4日目午前「カタカムナ1」 ~ 認識できない世界をひも解く

6時間では到底理解できない奥深い世界、カタカムナ。以下、講座の内容をご紹介します。あくまでもダイジェストであることをどうぞご了承ください。(カタカムナを学ぶにあたっての心がまえについては、本講座の冒頭に語られたお話をご覧ください。)

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いさどん:
ここに、カタカムナに80首あるウタヒの中の第5首、第6首の解説があります。表の物理性の解説と同時に、裏の性についての解説が載っています。
かつてここでカタカムナ勉強会の講師をやっていた人は全国各地で勉強会を開催していたのですが、カタカムナの勉強会を始めた頃、カタカムナの真実はこの裏の部分に秘められている、ということで、勉強会でその奥義を説き始めたら、まず女性が来なくなったそうです。そしてそのうちに人が減っていきました。女性が先に来なくなったということは、女性がいかに性に対してネガティブなイメージを持っているかということを表しています。それをひも解いていくと、男性がいかに雑なセックスをしているかということです。そして女性は受け身ですから、その間違った性が浸透していったのです。
その講師の人は、それ以来勉強会でも性について触れなくなりました。しかし僕は、そこに踏み込んでこそ、カタカムナの神髄だと思っています。もっとも、そうすると人が来なくなるのかもしれませんが。

人は自分の色をつけてものごとを見ています。性に対する認識がこれだけ歪んでいるのは、それだけ世の中が汚れているということです。そう言うと、自分のことは置いておいて「そうだ、世の中が汚れているから私は大変なんだ」と被害者になる人がいるのですが、あなた自身が汚れているのですよ。だからまず、あなたがきれいになることです。

それでは、スライドを見ていきましょう。

01

「カタカムナの世界観を現代に生かす」というのは、とても深いことです。

現代の人々は大脳思考です。そしてヨコシマ(邪)と言って、その思考は邪ですから、損得勘定の二元的思考をしています。しかし人間は地上を生きる生命として、本来は縦思考で、直観に従い、生きるべき生き物なのです。それは自らの都合で思考を回すのではなく、生きる上で必要な生命観は自ずと湧き出してくるものです。
縦というのは、天に通ずる、この世界の仕組みの柱となるものです。それを「トキ軸」と言います。それに対して、そのトキ軸に沿って回転し、この世界に現象を生み出すはたらきを「トコロ軸」と言います。

人間は、DNAの中に宇宙の始まりから今までの成り立ちを、情報としてすべて持っています。しかし現代の人々は、脳の10%程度しか使っていないため、そういった内に秘められた情報を活用することはほとんどありません。では残りの脳のはたらきは何なのかというと、宇宙を生きるためのアンテナとしての情報です。天から降りてくる様々な情報をキャッチしたり、自らの中から湧き出してくるものをつかむのです。
今、25800年ぶりの銀河の冬至を越えて、これまでのヨコシマな損得勘定から、縦思考と横思考のバランスを取る時代に入りました。一般のカタカムナの勉強会ではこのような話は出ません。これは、地球暦やこれまでの人類の歩みをここで独自にひも解いていく中で、観えてきたことです。

「因果応報」というのは、今ここにあなたが存在していることの仕組みです。何かが発生したり存在するということは、必ずそこに至る原因があります。そしてその結果がまた次の原因となって新たな現象を引き起こし、延々とつながっていくのです。そして振り返った時に、その軌跡があなたの人生です。
原因に対して相応しい結果が現れる。それが因果応報です。原因、結果、原因、結果という連鎖を延々とくり返し、それをすべてつなげて観ると、そのひとつらなりの流れの奥に物語が観えてきます。そして、誰もが一人ひとり独自の物語を持っています。宇宙にも、誕生からずっと続いている物語があります。宇宙は誕生、維持、破壊、空、そしてまた誕生というサイクルをくり返していますから、その物語には終わりがないとも言えるでしょう。その物語が観えた時、因果応報の奥にある天の意志が観えてきます。
それを観るためには、自らに囚われているようでは観ることはできません。自らの視点からちょっと離れて、いったい自分はどういう歩みをしているのだろうかと客観的に捉えることが必要です。自らのクセというのはなかなか見えないものですが、ちょっと離れてみることでそれが観えてくるのです。

「一度止まる」と書いて、「正」という字になります。今自分がどのような歩みをしているのかを、いったん止まって、離れて観る。それが客観視点です。

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私たちは現象世界にいて、その奥にはすべての源である潜象界があります。そこまでの構造を理解すると、客観背後と言って、すべての現象の背後にあるこの世界の意志が観えてくるのです。それは意志を持っていますが、持っていないとも言えます。それは何も私たちに意志表示をしない、この世界が成立するための存在です。それを神と呼ぼうが法則と呼ぼうが物理性の元と呼ぼうが、何でもいいのですが、それが観えてくるのです。

