プライバシー保護であなたは本当に守られている?~ 人格を学ぶ講座3

木の花ファミリーでは、毎晩大人メンバーが集い「大人ミーティング」を行います。そこでは、その日にあった出来事や自分の心の内を皆にシェアし、そこから感じたことを互いに伝えあいます。そして真学校受講生やゲストも、自由に参加することができます。
この大人ミーティングでファミリーメンバーの一人が自らの心の内をシェアし、皆で語り合った翌朝の講座で、ジイジは「プライバシー」について語りました


最近ラジオ体操のやり過ぎで筋肉痛のジイジです。体を活性させたり、その状態を意識するようにすると、自分自身の状態がよくわかるようになります。そうすると、怪我をしなくなります。しかし自分の体の状態を知らずにいると、注意せずに負荷をかけ続け、怪我の元となります。

木の花ファミリーでは、昨夜の大人ミーティングのように、個人的な問題ごとを全体のこととして、みんなの前でシェアします。その時に、個人に起きたことに対し、みんなから観える景色を伝えていきます。一般社会では、こういったことはプライバシーと言って、積極的に人の前では出さないものです。プライバシーが保護されるということは、ある意味その人が守られているという考え方が現代社会にはあるのです。しかし、私たちの生活ではその解釈を逆に捉えています。ここでは、個人のことをみんなのこととして、積極的に出すようにしています。同時に、出せる環境をつくっているのです。出せる環境と出す人、その両方を作るよう心掛けています。そういった場では、いつもみんなが何を考えているのかが、互いによくわかるようになります。それによって、全体に信頼関係が生まれます。

ここへ自然療法プログラムを受けに来る人は、いろいろなことで行き詰った結果、ここを訪れます。そしてここで滞在し、自らの状態を改善しようと決意しますが、その時に多くの人が心配することがあります。それは、大勢の人の中で暮らすことです。「私は大勢の中で生活するのが苦手です」「やったことがないので不安です」という人が多いのです。そこで私は、だいたいいつも決まったことを伝えています。あなたがたくさんの人と暮らしたり、たくさんの人があなたのことを見ているのが嫌だからこそ、そういったあなたの姿勢を改めるために、たくさんの人の中にこれから入るのですよ、と。それは、新しいあなたに出会うチャンスを提供するということです。

そう言われても、当然本人はその通り受け取る気持ちにはなれないものです。しかし、それまでの自分ではいけないと思っている人は、僕の提案を受け入れます。そこで、改善する意欲もなければ、僕の提案を受け入れないようなことでは、このプログラムの結果に良い答えは出ませんから、その場合は滞在をお断りする場合もあります。
滞在を始めると、ここに生活すること自体がいつもと違うリズムになりますから、まずはそれに慣れることから始めます。ですから最初は、症状の重い人は特に何もせずに、とりあえず毎日を過ごしてもらいます。少し慣れてきたら、日記を書いてもらいます。日記はだいたい決まった時間に提出してもらい、私と、サポーターがその日記を見ます。通常、日記は人に見せるものではありません。日記を人に見られるということは、一般的にはプライバシーの侵害です。心の病気をしているような人は、日記なんて書いたこともないという人が多いものです。ですから日記を書くこと自体が初めての経験であり、その日記を人に見せることで、自分の中にいつもあるけれども外には出さずにいたことを、オープンにするわけです。
オープンにすると、その人の人格的クセや、日頃出さずに内側に溜め込んでいたものが観えてきます。それに対して私がコメントを書きますが、コメントはその人のものの捉え方からは違った視点で書かれます。そうすると、日記を書いた人は、自分の考えとは違う視点をそこに見ることになります。始めの頃は、だいたいそのコメントを無視して日記は書かれていきますが、そのうちに、コメントに反応するようになります。どちらにしても、自分が本来閉じていたもの、プライバシーとして守られていたものが、だんだん外に出てきます。その外に出たものに対して、今度は私の方からの視点によってフィードバックされるのです。そうすると、それまでになかった新しい視点がその人の中に入ります。

