第19日目:糀仕込み

今日の午前は3月9日に行われる味噌作りのために、みんなで糀を仕込みました。みなさん、「こうじ」には二つ漢字があることをご存知ですか?「糀」と「麹」。

今日使ったのは「糀」の方で、これは味噌用の糀です。

今日の講師役のやすえどんは、木の花創設期から木の花の醸造部門を担当してきました。まずは、エプロンとバンダナ姿で集まった受講生たちと共に、カタカムナの5首と6首を奏上。

カタカムナを奏上する受講生
カタカムナを奏上する受講生

そして、この微生物の世界とカタカムナが解く宇宙真理の世界について、やすえどんは次のように話しました。

宇宙の響きを醸す 命を作る糀づくり

糀菌はカビの一種で生育適温は34~37℃(これは人が受胎する体温と等しい)、湿度は80%~90%を要します。繁殖条件が満たされると、蒸したお米に付着した菌は発芽して白色の菌糸を出して綿状に広がります。繁殖が進むと酵素が生成され、糀が全体に広がって浸透し、美しい花(菌の胞子)を咲かせます。繁殖条件を満たす手段とは、目には見えないもの(菌)との対話、そしてその時々の気候との相談。すなわち直観を働かせ菌にとって心地良い環境を作るということです。このようにして糀という生命が誕生します。

 目には見えない世界(潜象界)「カム」から目に見える世界(現象界)「カタ」へと生み出す「ナ」。宇宙の響きを感受して・・・。

糀の命は、変化、変容、変態し、高度な精神文明を築いた上古代の「カタカムナ人」が表現した生命や物質の発生、消滅を垣間見せてくれます。

ある日の作業で、仕上がった糀をもみほぐしながら、ヘルパーのともくんとの会話。

やすえどん:       糀づくりは神の存在なくしてはありえないよね。

ともくん:           人智を超えていますよ。科学では作れないですよね。

やすえどん:       時々思うんだけど、一体これ(糀菌)を誰が作ったんだろうって?

ともくん:        試験管でも作ることはできないですからね。

糀は人の腸を整える働きをするチョウ優れもの。健康への導きの菌。神さまは人の心のみならず、その肉体をも浄化するようにこの世界(地球)を作られたのですね。

受講生に説明をするやすえどん
受講生に説明をするやすえどん

 

まずは浸水させたお米を、カタカムナのウタヒを上げながら布を敷いたセイロに入れていき、釜戸で蒸します。すぐに大麦も蒸していきますのですが、その間、先に蒸しあがったお米をきれいなゴザの上に広げていきます。大麦が炊き上がるまでちょっと休憩。

その間、3日のフリープログラムの時に仕込んだ御神酒の発酵状態を確認します。
出来上がりは10日後になりますが、みんなで味見しました。さらっとした甘みで美味しかったです♪

そうこうしている間に蒸しあがった大麦を、先に広げたお米の上に広げていきます。そして全体の重量の0.01%の分量の「糀菌」をふりかけ、きれいに洗った両手をこするようにして全体にまんべんなく混ぜていきます。そして最終的に30度くらいまで温度を下げていきます。糀菌、空気中に漂う菌、そしてみんなの菌が、こうして混ざり合っていきます。なので、この糀は「真学校メンバー」のオリジナル菌なのです。

みんなで糀菌+真学校受講生菌を均等にまぶしていきます
みんなで糀菌+真学校受講生菌を均等にまぶしていきます

菌をむしろの上で混ぜるときに外側に出ないように木枠があるのですが、それは建築チームのヒロッチが丁寧に作ったものでした。そこから、昔のヒロッチの仕事が粗かったけれど、日々の生活からの心の学びを通して変化し、仕事を丁寧にするようになったことなど、メンバーそれぞれの心の歩みと変化の話などが出ました。

こうして十分に混ぜ合わさった糀は、もろ箱に分けて移され、お風呂場を改造した微生物室にて3日間発酵させます。そして9日の午後に行われる味噌作り講座で使われます。

さぁ、どんなお味噌ができるでしょうか。楽しみですね!

最後にみんなでやすえどんを囲んでハグ大会!
最後にみんなでやすえどんを囲んでハグ大会!

