハナ曼荼羅
コノハナ曼荼羅

いさどん: コノハナというのは宇宙を歩くそれを理解した人たち。我々がそういうことを理解してこの世界に生きるということは、宇宙(時代)を歩くことを理解し、個人を存分に発揮しながらこの世界を創る人々という意味。イメージはそういった宇宙意識を持った人たちが宇宙空間(時代)を歩いている。(ここでナンバ歩きの動作をする)

そうすると気持ちが落ち着いて、存分にコ(個人)の花を咲かせられる。そうすると自ずとあなたのポジションが見えて来る。

あわちゃん: まだ荒削りなのは重々解っています。

いさどん: その典型的なのは、あなたが良く語る「もてる」という話しだよね。「もてたい」という心があるのは荒削りで、「もてる」というのは「もてたい」じゃなくて魅力的な人になればもてるんだよね。しかし、自分に似合わないものにもてたら困るでしょ。やっぱりふさわしいところでもてる事が一番だよ。そうしたら、落ちるところへ一度落ちて、そこからもう一度積み上げることだね。

この世界にいろんな花があるとすると、そのものらしく咲いているということは、その花が必要とされているということです。

みかこ: 最近のあわちゃんをいいなと思うのは、天の意志とつながりだしたから魅力が出てきているんだよね。あわちゃんは今まで、ほかの人に好かれたい。でもみんなが天とつながらないところで連携して全体で外れていくという世界をやっていたんだね。みんなが中心の意志とつながり始め一人一人に柱が立つと、世界に花を咲かせるということになると思う。柱が立った人たち同士で連携していくと、お互い魅力的だなと思うのが当たり前の世界なんだと思う。

いさどん: (ホワイトボードの図参照しながら)

この一個一個が個性でしょ。こういった個性が存在することが自らの位置を理解する客観だよね。この一個のものがどう生きるかということは、そのものの物語なんだけど、一つ一つ全体の関係性の中で役割があるとしたら、全体の物語を紡ぐ役割があるということ。それはこの時代の盤面から離れないと解らない。それが客観背後。直観はこの中心の柱からもおりてくるんだよ。

みかこ:今は世界全体が中心の意志の柱を見失っていて、全体で横にそれていっている状態。ネットワークも悪いネットワークになっている。しかし、このネットワークに中心の想いの柱が立ったら、全体に良い流れになるね。

道理が欠如した世界
道理が欠如した世界

いさどん: というように、客観背後まで捉えても、我々は最も身近に単独の自分というエゴをもらっている。常にそれを主役にしながら、同時にこの大きな世界を意識していく。そしてこの両面を意識していれば、自らの中にいる自分は必ず生かされるものです。

道理の通った世界
道理の通った世界

真学校を受ける中で、確実に大きな変化があった人の一人があわちゃんでした。それがこの振り返りに現れていて、大きな世界観にまでつながったのでしょう。

最近のあわちゃんブログには、地球外生命が登場して、いろいろな鋭いコメントをしています。その名も「あわりーぬ」。是非こちらも見て下さいね。

★あわちゃんブログのアドレス

http://ameblo.jp/awari-nu/entry-12002725233.html

http://blog.livedoor.jp/anumakatak/


第25日目:創造性と芸術

今日は天候によって延び延びになっていた「創造と芸術」の授業を行いました。一ヶ月間の真学校も終盤を迎え、受講者に疲れが出ていたり、修了パーティーの準備がしたいという声もあり、希望者を募って行いました。

昨日の朝の温度は7度だったのですが、今日は久しぶりに冷えて1度。吐く息は白く、土には霜柱が立って、歩くとさくさくと心地よい感覚を味わいました。 IMG_8076

この講座は、ネイテイブアメリカンの14歳の少年が行う「ビジョンクエスト」と呼ばれる、成人の儀式からヒントを得たものです。「ビジョンクエスト」は、子供から大人になるときに行う通過儀礼であり、「何のためにこの星に生まれて来たのか」を自然の精霊に請いに行き、自然の中から何かのしるし(メッセージ)を受け取ったら、親元に帰るというものです。

