第19日目:愛とお米があればいい

「愛とお米があればいい」は、数ある木の花語録の中でも、代表的な言葉です。木の花創立当初に、いさどんが畑で仕事をしているときに神様からいただいた言葉なのです。

人間は愛という言葉をよく使います。「愛があれば」「愛こそ全て」「愛してる」・・・無造作に使うこの愛という言葉に、どういう意味があるのか、深く考えたことはありますか?歌謡曲では「愛してる」という言葉がよく出てくるのですが、そこでいう愛は恋愛という限定された範囲の愛です。

「愛とお米があればいい」のプレゼンの中では、愛がランキング付けされています。これを見ると日頃自分が愛と言うとき、どのレベルの愛ことを言っているのかがよく分かります。それは以下の通りです。

1.自己愛   自分を存在させようとする力。生命(植物、動物、人間)、物、全てが「存在」することが自己愛。カタカムナで言う「生命カン」は、生存するために害になるものを直観で見分ける能力であり、現代人はこの能力が衰えている。

自己愛にはもう一つ人間特有の自己愛があります。それが「恋愛」。「なんで、恋愛が自己愛なの?相手がいてその人を愛しているのに」と思う人もいるでしょう。「恋は異なものあばたもえくぼ」といって、恋愛は人を盲目にし、ぼけさせます。そして、その人への執着や所有の心が発生します。「愛されたい」「支配したい」これは自我が絡む愛で、条件付きの愛なのです。

植物の自己愛

動物の自己愛

動物の自己愛2

2.身内の愛  DNAを共有しているものへの愛。親が子供を思う心、自らの命を犠牲にしても子の命を守ろうとする愛なので、神の愛に近付く。一方で、「わたしの○○」という執着の心を引き出します。

3.菩薩の愛  他者のために自分が存在し他者の喜びを自らの喜びとする。自分を愛するがごとく他者を愛する。木の花ファミリーは昨年より「菩薩の里」として仕切り直しました。こういう心のものが集っている場所を目指しています。

聖者

4.無条件の愛  宇宙全体を生命として存在させる愛のエネルギーであり、自己愛が束になったものなので、大いなる自己愛とよぶことが出来る。そこに執着や囚われの感情はない。ただ循環して、巡り巡って変化し続けるもの。

このランキングに照らすと、自分の日頃の意識がどこにいるのかが分かるようになっています。皆さんの心はどこにいましたか?誰もが一つの愛の場所にだけいるのではなく、いくつかの愛が折り重なって今の自分を作っています。生きて行くのに、心に必要なものそれが「愛」なのです。

次に「お米」についての話しがありました。

おにぎり

お米は、主食と呼ばれ、作るのに手がかからず、面積あたりの収穫量が最も高いので効率よく栽培することが出来、穀物の中でも最も栄養バランスがとれている食べ物です。生きて行くのに最低限必要な食べ物なのです。

米

人は、甘い物や、たくさんのおかずに目を奪われます。そういう物ばかりを食べ続けると体は栄養のバランスが偏り、病気になります。人生においても、同じ事が言えます。たくさんの刺激に心を奪われて脇道にそれていくとき、人生は目的を見失い遠回りになっていくのです。人間は選択肢が多いことが豊かさだと勘違いしますが、それが迷いの原因となり、問題を大きくしていることがよくあるのです。

人生は心磨きの道場。人間以外の生命は人間に従うという仕組みになっています。
(依正不二)道理を外しながら学ぶのが人間。その人間が心を磨き、この世界の実相を知って、生命ネットワークの中で人間としての役割を果たしていくことで、この世界が健全に運営されます。

人間が心を磨きながら生きて行くのに最低限必要なもの、それが、体には食べ物(お米、水、塩)、そして心には愛なのです。いつでも主になる最も大切な道を意識して歩いていれば、脇道にそれてもそれすらも人生の肥やしにしながら道を踏み外すことなく歩いて行けるのです。

心磨きに必要なもの

シンプルな生き方

大切な事はシンプルなのですね。ほっこりと心が温かくなるようでした。

歌の歌詞


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