 

 


第17日目:宇宙の響きを醸す 真生御神酒づくり

受講生6名が、フリープログラムの時間を利用して御神酒づくりの体験をしました。

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古来、日本人にとっての米は、霊魂を再生させる特別な力を秘めたもの。米に象徴される穀物には穀霊が宿っていて、その穀霊を食す事で人間の霊魂は衰弱を免れ、活性化すると信じられていました。

神様にお供えする供物を神饌(シンセン)と言います。その中で最も大事なのが、「御飯(ミケ)」、「御酒(ミキ)」、米をついて丸めた「御餅(ミカガミ)」の三つです。

その御神酒づくりを受講生たちが体験しました。

【材料】
・天然循環法自家栽培 玄米
・古く縄文時代から作られていた赤米
・玄米糀
・水
・霊峰富士の御霊水
・『カタカムナのウタヒ』

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【作り方】
始まりは、『カタカムナのウタヒ』から…。
神事とあって受講生も粛々とした面もちです。
カマドに『火』入れをし、一中夜水に浸した後、水切りをした玄米と赤米を合わせたものを30分程蒸します。

一晩水に浸した
一中夜水に浸した玄米と赤米
せいろに入れて  ―
せいろに入れて ―
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釜戸で「火」にかけます。

次に『水』の準備です。
前日、カルキ抜きの為に用意した水に、霊峰富士の御霊水を注ぎます。

御神水を注ぐわたるシェフ
御霊水を注ぐわたるシェフ

そして、揉みほぐした玄米糀を入れます。
何とも香しい香りと共に、「ポッチャン♪」「ポッチャン♪」と美しい音色が響いてきます。

みんなでもみもみ
みんなでもみもみ
糀を入れるみどりーぬ
糀の香りが漂います

締めは、 蒸しあがったお米を混ぜ込みながら『カタカムナのウタヒ63首』を奏上。
皆んなの『愛』が響きます。

※ カタカムナが何か知りたい方は、カタカムナ勉強会へお越しください。

カタカムナのウタヒを奏上
愛の響きで御神酒仕込み

冬場だと、二週間ほどで糖化発酵中の甘い甘酒がいただけます。
蒸し時間の合間に、お待ちかねの試飲をしました。以前に仕込んだものです。

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感想は、なんと言ったか憶えていません。
でも、皆んなが口を揃えて言った言葉は憶えています。
 
 
「 “愛” と “お酒” があればいい‼︎ 」 ^o^
 
 
地球の未来は明るい…❤️

 
 
本宅カマド小屋イヤシロチより、やすえどんでした。
 
 
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< 後日談 >
もともと御神酒づくりは真学校のプログラムには含まれていませんでしたが、受講生の希望があり、ちょうど御神酒を仕込むタイミングと重なったので、この日に行うことになりました。
通常は仕込んでから飲めるようになるまで2週間ほどが必要なのですが、仕込み後暖かい日が続いているため、真学校最終日(13日)の修了パーティーの時にみんなで飲むことができそうです♪

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第9&10日目:「価値とは?~一人ひとりの目覚めの時代~」

「1ヶ月間の真学校」の中で、カタカムナ講座が2日間にわたって行われました。2日目の講座の冒頭で、いさどんは次のように語りました。

いさどん:

私たちの住む地球には多様な生き物が存在します。さらに宇宙に目を向ければ、無限の星が存在し、その中で地球は本当に微細な存在です。先ほど皆で奏上したカタカムナの63首を聞いていたら、「価値」という言葉が浮かんできました。価値はどこにあるのでしょうか。宇宙は星と星の関係性のもとに成り立っていますが、星々は価値については何も考えず、ただ存在するだけで宇宙を形成しています。

では、地球上に無限の生命が存在する中で、その価値はどこにあるのでしょうか。例えば太陽の光は無条件に降り注いでいます。それによって風ができ、水蒸気が上がって雨が降り、大地に植物が芽生え、それが腐食して土ができるというように自然現象は成り立っています。その時に、そこに価値を認識している存在があるかというと、いないのです。動物も植物も微生物も全て、価値というものの上に存在していません。

そこで、価値はどこにあるのだろうかと考えると、人間の思考の中にあります。先日、木の花劇団がここの経済に関する劇を発表しましたが、あの中にはたくさんの価値がありました。劇の中で表現されている価値は何を表しているかというと、今の人間の有り様は変だということを伝えているのです。どうしてこのような価値に人間は縛られているのだろうか、と問いかけているのです。

価値というのは、自分と他者とを分けることから生まれます。それでは、どこから価値が生まれてくるのか、考えてみましょう。

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よしてるくん: 差。

いさどん: その差はどこにありますか?

よしてるくん: 思考かな?

いさどん: 誰の思考ですか?

よしてるくん: その価値を決める人の思考です。

いさどん: その価値を何が生み出しますか?