この儀式を、人生の目的を見失った大人に対してワークショップとして行う部族があり、私自身28歳のとき、その儀式を体験し、強い印象を受けたということがありました。

「創造と芸術」のワークは、このビジョンクエストを「朝日を見る」というミニ版で体験し、そこから受け取ったメッセージを詩や絵画や歌にして表現するという風に、メッセージを受け取るということと、自己表現するということを結びつけたワークになっています。ひとりひとりの自己表現を受け止める信頼の場が大切で、信頼の場があるからこそ、表現者は安心して表現する事が出来ます。そしてそこでは、ひとりひとりが個性的存在として尊重されます。

このことは、木の花ファミリーの日常どこでも起こっていることなのですが、改めて神聖なご来光と対面し、そこから発せられるメッセージを受け取ること、そしてそれを普段あまりしない方法で表現するという未知なる体験をするものです。

ひまわりを6時に出発して、ご来光までしばし待ちました。そしてご来光が、美しい光を放って現れました。

ご来光
ご来光

帰ってくると、おいしいおむすびが用意されていました。キッチンさんありがとう。みんなで感謝していただきました。

春のおむすび
春のおむすび

そして、湧泉閣へ移動して、それぞれに受け取ったメッセージを文章にしたり、絵に描くワークを始めました。

IMG_8137

制作タイムを終えたら、一人一人自分の表現したものについてみんなにシェアーしていきます。

最初はのりちゃん。こんなメッセージを書いてくれました。

IMG_8230

文ちゃんの三部作の絵。左から順番にタイトルは「無限の愛と光」「つながる」「神のジュエリー」

三枚合わせて「源」というタイトル。

IMG_8191-001

みんなからは、「きれい」「あの世ってこんな感じかな」「大きな目が怖い」という人もいました。

次は、みどりーぬの文章。

「わたしは草、私は花、私は空気、私は山、私は石、私は鳥、

私は無限の空間と時間の中で生かされている。私はどこにでも存在する」

みどりーぬの絵にも、大きな目が描かれていました。大いなる目は、今の地球の人類の姿を見て涙を流しています。文ちゃんとみどりーぬの絵を並べてみました。

IMG_8215

 

由佳理ちゃんは、絵の中にカタカムナ文字を書いてくれました。自分の中を表現し切れたかどうか、表現指数は何%かと聞くと「2%」。頭の中に渦巻くものはなかなか表現できません。

IMG_8237

 

よしてるくんの作品。太陽と地球の間に人が立って両方をつないでいる姿を描いてくれました。この世界の立て直しをみんなと共にするんだという気持ちが湧いたという。真学校の後はファミリーメンバーになるという宣言をしたよしてるくん。ビジョンクエストを通して次の段階へ進むということを再確認したようでした。

IMG_8285-001

絵より文章が得意なあわちゃん。今回もたくさんのメッセージを書いて発表し、みんなを楽しませてくれました。そして替え歌まで発表してくれました。タイトルは「あわの流れのように」

awa

意味は分からないが見えたものをただ描いたという谷なおちゃん。別れた陰陽が一つに統合されていくような絵でした。

IMG_8296

朝日は見ませんでしたが、みんなとおむすびを食べているうちに、そのあとの講座に参加したくなったというたかちゃん。おむすびを食べた後に見た太陽から受けた印象を描いてくれました。

IMG_8307

みんなの発表が終わり、次にメッセージを歌にするワークを行いました。一人ずつ自分の受け取ったメッセージを歌うとき、みんなで音作りをします。みんなで探りながら音を出してゆくのですが、うまくかみ合うとき、様子を見あって流れが創れないとき、といろいろありながら、全員が歌ってくれました。みどりーぬが持ってきた音叉も大活躍でした。

最後に、みんなの描いた絵を一つの絵にしてみました。IMG_8326

 

気分が変わって、再度並べ替え。斜めにしてみたり・・・。

IMG_8327

一人一人が心を深堀する真学校で、ちょっと違った形で世界をどう捉えているのかを表現する時間でした。

IMG_8065IMG_8060IMG_8062

 

 

 

 


