真学校に参加する直前、あまり面識もない方とたまたまお話しすることになり、そこでなぜかアドバイスをいただいた。
「先入観を持たないこと。相手の話に耳を傾けること、そして素直に自分のことを話すこと。もっと言えば、言葉に頼ろうとしなくてもいいのよ。寄り添うことができればね。」
話を聞きながら、驚いてしまった。真学校参加、という未知なる挑戦を前にして、落ち着かない気持ちでいた私に、なぜ、こんなにぴったりなアドバイスをくださるのだろう!と。今振り返っても、そのアドバイスをくださった方は、真学校のことも、ましてや木の花ファミリーのことも、よく知らなかったのではと思う。でも、私から何かを感じ、そのような話をしてくれたのだった。
真学校に参加できたのも、流れだったと思う。そのタイミングで、わたしの心の中には、「ここから先の人生、真学校を受講せずして決めることはできない」という思いだけがあった。仕事を辞め、いくつかの可能性を模索しながらも11ヶ月あまりが過ぎていた。そろそろ流れを変える潮時だと思っていた。
いざ、真学校が始まってみると、その1ヶ月間は想像を絶するほどの、深い学びと喜びに満ちた毎日だった。その学びは、受講生10人いれば十色、100人いれば百色の生きた学びだったと思う。体験記と言っても、何から書けばいいのか分からないほど、多層的で多面的な日々だったから、真学校の間、毎日綴った日記を基に、ここに記したいと思う。
1日目。
「・・・こどもの頃出会った美しい星空が、これまでの私の進路を決めてきました。宇宙のことをもっと知りたくて大学の専攻を決めたものの、結局、その頃から長い時間をかけて気づいてきたのは、学術的なことを極めることを望んでいたのではなく、もっと個人的に、内面的に、宇宙と対話したり、ただ感じていたいと望んでいたことでした。
思えば、遠回りも近道もなく、今、ここにいる・・・
そのことを、心が望み、求めていたのだから、今真学校に参加しているのだと思います。
そう思うと、感謝に行き着きます。今回の真学校で、出会い発見し、そしてどんな自分と、どんな “その後” の仲間たちが待っているのか、楽しみです。」
初日の日記を読み返すと、なにかと慣れないこと尽くしで、戸惑いも感じながらも、難しく考えずやってみよう!という気持ちが綴られている。
2日目。
「・・・午後の講座から、本格的に、わたしの中のスイッチが入ったような気がした(集中力と意欲が自然と増した)。プレゼンの講師、いさどんの言葉に呼応するかのように、時折キーワードが湧いてくるので、それを発言させていただいた。ただ情報を一方的に受取ることにとどまらず、コトバのフィードバックによって、より講座自体が豊かなものになっていくことを、みなと共有できるように感じた。他のひとの質問も新鮮な発見に繋がるし、そのような新鮮な気持ちを、この1ヶ月を通じて大切にしていきたいと思う。」
3日目には、ファシリテーションを学ぶ講座があった。
「・・・これまでの私の人生に欠けていたのは、”ファシリテーション”だったのではないか?と思った。”場作り”について取り組んでいくことが、どれほど大切なことかを感じた。ファシリテーションとは、ひとつの場を共有していることを認識しながら、その構成に関わるひとりひとりが当たり前のように刺激(情報)を交換し、お互いのポテンシャルを引き出し合って、ひとつの解を導き出す。そのように理解した。
ファシリテーションが成立するための基本条件は、”互いを共有している”というゆるがぬ意識ではないかと思う。そのことについて考えるきっかけが、ここ『木の花ファミリー』なのだ。」
真学校10日目にもなると、それぞれの講座の内容も、ぐんと深まりが増す。午前の講座は、人格を学ぶ;地球暦であった。
「・・・昼休み、よしこちゃんやけいごくんと話しながら、「縁」について、以前にも増して腑に落ちた気がする。
この世界に”現象化”したゆえに、なににつけても「相性」があるのだろうけど、相性は流動的なものに過ぎない。一方で、「縁」は大変に強固で、人智の及ばないところからこちらに対し、波及してくる・・・。」
12日目。
「真学校は、世界はこんなにも広く、豊かで、慈悲深いことを学び、
ちっぽけな自分を学び、それをつなげる手がかりを学ぶ場。
その場に自分が居合わせていることの意味を、
これからの人生をかけて知っていくのかな・・・と思います。
日々の何気ない会話にも、至る所にも、ヒントが散りばめられているのですね。
今日も一日、ありがとうございました。
長い旅は続く・・・。」
13日目には、夕食の後にファミリー皆で祝うお誕生日会があった。
「100人近い人が一堂に会してのお誕生日のお祝いなんて、経験したこともないから、数日前から楽しみにしていたことでもあった。いざ、会が始まってみると・・・
やはり、これまで味わったことのない気持ち!