みどりーぬ: 比較。

いさどん: 誰と誰を比較しますか?

みどりーぬ: 人と自分。

いさどん: それは、自分という自意識の上に価値が決まってくるのです。自我を主張し合わない自然界では、価値を決めなくても、美しい生命ネットワークが形成されています。太陽の光が降り注ぎ、自然の成り立ちが流れていくと、その中で生命は全て循環して一つの輪となり、それぞれが各ポジションを担いながら相互に成り立つ仕組みになっています。それは、私たちの体の仕組みと同じです。そこでは、価値基準のいらない世界です。

そこで、さらに価値について考えると、人間の意識だけがそうした価値を持っているのです。価値を持つということは、人間の自我の表現なのです。では、私たち人間が生きていく中で、価値のある人とはどういう人なのでしょうか。

いぶちゃん: 人の役に立つ人。

みどりーぬ: 困っている人がいたら助ける人。

いさどん:「これこそ価値がある!」というような、究極に価値のある人とはどういった人でしょうか?

みどりーぬ: 闇と光の両極を知っている人。

いさどん: 難しいことを言いますね(みんな、笑)。そのような人のことを何と呼びますか?

やまちゃん: 聖人。

いさどん: そうですね。では、聖人の代表は誰ですか?

やまちゃん: お釈迦様、キリスト。

いさどん: こういった人たちは聖人として生まれてきたのでしょうが、生まれてからすぐに聖人としての生き方をしてきたわけではありません。ある時から聖人の道を歩み出したと思うのですが、それはどのような生き方だと思いますか?

やまちゃん: 真理を教えてきた生き方。

いさどん: 真理とは何ですか?

やまちゃん: 宇宙の法則に則った在り方。

いさどん:僕は宇宙の星と星の関係や地球の生命の在り方を観て、そこに価値をどのように置くかを捉えました。それに対して、人間の中にある価値とは何だろうと思った時に、価値のある人とは尊い人のことを指しています。そこで聖人というところまで皆で行き着いたのですが、聖人とはお釈迦様、キリスト、ムハンマド、孔子など、日本にもそういった人はいたと思うのです。では、そういった人はなぜ聖人なのでしょうか。

たになおちゃん: 傍(ハタ)を楽にするから。

キタジュン: 自分以外の全ての人に対して救いの手を差し伸べる。

いさどん: 簡単に言うと、世の中や人のことを考えて生きたということでしょう。そこで、さらに価値について考えた時に、自然や宇宙の成り立ちを観ると、そういったものは価値を考えることはありません。それは仕組みです。それぞれが与えられたポジションを担いながら、互いに対話して全体を成り立たせています。そこには確かに意志の存在を感じますが、それは与えられた役割を果たしているだけなのです。それは地球生態系を観ても、たとえば微生物は自らのポジションに対し、こういった価値があるから微生物をやりたいとか、次の役割はミミズにしようかと思うことはありません。

僕は、「生きているかどうか研究家」であり、「変だよ!人間」というのが持論ですが、なぜそう考えるのかというと、人間は常に損得を考えて生きているからです。そこには自我という軸があって、他者と比べて損か得かを考えて生きています。ところが、宇宙の天体や地球上の他の生命を観ても、そういった価値観を持って存在しているものは何一つありません。しかし、その中で人間は一人ひとり全て違う価値観を持っています。人間には人間という一つの価値観があればそれでいいと思うのですが、人間は一人ひとりオリジナルな価値観を持って存在しているのです。そうであるがゆえに、この世界の存在を認識するよりも先に自らの存在を認識してしまい、人間はこの世界を認識できなくなっています。自我が強くなればなるほど、認識できる世界は狭くなっていくのです。人間の意識レベルでは、自我があるのが当たり前です。それが人間らしいと勘違いしている人もいるのですが、地球上の他の生命は何一つそのような価値を持っていません。ですから、「自分が」という価値観が小さいと、この世界がより広く観えてきます。そして、「自分が」という価値観がなくなってしまうと、この世界が自分自身にもなってくるのです。

いったい、この人間とは何なのでしょうか。そういった広い世界観を通して観れば、人間として目指すべき尊い方向は、自我の価値観を捨てたところにあるのです。ところが、現代の人々は本来目指すべき方向とは逆のところに自らを置き、それを望むところとして目指しているのです。それで楽に生きているのかというと、実はその世界にいては楽ではありません。

ここにいる皆さんは、真学校で自らを1ヶ月かけてリニューアルし、新たな自分を見出していくという目標があり、1ヶ月もの時間とお金をかけて来ているのです。今の時代に1ヶ月の時間を作ることは大変なことです。それにお金を出してまでやる人は本当に限られた人たちです。今どき、心を見つめて自らをリニューアルしていくことを、1ヶ月の時間とお金をかけてやる人がいるのだろうかと思っていたら、今回14人の申し込みがありました。今後、年に2回開催していく話も出ていますが、それは需要があるからではありません。こうしたプログラムを必要とする時代が来ているからです。

皆さんは、変えることを目的にここに参加していると思いますが、では何を変えるのですか?