02

人生は不可思議です。主観が強い人は、他の人も自分と同じように考えて生きていると思っています。では主観に囚われずに生きている人がどれだけいるかというと、ほとんどいません。誰もがオリジナルです。それを、さも普通であるかのような顔をしてごまかしていますが、「人格を学ぶ講座」ではその一人ひとりの独自性をひも解いていきます。

人間というのは、嘘つきです。僕はたくさんの人の人生相談を受けてきましたが、まずみんな、口から出てくる言葉と奥に持っている心が違います。ですから僕は、その奥の心を観ます。相手の言葉をそのまま受け取ったりはしません。それが客観です。
その時に僕を上手にだましたとしても、それは正確なアドバイスがもらえないということですから、その分損をしていることになります。一番は、とにかく正直になることです。「こんな恥ずかしい事は言えない」と思っても、僕は今まで1万件以上の相談を受けてきて恥ずかしい話なんて山ほど聞いていますから、全然珍しくないのです。
人間は嘘つきです。ペットは人間に近いから嘘をつくかもしれませんが、自然のものは絶対に嘘をつきません。人間が嘘をつくのは、それだけ高度の生き物だということでもあります。だから曲がりくねったでこぼこの道を歩んでいくのです。先日北朝鮮の金正男氏が暗殺されたというニュースがありましたが、報道されていることはどこまでが真実でしょうか。世界は嘘でできています。そこから真実を観抜く力を持つ。それには、自分の心を磨かなければ観えません。

でこぼこ道の奥に、この世界を存在させている大いなる意志があります。こんなにひどい世界を創って、いったいその意志は何をしようとしているのでしょうか。僕は不満に思い、それを神様に問いかけたことがあります。するとこんな答えが返ってきました。

「この世界を私の実体とみて、不満を言うならば、
その意志を見分けられるおまえになれ。」

おまえが不満を持って疑っている限り、真実は観えないだろう。周りがどうであろうとも、正直でありなさい。常に正しくものを観ることを心掛けなさい ──── そう伝えられました。

03

自分がもやもやとした雲を創っていては、見えてくるものももやもやでしかありません。そしてもやもやの人ほど、それを絶対だと思っています。そして何か新しいものに出会うと「これが真実だ」と飛びつき、また別の何かに出会えば「これこそ真実だ」というように、ころころ変わっていくのです。
それが人生だとも言えます。ですから、もやもやの中にいてもいいのですよ。それがもやもやだとわかっていればいいのです。しかし、もやもやだとわかっていない人は、そのもやもやにごまかされていきます。

04

正確に言うと、循環する前に振動し、自転し、公転し、歳差運動をして、そして循環しています。その身近にある代表例が地球です。そしてそれと相似形をなしているのが、我々の体です。細胞です。原子です。素粒子です。
カタカムナでは、素粒子よりさらに小さな存在である宇宙最極小微粒子を「カ」と呼びます。素粒子は観測できますが、カは観測することはできません。それはこの世界のすべての現象が発生する前の素材です。ですから、「ない」のです。「ない」ところに「ある」微粒子 ――― それが「カ」です。

めぐちゃん:
それはダークマターのことですか?

いさどん:
「カ」は、アマハヤミと言って、光の速さの10の64乗倍の速さで宇宙空間を飛び回り、そしてある時、現象を創りたいという想いが宇宙に湧いたとしますね。そうすると、その縁を元に「カ」はヒフミヨイと数理の道順に従い、「密かに」「震え出して二つになり」「満つって」「横に広がり」というプロセスを踏んで、「位置」が決まり、そこに「マ」という空間ができ、「ワ」という球体になります。「ワ」(=球体)ができるとは、その中に空間ができるということですが、ここには実は何もないのです。

宇宙はすべて、その空間のへりにできます。我々の銀河もそこにあります。するとこの空間は、とてつもなく広い、何もない世界です。それをダークマターと名付けてもいいですが、それが何であるのかは解明できていません。ホワイトホールやブラックホールという捉え方もありますが、それもまだ不確かなものであり、今わかっているのはここまで、としておいた方がいいでしょう。

ブラックホールがすべてを吸い込むとしたら、その行き先はどこなのか。ホワイトホールから噴き出してくるとしたら、それはどこから噴き出すのか。それをどう認識するのかと言ったら、我々が認識できない世界があるということです。それが、現象界、即ち「ある世界」の源である、潜象界、即ち「ない世界」です。

「ない」のですから、私たちには認識できません。ところが、その「ない世界」を理解しないと、この「ある世界」のことを本当に理解することはできないのです。ダークマターというのは認識しているということですが、本来はそれをダークマターとも言えません。認識できない世界にあるということです。