経験したことのない感情なのだから、それ以上は言えない。「コミュニティ」を思考する回路が、あの、みなが創り出す場のエネルギーに刺激され、スイッチ・オンされたとも言えるのか。
日常では、各自の持ち場でそれぞれ個の生命の渦を起こしながら、世のため、人のためにはたらいている人たちが、ひとたび集まり、心ひとつに盛り上がる。このとき、”コミュニティ”としての、パワフルな渦が巻き起こる。
思えば、今日学んだ微生物界の酵母のように、アマの渦が極限を超え、対向発生しながらも惹かれ合うことを繰り返す・・・潜象界から生まれたばかりの、神聖で瑞々しい命が表現される場、それがコミュニティなのかもしれない。」
この日を境に、わたしの中で、なにかが変わったように思う。
1ヶ月間の真学校の折り返し地点を通過しての15日目。
「午前の講座は ”天然循環法 食” だった。命の繋がり、連携、そして社会性という視点から、「食」を見つめる講座だった。ここでも、話は微生物の物語から始まる。土を介在した命の循環が、いかに豊かなものか。・・・ところが、どうだろう?現代社会では。まるでエゴが沸騰状態である。人間の高い能力が、食の現場においても乱用されている。末法の世ではないか。根の如く、枝葉は茂る。心の如く、現象があらわれる。
美しい自然、太陽の香りがする純粋な食べもの、安らぎや歓び・・・私は幸運にも、それらを求める心を自らの内に見出すことが出来た。こどもの頃私の心を捉えた美しい星空。そして、心を病み、苦しみを味わったからこそ、すがるような思いで癒やしを求め、出会ってきた健全な食、知識、生産者の人々。
コバルトブルーのあたたかな海も、深い森も、動物も人間も、すべてはひとつ。この感覚は、様々な出会いや気づきを通して、いつの間にか芽生え、定着した。
私の歩みは、次の展開を迎えようとしている。今は、この真学校に出会うべきして出会っていると、はっきり感じている。
この日々は未知との遭遇。毎朝、今日はどんなことが待ち受けているのでしょうと、新鮮な気持ちでスタート。それもこれもおかげさま。今日も一日ありがとうございました。」
真学校の期間中、ここに来る前にいただいたアドバイスを忘れることはなかった。自分をわきまえ、目の前の学びに集中することに全力を注ぐことができたのも、すべて、”おかげさま”だった。その中で、カタカムナを生きるコミュニティとしての木の花ファミリーとの出会いが、一日一日、深まっていった。
19日目。講座もいよいよクライマックスに差しかかる。
「・・・性と宇宙I。講師のいさどんからは、これまでにない慎重さと、わたしたちひとりひとりに寄り添いながら話を進めていこうという、最大級の心配りが感じられた。
やはり「場」とは「波動」であり、いさどんの”黄金の波動(笑)”にわたしの波長が合ってくると、いさどんの解説に対して反応よくいられるわたしとなることができた。こんなに形や体裁に捕らわれない講座なんてないと思う。世にも稀なる尊い講座。そう言っても、決して大げさではないだろう。」
現代において、とても扱いが難しい内容だったと思う。しかしながら、その講座を受けたのちに、心にわだかまるものは全くなかった。カタカムナとの出会いや学びが日々深められることに、感謝も深まるばかりだった。
その日の午後はフリープログラムで、私たちはパン作りをさせていただいた。
「・・・100人分のパンを焼く。それも、その日の食卓でみんなで食べる為のパンを焼く、、、思えばやはり、尊い経験だった。
皆で分かち合えば、そこに愛と感謝が介在していれば、すべてが尊くなる。
“どこを切っても金太郎飴”とはそのようなものなのだろう。それにしても、のりちゃんありがとう!なおちゃんありがとう!」
24日目。真学校も終盤を迎える。麦畑にぼかしを播く実習があった。いざ作業を始めると、ぎこちない動きしかできない。しかし、自分のペースに合せながら作業を続けていくと、自分のぎこちなさしか見えなかった視野が、徐々に広がっていく。
「・・・出発点は “点” であっても、点はいつしか、天につながる。
ワンステップ、ワンステップ、呼吸を自然に合わせることから始め、次第に天然に添わせていく。
視点とは視る点。視るは見る。見るは観る。観ることを、観じるとも言う。
また、観じるは感じる、でもある。
つまり、わたしという一人は、この地球という大きなひとつの生命体にとっての、センサーでもある。センサーとして、何を感知しているのか?
究極的には、潜象界の48音の響きであり、この現象界にあっては「愛」だ。・・・」
日々の真学校のプログラムや、生活を共にしながらのファミリーメンバーから、感化されるものが多々あった。真学校に参加する以前の生活と比べると、すごすぎる毎日だった。その中で気づいたことは、淡々と心を磨いていくことが、ダイナミックな現象化と対向発生の関係にある、ということだった。それが世界のからくりだとすれば、なんて面白いのだろう。
第26日目、最後の日記のページには、ただ「ありがとうございます」ということしか書けなかった。それで十分だと思った。しかし、後から追伸を書き足した。「真学校は続きます」と。命ある限り、この地球が真学校だ。学ぶほど、面白くなっていく、、、人生!