第19日目:愛とお米があればいい

「愛とお米があればいい」は、数ある木の花語録の中でも、代表的な言葉です。木の花創立当初に、いさどんが畑で仕事をしているときに神様からいただいた言葉なのです。

人間は愛という言葉をよく使います。「愛があれば」「愛こそ全て」「愛してる」・・・無造作に使うこの愛という言葉に、どういう意味があるのか、深く考えたことはありますか?歌謡曲では「愛してる」という言葉がよく出てくるのですが、そこでいう愛は恋愛という限定された範囲の愛です。

「愛とお米があればいい」のプレゼンの中では、愛がランキング付けされています。これを見ると日頃自分が愛と言うとき、どのレベルの愛ことを言っているのかがよく分かります。それは以下の通りです。

1.自己愛   自分を存在させようとする力。生命(植物、動物、人間)、物、全てが「存在」することが自己愛。カタカムナで言う「生命カン」は、生存するために害になるものを直観で見分ける能力であり、現代人はこの能力が衰えている。

自己愛にはもう一つ人間特有の自己愛があります。それが「恋愛」。「なんで、恋愛が自己愛なの?相手がいてその人を愛しているのに」と思う人もいるでしょう。「恋は異なものあばたもえくぼ」といって、恋愛は人を盲目にし、ぼけさせます。そして、その人への執着や所有の心が発生します。「愛されたい」「支配したい」これは自我が絡む愛で、条件付きの愛なのです。

植物の自己愛

動物の自己愛

動物の自己愛2

2.身内の愛  DNAを共有しているものへの愛。親が子供を思う心、自らの命を犠牲にしても子の命を守ろうとする愛なので、神の愛に近付く。一方で、「わたしの○○」という執着の心を引き出します。

3.菩薩の愛  他者のために自分が存在し他者の喜びを自らの喜びとする。自分を愛するがごとく他者を愛する。木の花ファミリーは昨年より「菩薩の里」として仕切り直しました。こういう心のものが集っている場所を目指しています。

聖者

4.無条件の愛  宇宙全体を生命として存在させる愛のエネルギーであり、自己愛が束になったものなので、大いなる自己愛とよぶことが出来る。そこに執着や囚われの感情はない。ただ循環して、巡り巡って変化し続けるもの。

このランキングに照らすと、自分の日頃の意識がどこにいるのかが分かるようになっています。皆さんの心はどこにいましたか?誰もが一つの愛の場所にだけいるのではなく、いくつかの愛が折り重なって今の自分を作っています。生きて行くのに、心に必要なものそれが「愛」なのです。

次に「お米」についての話しがありました。

おにぎり

お米は、主食と呼ばれ、作るのに手がかからず、面積あたりの収穫量が最も高いので効率よく栽培することが出来、穀物の中でも最も栄養バランスがとれている食べ物です。生きて行くのに最低限必要な食べ物なのです。

米

人は、甘い物や、たくさんのおかずに目を奪われます。そういう物ばかりを食べ続けると体は栄養のバランスが偏り、病気になります。人生においても、同じ事が言えます。たくさんの刺激に心を奪われて脇道にそれていくとき、人生は目的を見失い遠回りになっていくのです。人間は選択肢が多いことが豊かさだと勘違いしますが、それが迷いの原因となり、問題を大きくしていることがよくあるのです。

人生は心磨きの道場。人間以外の生命は人間に従うという仕組みになっています。
(依正不二)道理を外しながら学ぶのが人間。その人間が心を磨き、この世界の実相を知って、生命ネットワークの中で人間としての役割を果たしていくことで、この世界が健全に運営されます。

人間が心を磨きながら生きて行くのに最低限必要なもの、それが、体には食べ物(お米、水、塩)、そして心には愛なのです。いつでも主になる最も大切な道を意識して歩いていれば、脇道にそれてもそれすらも人生の肥やしにしながら道を踏み外すことなく歩いて行けるのです。

心磨きに必要なもの

シンプルな生き方

大切な事はシンプルなのですね。ほっこりと心が温かくなるようでした。

歌の歌詞


第18・19日目:性と宇宙

二日間に分けて、性と宇宙の講義がありました。

【3月3日の講座】

人々の関心を引いて止まない「性」は汚いものとして封印され、人々はオープンに語り合うということをしません。しかし、地球上では日々無数の性の交わりが行われています。この性の交わりは、何のために行われているのでしょうか?性の交わりは、子孫繁栄のためと言われていますが、本当にそうなのでしょうか?実際、性の交わりは子作りを目的としていない場合の方が多いのです。