始めに、毎日体を活性し、自分の体がどんな状態かを知っていくと、怪我をしないようになるということをお話ししました。
普通は、健康に毎日を暮らしていると、何も自分の内にあることをオープンにする必要は感じません。オープンにしないのは、プライバシーを保護されているということで、自分が守られているという認識になるのです。それで守られていると思っている人ほど、自分の考えの中でしか生きていません。それがだんだん強くなっていくと、それが自らの考えだという認識すらなくなり、自動思考になっていきます。簡単に言うと、よく考えないで、いつものように自動的に行動しているという状態になるのです。それでもそういう自分の状態を外にオープンにしないことを、守られていると思っています。
心の病気や問題ごとが起きて自然療法プログラムを受ける人は、そういった状態になることによって、症状が現れた人たちです。そしてそれは、健康な人であっても、同じことが言えるのです。ただ、健康な人は自らの問題を認識していませんから、それをやり続けられるだけなのです。

自然療法プログラムで、日記のコメントに反応をするようになった人は、その分だけ、私からの新しい提案を受け入れます。自分の考えよりもその提案の方が自らにとってより有効だということを理解したら、さらに、みんなの前でそれを発表することを提案されます。どんどんプライバシーがなくなっていきます。そのうちに、その人は自分からプライバシーを破っていくようになります。自分を守る心を、無しにしていくのです。そうすると、知らない間に、自らの考えや行動に対し、新たな考え方や行動の仕方が入ってくるようになります。それが活性するということです。そして自分のやることに対して周りから返ってくる反応やフィードバックを通して、自らの姿を知っていくようになります。つまり、客観的視点を持つようになるのです。

多くの人は、プライバシーが保護されることで自分を守っていると思っていますが、それは自分が自分の中に閉じこもっている状態です。自分の中で閉じこもっていると、そのうちにそれがパターン化し、思考もせずにただクセのままに行動しているという状態になります。健康であればそれをそのままやり続けていきますが、病気になったり引きこもってしまったりすると、そのこと自体が問題ですから、それを改善するために、こういったプライバシーのないところへ来て、最初は無理やりオープンにして、しまいには自分からオープンにするようになるのです。それが自由にできるようになると、もう病気ではありません。プログラムの卒業となるのです。
始めはなぜ自分が病気になったのかがわかりませんが、ここに滞在し、客観視点を身に付けていくうちに、自分の中に閉じこもっていた心が自分自身を病気にしたのだということがだんだんわかってきます。そこで自分の殻を破ってオープンにした時に、画期的な改善が見られ、新しい人生が始まるのです。その時に、面白い現象が起きます。その人の中に、感謝が生まれるのです。それまでそんな状態の自分に付き合ってきてくれた親や周りの人たちに感謝したり、木の花ファミリーのサポートに感謝したりするようになります。それどころか、私は病気になったからこのことに気付けた、と、病気にまで感謝するようになるのです。

病気は、知らぬ間に閉じこもっていた自分の殻を破ることを、気付かせてくれました。そのように人生を観ていくと、その人はやはり病気になるべきだったのです。そして病気になってありがたい、という段階へ行ったら、自然療法プログラムは卒業となるのです。そこで、その人の病気に対する認識がまったく変わるのです。
木の花ファミリーで暮らす人は、それがいかに大切で、自らに成長をもたらすものであるかを知っているからこそ、このようなプライバシーのないところに進んで生活しています。よくそんな所で暮らせると外の人は思うかもしれません。しかし、ここで暮らすことの大切を知っている人々は、それが喜びとなるのです。幸せや喜びに対する視点が違うということです。

宇宙は常に変化し続けます。私たちもその中に生きているのですから、常に変化、変容、変態を繰り返しています。それが宇宙の掟であり、自然の掟です。ですから、自分の中に閉じこもって活性していない状態は、宇宙の法則から外れているのです。
活性するとは、循環しているということです。循環するとは、一つ目から二つ目、二つ目から三つ目へと、自動的につながっていくことであり、そうしてすべてがつながることによって、宇宙全体が調和のもとに動いているのです。全体が動いている中に自らも存在するということは、個々のプライバシーはないということです。しかし、自らを主観で守っていると思っている人は、自らの情報を自分の中だけに抱え込み、それで守られていると思っているのです。しかしその認識は、自然や宇宙の法則からは外れていることになります。ですから、そういった場合、たとえ体が健康であっても、それは症状が出ていないだけで、この世界にとっては病気の状態なのです。