たになおちゃん: 自分を変える。

いさどん: 自分にどういったところがあるから、どのように変えようと思うのですか?

たになおちゃん: 自分の性格に問題があったから、自分を変えなければと思います。今まで自己中心すぎて、周りを不幸にしてきました。

いさどん: 自分のことしか考えていないということは、自分が内向きだったということです。それは先ほどの聖人と比べると反対の方向ですね。なぜ自分が内向きだったのでしょうか?自分が内向きだった時には、それが価値のあることだと思っていたから、そうしていたのではないですか?

たになおちゃん: はい、それしかないと思っていました。

いさどん: それは、価値違い(勘違い)です!(チーン♪ みんな、笑)人間の意識が低いところにあると、自らを守ってそれで自分が安定すると思っています。ところが、人間の長い歴史の中で人の営みを捉えてみると、いつの時代でも変わらず、「己を忘れて人のために生きる」ことが価値のあることになっています。しかし、多くの人間は常に自らに囚われ、意識の低いところにいて、それが自らを守ることで安心だと思っているのです。今、なおちゃんが話したように、たいていどの人も意識の低いところにいてはいけないとは思っています。そこに意識があると、行き詰まるようになっているのです。それは、この世界の奥にある見えない法則が、「ここにいてはいけないよ」とそこから抜け出すためのメッセージとして表してくれているのです。

人間社会であろうが、自然界であればなおさら、この世界では自らのことばかりで不調和に生きていたら、問題が発生するようになっています。例えば鳥が、「しばらく天候が悪くなりそうだから、食料を沢山蓄えておかないと」と考えて、田んぼのお米を沢山食べて太ってしまったら、猫が襲ってきてもとっさに飛ぶことはできません。そうしたら食べられてしまいます。そこで、「足るを知る」ことが大切なのです。適度に食べ、適度に排泄し、それが自然に還元されて、次の命につながっていくのです。そこには人間のような欲の考えはありません。「得した」「損した」「良い人生だった」と考えない世界なのです。そうした考えがなければ、生命の循環の中では皆が健康に命を紡いでいくことができます。そして、そのように価値基準を持たないのが、この世界の生命として生きるものの本来の姿です。

人間は自らを主張し、聖人という存在から遠い人間ほど、価値という基準を持っています。そして、それが自分らしいと自らを守ることであり、そこに囚われながらこの世界を創っています。それに対してこの世界の側からは、「それでは生きることが苦しくなりますよ。あなたが命だとしたら、本来の命の姿から外れていますよ」と病気などの問題事を通して教えてくれています。鳥が欲をかいて食べ過ぎていたら、危険が迫った時に逃げ遅れて食べられてしまうように、そういったものは生命として生きていく資格がないことになります。だから自然淘汰されるのです。ところが、現代では人間だけはそういった法から外れたものでありながら、淘汰されずに、人工という世界を創り、他の命に災いをもたらしながら存在しています。今、地球規模で人間は、自然災害や気候変動を通してメッセージをもらっています。しかし、国を司るリーダーたちは、相変わらず経済発展こそを豊かさとして優先しているのです。

命は循環しているのですから、他者の役に立つ働き(傍楽)をしてつないでいくと、この世界は健康になるように創られています。しかし働くのではなく、自分のことばかりを考えて物や金を溜め込もうとすると、血液が全体に行き渡らない病気の状態と同じような社会になってしまいます。今の日本経済は破綻状態にあり、それは借金ばかりが必要な人工透析状態なのです。

そうした政治を司る人々が世の中で成功した優秀な人とされていますが、それは尊い存在とは違います。ですから、今の世の中で成功した人を尊い人とは言えません。こうした社会の矛盾を目の当たりにするたびに、「人間はおかしな生き物だ」と思うのですが、人間はその価値を人間社会の中にのみ見出し、それが人間らしくていいと思い、その意識が自分たちの首を絞めていることに気付いていません。もしかしたら今、私たち人類は絶滅前夜にいるかもしれません。IPCC(国連気候変動による政府間パネル)のデータを見たら、そのようなことを続けている場合ではないのですが、それは私たち一人ひとりの目覚めに関わっていることなのです。

