真学校は皆さんが欲しい情報を提供する場ではない

私たちが何かを学ぶ時、まずは「こういうことを知りたい」という自分の希望があり、その希望通りのことを学べると満足します。そのような傾向を現代の多くの人々が持つ中、ジイジはこんな話をしました。


おはようございます。ここに立つといつも、昨日から今日へ、私の意志とは関係なくここに来てしまったと思います。止められないのです。生きているということは、死に向かっていくことを止められません。この世界にいるということは、常に変化します。そしてその変化とは、ただ単に変化する方向性のないものではなく、経験を積み重ね、それを元に変化していくのですから、進化していくとも言えます。
私は、どこかでこの変化し続ける状態を、変わらずに留めておきたいという心があります。ですが、動くのです。昨日から今日、今日から明日へと、止まることはありません。それを「留めておきたい」と思うのは、自我があるからです。私たちは自我という自分自身を持っているために、「このまま留めておきたい」と思ったり、様々な出来事に出会うことで心が波打つのです。

いつのことでしょうか。最近、時々面白い景色が観えてきます。それは極めて・・・言葉では表現できません。皆さん、お母さんの子宮の中にいた時のことを思うことはありませんか?子宮の中に浮いているでしょう?そこには上下はないですね。その状態を思い浮かべた時に、心がどんな感覚になるかを聞きたいです。昔でも未来でもいいですが、お母さんの子宮の中にいる自分を想像することはありませんか?

えいちゃん:
安心できて、心地良い。自分のしたいことをするけれども、自分がその中で収まっている。その安心というのを認識しているかわからないけれど、守られている感じ。

ジイジ:
他にはいますか?

ペイペイ:
私は逆です。紐に引っ張られていて不自由な感じ。想像ですが、その紐がずっと自分の周りにあって、どこかに引っ張っていこうとする。暗い中でどこに行くかわからない状態は、不安定ではないかと。

カラ:
子宮の中は、色はちょっと暗い赤色。周りは水で、安心感があり、浮いている。心はきれいな状態。今も実際にプールで泳ぐ時にそういう感覚があります。どこからも支えられていて、何も考えなくても大丈夫。

ジイジ:
何も考えなくても大丈夫という感覚を言葉で表現すると、どのように表せますか?

カラ:
考えなくても全部わかっているから、世界と一体であるという感じ。

ジイジ:
私のイメージは、極めてリラックスした状態です。全てを明け渡して何も心配がない。ゆだねている。そういう中に、自分が浮いている。
今皆さんにお話ししたいことは、私たち人間が、「私」という自我を成立させ、肉体の中に入り、人生を歩み出しましたね。それは人生のスタートですが、人生は1回だけではありません。何度も生まれ、生き、死を迎えて肉体から離れ、しばらくするとまた肉体を持って生まれるということを繰り返しています。輪廻しているのです。カタカムナ的に言えばそれを7回繰り返し、魂の質的転換をして、あるところへ向かっています。僕は、その最終到達地点をイメージしていました。どういうところへ向かったら、私たちはその旅の終わりを迎えられるのか。そういう話をしたかったのです。

このプログラムは、皆さんが欲しい情報を提供する場所ではありません。同時に、皆さんが求めているプログラムでもあります。それは矛盾しますね。ですが、皆さんがすでにわかっていて求めていることを提供しても、仕方がないでしょう?
皆さん、わかっていることを提供されて、それは何のためになるのですか。今まで見たことのない視点や、考えたこともないような捉え方に出会い、人は初めて新しいところへ行くのです。
今朝ここに立った時、昨日もここに立ち、今日もここに立ったということは一日が経ったということですが、そのことに対して抵抗する自分がいるという話をしました。それは私に自我があるからです。昨日から今日、今日から明日へと向かう時に、自分の思うように進みたいと思う自我があるからです。ですが、残念ながらその自我は、毎日毎日、瞬間瞬間、一生無視され続けます。ですから私は、昨日から今日へと、自分の意志とは違う状況にいつも追いやられていることに抵抗しながら、その自分の意志が無視され続けていることが一体何であるのか、そこから何を提供されているのかを、考えるのです。
自分が無視され、一方的にそういった状況に追い込まれていると思えば、不愉快にもなります。それは、自分の考える通りにやりたいという心があるからです。しかしその自我を無視され続けることが、生きるということです。ということは、生きるということは、何かの罰でも受けているのでしょうか?