今日は、「人格を学ぶ講座」に入って3日目です。
自分を守っているということは、客観的な外からの視点が無いということです。客観的視点がなければ、自分がどんな考えをし、どんな行動をして周りにどんな影響をもたらしているかということが観えません。そうすると、自分のことがわかりませんから、人生の中でいずれ怪我や病気やトラブルに出会います。そこで客観的視点がなければ、その原因が自分にあるとは思いもせず、ましてや病気に感謝することなどまったくありません。
しかし私たちが病気や問題ごとに出会うのは、宇宙の法則です。簡単に言えば、神様が、私たちが法則から外れているから、その出来事を与え、元へ戻ることを教えてくれるのです。そのことに、病気や問題ごとに出会う前に気付いて、生きていると、毎日が変化の連続で活性します。そして常に心がオープンですから、周囲との絆も深まっていきます。そこに感謝できるようになると、人は優れた人生を生きることになるのです。そのような人のことを、覚醒者と呼びます。悟った人のことです。
現代には、そのような人はほとんどいなくなりました。ここは、そういった解釈を訪れた人々に提供する場所です。皆さんは、覚醒することを目指してここに来たのでしょう?しかし、ただ情報を得ているだけでは、覚醒者にはなれません。自らをオープンにして、自分と向き合うだけの勇気、意欲を持たないと、覚醒者にはなれません。つまり、自分を救うことはできないということです。そしてそれは他の誰のせいでもない、あなた自身の責任だということです。

私は、一人でも多くの人が目覚めていくことを望んでいます。なぜなら、地球がそれを求めているからです。そして地球が喜ぶからです。私たちのすべてである地球が喜ばない生き方を、私たち生命は絶対にしてはいけません。

 

 


第20日目:自然療法プログラム

今日の午前は、木の花ファミリーで10年ほど前から行っている「自然療法プログラム」についての講義でした。

自然療法プログラムの原型は、今から30年以上前(いさどんが32歳の時)の人生相談という形で始まった。その頃は何でも相談に乗っていて、カルマ読みをベースにして相談を受けていた。

その初期の頃の話がたまたまfacebook にちなっぴーがあげていたので、それをみんなでシェアした。いさどんおじさんと10代のちなっぴーのほんわかした雰囲気が出ていて講義の合間のアイスブレイクにもなった。 木の花ファミリーfacebook

「ケアはテクニックでなく場の力である。」

「ここにいるだけで心身の改善が進む。」

といさどんが何度も語っていたように、どういった場で暮らすのかが一番心の癒しになる。

コミュニティがいいと言っても、群れは良くない。それは傷口を舐めあう関係になれば逆効果。問題とは一人で向き合わなければならない。周りは健全で、それをサポートするのがいい関係。

相談を受ける中で、お母さんが子どもに対する接し方がわからないということがある。自分が子どもから抜け切れないインナーチャイルドの親もいるということからすると、親子の絆や秩序をつけていき、そこに柱(父性)がないのだから柱を立てていくことが大切である。

自然療法プログラムでは必ず定期的に面談を行うのだが、その時の録音テープを聴くことで、客観的に自分を捉えることができる。それは自分で自分の癖や傾向などに気付いていく為に有効である。

面談の他に主治医のいさどんは、つけてもらった日記を点検してコメントをしているのだが、これらを含めても、このプログラムは一人がテクニックを駆使してできることではなく、周りの環境が必要になる。だから一人を健全にしていく為には社会作りが必要となる。

一方、天然循環法の「食」の講座の中でもいさどんが語ったように、病気の中にも治療してはいけないものもある。病気や問題事は因果応報で、自分にふさわしく与えられているのだから、時と場合によっては、治して楽にすると学ぶチャンスを奪うことになり、当事者の成長を妨げることになる。病気や問題事というのは神様からの贈り物であり、なぜそれを与えられるのかを振り返り、健全になっていく為に起こっているということが腑に落ちれば、その問題事は不必要となり消えていくというのが宇宙の法である。