この1ヶ月間の真学校を通して、まずは自らの実体を知り、客観的な視点を養い、健康で楽に生きていけるように、皆さんは参加しているのです。僕は、改めて皆さんがそういったことを意識し学んでもらえるように、こういった話をしています。

あなたがた一人ひとりがこの世界を創っています。それが塵(チリ)も積もって70億人が集まり、地球にこれだけの影響を与えて今、この世界の現状があります。それは、あなたの働きがこの世界の行き詰まりを創っているということです。それは勉強してわかるようなものではなく、直観で感じて矛盾を捉える感性があったら、当たり前にわかることです。自らを観て客観的な視点が育てば、そこで自らの矛盾にも気付きます。そうすると、当たり前に生き方を切り替えることができます。今の人間は物事が良く見えているようで、知識をたくさん得ていても、そういったことが観えていないようです。

こういったことが人々に当たり前に観えるようになり、一人ひとりが世界の仕組みの中で役割をもらい、世界をつなげるためにあることに気付き、その役割を果たしたら、あなたはすでに聖人です。そして、その時に人は、自らが生きようとしなくても生かされる存在になります。命は必要な分だけ与えられていますし、寿命は決まっているのです。ですから、生きながらえようとしなくても良いのです。世界がこの仕組みである限り、自らに与えられたポジションで生きていく役割と期間は決まっているのです。

その中で人間だけは他の生命と少し違って、生きる内容が一人一人の意志に託されています。それが人間としての価値だと思うのです。私たちはどのように生きるのか。その結果、この世界に何をもたらしたのか。自らの価値をどこに置くのか。そこに気付き生きる自由が人間には与えられているのです。与えられている自由はそれだけです。価値基準もそれだけなのです。

 

政治はセイ(政・聖)と書くのですから、本来聖人が行うべきものです。それなのに、主義主張のために政治が行われているのが現状です。その自我の極めつけは、自国の利益を得るための戦争です。その自我が世の中に争いの世界を創り、様々な問題事の原因となっているのに、それが観えないのです。人間とはそのようなおかしな生き物です。

 

そういった中で、皆さん一人一人は自らを転換するために、1ヶ月の時間とお金をかけてここに来ています。世の中の人がなかなかできないことに皆さんは取り組んでいるのですから、僕は特別な人たちだと観ているのですが、自らの転換だけではなく、真の価値とは何かに気付き、この学びから自らの価値をどこに置くのかを考えてもらえたらと思っています。

 

プログラムの冒頭でそういったことを伝えると、「私は自分の学びのために来ているのに、人のための学びなんて嫌だ!」という可能性もあるのです。しかし、プログラムが進んできて、その中でカタカムナの宇宙観に触れるところまで来ると、皆さんもある程度今の社会情勢と宇宙の構造との矛盾について知ることができてきていると思います。そして、その学びでは広い世界観を持ちましょうと伝えてきました。その中で自分はどのような存在なのかを捉え、世界観が広くなれば、自我から離れることのきっかけとなります。そして皆さんはカタカムナの世界観と出会ったことによって、現象界の奥にある世界まで捉えた時に、この世界の存在する仕組みについてさらに理解を深めることができました。

 

宇宙空間に生きる私たちは、当然、宇宙人です。そして、私たちが宇宙人という意識を持つと、そこまでの広く高い認識を持つことができます。地球上で私たちは無数の生命ネットワークの中で存在していますが、宇宙の仕組みを認識できるのは、その中でもたった一種類、私たち人間だけです。

 

昨日のカタカムナ勉強会で「アマハヤミ」の話がありましたが、アマハヤミとは思念の速度であり、光の速度の10の64乗倍と言われています。アマハヤミはこの現象界の光と比べる対象の存在でもあり、量子力学の世界でいう究極の相対性理論のようなものです。宇宙は広大な世界ですが、アマハヤミの思念では人間が頭の中で「宇宙」を思い浮かべるだけで、瞬時にして宇宙全体が観えてくるのです。それだけの能力を人間は潜在的に持っています。カタカムナと出会うまでは、この世界の基軸は光という認識だったので、そういった概念はありませんでした。ですから、宇宙を知るためにこれまで物理学者や科学者たちは、莫大な労力をかけて宇宙を探査してきたのですが、光の速度の乗り物を作れないのに、130億光年もの宇宙の世界を観て帰って来ることは不可能なのです。そういった思考を超えて、宇宙に探査の思念を送ると、意識があるレベルに到達していれば、宇宙の全体像が瞬時に観えてきます。そして、人間の存在とは何なのかを思念として想えば、その存在価値が観えてくるのです。

