第4日目:人格を学ぶ講座にて

昨日の午後と今日の終日、「人格を学ぶ講座」が行われました。昨日の講座の冒頭で、
メイン講師であるいさどんは次のように語りました。

この仕組みがどのように生まれたのかを語るいさどん

この仕組みがどのように生まれたのかを語るいさどん

今年の真学校での人格を学ぶ講座は8講座あります。1講座3時間として、約24時間この講座に取り組みます。この講座は1ヶ月間の真学校の中で最も時間を割いている講座であり、一番のメインの講座になります。昨日も世界の捉え方を色々お話ししましたが、物事の捉え方は人によって違うのです。それは人それぞれ観ている位置が違うからです。それから、観る目に色が付いていたり、ストレートに情報が入っていく人もいれば、ねじれて入っていく人もいて、人には色々な癖があるのです。生まれてからずっとそれと付き合ってきているので、それが当然と思っている人が多いのですが、簡単に言うと、人は自分のことをよく知らないということです。そういった自分の心の癖を無調整のままでこの世界を観ていたら、心の癖のままに人生を生きているわけですから、癖の多い人ほど自分が思っていることと他者の思いが違うことになるのです。その時に、他者に問題があると捉える人は、攻撃的になります。それから、被害妄想になります。逆に自分に問題があると考える人は、自分を卑下して卑屈になっていくのです。

 そこで大切なことは、どちらが正しいか、間違っているかと考えることではありません。そこでは自らの考えがどういった形から湧き出し、どのような環境に影響されて、今の状態に至っているのかを理解することがまず大切なのです。その時には、客観的かつ冷静な姿勢が大事です。人はそれができている人はほとんどいません。それができている人はどういった人かというと、自我にとらわれていない状態です。そのような人は相当修行を積んでいる人です。修行を積むということは、一般社会にいて色々な出来事に出会って苦労してきた、ということではありません。一般社会に出て色々なことに出会って苦労している人は、社会の中で出来事に反応しているだけなのです。ですから、それが修行を積んだことにはならないのです。社会にいようがいまいが、自分自身から一歩外に出て、自らを客観的に捉え、他者と同じように冷静に自分や物事を捉える精神状態になっていることが、修行を積むことなのです。ですから、社会でいくらもまれていても、客観的な視点が培われていなければ、それがその人の人間性を高めることにはならないのです。

過去に人々は、そういった境地を得る為に色々な修行を行ってきました。生きるということは、最終的にその境地に到達することが目標ですから、そういった修行は沢山行われてきたわけです。しかし、それは特別な意識に目覚めた人とか、山に入って修行をした人といった特別な人にしか得られませんでした。山に入って修行をすると、普通の人の何倍もの境地が得られるのです。中には千倍も得られる人もいます。そんな人は一人でも千人(仙人)ということになります(チーン♪ みんな、笑)。

今回、みどりーぬは音叉を持ってきてくれましたね。こういった境地を得る為に良い手法や道具があると、物事の解決が早いので普通の人は飛びつきやすいのですが、問題事があるということは、そういった手法を取り入れる前に、それを受けた自分自身を知る為にその出来事に出会っているのです。ところが、人は自らを知ろうとせず、そういったもので簡単に治したほうがいいと思ってしまうのです。それはお医者さんの治療でも同じことです。ですから、それだけに頼ってしまうと問題事の根本的な原因を捉えるチャンスを失ってしまうのです。しかし、それが全くできない人がただわからないと言っていっても、いつまでたっても問題事の解決には成っていきませんので、それを一つのツールとして使うことは有効なことです。目的を見失わずに、手法や道具は有効に使えばいいのであって、使い方が間違わなければいいのです。

音叉セラピストのみどりーぬ
音叉セラピストのみどりーぬ

今から33年前、霊的な出会いによって、天からこの人格を学ぶ講座のもとになる手法を降ろされました。ですから、ここ以外にこの手法はありません。それを30数年かけて沢山の人と出会いながら、名前から読み取れるカルマについて体系化させてきました。今まで一万件以上の面談を提供し、分析する精度が上がってきた今、皆さんに伝える段階になったのです。これは非常に面白く、かつ有効なものです。それを皆さんに伝授します。そして、皆さんは自分のことを客観的に観ることができるようになります。さらにマスターすれば、同じように色々なことで困っている人の為に観てあげることもできるように生かせるのです。しかし、人は毎日自らの感情・心の動きを緻密に観ていけば、こういった手法がなくても自らを知ることができます。その為に生まれてきているのですから、このような手法だけに頼ってはいけません。本当は、日々の自らの感情の動きと真摯に向き合って、逃げないことが大切です。

私はその手法を与えられた者として、人生の中で最も大切にしていることは、生きることの意味を皆さんに伝えることです。そして、近年の社会情勢からすると、自殺者を少しでも減らすことを目的に生きています。自殺するということは、与えられた大切な人生の価値を積み上げることを自ら放棄することです。辛い出来事は、そこから逃げる為にあるのではないのです。その出来事に向き合って、そこを超えていき、自らの価値を高めて喜びとすることが、神様と契約してこの世界に降りてきた目的なのです。

今、世界では宗教がもとになって沢山の争いが起きています。本来、宗教は豊かな社会を築き、人間同士の絆を深め、愛と調和の平和な世界を創ることがその目的です。しかし、そうなっていないのは、今の人類の在り様から観るとやはり客観的な視点がなく、世界観が狭いからです。それは、一人一人がそのような者だからこそ、そういった人たちが自我の上に支持した国家ができ、国家はその欲のかたまりとして国益の為に対立しています。そして、宗教がその現象の元になっているのです。

