8日目「人格を学ぶ講座2」

一昨日の「人格を学ぶ講座1」に続く第2弾!
カルマ読みや地球暦といった手法を通して、表面からはなかなかわからない、その人の本質を読み解いていきます。人はどうすると健全になるのか。いさどんが語ります!

160221-142459

 
いさどん:
人間というのはとても個性的で一人ひとりオリジナルにできています。しかし、一般的な人間関係においては、そのことがわからずに、相手に対してとても雑に接しています。例えば表面的には弱いように見える人が、実は弱さを演出して自分を主張している場合もあり、それにごまかされていたりするのです。人間の本質を見抜くことは、実にやっかいで難しいものです。

そういった精神構造の実態がわかればわかるほど、人間とはとても扱いにくいものだとわかってきます。ですから、相手をよく理解していくことが大切です。僕は今までたくさんの人間と出会ってきましたが、素直な心で生きている人間とはあまり出会ったことがありません。そして、そのような人たちと付き合いながら人間というものを探求してきた結果、極めて人間不信となりました。

多くの人は、自分で自分の姿を観ることはできません。それは、自らの実態を直視しようとしないということでもあります。そこで他者からの客観的な視点が必要になるのですが、人から伝えてもらう時に最も大切なことは、素直になるということです。まず、素直に自分を表現する。それは正直であるということです。自分の本当の気持ちを出して、その結果起きることや、それに対する相手からの反応を素直に受け取っていく。そうすれば、どんな人でもすぐに健全になれます。

人は過去世において、どのように生きたかによって、個性のベースができあがります。その積み重ねが、人格の元となるカルマを形成しています。そしてそのカルマが今世でどのように表現されていくのかは、今世の生きる姿勢にかかっています。カルマは個性ですから、有効に表現することもできれば、有害なものとして表現することもできるのです。
カルマは、小さな子どもの頃から、個性として表れます。子どもは社会経験が少ない分だけ、人から伝えられた時に、素直に受け取っていくことができます。しかし、年齢を重ねるにしたがっていろいろな経験をしていく中で、その人の性質が自らのカルマをどの方向に向けていくかによって、濁りや歪みが積み重なり、受け取ることがだんだん難しくなっていくのです。
幼い頃から確実に表れてくる人それぞれの性質を客観的に観て、そこにある矛盾を冷静に捉え、寄り添っていくようにすると、その人本来の個性が素直に表現されるようになります。そうすると、その子はとても個性的で素直な子どもになります。しかしほとんどの子どもは、そうはなりません。なぜなら、周りの環境が人格の形成に大きく影響するからです。それは先天的にそういった道を歩む定めがあるとも言えますし、後天的な出会いがその人の人生に加味されているとも言えます。つまり、その人のカルマに相応しく経験するようになっているのです。

例えば、ある年齢まで普通の環境で育ってきて途中から木の花に入ってきた子どもは、3歳までなら素直になるのは早いのですが、それを超えると修正するのがだんだん大変になっていきます。素直になる環境に来ているのに、素直になることに自我が抵抗して、その環境が苦痛になるのです。それでも年齢が若ければ若いほど早く歪みは取れていきますが、20歳を超えると、素直になることが自分を否定することであるかのように感じるようになるのです。
そうすると、たとえ伝えられたことの意味を理解しても、それによって自分が否定されたと思ってしまうため、いじけたり、自分を守ろうとしてその状態を維持し続けることになります。それがさらに継続していくと、それが固定された状態になってしまうのです。
ですから、年を取れば取るほど、素直になるためには相当なパワーと自覚が要ります。そこにメスを入れずに歪んだ状態のままで生き続ければ、物理的な現象でも、対人関係でも様々な問題の発生源となり、そういった人生の繰り返しにつながるのです。しかし、生きている限り、手遅れではありません。生きている限りチャンスがあるのですから、命がなくなるまでそのチャンスを活かして、少しでも次の為の良い種を播きたいものです。