男女が惹かれあうのがなぜかは解明されておらず、その欲求はメディアによってコントロールされ、お金儲けに利用されています。

又、我々はみな例外なく性交によって生まれてきますが、キリスト教はマリアは処女懐胎したとしました。であれば、この世界は女性だけでよいはずです。なぜ宗教の中で性がそのようにゆがんだのでしょうか。男女が交わることは汚いものとされ、性を語ると人間に秩序を提供できないので、性がタブー視されてきました。

カタカムナのウタヒの中の約8割は性についての解説であるといわれています。しかし、人類の性についての意識は低すぎ、その根本の原理はなかなか理解されないので、性の奥義は長い間封印され、密教として受け継がれてきました。性については、人間性を高めてから話をする必要があります。

1

宇宙の始まりは言葉であり響き、そして響きは宇宙の最初の想い。想いは心であり、その心を持って生きることが性の始まりであり、宇宙が陰と陽に分かれ、陰陽の交わりの繰り返しで宇宙が創られていきました。心が生きると書いて「性」という文字になり、それは男女の交わりの「性」と同じなのです。一般的に考えられる性へのアプローチとは違った切り口で、性のメカニズムをひもといていきました。 2

ここで、受講生のみんなに「『子孫繁栄』以外の性交の目的は何か」という問いかけをし、たくさんの意見がホワイトボードに書き出されました。性についてオープンに語り合うという場がなかなかない中で、受講者から活発に意見が出るおもしろい場でした。

 【ホワイトボードに書かれた内容】

ストレス解消(癒し)、快楽、愛を深める、互いを知るため、エネルギー交換、ノリ、
快楽依存、収入を得るため、自己満足、相手を支配しようとするため、
相手をつなぎとめるため、依存させるため、依存するため、心が寒い、運動、
美しくなるため、自己顕示欲、生理現象(習慣)、娯楽、探求心、
自分の性を表現するため、本当の自分を知る(一つであることの確認)、柱を立てる、神事

書き出したものを、良い印象と悪い印象のものに分類し、本来の性の目的は何かを話し合いました。

子孫繁栄、癒し、愛を深める、互いを知るため、エネルギー交換、美しくなるため、生理現象(習慣)、探求心、自分の性を表現するため、本当の自分を知る(一つであることの確認)、柱を立てる、神事、世界観を広げる、解放、宇宙に良い波動をもたらす

本来の性の目的とは何か、みんなで考えてみました

・エネルギー交換のための交わり
・湧かれた陰陽が一つになろうとする行為
・愛を表現し、確認する行為
・乱れたものを正常に正すこと=秩序立てる
・性行為は柱を立てることなので、秩序を元に戻すために行う行為。
・対話を円滑にするためにする行為(阿吽にする)→これまでは通すことで執着が生まれて余計通りにくくなっていた。
・儀式として物事の始まり終わりのけじめをつけるため

この後、「ない世界」(この世界の奥にある世界=潜象界)から「ある世界」(現象界)が生まれる原理について学び、そこに性の秘密が隠されていることを学びました。宇宙創造の目に見えない最初のプロセスから、「ア」という高次の存在が発生し、アマノミナカヌシが現れ、さらにそこから、カミムスビ、タカミムスビという陰(左回り、拡散)陽(右回り、収縮)の神が発生し、この造化三神がもとになって、現象界の創造が始まります。このメカニズムが、心という文字の元です。

3

性とは「心を生む」あるいは「心が生きる」と書きます。この世界の全ては、天の心から生まれてきたのです。全てが天からきた一本の柱「天の心」のもとに陰陽が合体して生まれる、それが性の仕組みです。存在の元の部分の認識が汚れて狂っているために、この世界が全て狂っているのです。天から来た一本の柱「天の心」=「天の理」が忘れられ、その認識がないので、陰陽(男女)の交わりに芯がなくなり狂っていくのです。

4

形の奥には、心や道理があります。つまり、形として現れた「命」の奥には「性」という仕組みがあるのです。その仕組みの奥には、天の心すなわち道理があり、形に天の心(道理)を入れていくことが一本芯を通すということなのです。今の世は、形優先で、人は心が曇っているので「形の奥にある天意」を感じることが出来ません。ですから、性の奥に秘められた意味も理解出来ないのです。

