よしこちゃん - 2017年

あの1か月をひと言で表現するとすれば、「地上にいながらにして壮大な宇宙を旅してきた」という感覚に尽きます。

人はちっぽけな存在ではありますが、「想像力」という素晴らしい力を与えられ、物理的には決して辿り着くことのできない遠い星々も、目に見えない次元の異なる果てしない世界も、自らの意識を広げることによって、その身の内に認識することができます。

真学校では、1か月間の講座を通して有形無形の膨大な情報群を受け取ると同時に、実際にコミュニティの中で過ごすことで、それらの情報が日々の生活に落とされた姿を凝縮された形で体験する毎日を送ります。宇宙のしくみから始まり、衣食住、芸術、医療、経済、性、生命観etc…様々な切り口からの講座を通し、「生きること」に関わる多様な要素を、高い精神性から、ひとつの観点を軸にして紐解いてゆくのです。

ひとつの観点 ──── それは、この世界が宇宙の法則によって司られていること、そして天体の運行…星辰日月の寸分違わぬ精確な動きによって、個々の人生のみならず、時代が創られてゆくことにあります。地球生命のこれまでの歩みを振り返ると、そこには鮮やかな法則性が観られます。その法則を知ることによって、私たち人類は現在の自らの立ち位置を知ることができ、これから先の流れを予見する(予言ではありません!笑)ことも可能となります。宇宙的視点での現代の把握 ──── とでも申しましょうか。

狭い視点で生きていると目先のことにしか思いが至らず、どうやって稼ぐか…とか、どんないい暮らしをするか…とか、どう楽しもうか…ばかりが頭を巡ります。また、日々の人間関係やら仕事のストレスで気持ちが乱高下し、心も体も病に陥りがちとなります。その姿は、「生きることの意味」や「どう生きたら心穏やかに、充実した気持ちで日々を送れるのか」といった、真に心を豊かにする精神性が見いだせないがゆえに、ごまかしの浅瀬で溺れているようにも感じられます。

「精神性」というと、何やら宗教臭さを感じさせるかもしれませんが、人はそもそも精神(心)的な生きもので、そこが他の動物たちと大きく異なるところなのは理解に難くありません。しかも、それは大宇宙を把握できるほどの精神(心)性です。それが満たされるには、何かしら「真理 ― この世界の本質 ―」に触れる必要があるのではないかと考えます。体に食物という栄養が必要なように、心にも「真理」という栄養が必要ということです。もちろん「真理」は形無きものですから、知識として得る種類のものではなく、感知・感得するものでしょうが。

「真・善・美」という言葉がありますが、この3つは別々のものではなく、同一のものを3方向(=多方面)から見たときの異なる表現と考えます。これらのものに出逢ったとき、人の心は震えます。つまり感動するのです。心は知性とは異なり、意識でコントロールすることはできませんから、嘘をつけません。心が弾む・うれしくなる(=YES)、心が動かない・落ち込む(=NO)のです。真理と善なるものと美しいものはこころを喜びで満たし、豊かさを与えてくれます。そしてそれが心の栄養となるのです。

この殺伐とした現代には一層「真・善・美」が求められるように思いますが、刹那的にそれに触れることはあっても、日常生活の中にそれを認めることは難しいですね。ニュースでは毎日、世界中の悲惨な出来事や争いごとが伝えられ、自分の周辺も多かれ少なかれ、その縮図が見いだせます。

でも、一歩そこから出て宇宙的な視点から眺めると、そうした事どもが大きな流れの中では一瞬の出来事に過ぎず、その流れには何の影響も与えられないことが感じられます。すると、自分の人生に捕らわれて汲々していることが可笑しくなってしまうから不思議です。

真学校という場は、そうした視野の拡大を促し、宇宙的視点から「人とは、人生とはいかなるものか」ということを考える機会を与えてくれました。そしてそこには常に深遠なるものに真摯に向き合う姿勢が満ちていて、精神的存在としての自分を素直に生きることができた稀有な日々だったように思います。

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1か月をかけて旅したのは大宇宙であると同時に、人の内なる小宇宙でもありました。心の旅はどこまでも遠く、どこまでも深く行くことができます。そして日々の生活の中でそれを続けてゆくことも可能だと気がつきました。その生き方は私に真の喜びを与えてくれることでしょう。

最後にこの旅を実現させてくれた巡り合わせとこの機会を共有した仲間たち、支えてくださった木の花ファミリーの皆様に心からの感謝を捧げ、この小文をしめくくりたいと思います。

ありがとうございました!

 

1ヶ月間で大きく変化したよしこちゃんの、新しい旅が始まります
1ヶ月間で大きく変化したよしこちゃんの、新しい旅が始まります