世界に貢献できる人になるために ~ 人格を学ぶ講座2

真学校も第2週目に入り、「人格を学ぶ講座」も第2段階となった今日、なぜこの講座が大切なのかをジイジが語りました。


始めの1週間で私が皆さんに伝えたかったことは、まず私たちは、人間の特徴として、自我を持っているということです。自我は、誰もが同じものを持っているわけではありません。仕組みは同じですが、中身は違います。それぞれの心の形や性質は、個々にオリジナルな歴史のもとに創られてきたものです。私たちの顔や体つきが一人ひとり違うように、心も一人ひとりオリジナルなのです。
人間は自我を持つことにより、自分と他人を区別するようになりました。そして他の生きものと違うのは、自分から見える自分自身、そして自分から見える外のものを、自分にとって都合のいいように捉えるようになったことです。私たちは自分という枠の中にいて、そこから外の世界を見ています。そしてその枠の中から、周りにいる人々を「この人はこうだ」と主観で判断しています。しかし、自分の中から飛び出して、枠の外から自らを見てみると、自分が思う自分と外から見える自分が違うことがあります。

自分の中から外を見ることを「主観」と言います。それに対し、自分の外へ出て、外から自分自身や周りを見ることを「客観」と言います。人間は社会性がある生き物ですから、群れて生きています。群れるということは、他の様々な生命と一緒に生きているということです。その時に、自分の外の秩序を乱すような存在であっては、いい社会生活は送れません。できれば自分の存在や意思表示が、外の人たちに歓迎されるものであることが望ましいのです。
例えば私たちは、会社のようにお金や利益を得るところでは、自らの主張を制限したりします。それは、何かを得るためだからです。しかし、家族や恋人のように近い関係になると、自分を抑えて何かを得ようとするよりも、自分の願いを叶えようとする方が強くなりますから、自らの感情をコントロールすることを忘れてしまうこともあるのです。そのように自己主張が出ることを、わがままと言います。もしもそのわがままを、会社のようにお金や利益を得るための場所でやると、「あなたはうちの会社には要りません」とクビになることもあるでしょう。それは、現代社会を生きていく時に、よく出会うことです。
そのように、利益を得るために自らを抑えて、心の内に本当があるのに我慢して偽っている状態だと、心の中にストレスが溜まります。少しくらいのストレスであれば、休みの日に出かけてリフレッシュしたりして、解消することもできるでしょう。しかしストレスが溜まっていき強くなると、それでは解消しきれません。そうなると、今度は休みの日に出かけることもできずに、ぐったりと寝ているようなことにもなります。そういった状態を、自分が認識しないままにどんどん積み重ねていくと、そのうちに病気を発症するのです。

私たちの精神と体の機能は、様々な仕組みが連鎖して成り立っています。ストレスを溜め込んだ時にそれがどこに現れるかというと、弱いところに現れるのです。体に弱いところがあれば、そこにストレスのエネルギーが集中し、病気となって現れます。心の中に弱いところがあって、そこにストレスのエネルギーが向かえば、うつになったり、逆に躁になったりします。親がそういった性質を持ち、遺伝的に子どもに伝承されることもあります。それは更に、子どもから孫へと受け継がれます。そのように代々受け継がれていくと、暗い家系とか、同じような問題が続く家系というように、その家の傾向ができていきます。自分が一人で引き起こしたことであれば、その原因も「ああ、自分があれをやったからこうなったんだ」とわかりやすいのですが、代々の家系の流れの中で、所々で心や体の弱い人にそれが現れると、なぜそうなったのかわからない場合もあります。
そこで、主観的に捉えようとするとわからないのですが、客観的に分析していくと、そこに問題の起きる傾向の元が観えてきます。これは人間の人生についての話ですが、実は、地球上の様々な時代も、その時代のもとにどんな社会が展開されていくのかも、同じ仕組みで表現されていくのです。そこに存在する社会の背景にどのような流れがあり、そこに生きる人々がどのような性質をしているかによって、それにふさわしい世界が当然のように現れてくるのです。

私たちは真学校を通して、健康で生きていくためにはどうしたら良いのかを学びます。同時に、自分が社会を生きた結果社会が良くなっていくような、社会に優れた貢献ができる人になることも目指すべきです。それが、人が本当に目指すべき生き方だと私は考えています。なぜなら、現代は人間のわがままがいっぱいにあふれてしまって、世の中にたくさんの矛盾が起きているからです。
現代の人々が思う「良い人生」を生きることが本当に良い人生なのかというと、現代人一人ひとりが出会う人生には、とても問題ごとが多くなっています。現代の世界情勢や環境を観ると、もうこれ以上放っておいてはいけないところまで来ていることを、これまでにお伝えしてきました。そして先週末から、「人格を学ぶ講座」に入りました。なぜ、この講座を学ぶのでしょう。
私たちは人生を生きていると、いろいろな出来事に出会います。それは、出来事の方が向こうからやって来るように思えますが、実は自分がどんな性質をしていて、どのような道をどの方向に進むのかによって、出会うべき出来事に自らが原因となってふさわしく出会っているのです。つまり、私たちが人生の中で出会う出来事はすべて、自分自身を知るための映し鏡なのです。自らの姿がそこに映り、現象として現れているのです。ですから、人生を生きるとは、自分自身を鏡で見ていることになるのです。