 

そうしたら、客観的に自らを観て、自分が低い意識レベルにいると気付いたら、こう自らに伝えてあげればいいのです。「あなたは何のためにそのような無駄なエネルギーを使っているのですか。その上、さらに辛い思いまでして、涙を流しています。そんなエネルギーはもったいない。バカバカしいからそんなことはやめましょう。」そういった意識を皆さんに持ってもらえたら、世の中は良くなっていくと思います。

 

皆さんの日記を読んでいると、真学校の学びとはこういうものだと皆さんは少しずつ理解してきているようですが、実はあるところでこれを切って、「今の延長にこれからの学びを提供していくわけではありません。それでは、学びが皆さんの我の延長の学びになってしまいます」と伝えようと目論んでいます(笑)。そして、本来人間とは何なのかという本質を、自らを一気に超えたところで理解してもらえたらと思っています。今、種明かしをしてしまいましたが(笑)。

 

昨日のカタカムナ講座の中では、今まで聞いたこともなかったよくわからない話を聞いたと思いますが、そのわからないことを大事だと思って、それに付き合っていくと、ある時あなたに自我が切り離される時が来るのです。その時に、今まで自我に囚われていたことに気付き、今までのあなたの疑問がわかるようになるのです。

 

そのような自我を超え物事の本質に目覚めるためのプログラムを、私たちはこれからも提供し続けていきます。時代が切り替わる時を迎えているのですから、皆さんにもこの輪を広げていってもらいたいと思います。「自分のために」というところから、本当に世の中を変えていくための役割に目覚めてもらいたいと思っています。
そのために、古代人の叡智であるカタカムナの宇宙物理学は大切なものです。しかし、気を付けなければいけないことは、そこでカタカムナ教になってはいけないと思うのです。癌を治してもらおうなどと、カタカムナの奏上をお願いすると、それはご利益宗教のようになってしまいます。それではいけません。自分自身がそういった意識レベルの人になることが大切です。そして、自らの存在を持って世の中に大事を示していける人になることが大切なのです。誰もがそのような尊い人になれば、次の時代の扉は開かれます。それは一人ひとりの目覚めの時代なのです。それが、これからの人々の目指すべき価値なのです。

 

「尊きものを見つけ、そこに行き、救われることよりも、自らが尊きものとなって、他を救えるようなものになれ。これからは、一人びとりがイエスやブッダであるぞ。」


第10日目:カタカムナ&人格を学ぶ講座(実践編)

午前:カタカムナ2日目

午前中は、昨日に続いて”はがにぃ”こと芳賀俊一さんによるカタカムナの講座でした。今日は主に松果体についてのお話でした。

午後:人格を学ぶ講座(実践編) 

午後は、人格を学ぶ講座の第5回目。前回に引き続き、受講生一人一人の地球暦をカルマと合わせながらいさどんが丁寧に紐解いていきました。

前回はブンちゃんといぶちゃんの地球暦が紐解かれ、皆で大いに盛り上がったのですが、今日のトップバッターはみへちゃん。いさどんから、「地球暦が車で、魂の形(カルマ)がドライバーだとしたら、みへちゃんの場合車の性能は良いのに、ドライバーとしてのあなたが変わり者のためまわりから理解されにくく、さらに独りよがりなため、良い車を生かしきれていませんね。自らの善意が伝わらないことから人間不信になっていたはずです」と伝えられました。みへちゃんは、「その通りです。それは私自身が原因なのだと思いますが、どうしたら私の車をうまく運転できるようになるのですか?」と質問し、それに対していさどんは次のように答えました。「真学校が始まって今日で10日目になりますが、いぶちゃんものりこちゃんも顔がどんどん変わってきましたね。それと同じように、みへちゃんの顔もどんどん変化してきます。それがどうするかの答えです。知らない間に、目から鱗の体験をしていたり、魂に触れることをやっていれば変わっていくことが、一番自然なのです。あなたのように自分が強い人は、まずは知らない間に身についていくようなことが良いと思いますよ。」

 

表情がどんどん美しくなっていくいぶちゃんとのりちゃん
表情がどんどん美しくなっていくいぶちゃんとのりちゃん

 