だから、それを伝えることを生業とすれば、霊的には天の意志に反することになり、人生が終わる時には、それが必ずチェックされる。

けれども浅い意識のところではそのことはいいことになってしまう。いさどんは、初期に神様から伝えられた

「心を語って飯を食うな。」

をずっと固く守り続けている。

この取り組みは、純粋に相手のことを想うことであり、そういう意味からも「治療」ではなく、「世直し」だといさどんは語った。

自らの心の癖を知って自己コントロール(洗心)し、上手に使い分けていくとそれが個性となる。

自分のエゴ(我)に縛られているのに、好きなことをしてそれが叶うことが自由だと思っている。本当は、エゴ(我)を手放していくことで自由になるのにはき違えている。このように物の価値観がひっくり返る転換期が来ている。歪みに執着していると楽にならない。本来全てのものは、もとの響きの健全な状態になろうとしている。それが嫌だといって病気になったり、嘘をついたりして無駄なエネルギーを使っている。物事が自分の思い通りにならないのは本当は有難いことなのだ。

今の時代を見ても、いいと思ってやっていることがおかしな結果になっている。(例えば、昨日テレビで観たネットバンキングの被害では、便利だとうたってお客を獲得してきた銀行が、知らない間に何者かにネットバンキングの銀行口座からお金を引き出されて、そのセキュリティ対策にお金をかけ、そのセキュリティの裏をかいてまた詐欺が行われる)これはしっかりとした柱が立っていないからで、それに気付かせるために起こっている現象とも言える。

このようなことは宇宙真理であって、決して宗教ではない。

今の世の中には舎利弗(釈迦の十大弟子の一人であり、頭が良くて賢いが、それ故に悟りが遅かったと言われる)のような人がたくさんいて、人より優れていると思い、自己主張ばかりで振り返らないので、自分が正しいと思い、人の話を聞かない。それに対して鳩摩羅什という人は、頭は良くなかったが、尊師の言うがままに生きて早く悟りを開いたように、尊師、即ち宇宙の法に則り、いただく精神で、生かされているという謙虚な心で生きていくことで人間は早く目覚めることができる。

腹を決めると柱が立つ。

そして天とともに地を生きて、菩薩の心を持ちながら地上を生きることができる。

みんな平等であり、「(教育、宗教、医療、政治などの)先生」はいらない。一人一人が目覚めて世界に貢献している理想郷を目指していて、それをまず木の花が表現する為に私たちはこの生活をしている。

現実に、治療不可能と医者から見放された多くのケアの人達が、この自然療法プログラムによって治って社会復帰を果たしている。今回の受講生14名のうち、5名がこのケアプログラムの卒業生である。また、メンバーの中にも卒業生がおり、ケアではなくても、行き詰っていた人達がここで健全になり日々を過ごしている。

この講座を受講生以外の現在ケア滞在中のあっこちゃんも受けていた。日に日に明るくなっていくあっこちゃんを見ると嬉しく有難いなぁと思う。そしてこの気持ちは地球の心だと思った。彼女が社会復帰できることを心から願う。

そのことを考えてみても、このような捉え方で日々を生きることは、人類にとって本当に大切な取り組みであると思う。

そういった意味でも、私達はみんな毎日「自然療法プログラム」を受けながら暮らしていると言える。

 

 

 

 


ケア卒業生の学び

1ヶ月間の真学校受講生14名の中には、自然療法プログラム(通称ケア)の卒業生が6名います。その中でも、たかちゃんとわたるくんは昨年12月、そしてよしてるくんは今年の2月にケアを卒業したばかりです。

受講生はこの1ヶ月間、毎日日記を書き、2日おきに真学校長のいさどんに日記を提出することになっています。今日は初めての日記提出DAY。いさどんは朝から14人分の日記をじっくりと読み、丁寧にコメントを書いていきました。いさどんからの「日記の冒頭には、1ヶ月間の目標と、今までの人生で良かったことと悪かったことを書いて下さい」というリクエストを受けて、受講生それぞれの正直な想いが日記の中に綴られていました。