あわちゃん:
今の話はすごいポイントですね。木の花では「正直、素直、信じる」ということを大切にしていて、正直な気持ちを出したことに対して周りから率直なフィードバックが返ってくると「正直に出せと言ったから出したのに!」と不満を言う人がいるけど、正直に出したからこそ、率直なフィードバックをもらって自分を客観的に知ることができるわけだから、正直に出すことと素直に受け取ることはセットなんですよね。

さこちゃん:
今までの自分を捨てたくなくて、泣いたりしてきました。

いさどん:
そんなに今までの自分を捨てたくなくて悲しいなら、それをそのまま持っていればいいのに、持っているのは嫌だと言うのです。嫌なくせに、それを持ち続けて泣いている。そして自分でもそれが嫌なのに、人から「それを持つのをやめなよ」と言われたらそれもまた嫌だと言う。
なぜそういう状態になるのかと言ったら、心の枠が狭いからです。キャパも小さく視野も狭い。ですから、それを超える一つの方法として、世界観を広げましょうと伝えているのです。自分のことばかり考えて自らの興味にだけ意識を向けるのではなく、多角的な視点を持つための情報を取り入れ、視野を広げていくと、自らのこだわりに囚われなくなり柔軟な物事の捉え方が身に付き、嫌な自分を捨てやすくなります。そういった視点を持ち柔軟性が身に付いた人は、他者の為になる人です。それは社会にとっても大切な存在であり、今、そういった人たちが必要とされる時代が来たのです。

これまでの世の中は、経済が大きく広がり物理的に豊かになり、そういった価値観一辺倒の、質を問わない時代でした。物の質は問われてきましたが、心の質は問われなかったのです。しかし、心の質が雑であれば、世の中全体が雑になります。人間関係も雑なら、物の本質も雑なのです。そして物があふれればあふれるほど、世の中が雑になっていきました。そこで、その切り換え時にはどういった意味があるのかということを考える必要があるのです。

ここには、たくさんの人が訪れます。以前は僕も、一人ひとりの人をきっちりと治してやろうという気持ちがありました。僕も一生懸命だったのです。しかし、その人の問題なのに僕の方が一生懸命になっていて、本人は熱心ではないというケースもありました。その人を改善するために、僕の方が何とかしようよと言っている。中には、自分がそうできないことの怒りを相手にぶつけてくる人もいました。そこで僕も、嫌ならやめたらいいんだよ、とどんどんシビアになっていきました。本人が求めれば、どこまでも付き合います。しかし求めない相手に付き合っていてはエネルギーがもったいないですから、それならば好きにしなさいと言うようになりました。それで最近は自分の方からエネルギーが出ていかないので、このように体に蓄積されてふくらんでしまいました(笑)。

何が言いたいのかというと、自分が一生懸命になれば道は開かれるということです。反対に、駄目だ駄目だとか、誰か救ってくれないかなと言って努力しない人には、道は開かれないということです。
自分の人生は、自分で歩んで開いていくものです。だからこそ、自らの中にあるものを積極的に出す。正直に出す。そして結果を素直に受け取る。「正直」という言葉がありますが、これは「正しく直る」ということであり、表に見えている姿勢が実際の自分の姿を表しているということです。外と内が違っていてはいけないのです。かっこいいも悪いも関係なく、いつでも本当の自分を出す。それはなかなか勇気のいることです。「正直」とは、今の実体そのものになるということなのです。

そして「素直」とは、素のままの本質に戻るということです。とかく人は、こういうふうに見せたいとか、こういうふうに受け取ってほしいというような思惑を持つものですが、本当は人間は楽になりたいのです。楽になるとは、負荷がかからない状態になるということです。「素直」とは、負荷のかからないリラックスした状態のことであり、顔と心が一致しているということです。
そう考えると、のぶくんの場合、知らない間に緊張して、こう見られるのではないか、ああ見られるのではないかと、心も体もとても緊張している状態ですね。そうではなく、「素直」というのは、負荷をかけずに実体のままにあるということです。