続いて、最近どんどん顔の表情が優しくなってきて、まわりに穏やかな空気をもたしているのりこちゃん。それほど立派とは言えない地球暦を持ち、受け身な心ののりこちゃんを、いさどんは次のように分析しました。「のりこちゃんは受け身なため、これまでの人生では被害妄想的にまわりに怒りを向けて生きてきました。しかし、それは環境が創ったのではなく、自分がこういう人生を選んできたと認識することが大切です。そして、のりこちゃんはここに滞在していくうちにそのことが観えてきたので、どんどん自分にもまわりの人にも優しい人になってきたのです。これは運命の出会いですね。本当ののりこへようこそ!」

そして、よこなおちゃんは1ヶ月間の真学校が始まる前に何度かいさどんの面談を受けてきましたが、面談の度に「けど」「でも」を繰り返し、なかなか自らを改めることができませんでした。そんなよこなおちゃんの地球暦には、まさに自分が強いということが表れていました。気持ちはあってもなかなか自己改革ができないよこなおちゃんに対して、いさどんは次のように語りました。

「人生は己を知る旅です。内を観ないで、自らの問題事を被害妄想的に外のせいにしていると、人生は生き辛くなります。だから、自らと対話することが大切なのです。僕は時々『世のため人のために生きるには何をしたらいいですか?』という質問を受けるのですが、その際にはこう答えます。『それは簡単です。まずは自分を健全にして、そしてあなたのまわりにそれを反映させていき、それが広がっていけば、世の中は平和になるのです。つまり、世のため人のためとは、自らと向き合って自分を健康にすることなのです。』そして、本当に自分が求めているものを知り、それを生きていくことが本来の人生の目的なのです。『けど』『でも』という言葉が出ないようになるためには、世界観を広げることです。地球暦は宇宙空間に出て自らを観るようなものなのですよ。」

 

いつも心のこもった話をするいさどん
いつも心のこもった話をするいさどん

いさどんが、「皆から何か質問やコメントはありますか?」と投げかけたその時、今日27歳のお誕生日を迎えたいぶちゃんは、「頭の中では今日のおやつが気になって・・・」とにこにこ笑いながら正直な想いを出しました♪そこでいさどんも、「実はいつ頃おやつにしようかと思っていたんだよ」と笑顔で返しました。そんないぶちゃんの地球暦はとてもバランスが良いものです。いさどんは「だから、さっきのようなひらめきが湧いてくるのです。いぶちゃんもここと出会って、どんどん心が開かれていき、本当の自分が現れてきたのですね」とコメントし、皆が楽しみにしていたおやつの時間になりました♪

今日のおやつをおいしそうにほうばるいぶちゃん(今日お誕生日です!)
今日のおやつをおいしそうにほうばるいぶちゃん(今日お誕生日です!)

第9日目:TV番組鑑賞、座談会、カタカムナ勉強会

今日は、フリープログラムの日。

午前中、用意されている3時間のフリーな時間のうち、最初の1時間ほどを真学校に用意されたお薦めTV番組録画リストから選ばれた「NHKスペシャル 人体 ミクロの大冒険2 あなたを変身させる細胞が出す魔法の薬」を見ました。

観た後に、みんなで感想を述べ合いました。

みんなでざっくばらんに感想を言い合ってます
みんなでざっくばらんに感想を言い合ってます

他者に対する思いやりや愛情を育む時に出る、オキシトシンを出すには、ハグが効果的なのではないかということで、みんなでハグ大会になりました。ハグが苦手というやまちゃんも、その奥底の心を見つめていくといいねという話になりました。

ハグの後、いい顔になったやまちゃん
ハグの後、いい顔になったやまちゃん

その後、「互いを知る」のプログラムのときに、きたじゅんからみんなで日記をシェアしてはどうかという提案があり、みんなもその意見に賛成。

まずはきたじゅんの日記のシェアから始まり、同じ部屋で日記のチェックをしていたいさどんからも解説があり、また自分を見つめていく材料が一つできたかな?

今度のフリータイムでは、みんなの日記のシェアをしていこうという話になりました。

 

午後:カタカムナ勉強会 1日目     (レポート:ひとみ)