12年間の躁鬱を2ヶ月半で克服したたかちゃんは、ケア滞在中なかなか正直を出せず、自分と向き合うことから逃げてきましたが、生まれ変わり、人のために生きていくため、この1ヶ月間の真学校を受講することを決めました。そして、「僕の人生において今が分岐点です」と語るたかちゃんは、「1ヶ月間の目標」として次のように書いていました。

たかちゃん
たかちゃん

 「正直・素直・信じる」を徹底的にやっていく。出していく。その時の心の動きを知り、楽しむ。これまでいさどんからもらったコメントを意識して、実践していく。まずは良いかっこうしいをやめ、不安・恐怖な自分を認めて、そこを日々乗り越えていく。嫌だ・うっとする時は、思考パターンを知り、変化するチャンス。感情を離れて、客観的に自らの心と相手の心を知る。

それを受けていさどんは、「ポジティブな意気込みを感じます。やって下さい」とコメントしました。


 

わたるくんは8年間の鬱を1ヶ月半で克服し、ケア卒業後はこれまでのシェフとしての経験を活かし、ヘルパーとしてキッチンで淡々と作業をこなしてきました。「本当の意味でケア滞在を卒業するために1ヶ月間の真学校を受講します」と語るわたるくんは、「今までの人生で良かったこと・悪かったこと」として、次のように書いていました。

わたるくん
わたるくん

この質問で気がついたのですが、木の花に来て、物事に対する考え方が変わった私がいました。なので、今までの人生で良かったこと、悪かったことを区別する事はできず、その時の心の状態が全てを創り出していたので、具体的に書く事はできません。現在の心の状態は安定しています。

それに対し、いさどんは「深い捉え方ができています。その視点を大切にして、さらに育っていって下さい」とコメントしました。


 

最後に、12年間の鬱を1ヶ月で克服したよしてるくんですが、彼の卒業コンサートでいさどんは「今まで色々な人たちのケア担当をしてきましたが、今回のよしてるくんのケアは、途中経過だと思っています。通常ケア滞在というのは、その人やその家族の健全を図って進んでいくものですが、今のよしてるくんの全身からは道を探求する姿勢が漂ってきています。そういう意味で、心の探求の同志が一人現れたようにも思っています」と語りました。ケア滞在中に綴られたよしてるくんの日記は、「心の問答集」として近々公開される予定ですが、いさどんに勧められ、今晩のミーティングでよしてるくんは昨日の日記をシェアしてくれました。

よしてるくん
よしてるくん

ミーティング後、心のシェアをしたなかのんのことが気になって、なかのんがのりちゃんにテルミーをしてもらっている最中に肩を触って話しかけた。思ったことを伝えて、マッサージしてほしかったら言ってね、と言うと、じゃあしてもらおうかなと言ってきたので、暖炉の前に移動し、足をマッサージした。マッサージしながら、なかのんと色々と対話をした。そうしたら、なかのんの顔がほぐれてきて、自然とメンバーの人たちがなかのんの周りに来て、なかのんに色々声掛けをしていた。なかのんを中心とした、とても良い空間だった。この前いさどんにマッサージを頼まれて久しぶりにマッサージをやって以来、否定して捨てたものだった整体の技術が、いさどんによって拾われたと思った。捨てても捨てても、戻ってくるものは戻ってくるんだな。


たかちゃん、わたるくん、よしてるくんの真学校への参加を受けて、いさどんは次のように語りました。

「この1ヶ月間のプログラムを通して真の人間力を身につけ、自らの意志をしっかりと確立し、生きていく喜びに目覚めてもらうことが次のステージとなります。今回1ヶ月間の真学校は第1回目の開催となりますが、ケアを卒業した人が参加することは、とても大きな一歩になると思っています。そこに参加する14名の皆さんと共に場を創っていこうと思っているのですが、特にこの真学校前にこうやってケア滞在をして大事なことをマスターし臨む人たちは、この大切な歩みのパートナーだと思っています。共にしっかりとやっていきましょう。」

 

他者の喜びを自らの喜びとする菩薩(ブッダ)の道を歩み始めた人たちが、ここ富士山麓で続々と現れてきている今日この頃です。