05

世界には様々なことが起きています。戦争があり、災害があり、病気があり、貧困があり、経済の破たんもあれば、トランプさんが出てきて何をするかわからないという状況もあります。これは、悪いことでしょうか?それを体験して「痛い」と思えば、嫌だと思うかもしれません。しかし、それを体験するということは、この世界の表現の可能性を知るということです。

この世界はすべて、陰と陽の対向発生によって成り立っています。そうすると、この世界を理解するためには、陰と陽の関係から離れて全体を観る必要があるのです。もしくは、こちら側にいるものは、向こう側に行き、こちら側を見ることによって初めて自らを知ることになるのです。
現代物理学は、現象世界を解析してきました。しかしどんなにこの現象世界だけを解析したとしても、現象世界が陰陽のどちらか一方であるとするならば、必ずそれを成立させるもう一方の存在があるはずであり、そこを理解した目でこちらの世界を観ることにより、初めてこの世界の構造がわかるのです。
人類が物理的にこの世界を理解するためには、今いる現象世界と対であるもう一方の世界へ行ってこちら側を見るか、もっと確かな情報を得るには、両方の世界を離れて全体を観ることです。ではそうするためには何に乗っていけばいいのでしょうか。今確認できている宇宙のスケールは数百億光年とも言われていますから、光の速さの乗り物に乗ったとしても宇宙から離れるには数百億年かかるということです。そんなことは物理的に不可能でしょう?ですから、現代物理学でこの世界をひも解くには限界があるのです。

そこで僕は、カタカムナが現代に復活したのだと思いました。その昔、カタカムナ人は、この「ある世界(現象界)」の奥に、それを成立させている「ない世界(潜象界)」があるということを、13000年前に理解していました。そして「ない世界」の働きが「ある世界」を表しているということを知っていました。この捉え方が現代物理学に反映されれば、物理はさらに発展することでしょう。そこから先は、人間の思考が大脳思考ではなく松果体思考、つまり直観思考になると、動き出します。
ところが今の多くの科学者はそういったことを認めませんから、そのままでは行き詰りますね。特に西洋科学を絶対視する人たちはそうです。脳の構造を変えなければこの先はありません。物理学とは何の関係もないこのような場所でそんなことが語られているのも、面白いですね。
物理学を始めとする近代科学は現代社会の発展に寄与しましたが、では人間の日常生活にどれだけの豊かさをもたらしたのかというと、今ではむしろ害をもたらしています。これは近代科学を否定しているのではなく、一方に偏ったものに、もう一方にあるものを合わせていくと、次の世界のステージが観えてくるということです。この世界を運営している存在は、一体全体何のためにこの世界を創ったのか、そしてそれを受けて人間はどうしたらよいのかということが、今ようやく語られ始めたということです。

06

これは月の満ち欠けです。それが地球の海の満ち引きをつくり、生命が発生しました。生命の起源は光だと言いますが、光だけでは駄目なのです。つまり、光(陽)に対して闇の働き(陰)が必要です。ちょうど良い距離に太陽があり、ちょうど良い距離に月が生まれ、双方の働きが陰陽となって地球に生命が誕生しました。

陰は女性性を現します。女性の生理は生きることの基本であり、それは月と連動しています。男性の生理は精子の生産ですが、これは毎日行われています。それは太陽のリズムです。肉体的には男性が陽であり、女性が陰です。それを善悪や損得のような二元論で捉えると、男は陽だから表にいて、女は陰だから陰にいて従う存在だというような封建的な捉え方にもなります。近年、世界中がそうでしたね。
しかし、それは違うのですよ。本当は、この「ある世界」と「ない世界」の関係も、すべては陰が元になっているのです。生命もすべて女性から始まっています。ですから、「霊主体従」という言葉が表すように、陰が主であり、陽が従なのです。
長い間、権力やお金、物理的な優秀さなど、そういった陽的なものが主となり、心を従とする時代が続いてきました。今、時代はその切り替え時を迎えています。文明的にも、これまで世界をリードしてきた、物事を細分化して科学的に捉える西洋型文明から、世界を統合的に捉えその奥を観る東洋型文明に切り替わる時が来ています。例えば病気になれば、西洋文明ではその症状を物理的に治すことに専念しますが、東洋文明ではその病気の要因となる奥の気や心を観るのです。

あるものが現れて栄えていくと、それは月の満ち欠けと同じように必ず頂点を迎え、やがて欠けていきます。その時に、それと対向発生し、潜んで奥で支えていたもう一方の存在が、入れ替わりに現れてくるのです。

それでは、カタカムナの世界を具体的に観てきましょう。

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いさどん:
この図は、この世界の仕組みを二元に落とし込んで表現したものです。とてもわかりやすいですが、実際はこの世界は二元ではありません。