授業の始まる前は63首奏上。その後、真学校校長のいさどんからの
挨拶の予定でしたが、さっそく、その63首についての質問が続出。
真学校のプレゼンなどでカタカムナの世界観に触れてきただけあっ
受講生のカタカムナの関心度の高さと感じさせるスタートでした。
いさどんからは、学ぶことの姿勢の在り方についてお話がありました。
学ぶという事はひとりひとりの旅。
意識は上がって行けば上がって行くほど見えてくるのもだけど、
解らないものに出会った時に解らないと言って切り捨てるのではな
その難解なことは自分が求める道の先にあることなのかどうか直感で感じることが大切。
その解らない事は大事なのか、大事ではないのか。
その直感にしたがって生きていればいずれその大事なところに到達するし、人はどんどん成長して行く。
それからいよいよ授業が始まりますが、冒頭の質問の意欲はどこへやら
始まったとたんに殆どの受講生が潜象界(夢の中)へ・・・。
潜象界で学ぶ受講生たち
潜象界で学ぶ受講生たち
ふつうの授業だと寝ることは、ご法度ですが講師のはがにぃは潜在意識に入れることが
大事なのだからどんどん、寝たらいいといいます。
「ノートをとって脳みそで覚えよう、記憶することは学ぶということではない。
記憶するということは忘れること。考えることはいらない。自分の身の中に起きることだけを自分の身の中(細胞の中)に入れてしまうこと。反復し、感じとることだけを続けていくと条件が整うとそれがバッーと開く」とはがにぃは言います。
新潟弁で熱くカタカムナを語るはがにぃ
新潟弁で熱くカタカムナを語るはがにぃ
「胃や肺や心臓などの人間の生命にとって大事な臓器は胸に集中しています。
胸は身体の中で、一番大事な部分が集まっている場所だから、何かあると胸はきゅん!とする。」とはがにぃが、可愛らしいしぐさで説明してくれます。
愛でも慈悲でも胸の部分で心というものが感じられるのはその為なのです。
直感を磨くためには心をきれいにすることです。
人はどんな人でも心をきれいにし、直感に委ねることで、素に立ち返ることができます。
それが人としての役割なのです。
心の話になると、さすが真学校受講生!
寝ていた受講生もいつの間にか新潟弁まじりのはがにい節で、笑いの渦に包まれていました。

第7日目:宇宙の響きを醸す 真生醤油絞り

週に1度の休講日の今日、受講生8名が醤油絞り体験をしました。

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先陣は、赤いエプロンが可愛いのりちゃんです。朝早くからの参加です。
「まっちゃん、今日のコーディネートいいね〜。」
「服はやっぱりこうでぃねえと!」(チーン)

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まっちゃんとのりちゃん
約2年熟成させた醤油。これから釜戸へ移し、火にかけます。
2年半熟成させた醤油。釜戸へ移します。

場を整えて「カタカムナのウタヒ」を奏上しました。
そこへ、こうちゃん「神事だね〜。」
次に、こまちゃん、まこっちゃんと、皆んなの『ま心』が入ります。

こまちゃん(右)登場
こまちゃん(右)登場
まこっちゃんも参加
まこっちゃんも一緒に

やって来ました受講生。
「炒った小麦を挽き割りにして、種麹を混ぜたものに冷ました蒸し大豆を混ぜ合わせ、4日間ねかせるとモスグリーンの美しい麹が出来るんですよ。それに水と塩を足して、毎日櫂入れをするんです。ふた夏越したものを絞るんです。今回のは、2年6ヶ月たったものです。」
説明の後、各自自分の思うところに配置していました。これぞまさしく『阿吽』‼︎

受講生たちも挑戦
受講生たちも挑戦
みんなの気が入ります
みんなの気が入ります

醤油の舟(絞り機)より流れ落ちる生醤油をお釜に流しこむたかちゃん
「やすえどん、このバケツ重い〜。おもいを入れる。」(チーン)

たかちゃん
たかちゃん

「 一番絞りをした後に、その粕に水と塩を足して二番絞りをします。粕(かす)を又、活かすんです。」(チーン)

「わたるシェフ、味の程は?」「美味しいです。複雑な味がしました。」「複雑な味??」「大豆の味が濃くって、皆んなの思いが込められていると感じました。」「しょうゆうことですか!」(チーン)

わたるシェフ
わたるシェフ
釜戸で煮た醤油を布袋に入れ、絞り機へ
釜戸で煮た醤油を布袋に入れ、絞り機へ
醤油が絞られていきます
醤油が絞られていきます
絞りたての醤油
絞りたての醤油

夕刻、四拍手にて『神事』無事終了。充実感にお互い笑みがこぼれます。
「お疲れ様でした。」

精進は続く…❤️

本宅カマド小屋イヤシロチより
やすえどん


IMG_4804注:「チーン」とは

誰かがダジャレを発した時に鳴らすベル。
ダジャレには、凝り固まった場のアイスブレイク、視点の多角化、ゆとりの創出など様々な効能があり、精神性が高まるほど「チーン」の回数が増える、といううわさもある。