その仕組みがわかると、私たちは人生を生きることによって、出会う出来事を通して自分自身を学習していることがわかります。出来事に出会う時に、自分の外に問題がある場合もありますが、その問題に出会う自分がいることを忘れてはいけません。ですから、問題に出会った時、人生を学ぶ姿勢のある人は、なぜそれに自分が出会ったのかをわかるために、先に自らを振り返ります。その時に、外から自分を観る客観視点を持つことによって、初めてその出来事を正確に捉えることが可能となるのです。それを自らの内側からの主観だけで見ると、社会が悪い、相手が悪い、と言って、自らの外に原因があると思うのです。
その姿勢で生きていると、どんな出来事に出会っても、自分自身を学習することはできません。それでは、自分の状態を知ることはできないのです。ですから問題が起きて、一旦はそれを乗り越えたとしても、また同じような問題に出会うことになります。学習をしない人は、何度でも繰り返し同じ問題に出会うことになるのです。
そういったこの世の中の仕組みをつくっているのが神様だとしたら、それは神様が何度も何度も、私たちの問題点を改めなさいと投げかけてくれいる、愛の現われです。

私は社会で行き詰っているたくさんの人にアドバイスをしてきました。しかし、こうしたら良くなるよ、と良くなる方法を伝えても、その人自身が自らの問題点に気付けなければ、改善されることはありません。何か特殊な能力を使って改善したとしても、その時限りのことになってしまい、長続きすることはありません。それに対して、本人が自分自身を観て、「ああ、問題の発信源は自分だ」と自らの内にある原因に気付いて改めれば、同じような問題ごとのくり返しは、なくなっていくものです。そういった時に、私たちは奇跡のような出来事に出会うのです。
私たちは毎日を生きていて、自分でも気付かないまま矛盾を起こしています。その矛盾は体や心の中に溜まっていきます。自分が矛盾を起こしていることを知らずにいると、自分には何も問題がないと思ったまま、その矛盾を溜めていくことになります。そして、ある時その矛盾が弱いところから溢れ出し、問題となるのです。
そこで、矛盾の発生源を絶ち、自らの内に矛盾を溜めないことと、弱いところを強化していくことで、そういった問題は発生しなくなくなります。そういった条件が整うと、それまで病気だったのが、何も治療をしていないのに、勝手に症状が消えていくのです。治るのではなく、問題ごとが自然に消えていくのです。現代医療は、表に出てきた症状に対して治療をします。様々なテクノロジーを駆使し原因を解明しますが、わかるのは表に症状として現れてきたものだけであり、その奥にある気の滞りは、テクノロジーで測ることはできません。ですから、そのような手法では根本的な解決に至らないのです。
そうすると、そういった不完全な医療により、利益を得る人たちが出てきます。それは製薬会社であり、医療機関です。病気の根本原因を解消せず、症状だけを表面的に治し、いつも病気でいっぱいの社会をつくっておけば、お医者さんは仕事ができます。同じように、人々が争い、社会秩序が乱れると、そのことにより活躍する人たちがいます。弁護士や警察は、人々が争うことで自らの存在意義が保たれるのです。現代社会には、本来無い方が良い仕事で潤う人が、たくさんいるのです。

そういった中で、木の花ファミリーでは自然療法プログラムを提供しています。例えば仕事に行ってもそこでいい人間関係が作れないからすぐにやめてしまうとか、人とのコミュニケーションを上手く取れない人が、なぜそうなるのかという原因を落ち着いて客観的に探り、それを自らの内に観つけ、改めることにより、人間関係が良くなったり、物事がスムーズに進むようになります。その結果、病気も自然と消えてしまうのです。主観だけではなく、客観的な視点で自らを観て、自分自身を理解する。それによって、自分に起きる問題の原因をひも解いていく。それは、自らが出会う出来事の原因を悟るということです。
そうして、その問題はもともと自分が周りに対して発していたものが返ってきたのだということがわかったら、それを発することをやめればいい。発するものの種類を変えるのです。その発しているものは、一人ひとりの個性的な人格が元になっています。ここにいる皆さんは、病気でもなければ、深刻な問題ごとを抱えているわけでもありません。ですから自然療法プログラムを受けるのではなく、問題ごとが起きる仕組みを知り、自分自身の発しているものを理解し、悪いものはやめ、いいものを伸ばしていくということをすれば、少なくとも、今より皆さんの人生は良くなります。そして良くなった人生を皆さんが社会に発信すれば、周りの人たちも、そして社会全体も良くなっていくものです。自らの人格を学び、健康な日々につなげていくと、自分も周りも社会も良くなるという、こんないい話はありません。

これは1回学んだだけではなかなか身に付きませんので、自分自身がどのような性質をしているのかをいつも心の中に留めておいて、毎日の生活の中でそれを優先し、意識しながら表現していくと、だんだん身に付いてきます。なぜこの講座が重要なのかというと、物事をみる時に、自分のクセや傾向を知らないと、透明なものに自分の色のフィルターをかけて見てしまったり、真っ直ぐなものが歪んで見えたりするからです。まずそこを知らなければ、物事は正しく観えないということです。
私たちは常に、対象を見る前に、自らの濁りや歪みを先に正していくことが、人生を健康で豊かに生きることにつながります。そして、あなたが健康であるということは、あなた一人分世の中を健康に導くことにつながります。心掛けていきたいものです。