みかこ:
この図では左側が潜象界で右側が現象界というように分かれていますが、実際はこんな風に単純に区切られているわけではなく、潜象界はこの世界に重なってあるものです。

いさどん:
僕はある時、この現象世界の空間にふっと切れ目が入って、そこからふわーっと何かが出てくるのを感じました。何とは言えませんが、何かが来る。そして、それが「カ」なのだと思いました。これが供給されることによってこの世界が創られ続けているのだということを感じたのです。
なぜそれが観えるようになったのかというと、この世界の物理性を理解してきたからです。「カ」は宇宙最小の微粒子であり、すべての現象の元となるものです。そういった仕組みを人間は、宇宙の発生、維持、破壊、消滅までの仕組みを理解すると、意識的にその原動力である「カ」を潜象界から引き出すことができるようになります。人工によって汚染されていない純粋なエネルギーを引き出すことで、この世界に「イヤシロチ」(汚れのない生命力にあふれた場)を創り出し、美しくしていくことができる。そこまでの域に人間は達することができるのだと気付いたのです。
逆に、この仕組みを理解していないと人工の世界の中だけでぐるぐると意識を回し、人工的な歪みを増幅させてどんどんこの世界を汚していく(ケガレチ)ことになります。潜象界はこの世界のあらゆるところに重なって存在していますから、人間がその意識になれば、どこからでも「カ」は供給されるのです。例えば畑に行って「人間の欲で汚れているな」と感じたら、欲のない美しい心で作物に語りかけます。するとその空間から新しい純粋なエネルギーが作物や土に供給されて、美しく濁りのない作物が育つのです。

この図を見てください。私たちが通常認識している世界は、現象界=カタの世界です。「カ」は宇宙最極小微粒子であり、それが「タ」即ち分離独立したものが「カタ」であり、それが持続する(=チ)と「カタチ」となります。カタの世界は「見える世界」です。
その奥に、「見えない世界」があります。例えば心は見えませんね。見えませんが、カタチである顔の表情を見ていると、その奥にある心が観えてくるでしょう。ところが人間はそれを隠しますね。カタチで隠すのです。その隠れて見えないものが、この図にある「思い」「幽」「心」「言霊」といったものです。この見えないものが見えるものと重なり合って、人間が形成されます。人間だけでなく、あらゆるものがその仕組みで成り立っています。そしてすべての存在は、固有のサイクルを持っており、人間なら80年、ネズミなら数ヵ月、星なら数百億年というように、それぞれのサイクルがあって生命が維持されています。それがカタの世界です。宗教で言う霊とは、一般的にこのカタの世界の中の「見えない世界」の存在を言います。そして「見える世界」と「見えない世界」を、因果がぐるぐると回っているのです。

この現象界に対し、対向発生をしている潜象界の存在をひも解いているのがカタカムナ宇宙物理学です。その潜象界には何があるのかというと、すべての音のふるさとの響きです。響きはすべての源です。宇宙空間も実は響きなのです。
潜象界では、48の音は単独で存在しています。それが現象界へやってくると、縁が発生して他の音とつながり、意味を成すようになります。潜象界では「ア」と「イ」というように単独で存在していたものが、現象界へやってくると、それが縁により結ばれ「アイ」になるのです。
潜象界は、濁りや歪みのない世界です。それは極めて美しい状態です。ですからそれを理解するためには自らを無垢の状態にしなければなりません。先入観があっては、それをわかることはできないのです。

潜象界から現象界へ生まれ出てくると、様々な形状を持つようになります。それが自然の命の多様性です。そしてそこには「差」があります。形状の差、役割の差。そしてそれがネットワークしていくのです。
潜象界には差はありません。ネットワークもありません。それが現象界へやってくると歪みが発生して差が生まれ、ネットワークする。それが命の世界です。その歪みとは美しい歪みであり、そこでは一つひとつの差は個性なのです。
ところがそこから人工の世界へ進むと、カルマや人間の思惑による人工の歪みが発生します。それによって今、自然が汚染されているのです。それに対して、人々がどう解決しようとしているのかと言うと「自然保護」だと言うのですが、それは違います。人間の心が汚れているから、自然も汚染されているのです。

それを美しくするには、現象界の奥にある潜象界までを含めたこの世界の構造を理解し、人間が自主的に自分自身を美しくすることです。そうすると、人工で汚染されたものは潜象界へと還り、そこからまた新しい新鮮なエネルギーが供給されるという循環が生まれ、自然は自ずと美しくなっていきます。
「自然保護」というのは傲慢な言葉です。自分たちが汚染の根源であるのに、自然を「保護」しようと言うのですから。そんなことを言う前に、自らの心を改めることです。

まずは、あなたから。あなたがきれいになると、それが世界に広がって、必ず世界は美しくなるでしょう。

 

 


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