5

宇宙で星が生まれる仕組みも、地球で生命が生まれる仕組みも、みんな同じ神聖な性の原理からなっています。性の交わりは、星生みと同じ高い意識の元に行われるべき神事なのです。

6

【3月4日の講座】

性から生まれた全ての存在は、地球上で生態系ネットワークを形成しています。人間以外の生命は、それぞれの役割を果たしながら、全体のためにあります。人間だけが、多様な選択肢の中で迷い、他を羨ましがり、はまりどころが分からなくなってさまよったり、他に害を与えたりしています。

7

8

「あなたのままで良い」ということには、あなたに与えられた「ポジションをしっかりと担う」という義務が発生するのです。自由気ままにわがままをするということとは違います。自由と義務の両方を意識して成り立つものなのです。又、他をうらやむという心は「足るを知る」という感謝の心がないことの表れです。

統合された個性的人間が、多様性の元につながること、それがコミュニィティーの仏陀です。

性とは全てのものが存在する根本の原理であって、その性が汚れているために、この世界の全てが狂っています。狂っているとは、「天の心」「天の道理」が忘れられ、人知で世界が動いているということなのです。

天の道理を地上に降ろすことを「カムウツシ・アマウツシ」といいます。この世界は、天(カムの世界)からエネルギーや原材料を補給されて運営されているのです。そして寿命が来れば、その存在は解体されて、又 天に帰って行きます。このことを天然循環といいます。

性の原理も同じです。男女が対向することで、「天の道理」を感受して地上に表現することが、本来の性交の目的なのです。カタカムナでは、こういう性をマイナスエントロピーの性といいます。オープンでおおらかで、疲れがとれ、若返る性です。それに対して現代人の性はプラスエントロピーの性といい、快楽を求めるための性になりはて、汚くていやらしい秘め事になっています。

10

11

では、正しく性を表現するにはどうしたら良いのでしょうか。そこで「知意行一体」で、

  • 世界観を広げこの世界のメカニズムを知り(知)、
  • 宇宙の受け皿となる事を決意して(意)パートナーを選び、
  • 高次元の波動を持って生きる事が社会に還元される。(行)

ということが必要になるのです。

高い意識波動をもっているものが、それを伝授してゆき、みんなが直接宇宙とつながるものとなると、そこではみんなが同じ事をしなくてもよい個性的で多様な存在がネットワークする世界を形成します。

1213

「尊きものを見つけてそこに行き救われるよりも
自らが貴きものとなって 世を救えるようなものとなれ
これからは一人一人がイエスや仏陀であるぞ」

「人々が集い語り合え、語り合うところから真実が生まれる」


午後はフリータイムでしたが、受講生からのリクエストがあり養蜂とコンポストトイレのプレゼンテーションでした。

養蜂のプレゼンテーションについては、いさどんと一緒に養蜂を担当しているちなっぴーがフェイスブックにアップしていますので、こちらをご覧くださいね。

 


第11&12日目:地球暦作成ワークショップ&人格講座4応用編「家系図と地球暦を合わせて読む」

地球暦作成ワークショップ&人格講座4応用編「家系図と地球暦を合わせて読む」

この講座で真学校も半分が終わり折り返し地点を迎えた。人格講座は受講者から「間を開けないで、連続して学びたい」という要望が出たので、一ヶ月かけて学ぶ予定になっていたところを前半の二週間で一気に行った。こんなふうに、受講生と話し合って講座を自由に組み替えられるのが真学校の良いところ。

26日27日の二日間は、今までの集大成として、地球暦作成ワークショップと人生講座・応用編で家系図と地球暦を合わせて個人を立体的に読み取るということをした。

地球暦作成ワークショップで自分の地球暦の盤面を作成する受講生を見ていると、人から読んでもらう受け身の学びと違って、自分で惑星の意味や、角度の意味などを一つ一つ考えながら盤面を作成することで、自分を振り返っていく再確認の場になっているようだった。