私は今、皆さんがこれまでの自らの魂の歴史の中で、おそらく考えたこともないような話をしています。それは、今まで皆さんの興味が届かなかったところの話です。そこに興味がなければ、そんな話は聞かなくてもいいでしょうか。自らの求める情報の中だけで存在すればいいでしょうか。そのような精神状態で、私たちはこの世界を生きていくのでしょうか。

この世界は、確かに私たちを包んでいます。あなたの器であるこの世界は、あなたの思うようにはならない世界です。では、なぜ皆さんはそんな場所に存在しているのでしょう。どうしてそんな所に生まれてきたのでしょう。その場は、心地いいですか?
もしも今、皆さんがこれまでに使ったことのない脳を使っているとしたら、それは新しい自分に出会うチャンスです。

今、私が語ろうとしていることは、円ではなく球です。ただ、それを話すには順序があります。つまり、いきなり球を描くことはできませんから、まずは球の端から話し始めていきます。(両腕で大きく輪を描きながら)このように輪を作って、(少し角度を変えてまた輪を描きながら)それをまたこう作って、(さらに少しずつ角度を変えながら)こう作ってこう作ってこう作って・・・と輪を描いていくと、いつの間にか全体が球になり、その中に私が入っています。その状態は、皆さん一人ひとりも同じ状態です。でも、今私が何を言っているのか、わからないですよね。そしてこの話の先にどこへ向かおうとしているのかも、わからないですよね。
そこで先ほど少しお話ししましたが、私はあることを皆さんに伝えたいのです。それは、皆さんがこの場所に来たことの目的です。私たちは赤ちゃんとして生まれ、人生を生き、死を迎えて一回の人生を終わります。その間、あなたは一度も自分の思う通りに生きてはいません。今だって、瞬間も、自分の思う通りには生きてはいません。それなのに私たちは、自分の思い通りにしようとする自我を持ち続け、生きているのです。

私は今、何を言おうとしているのか。私たちは、自我を膨らませるために生きているのではない、ということです。そして、何かを得るために生きています。でもそうだとしたら、一体何を言っているの、という話でしょう?それは、私が今語っていることが、皆さんにはわからないからです。皆さんがわからない状態だということは、私が今語っていることは、皆さんの新しい世界を開くものなのか、それともまったく無意味なことを言っているのかの、どちらかだということです。

もしも私の言っていることが無意味だとしたら、皆さんは何のためにエネルギーを使い、1ヶ月間を過ごすためにここへ来たのか。かわいそうな話です。しかし私は今、それだけのエネルギーをかけてここへ来た皆さんにふさわしいものを提供しようと思い、この話をしています。それは私からしたら、表現のできないようなプレゼントです。しかしそれに興味がなければ、この1ヶ月間の旅は非常にもったいない旅になります。興味がないということは、あなたは自分の知っている景色だけを求めている人だということです。
昨日から今日へ向かってここまで来るのに、昨日の時点で今日の景色が想像できましたか?もしも明日はこうなるんだと決めつけていたら、それは自我です。未来など、何も保証されていません。それが生きるということです。しかし人間は、明日も同じ日が来ると思い、それを自らの自我の中に組み込みます。けれども組み込んだところで、では逆に明日が来るのを止めることができるかというと、私たちは止められないのです。

明日が来るということは新しい自分に出会うことであり、そして今の自分が強制的に明日に連れていかれる、つまり、自分を無視されたということでもあるのです。今日から明日、明日からその先へという動きがあるでしょう?それは時の動きです。時というものが動き、その時が、私たちの入れものとなる器をつくっています。私たちが渦を巻き、時という器の中を旅しているということは、そこに空間が発生し、その空間の中で時空の旅をしているということです。
そしてその時空という旅の場所を、宇宙と言います。宇宙はどこにあるのかというと、ここです。皆さんが中国に帰れば中国、台湾なら台湾、日本にいれば日本の場所というように、この世界のことです。そして昨日から今日、今日から明日へと、私たちは旅をしているのです。台湾や中国から飛行機に乗って日本に来て、予定を立ててスケジュールを消化しますね。それを旅行と言います。それと同じように、皆さんが毎日の普通の生活を今日から明日へと進んでいくことも、旅です。それがここにあるのです。
私たちはお母さんから分かれ、生まれました。そして、人生という旅をします。そして死にます。今は、今回の旅の途上であるだけです。今が今回の旅の途上のある地点だとして、未来には死にます。本当はその死の先があり、死の地点からふっとワープして生まれる地点へ来て、また人生という旅を始めます。そしてまた死の地点へ来たらふっとワープし生まれる地点へ行って、旅をします。それを、カタカムナ的に言えば7回繰り返し質的転換をすると、新しい景色が見えます。

この人は、何を考えてそのことを皆さんに伝えているのでしょう。今話している話では、皆さんは理解はできていません。何か大切なことを言っているなと感じている人もいれば、何だかわからないと思っている人もいれば、興味ないと思っている人もいるかもしれません。ですが、なぜこんなことを時間をかけてやっているのかというと、そもそもこのプログラムに参加したということは、皆さんが考えたこともないことを提供するためにこのプログラムはあるのであり、それが目的で皆さんはここに来ているはずなのです。そうでしょう?学校の勉強でも、人生の体験でも、わかっていることを学習していますか?もしもわかっていることを体験しようとするなら、それは無意味なことです。わからないことを体験し、そしてそれが何であるかを観るからこそ、あなたは体験する意味があり、学習する意味があり、新しい自分と出会えるのです。

人間は自分の予定を立て、目的のところへ行って予定通りのことをこなし、それで成功だと思っています。その考え方自体が、生きているということと違うということがわかったら、この1ヶ月間、時間をかけて、皆さんがエネルギーを使ったことは有効です。