「正直」「素直」というのは、正直でなければ素直になれないし、素直でなければ正直になれません。これは連動しているのです。そしてもう一つ、「信じる」があるのですが、信じるというのは難しいのです。何故かと言うと、ここでの信じるというのは、本当がわからない状態でありながら信じて行くということを意味するからです。
例えば何かを始める時に、これは自分にとっていいことだと考えて、それがわかってからやろうとする人は、信じたことにはなりません。ほとんどの人は、これは間違いないと自分で納得してからことを始めるのですが、「信じる」というのは、納得できなくても、わからなくても進んでいけるということであり、自分の安心を何かに託せるということなのです。
それは、自分自身を、自分ではない何かに託せるということです。とてもハイレベルなことですよ。信じる心に至るには、勇気が要るのです。そしてそこには、わからなくても「そうだ」という確信が要るのです。木の花には『信じる心』という歌があります。「わからないけれど生きていく」「信じる心で生きていく」という歌詞が言っているのは、そこなのです。

かずえちゃん:
それは直観ですか。

いさどん:
そうです。「正直」で「素直」な心があるから勇気が生まれて、「信じる」になるのです。

 
信じる心

わからないけれど 生きている
信じる力で 生きている
わからないけれど 生きている
信じる心で 生きている

みんなで共に生きていることの この貴さを知らせよう
ひとりだと思い込んで生きている魂たちよ
みんなでつながっていることを思い出そう

わからないけれど 生きている
信じる力で 生きている
わからないけれど 生きている
信じる心で 生きている

砂に埋もれた希望の星を今 みんなで掘り起こして
空では星が歌っている つながっていると歌っている

わからないけれど 生きている
信じる力で 生きている
わからないけれど 生きている
信じる心で 生きている

 
いさどん:
信じる心は、勇気と確信がなければ持つことができません。そして「正直」「素直」「信じる」の3つは順番ではなく、セットなのです。
人にはそれぞれ、いろいろな心の癖がありますね。それを道理で伝えられた時に素直に聞いていくと、この人の言うことは本当だ、この人は私より私のことを知っている、だからこの人に賭けよう、という確信が生まれてきます。そうしたら、どんなに難しい病気でもたちどころに良くなります。その勇気と確信が信じる心になる期間が、木の花ファミリーの自然療法プログラムで言う、治療期間です。

実はこれまでは、現代的な医療の概念に浸かっている一般社会の人々には、こういった話はなかなかできませんでした。なぜなら、人々は、今自分が抱えている問題ごとは自分で解決するものではなく、人に託して解決してもらうものだと思い込んでおり、自らがそれを創り出したものだという解釈がないからです。ですから、自分は病気で、分析不可能な混乱の中に入っていると思い込んでいたのです。
しかし今、時代はこういったことまで皆さんに伝えられる段階になってきました。そして、物理的な問題ごとを生み出す自らの性質が客観的に観えてくれば、自ずと病気にもかかる必要がなくなるのです。なぜなら病気は、物事の本質が観えずに矛盾を発生させる自らの性質に対しての警告、もしくは気付きを促す作用だからです。

我々がこの世界に生まれてきて、なぜ問題事が与えられるのかと言うと、自らの魂にふさわしく、気付くために与えられています。それをどんどん素直に受け取って気付いていく人は、早い段階で自らの課題をクリアしていくことになります。特に子どものうちにこのような環境で育つと、初期の段階でクリアするのでさわやかな人生を生きられるようになります。そしてある段階から、自分ごとではなく、人の為に生きられるようになるのです。
皆さんも、今まで自分のことばかり考えて生きてきたということを振り返ったなら、まだ手遅れではないですから、ここから切り替えて、自らを人の為に役立てる人生を生きてください。そうすれば、誰もが希望を持って生きていくことができるのですから。

 
kalma

 
☆さてそれでは、どのように個々の人格を紐解いていくのか。
 詳細は、「1ヶ月間の真学校2017」へどうぞお越しください(^v^)ゞ

 


「8日目「人格を学ぶ講座2」」への1件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です