ワークショップの時、イブちゃんは、数字は苦手なんですと、目に涙をためていた。無理しなくていいよと伝えると、となりに座っていた文ちゃんが、すかさず「私がやります」と言って、サラサラと二人分の地球暦を作ってくれた。

午後の講義が始まる直前に、いさどんはイブちゃんに次のように伝えた。

「苦手だからといってアレルギー反応を出して止めるのではなく、やれるところからひとつずつやって、「出来たね」と言って進んでいく。頭を使っていないのだから、自分の頭を使って考えること。」

午後には、家系図と地球暦を合わせて総合的に一人一人を丁寧に見ていった。人生を旅に例えると、地球暦は乗り物の性質を、カルマ読みは運転手の性質を現しているので、合わせて読むことで、より人生が立体的に見えてくる。受講生の中から何人かを紹介します。

イブちゃんの家系図を見ながら、イブちゃんの今までの人生をいさどんは次のように読んだ。

「イブちゃんは、心のクセのままに、あまり考えずに生きてきた。子供の頃に父親からもらえなかった愛情を求めて、ストレス故に縁の薄い人を選んで結婚した。しかし結婚した相手は、思っていた人間性と違っていたので、嫌になり離婚した。」

そんなイブちゃんに、いさどんが伝えた今後の指針は

「とにかく頭を使って、丁寧に感情抜きに自分を見ること。イブちゃんの能力はまだ開発されていないが、とても可能性を秘めているのに、それを見ないでいる。簡単に言うと頭を使っていない。地球暦を見ると、行動力があるし、優しさ繊細さもあり、他の惑星もバランス良く機能しているが、生かされていない。もっと広い世界観を持って、広い世界で自分が生かされるような、新しい自分の能力を引き出すと自信がついてくる。名前に濁点があるので狭いところにいると広いところが怖いと思うが、広い意識にたてば、それが好奇心になって新しい発想も生まれるだろうと、予測できる。約束してるんじゃないよ。そういうふうに自分の門を開けば、もっと世の中で役に立つし、自分が自信を持って生きられる。」というものでした。

 


2日目最初はたかくん。たかくんは三人兄弟の末っ子だが上の二人はお姉さん。故に親の期待は男の子のたかくんにかけられ、たかくんはその期待に応えようとして、男らしくなろうとしてきた。けれども、たかくんの心は陰性で、心は欲しいという状態なので、無理が発生した。

たかくんのなかに理想の「強い男」がイメージとしてあって、その理想のイメージになろうとしてもなれないので、いつも表情が曇っている。相手の理想に答えようとする根深い心から抜けられず、評価を先に気にしてしまい、素の自分をなかなか表現できない。たかくんの日記にもそれが現れているので、いさどんは日記にコメントをつけないということで、たかくんにメッセージを送っていた。

地球暦を見ると、土星と天王星がしっかりと結んでいる。しかしそこに90度でからむ金星が破線であるために、気持ちはあるのに土星の不要なものを削ぎ落とす機能や、天王星の改革の機能が生かされない。ここにスイッチが入っていたら、もっと明快に自己改革する人だったのに、惜しいねといさどん。そこをしっかりと認識して、素の自分を認めたら楽になるのだが、出来ないのにまず宣言していいところを見せようとするクセが続いている。

しかし、27日の大人会議の報告では、日記のシェアーがあり「やっと素直を表現できるようになって来ましたね」といういさどんからのコメントがありました。これを機に変わっていくたかくんを楽しみにしています。


次は、地球暦真っ白が特徴のあわちゃん。いさどん曰く「まだ組み立てていない車に乗って「いくぜ~」と走り出すと、どんどん車が解体していく。それがあわちゃん」

地球暦に色が無いあわちゃん
地球暦に色が無いあわちゃん

そんなあわちゃんが人生を上手に生きて行くコツを、いさどんが教えてくれた。

  • 特別保護区に入れる
  • 特別のナビをつける

けれども、迷いが出るとナビの言うことを聞かないのがあわちゃんの特徴。

環境作りも大切ですが、やはり一番大切な事は、最終的に自分を変えるのは自分の意志であるということ。人生は自分を知る旅。出来事は自分を見る鏡だから、自分のくせに気付いて、コントロールすることと伝えた。