とりあえず、皆さんには代表して国を治めて下さいとは言いませんが、まず自らと向き合って、自らを健康で平和にしてもらいたいと思います。そして、本当に「嬉し嬉し楽し楽し」の人生にまず自分を導くところから始めてもらえばと思います。その喜びに出会えたら、「このような大切なことは自分だけでやっていてももったいない!」という感情が湧いてくるのです。そうすると、同じように苦労してきた人に出会うように、天は出会いを用意してくれるのです。そこで、人の為に本当に親身になって生きていくようになると、人は初めて菩薩・ブッダの生き方をするようになるのです。

このように、なぜこの講座を提供するのか、そしてこの1ヶ月間の真学校の中でなぜこの講座を最も多く提供するかということについては、人が生きていく上で深い意味が込められているからなのです。ぜひこの学びを、自らも世の中も健康で平和になるよう、生かして下さい。

編集:ようこ

 

 


ケア卒業生の学び

1ヶ月間の真学校受講生14名の中には、自然療法プログラム(通称ケア)の卒業生が6名います。その中でも、たかちゃんとわたるくんは昨年12月、そしてよしてるくんは今年の2月にケアを卒業したばかりです。

受講生はこの1ヶ月間、毎日日記を書き、2日おきに真学校長のいさどんに日記を提出することになっています。今日は初めての日記提出DAY。いさどんは朝から14人分の日記をじっくりと読み、丁寧にコメントを書いていきました。いさどんからの「日記の冒頭には、1ヶ月間の目標と、今までの人生で良かったことと悪かったことを書いて下さい」というリクエストを受けて、受講生それぞれの正直な想いが日記の中に綴られていました。

12年間の躁鬱を2ヶ月半で克服したたかちゃんは、ケア滞在中なかなか正直を出せず、自分と向き合うことから逃げてきましたが、生まれ変わり、人のために生きていくため、この1ヶ月間の真学校を受講することを決めました。そして、「僕の人生において今が分岐点です」と語るたかちゃんは、「1ヶ月間の目標」として次のように書いていました。

たかちゃん
たかちゃん

 「正直・素直・信じる」を徹底的にやっていく。出していく。その時の心の動きを知り、楽しむ。これまでいさどんからもらったコメントを意識して、実践していく。まずは良いかっこうしいをやめ、不安・恐怖な自分を認めて、そこを日々乗り越えていく。嫌だ・うっとする時は、思考パターンを知り、変化するチャンス。感情を離れて、客観的に自らの心と相手の心を知る。

それを受けていさどんは、「ポジティブな意気込みを感じます。やって下さい」とコメントしました。


 

わたるくんは8年間の鬱を1ヶ月半で克服し、ケア卒業後はこれまでのシェフとしての経験を活かし、ヘルパーとしてキッチンで淡々と作業をこなしてきました。「本当の意味でケア滞在を卒業するために1ヶ月間の真学校を受講します」と語るわたるくんは、「今までの人生で良かったこと・悪かったこと」として、次のように書いていました。

わたるくん
わたるくん

この質問で気がついたのですが、木の花に来て、物事に対する考え方が変わった私がいました。なので、今までの人生で良かったこと、悪かったことを区別する事はできず、その時の心の状態が全てを創り出していたので、具体的に書く事はできません。現在の心の状態は安定しています。

それに対し、いさどんは「深い捉え方ができています。その視点を大切にして、さらに育っていって下さい」とコメントしました。


 

最後に、12年間の鬱を1ヶ月で克服したよしてるくんですが、彼の卒業コンサートでいさどんは「今まで色々な人たちのケア担当をしてきましたが、今回のよしてるくんのケアは、途中経過だと思っています。通常ケア滞在というのは、その人やその家族の健全を図って進んでいくものですが、今のよしてるくんの全身からは道を探求する姿勢が漂ってきています。そういう意味で、心の探求の同志が一人現れたようにも思っています」と語りました。ケア滞在中に綴られたよしてるくんの日記は、「心の問答集」として近々公開される予定ですが、いさどんに勧められ、今晩のミーティングでよしてるくんは昨日の日記をシェアしてくれました。

よしてるくん
よしてるくん

ミーティング後、心のシェアをしたなかのんのことが気になって、なかのんがのりちゃんにテルミーをしてもらっている最中に肩を触って話しかけた。思ったことを伝えて、マッサージしてほしかったら言ってね、と言うと、じゃあしてもらおうかなと言ってきたので、暖炉の前に移動し、足をマッサージした。マッサージしながら、なかのんと色々と対話をした。そうしたら、なかのんの顔がほぐれてきて、自然とメンバーの人たちがなかのんの周りに来て、なかのんに色々声掛けをしていた。なかのんを中心とした、とても良い空間だった。この前いさどんにマッサージを頼まれて久しぶりにマッサージをやって以来、否定して捨てたものだった整体の技術が、いさどんによって拾われたと思った。捨てても捨てても、戻ってくるものは戻ってくるんだな。


たかちゃん、わたるくん、よしてるくんの真学校への参加を受けて、いさどんは次のように語りました。

「この1ヶ月間のプログラムを通して真の人間力を身につけ、自らの意志をしっかりと確立し、生きていく喜びに目覚めてもらうことが次のステージとなります。今回1ヶ月間の真学校は第1回目の開催となりますが、ケアを卒業した人が参加することは、とても大きな一歩になると思っています。そこに参加する14名の皆さんと共に場を創っていこうと思っているのですが、特にこの真学校前にこうやってケア滞在をして大事なことをマスターし臨む人たちは、この大切な歩みのパートナーだと思っています。共にしっかりとやっていきましょう。」

 

他者の喜びを自らの喜びとする菩薩(ブッダ)の道を歩み始めた人たちが、ここ富士山麓で続々と現れてきている今日この頃です。