さらにいさどんは、自己コントロールについて以下のように語った。

「ある意味、『マインドコントロールが進んでいる』とみんなのことを見ている。『仕組みを見てから心を見て向き合い、自分をしっかり操縦して生きていくことを身につける』ということをマインドコントロールしている。これは洗脳ではない。洗脳は脳の機能をおかしくしてその情報を自分の中で操作できなくすること。一方通行の情報を与えてそのままのめり込んでいくという状態。僕が言っている洗脳は、心を自己コントロールすること。これは仏教では洗心という。自分で問題の心を振り返る。汚れ、ねじれ、ゆがみを洗い流してきれいなものにするということ。」

 

その話を聞いて、あわちゃんが今取り組もうとしていることを語った。

「まだ相手に今の正直な想いを伝えていないので、これから言っていきます。」

正直は大切なことだが、そのときに気をつけることをいさどんが以下のように伝えた。

「想いを伝えるとき、それが自分のためなのか、相手のためなのかを見ることが大切。それが分からないならば、先ずは相手に伝えてみると、どちらの心だったのかがわかる。言って良かったこと、言わずに自分でコントロールして削ぎ落としていかなければいけなかったことと、正直の仕分けが出来る人になることが大切。」

 

こんな風に、一人一人の心を分解して、丁寧に読み解いていく時間をみんなで共有した。人生講座は、己を解体して見る事で、自分の思考のパターンや囚われを知ることが出来る。大切な事は、その囚われから自己を解放していく事。

又、己を知るだけではなく、他者を知ることによってそこから理解と思いやりが生まれ、それが社会を健全に運営することにつながる。自分を知るとは、他者を知ることであり、さらには自分も他者も含む「この世界の仕組み」を知ることにつながる。この講座は始まりであって、今後自分の人生で応用していくことで初めて「身について」いくもの。自分だけでなく「この世界の健全な運営」のためにどんどん生かしていってもらえることを願っています。

 


涙涙の自己紹介

真学校は、形ではなく心をひもとくことを目的とした人たちの集まり。

毎日、毎日心の話し、深い精神性の学びを続ける真学校は世の希望である。
と断言しよう。

彼等の学びは、私の学び。わたしたちの学び。あなたはわたし、わたしはあなた・・・。

集い語り合え、想い愛し合え、みんなでひとつになれ。

それこそが神の喜び、神の姿。この無限の愛の姿が輪になって、この星の上に広がりますように。

今日の発表はきたじゅん、わたるくん、そしてのりちゃん。

 

笑顔が無かったきたじゅんが笑った!
笑顔が無かったきたじゅんが笑った!

 

この時間に、みんな正直に自分の心の内や過去を語る。そこで正直とは何かについて深めた。

のりちゃんの、日記の発表があった。真学校の授業の中で、過去を振り返り心を解放して、癒されていくのりちゃんの心の変化に、いさどんはじめみんなが泣いた。いさどんはこの日記を読んで泣いて、発表を聞いて泣いて泣いてばかりのいさどん。

発表を聞いて涙するいさどん
発表を聞いて涙するいさどん

神様の食べ物は、喜びだという。人間が学んで成長してゆくその姿を見て、神は喜ぶ。それが神様の食べ物なのです。この涙は、喜びの涙。みんなで共有したい涙だ。

本来ののりちゃんは女性らしい人なのに、おやじの鎧を着ていた。それは過去の出来事によって作られたもの。

毎日きれいになっていくのりちゃん
毎日きれいになっていくのりちゃん

けれども、こうして過去を振り返り解放してゆくなかで、美しく変わってゆく姿にみんなが心を打たれた。

そんな彼女と一緒に参加したみどりーぬが、のりちゃんが癒され変化する姿を見てを泣きながら、彼女への思いを語った。人を思って泣く、みどりーぬの姿に又感動する。こういう気づきと、癒しの連鎖が起こるのが真学校。誰がこんな場を用意したのだろうか。

のりちゃんの変化に喜びの涙を流すみどりーぬ
のりちゃんの変化に喜びの涙を流すみどりーぬ

ホールのロッカーの上にいるマザーの顔が笑っているように見えた。

金神様の顔も笑っている様に見える。うれしうれし、楽し楽しの世が来るぞと。

(文責:みかこ)